「そごう」の版間の差分
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{{Otheruseslist|2009年まで百貨店「そごう」を運営していた企業|2009年以降[[そごう・西武]]が運営する「そごう」ブランドの店舗|そごうの店舗一覧|その他の用法|十合}} |
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{{出典の明記|date=2011年4月}} |
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{{Pathnav|フォートレス・インベストメント・グループ|そごう・西武|frame=1}} |
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{{画像提供依頼|旧・多摩そごう|date=2010年7月|cat=東京都}} |
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{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} |
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{{Pathnav|セブン&アイ・ホールディングス|そごう・西武|frame=1}} |
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{{基礎情報 会社 |
{{基礎情報 会社 |
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|社名 = 株式会社 |
| 社名 = 株式会社そごう |
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|英文社名 = Sogo Co., Ltd. |
| 英文社名 = Sogo Co., Ltd. |
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|ロゴ =[[ |
| ロゴ = [[File:Sogo logo.svg|120px]] |
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| 画像 = [[File:Sogo Shinsaibashi.JPG|300px]] |
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|種類 = [[株式会社]] |
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| 画像説明 = 経営再建のシンボルだった[[そごう心斎橋本店]] |
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|市場情報 = |
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| 種類 = [[株式会社]] |
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|略称 = |
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| 市場情報 = {{上場情報| 東証1部 | 8243 | 1961年 | 2000年10月13日 }}{{上場情報| 大証1部 | 8243 | 1961年 | 2000年10月13日 }}{{上場情報| [[京都証券取引所|京証]](廃止) | 8243 | 1961年 | 2000年10月13日 }}{{上場情報| [[神戸証券取引所|神証]] | 8243 | 1961年 | 1967年10月31日 }}(旧法人:株式会社そごう) |
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|国籍 =日本 |
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| 略称 = |
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|郵便番号 = 102-0084 |
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| 国籍 = {{JPN}} |
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|本社所在地 = 東京都千代田区二番町5-25<br />二番町センタービル |
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| 本社郵便番号 = 542-0085{{efn|そごう・西武発足直前の本社郵便番号は〒102-0084}} |
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|設立 = [[1830年]]創業 法人設立[[1969年]](昭和44年)[[5月21日]]<br />(株式会社横浜そごう)(注1) |
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| 本社所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[心斎橋筋]]1丁目8番3号{{efn|そごう・西武発足直前の本社所在地は[[東京都]][[千代田区]][[二番町 (千代田区)|二番町]]5番地25(二番町センタービル、そごう・西武の2022年までの本社所在地と同じ)}} |
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|業種 = 6100 |
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| 本社緯度度 = |
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|事業内容 = 百貨店 |
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| 本社緯度分 = |
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|代表者 = 代表取締役社長 山下國夫<br />(元ミレニアムリテイリング取締役、西武百貨店出身) |
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| 本社緯度秒 = |
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|資本金 = 11,000,000円 |
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| 本社N(北緯)及びS(南緯) = |
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|売上高 = 4,689億94百万円(2006年2月期) |
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| 本社経度度 = |
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|総資産 = |
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| 本社経度分 = |
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|従業員数 = 2,845名(2006年2月末現在) |
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| 本社経度秒 = |
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|決算期 = |
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| 本社E(東経)及びW(西経) = |
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|主要株主 = [[セブン&アイ・ホールディングス]]100% |
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| 座標右上表示 = Yes |
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|主要子会社 = |
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| 本社地図国コード = |
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|関係する人物 = 十合伊兵衛(創業者)、[[水島廣雄]]、和田繁明 |
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| 本店郵便番号 = |
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|外部リンク = http://www.sogo-gogo.com |
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| 本店所在地 = |
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|特記事項 = 2009年8月1日合併直前のもの。[[1830年]](天保元年)「大和屋」として創業(のちに十合呉服店に改称)<br />注1:2002年2月に、(旧)株式会社そごう([[1919年]][[12月30日]]設立)を吸収合併し(2代め)株式会社そごうに商号変更。 |
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| 本店緯度度 = |
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| 本店緯度分 = |
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| 本店N(北緯)及びS(南緯) = |
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| 本店経度度 = |
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| 本店経度分 = |
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| 本店経度秒 = |
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| 本店E(東経)及びW(西経) = |
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| 本店地図国コード = |
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| 設立 = [[1969年]]([[昭和]]44年)[[5月21日]]<br />([[そごう横浜店|株式会社横浜そごう]])<br />創業は[[1830年]]([[天保]]元年) |
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| 業種 = 6100 |
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| 法人番号 = |
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| 統一金融機関コード = |
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| SWIFTコード = |
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| 事業内容 = 百貨店 |
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| 代表者 = 代表取締役社長 山下國夫<br />(元ミレニアムリテイリング取締役、西武百貨店出身) |
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| 資本金 = 1100万円 |
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| 売上高 = 4,689億94百万円(2006年(平成18年)2月期) |
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| 営業利益 = |
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| 経常利益 = |
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| 純利益 = |
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| 純資産 = |
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| 総資産 = |
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| 従業員数 = 2,845名(2006年(平成18年)2月末現在) |
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| 支店舗数 = |
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| 決算期 = |
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| 会計監査人 = |
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| 所有者 = |
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| 主要株主 = [[そごう・西武|ミレニアムリテイリング]] 100% |
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| 主要部門 = |
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| 主要子会社 = |
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| 関係する人物 = 十合伊兵衛(創業者)<br/>[[水島廣雄]]<br/>[[和田繁明]] |
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| 外部リンク = https://www.sogo-seibu.jp/ |
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| 特記事項 = 2009年(平成21年)7月31日時点の情報。2002年(平成14年)2月に[[そごう横浜店|株式会社横浜そごう]]が(初代)株式会社そごう([[1919年]][[12月30日]]設立)を吸収合併し(2代)株式会社そごうに商号変更。<br />2009年(平成21年)8月1日に株式会社西武百貨店、株式会社ミレニアムリテイリングと合併し、株式会社[[そごう・西武]]に商号変更。 |
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'''株式会社そごう'''({{Lang-en-short|Sogo Co., Ltd.}})は、かつて[[百貨店]]の「[[そごうの店舗一覧|そごう]]」を運営していた[[日本]]の[[企業]]である。[[セブン&アイ・ホールディングス|セブン&アイグループ]]に属していた。[[2009年]][[8月1日]]に親会社であるミレニアムリテイリングと、同じくミレニアムリテイリング傘下の[[西武百貨店]]を[[合併 (企業)|合併]]し、'''[[そごう・西武]]'''となった。 |
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本項では、[[1919年]]に設立され[[2002年]]に[[権利能力|法人格]]が消滅した初代[[法人]]、旧[[商号]]が[[そごう横浜店|株式会社横浜そごう]]で2002年に初代法人を吸収合併した2代目法人について、まとめて記述する。各店舗については'''[[そごうの店舗一覧]]'''を参照。 |
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[[ファイル:SOGO Yokohama 001.JPG|thumb|250px|right|[[そごう横浜店]]]] |
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== 概要 == |
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'''そごう'''([[英語|英称]]:''SOGO'')は[[セブン&アイ・ホールディングス]]の傘下の'''株式会社[[そごう・西武]]'''が運営する[[日本の百貨店]]。 |
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{{出典の明記| date = 2021年5月 |section=1 }} |
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[[1830年]]([[天保]]元年)に[[大坂]]で古着屋として創業した老舗企業である。[[メインバンク制|メインバンク]]の[[日本興業銀行]](現在の[[みずほ銀行]])出身の'''[[水島廣雄]]'''のもとで[[1960年代]]以降に多店舗展開戦略を推進して大手百貨店グループの一角にのし上がるが、[[バブル崩壊]]による経営悪化などにより[[2000年]]に[[倒産|経営破綻]]した。その後は[[西武百貨店]]の支援の下経営再建を行い、2003年に西武百貨店と共に[[持株会社]]「ミレニアムリテイニング」の傘下に入る形で経営統合する。最終的に[[ミレニアムリテイリング]]が[[セブン&アイ・ホールディングス|セブン&アイホールディングス]]の傘下に入ったことでセブン&アイグループ入りした後、[[2009年]]にミレニアムリテイニングと西武百貨店を吸収合併し、'''[[そごう・西武]]'''に社名を変更した。 |
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「そごう」の社名・店名は創業者の名「十合(そごう)」に由来する。[[大阪市|大阪]]が発祥の百貨店で、[[本店|登記上の本店]]は創業から[[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|大阪店]]閉店までと[[そごう心斎橋本店|心斎橋本店]]開店からそごう・西武への再編前まで、大阪の[[心斎橋]]に長年あった。それまで、[[大阪市|大阪]]・[[心斎橋]]と[[神戸市|神戸]]・[[三宮]]の2店舗しか有していなかったが、[[1957年]]に[[有楽町]]に東京店を開業し、「[[有楽町で逢いましょう]]」を宣伝文句に東京に進出した。同名の[[歌謡曲]]をはじめ[[歌番組]]や[[映画]]が制作され大流行となった。映画では大阪店・東京店が撮影に使用され、そごうが衣装提供も行った。{{Main|有楽町で逢いましょう#楽曲作成経緯とそごうの歴史}} |
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[[2009年]]8月1日付で、かつての運営会社「株式会社そごう」が、[[西武百貨店]]と持株会社のミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更した。 |
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[[1967年]]に立ち上げた[[そごう千葉店|千葉そごう]]が成功し、「レインボーの法則」で[[国道16号]]沿いの[[首都圏 (日本)|首都圏]]の[[郊外]]の駅前を中心に出店を加速させた<ref name=":1">{{Cite web |title=そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び |url=https://toyokeizai.net/articles/-/319453 |website=東洋経済オンライン |date=2019-12-20 |access-date=2024-02-19 |language=ja}}</ref>。なお、それぞれを地域子会社として、早くから黒字化した'''株式会社[[そごう千葉店|千葉そごう]]'''が各地の地域子会社に出資する複雑な資本関係であった<ref name=":1" />。[[1985年]]に[[横浜駅]]東口に開業した[[そごう横浜店|横浜店]]は、そごうの店舗では売場面積(83,654[[平方メートル|m<sup>2</sup>]])と売上高が最大で、現在でもそごう・西武の「基幹店」として営業している。最盛期には国内外で30店舗以上、[[1992年]]のグループ全体の売上高で[[三越]]や[[髙島屋]]を上回り、百貨店業界の1位を記録した<ref name=":1" />。なお、経営破綻以前の直営店は大阪店(心斎橋)、神戸店(三宮)、東京店(有楽町)の3店舗のみであり、その他の店舗は全て千葉そごうが出資した地域子会社であった。なお、水島廣雄が千葉そごうの株式の半数を有しており、実質的に水島廣雄が支配していた。 |
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== 概要 == |
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[[ロゴタイプ|ロゴマーク]]は創業以来、初代十合伊兵衛の生家・絹屋の[[家紋]]である'''[[チキリ|ちきり]]'''(縦糸を巻くための[[織機]]の付属部品、石材や木材を繋ぎ止める部品)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。また「ちきり」は「'''契り'''」に通じることから、顧客との結びつきを末長く大切にするという意味も含めている{{efn|21世紀になって、類似のマークが環境運動家などによって{{仮リンク|絶滅マーク|en|extinction symbol}}(extinction symbol)として使われているが、これは地球と砂時計を模したもので、そごうのロゴとは無関係である。}}。 |
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[[1830年]]創業の古着屋「'''大和屋'''」の流れを継承する老舗百貨店である。本社は創業から[[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|大阪店]]閉店までと[[そごう心斎橋本店|心斎橋本店]]開店からそごう・西武への再編前まで長年[[大阪]]の[[心斎橋]]にあった。[[そごう横浜店|横浜店]]は売場面積 (83,654m²) と売上高(1,000億強)が最大。[[1957年]]、[[有楽町]]にも開店し、テレビコマーシャルに「有楽町で逢いましょう」を流し、東京に進出した。「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」なるキャッチフレーズも存在した。西武百貨店と統合したことで、MDや売場編集を西武流に。[[POSシステム]]の技術提供も受け、従来のイメージは良いにつけ悪いにつけ一掃された。横浜店・[[そごう千葉店|千葉店]]・[[そごう神戸店|神戸店]]・[[そごう広島店|広島店]]の売上は好調。また呉店は好調な広島店と外商機能などが効率的に統合。 |
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ロゴマークの形状自体に変更はないが、色は[[赤]]→[[紺]]→[[金色|金]]・[[ヒスイ|翡翠]]と変更され、[[民事再生法|民事再生]]直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリングのグループカラーの[[青]]に変更している。また民事再生以前には「そごう」と「SOGO」のロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」を[[コーポレートアイデンティティ|CI]]に採用した時期もあり、外装への採用例として、1996年から2001年の神戸店(現:[[神戸阪急]])本館北側の壁面がある。セブン&アイ傘下となってから、英字「SOGO」ロゴの[[フォント]]を西武の「SEIBU」と同一のものに変更し、主に公式ウェブサイトと広告で使用する。 |
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イメージフラワーは[[ダリア]]で、包装紙や紙袋に印刷されるほか、関連組織の名称にも、ダリアルーム、ダリア友の会など、ダリアを冠したものがある。 |
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イメージフラワーは[[ダリア]]で、かつては[[包装紙]]や紙袋に印刷されたほか、関連組織の名称にも「ダリアルーム」「ダリア友の会」など、ダリアを冠したものがある。 |
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=== 民事再生法適用 === |
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[[日本興業銀行]](現:[[みずほ銀行]])出身の[[水島廣雄]]の下で、旧名称「十合」の十にちなんで、「ダブルそごう(全国20店舗)」「トリプルそごう(同30)」などと称して積極的な展開をした。レインボーの法 |
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則に基づき東京を囲むように出店し店舗拡大をした。 |
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かつては「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」という[[キャッチフレーズ]]も存在した。 |
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株式会社そごう(初代)として運営していた店舗は[[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|大阪店]]、[[そごう神戸店|神戸店]]、東京店のみである。それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は各地元からの出資及び、そごう及び千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社や、水島が個人で出資するなど、資本関係は極めて複雑だった。これは、そごうがどこへ出店しても利益は本社へ行くが、税金が同じように行くことを阻止する仕組みである。発案者は水島で、各地方の地元へ安易に出店しやすくするシステムともいえる。 |
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西武百貨店と統合したことで、[[マーチャンダイジング]]や売場編集が西武流となり、[[POSシステム]]の技術提供も受け、従来のイメージは大きく変わった。 |
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土地の値上がりを見込んで銀行融資を受け積極的に出店したことが災いし、2000年7月に小売業としては日本最大の負債総額を抱えて[[民事再生法]]適用の運びとなった。[[1995年]]の[[阪神・淡路大震災]]で直営店の神戸店が被災したことで打撃を受けたことや、[[平成不況]]による消費の低迷と[[不良債権]]処理問題に関連したメインバンクの[[日本長期信用銀行]]破綻(現:[[新生銀行]])による[[瑕疵担保条項]]の適用(後述)がグループ破綻の原因となった。 |
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== 歴史 == |
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経営破綻後、そごうは[[西武百貨店]]元社長の和田繁明を特別顧問に招聘し、2003年に[[そごう・西武|ミレニアムリテイリング(現:そごう・西武)]]による経営統合を実現した。2005年にミレニアムリテイリングを[[セブン&アイ・ホールディングス]]が買収した。 |
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=== 創業から百貨店へ === |
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[[ファイル:初代十合伊兵衛像.jpg|thumb|初代十合伊兵衛像(横浜そごう屋上に設置)]] |
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[[大和国]][[十市郡]]十市村で絹屋として商売を営んでいた十合徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が、[[1830年]]([[天保]]元年)に[[坐摩神社]](火防陶器神社)の南隣、[[大坂]][[難波|上難波町]]に古手屋(古着屋)「'''大和屋'''」を開業したのが始まりである<ref name="sogo-105-1979-12">『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。</ref>。 |
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[[1872年]]([[明治]]5年)に古手屋を廃業して[[呉服商|呉服店]]へ転換し、[[1876年]](明治9年)に[[安堂寺橋通]]三丁目に移転。翌[[1877年]](明治10年)には[[心斎橋筋]]一丁目に移転すると共に'''十合呉服店'''へ改称した<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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==== 債権放棄問題 ==== |
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1998年10月に[[メインバンク制|メインバンク]]の一つであった[[日本長期信用銀行]](長銀)が経営破綻すると、そごうは自主再建を実行するため1999年より融資を受けている金融機関へ債権放棄を求めた。最大の債権者である[[日本興業銀行]]は応じる方針だったものの、長銀は2000年3月に株主の[[預金保険機構]]が[[リップルウッド]]へ売却する際に有利な条件を付したことがネックとなり、次第にそごうの経営危機が報道されることになる。 |
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外商顧客が神戸エリアで増加していたことを受け、[[1899年]](明治32年)[[6月25日]]、神戸市相生町二丁目(後の生田区相生町→中央区相生町、[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]北口)に外商出張所として神戸支店を開設し、[[1901年]](明治34年)4月3日には[[元町 (神戸市)|元町]]五丁目に移転した<ref name="sogo-105-1979-12" />。神戸支店は店舗販売も拡大するなどして、順調に売り上げを伸ばし、[[阪神電気鉄道]][[三宮駅|三宮]][[駅ビル]]へ出店する形で[[1933年]]([[昭和]]8年)10月1日に移転・増床し、百貨店として開業した<ref name="sogo-105-1979-12" />。この移転の告知では「神戸そごう」という[[ひらがな]]表記を用いており、その後の各店舗での「'''そごう'''」表記の第一歩となった<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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その条件とは、'''[[瑕疵担保条項]]'''である。これはリップルウッドが長銀を譲受する以前の融資債権で2割以上の損失が有ると認定された場合には、融資時の金額まで損失を[[預金保険機構]]が補填する仕組みである。長銀を買収したリップルウッドは社名変更した[[新生銀行]]が債権放棄に応じるよりも瑕疵担保条項を適用する方が非常に有利だったため、[[金融再生委員会]]が2000億円程度の損失処理と見込んで推した債権放棄案は暗礁に乗り上げた。 |
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[[1935年]]([[昭和]]10年)9月24日には大阪・[[心斎橋]]の[[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|本店]]として[[村野藤吾]]設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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そのためメディアでは「一企業のために国が助ける」との見出し{{要出典|date=2009年11月}}や、旧長銀の譲渡の仕方や国民負担などについて批判されることになる。2000年7月6日に[[亀井静香]][[自民党]]政調会長(当時)と山田恭一そごう社長の電話連絡を経て、そごうはそれまでの自主再建を断念し、株式会社そごう(上場企業)とそごうグループは大企業として初となる[[民事再生法]]を申請した。そごうグループ各社(28件)約2兆9000億近い負債額で倒産し、株式会社そごう単体で6800億円余りの負債が返済不能となった。 |
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心斎橋の新本店ビルは、[[ガラス]]ブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので<ref name="sogo-105-1979-12" />、[[モダニズム]]建築の傑作と評価されている。店内には[[食堂]]をはじめ、700名収容の[[劇場]]や[[茶室]]、貴賓室など、売場以外の機能も併設されていた。そして開業直後には[[大阪市営地下鉄御堂筋線]]が開通し、[[心斎橋駅]]と直結することとなった<ref name="sogo-105-1979-12" />。心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設された。しかし、2期工事の建設費は[[板谷宮吉 (2代)|板谷宮吉]]率いる板谷[[財閥]]の資本導入により実現し、この際に十合一族による同族経営が終わった<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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結果的に瑕疵担保条項適用分は他の[[不良債権]]と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて再建の流れが公になるというとのことでこの問題の決着がつくとされた。「そごう問題」や、「そごう債権問題」などと言われた。 |
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社名は、[[1940年]](昭和15年)に「十合」<ref name="example" />となり、[[第二次世界大戦]][[戦後|終戦後]]に[[株式会社]]を設立した[[1969年]](昭和44年)に「そごう」となった<ref name="example">[[本間之英]]『有名企業 社名とマークの秘密 243社一挙掲載』[[学研プラス]]、2008年4月10日。ISBN 978-4-05-403709-0</ref>。 |
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=== ロゴマーク === |
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そごうの[[ロゴタイプ|ロゴマーク]]は創業以来、初代十合伊兵衛の生家・[[絹]]屋の[[家紋]]である'''ちきり'''(縦糸を巻くための[[織機]]の付属部品。また石材や木材を繋ぎ止める部品の名)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。ちきりはまた「ちきり」という言葉と「'''契り'''」の連想から、客との結びつきを末長く大切にといった意味も含んでいる。 |
