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「エミール=オーギュスト・シャルティエ」の版間の差分

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{{Infobox 作家
'''エミール=オーギュスト・シャルティエ'''(Emile-Auguste Chartier, [[1868年]][[3月3日]] - [[1951年]][[6月2日]])は[[フランス]]の[[哲学者]]。'''アラン''' ('''Alain''') というペンネームで知られる。[[ノルマンディー]]地方の[[モルターニュ=オー=ペルシュ]]生まれ。[[エコール・ノルマル・シュペリウール]]卒業後、[[リセ]]の教師となる。
| name = エミール=オーギュスト・シャルティエ
過去の偉大な哲学者達の思想と彼独自の思想を絶妙に絡み合わせた彼の哲学講義は、学生に絶大な支持を受け、彼の教え子達の中からは、後の哲学者が多く輩出されている。女流哲学者の[[シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)|シモーヌ・ヴェイユ]]は彼の教え子。
| image = Émile Chartier portrait.jpg
[[ルーアン]]のリセで教えていた時に、アラン名義で「デペーシュ・ド・ルーアン (Dépêche de Rouen)」紙にコラム「プロポ (propos)」を寄稿し始める。
| caption = アラン(1931年)
| pseudonym = アラン(Alain)
| birth_name = Emile-Auguste Chartier
| birth_date = {{生年月日と年齢|1868|3|3|no}}
| birth_place = {{FRA1852}} [[ノルマンディー]]・[[モルターニュ=オー=ペルシュ]]
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1868|3|3|1951|6|2}}
| death_place = {{FRA1946}} [[ル・ヴェジネ]]
| resting_place = [[ペール・ラシェーズ墓地]]
| occupation = [[教員|教師]]、[[哲学者]]、[[評論家]]、[[モラリスト]]
| alma_mater = [[パリ高等師範学校]]
| genre = [[美学]]、[[哲学]]、[[政治学]]、[[教育学]]
| notable_works = 『{{仮リンク|幸福論 (アラン)|fr|Propos sur le bonheur}}』([[1925年]])
| spouse = <!--配偶者-->
| partner = <!--結婚していない仕事のパートナー(親族など)-->
| children = <!--子供の人数を記入。子供の中に著名な人物がいればその名前を記入する-->
| influences = [[アリストテレス]]、[[プラトン]]、[[バールーフ・デ・スピノザ]]、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]、[[イマヌエル・カント]]、[[ルネ・デカルト]]、[[ジャン=ジャック・ルソー]]、[[オーギュスト・コント]]、[[スタンダール]]、[[オノレ・ド・バルザック]]、[[チャールズ・ディケンズ]]、[[シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ]]、[[エルネスト・ルナン]]、[[ジュール・ラニョー]]、{{仮リンク|フェルナン・ブリュンティエール|en|Ferdinand Brunetière}}、[[イポリット・テーヌ]]<ref>順不同。なおフランスの哲学者、文学史家の[[イポリット・テーヌ]]は後にアランより軽蔑された。</ref>
| influenced = [[アンドレ・モーロワ]]、[[シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)|シモーヌ・ヴェイユ]]、[[レイモン・アロン]]、[[ジョルジュ・カンギレム]]、[[ジュリアン・グラック]]、[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]、[[米山優]]
| awards = <!--主な受賞歴-->
| debut_works = <!--処女作-->
| signature = <!--署名・サイン-->
}}
[[ファイル:Jules Lagneau.jpg|thumb|200px|アランが影響を受けた[[ジュール・ラニョー]]]]
[[ファイル:AndreMaurois.JPG|thumb|190px|アランの影響を受けた[[アンドレ・モーロワ]]]]
'''アラン'''({{Lang-fr|Alain}})こと'''エミール=オーギュスト・シャルティエ'''({{Lang-fr|Émile-Auguste Chartier}}, [[1868年]][[3月3日]] - [[1951年]][[6月2日]])は、[[フランス帝国]]([[フランス第二帝政]])[[ノルマンディー]]・[[モルターニュ=オー=ペルシュ]]出身の[[哲学者]]、[[評論家]]、[[モラリスト]]<ref name="kojien">[[広辞苑]](第六版)では、アランの項目は人生哲学者・モラリストと記述されている(p.97)。</ref>{{sfn|岩波小辞典 哲学|1965|p=3}}<ref>哲学研究者の[[所雄章]]は『岩波 哲学・思想事典』([[廣松渉]]、[[子安宣邦]]、[[三島憲一]]、[[宮本久雄]]、[[佐々木力]]、[[野家啓一]]、[[末木文美士]]編、岩波書店、1998年刊)にて「哲学者というよりは「モラリスト」」と説明がされている。</ref>。


[[ペンネーム]]の'''アラン'''は、フランス中世の[[詩人]]、[[作家]]である{{仮リンク|アラン・シャルティエ|en|Alain Chartier}}に由来する{{sfn|万有百科大事典 1 文学|1973|p=25}}{{sfn|大日本百科事典|1967|p=497}}。
平和主義と反戦思想を持ちながら、46歳で、[[第一次世界大戦]]に志願して従軍。3年後に除隊してアンリ四世校の教職に戻る。


[[1925年]]に著された『{{仮リンク|幸福論 (アラン)|label=幸福論|fr|Propos sur le bonheur}}』で名高いが、哲学者や評論家としても活動し、[[アンリ・ベルクソン]]や[[ポール・ヴァレリー]]と並んで<ref name="kotoba">[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3-27900 アランとは] - [[コトバンク]]、2014年4月16日閲覧。</ref>合理的[[ヒューマニズム]]の思想は[[20世紀]]前半フランスの思想に大きな影響を与えた{{sfn|グランド現代百科事典|1983|p=55}}。
65歳で教職を退職し、83歳で亡くなるまで執筆活動を続けた。


