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山田恭一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - 2010年7月2日)は、日本経営者そごう社長を務めた。

生涯

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兵庫県神戸市出身[1]旧制松山高等学校を経て[2]京都大学農学部水産学科へ入学した。在学中は学生運動を行っていた一方、同じ大学・学部の出身者という縁で李登輝と接点を持つことになる。

1952年に大学を卒業し、そごうに入社[1]そごう神戸店(現在の神戸阪急)に配属後、7年ほど東京店を中心に新人研修など人事を担当していた。1964年に神戸店に復帰後、1970年4月に取締役に就任した。神戸店に戻る際、水島廣雄に将来のため神戸店を何とかするよう言われたところから、水島はサラリーマン経営者ながらロマンに情熱を燃やす男であり、将来の人のためを思っていると感じた[3]1975年に常務取締役神戸店長、後に、専務取締役神戸店長となった。この間、1971年(昭和46年)には相次ぐ増床に合わせて大阪店の外商売上を神戸店に計上したことで大丸神戸店を上回る地域一番店になり、1985年(昭和60年)には「ケイ・エスビル」へも入居し、関西でも有数の規模の面積になった。

1988年5月に副社長に就任し、神戸店のみならず西神そごう(別法人)や加古川そごう、京都大学の同窓・李登輝が総統を務める台湾中華民国)での太平洋そごう(現在の遠東SOGO)出店に取り組んだ。1995年(平成7年)には阪神・淡路大震災に被災した神戸店の早期復興のため、崩壊部分を減築した部分建て替えを決断する。この成果もあり、病気の岩村榮一社長に代わり、1999年4月に社長に就任[1][4]

2010年7月2日肺炎により、死去[5]。82歳没。

脚注

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  1. ^ a b c 興信データ株式會社 1999, や151頁.
  2. ^ 神戸っ子対談/古林喜楽・山田恭一(月刊神戸っ子1968年9月号)” (PDF). 2022年10月9日閲覧。
  3. ^ そごう -地域密着・地域貢献の経営-
  4. ^ 1999年 4月21日 日本経済新聞 朝刊 p15
  5. ^ 山田恭一・元そごう(現そごう・西武)社長が死去2010年 7月6日 日本経済新聞

参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第40版 下』興信データ、1999年。 

関連項目

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