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=== 戦中・戦後 === |
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ロゴマークの形状自体に変更はないが、色については、[[赤]]→[[紺]]→[[金]]・[[ヒスイ|翡翠]]を経て、民事再生直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリンググループのカラーとしての[[青]]に変更している。また、民事再生以前については、「そごう」ロゴと「SOGO」ロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」を[[コーポレートアイデンティティ|CI]]に採用した時期もある。外装への採用例としては1996年から2001年の神戸店本館北側の壁面がある。 |
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[[第二次世界大戦中]]は配給品以外の商品が大幅に減少したため、売場に空きが生じたことから、大阪本店の地下2階部分を活用して「家財保護預り」を行い、顧客の財産を守る事業も展開した<ref name="sogo-105-1979-12" />。この保護預かり制度は話題を呼び、[[大阪市]]内のみならず[[大阪府]]下全域からの利用者があった<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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=== 会長室 === |
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{{出典の明記|section=1|date=2011年4月}} |
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奈良そごう(現:[[イトーヨーカドー奈良店]])をはじめとする全支店フロアには、巨大で絢爛豪華な会長室があったといわれている。俗称は“[[皇居]]”で、連絡口はバックヤード倉庫奥等に巧妙に配置し、一般客には一切気付かせない仕組みとなっていた。連絡用[[エレベーター]]も、一般客向け開放エレベーターとは別個に設置されていた。横浜店と旧奈良そごうには[[浴室]]があった。札幌そごうの同施設があったフロアはそごう撤退後の大改装により、[[札幌ら〜めん共和国]]に生まれ変わり、地下一階から直通の連絡専用エレベーターと共に一般客にも開放・利用されている。 |
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=== プロ野球球団の応援セール === |
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有楽町そごうが閉店するまでは[[読売ジャイアンツ]]の応援セールを行っていたが、これは入居する建物([[よみうりホール|読売会館]])の建物所有者が[[読売新聞グループ本社|読売グループ]]であることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は[[三越]]が引き継ぐことになった。 |
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[[戦後|終戦後]]は、大阪本店が[[進駐軍]]に徴用され、[[酒保|PX]](進駐軍とその家族向けの売店)として使用したため百貨店としての営業ができなくなり、大阪市内に[[在日外国人]]向けの輸入品店「オーバーシーズサプライズストア」を含めていくつかの店舗を展開し、営業機能の一部を代用する形になった<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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なお現在は西武百貨店全店(旧[[ロビンソン百貨店]]を含む)と同様、[[埼玉西武ライオンズ]]の応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗はライオンズの地元[[埼玉県]]を商圏に含む[[そごう大宮店|大宮]]・[[そごう川口店|川口]]・[[そごう柏店|柏]]の3店舗のみである。2010年までは[[JR東京西駅ビル開発|八王子店]]もセール対象だった。 |
|||
その後、[[日本百貨店協会|日本デパートメントストア協会]]など百貨店業界を挙げた接収解除運動もあって接収解除が実現し、[[1952年]](昭和27年)6月1日に大阪本店の営業を再開した<ref name="sogo-105-1979-12" />。しかし、この間約6年にわたって本店で営業できなかったことの影響は大きく、再開店から1年後には早くも売上が伸び悩むことになった<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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また、業績不振で株価が低迷している一方で自社物件だった本店に不動産価値が見込まれたため、一時期は外部からの[[グリーンメーラー]]による株買い占めにも遭う<ref name="ebado-sogo-no1-2003-8-30">江波戸哲夫 『神様の墜落 “そごうと興銀”の失われた10年』[[新潮社]]、2003年8月30日。ISBN 978-4104459025</ref>など、苦境が続いた。 |
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=== 東京進出と経営権争い === |
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[[1957年]](昭和32年)5月25日には<ref name="nikkei-np-1957-5-25">“開店奉仕品へカサの波”. [[日本経済新聞]](日本経済新聞社). (1957年5月25日)</ref>、有富光門の主導により、[[読売新聞]]が[[有楽町]]に建設した[[読売会館]]に東京店([[読売会館#有楽町そごう|有楽町そごう]])を開店<ref name="ebado-sogo-no1-2003-8-30" />、[[東京]]への進出を果たした。しかし、この東京店は有富が読売新聞社主の[[正力松太郎]]と一[[坪]]当たり月額4,000円という高額の定額家賃の契約を結んでいたため、月商約3億円に対し約7,000坪で約2,800万円の家賃は、当時業界の常識とされていた売上高の約3%から5%を大きく上回って採算が合わず、業績の足を引っ張る結果となった<ref name="ebado-sogo-no1-2003-8-30" />。{{See also|読売会館#有楽町そごう}} |
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このため、翌[[1958年]](昭和33年)4月、京都を中心とする関西財界の顔役で[[日本繊維工業]]社長であった[[坂内義雄]]を社長に迎え、板谷宮吉の縁戚とされる当時[[日本興業銀行]](現:[[みずほ銀行]])から特別調査室付考査役であった[[水島廣雄]]が副社長として就任、[[メインバンク]]で大株主で大口債権者である[[大和銀行]](現:[[りそな銀行]])から常務であった[[若菜三良]]が同じく副社長に就任し、ともに経営再建に取り組むことになった<ref name="suzuki-sengo-zaikai-history-1965-5-10">[[鈴木松夫]]『戦後日本財界史 この20年を決定づけた経営者群像』[[実業之日本社]]、1965年5月10日。</ref>。 |
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ところが、[[1960年]](昭和35年)11月26日に坂内義雄社長が急逝<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />。当時慣例化していた大和銀行と[[野村證券|野村証券]]、[[山一證券]]、板谷宮吉、住友正雄で構成される「5者会」に諮ることなく、同年12月23日の取締会において大和銀行の独断で、同行出身の若菜三良が副社長から社長に就任した。そのため、5者会を構成する他者が反発し、経営権を巡って抗争が生じることになった<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />。この経営権を巡る争いは大和銀行が[[公正取引委員会]]に提訴される事態に発展し、翌[[1961年]](昭和36年)10月26日に[[アサヒビール]]社長[[山本爲三郎]]の仲介でようやく終息をみた<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1">山森俊彦『そごう怒涛の大航海―「水島そごう」日本一への出帆』[[デパートニューズ社]]、1988年1月。ISBN 978-4915293009</ref>。 |
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この経営権争奪戦の解決を受けて、若菜はそごうを去り、[[1962年]](昭和37年)1月30日に増資を決議して同年6月1日に資本金10億円へ増資し、同年4月26日に水島廣雄が副社長から社長に就任した<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />。 |
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水島は止む無く社員のリストラを進めたが、会社存続に売上の確保が不可欠として神戸店の増築のみは続けられたほか、経営が好転した際の給与引き上げを約束した。{{See also|水島廣雄}} |
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=== 増床と多店舗展開の推進 === |
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神戸店は増築・増床を進めて売場面積約31,800m<sup>2</sup>へ倍増させ<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5">佐藤正忠 『「そごう」に新しい神話がはじまった』[[経済界 (出版社)|経済界]]、1994年5月。ISBN 978-4766702514</ref>、[[1971年]](昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となった<ref name="sogo-105-1979-12" /><ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。その後も隣接する[[神戸国際会館]]と共同でケイ・エスビルを建設して新館とするなど、さらなる増床で売り上げを伸ばした<ref name="sogo-105-1979-12" />。[[阪神・淡路大震災]]前には売場面積約48,962m<sup>2</sup>まで拡張した<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。 |
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大阪店でも、[[御堂筋]]の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなどの集客策を打ち出した<ref name="sogo-105-1979-12" />。東京店では読売新聞との家賃引き下げ交渉を行い、地下鉄[[有楽町駅]]と地下売場を直結させるため交渉するなどテコ入れを図った<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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==== 千葉そごうの設立 ==== |
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[[1966年]](昭和41年)[[10月28日]]に地域[[子会社]]第1号として'''株式会社千葉そごう'''を設立し<ref name="sogo-105-1979-12" />、翌[[1967年]](昭和42年)[[3月21日]]に[[そごう千葉店|千葉そごう]](旧店舗)を[[千葉駅]]前に開業<ref name="sogo-105-1979-12" />。開業2年目で地域一番店となり、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せた<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。これにより、全国への多店舗展開にかじを切ることになった<ref name="sogo-105-1979-12" />。{{Main|そごう千葉店}} |
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地域子会社方式によるそごうグループでの多店化は千葉そごうが始まりであり<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" /><ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />、以降そごうの出店に際しては千葉そごうを中心に、黒字化していたそごうグループ各社が出資することで、そごうのグループ会社として運営されていくことになった<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11">東京商工リサーチ情報部『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』[[エイチアンドアイ]]、2000年11月。ISBN 978-4901032315</ref>。 |
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多店舗展開の開始当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である[[そごう柏店|柏そごう]]([[1973年]])や[[そごう広島店|広島そごう]]([[1974年]])も、[[黒字と赤字|黒字]]転換後は出資側に回り、多店舗戦略を支える形式をとっていた<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。千葉そごうは1972年(昭和47年)10月に別館を増設し<ref name="sogo-105-1979-12" />、1974年(昭和49年)10月に開業した[[そごう広島店|広島そごう]]は、当初は売場面積が10,000m<sup>2</sup>未満に抑えられていたものの、将来的に30,000m<sup>2</sup>まで増床可能な設計となっていた。両店とも近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />。増床戦略の最盛期には、千葉そごうが[[千葉モノレール|モノレール駅]]と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売場面積約90,000m<sup>2</sup>体制とした。また、広島そごう新館を[[基町クレド|NTTクレド基町ビル]]に開設するなど主力店周辺に店舗を出店して、立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。 |
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株式会社千葉そごうは、初代会長に就任した[[水島廣雄]]が株式の大半を保有したため、株式会社そごうの[[連結子会社|連結対象]]外企業であった。また、株式会社千葉そごうがそごう本体の[[株主|筆頭株主]]となっていた時期もあった<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=http://eir.eol.co.jp/EIR/View.aspx?cat=yuho_pdf&sid=193201|title=株式会社そごう第105期有価証券報告書|accessdate=2020-03-09|archivedate=2015-07-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150722181857/http://eir.eol.co.jp/EIR/View.aspx?cat=yuho_pdf&sid=193201|page=4|date=1997-05-26|website=株式会社そごう}}</ref>。こうした地域子会社同士のグループ内での複雑な株の持ち合いにより、そごう内部の経営状況は水島以外が把握できない状況となってゆく。 |
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==== 多店舗構想と駅前再開発 ==== |
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そごうでは「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />、[[鉄道駅|駅]]前に巨艦店を次々と出店するという多店舗戦略を進めていった。 |
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この出店計画は旧名称「十合」の十にちなみ、10店舗構想「グレーターそごう」と名付けられ、千葉そごうを皮切りに[[黒崎そごう]]の出店で達成した<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。さらにそれを拡大し、20店舗構想「ダブルそごう」、30店舗構想「トリプルそごう」と称して積極的な展開を行った<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。 |
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多店舗展開にあたっては[[国道16号]]を「レインボーロード」と称し、東京[[都心]]部を包囲するように国道16号沿いへ出店する戦略を採った。これは、東京都心部にはすでに在京百貨店を含めた同業他社が集中的に出店しており、有楽町そごうで苦戦して以来、東京都心部への出店が遅れたそごうの入り込む余地が残されていなかったためである。そのため[[首都圏 (日本)|首都圏]]では[[郊外]]への出店がメインとなり、[[商圏]]人口に見合わない規模の店舗が近隣地域に複数出店することも多かった([[多摩そごう]]と[[ガレリア・ユギ|柚木そごう]]、[[そごうの店舗一覧#そごう・西武(セブン&アイ)移行前|木更津そごうと茂原そごう]]など)。 |
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また、株式会社千葉そごう設立の3年後となる[[1969年]](昭和44年)5月21日には、[[横浜駅]]前への出店を見据えて'''株式会社横浜そごう'''を設立。[[相模鉄道]]が開発を主導して[[駅ビル]]「[[相鉄ジョイナス]]」を建設し[[髙島屋#横浜店|横浜髙島屋]]を誘致した西口に比べ、開発の遅れていた横浜駅東口の用地を安価に取得した。実際に出店したのは16年後で、横浜駅東口再開発事業に合わせ、[[横浜新都市センター]]によって建設された「横浜新都市ビル」の[[核店舗]]として、[[1985年]](昭和60年)9月30日に[[そごう横浜店|横浜そごう]]を開業。開店資金約590億円を投資し「横浜が生んだ、世界最大級の百貨店」を[[キャッチフレーズ]]に、開業当時は東洋一の売場面積を誇る巨艦百貨店としてオープンした。この横浜店は現在もそごうの「基幹店」として営業している。 |
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{{Main|そごう横浜店}} |
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こうした[[小売]]・[[流通]]業というより[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]的な手法により、[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて、各地の[[地方公共団体|自治体]]主導により行われた駅前[[再開発事業]]の核店舗として[[競争入札|入札]]し、破格の賃料を提示し競合他社を退けて巨艦店の出店を続けた。そごうの経営を特徴づける1店1社の地域子会社制もこのための手法であった。再開発では無視できない地元[[商店街]]などの反対意見として「本社のある都市(そごうの場合は大阪)に利益が吸い取られる」というものがあるが、地域子会社が出店することで「地元に金を落とす」と主張して批判をかわし、自治体の再開発事業への出店を有利に進めていった。 |
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しかし[[バブル景気]]の[[バブル崩壊|崩壊]]により、土地の値上がりを前提として銀行から融資を引き出し、出店した店舗を[[担保]]に次の出店のための融資を得るというサイクルが崩れ、巨艦店を出店し規模で他店を圧倒して地域一番店を目指すという「[[大艦巨砲主義]]」的モデルに翳りが差した。そのため経営破綻直前の1990年代後半には、再開発事業で出店予定していた店舗の計画中止が相次ぐこととなった。{{See also|そごうの店舗一覧#構想はあったが出店を断念した店舗}} |
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海外展開においても、[[アジア]]への出店では日本人観光客よりも、地元の消費者を狙う戦略で出店している。実際に、[[香港そごう]]では約85%、[[遠東SOGO|台湾太平洋そごう]]では約95%が地元客といわれ、地元密着の百貨店となった<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。 |
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=== 経営破綻と政治問題化 === |
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[[File:Kobe Sogo c035.jpg|thumb|right|[[阪神・淡路大震災]]で半壊したそごう神戸店本館<br />(1995年撮影、現:[[神戸阪急]])]] |
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[[2000年]](平成12年)[[7月12日]]、[[山田恭一]]社長は[[記者会見]]にて「再建計画を断念し、[[民事再生法]]の下で再建を図ることになった」と発表した。これにより、当時は'''小売業として過去最大規模'''となる約1兆8,700億円の負債を抱え、事実上[[倒産]]した<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /><ref>{{NHK放送史|D0009030297_00000|そごう 経営破たん}}</ref>。これは[[1999年]](平成11年)12月22日に民事再生法が公布されて以来、[[大企業]]としては初となる申請となった。 |
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その前夜の[[7月11日]]、全国のそごう店舗の代表者が東京に集まり、深夜まで対応策が協議された<ref name=chugoku20000714>「福山そごう・三井社長に聞く 社員一丸で再建目指す(広島県)」[[中国新聞]]、2000年07月14日 中国朝刊(東A、写真有、全669字)</ref>。各店舗を経営する地域子会社は、そごう本体と同じく自主再建を考えていたが、結果的に全社が自主再建を放棄し、民事再生法の申請を行うことで一致した<ref name=chugoku20000714/>。 |
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同年10月25日には、民事再生法の適用を申請した22社のうち、9社の再建を断念し、残る13社は株式会社十合を受け皿会社として合併し、1社に統合して再建を目指す再生計画案を東京地方裁判所に提出した<ref name="nissyoku-2000-10-30-2C">“そごう、9社断念・13社を統合で10年かけて再建へ”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2000年10月30日)</ref>。そごうグループ全社が民事再生法の適用を受けたのではなく、経営状態などの相違により[[特別清算]]や[[自己破産]]となった法人もあった<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" />。 |
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そごうは土地の値上がりを見込み、銀行融資を受けて積極的に出店していたが、バブル崩壊によりこのビジネスモデルが破綻した。また[[平成不況]]による消費の低迷に加え、[[1995年]](平成7年)1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]で神戸店が被災し、本館が半壊して経営に打撃を受けたことも破綻の一要因となった。 |
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経営破綻後のそごうは、[[西武百貨店]]元社長の[[和田繁明]]を特別顧問に招聘した<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" />。長い間休眠子会社であった株式会社十合を持株会社化の上、株式会社ミレニアムリテイリングに商号変更、[[2003年]](平成15年)にはミレニアムリテイリングによる経営統合を実現した。その後、[[2005年]](平成17年)には、ミレニアムリテイリングを[[セブン&アイ・ホールディングス]]が買収した。 |
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[[2009年]](平成21年)8月1日、そごうを存続会社として、西武百貨店とミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社[[そごう・西武]]に商号変更した。同月末、赤字が続いたそごう心斎橋本店を閉店して、創業の地・大阪市中央区を離れた。 |
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{{See also|そごう・西武|セゾングループ|セブン&アイ・ホールディングス}} |
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==== そごう債権問題 ==== |
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そごうの自主再建断念の背景には、1998年に日本興業銀行と並ぶ[[メインバンク制|メインバンク]]であった[[日本長期信用銀行]](長銀、現:[[新生銀行]])が経営破綻したことが挙げられる。破綻後、長銀は一時国有化を経て[[リップルウッド]]を中心とする投資組合に売却されたのだが、この際に[[不良債権]]について、譲渡後3年間に2割以上の損失があると認定された場合には、融資時の金額までの損失を[[預金保険機構]]が補填する仕組みとなる[[瑕疵担保条項]]の適用という特約が付けられた<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" />。 |
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そのため、同行が債権放棄を受け入れることについては[[金融再生委員会]]と[[預金保険機構]]が関連することになり、「そごうへの債権を放棄して一企業に税金を注ぎ込むとは何事か」という批判が巻き起こり、当社の再建策は政治問題化することになった<ref name="weekly-gendai-2000-9-23">『衝撃スクープ公開 自民党のために「潰れてくれ!」と懇願 亀井静香政調会長がそごう社長にかけた「倒産要請電話」全会話をスッパ抜く』[[週刊現代]]、[[小学館]]、2000年9月23日号</ref>。 |
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当時の[[森内閣]]は、同年6月25日の総選挙直後で支持率が低迷していたことから批判に耐えられないとして、同年[[7月11日]]に[[亀井静香]]自民党政調会長(当時)は山田恭一そごう社長に対し、そごうの債権放棄を認めることが困難であることを[[電話]]で伝え、それを前提とした自主再建案の断念を迫った<ref name="weekly-gendai-2000-9-23" />。亀井からの要求を受け、そごうは自主再建を断念<ref name="weekly-gendai-2000-9-23" />。翌[[7月12日]]に株式会社そごう(上場企業)とそごうグループの主要企業が[[民事再生法]]を申請した<ref name="weekly-gendai-2000-9-23" />。 |
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結果的に瑕疵担保条項適用分は、他の[[不良債権]]と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて再建の流れが公になることで、政治問題として決着がつくとされた。この問題は当時「そごう問題」「そごう債権問題」などと呼ばれた。 |
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==== 複雑な資本関係 ==== |
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株式会社そごう(初代)が運営していた直営店舗は、[[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|大阪店]]と[[神戸阪急#そごう神戸店|神戸店]]、東京店のみであった<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" />。それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は地元からの出資、株式会社そごう、千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社、水島が個人で出資する場合など、資本関係は極めて複雑なものとなっていた<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" />。 |
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また、グループ各社間で貸付金や債務保証も行われていたため<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" />、経営破綻時の各社の負債総額は、運営する店舗の業績とは必ずしも一致していなかった。 |
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[[1997年]]当時の主要株主は以下のとおり<ref name=":0" />。 |
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* [[そごう千葉店|株式会社千葉そごう]] - 6.70% |
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* [[日本興業銀行|株式会社日本興業銀行]] - 4.99% |
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* そごう従業員持株会 - 3.44% |
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* [[野村證券|野村証券株式会社]] - 2.76% |
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* [[日本生命保険|日本生命保険相互会社]] - 2.65% |
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* そごう共栄会 - 2.01% |
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* [[東洋信託銀行|東洋信託銀行株式会社]] - 1.85% |
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* [[全国共済農業協同組合連合会]] - 1.60% |
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* [[七博|株式会社七博]] - 1.40% |
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* [[みずほ信託銀行|安田信託銀行株式会社]](金融信託指定単口) - 1.39% |
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* [[第一生命保険|第一生命保険相互会社]] - 1.33% |
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==== グループ各社の負債額 ==== |
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2000年の経営破綻時の主な負債額は以下のとおり。 |
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* そごう(上場していた本体) 約6891億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 千葉そごう(千葉市) 約4054億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 新千葉そごう(千葉市) 約953億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 広島そごう(広島市) 約3282億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 広島そごう新館(広島市) 約545億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 横浜そごう(横浜市) 約1955億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 柏そごう(柏市) 約1238億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 奈良そごう(奈良市) 約1231億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 大宮そごう(大宮市) 約774億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 福山そごう(福山市) 約742億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 川口そごう(川口市) 約736億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 小倉そごう(北九州市) 約673億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 船橋そごう(船橋市) 約666億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 徳島そごう(徳島市) 約662億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 多摩そごう(多摩市) 約553億円(特別清算)<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 八王子そごう(八王子市) 約503億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 札幌そごう(札幌市) 約496億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 豊田そごう(豊田市) 約496億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* そごう物産(東京都港区) 約398億円(自己破産)<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 加古川そごう(加古川市) 約361億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 黒崎そごう(北九州市) 約321億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 錦糸町そごう(東京都墨田区) 約303億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 西神そごう(神戸市) 約240億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 呉そごう(呉市) 約236億円<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 木更津そごう(木更津市) 約230億円(自己破産)<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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* 長野そごう(長野市) 約95億円(自己破産)<ref name="tsr-why-bankrupty-21-2000-11" /> |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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=== 創業 - 終戦まで === |
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* [[1830年]] - 十合伊兵衛 |
* [[1830年]]([[天保]]元年) - 十合伊兵衛が、[[大坂]]の[[坐摩神社]](陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「'''大和屋'''」を開業<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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* [[1876年]]([[明治]]9年) - 安堂寺橋通に移転。 |
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* [[1877年]] - [[大阪]]の[[心斎橋筋]]に大和屋を移転。'''十合呉服店'''と名付ける。これが後の'''そごう'''[[そごう心斎橋本店|心斎橋本店]](旧そごう大阪店)である。 |
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* [[1877年]](明治10年) - [[大阪]]の[[心斎橋筋]]に大和屋を移転すると共に'''十合呉服店'''へ改称する<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
|||
* [[1919年]]12月 - 法人改組、'''株式會社十合呉服店'''設立。 |
|||
* [[1919年]]([[大正]]8年)[[12月20日]] - 資本金10万円で'''株式会社十合呉服店'''設立<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-39">{{Cite | coauthors = | title = 流通会社年鑑 1990年版 | publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 1990-11-24 | pages = 39-41 | isbn = }}</ref>。 |
|||
* [[1933年]] - 神戸支店、[[元町 (神戸市)|元町]]より[[三宮]][[阪神電気鉄道|阪神]]ビル(現在地)に移転、新築開店。 |
|||
* [[1933年]](昭和8年) [[10月1日]]- 神戸支店、[[元町 (神戸市)|元町]]より[[三宮]][[阪神電気鉄道|阪神]]ビル(現在の[[神戸阪急]]の地)に移転、新築開店<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
|||
* [[1935年]] - (昭和10年) [[村野藤吾]]設計の[[モダニズム]]建築の傑作、[[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|大阪本店]]が[[御堂筋]]とともに竣工([[2003年]]解体)。 |
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* [[1935年]](昭和10年) - [[村野藤吾]]設計の[[モダニズム]]建築の傑作、大阪本店が[[御堂筋]]とともに竣工(2003年(平成15年)解体)。 |
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* [[1940年]] - '''株式會社十合'''と商号変更。 |
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* [[1940年]](昭和15年)4月 - '''株式会社十合'''と商号変更<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-39" />。 |
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* [[1946年]] - [[そごう心斎橋本店#そごう大阪店|大阪本店]]が[[連合国軍最高司令官総司令部|アメリカ進駐軍]]に[[接収]]される。 |
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* [[1949年]] - [[大阪証券取引所|大証]]一部[[上場]]。 |
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* [[1952年]] - 接収が解除される。「大阪本店」が「大阪店」に、「神戸支店」が「神戸店」に呼称が変更。 |
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* [[1957年]] - 東京地区初の店舗として、国鉄[[有楽町駅]]前の[[読売]]会館にそごう東京店(通称:有楽町そごう)を開店。 |
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* [[1958年]] - [[水島廣雄]]入社。副社長に就任(1962年社長就任)。 |
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* [[1961年]] - [[東京証券取引所|東証]]一部上場。 |
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* [[1967年]] - 株式会社[[千葉そごう]]設立。株式の大半を[[水島廣雄]]が保有したため、株式会社そごうの[[連結子会社|連結対象]]外企業だった。 |
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* [[1969年]] - 法人改組50周年を機に'''株式会社そごう'''に商号変更。株式会社[[横浜そごう]]を千葉と同じく連結対象外企業として設立。以後、全国各地に地域会社を設立のうえ多店舗展開を行った。 |
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* [[1979年]][[10月6日]] - [[黒崎そごう]]([[北九州市]])開店により、百貨店業界初の[[北海道]]・[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]全4島への出店を達成。 |
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* [[1983年]][[4月15日]] - [[東京ディズニーランド]]の開園と共に、アトラクション「[[イッツ・ア・スモールワールド]]」のスポンサーに就任。 |
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* [[1985年]] - 毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」を横浜そごうに設置、運用開始。 |
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* [[1992年]] - 千葉そごう新築開店に伴い同店舗運営会社「株式会社新千葉そごう」を設立。 |
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=== 終戦 - 1950年代 === |
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* [[1946年]](昭和21年)7月 - 大阪本店が[[連合国軍最高司令官総司令部|アメリカ進駐軍]]に[[接収]]される<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-39" />。 |
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* [[2000年]][[7月12日]] - 株式会社そごうなどグループ22法人が[[民事再生法]]の適用を申請し事実上[[倒産]]。[[負債]]総額1兆8,700億円。また同日、株式会社[[多摩市|多摩]]そごうが[[特別清算]]開始を申請。半数以上の店舗を閉鎖。 |
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* [[1949年]](昭和24年) - [[大阪証券取引所|大証]]一部[[上場]]。 |
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* 2000年[[7月13日]] - [[アクア木更津|木更津そごう]]・[[長野そごう]]、[[破産|自己破産]]申立。 |
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* [[1952年]](昭和27年) |
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* 2000年[[7月26日]] - [[民事再生法|民事再生手続]]開始決定。元[[西武百貨店]]社長・和田繁明を特別顧問に迎える。 |
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** 1月 - 接収が解除される<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-39" />。「大阪本店」が「大阪店」に、「神戸支店」が「神戸店」に呼称が変更。 |
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::再生手続22社のうち、[[札幌エスタ|札幌そごう]]、船橋そごう([[ららぽーとTOKYO-BAY|船橋ららぽーと]]内)、[[アルカキット錦糸町|錦糸町そごう]]、[[豊田そごう]]、[[イトーヨーカドー奈良店#奈良そごう|奈良そごう]]、[[ヤマトヤシキ|加古川そごう]]、福山そごう、[[コレット (百貨店)|小倉そごう]]、[[黒崎そごう]]は再生手続廃止決定を経て[[破産宣告]]。以上の店舗は順次閉店した。 |
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** 6月 - 大阪店を再開店<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-39" />。 |
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:: そごう、大宮そごう、川口そごう、柏そごう、[[そごう千葉店|千葉そごう]]、[[新千葉そごう]]、[[JR東京西駅ビル開発#八王子ナウ|八王子そごう]]、[[そごう横浜店|横浜そごう]]、西神そごう、[[そごう広島店|廣島そごう、廣島そごう新館]]、呉そごう、徳島そごうの計13社は再生計画認可となった。 |
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* [[1957年]](昭和32年)[[5月25日]] - 東京地区初の店舗として、国鉄[[有楽町駅]]前の[[読売会館]]にそごう東京店(通称:有楽町そごう)を開店<ref name="nikkei-np-1957-5-25" />。 |
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* 2000年[[12月25日]] - 大阪店を閉店。この閉店自体は民事再生法の適用申請前(水島時代)に決定していたが、閉店の目的については、和田を始めとする新経営陣が「[[撤退#企業における撤退|撤退のため]]ではなく、そごう発祥の地にふさわしい店舗として再生させるため」へ方針転換した。 |
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* [[1958年]](昭和33年) - [[水島廣雄]]が入社、副社長に就任。 |
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* [[2001年]][[1月31日]] - 再生計画認可。 |
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* 2001年2月 - グループ各社の受け皿となる予定の休眠子会社「'''株式会社十合'''」が株式会社[[西武百貨店]]と包括的業務提携を締結。再生13社は100%減資し十合から全額出資を受けて同社の[[完全子会社]]となる。本社機能を東京都心から横浜市西区の[[横浜新都市ビル]]と[[横浜スカイビル]]へ移転。 |
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* 2001年5月 - 西武百貨店から[[販売時点情報管理|POS]]システムなど販売業務の[[情報技術]]供与を受けて、「クラブ・オンメンバーズシステム」同等の[[ポイントサービス|ポイントシステム]]「そごうミレニアムカード」サービスを開始。テレビCMが短期間スポット放映された。 |
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* [[2002年]]2月 - 「十合」傘下の再生各社のうち、'''「株式会社横浜そごう」が、旧上場会社の「株式会社そごう」を吸収合併し「株式会社そごう」に商号変更'''。この時点で、本店は横浜市のままで、心斎橋本店完成時に旧そごうと同一の地に移転。 |
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* 2002年[[9月1日]] - 「十合」傘下の再生各社の合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ一本化完了。 |
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* [[2003年]][[1月30日]] - 東京地裁より再生手続終結決定。 |
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* 2003年4月 - [[1935年]]に建てられた大阪店を解体。 |
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* 2003年3月 - 業務提携先である西武百貨店の再生計画に伴い、十合が西武百貨店の[[募集株式|第三者割当増資]]を引受。「そごう」「西武百貨店」が「十合」傘下となり、事業会社として再編を進める。 |
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* 2003年[[4月12日]] - [[東京ディズニーシー]]の劇場「[[ドックサイド・ステージ]]」のスポンサーに就任。 |
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* 2003年[[6月1日]] - 「十合」、「そごう」ならびに「[[西武百貨店]]」の3社はグループ経営への移行で正式合意。ミレニアムリテイリンググループを発足し、株式会社十合を'''株式会社ミレニアムリテイリング'''に商号変更。 |
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* 2003年[[12月12日]] - 心斎橋本店起工式。 |
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* [[2005年]][[5月31日]] - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修して開店させる「心斎橋本店」を、同年[[9月7日]]に開店することを発表。 |
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* 2005年[[6月13日]] - 本社機能と本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた[[横浜市]]から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市<!--旧大阪店ならびに新規開店する心斎橋本店の地-->に移転。 |
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* 2005年[[8月2日]] - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、計約1300台分の駐車場を確保することを明らかにした。確保した駐車場は、自前駐車場が274台分、[[クリスタ長堀]]と契約した1030台分。 |
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* 2005年[[9月7日]] - 心斎橋本店が新装開店。開店記念の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に[[宮沢りえ]]を起用。 |
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* 2005年[[10月12日]] - [[伊勢丹]]出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に(株)そごう臨時株主総会にて取締役に選任。 |
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* 2005年[[12月26日]] - [[ミレニアムリテイリング]]の和田繁明から買収防衛策のために[[セブン&アイ・ホールディングス]]の傘下入りできないか[[鈴木敏文]]に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。 |
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* [[2006年]][[6月1日]] - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。 |
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* [[2008年]][[4月15日]] - 装置の老朽化及び[[東京ディズニーリゾート]]の「イッツ・ア・スモールワールド」「ドックサイド・ステージ」のスポンサー契約終了に伴い各店舗の正面口外壁に設置されていた、毎正時に「[[イッツ・ア・スモールワールド]]」が演奏される「世界の人形時計」の運用を、設置していた全店舗で終了。翌日より時計および鐘のみとなる。 |
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* 2008年9月 - 呉店をブランチ化。広島店と外商・企画部門などを統合。 |
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* [[2009年]]度より、セブン&アイグループの[[プライベートブランド]](PB商品)「セブンプレミアム」を、西武百貨店とともに、全店への順次導入を進めている。 |
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* 2009年[[8月1日]] - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社[[西武百貨店]]を吸収合併し、'''株式会社そごう・西武'''に商号変更。店名は、「そごう」「西武百貨店」を維持。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。 |
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* 2009年[[8月31日]] - 心斎橋本店が閉店。土地・建物は、隣接する[[大丸]]([[Jフロントリテイリング]])へ売却。その後改装し、2009年11月14日に同社心斎橋店の北館として開店した。 |
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* 2012年[[1月31日]] - 八王子店が閉店。同店の閉店により、東京都内から「そごう」店舗はなくなった。 |
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* [[2013年]]1月31日 - 呉店が閉店。 |
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=== 1960年代 === |
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* [[1961年]](昭和36年) - [[東京証券取引所|東証]]一部上場。 |
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2013年2月現在、国内9店舗。 |
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* [[1962年]](昭和37年) - 水島廣雄が社長に就任。 |
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* [[1966年]](昭和41年)[[10月28日]] - 株式会社[[千葉そごう]]設立<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-45">{{Cite | coauthors = | title = 流通会社年鑑 1990年版 |
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| publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 1990-11-24 | pages = 45 | isbn = }}</ref>。株式の大半を[[水島廣雄]]が保有したため、株式会社そごうの[[連結子会社|連結対象]]外企業であった。 |
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* [[1967年]](昭和42年)[[3月21日]] - 千葉そごう開店。 |
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* [[1969年]](昭和44年) - 法人改組50周年を機に'''株式会社そごう'''に商号変更。 |
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** 5月21日 - 株式会社[[横浜そごう]]設立(本店:[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[芝田 (大阪市)|芝田町]]106番地の2)。株式会社千葉そごうと同じく連結対象外企業であった。 |
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** 6月6日 - 株式会社横浜そごう、本社を[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[高島 (横浜市)|高島]]二丁目32番5号へ移転。 |
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** 9月<ref name="yamamori-sogo-no1-1988-1" />1日 - [[伊予鉄道]]と[[合弁会社]]設立。 |
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=== 1970年代 === |
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経営破綻時、東京・旧大阪・神戸の各店は、千葉そごう・[[日本興業銀行|興銀]]が大株主である上場会社の「株式会社そごう」の直営店で、それ以外は[[水島廣雄]]が過半数株主の「千葉そごう(資本金1億円)」と、同社100%出資で完全子会社の「柏そごう」「廣島そごう」の出資によって、店舗ごとに[[子会社]]が設立されて経営が行われた。前述の3社と各地の店舗運営子会社の間で[[株式持ち合い]]が行われ、[[メインバンク]]であるかつての[[日本長期信用銀行|長銀]]・[[日本興業銀行|興銀]]を筆頭に、[[地方銀行]]からも出資会社の債務[[保証]]を取り付けて多額の融資を受けていた。この複雑な資本関係のため、経営破綻するまで、店舗ごとの財務状態は明らかにされなかった。報道では「そごうグループXX社」と称されていた。後項も参照のこと。 |
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* [[1971年]](昭和46年) |
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** 6月1日 - 株式会社[[柏そごう]]設立<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978">{{Cite |title = 流通会社年鑑 1978年版 |publisher = [[日本経済新聞社]] |date = 1977-10-25 |pages = 65-66 |isbn = }}</ref>。 |
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** 7月5日 - いよてつそごう開店<ref name="sogo-105-1979-12" />(現:[[伊予鉄髙島屋]])。 |
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* [[1972年]](昭和47年)[[2月15日]] - 株式会社[[廣島そごう]]設立<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-68">{{Cite | coauthors = | title = 流通会社年鑑 1990年版 |
|||
| publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 1990-11-24 | pages = 68-69 | isbn = }}</ref>。 |
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* [[1973年]](昭和48年) |
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** 10月10日 - 柏そごう開店。 |
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** 11月2日 - 株式会社札幌そごう設立<ref name="sogo-105-1979-12" />。 |
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* [[1977年]](昭和52年) |
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** 10月21日 - 株式会社[[黒崎そごう]]設立。 |
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** 12月 - 木更津の地方百貨店サカモトとの資本提携により「サカモトそごう」設立。 |
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* [[1978年]](昭和53年)- 株式会社船橋そごう設立。 |
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** 9月1日 - 札幌そごう開店<ref name="sogo-105-1979-12" /><ref name="hokkaido-np-1978-9-1">“デパート商戦の“目” 「札幌そごう」が開店 未明から延々8万人 人の渦”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (1978年9月1日)</ref><ref name="new-sapporo-city-history-5-2005-3">札幌市教育委員会 『新札幌市史 第5巻通史5(下)』 [[北海道新聞社]]、2005年3月。</ref>(現:[[札幌エスタ]]。新館開店構想もあったが実現しなかった<ref name="document-sogo-bubble-2001-1-25">[[日本経済新聞社]]編『ドキュメントそごう解体 裁かれる「バブル経営」』[[日本経済新聞社]]、2001年1月25日。ISBN 978-4532148911</ref>)。 |
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* [[1979年]](昭和54年)- 株式会社[[徳島そごう]]設立。 |
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** [[10月6日]] - [[黒崎そごう]]開店<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990-25">{{Cite | coauthors = | title = 流通会社年鑑 1990年版 | publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 1990-11-24 | pages = 25-26 | isbn = }}</ref><ref name="asahi-np-1979-10-7">“九州一『メイト』開店 黒崎 ショッピングの新拠点”. [[朝日新聞]](朝日新聞社). (1979年10月7日)</ref>([[メイト黒崎]])。百貨店業界初の日本四島([[北海道]]・[[本州]]・[[四国]]・[[九州]])への全出店を達成。 |
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=== 1980年代 === |
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現在は全店「そごう○○店」の名称であるが、民事再生計画以前に前述の子会社が運営していた店舗は店名が先に来る「○○そごう」であり、一般には経営破綻前の名残から現在も通称として使われている([[西武百貨店]]も同様)。 |
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* [[1981年]](昭和56年)- 株式会社[[大宮そごう]]設立。 |
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** 4月2日 - 船橋そごう開店。[[ららぽーとTOKYO-BAY]]西館への出店。 |
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* [[1982年]](昭和57年)- 株式会社[[そごう八王子店|八王子そごう]]設立。[[長野市]]の地方百貨店「丸光」と資本提携により「丸光そごう」設立。 |
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* [[1983年]](昭和58年) |
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** [[4月15日]] - [[東京ディズニーランド]]の開園と共に、アトラクション「[[イッツ・ア・スモールワールド]]」のスポンサーに就任。 |
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** 6月30日 - [[長野そごう]](丸光そごう)開店。 |
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** 9月6日 - 株式会社[[川口そごう]]設立。 |
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** 10月1日 - 徳島そごう開店<ref name="mainichi-np-2013-9-18">立野将弘 (2013年9月18日). “全国うまいもの大会:58店舗、そごう30周年で開催/徳島”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>。 |
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** 11月1日 - 八王子そごう開店<ref name="hatchioji-dictionary-2001">八王子辞典の会 『八王子辞典』 [[かたくら書店]]、2001年。ISBN 4-906237-78-9</ref>(現:[[セレオ八王子]])。 |
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* [[1984年]](昭和59年) |
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** 11月21日 - 株式会社[[奈良そごう]]設立。 |
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* [[1985年]](昭和60年)9月30日 - 横浜そごう開店<ref name="sato-sogo-new-regend-1994-5" />。毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」を横浜そごうに設置し運用開始。 |
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* [[1986年]] |
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** 8月28日 - 株式会社[[豊田そごう]]設立([[トヨタ自動車]]7%出資)。 |
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* [[1987年]](昭和62年) |
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** 3月27日 - 大宮そごう開店。 |
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** 5月 - 長野そごうリニューアル時に「丸光そごう」から株式会社長野そごうへ社名変更。 |
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** 9月26日 - 株式会社[[呉そごう]]設立。 |
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* [[1988年]](昭和63年)- 株式会社加古川そごう設立。株式会社[[多摩そごう]]設立。株式会社[[福山そごう]]設立。株式会社小倉そごう設立。 |
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** [[北千住駅]]前再開発で、北千住そごう出店を発表(のちに出店を断念、現:[[丸井|マルイ北千住]])。 |
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** 3月 - 木更津そごう開店(現:[[スパークルシティ木更津]])、運営会社のサカモトそごうを株式会社木更津そごうに商号変更。 |
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** 10月8日 - 豊田そごう開店。 |
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* [[1989年]](平成元年)- 株式会社茂原そごう設立。 |
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** 9月<ref name="nikke-history-100-1997">『日本毛織百年史』 [[日本毛織]]、1997年。</ref>15日 - 加古川そごう開店。 |
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** 10月 - JR[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]北口市街地再開発事業で出店決定<ref name="why-brand-brake-down-sogo-snow-mitsubishi">[[産経新聞]]取材班『ブランドはなぜ堕ちたか [[雪印]]、そごう、[[三菱自動車]] 事件の深層』[[角川書店]]、2001年1月。ISBN 978-4048836517</ref>。橋本そごうとして出店予定。 |
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** 10月2日 - 奈良そごう開店<ref name="why-brand-brake-down-sogo-snow-mitsubishi" />。 |
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** 10月20日 - 多摩そごう開店。 |
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=== 1990年代 === |
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なお、[[東日本]]地域のほとんどの店舗は[[再開発]]組合や鉄道・[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社など他の事業体によって竣工された[[テナント]]ビルに入居する形式を取り、1980年代以降1997年の[[アルカキット錦糸町|錦糸町店]](2000年閉店)まで立て続けに出店を行っていた。そごうのテナント区画外にある店舗・飲食店ではミレニアムカードや「[[日本百貨店協会|全国百貨店]]共通[[商品券]]」などが使用できない。 |
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* [[1990年]](平成2年)- 株式会社西神そごう設立。 |
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** 3月18日 - 呉そごう開店<ref name="kure-trafic-hisyory-60-2002">『呉市交通局60年史』 [[呉市交通局]]、2002年。</ref>。 |
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** 9月28日 - 株式会社柚木そごう設立。 |
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** 10月10日 - 西神そごう開店<ref name="nissyoku-1992-7-24-3a">“西神そごう「パントリー21」百貨店に初登場。高品質総合食品売場。ラッキーが出店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1992年7月24日)</ref>(神戸店の分店扱いで、経営再建から神戸店の神戸阪急への転換までの間は「そごう神戸店西神館」が正式名称だった<ref>{{Cite press release |和書 |title=17年度下期 組織人事について|publisher=そごう・西武|date=2017年8月17日|url=http://www.sogo-seibu.co.jp/pdf/20170817_01.pdf|accessdate=2017-08-21}}</ref>)。 |
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* [[1991年]](平成3年)- 株式会社錦糸町そごう設立。 |
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** 10月16日 - [[そごう川口店|川口そごう]]開店。キャッチフレーズは「世界へ。そごう新世紀、始まる」。30店舗出店「トリプルそごう」達成するも、この頃から経営が悪化する<ref name="koube484553465">「そごう賠償査定裁判 「企業担保論」大家のプライド「わたしも法律家」ワンマン水島前会長 あくまで反論 捜査当局 時効にらみ立件目指す(写真付き)」[[神戸新聞]]朝刊、p.31 朝一社 2000年11月3日付(全1,497字)</ref>。 |
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** 11月に[[高松琴平電気鉄道]]と合弁会社「[[コトデン瓦町ビル#コトデンそごう時代|コトデンそごう]]」設立<ref name="shikoku-np-2001-1-22">“コトデンそごうが民事再生法の適用申請”. [[四国新聞]](四国新聞社).(2001年1月22日)</ref>。 |
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* [[1992年]](平成4年) - 千葉そごう新築開店に伴い、同店舗運営会社として株式会社新千葉そごうを設立。 |
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** 3月7日 - 茂原そごう開店(現:[[南総サンヴェルプラザ]])。 |
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** 3月 - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]との共同計画<ref name="jr-co-ltd-real-1992-5-1">館沢貢次 『総点検 JRという「株式会社」の真実 その将来性はどの程度の「買い」か?』 [[こう書房]]、1992年5月1日。ISBN 978-4769604488</ref>で出店を予定していた「JR東日本幕張そごう」の計画を白紙撤回し出店を断念。[[幕張新都心]]のJR[[海浜幕張駅]]南側に約330億円を投じて地上9階建てのビルを建設し出店する計画だったが、採算性に問題があるとして計画を撤回した<ref name="jr-co-ltd-real-1992-5-1" />。当初の計画では1996年(平成8年)春に開店予定であった。 |
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** 4月<ref name="nikkei-business-1992-11-9">『日本最大の百貨店 そごうの実像』 [[日経ビジネス]] 1992年11月9日号 ([[日経BP社]]) (1992年11月9日)</ref>29日 - 福山そごう開店。 |
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** 6月 - 経営悪化により、横浜そごう新館(新・[[横浜スカイビル]]<ref name="document-sogo-bubble-2001-1-25" />)への出店を凍結(計画は自然消滅、現:[[丸井|マルイシティ]]横浜)。 |
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** 6月7日 - 柚木そごう開店<ref name="hatchioji-dictionary-2001" />。[[南大沢駅]]前の再開発ビル「[[ガレリア・ユギ]]」に[[忠実屋|忠実屋フランツ]]と共に出店。 |
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* [[1993年]](平成5年) |
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** 8月 - 経営悪化により、[[イオン橋本店#幻の橋本そごう出店計画|橋本そごう]]を出店凍結<ref name="why-brand-brake-down-sogo-snow-mitsubishi" />。 |
|||
** 10月10日 - 小倉そごう開店<ref name="asahi-np-1993-10-11">“開いた 集まった 小倉そごう 客約16万人”. [[朝日新聞]](朝日新聞社). (1993年10月11日)</ref>([[小倉駅前アイム]]) |
|||
** 12月 - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]との共同計画で[[立川駅]]の駅ビルに「JR東日本立川そごう<ref name="document-sogo-bubble-2001-1-25" />」出店発表、共同子会社設立を合意。 |
|||
* [[1994年]](平成6年)- 水島廣雄が社長を退任、会長に就任<ref name="koube484553465" />。 |
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** 10月3日 - 柚木そごう(現・イトーヨーカドー南大沢店)閉店<ref name="hatchioji-dictionary-2001" />。2年で撤退と、そごうの店舗で最も短命に終わる(忠実屋も[[ダイエー]]買収後の翌1995年に閉店)。 |
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* [[1995年]](平成7年) |
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** 同年に開店を予定していた[[港北ニュータウン]]そごう<ref name="document-sogo-bubble-2001-1-25" />の出店計画を断念。[[センター南駅]](1993年開業)前のタウンセンター第2地区開発計画で出店を予定していた。コンペには他に横浜[[髙島屋]]、[[西武百貨店]]、[[東急百貨店]]の3百貨店が参加した。同年に東急百貨店の地域子会社(西南東急百貨店)が出店を決定<ref>[http://kn-kk.com/archives/linkpdf/05080.pdf 街づくりトピックス 西南東急百貨店、阪急百貨店が「相次いで出店を決定。早ければ96年春にも一部開業の予定] 港北ニュータウン記念協会、1995年9月発行、2021年5月10日閲覧。</ref>、[[1998年]]に[[港北 TOKYU S.C.|港北東急百貨店S.C.]]と[[港北東急|港北東急百貨店]]が開業した<ref>[https://www.tokyu-dept.co.jp/corporate/history/ 東急百貨店の歴史] 東急百貨店、2021年5月10日閲覧。</ref>。 |
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* [[1996年]](平成8年)- 橋本そごうの出店契約を解約し、正式に出店を断念<ref name="why-brand-brake-down-sogo-snow-mitsubishi" />(現:[[イオン橋本店]])。 |
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** 6月 - 1997年(平成9年)開店予定だった「JR東日本立川そごう」の出店を断念<ref name="document-sogo-bubble-2001-1-25" />(現:[[グランデュオ]]立川)。 |
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* [[1997年]](平成9年) |
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** (日付不明) - 福山市の伏見町そごう出店計画を解消。 |
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** 4月23日 - コトデンそごう開店<ref name="shikoku-np-2001-4-15">“コトデンそごう4年の短い歴史に幕”. [[四国新聞]](四国新聞社).(2001年4月15日)</ref>。 |
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** 10月22日 - 錦糸町そごう開店。[[錦糸町駅]]北口再開発事業で出店、そごうとして出店した最後の店舗(2000年12月25日閉店<ref name="asahi-np-2000-12-26">“そごう8店舗が閉店 いずれも引き受け手ないまま”“サヨナラそごう 小倉・黒崎店 涙のラストデー”. [[朝日新聞]] (朝日新聞社). (2000年12月26日)</ref>、現:[[アルカキット錦糸町]])。 |
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** 11月7日 - [[神戸国際会館]]下層階へのテナント入居による、神戸店の増床を断念<ref name="nikkei-mj-1997-11-08">{{Cite news | title = 神戸国際会館、テナント入居そごうが断念 | newspaper = 日経流通新聞 | publisher = 日本経済新聞社 | page = 46 |date = 1997-11-08 }}</ref>。 |
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=== 2000年代 === |
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* '''横浜店''' |
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* [[2000年]](平成12年)- 水島廣雄が会長を辞任。 |
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*: 横浜市西区[[高島 (横浜市)|高島]]2-18-1 横浜新都市ビル [[横浜駅]]東口 売場面積81,311㎡。 |
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** [[2月29日]] - 茂原そごう閉店。 |
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** [[7月12日]] - 株式会社そごうなどグループ22法人が[[民事再生法]]の適用を申請し事実上[[倒産]]。[[負債]]総額1兆8,700億円。また同日、[[多摩そごう]]が[[特別清算]]開始を申請。半数以上の店舗を閉鎖。 |
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*: 開店資金約590億円を投資した百貨店史上類をみない超弩級の巨艦百貨店。開店初年度売上額世界一のデパートであり、現在も記録は破られていない。[[そごう美術館]]を併設。セブン&アイ・ホールディングス「'''基幹店'''」の位置づけ。(注:「旗艦店」ではない)<ref>[http://www.7andi.com/dbps_data/_template_/_user_/_SITE_/localhost/_res/ir/library/co/pdf/2012_05.pdf 店舗政策]</ref>{{Main|そごう横浜店}} |
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** [[7月13日]] - [[アクア木更津|木更津そごう]]・[[長野そごう]]、[[破産|自己破産]]申立。 |
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* '''千葉店''' |
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** [[7月26日]] - [[民事再生法|民事再生手続]]開始決定。元[[西武百貨店]]社長・和田繁明を特別顧問に迎える。 |
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*: 旧店:1966年10月28日「株式会社千葉そごう」設立。1967年3月21日開店-1993年4月業態転換。 |
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*** 再生手続22社のうち、[[札幌エスタ|札幌そごう]]、船橋そごう([[ららぽーとTOKYO-BAY|船橋ららぽーと]]内)、[[アルカキット錦糸町|錦糸町そごう]]、[[豊田そごう]]、[[イトーヨーカドー奈良店#概要|奈良そごう]]、[[ヤマトヤシキ|加古川そごう]]、福山そごう、[[コレット (百貨店)|小倉そごう]]、黒崎そごうは再生手続廃止決定を経て[[破産宣告]]。以上の店舗は同年12月内に全て閉店した。 |
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*: 千葉市[[中央区 (千葉市)|中央区]]富士見2-3-1 塚本大千葉ビル |
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*** そごう、大宮そごう、川口そごう、柏そごう、[[そごう千葉店|千葉そごう、新千葉そごう]]、[[八王子そごう]]、[[横浜そごう]]、西神そごう、[[そごう広島店|廣島そごう、廣島そごう新館]]、呉そごう、徳島そごうの計13社は再生計画認可となった。 |
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*: 別会社方式によるそごうグループ多店舗化1号店。以降出店の際は全て千葉そごうが出資する形を取っていた。 |
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** [[9月24日]] - 東京店(現・[[ビックカメラ]]有楽町店)を閉店。 |
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*: 1993年新店舗開設に伴い 専門店ビル「Bee-One」に業態転換。経営破綻後、閉店。現在は複合オフィスビル。 |
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** [[12月25日]] - 大阪店を閉店。この閉店自体は民事再生法の適用申請前(水島時代)に決定していたが、閉店の目的については、和田を始めとする新経営陣が「[[撤退#企業における撤退|撤退]]のためではなく、そごう発祥の地にふさわしい店舗として再生させるため」へ方針転換した。 |
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*: 新店:1992年「株式会社新千葉そごう」設立。1993年4月27日開店。 |
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* [[2001年]](平成13年) |
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*: 千葉市中央区新町1000 [[センシティ]]ビルディング [[京成千葉駅]]直結 売場面積69,648㎡。 |
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** [[1月31日]] - 再生計画認可。 |
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*: 売上高は、そごう各店の中で第2位。セブン&アイ・ホールディングス「'''基幹店'''」。{{Main|そごう千葉店}} |
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** 2月 - グループ各社の受け皿となる予定の休眠子会社「'''株式会社十合'''」が株式会社西武百貨店と包括的業務提携を締結。再生13社は100%減資し十合から全額出資を受けて同社の[[完全子会社]]となる。本社機能を東京都心から横浜市西区の[[横浜新都市ビル]]と[[横浜スカイビル]]へ移転。 |
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* '''柏店''' |
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** 5月 - 西武百貨店から[[販売時点情報管理|POS]]システムなど販売業務の[[情報技術]]供与を受けて、「クラブ・オンメンバーズシステム」同等の[[ポイントサービス|ポイントシステム]]「そごうミレニアムカード」サービスを開始。テレビCMが短期間スポット放映された。 |
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*: 千葉県[[柏市]]柏1-1-21 [[柏駅]]東口 売場面積32,593㎡。 |
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* [[2002年]](平成14年) |
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*: 1971年6月1日「株式会社柏そごう」設立。1973年10月10日開店。{{Main|そごう柏店}} |
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** 2月 - 「十合」傘下の再生各社のうち、'''「株式会社横浜そごう」が、旧上場会社の「株式会社そごう」を吸収合併し「株式会社そごう」に商号変更'''。この時点で[[本店]]は横浜市のままで、心斎橋本店完成時に旧株式会社そごうと同一の地に移転。 |
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* '''大宮店''' |
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** [[9月1日]] - 「十合」傘下の再生各社の合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ一本化完了。 |
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*: さいたま市大宮区[[桜木町 (さいたま市)|桜木町]]1-8-4 大宮スカイビル [[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]西口 売場面積40,295㎡。 |
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* [[2003年]](平成15年) |
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*: 1981年「株式会社大宮そごう」設立。1987年3月27日開店。セブン&アイ・ホールディングス「'''基幹店'''」。 |
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** [[1月30日]] - 東京地裁より再生手続終結決定。 |
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*: {{Main|そごう大宮店}} |
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** 3月 - 業務提携先である西武百貨店の再生計画に伴い、十合が西武百貨店の[[募集株式|第三者割当増資]]を引受。「そごう」「西武百貨店」が「十合」傘下となり、事業会社として再編を進める。 |
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* '''川口店''' |
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** 4月 - 1935年(昭和10年)に建てられた大阪店を解体。 |
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*: 埼玉県[[川口市]]栄町3-5-1 川口再開発ビル [[川口駅]]東口 売場面積39,149㎡。 |
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** [[4月12日]] - [[東京ディズニーシー]]の劇場「[[ドックサイドステージ]]」のスポンサーに就任。 |
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*: 1983年9月6日会社設立「株式会社川口そごう」。1991年10月16日開店。{{Main|そごう川口店}} |
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** [[6月1日]] - 「十合」、「そごう」ならびに「[[西武百貨店]]」の3社はグループ経営への移行で正式合意。ミレニアムリテイリンググループを発足し、株式会社十合を'''株式会社ミレニアムリテイリング'''に商号変更。 |
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* '''神戸店''' |
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** [[12月12日]] - 心斎橋本店起工式。 |
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*: 神戸市中央区[[小野柄通]]8-1-8 三宮[[阪神電気鉄道|阪神]]ビル [[阪神電気鉄道|阪神]][[三宮駅]]に直結。売場面積42,563㎡。 |
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* [[2005年]](平成17年) |
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*: 1933年開業。1969年増築開店(株式会社設立50周年記念事業)。 |
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** [[5月31日]] - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修して開店させる「[[そごう心斎橋本店|心斎橋本店]]」を、同年[[9月7日]]に開店することを発表。 |
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*: 本館は三宮阪神ビル+三宮さくらビル+自社ビルを束ねて外装工事でひとつのビルに、新館はケイエスビル+S・ヨシマツビル。セブン&アイ・ホールディングス「'''基幹店'''」。{{Main|そごう神戸店}} |
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** [[6月13日]] - 本社機能と登記上の本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた[[横浜市]]から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市に移転。 |
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* '''西神店''' |
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** [[8月2日]] - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、約1300台分の駐車場を確保することを発表。このうち、自前で確保した駐車場が274台分、他の1030台分は[[クリスタ長堀]]との契約により確保した。 |
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*: 神戸市西区糀台5-2-3 [[神戸市営地下鉄]]西神山手線:[[西神中央駅]]前 [[プレンティ]] 売場面積17,904㎡。 |
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** [[9月7日]] - 心斎橋本店が新装開店。開店記念の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に[[宮沢りえ]]を起用。 |
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*: 1990年「株式会社西神そごう」設立。1990年開店。 |
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** [[10月12日]] - [[伊勢丹]]出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に株式会社そごう臨時株主総会にて取締役に選任。 |
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*: [[ダイエー]]西神店と2核1モール。 |
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** [[12月26日]] - [[ミレニアムリテイリング]]の和田繁明から、買収防衛策のために[[セブン&アイ・ホールディングス]]の傘下入りできないか[[鈴木敏文]]に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。 |
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*: 直下を地下鉄が走っているため、多くの百貨店で見られる「[[デパ地下]]」が存在せず、食料品売り場は1階にある。{{Main|プレンティ}} |
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* [[2006年]](平成18年)[[6月1日]] - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。 |
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* '''広島店''' |
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* [[2008年]](平成20年) |
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*: 本館:1972年「広島そごう」設立。1974年10月10日開店。 |
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** {{要出典範囲|date=2014年3月|[[4月15日]] - 装置の老朽化及び[[東京ディズニーリゾート]]の「イッツ・ア・スモールワールド」「ドックサイドステージ」のスポンサー契約終了に伴い各店舗の正面口外壁に設置されていた、毎正時に「[[イッツ・ア・スモールワールド]]」が演奏される「世界の人形時計」の運用を、設置していた全店舗で終了。翌日より時計および鐘のみとなる。}} |
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*: 広島市中区[[基町]]6-27 広島センタービル([[広島バスセンター]]) |
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** 9月 - 呉店をブランチ化、広島店と[[外商]]・企画部門などを統合。 |
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*: 新館:1990年会社設立「広島そごう新館」。1994年4月22日開店。 |
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* [[2009年]](平成21年) |
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*: 広島市中区基町6-78 広島電鉄:紙屋町西 [[基町クレド|NTTクレド基町ビル]] |
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** 4月 - 本年度より、セブン&アイグループの[[プライベートブランド]]「[[セブンプレミアム]]」を、西武百貨店とともに全店へ順次導入開始。 |
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*: [[広島電鉄]][[紙屋町西停留場|紙屋町西電停]]前 売場面積57,839㎡。セブン&アイ・ホールディングス「'''基幹店'''」。{{Main|そごう広島店}} |
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** [[8月1日]] - 当社を存続会社として、[[西武百貨店]]とミレニアムリテイリングを吸収合併し、'''株式会社そごう・西武'''に商号変更。店名は「そごう」「西武」を維持(「西武'''百貨店'''」という表記は商品券を除いて使用しなくなる)。西武百貨店とミレニアムリテイリングは、法人としては解散。 |
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* '''[[そごう徳島店|徳島店]]'''(徳島そごう。[[徳島駅]]前)売場面積26,738㎡。 |
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** [[8月31日]] - そごう心斎橋本店が閉鎖、創業の地から完全撤退。跡地は[[大丸]]へ売却。<!-- 旧直営店のことなので特記 --> |
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*: [[徳島市]]寺島本町西1-5 [[徳島駅前再開発ビルアミコビル]] |
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* [[2014年]](平成26年)[[7月28日]] - 水島廣雄が102歳で死去<ref name="post">[https://www.news-postseven.com/archives/20140822_272652.html?DETAIL 旧そごう水島廣雄元会長 102歳になっても師と慕われていた] [[週刊ポスト|NEWSポストセブン]]、[[小学館]]、2014年8月22日、2021年2月27日閲覧。</ref><ref>{{Cite news|title=旧そごうの水島広雄元会長死去 日本一から破綻へ 102歳|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|date=2014-08-21|access-date=2014-08-21|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140821/biz14082104000001-n1.htm|archive-url=https://web.archive.org/web/20140821015121/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140821/biz14082104000001-n1.htm|archive-date=2014-08-21}}</ref><ref>{{cite news|title=そごう元会長の水島広雄氏が死去 グループ拡大、破綻招き有罪確定|agency=|publisher=[[共同通信]]|date=2014-8-21|url=https://www.47news.jp/CN/201408/CN2014082101000868.html|accessdate=2014-11-11|newspaper=[[47NEWS]]|archive-url=https://web.archive.org/web/20140824230332/https://www.47news.jp/CN/201408/CN2014082101000868.html|archive-date=2014-08-24}}</ref>。 |
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*: 1979年「徳島そごう」設立。1983年開店。 |
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* [[2019年]](令和元年)10月1日 - 既に[[阪急阪神東宝グループ]]の[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]に譲渡されていた神戸店、'''[[阪急百貨店]]'''([[阪急阪神百貨店]]運営)の'''[[神戸阪急]]'''となる(実際の営業は5日から)。経営破綻前の直営店は消滅<ref name="release20190915">{{Cite web|和書|url=https://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/kobe/h/190816news/190816news.pdf|title=新生 神戸阪急について|accessdate=2019-09-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190915143638/http://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/kobe/h/190816news/190816news.pdf|archivedate=2019-09-15|format=PDF}}</ref>。<!-- 旧直営店のことなので特記 --> |
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*: セブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となったのに伴い、従来四国には店舗を持たなかったセブン&アイグループが店舗を持つこととなった。{{Main|そごう徳島店}} |
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{{For2|企業統合後の歴史|そごう・西武#沿革}} |
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== 店舗 == |
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<gallery widths="120px" heights="100px" perrow="5"> |
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{{See|そごうの店舗一覧}} |
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ファイル:Sogo kashiwa.jpg|そごう柏店 |
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ファイル:Sogo omiya.JPG|そごう大宮店 |
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ファイル:SOGO Kawaguchi 001.JPG|そごう川口店 |
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ファイル:Kobe Sogo02n4272.jpg|そごう神戸店 |
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ファイル:Seishin-chuo-station east.jpg|そごう西神店 |
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ファイル:Hiroshima-Sogo 2011.JPG|そごう広島店 |
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ファイル:Tokushima Sogo01s3200.jpg|そごう徳島店 |
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</gallery> |
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== プロ野球球団の応援セール == |
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== 過去に存在した店舗 == |
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{{出典の明記| section = 1| date = 2014年3月}} |
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: [[ギフトショップ]]を除く。 |
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2013年4月現在。※各店開店閉店年月日 「そごう社史」より |
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<ref>[http://hyakkatenjiten.uijin.com/sogo.htm 百貨店辞典 そごうの歴史] |
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[http://isisis.cocolog-nifty.com/i/2005/11/post-2c30.html 黒崎そごうメモリアル] |
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[http://www.freeml.com/bl/7405379/47374/ 地方百貨店を考える~木更津市の場合~]</ref> |
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有楽町そごうが閉店するまでは[[読売ジャイアンツ]]の応援セールを行っていたが、これは入居する建物([[読売会館]])の建物所有者が[[読売新聞グループ本社|読売グループ]]であることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は[[三越]]を経て[[三越伊勢丹ホールディングス]]傘下の各社([[三越伊勢丹]]と[[ジェイアール西日本伊勢丹]]など)に引き継がれた。 |
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=== そごう・西武(セブン&アイ)移行後 === |
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* '''八王子店''' |
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*: [[八王子市]]旭町1-1 JR八王子ターミナルビル 八王子ナウ。売場面積35,538㎡。 |
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*: 1982年「八王子そごう」設立。1983年11月1日開店- 2012年1月31日閉店。<ref>{{cite news |url=https://www2.sogo-gogo.com/common/images/pdf/110223_518_oshirase.pdf|title=お知らせ|publisher=そごう・西武|date=2011年2月23日}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www2.sogo-gogo.com/close/hachioji.html|title=そごう八王子店閉店のごあいさつ|publisher=そごう・西武|date=2012年1月31日}}</ref>。{{Main2|閉店後の詳細|セレオ八王子}} |
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* '''呉店''' |
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*: 広島県[[呉市]]西中央1-1-1 呉駅前西地区再開発ビル 21,395㎡。 |
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*: 1987年9月26日「呉そごう」設立。1990年3月18日開店-2013年1月31日閉店。{{Main|そごう呉店}} |
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なお、[[そごう・西武]]となった後は「西武」ブランドの店舗(旧[[ロビンソン百貨店]]を含む)と同様、[[埼玉西武ライオンズ]]の応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗は、ライオンズの地元[[埼玉県]]にある[[そごう大宮店|大宮]]・[[そごう川口店|川口]]の2店舗が基本的に対象である。かつては埼玉県を商圏に含む店舗も対象であり、[[そごう柏店|柏]](2015年まで)・[[JR東京西駅ビル開発#セレオ八王子|八王子]](2010年まで)もセール対象だった。2018年は大宮・川口に加えて[[そごう横浜店|横浜]]、[[そごう千葉店|千葉]]、[[西神中央駅百貨店ビル|西神]]、[[そごう徳島店|徳島]]の各店が対象となった。しかし横浜は2019年の西武優勝セールは実施せず[[横浜DeNAベイスターズ]]の応援セールに回った。 |
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=== そごう・西武(セブン&アイ)移行前 === |
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* '''大阪店(心斎橋そごう)''' |
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*: 大阪市中央区[[心斎橋筋]]1-8-3 |
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*: 1935年5月25日開店-2009年8月31日閉店。 |
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*: 建物は隣接する[[大丸]]に売却され、2009年11月14日'''大丸心斎橋店北館'''となった。{{main|そごう心斎橋本店}} |
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* '''東京店(有楽町そごう)''' |
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*: 千代田区有楽町1-11-1 「[[よみうりホール|読売会館]]」。15,275㎡。 |
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*: 1957年05月25日開店-2000年9月24日閉店。 |
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*: 2001年6月14日'''[[ビックカメラ]]有楽町店'''開店。 |
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* '''札幌そごう''' |
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*: 札幌市[[中央区 (札幌市)|中央区]]北5条西2丁目 [[札幌駅]]ビル「エスタ」核テナントとして出店。29,728㎡。 |
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*: 1973年11月2日会社設立 1978年9月1日開店-2000年12月25日閉店。{{Main2|閉店後の詳細|札幌エスタ}} |
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* '''錦糸町そごう''' |
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*: 東京都墨田区[[錦糸]]2-2-1 アルカタワーズ錦糸町 31,350㎡。 |
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*: 1991年会社設立。1997年10月22日開店。2000年12月25日 閉店。{{Main2|閉店後の詳細|アルカキット錦糸町}} |
|||
* '''多摩そごう''' |
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*: 多摩市[[落合 (多摩市)|落合]]1-46-1 [[多摩センター駅]]前に立地。34,448㎡。 |
|||
*: 1988年会社設立。1989年10月20日開店-2000年7月特別清算申請、9月18日閉店。{{Main2|閉店後の詳細|多摩そごう}} |
|||
* '''柚木そごう''' |
|||
*: 八王子市[[南大沢]]2-28-1 ガレリア・ユギ 京王電鉄相模原線 南大沢駅前 13,150㎡。 |
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*: 1990年9月28日会社設立。1992年6月7日開店-1994年10月3日閉店。{{Main2|閉店後の詳細|ガレリア・ユギ}} |
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* '''船橋そごう''' |
|||
*: 千葉県[[浜町 (船橋市)|船橋市浜町]]2-1-1 ららぽーとTOKYO-BAY西館。32,580㎡。 |
|||
*: 1978年会社設立。1981年4月2日開店-2000年12月閉店 。 |
|||
*: ワンフロア15,000㎡、4階建の低層という従来にないフロア構成で、新しい百貨店スタイルを提案した。 |
|||
*: 1997年9月 新業態専門フロア「ベイ・プラネット」オープン。トイザらスなど人気ショップや話題の専門店を導入した。{{Main2|閉店後の詳細|ららぽーとTOKYO-BAY}} |
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* '''木更津そごう(サカモトそごう)''' |
|||
*: 1977年12月 地方百貨店「サカモト」(創業1913年)との資本提携により「サカモトそごう」設立。 |
|||
*: 旧店舗:[[木更津市]]中央1-3-11 売場面積10,066㎡。1978年10月1日開店-1988年新店舗開店に伴い閉鎖。 |
|||
*: 新店舗:木更津市富士見1-2-1 木更津駅前 アインスビル。19,349㎡。1997年開店。「木更津そごう」に商号変更。2000年7月自己破産申請、閉店。閉店後のビルを木更津市が購入。{{Main2|閉店後の詳細|アクア木更津}} |
|||
* '''茂原そごう''' |
|||
*: [[茂原市]]千代田町1-6 茂原駅前。15,060㎡。 |
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*: 1989年会社設立。1992年3月7日開店-2000年2月閉店。 |
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*: [[南総通運]]株式会社がテナントビル「南総サンヴェルプラザ」として運営。 |
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{{Main2|閉店後の詳細|南総サンヴェルプラザ}} |
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* '''長野そごう(丸光そごう)''' |
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*: [[鶴賀 (長野市)|長野市鶴賀]]問御所町1200。11,157㎡。 |
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*: 1982年 地方百貨店「丸光」(1957年開店)と資本提携により「丸光そごう」設立。 |
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*: 1983年6月30日開店-1987年5月リニューアル時に社名変更「'''長野そごう'''」-2000年7月13日自己破産申請、閉店。 SBC'''[[信越放送]]'''へ売却。「[[TOiGO]]」が建設された。{{Main|長野そごう}} |
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* '''[[豊田そごう]]''' |
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*: 愛知県[[豊田市]]西町6-85-1 豊田市駅西口市街地再開発ビル 40,761㎡。 |
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*: 1986年8月28日会社設立。トヨタ自動車7%出資1988年10月8日開店-2000年12月25日閉店。{{Main2|閉店後の詳細|松坂屋豊田店}} |
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* '''[[奈良そごう]]''' |
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*: [[奈良市]]二条大路南1-3-1 46,201㎡。 |
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*: 1984年11月21日会社設立。1989年10月2日開店-2000年閉店。 |
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*: 店祖「十合伊兵衛」生誕の地に念願の出店。重装備店舗。[[埋蔵文化財]]、[[長屋王]]邸宅跡に建設された。地元住民や研究者の反対を押し切って貴重な遺跡を破壊したため、そごうの経営破たんについて、奈良では長屋王の祟りとささやく声もあった。{{Main2|閉店後の詳細|イトーヨーカドー奈良店}} |
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* '''加古川そごう''' |
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*: [[加古川市]]加古川町篠原21-8 30,854㎡。 |
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*: 1988年会社設立。1989年9月15日開店-2000年12月25日閉店。 |
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*: 加古川市がビルを購入。第三セクターが管理。2001年3月30日'''[[ヤマトヤシキ]]加古川店'''開店。 |
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* '''福山そごう''' |
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*: 広島県[[福山市]]西町1-1-1 34,300㎡。 |
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*: 1988年会社設立。1992年4月29日開店。2000年12月25日閉店。 |
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*: 2003年から[[天満屋]]がロッツを出店したが2013年4月24日閉店。以降'''[[大和情報サービス]]'''の管理となる。 |
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*: なお、支店である尾道駅前店も同日閉店している。 |
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* '''小倉そごう''' |
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*: 北九州市小倉北区[[京町 (北九州市)|京町]]3-1-1 セントシティ北九州 43,774㎡。 |
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*: 1988年会社設立。1993年10月10日開店-2000年12月25日閉店。 |
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*: 当初は九州第1号店となるはずだったが、諸般の事情により開店が遅れた。初期投資等515億円の負債を抱え、毎月億単位の借入金返済に追われていた。閉鎖された店舗で最も再生が遅れた。{{Main2|閉店後の詳細|コレット (百貨店)}} |
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* '''黒崎そごう''' |
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*: 北九州市八幡西区[[黒崎 (北九州市)|黒崎]]1−1−1 黒崎駅前東地区再開発ビル「メイト黒崎」核テナントとして出店。26,332㎡。 |
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*: 1977年10月21日会社設立。1979年10月6日開店開店-2000年12月25日閉店。 |
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*: 2001年10月3日 '''黒崎[[井筒屋]]'''開店。{{Main|黒崎そごう}} |
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* '''コトデンそごう''' |
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*: 高松市常磐町1-3-1 コトデン瓦町駅ビル 29,500㎡。 |
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*: 1991年[[高松琴平電気鉄道]]と合弁会社設立。1997年4月23日開店-2001年1月22日 民事再生法適用申請 4月15日閉店。 |
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*: 同社への債務保証が影響し、親会社である高松琴平電気鉄道も同年12月に民事再生法の適用を申請([[連鎖倒産]])した。 |
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*: コトデンそごうは2003年夏に清算を完了している。 |
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*: 2001年9月1日 [[高松天満屋]] 開店。 |
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* '''いよてつそごう''' |
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*: 愛媛県松山市湊町5-1-1 [[伊予鉄道]]「松山市駅」のターミナルデパート。 23,517㎡。 |
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*: 1969年9月1日伊予鉄道と合弁会社設立。1971年7月5日開店。 |
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*: そごう破綻後、2000年12月提携解消、「伊予鉄百貨店」と改称の上グループを離脱。2002年より「伊予鉄高島屋」。旧そごうグループで破綻を免れた唯一の企業。{{Main|伊予鉄高島屋}} |
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* そごうホップ(大阪市阿倍野区)阿倍野そごう・広島そごう共同出資→「[[あべのベルタ]]」の完成に伴いDIY・生活雑貨・文具などの生活雑貨の専門店として開店→2000年12月閉鎖 |
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* そごう難波店→1963年閉鎖 |
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* そごう神戸店岡山分店→1975年、岡山ターミナルホテル(現・ホテルグランヴィア岡山)内に開店→ホテル改築により閉鎖 |
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一方、地元球団がある場合はジャイアンツや西武ライオンズではなく、地元球団の優勝セールが優先される。広島そごう(現:[[そごう広島店]])は、[[広島東洋カープ]]が優勝した際に優勝セールを行っている。2008年まで同球団の本拠地だった旧[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]は徒歩圏内にあった。そごう神戸店では[[阪急阪神東宝グループ]]の[[阪急阪神百貨店]]への移管以前より、三宮阪神ビルに入居している関係や地域性もあり、[[阪神タイガース]]の優勝時にセールを実施していた<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/10/30/kiji/K20111030001919940.html|title=INAC神戸、優勝なら神戸で「Vセール」実施|newspaper=スポーツニッポン|date=2010-10-30|accessdate=2017-01-22}}</ref>。また、阪急東宝グループ(当時)の球団売却後には、神戸に拠点があった[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]の優勝セールも行ったことがある(1995・1996年。このときは神戸市内の同業他社([[大丸神戸店]]・[[阪急百貨店#神戸阪急 (ハーバーランド)|ハーバーランド時代の神戸阪急]])も参入した)。 |
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ファイル:HachiojiStkita.jpg|そごう八王子店 |
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ファイル:SOGO Osaka.jpg|そごう大阪店 |
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ファイル:Sogo Shinsaibashi.JPG|そごう心斎橋本店 |
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ファイル:SOGO-Shinsaibashi2.jpg|そごう心斎橋本店 |
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ファイル:Sogo Shinsaibashi Countdown.JPG|そごう心斎橋本店 |
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ファイル:Sogo Shinsaibashi Closed.JPG|そごう心斎橋本店 |
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ファイル:IYnara2.JPG|旧奈良そごう |
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ファイル:Kakogawa Yamato-yashiki01n4592.jpg|旧加古川そごう |
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ファイル:Kure sogo.JPG|旧そごう呉店 |
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ファイル:COLET IZUTSUYA.JPG|旧小倉そごう |
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ファイル:Iyotetsu takashimaya.JPG|[[伊予鉄高島屋|旧いよてつそごう]] |
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== 世界の人形時計 == |
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{{出典の明記|section=1|date=2014年3月}} |
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経営破綻に至るまでは積極的に展開を行い、[[中華人民共和国|中国]]、[[香港]]、[[台湾]]、[[タイ王国|タイ]]、[[マレーシア]]、[[シンガポール]]、[[インドネシア]]、[[イギリス]]、[[スペイン]]に 合弁会社、現地法人を設立していた。が、再建中に資本は全て引き上げ撤退した。現在も「そごう」の商標を用いているものもあるが、これは[[ライセンス]]供与[[フランチャイズ]]の関係。 |
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[[File:Tokyo disneyland logo of SOGO clock.JPG|300px|thumb|右下に刻まれた[[東京ディズニーランド]]のロゴ]] |
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東京ディズニーランドのアトラクション「[[イッツ・ア・スモールワールド]]」のスポンサーだったそごうの一部店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形とともに、テーマ曲の「小さな世界」を演奏する[[からくり時計]]「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。 |
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設計は乃村工藝社、製造は[[セイコーホールディングス|セイコー]]が行った。 |
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* '''北京荘勝そごう'''(中国) |
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: 北京庄胜崇光百货(北京語読み:ペイジン・チュアンシェン・チョングァン・パイフォ 英文表記:Junefield SOGO Department Store Group Ltd.) |
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: [[北京市]]西城区[[:zh:宣武门外大街|宣武門外大街]]8号 [[北京地下鉄4号線|地下鉄4号線]][[菜市口駅]] 1998年6月24日開店。84,000㎡。 |
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: 1998年4月3日設立。'''荘勝百貨(ジューンフィールド・デパート)グループ'''。 |
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: 「[[そごう・西武]]」との関係は[[商標]]貸与のみ。中国本土で「そごう」を名乗れるのは当グループ店のみ。 |
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: 武漢荘勝そごう 湖北省[[武漢市]]礄口区解放大道374号 33,700㎡。2000年12月24日開店。 |
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<br /> |
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* '''香港そごう''' |
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: 香港崇光百貨(北京語読み:シァンカン・チョングァン・パイフォ 英文表記:SOGO Hong Kong Company Limited) |
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: [[香港]][[銅鑼湾|銅鑼灣(コーズウェイベイ)]]1985年5月31日開店。37,161㎡。 |
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: 1983年9月設立。2001年1月 香港企業'''[[:zh:利福國際|利福國際]]グループ '''(Lifestyle International Holdings)に売却したため、「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。 |
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{{Main2|詳細は[[香港そごう]]を}} |
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* '''太平洋そごう''' ([[台湾]]) |
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: 太平洋崇光百貨(北京語読み:タイピンヤン・チョングァン・パイフォ 英文表記:Pacific SOGO Department Stores Co., Ltd.) |
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: 1986年3月会社設立。当初はそごうが出資していたが、2002年以降は台湾企業100%出資会社、遠東グループの所有で。副会長は日本人・井上哲氏。「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。 |
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: 本社 台北忠孝館 [[大安区 (台北市)|台北市大安区]]忠孝東路四段45号 1987年11月11日開店。同店の開店により「ダブルそごう計画(20店舗構想)」達成。 |
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: [[台北市]]内の他、[[中レキ市|中壢]]、[[新竹市|新竹]]、[[高雄市|高雄]]に支店がある。 |
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{{Main2|詳細は[[太平洋SOGO]]を}} |
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* '''廣三そごう'''([[台湾]]) |
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: 廣三崇光(北京語読み:クァンサン・チョングァン 英文表記:Kuang San SOGO Department Store) |
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: [[台中市]]西区台中港路一段299号 36,000㎡。 |
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: 1992年3月12日 台湾 廣三建設との合弁で「廣三崇光百貨股份有限公司」設立。 |
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: 1995年11月11日 本館開業。1999年12月6日 2館開業 21,000㎡。 |
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: 1998年 債務超過や違法な金銭授受の疑いで廣三建設が財務危機に陥り、曾正仁会長が逃亡。 |
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: その後、2年間営業をしないまま 2館とも閉鎖されていた。ビルを活性化するために「廣三崇光國際開發股份有限公司」が設立されたが、5年間に所有者は何度も交代し、スラム化していた。 |
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: 2007年 '''[[:zh:國泰人壽|キャセイ生命]]'''が2館を13億NT$で買収。それぞれ商業ビルとオフィスビルとしてリニューアルし、再生された。 |
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: 「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。会長は日本人・原島榮一氏、前会長・辻裕氏。<ref>ウィキペディア中国語版[[:zh:廣三崇光百貨|廣三崇光百貨]]から翻訳</ref> 12階には[[紀伊國屋書店]]が入居。 |
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ファイル:Sogo Causeway.JPG|香港崇光 銅鑼湾店 |
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ファイル:Pacific SOGO Department Store Taipei Fuxing.JPG|台北 太平洋崇光 |
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ファイル:Sogo Taichung.JPG|台中 廣三崇光 |
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* '''そごうインドネシア''' [http://www.expat.or.id/sponsors/sogohome-sogoindonesia.html SOGO Department Store Indonesia] |
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: 地場財閥「カジャ・ツンガル Gajah Tunggal」との合弁。そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続。中流以上の層を対象としたデパート。 |
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:* '''プラザ・インドネシア店'''([[ジャカルタ]]) [[:en:Plaza Indonesia|Plaza Indonesia]] |
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: Jl. MH Thamrin Kav 28-30, Jakarta Pusat |
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: 1990年3月1日開店。インドネシア1号店。2006年2月 プラザの改築の際、閉店。スーパーマーケット部門のみ残し「ザ・フード・ホール・グルメ The Food Hall Gourmet」と改称して営業している。<ref>ウィキペディア英語版より翻訳</ref> |
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:* '''クラパ・ガディン・モール店'''(ジャカルタ) [[:en:Kelapa Gading|Kelapa Gading Mall]] |
|||
: Jl. Kelapa Gading Boulevard Blok M East Jakarta |
|||
: 1995年1月開店。11,000㎡。華僑系高級住宅街に立地。 |
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:* '''プラザ・スナヤン店'''(ジャカルタ) [[:en:Plaza Senayan|Plaza Senayan]] |
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: Jl. Asia Afrika No.8 South Jakarta 紀伊國屋書店入居。 |
|||
: 1999年10月29日開店。スナヤンはプラザインドネシアと並ぶ高級モール。 |
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:* '''ポンドキンダ・モール店'''(ジャカルタ) [[:en:Pondok Indah Mall|Pondok Indah Mall]] |
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: Jl. Metro Pondok Indah South Jakarta 2005年開店 |
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:* '''エンポリウム・プルイット'''(ジャカルタ) Emporium Pluit Mall |
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: Kawasan CBD Pluit Jl. Pluit Selatan Raya North Jakarta スーパー無し。 |
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:* '''セントラル・パーク・モール店'''(ジャカルタ) [[:en:Central Park Jakarta|Central Park Mall]] |
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: Jl. Letjen S. Parman Kav.28 West Jakarta スーパー無し。 |
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:* '''コタ・カサブランカ・モール店'''(ジャカルタ) Kota Kasablanka Mal |
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: Jl. Casablanca Raya Kav.88 South Jakarta |
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:* '''パリス・ファン・ジャワ店'''([[バンドン]]) Paris van Java |
|||
: Jl. Sukajadi No.137-139 Bandung |
|||
:* '''サン・プラザ店'''([[メダン]]) [[:en:Sun Plaza|Sun Plaza]] |
|||
: Jl. K.H. Zainul Arifin No.7 Medan |
|||
:* '''プラザ・タンジュンガン店'''([[スラバヤ]]) [[:en:Plaza Tunjungan|Plaza Tunjungan]] |
|||
: Jl. Embong Malang No.7-21 Surabaya |
|||
:* '''ギャラクシー・モール店'''(スラバヤ) Galaxy Mall |
|||
: Jl. Dharmahusada Indah Timur No.35-37 Surabaya |
|||
:* '''バリ・コレクション店'''(バリ・[[ヌサドゥア]]) Bali collection |
|||
: BTDC Complex Nusa Dua, Nusa Dua スーパー無し。 |
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:* '''ディスカバリー・モール店'''(バリ・[[クタ]]) Discovery Shopping Mall(centro) |
|||
: Kartika Plaza Street, Kuta 2006年開店。 スーパー無し。 |
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<br /> |
|||
* '''そごうKL''' [http://www.klsogo.com.my/ SOGO (KL) Department Store Sdn Bhd] |
|||
: 1991年7月、[[マレーシア]]旧国営[[コングロマリット]]、プルナス Pernas との合弁会社「そごうプルナス」として設立。 |
|||
:* '''そごうクアラルンプール''' [http://www.klsogo.com.my/ SOGO Kuala Lumpur] |
|||
: 190, Jalan Tuanku Abdul Rahman, Kuala Lumpur [[ラピドKL]] [[ラピドKLアンパン線|アンパン線]][[バンダラヤ駅]]前 57,900㎡。 |
|||
: 1994年1月18日、マレーシア初の高層アパートだった[[:en:Suleiman Courts|スレイマン・コート]]跡地に開店。<ref>ウィキペディア英語版より翻訳</ref>クアラルンプールの庶民的ショッピング・エリア、[[:en:Jalan Tuanku Abdul Rahman|トゥアンク・アブドゥル・ラーマン通り]]界隈に立地。 そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続。一般庶民向けのファミリー・デパート。かつて入居していた紀伊國屋書店は[[スリア KLCC]]に移転している。 |
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<br /> |
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* '''ガマそごう'''([[ペナン州]]) Gama SOGO |
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: 10150 Georgetown,Penang |
|||
: 1989年9月「ガマ・デパート」 Gama Supermarket & Departmental Store 開店。地下2階地上8階 11,077㎡。 |
|||
: 1989年12月 [[そごう広島店|広島そごう]]がガマを約3940万RMで買収。<ref>[http://news.google.com/newspapers?nid=1309&dat=19890926&id=mFlPAAAAIBAJ&sjid=G5ADAAAAIBAJ&pg=6815,2662531 ビジネス&ファイナンス]</ref> そごうグループを離れたガマ・デパートは存続している。かつて入居していた紀伊國屋書店は撤退。 |
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<br /> |
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* '''そごうシンガポール''' SOGO Department Stores (S) Pte Ltd |
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: 1984年1月 [[DBS銀行|シンガポール開発銀行 The Development Bank of Singapore Limited]](旧政府系)との合弁会社として設立。国家的プロジェクトとして同行が立地していた場所を開発した「[[:en:Raffles City|ラッフルズシティRaffles City]]」<ref>[http://www.sokuhou.co.jp/backno/402.html 沖縄観光ニュースNo.402 1992.10.15]</ref>に賃貸入居。 |
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:* '''ラッフルズ・シティー店''' Raffles City |
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: Raffles City Shopping Centre 252 North Bridge Road, Singapore |
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: 1986年10月25日開店。12,500㎡。2000年9月30日閉店。 |
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: 撤退後はイギリス資本の ロビンソンズ[http://www.robinsonsequestrian.com/ Robinsons](アメリカ系[[ロビンソン百貨店]]とは別)、[[マークス&スペンサー]][http://www.marksandspencer.com/ Marks & Spencer]が入居。 |
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:* '''タンピネス店''' Tampines Store |
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: 1993年4月開店。1998年9月閉店。撤退後、2009年4月からショッピング・モール「タンピネスワン」tampines1 |
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:* '''[[サイアム・パラゴン|パラゴン]] by そごう''' Paragon by SOGO |
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: 290 Orchard Road, Singapore 1989年 6億9000万S$で買収。1996年12月 約6億8230万S$で売却。 |
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: そごうグループを離れた後[[モール・グループ]]が運営。[[グッチ]]、[[ダンヒル]]、[[サルヴァトーレ・フェラガモ]]などの高級ブランド中心の高級ショッピング・モール。 |
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<br /> |
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* '''そごうタイランド''' SOGO(Thailand)Co., Ltd. |
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: 1983年7月設立。[[タイ王国|タイ]] アマリン開発公社 Amarin Development Public Co.,Ltd 他 地場資本51%の合弁会社。資本金2,500万B。 |
|||
: [[バンコク]] ラーチャダームリ通り、ラーチャプラソング交差点交差点に庶民派の「アマリンそごう」と高級志向の「エラワンそごう」の2店が隣り合って並んでいた。どちらも[[大成建設]]が建てたビル<ref>[http://www.taisei.co.jp/works/wd/asia/thai_index.html 大成建設実績紹介]</ref>、どちらもそごうタイランドとアマリンが出資しながら、それぞれ独立した会社による運営だった。そごう本体の破綻の都合で撤退。合弁パートナーが撤退する場合、タイ側に株式を譲渡することがタイの法律で定められている<ref>[http://www.mylaw.co.jp/lawyers/yamada_docs/M&AReview23_5.pdf タイにおけるM&A法制度]</ref>ため、2店ともアマリンが引き継いでショッピング・センターを運営することになった。 |
|||
:* '''アマリンそごう''' Amarin SOGO Co., Ltd |
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: 500 Ploenchit Rd., Lumpinee, Patumwan, Bangkok. BTSチッドロム駅と直結。 |
|||
: 1984年12月1日開店。アマリン・タワー Amarin Tower 1-4階。そごう海外1号店。12,000㎡。 |
|||
: 撤退後、「[[:en:Amarin Plaza|アマリン・プラザ Amarin Plaza]] として運営されている。タワー9階には[[ジェーシービー|JCBプラザ]]、15階には[[盤谷日本人商工会議所]]が入居する他、ホテル、スパなどがある。 |
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:* '''エラワンそごう''' Erawan SOGO Co., Ltd |
|||
: 494 Rajdamri Road, Pathumwan, Bangkok. |
|||
: 1990年12月4日開店。[[グランド・ハイアット・エラワン・バンコク]]ビル内。11,201㎡。 |
|||
: 撤退後、2004年11月24日から高級ショッピングセンター「エラワン・バンコク Erawan Bangkok として運営されている。「[[バーバリー]]」の旗艦店、タイ初出店の「[[コーチ (企業)|コーチ]]」などが入居。<ref>[http://216.87.162.75/archive/2004/weekly/04archives/keizai1140.htm#2 バンコク週報2004.11.15]</ref> |
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<br /> |
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* '''ロンドンそごう''' SOGO(London) Ltd |
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: 1991年10月1日会社設立。1992年7月7日開店。1999年4月閉店 後、[[ヴァージン・メガストアーズ]]Virgin Megastores<br /> |
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<br /> |
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* '''バルセロナそごう''' SOGO Espana S.A. |
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: 1991年5月設立。1992年開店。1996年閉店。 |
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1985年(昭和60年)に開業した横浜そごうを皮切りに、一部の新規店舗・既存店舗に国内店舗全19基、海外店舗全4台の計23基が設置された。 |
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== 構想はあったが出店を断念した店舗 == |
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'''北海道地方''' |
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* 札幌そごう新館 |
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'''東北地方''' |
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* 仙台そごう - 水島そごう時代およびミレニアムグループの新店舗として仙台にそごうの出店計画が数度あったが、その後断念。 |
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* 郡山そごう - [[日本国有鉄道|国鉄]][[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]前西口市街地再開発において、商業ビルの核テナントとなる予定で運営会社も設立されたが、出店推進派の市長交代により1986年1月出店断念。 |
|||
* 北上そごう - ツインモールプラザの核テナントとして川徳と出店を競り合ったがバブル崩壊により断念。ダックビブレ(現在はさくら野百貨店)が最終的に進出した。 |
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'''関東地方''' |
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* 成田そごう - [[京成電鉄|京成]][[公津の杜駅]]前・[[ユアエルム京成|ユアエルム]]成田の核テナントとして出店予定だったが、経営不振により出店断念。その後[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]が出店。 |
|||
* 千葉ニュータウンそごう ‐ 1996年に[[印西市]]に出店予定だったが、[[ジャスコ]](現:[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]、[[イオンモール千葉ニュータウン]]内)が出店したため断念。 |
|||
* 八千代そごう - [[東葉高速鉄道]]開通に伴い、沿線に出店を計画するも、地元の反対、成田・幕張・千葉そごうとの兼ね合いなどの諸般の事情で頓挫。イトーヨーカドー(フルルガーデン八千代)やイオン([[イオンモール八千代緑が丘]])が出店している。 |
|||
* JR東日本幕張そごう - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]との共同計画。千葉市美浜区の[[幕張新都心]]にあるJR[[海浜幕張駅]]前への出店。地主の千葉県企業庁から約5,300m²を購入。当初計画1996年春開店予定。1992年3月白紙撤回、断念。 |
|||
* 池袋そごう - 現在の[[サンシャインシティ]]への出店計画。[[池袋駅]]から[[地下道]]を通す条件がクリアできず出店断念。[[三越]]直営による「サンシャインシティ・[[アルタ]]」などが入居している。 |
|||
* 新宿そごう - 現在の[[タカシマヤタイムズスクエア]]の位置に出店計画があった。 |
|||
* JR東日本立川そごう - JR東日本との共同計画。1993年12月出店発表(共同子会社設立合意)。当初計画1997年開店予定。JR立川駅南口の商業ビルの核店舗として入居予定だったが、1996年6月出店断念。[[1999年]]に[[阪急百貨店]]との折半出資による[[グランデュオ]]が開業。 |
|||
* 橋本そごう - 現在の[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]橋本店([[相模原市]])近辺に位置する。JR[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]前市街地再開発の一環で、賃料坪単価8,000円以上(競合した[[近鉄百貨店]]の2倍の提示額。また、当初は地元の[[京王百貨店]]の出店が有力視されていた)でコンペを制した。1989年出店発表。1994年出店凍結。1997年正式に出店断念。 |
|||
* 横浜そごう新館(新・[[横浜スカイビル]]) - 1992年6月出店凍結、自然消滅。[[1996年]]9月の竣工により[[丸井]]横浜東口店(現・マルイシティ横浜)が出店。 |
|||
* [[港北ニュータウン]]そごう - タウンセンター第2地区の開発計画の一環。コンペには他に横浜高島屋、西武、東急の3百貨店が参加していた。当初計画では建物面積約50,000m<sup>2</sup>、事業費約500億円。1995年開店予定だったが、その後出店を断念。 |
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* 北千住そごう - 北千住駅の再開発に向けて[[1988年]]出店を発表したが断念し、[[2004年]]に[[丸井]]が出店。そごうが出店を断念し[[丸井]]が出店したのはマルイシティ横浜と北千住店のみである。 |
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'''中部地方''' |
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* JR名古屋そごう - JR東海と合弁で松坂屋とともに出店候補に挙がったが最終的には[[ジェイアール名古屋タカシマヤ]]が出店。 |
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* 清水そごう - 狐ヶ崎ヤングランド跡地に1995年の開業を目指すも撤回。現在はイオン清水店。 |
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* 駿東そごう - ([[清水町_(静岡県)|駿東郡清水町]])バブル期に大東紡績三島工場跡地に東部地区最大の百貨店を計画。バブル崩壊により出店断念。その後ユニーとキミサワが出店を表明するも実現せず最終的には1997年に[[ジャンボエンチョー|Home Assist]]を核とする[[サントムーン柿田川]]が開業。 |
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'''近畿地方''' |
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* [[茨木そごう]] - [[JR京都線|JR]][[茨木駅]]にほど近い[[日本たばこ産業]]の工場跡地に出店を計画したが、経営不振から計画が中止となった。出店予定地にはマイカル茨木(現:[[イオン茨木ショッピングセンター]])が建設され2001年より営業している。開店していた場合は当時最大規模となる郊外型百貨店だった。 |
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* 阿倍野そごう - 現在の[[あべのキューズタウン]](2011年4月26日開業:核テナントは[[イトーヨーカドー]]あべの店)の場所に出店を予定していた。 |
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* 中百舌鳥そごう - 南海高野線中百舌鳥駅前再開発。1993年7月出店断念。 |
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* 湊町そごう - [[JR難波駅|湊町駅]]前の再開発計画の一環。駅ビルの商業層への出店計画だったが、1992年6月に出店を凍結。 |
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* りんくうタウンそごう - 関西国際空港の対岸部の埋立地「[[りんくうタウン]]」に出店を計画。1989年出店構想発表。1990年競合していた[[三菱地所]]・[[近鉄グループ]]と共同分譲を締結した。 |
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'''中国地方''' |
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* 伏見町そごう - [[福山駅]]前の伏見町市街地再開発計画の一環。 |
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* 防府そごう - [[防府駅]]北東に位置する街区の再開発計画の一環。防府商工会議所が再開発会社「防府商業近代化株式会社」を設立し、防府市も全面協力という計画だった。当初計画では、建物は面積約20,000m<sup>2</sup>、初年度売上目標は百数十億円で、1984年開業予定だったが、その後出店を断念した。同街区は現在、再開発によりマンションや中小規模の商店、防府市立図書館などが入居する複合施設「[[ルルサス防府]]」となっている。 |
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* 宇部そごう - 宇部市役所前の新天町一丁目西地区市街地再開発計画の一環。当初構想は、地上14階・地下2階のオフィスタワー、地上8階・地下2階の商業棟(約30,000m<sup>2</sup>)、地上9階・地下1階の駐車場ビルからなる複合施設を建設するというもの。1988年に出店表明、1991年に基本構想が宇部市より発表され、1993年の開業を目指していたが、既存の百貨店や地元商店街の反対を受け徐々に開発計画が縮小され、1994年5月に出店断念。 |
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'''九州地方''' |
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* 福岡そごう - 事前のコンペではそごうの出店がほぼ決定していたが、他地域とのバランス面や政治的な動き等により、[[三越]]([[福岡三越]])となった。 |
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* 長崎そごう - 長崎県と国が造成していた長崎港元船地区埋立地への出店計画。1993年に出店を表明したものの、地元商店街からの激しい反対運動を受け、1994年に出店断念。 |
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* 鹿児島そごう - 関係者の話によれば1980年代後半から1992年頃に西鹿児島駅(現・[[鹿児島中央駅]])前の一番街アーケード一帯のすべての街区をまるごと潰して再開発する構想があったようだが1993年以降は交渉が進展せず自然消滅した。順調に実現していれば、錦糸町そごう(現在の[[アルカキット錦糸町]])と同時に開店する見込みだった。 |
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'''海外''' |
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* シドニーそごう - [[熊谷組]]が現地ボンド・コーポレーションから買収した[[シドニー]]の中心部「パークプラザ」に出店を計画。1998年11月出店断念。 |
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* イスタンブールそごう - [[イスタンブール]]市街のタクシム広場周辺に出店を計画。1991年に出店を発表したが、その後断念。 |
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ほとんどの店舗で屋外に面した入口、または地下のメインエントランス部分に設置されていたが、大阪店や奈良そごうのようにフロア壁面に設置された物もある。 |
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== イッツ・ア・スモールワールド時計(世界の人形時計) == |
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[[File:People in a fond farewell(Karakuri clock, YokohamaSOGO).jpg|right|thumb|最後のからくり運用時には横浜店では多くの客が集まった。]] |
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[[File:Tokyo disneyland logo of SOGO clock.JPG|right|thumb|一部店舗で表記されている東京ディズニーランドのロゴ(画像は旧茂原そごうの物。)]] |
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東京ディズニーランドのアトラクション「[[イッツ・ア・スモールワールド]]」のスポンサーだったそごうの一部の店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形と共にテーマ曲である「小さな世界」を演奏する「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。 |
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人形の修繕工事は定期的に実施され、最初に導入した横浜そごうでは2006年(平成18年)に最後の修繕工事を行った。 |
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1985年に開業した横浜そごうを皮切りに一部の新規、既存店舗に国内店舗全18台、海外店舗全4台の計22台が設置された。全盛期には国内店舗のみ破綻前に閉店した柚木そごうを除く全17台、破綻後から運用終了にかけて10台稼働していた。設置された各店付近でモニュメントの存在となり、待ち合わせスポットとしても親しまれた。 |
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最盛期(1994年6月の千葉店への設置から同年10月の柚木そごう閉店までと、1996年の神戸店設置から2000年2月の茂原そごう閉店まで)には国内で最大18基が稼働していた。民事再生後の2008年4月時点では10基に減っていた。 |
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店舗ごとにそれぞれデザインが異なっており、正方形(5×5マス)型・正方形(4×4マス)型・長方形(横)形・長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の4種類がある。一部の店舗では時計の両端、もしくは上に[[カリヨン]]が併設されていた。 |
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運営会社が2006年にセブン&アイホールディングス傘下に入ったのち、2008年(平成20年)4月15日、老朽化を理由に全店舗でからくりの演出を終了した。 |
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そごう破綻後、全盛期に稼働していた17台中の6台は撤去された。茂原そごうや奈良そごうのように撤去費用の面での問題があり撤去されていないもの一部あり、後者は壁で覆われている。人形の修繕工事も定期的に行っており、最初に導入した横浜そごうでは2006年に修繕工事を行った。時計の後ろにはメンテナンス用の扉があり人形の取り外しもできる。時計1つの金額は1億円以上と言われている。 |
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公式ホームページ上では、[[そごう横浜店]]の項目内に4月16日付けでからくり機能終了のリリースが掲載されたほか、[[朝日新聞大阪本社]]版、[[神戸新聞]]でも相次いで時計の話題が報道された。なお、4月15日は東京ディズニーランド開園25周年の記念日でもあった。 |
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以前、時計の有無にかかわらず全店で毎正時に館内放送で時報を鳴らしていた。曲は冒頭に同様の"It's a Small World"を流した後、時報案内のアナウンスが流れていた。 |
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この対応はそごうがアトラクションのスポンサー契約を解除したことが本来の理由だが、観覧に来ていた来店客に対しては、{{Squote|「世界の人形時計」は来たる4月15日(火)、営業時間終了時をもって終了させていただくことになりました。}}{{Squote|おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。}}と書かれた告知が時計の傍らに貼り出された。 |
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2008年4月15日を以って「老朽化のため」として、設置されている全店舗で時計のからくり機能の運用を一斉に終了した。この日、最後の運用時に各店舗の店長が観覧客に対して感謝の意を表した。奇しくもこの日は、東京ディズニーランド開園25周年の記念日である。 |
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以降そごう・西武の管理する時計は「鐘の鳴る大時計」として運用されている。 |
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これらのからくり機能を楽しみにしていた子供達に対し、「'''おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。'''」と全てひらがなで書かれた終了告知が一般の告知と共に掲示された。なお、時計自体は撤去されず、文字盤の人形のみ4月15日以降順序撤去され、時刻表示のみの「鐘が鳴る大時計」として現在も使用されている。 |
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世界の人形時計の演出終了について、民事再生前の株式会社そごう出身で、そごう・西武の販売促進部長やセブン&アイHLDGS関連会社の取締役などを歴任した実業家の原田良治は、{{Cquote|''これを見て自殺をとどまったホームレスの方もいらっしゃいました。あの時もう少し上司に食い下がれば残せたかもと、後悔の念は消えません。''|20px|空引数|Twitterの投稿より}}と述懐している<ref>https://twitter.com/omnihansoku/status/711313835412434944</ref>。 |
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そごうの公式ウェブサイトでは、[[そごう横浜店]](横浜そごう)のページのみ4月16日付けで告知された。また、[[朝日新聞大阪本社]]版や[[神戸新聞]]でも報道された。 |
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そごうの撤退後に別の商業施設へ転換した店舗でも、そのまま通常の時計として作動させている施設が見受けられる。 |
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この措置はそごうが同アトラクションのスポンサー契約を同日を以って終了したことが実際の理由であり、案内文中の「おやくそく」とは契約の事、「おうちにかえる」は人形の撤去をそれぞれ指していると推測される。時計の下にあった「イッツ・ア・スモール・ワールド」関連の掲示物は全て撤去され、一部店舗の時計にあった東京ディズニーランドのロゴは時計の文字盤同様の色のステッカーを貼り付けて対応した。なお、[[太平洋SOGO]]の一部店舗では[[香港ディズニーランド]]のロゴ・仕様に変更(契約先の変更)した上で、現在も運用されている。そのため、太平洋SOGOが香港ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドのスポンサーとなっている。 |
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海外店舗では、そごう・西武が商標を貸与している[[遠東SOGO]]の一部店舗で[[香港ディズニーランド]]におけるイッツ・ア・スモールワールドのスポンサー契約を開始したことから、継続してからくりの演出が披露されている。 |
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なお、この時計は同じくかつて東京ディズニーランドのスポンサーだった[[セイコーホールディングス|セイコー]]製である。 |
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<gallery widths="200"> |
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ファイル:SOGO Seishin Dep entrance 2020,3.jpg|西神店(2020年3月) |
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ファイル:SOGO-SEISHIN.JPG|西神店、からくり演出中(2008年2月) |
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ファイル:そごう 地下入口の時計 - panoramio.jpg|横浜店(2015年8月) |
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ファイル:People in a fond farewell(Karakuri clock, YokohamaSOGO).jpg|横浜店、最後のからくり演出後(2008年4月15日) |
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ファイル:Sogo Kobe Dep SEIKO clock 2019,8.jpg|神戸店(2019年8月) |
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ファイル:Chiba-Sogo Dep SEIKO clock 2021,3.jpg|千葉店<br />(2021年3月) |
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ファイル:Automaton Clock of the SOGO Department Store in Kashiwa.jpg|柏店(2009年8月) |
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ファイル:Sogo Tokushima store main entrance.JPG|徳島店(2011年5月) |
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ファイル:Old Mobara SOGO clock.JPG|茂原そごう(2013年2月) |
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ファイル:廣三SOGO.JPG|廣三SOGO(2009年12月) |
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ファイル:It's a Small World Clock at Taipei.jpg|忠孝店<br />2008年に[[香港ディズニーランド]]の仕様へ改修後(2008年11月) |
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</gallery> |
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=== |
=== 設置店舗 === |
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* 正方形(5×5マス)型の設置店舗は○ |
* 正方形(5×5マス)型の設置店舗は○ |
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* 正方形(4×4マス)型の設置店舗は● |
* 正方形(4×4マス)型の設置店舗は● |
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* 長方形(横)形の設置店舗は△ |
* 長方形(横)形の設置店舗は△ |
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* 長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲ |
* 長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲ |
||
{{clear}} |
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{{hidden begin |
|||
==== 日本のそごうの店舗 ==== |
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|title = 国内の店舗 |
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|titlestyle = background:pink; text-align:center; |
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}} |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
! 記号 !! 店舗 !! 設置番号 !! 設置年月 !! 備考 !! 現状 |
|||
!記号!!フロア概要 |
|||
|- |
|- |
||
| rowspan="14" style="text-align:center" | ○ || [[横浜そごう]] || 1号機 || 1985年9月 || 初号機のため鐘の音色が異なる。|| 鐘の鳴る大時計 |
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!○ |
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|横浜・川口・柏・茂原・多摩・柚木・豊田・奈良・西神・福山・呉・広島・徳島 |
|||
|- |
|- |
||
| [[広島そごう]] || 4号機<ref group="注釈">日本では3号機。</ref> || 1988年11月 || 既存店への設置。|| 鐘の鳴る大時計 |
|||
!● |
|||
|大宮・加古川 |
|||
|- |
|- |
||
| [[奈良そごう]] || 6号機<ref group="注釈">日本では5号機。</ref> || 1989年10月 || 現在の[[ミ・ナーラ]] ||[[ボルダリング]]の壁面に転用。 |
|||
!△ |
|||
|- |
|||
|千葉・神戸・小倉 |
|||
| [[多摩そごう]] || 7号機<ref group="注釈">日本では6号機。</ref> || 1989年10月 || 現在の[[ココリア多摩センター]]|| 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[呉そごう]] || 8号機<ref group="注釈">日本では7号機。</ref> || 1990年3月 || 建物解体により撤去 |
|||
| 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[西神そごう]] || 9号機<ref group="注釈">日本では8号機。</ref> || 1990年10月 || 現:エキソアレ西神中央 || 鐘の鳴る大時計 |
|||
|- |
|||
| [[徳島そごう]] || 10号機<ref group="注釈">日本では9号機。</ref> || 1990年10月 || 既存店への設置。<br /> 現:アミコ東館 || 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[川口そごう]] || 11号機<ref group="注釈">日本では10号機。</ref> || 1991年10月 || 鐘は時計上部に設置。<br /> 閉鎖 || 鐘の鳴る大時計 |
|||
|- |
|||
| [[そごう心斎橋本店|心斎橋そごう]] || 12号機<ref group="注釈">日本では11号機。</ref> || 1991年11月 || 既存店への設置。<br />建て替え後の心斎橋本店には設置されず。|| 2003年に施設解体 |
|||
|- |
|||
| [[福山そごう]] || 13号機<ref group="注釈">日本では12号機。</ref> || 1992年4月 || 現:リムふくやま(Ichi・setouchi) || 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[茂原そごう]] || 14号機<ref group="注釈">日本では13号機。</ref> || 1992年3月 || 現:[[南総サンヴェルプラザ]] || 盤面の数字と針は撤去 |
|||
|- |
|||
| [[柚木そごう]] || 15号機<ref group="注釈">日本では14号機。</ref> || 1992年6月 || 現:ガレリア・ユギ || 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[豊田そごう]] || 16号機<ref group="注釈">日本では15号機。</ref> || 1992年11月 || 既存店への設置。<br />現:T・FACE || 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[柏そごう]] || 17号機<ref group="注釈">日本では16号機、日本の店舗における正方形5×5タイプの最終機。</ref> || 1992年12月 || 既存店への設置。<br /> 時計も停止||停止 |
|||
|- |
|||
| rowspan="2" style="text-align:center" | ● || [[大宮そごう]] || 2号機 || 1987年3月 || || 鐘の鳴る大時計 |
|||
|- |
|||
| 加古川そごう || 5号機<ref group="注釈">日本では4号機。</ref> || 1989年9月 || 現:カピル21 || 撤去 |
|||
|- |
|||
| rowspan="3" style="text-align:center" | △ || 小倉そごう || 18号機<ref group="注釈">日本では17号機。</ref> || 1993年10月 || 現:[[セントシティ北九州|セントシティ]] || 撤去 |
|||
|- |
|||
| [[千葉そごう]] || 19号機<ref group="注釈">日本では18号機。</ref> || 1994年6月 || || 鐘の鳴る大時計 |
|||
|- |
|||
| [[神戸阪急#そごう神戸店|そごう神戸店]] || 21号機<ref group="注釈">日本では19号機、日本国内では最後の設置。</ref> || 1996年4月 || 既存店への設置。2階「サンファーレ広場」に設置。<br />現:[[神戸阪急]]|| 鐘の鳴る大時計 |
|||
|- |
|- |
||
|} |
|} |
||
{{hidden end}} |
|||
{{hidden begin |
|||
<gallery> |
|||
|title = 台湾の店舗 |
|||
File:Old Mobara SOGO clock.JPG|旧茂原そごうの時計。2008年に針と文字盤の数字が撤去された。(2013年2月撮影) |
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|titlestyle = background:palegreen; text-align:center; |
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</gallery> |
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}} |
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==== 日本国外のそごうの店舗(太平洋SOGO) ==== |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
! 記号 !! 店舗 !! 設置番号 !! 設置年月 !! 備考 !!現状 |
|||
!記号!!フロア概要 |
|||
|- |
|- |
||
| style="text-align:center" | ○ || 台中廣三店 || 20号機<ref group="注釈">台湾では2号機。</ref> || 1995年11月 ||海外店舗で唯一の正方形タイプ(正方形5×5マス型の最終機)|| 世界の人形時計 |
|||
!○ |
|||
|台中廣三 |
|||
|- |
|- |
||
| rowspan="3" style="text-align:center" | ▲ || 台北忠孝館 || 3号機<ref group="注釈">台湾では1号機。</ref> || 1987年11月 ||海外店舗では初の人形時計。設置当初は登場する人形の数が6体だったが、その後6体増やされて12体になっているほか、配置も変更されている(人形が増やされた時期は不明)。 || 世界の人形時計 |
|||
!▲ |
|||
|- |
|||
|台北忠孝館・中壢元化館・高雄 |
|||
| 高雄店 || 22号機<ref group="注釈">台湾では3号機。</ref> || 1996年9月 || 台湾では3機目の人形時計。高雄の個体のみ人形の配置が台北、中壢とは異なる。 || 世界の人形時計 |
|||
|- |
|||
| 中壢元化館 || 23号機<ref group="注釈">台湾では4号機。</ref> || 1998年9月 || 台湾に設置、人形時計における最終機。|| 世界の人形時計 |
|||
|- |
|- |
||
|} |
|} |
||
{{hidden end}}また、クアラルンプールそごう店にはワールドクロックというからくり時計があった。世界地図が模された文字盤が 5 つに分かれてそれぞれ反転し、12 体の人形(1 列 3 体)とツリー上に設置された複数のカリヨンが登場する。現在は撤去されており、音楽は不明。ベゼル部分には 6 ヶ国の時刻を表示するデジタル式液晶の世界時計が搭載されている。 |
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== テレビ番組 == |
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<gallery> |
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* [[日経スペシャル ガイアの夜明け]] 西武・そごう 再生への365日(2006年9月26日、テレビ東京)<ref>[https://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview060926.html 西武・そごう 再生への365日] - テレビ東京 2006年9月26日</ref>。- 百貨店再生請負人 和田繁明の改革に365日密着。 |
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File:It's a Small World Clock at Taipei.jpg|[[太平洋SOGO]]台北忠孝店の時計。2008年に香港ディズニーランドの仕様に改修された。(2008年11月撮影) |
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File:It's a Small World Clock Descriptions.jpg|太平洋SOGO台北忠孝店の時計の掲示物。説明文と写真は香港ディズニーランドに変更済み。(2008年11月撮影) |
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</gallery> |
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== POSシステム == |
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* [[POSシステム]]は、[[日本電気|NEC]]製を使用。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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<references /> |
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{{Reflist|group="注釈"|2}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
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* 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。 |
|||
* 山森俊彦『そごうの全貌 「水島軍団」一兆円への挑戦』ストアーズ社、1980年5月。 |
|||
* 山森俊彦『そごう怒涛の大航海―「水島そごう」日本一への出帆』[[デパートニューズ社]]、1988年1月。ISBN 978-4915293009 |
|||
* 山森俊彦『そごう さらに壮大なる未来へ』デパートニューズ社(ストアーズ選書)、1992年3月。ISBN 978-4915293085 |
|||
* 佐藤正忠『「そごう」に新しい神話がはじまった』[[経済界 (出版社)|経済界]]、1994年5月。ISBN 978-4766702514 |
|||
* [[東京商工リサーチ]]情報部『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』エイチアンドアイ、2000年11月。ISBN 978-4901032315 |
|||
* [[産経新聞]]取材班『ブランドはなぜ墜ちたか [[雪印]]、そごう、[[三菱自動車]] 事件の深層』[[角川書店]]、2001年1月。ISBN 978-4048836517 |
|||
* [[日本経済新聞社]]編『ドキュメントそごう解体 裁かれる「バブル経営」』[[日本経済新聞出版社]]、2001年1月。ISBN 978-4532148911 |
|||
* [[江波戸哲夫]]『神様の墜落 〈そごうと興銀〉の失われた10年』[[新潮社]]、2003年8月。ISBN 978-4104459025 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Sogo}} |
{{Commonscat|Sogo}} |
||
* [[ |
* [[そごうの店舗一覧]] |
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* [[水島廣雄]] |
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* [[ロビンソン百貨店]] |
|||
* [[セブン&アイ・ホールディングス]] |
|||
* [[ミナミ]] |
|||
** [[そごう・西武]] |
|||
* [[有楽町で逢いましょう]] - 1957年に[[フランク永井]]が歌った流行歌。翌1958年には[[大映 (映画)|大映]]で映画化された。元々はそごう東京店開店時のキャッチコピー。 |
|||
** [[ロビンソン百貨店]] |
|||
* [[東京ディズニーリゾート]] - [[東京ディズニーランド]]は開園当時([[1983年]][[4月15日]])、[[東京ディズニーシー]]は[[2003年]][[4月12日]]から[[2008年]][[4月15日]]まで、以下の施設のスポンサーをつとめていた。現在は撤退している。 |
|||
* [[心斎橋]] / [[ミナミ]] |
|||
* [[読売会館]] |
|||
** [[有楽町で逢いましょう]] - 1957年(昭和32年)に[[フランク永井]]が歌った流行歌。翌1958年(昭和33年)には[[大映 (映画)|大映]]で映画化された。元はそごう東京店開店時のキャッチコピー。 |
|||
* [[東京ディズニーリゾート]] - [[東京ディズニーランド]]は開園当時(1983年(昭和58年)4月15日)、[[東京ディズニーシー]]は2003年(平成15年)4月12日から2008年(平成20年)4月15日まで、以下の施設のスポンサーをつとめていたが、現在は撤退している。 |
|||
** 東京ディズニーランド - [[イッツ・ア・スモールワールド]] |
** 東京ディズニーランド - [[イッツ・ア・スモールワールド]] |
||
** 東京ディズニーシー - [[ドックサイド |
** 東京ディズニーシー - [[ドックサイドステージ]] |
||
* [[丸物]] - [[近鉄百貨店]]の前身の一つで、共同配送など提携を行っていた。旧・そごう大阪店のように村野藤吾による建築があり、社長(こちらは[[中林仁一郎]])による多店舗展開の結果、不振の本店を含む大半の店舗が閉鎖・同業他社などへの売却に追い込まれ、創業の地(大阪・京都)から撤退などの共通点もある。 |
|||
** [[パルコ]] - 池袋の店舗を運営した「東京丸物」をファッションビルに業態転換し、西武百貨店とともに[[セゾングループ]]を構成した。神戸・心斎橋で当社のライバルだった[[大丸]]を中心とする[[J.フロント リテイリング]]傘下に入った後、[[そごう心斎橋本店]]跡地(大丸心斎橋店 北館)へ心斎橋パルコを出店した。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [ |
* [https://www.sogo-seibu.jp/ そごう・西武] |
||
* |
* {{Wayback|url=http://www2.sogo-gogo.com/usrinfo/index.html|title=そごう|date=20051024035419}} |
||
* |
* {{Wayback|url=http://www.sogo.gr.jp/ |
||
|title=そごうグループ|date=20001018154954}} |
|||
* [http://www.sogo.com.hk/ 香港そごう] |
|||
* {{Wayback|url=https://www.sogo-seibu.jp/kawaguchi/|title=そごう川口店|date=20210210130621}} |
|||
* [http://sogo.junefield.com/ 北京そごう] |
|||
* [ |
* [https://www.sogo.com.tw/ 遠東そごう] |
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* [ |
* [https://www.kssogo.com.tw/ 広三そごう] |
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* {{Wayback|url=http://www.hk-sogoshop.com/|title=香港そごう|date=20141215181148}} |
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* {{Wayback|url=http://sogo.junefield.com/|title=北京そごう|date=20140201142200}} |
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* {{Wayback|url=http://www.map.co.id/|title=インドネシア・そごう|date=20070528010426}} |
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* [https://www.sogo.com.my/ そごうクアラルンプール] |
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* [https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030297_00000 そごう 経営破たん] - [[NHKアーカイブス]] |
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[[Category:かつて存在した東京都の企業]]<!-- 破綻直前は二本社制、そごう・西武発足直前も本社は東京にあった模様--> |
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[[Category:かつて存在した大阪府の企業]]<!-- 旧・横浜そごう基準の場合、設立時は梅田に登記上の本店があったため[[Category:大阪府発祥の企業]]--> |
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[[Category:経営再建した企業]] |
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[[Category:江戸時代の大阪]] |
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[[Category:三和グループの歴史]] |
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[[Category:みどり会|廃そこう]] |
2024年12月20日 (金) 13:50時点における最新版
経営再建のシンボルだったそごう心斎橋本店 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
大証1部(廃止) 8243 1961年 - 2000年10月13日 京証(廃止) 8243 1961年 - 2000年10月13日 神証 8243 (旧法人:株式会社そごう)1961年 - 1967年10月31日 |
本社所在地 |
日本 〒542-0085[注釈 2] 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目8番3号[注釈 1] |
設立 |
1969年(昭和44年)5月21日 (株式会社横浜そごう) 創業は1830年(天保元年) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 6010001127026 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 |
代表取締役社長 山下國夫 (元ミレニアムリテイリング取締役、西武百貨店出身) |
資本金 | 1100万円 |
売上高 | 4,689億94百万円(2006年(平成18年)2月期) |
従業員数 | 2,845名(2006年(平成18年)2月末現在) |
主要株主 | ミレニアムリテイリング 100% |
関係する人物 |
十合伊兵衛(創業者) 水島廣雄 和田繁明 |
外部リンク | https://www.sogo-seibu.jp/ |
特記事項:2009年(平成21年)7月31日時点の情報。2002年(平成14年)2月に株式会社横浜そごうが(初代)株式会社そごう(1919年12月30日設立)を吸収合併し(2代)株式会社そごうに商号変更。 2009年(平成21年)8月1日に株式会社西武百貨店、株式会社ミレニアムリテイリングと合併し、株式会社そごう・西武に商号変更。 |
株式会社そごう(英: Sogo Co., Ltd.)は、かつて百貨店の「そごう」を運営していた日本の企業である。セブン&アイグループに属していた。2009年8月1日に親会社であるミレニアムリテイリングと、同じくミレニアムリテイリング傘下の西武百貨店を合併し、そごう・西武となった。
本項では、1919年に設立され2002年に法人格が消滅した初代法人、旧商号が株式会社横浜そごうで2002年に初代法人を吸収合併した2代目法人について、まとめて記述する。各店舗についてはそごうの店舗一覧を参照。
概要
[編集]1830年(天保元年)に大坂で古着屋として創業した老舗企業である。メインバンクの日本興業銀行(現在のみずほ銀行)出身の水島廣雄のもとで1960年代以降に多店舗展開戦略を推進して大手百貨店グループの一角にのし上がるが、バブル崩壊による経営悪化などにより2000年に経営破綻した。その後は西武百貨店の支援の下経営再建を行い、2003年に西武百貨店と共に持株会社「ミレニアムリテイニング」の傘下に入る形で経営統合する。最終的にミレニアムリテイリングがセブン&アイホールディングスの傘下に入ったことでセブン&アイグループ入りした後、2009年にミレニアムリテイニングと西武百貨店を吸収合併し、そごう・西武に社名を変更した。
「そごう」の社名・店名は創業者の名「十合(そごう)」に由来する。大阪が発祥の百貨店で、登記上の本店は創業から大阪店閉店までと心斎橋本店開店からそごう・西武への再編前まで、大阪の心斎橋に長年あった。それまで、大阪・心斎橋と神戸・三宮の2店舗しか有していなかったが、1957年に有楽町に東京店を開業し、「有楽町で逢いましょう」を宣伝文句に東京に進出した。同名の歌謡曲をはじめ歌番組や映画が制作され大流行となった。映画では大阪店・東京店が撮影に使用され、そごうが衣装提供も行った。
1967年に立ち上げた千葉そごうが成功し、「レインボーの法則」で国道16号沿いの首都圏の郊外の駅前を中心に出店を加速させた[1]。なお、それぞれを地域子会社として、早くから黒字化した株式会社千葉そごうが各地の地域子会社に出資する複雑な資本関係であった[1]。1985年に横浜駅東口に開業した横浜店は、そごうの店舗では売場面積(83,654m2)と売上高が最大で、現在でもそごう・西武の「基幹店」として営業している。最盛期には国内外で30店舗以上、1992年のグループ全体の売上高で三越や髙島屋を上回り、百貨店業界の1位を記録した[1]。なお、経営破綻以前の直営店は大阪店(心斎橋)、神戸店(三宮)、東京店(有楽町)の3店舗のみであり、その他の店舗は全て千葉そごうが出資した地域子会社であった。なお、水島廣雄が千葉そごうの株式の半数を有しており、実質的に水島廣雄が支配していた。
ロゴマークは創業以来、初代十合伊兵衛の生家・絹屋の家紋であるちきり(縦糸を巻くための織機の付属部品、石材や木材を繋ぎ止める部品)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。また「ちきり」は「契り」に通じることから、顧客との結びつきを末長く大切にするという意味も含めている[注釈 3]。
ロゴマークの形状自体に変更はないが、色は赤→紺→金・翡翠と変更され、民事再生直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリングのグループカラーの青に変更している。また民事再生以前には「そごう」と「SOGO」のロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」をCIに採用した時期もあり、外装への採用例として、1996年から2001年の神戸店(現:神戸阪急)本館北側の壁面がある。セブン&アイ傘下となってから、英字「SOGO」ロゴのフォントを西武の「SEIBU」と同一のものに変更し、主に公式ウェブサイトと広告で使用する。
イメージフラワーはダリアで、かつては包装紙や紙袋に印刷されたほか、関連組織の名称にも「ダリアルーム」「ダリア友の会」など、ダリアを冠したものがある。
かつては「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」というキャッチフレーズも存在した。
西武百貨店と統合したことで、マーチャンダイジングや売場編集が西武流となり、POSシステムの技術提供も受け、従来のイメージは大きく変わった。
歴史
[編集]創業から百貨店へ
[編集]大和国十市郡十市村で絹屋として商売を営んでいた十合徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が、1830年(天保元年)に坐摩神社(火防陶器神社)の南隣、大坂上難波町に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである[2]。
1872年(明治5年)に古手屋を廃業して呉服店へ転換し、1876年(明治9年)に安堂寺橋通三丁目に移転。翌1877年(明治10年)には心斎橋筋一丁目に移転すると共に十合呉服店へ改称した[2]。
外商顧客が神戸エリアで増加していたことを受け、1899年(明治32年)6月25日、神戸市相生町二丁目(後の生田区相生町→中央区相生町、神戸駅北口)に外商出張所として神戸支店を開設し、1901年(明治34年)4月3日には元町五丁目に移転した[2]。神戸支店は店舗販売も拡大するなどして、順調に売り上げを伸ばし、阪神電気鉄道三宮駅ビルへ出店する形で1933年(昭和8年)10月1日に移転・増床し、百貨店として開業した[2]。この移転の告知では「神戸そごう」というひらがな表記を用いており、その後の各店舗での「そごう」表記の第一歩となった[2]。
1935年(昭和10年)9月24日には大阪・心斎橋の本店として村野藤吾設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した[2]。
心斎橋の新本店ビルは、ガラスブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので[2]、モダニズム建築の傑作と評価されている。店内には食堂をはじめ、700名収容の劇場や茶室、貴賓室など、売場以外の機能も併設されていた。そして開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することとなった[2]。心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設された。しかし、2期工事の建設費は板谷宮吉率いる板谷財閥の資本導入により実現し、この際に十合一族による同族経営が終わった[2]。
社名は、1940年(昭和15年)に「十合」[3]となり、第二次世界大戦終戦後に株式会社を設立した1969年(昭和44年)に「そごう」となった[3]。
戦中・戦後
[編集]第二次世界大戦中は配給品以外の商品が大幅に減少したため、売場に空きが生じたことから、大阪本店の地下2階部分を活用して「家財保護預り」を行い、顧客の財産を守る事業も展開した[2]。この保護預かり制度は話題を呼び、大阪市内のみならず大阪府下全域からの利用者があった[2]。
終戦後は、大阪本店が進駐軍に徴用され、PX(進駐軍とその家族向けの売店)として使用したため百貨店としての営業ができなくなり、大阪市内に在日外国人向けの輸入品店「オーバーシーズサプライズストア」を含めていくつかの店舗を展開し、営業機能の一部を代用する形になった[2]。
その後、日本デパートメントストア協会など百貨店業界を挙げた接収解除運動もあって接収解除が実現し、1952年(昭和27年)6月1日に大阪本店の営業を再開した[2]。しかし、この間約6年にわたって本店で営業できなかったことの影響は大きく、再開店から1年後には早くも売上が伸び悩むことになった[2]。
また、業績不振で株価が低迷している一方で自社物件だった本店に不動産価値が見込まれたため、一時期は外部からのグリーンメーラーによる株買い占めにも遭う[4]など、苦境が続いた。
東京進出と経営権争い
[編集]1957年(昭和32年)5月25日には[5]、有富光門の主導により、読売新聞が有楽町に建設した読売会館に東京店(有楽町そごう)を開店[4]、東京への進出を果たした。しかし、この東京店は有富が読売新聞社主の正力松太郎と一坪当たり月額4,000円という高額の定額家賃の契約を結んでいたため、月商約3億円に対し約7,000坪で約2,800万円の家賃は、当時業界の常識とされていた売上高の約3%から5%を大きく上回って採算が合わず、業績の足を引っ張る結果となった[4]。
このため、翌1958年(昭和33年)4月、京都を中心とする関西財界の顔役で日本繊維工業社長であった坂内義雄を社長に迎え、板谷宮吉の縁戚とされる当時日本興業銀行(現:みずほ銀行)から特別調査室付考査役であった水島廣雄が副社長として就任、メインバンクで大株主で大口債権者である大和銀行(現:りそな銀行)から常務であった若菜三良が同じく副社長に就任し、ともに経営再建に取り組むことになった[6]。
ところが、1960年(昭和35年)11月26日に坂内義雄社長が急逝[7]。当時慣例化していた大和銀行と野村証券、山一證券、板谷宮吉、住友正雄で構成される「5者会」に諮ることなく、同年12月23日の取締会において大和銀行の独断で、同行出身の若菜三良が副社長から社長に就任した。そのため、5者会を構成する他者が反発し、経営権を巡って抗争が生じることになった[7]。この経営権を巡る争いは大和銀行が公正取引委員会に提訴される事態に発展し、翌1961年(昭和36年)10月26日にアサヒビール社長山本爲三郎の仲介でようやく終息をみた[7]。
この経営権争奪戦の解決を受けて、若菜はそごうを去り、1962年(昭和37年)1月30日に増資を決議して同年6月1日に資本金10億円へ増資し、同年4月26日に水島廣雄が副社長から社長に就任した[7]。
水島は止む無く社員のリストラを進めたが、会社存続に売上の確保が不可欠として神戸店の増築のみは続けられたほか、経営が好転した際の給与引き上げを約束した。
増床と多店舗展開の推進
[編集]神戸店は増築・増床を進めて売場面積約31,800m2へ倍増させ[8]、1971年(昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となった[2][8]。その後も隣接する神戸国際会館と共同でケイ・エスビルを建設して新館とするなど、さらなる増床で売り上げを伸ばした[2]。阪神・淡路大震災前には売場面積約48,962m2まで拡張した[8]。
大阪店でも、御堂筋の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなどの集客策を打ち出した[2]。東京店では読売新聞との家賃引き下げ交渉を行い、地下鉄有楽町駅と地下売場を直結させるため交渉するなどテコ入れを図った[2]。
千葉そごうの設立
[編集]1966年(昭和41年)10月28日に地域子会社第1号として株式会社千葉そごうを設立し[2]、翌1967年(昭和42年)3月21日に千葉そごう(旧店舗)を千葉駅前に開業[2]。開業2年目で地域一番店となり、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せた[8]。これにより、全国への多店舗展開にかじを切ることになった[2]。
地域子会社方式によるそごうグループでの多店化は千葉そごうが始まりであり[8][7]、以降そごうの出店に際しては千葉そごうを中心に、黒字化していたそごうグループ各社が出資することで、そごうのグループ会社として運営されていくことになった[9]。
多店舗展開の開始当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である柏そごう(1973年)や広島そごう(1974年)も、黒字転換後は出資側に回り、多店舗戦略を支える形式をとっていた[8]。千葉そごうは1972年(昭和47年)10月に別館を増設し[2]、1974年(昭和49年)10月に開業した広島そごうは、当初は売場面積が10,000m2未満に抑えられていたものの、将来的に30,000m2まで増床可能な設計となっていた。両店とも近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど[7]、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した[7]。増床戦略の最盛期には、千葉そごうがモノレール駅と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売場面積約90,000m2体制とした。また、広島そごう新館をNTTクレド基町ビルに開設するなど主力店周辺に店舗を出店して、立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた[8]。
株式会社千葉そごうは、初代会長に就任した水島廣雄が株式の大半を保有したため、株式会社そごうの連結対象外企業であった。また、株式会社千葉そごうがそごう本体の筆頭株主となっていた時期もあった[10]。こうした地域子会社同士のグループ内での複雑な株の持ち合いにより、そごう内部の経営状況は水島以外が把握できない状況となってゆく。
多店舗構想と駅前再開発
[編集]そごうでは「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として[8]、駅前に巨艦店を次々と出店するという多店舗戦略を進めていった。
この出店計画は旧名称「十合」の十にちなみ、10店舗構想「グレーターそごう」と名付けられ、千葉そごうを皮切りに黒崎そごうの出店で達成した[8]。さらにそれを拡大し、20店舗構想「ダブルそごう」、30店舗構想「トリプルそごう」と称して積極的な展開を行った[8]。
多店舗展開にあたっては国道16号を「レインボーロード」と称し、東京都心部を包囲するように国道16号沿いへ出店する戦略を採った。これは、東京都心部にはすでに在京百貨店を含めた同業他社が集中的に出店しており、有楽町そごうで苦戦して以来、東京都心部への出店が遅れたそごうの入り込む余地が残されていなかったためである。そのため首都圏では郊外への出店がメインとなり、商圏人口に見合わない規模の店舗が近隣地域に複数出店することも多かった(多摩そごうと柚木そごう、木更津そごうと茂原そごうなど)。
また、株式会社千葉そごう設立の3年後となる1969年(昭和44年)5月21日には、横浜駅前への出店を見据えて株式会社横浜そごうを設立。相模鉄道が開発を主導して駅ビル「相鉄ジョイナス」を建設し横浜髙島屋を誘致した西口に比べ、開発の遅れていた横浜駅東口の用地を安価に取得した。実際に出店したのは16年後で、横浜駅東口再開発事業に合わせ、横浜新都市センターによって建設された「横浜新都市ビル」の核店舗として、1985年(昭和60年)9月30日に横浜そごうを開業。開店資金約590億円を投資し「横浜が生んだ、世界最大級の百貨店」をキャッチフレーズに、開業当時は東洋一の売場面積を誇る巨艦百貨店としてオープンした。この横浜店は現在もそごうの「基幹店」として営業している。
こうした小売・流通業というよりデベロッパー的な手法により、1980年代から1990年代にかけて、各地の自治体主導により行われた駅前再開発事業の核店舗として入札し、破格の賃料を提示し競合他社を退けて巨艦店の出店を続けた。そごうの経営を特徴づける1店1社の地域子会社制もこのための手法であった。再開発では無視できない地元商店街などの反対意見として「本社のある都市(そごうの場合は大阪)に利益が吸い取られる」というものがあるが、地域子会社が出店することで「地元に金を落とす」と主張して批判をかわし、自治体の再開発事業への出店を有利に進めていった。
しかしバブル景気の崩壊により、土地の値上がりを前提として銀行から融資を引き出し、出店した店舗を担保に次の出店のための融資を得るというサイクルが崩れ、巨艦店を出店し規模で他店を圧倒して地域一番店を目指すという「大艦巨砲主義」的モデルに翳りが差した。そのため経営破綻直前の1990年代後半には、再開発事業で出店予定していた店舗の計画中止が相次ぐこととなった。
海外展開においても、アジアへの出店では日本人観光客よりも、地元の消費者を狙う戦略で出店している。実際に、香港そごうでは約85%、台湾太平洋そごうでは約95%が地元客といわれ、地元密着の百貨店となった[8]。
経営破綻と政治問題化
[編集]2000年(平成12年)7月12日、山田恭一社長は記者会見にて「再建計画を断念し、民事再生法の下で再建を図ることになった」と発表した。これにより、当時は小売業として過去最大規模となる約1兆8,700億円の負債を抱え、事実上倒産した[9][11]。これは1999年(平成11年)12月22日に民事再生法が公布されて以来、大企業としては初となる申請となった。
その前夜の7月11日、全国のそごう店舗の代表者が東京に集まり、深夜まで対応策が協議された[12]。各店舗を経営する地域子会社は、そごう本体と同じく自主再建を考えていたが、結果的に全社が自主再建を放棄し、民事再生法の申請を行うことで一致した[12]。
同年10月25日には、民事再生法の適用を申請した22社のうち、9社の再建を断念し、残る13社は株式会社十合を受け皿会社として合併し、1社に統合して再建を目指す再生計画案を東京地方裁判所に提出した[13]。そごうグループ全社が民事再生法の適用を受けたのではなく、経営状態などの相違により特別清算や自己破産となった法人もあった[9]。
そごうは土地の値上がりを見込み、銀行融資を受けて積極的に出店していたが、バブル崩壊によりこのビジネスモデルが破綻した。また平成不況による消費の低迷に加え、1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災で神戸店が被災し、本館が半壊して経営に打撃を受けたことも破綻の一要因となった。
経営破綻後のそごうは、西武百貨店元社長の和田繁明を特別顧問に招聘した[9]。長い間休眠子会社であった株式会社十合を持株会社化の上、株式会社ミレニアムリテイリングに商号変更、2003年(平成15年)にはミレニアムリテイリングによる経営統合を実現した。その後、2005年(平成17年)には、ミレニアムリテイリングをセブン&アイ・ホールディングスが買収した。
2009年(平成21年)8月1日、そごうを存続会社として、西武百貨店とミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更した。同月末、赤字が続いたそごう心斎橋本店を閉店して、創業の地・大阪市中央区を離れた。
そごう債権問題
[編集]そごうの自主再建断念の背景には、1998年に日本興業銀行と並ぶメインバンクであった日本長期信用銀行(長銀、現:新生銀行)が経営破綻したことが挙げられる。破綻後、長銀は一時国有化を経てリップルウッドを中心とする投資組合に売却されたのだが、この際に不良債権について、譲渡後3年間に2割以上の損失があると認定された場合には、融資時の金額までの損失を預金保険機構が補填する仕組みとなる瑕疵担保条項の適用という特約が付けられた[9]。
そのため、同行が債権放棄を受け入れることについては金融再生委員会と預金保険機構が関連することになり、「そごうへの債権を放棄して一企業に税金を注ぎ込むとは何事か」という批判が巻き起こり、当社の再建策は政治問題化することになった[14]。
当時の森内閣は、同年6月25日の総選挙直後で支持率が低迷していたことから批判に耐えられないとして、同年7月11日に亀井静香自民党政調会長(当時)は山田恭一そごう社長に対し、そごうの債権放棄を認めることが困難であることを電話で伝え、それを前提とした自主再建案の断念を迫った[14]。亀井からの要求を受け、そごうは自主再建を断念[14]。翌7月12日に株式会社そごう(上場企業)とそごうグループの主要企業が民事再生法を申請した[14]。
結果的に瑕疵担保条項適用分は、他の不良債権と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて再建の流れが公になることで、政治問題として決着がつくとされた。この問題は当時「そごう問題」「そごう債権問題」などと呼ばれた。
複雑な資本関係
[編集]株式会社そごう(初代)が運営していた直営店舗は、大阪店と神戸店、東京店のみであった[9]。それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は地元からの出資、株式会社そごう、千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社、水島が個人で出資する場合など、資本関係は極めて複雑なものとなっていた[9]。
また、グループ各社間で貸付金や債務保証も行われていたため[9]、経営破綻時の各社の負債総額は、運営する店舗の業績とは必ずしも一致していなかった。
- 株式会社千葉そごう - 6.70%
- 株式会社日本興業銀行 - 4.99%
- そごう従業員持株会 - 3.44%
- 野村証券株式会社 - 2.76%
- 日本生命保険相互会社 - 2.65%
- そごう共栄会 - 2.01%
- 東洋信託銀行株式会社 - 1.85%
- 全国共済農業協同組合連合会 - 1.60%
- 株式会社七博 - 1.40%
- 安田信託銀行株式会社(金融信託指定単口) - 1.39%
- 第一生命保険相互会社 - 1.33%
グループ各社の負債額
[編集]2000年の経営破綻時の主な負債額は以下のとおり。
- そごう(上場していた本体) 約6891億円[9]
- 千葉そごう(千葉市) 約4054億円[9]
- 新千葉そごう(千葉市) 約953億円[9]
- 広島そごう(広島市) 約3282億円[9]
- 広島そごう新館(広島市) 約545億円[9]
- 横浜そごう(横浜市) 約1955億円[9]
- 柏そごう(柏市) 約1238億円[9]
- 奈良そごう(奈良市) 約1231億円[9]
- 大宮そごう(大宮市) 約774億円[9]
- 福山そごう(福山市) 約742億円[9]
- 川口そごう(川口市) 約736億円[9]
- 小倉そごう(北九州市) 約673億円[9]
- 船橋そごう(船橋市) 約666億円[9]
- 徳島そごう(徳島市) 約662億円[9]
- 多摩そごう(多摩市) 約553億円(特別清算)[9]
- 八王子そごう(八王子市) 約503億円[9]
- 札幌そごう(札幌市) 約496億円[9]
- 豊田そごう(豊田市) 約496億円[9]
- そごう物産(東京都港区) 約398億円(自己破産)[9]
- 加古川そごう(加古川市) 約361億円[9]
- 黒崎そごう(北九州市) 約321億円[9]
- 錦糸町そごう(東京都墨田区) 約303億円[9]
- 西神そごう(神戸市) 約240億円[9]
- 呉そごう(呉市) 約236億円[9]
- 木更津そごう(木更津市) 約230億円(自己破産)[9]
- 長野そごう(長野市) 約95億円(自己破産)[9]
沿革
[編集]創業 - 終戦まで
[編集]- 1830年(天保元年) - 十合伊兵衛が、大坂の坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業[2]。
- 1876年(明治9年) - 安堂寺橋通に移転。
- 1877年(明治10年) - 大阪の心斎橋筋に大和屋を移転すると共に十合呉服店へ改称する[2]。
- 1919年(大正8年)12月20日 - 資本金10万円で株式会社十合呉服店設立[15]。
- 1933年(昭和8年) 10月1日- 神戸支店、元町より三宮阪神ビル(現在の神戸阪急の地)に移転、新築開店[2]。
- 1935年(昭和10年) - 村野藤吾設計のモダニズム建築の傑作、大阪本店が御堂筋とともに竣工(2003年(平成15年)解体)。
- 1940年(昭和15年)4月 - 株式会社十合と商号変更[15]。
終戦 - 1950年代
[編集]- 1946年(昭和21年)7月 - 大阪本店がアメリカ進駐軍に接収される[15]。
- 1949年(昭和24年) - 大証一部上場。
- 1952年(昭和27年)
- 1957年(昭和32年)5月25日 - 東京地区初の店舗として、国鉄有楽町駅前の読売会館にそごう東京店(通称:有楽町そごう)を開店[5]。
- 1958年(昭和33年) - 水島廣雄が入社、副社長に就任。
1960年代
[編集]- 1961年(昭和36年) - 東証一部上場。
- 1962年(昭和37年) - 水島廣雄が社長に就任。
- 1966年(昭和41年)10月28日 - 株式会社千葉そごう設立[16]。株式の大半を水島廣雄が保有したため、株式会社そごうの連結対象外企業であった。
- 1967年(昭和42年)3月21日 - 千葉そごう開店。
- 1969年(昭和44年) - 法人改組50周年を機に株式会社そごうに商号変更。
1970年代
[編集]- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)2月15日 - 株式会社廣島そごう設立[18]。
- 1973年(昭和48年)
- 10月10日 - 柏そごう開店。
- 11月2日 - 株式会社札幌そごう設立[2]。
- 1977年(昭和52年)
- 10月21日 - 株式会社黒崎そごう設立。
- 12月 - 木更津の地方百貨店サカモトとの資本提携により「サカモトそごう」設立。
- 1978年(昭和53年)- 株式会社船橋そごう設立。
- 1979年(昭和54年)- 株式会社徳島そごう設立。
1980年代
[編集]- 1981年(昭和56年)- 株式会社大宮そごう設立。
- 4月2日 - 船橋そごう開店。ららぽーとTOKYO-BAY西館への出店。
- 1982年(昭和57年)- 株式会社八王子そごう設立。長野市の地方百貨店「丸光」と資本提携により「丸光そごう」設立。
- 1983年(昭和58年)
- 4月15日 - 東京ディズニーランドの開園と共に、アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーに就任。
- 6月30日 - 長野そごう(丸光そごう)開店。
- 9月6日 - 株式会社川口そごう設立。
- 10月1日 - 徳島そごう開店[24]。
- 11月1日 - 八王子そごう開店[25](現:セレオ八王子)。
- 1984年(昭和59年)
- 11月21日 - 株式会社奈良そごう設立。
- 1985年(昭和60年)9月30日 - 横浜そごう開店[8]。毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」を横浜そごうに設置し運用開始。
- 1986年
- 1987年(昭和62年)
- 3月27日 - 大宮そごう開店。
- 5月 - 長野そごうリニューアル時に「丸光そごう」から株式会社長野そごうへ社名変更。
- 9月26日 - 株式会社呉そごう設立。
- 1988年(昭和63年)- 株式会社加古川そごう設立。株式会社多摩そごう設立。株式会社福山そごう設立。株式会社小倉そごう設立。
- 北千住駅前再開発で、北千住そごう出店を発表(のちに出店を断念、現:マルイ北千住)。
- 3月 - 木更津そごう開店(現:スパークルシティ木更津)、運営会社のサカモトそごうを株式会社木更津そごうに商号変更。
- 10月8日 - 豊田そごう開店。
- 1989年(平成元年)- 株式会社茂原そごう設立。
1990年代
[編集]- 1990年(平成2年)- 株式会社西神そごう設立。
- 1991年(平成3年)- 株式会社錦糸町そごう設立。
- 1992年(平成4年) - 千葉そごう新築開店に伴い、同店舗運営会社として株式会社新千葉そごうを設立。
- 3月7日 - 茂原そごう開店(現:南総サンヴェルプラザ)。
- 3月 - JR東日本との共同計画[33]で出店を予定していた「JR東日本幕張そごう」の計画を白紙撤回し出店を断念。幕張新都心のJR海浜幕張駅南側に約330億円を投じて地上9階建てのビルを建設し出店する計画だったが、採算性に問題があるとして計画を撤回した[33]。当初の計画では1996年(平成8年)春に開店予定であった。
- 4月[34]29日 - 福山そごう開店。
- 6月 - 経営悪化により、横浜そごう新館(新・横浜スカイビル[21])への出店を凍結(計画は自然消滅、現:マルイシティ横浜)。
- 6月7日 - 柚木そごう開店[25]。南大沢駅前の再開発ビル「ガレリア・ユギ」に忠実屋フランツと共に出店。
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)- 水島廣雄が社長を退任、会長に就任[31]。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)- 橋本そごうの出店契約を解約し、正式に出店を断念[27](現:イオン橋本店)。
- 1997年(平成9年)
2000年代
[編集]- 2000年(平成12年)- 水島廣雄が会長を辞任。
- 2月29日 - 茂原そごう閉店。
- 7月12日 - 株式会社そごうなどグループ22法人が民事再生法の適用を申請し事実上倒産。負債総額1兆8,700億円。また同日、多摩そごうが特別清算開始を申請。半数以上の店舗を閉鎖。
- 7月13日 - 木更津そごう・長野そごう、自己破産申立。
- 7月26日 - 民事再生手続開始決定。元西武百貨店社長・和田繁明を特別顧問に迎える。
- 9月24日 - 東京店(現・ビックカメラ有楽町店)を閉店。
- 12月25日 - 大阪店を閉店。この閉店自体は民事再生法の適用申請前(水島時代)に決定していたが、閉店の目的については、和田を始めとする新経営陣が「撤退のためではなく、そごう発祥の地にふさわしい店舗として再生させるため」へ方針転換した。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)
- 5月31日 - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修して開店させる「心斎橋本店」を、同年9月7日に開店することを発表。
- 6月13日 - 本社機能と登記上の本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた横浜市から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市に移転。
- 8月2日 - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、約1300台分の駐車場を確保することを発表。このうち、自前で確保した駐車場が274台分、他の1030台分はクリスタ長堀との契約により確保した。
- 9月7日 - 心斎橋本店が新装開店。開店記念のCMに宮沢りえを起用。
- 10月12日 - 伊勢丹出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に株式会社そごう臨時株主総会にて取締役に選任。
- 12月26日 - ミレニアムリテイリングの和田繁明から、買収防衛策のためにセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りできないか鈴木敏文に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。
- 2006年(平成18年)6月1日 - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。
- 2008年(平成20年)
- 4月15日 - 装置の老朽化及び東京ディズニーリゾートの「イッツ・ア・スモールワールド」「ドックサイドステージ」のスポンサー契約終了に伴い各店舗の正面口外壁に設置されていた、毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」の運用を、設置していた全店舗で終了。翌日より時計および鐘のみとなる。[要出典]
- 9月 - 呉店をブランチ化、広島店と外商・企画部門などを統合。
- 2009年(平成21年)
- 2014年(平成26年)7月28日 - 水島廣雄が102歳で死去[41][42][43]。
- 2019年(令和元年)10月1日 - 既に阪急阪神東宝グループのエイチ・ツー・オー リテイリングに譲渡されていた神戸店、阪急百貨店(阪急阪神百貨店運営)の神戸阪急となる(実際の営業は5日から)。経営破綻前の直営店は消滅[44]。
店舗
[編集]プロ野球球団の応援セール
[編集]有楽町そごうが閉店するまでは読売ジャイアンツの応援セールを行っていたが、これは入居する建物(読売会館)の建物所有者が読売グループであることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は三越を経て三越伊勢丹ホールディングス傘下の各社(三越伊勢丹とジェイアール西日本伊勢丹など)に引き継がれた。
なお、そごう・西武となった後は「西武」ブランドの店舗(旧ロビンソン百貨店を含む)と同様、埼玉西武ライオンズの応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗は、ライオンズの地元埼玉県にある大宮・川口の2店舗が基本的に対象である。かつては埼玉県を商圏に含む店舗も対象であり、柏(2015年まで)・八王子(2010年まで)もセール対象だった。2018年は大宮・川口に加えて横浜、千葉、西神、徳島の各店が対象となった。しかし横浜は2019年の西武優勝セールは実施せず横浜DeNAベイスターズの応援セールに回った。
一方、地元球団がある場合はジャイアンツや西武ライオンズではなく、地元球団の優勝セールが優先される。広島そごう(現:そごう広島店)は、広島東洋カープが優勝した際に優勝セールを行っている。2008年まで同球団の本拠地だった旧広島市民球場は徒歩圏内にあった。そごう神戸店では阪急阪神東宝グループの阪急阪神百貨店への移管以前より、三宮阪神ビルに入居している関係や地域性もあり、阪神タイガースの優勝時にセールを実施していた[45]。また、阪急東宝グループ(当時)の球団売却後には、神戸に拠点があったオリックス・ブルーウェーブの優勝セールも行ったことがある(1995・1996年。このときは神戸市内の同業他社(大丸神戸店・ハーバーランド時代の神戸阪急)も参入した)。
世界の人形時計
[編集]東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーだったそごうの一部店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形とともに、テーマ曲の「小さな世界」を演奏するからくり時計「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。
設計は乃村工藝社、製造はセイコーが行った。
1985年(昭和60年)に開業した横浜そごうを皮切りに、一部の新規店舗・既存店舗に国内店舗全19基、海外店舗全4台の計23基が設置された。
ほとんどの店舗で屋外に面した入口、または地下のメインエントランス部分に設置されていたが、大阪店や奈良そごうのようにフロア壁面に設置された物もある。
人形の修繕工事は定期的に実施され、最初に導入した横浜そごうでは2006年(平成18年)に最後の修繕工事を行った。
最盛期(1994年6月の千葉店への設置から同年10月の柚木そごう閉店までと、1996年の神戸店設置から2000年2月の茂原そごう閉店まで)には国内で最大18基が稼働していた。民事再生後の2008年4月時点では10基に減っていた。
運営会社が2006年にセブン&アイホールディングス傘下に入ったのち、2008年(平成20年)4月15日、老朽化を理由に全店舗でからくりの演出を終了した。
公式ホームページ上では、そごう横浜店の項目内に4月16日付けでからくり機能終了のリリースが掲載されたほか、朝日新聞大阪本社版、神戸新聞でも相次いで時計の話題が報道された。なお、4月15日は東京ディズニーランド開園25周年の記念日でもあった。
この対応はそごうがアトラクションのスポンサー契約を解除したことが本来の理由だが、観覧に来ていた来店客に対しては、
「世界の人形時計」は来たる4月15日(火)、営業時間終了時をもって終了させていただくことになりました。 |
おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。 |
と書かれた告知が時計の傍らに貼り出された。
以降そごう・西武の管理する時計は「鐘の鳴る大時計」として運用されている。
世界の人形時計の演出終了について、民事再生前の株式会社そごう出身で、そごう・西武の販売促進部長やセブン&アイHLDGS関連会社の取締役などを歴任した実業家の原田良治は、
「 | これを見て自殺をとどまったホームレスの方もいらっしゃいました。あの時もう少し上司に食い下がれば残せたかもと、後悔の念は消えません。 | 」 |
—Twitterの投稿より |
と述懐している[46]。
そごうの撤退後に別の商業施設へ転換した店舗でも、そのまま通常の時計として作動させている施設が見受けられる。
海外店舗では、そごう・西武が商標を貸与している遠東SOGOの一部店舗で香港ディズニーランドにおけるイッツ・ア・スモールワールドのスポンサー契約を開始したことから、継続してからくりの演出が披露されている。
-
西神店(2020年3月)
-
西神店、からくり演出中(2008年2月)
-
横浜店(2015年8月)
-
横浜店、最後のからくり演出後(2008年4月15日)
-
神戸店(2019年8月)
-
千葉店
(2021年3月) -
柏店(2009年8月)
-
徳島店(2011年5月)
-
茂原そごう(2013年2月)
-
廣三SOGO(2009年12月)
-
忠孝店
2008年に香港ディズニーランドの仕様へ改修後(2008年11月)
設置店舗
[編集]- 正方形(5×5マス)型の設置店舗は○
- 正方形(4×4マス)型の設置店舗は●
- 長方形(横)形の設置店舗は△
- 長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲
記号 | 店舗 | 設置番号 | 設置年月 | 備考 | 現状 |
---|---|---|---|---|---|
○ | 横浜そごう | 1号機 | 1985年9月 | 初号機のため鐘の音色が異なる。 | 鐘の鳴る大時計 |
広島そごう | 4号機[注釈 4] | 1988年11月 | 既存店への設置。 | 鐘の鳴る大時計 | |
奈良そごう | 6号機[注釈 5] | 1989年10月 | 現在のミ・ナーラ | ボルダリングの壁面に転用。 | |
多摩そごう | 7号機[注釈 6] | 1989年10月 | 現在のココリア多摩センター | 撤去 | |
呉そごう | 8号機[注釈 7] | 1990年3月 | 建物解体により撤去 | 撤去 | |
西神そごう | 9号機[注釈 8] | 1990年10月 | 現:エキソアレ西神中央 | 鐘の鳴る大時計 | |
徳島そごう | 10号機[注釈 9] | 1990年10月 | 既存店への設置。 現:アミコ東館 |
撤去 | |
川口そごう | 11号機[注釈 10] | 1991年10月 | 鐘は時計上部に設置。 閉鎖 |
鐘の鳴る大時計 | |
心斎橋そごう | 12号機[注釈 11] | 1991年11月 | 既存店への設置。 建て替え後の心斎橋本店には設置されず。 |
2003年に施設解体 | |
福山そごう | 13号機[注釈 12] | 1992年4月 | 現:リムふくやま(Ichi・setouchi) | 撤去 | |
茂原そごう | 14号機[注釈 13] | 1992年3月 | 現:南総サンヴェルプラザ | 盤面の数字と針は撤去 | |
柚木そごう | 15号機[注釈 14] | 1992年6月 | 現:ガレリア・ユギ | 撤去 | |
豊田そごう | 16号機[注釈 15] | 1992年11月 | 既存店への設置。 現:T・FACE |
撤去 | |
柏そごう | 17号機[注釈 16] | 1992年12月 | 既存店への設置。 時計も停止 |
停止 | |
● | 大宮そごう | 2号機 | 1987年3月 | 鐘の鳴る大時計 | |
加古川そごう | 5号機[注釈 17] | 1989年9月 | 現:カピル21 | 撤去 | |
△ | 小倉そごう | 18号機[注釈 18] | 1993年10月 | 現:セントシティ | 撤去 |
千葉そごう | 19号機[注釈 19] | 1994年6月 | 鐘の鳴る大時計 | ||
そごう神戸店 | 21号機[注釈 20] | 1996年4月 | 既存店への設置。2階「サンファーレ広場」に設置。 現:神戸阪急 |
鐘の鳴る大時計 |
記号 | 店舗 | 設置番号 | 設置年月 | 備考 | 現状 |
---|---|---|---|---|---|
○ | 台中廣三店 | 20号機[注釈 21] | 1995年11月 | 海外店舗で唯一の正方形タイプ(正方形5×5マス型の最終機) | 世界の人形時計 |
▲ | 台北忠孝館 | 3号機[注釈 22] | 1987年11月 | 海外店舗では初の人形時計。設置当初は登場する人形の数が6体だったが、その後6体増やされて12体になっているほか、配置も変更されている(人形が増やされた時期は不明)。 | 世界の人形時計 |
高雄店 | 22号機[注釈 23] | 1996年9月 | 台湾では3機目の人形時計。高雄の個体のみ人形の配置が台北、中壢とは異なる。 | 世界の人形時計 | |
中壢元化館 | 23号機[注釈 24] | 1998年9月 | 台湾に設置、人形時計における最終機。 | 世界の人形時計 |
また、クアラルンプールそごう店にはワールドクロックというからくり時計があった。世界地図が模された文字盤が 5 つに分かれてそれぞれ反転し、12 体の人形(1 列 3 体)とツリー上に設置された複数のカリヨンが登場する。現在は撤去されており、音楽は不明。ベゼル部分には 6 ヶ国の時刻を表示するデジタル式液晶の世界時計が搭載されている。
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル ガイアの夜明け 西武・そごう 再生への365日(2006年9月26日、テレビ東京)[47]。- 百貨店再生請負人 和田繁明の改革に365日密着。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ そごう・西武発足直前の本社所在地は東京都千代田区二番町5番地25(二番町センタービル、そごう・西武の2022年までの本社所在地と同じ)
- ^ そごう・西武発足直前の本社郵便番号は〒102-0084
- ^ 21世紀になって、類似のマークが環境運動家などによって絶滅マーク(extinction symbol)として使われているが、これは地球と砂時計を模したもので、そごうのロゴとは無関係である。
- ^ 日本では3号機。
- ^ 日本では5号機。
- ^ 日本では6号機。
- ^ 日本では7号機。
- ^ 日本では8号機。
- ^ 日本では9号機。
- ^ 日本では10号機。
- ^ 日本では11号機。
- ^ 日本では12号機。
- ^ 日本では13号機。
- ^ 日本では14号機。
- ^ 日本では15号機。
- ^ 日本では16号機、日本の店舗における正方形5×5タイプの最終機。
- ^ 日本では4号機。
- ^ 日本では17号機。
- ^ 日本では18号機。
- ^ 日本では19号機、日本国内では最後の設置。
- ^ 台湾では2号機。
- ^ 台湾では1号機。
- ^ 台湾では3号機。
- ^ 台湾では4号機。
出典
[編集]- ^ a b c “そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び”. 東洋経済オンライン (2019年12月20日). 2024年2月19日閲覧。
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- ^ 旧そごう水島廣雄元会長 102歳になっても師と慕われていた NEWSポストセブン、小学館、2014年8月22日、2021年2月27日閲覧。
- ^ “旧そごうの水島広雄元会長死去 日本一から破綻へ 102歳”. MSN産経ニュース. (2014年8月21日). オリジナルの2014年8月21日時点におけるアーカイブ。 2014年8月21日閲覧。
- ^ “そごう元会長の水島広雄氏が死去 グループ拡大、破綻招き有罪確定”. 47NEWS (共同通信). (2014年8月21日). オリジナルの2014年8月24日時点におけるアーカイブ。 2014年11月11日閲覧。
- ^ “新生 神戸阪急について” (PDF). 2019年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月15日閲覧。
- ^ “INAC神戸、優勝なら神戸で「Vセール」実施”. スポーツニッポン. (2010年10月30日) 2017年1月22日閲覧。
- ^ https://twitter.com/omnihansoku/status/711313835412434944
- ^ 西武・そごう 再生への365日 - テレビ東京 2006年9月26日
参考文献
[編集]- 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。
- 山森俊彦『そごうの全貌 「水島軍団」一兆円への挑戦』ストアーズ社、1980年5月。
- 山森俊彦『そごう怒涛の大航海―「水島そごう」日本一への出帆』デパートニューズ社、1988年1月。ISBN 978-4915293009
- 山森俊彦『そごう さらに壮大なる未来へ』デパートニューズ社(ストアーズ選書)、1992年3月。ISBN 978-4915293085
- 佐藤正忠『「そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月。ISBN 978-4766702514
- 東京商工リサーチ情報部『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』エイチアンドアイ、2000年11月。ISBN 978-4901032315
- 産経新聞取材班『ブランドはなぜ墜ちたか 雪印、そごう、三菱自動車 事件の深層』角川書店、2001年1月。ISBN 978-4048836517
- 日本経済新聞社編『ドキュメントそごう解体 裁かれる「バブル経営」』日本経済新聞出版社、2001年1月。ISBN 978-4532148911
- 江波戸哲夫『神様の墜落 〈そごうと興銀〉の失われた10年』新潮社、2003年8月。ISBN 978-4104459025
関連項目
[編集]- そごうの店舗一覧
- 水島廣雄
- セブン&アイ・ホールディングス
- 心斎橋 / ミナミ
- 読売会館
- 有楽町で逢いましょう - 1957年(昭和32年)にフランク永井が歌った流行歌。翌1958年(昭和33年)には大映で映画化された。元はそごう東京店開店時のキャッチコピー。
- 東京ディズニーリゾート - 東京ディズニーランドは開園当時(1983年(昭和58年)4月15日)、東京ディズニーシーは2003年(平成15年)4月12日から2008年(平成20年)4月15日まで、以下の施設のスポンサーをつとめていたが、現在は撤退している。
- 東京ディズニーランド - イッツ・ア・スモールワールド
- 東京ディズニーシー - ドックサイドステージ
- 丸物 - 近鉄百貨店の前身の一つで、共同配送など提携を行っていた。旧・そごう大阪店のように村野藤吾による建築があり、社長(こちらは中林仁一郎)による多店舗展開の結果、不振の本店を含む大半の店舗が閉鎖・同業他社などへの売却に追い込まれ、創業の地(大阪・京都)から撤退などの共通点もある。
- パルコ - 池袋の店舗を運営した「東京丸物」をファッションビルに業態転換し、西武百貨店とともにセゾングループを構成した。神戸・心斎橋で当社のライバルだった大丸を中心とするJ.フロント リテイリング傘下に入った後、そごう心斎橋本店跡地(大丸心斎橋店 北館)へ心斎橋パルコを出店した。