体系化を嫌い、具体的な物を目の前にして語ろうとしたのがアランの手法で{{sfn|万有百科大事典 4 哲学・宗教|1974|p=15}}、[[理性主義]]の立場から芸術、道徳、教育などの様々な問題を論じた<ref name="kojien"></ref>。フランス文学者の[[桑原武夫]]は「アランの一生は優れた「教師」の一生であったと言えよう」と評している{{sfn|世界大百科事典|1972|p=466}}。また、アランの弟子で同国出身の小説家、評論家である[[アンドレ・モーロワ]]は[[1949年]]にアランの[[伝記]]や教えをまとめた『アラン(''Alain'')』の中で、アランを「'''現代の[[ソクラテス]]'''」と評している{{sfn|世界文化大百科事典|1971|p=217}}。
== 著作 ==
※ごく一部である。
* ''Quatre-vingt-un chapitres sur l’Esprit et les Passions'' (1917年, 邦題『精神と情念に関する81章』) <br> [[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]訳、[[東京創元社|創元ライブラリー文庫]]と、『小林秀雄全作品8巻』 [[新潮社]]
* ''le Système des beaux-arts'' (1920年, 邦題『諸芸術の体系』) [[長谷川宏]]訳、[[光文社古典新訳文庫]]ほか
* ''Mars ou la guerre jugée'' (1921年, 邦題『裁かれた戦争』) 白井成雄訳、[[小沢書店]]・絶版
* ''Esquisses de l'homme'' (1927年, 邦題『人間論』) [[原亨吉]]訳、白水社
* ''Propos sur le bonheur'' (1928年, 邦題『幸福論』) 神谷幹夫訳、[[岩波文庫]]/ 白井健三郎訳、[[集英社文庫]]ほか
*''Definitions'' (遺稿, 邦題『定義集』) 神谷幹夫訳、岩波文庫/ [[森有正]]訳、[[みすず書房]]
*※まとまった訳書には、『アラン著作集』([[白水社]]全10巻)と、『プロポ Ⅰ.Ⅱ』([[山崎庸一郎]]訳、[[みすず書房]])がある。
*他に〈訳書新版〉は、『文学のプロポ・芸術論集』 [[杉本秀太郎]]訳、[[中公クラシックス]]/ 『プラトンに関する十一章 』[[森進一 (大学教授)|森進一訳]]、[[ちくま学芸文庫]]等、多数刊行。


== 生涯 ==
{{Philos-stub}}
1868年3月3日、フランス帝国ノルマンディー地方(現:[[オルヌ県]]モルターニュ=オー=ペルシュ)に生まれる。{{仮リンク|リセ・ミシュレ|fr|Lycée Michelet (Vanves)}}や[[エコール・ノルマル・シュペリウール]]に[[入学]]し、[[哲学]]を[[専攻]]した{{sfn|世界大百科事典|1972|p=466}}。学生時代、哲学の面では[[カント]]や[[ヘーゲル]]、[[スピノザ]]、[[アリストテレス]]、[[プラトン]]などの影響を受け{{sfn|新潮 世界文学小辞典|1971|p=33}}、文学の面では[[バルザック]]や[[スタンダール]]を好んで読み{{sfn|万有百科大事典 1 文学|1973|p=25}}、[[批評]]の面では[[サント=ブーヴ]]や[[ルナン]]、{{仮リンク|フェルナン・ブリュンティエール|en|Ferdinand Brunetière}}の影響を受けた。特にリセ・ミシュレで[[教員|教師]]を務めていた[[合理主義哲学]]の立場を取った[[ジュール・ラニョー]]の講義を受け、後々まで大きな影響を受けた{{sfn|新潮 世界文学小辞典|1971|p=33}}。
{{Academic-bio-stub}}

{{DEFAULTSORT:しやるていえ えみいるおおきゆすと}}
卒業後[[ポンティヴィ]]や[[ロリアン]]、[[ルーアン]]に位置するコルネイユ高等学校などの[[リセ]]で教師を務めた。[[1909年]]から{{仮リンク|アンリ4世高等学校|en|Lycée Henri-IV}}に哲学を教える教師として務めた{{sfn|世界大百科事典|1972|p=466}}。なおコルネイユ高等学校の教え子に同国出身の評論家アンドレ・モーロワが居た。モーロワは、後にアランの[[伝記]]・教えをまとめ『アラン(''Alain'')』を[[1949年]]に出版<ref>訳書は佐貫健訳でみすず書房(初版1964年、新版1979年ほか)</ref>。モーロワ『アラン』によると、アランは「偉大な書物の中には必ず哲学がある」との信念に基づき、[[ホメロス]]やバルザックの本を読ませたという記述がある{{sfn|万有百科大事典 1 文学|1973|p=25}}。過去の偉大な哲学者達の思想とアラン独自の思想を絡み合わせた哲学講義は学生に絶大な支持を受け、[[レイモン・アロン]]や[[ジョルジュ・カンギレム]]、[[シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)|シモーヌ・ヴェイユ]]、[[ジュリアン・グラック]]などの作家・学者・思想家を輩出した。

[[ドレフュス事件]]に関する文を著したのがアラン最初の[[ジャーナリスト]]の経験で[[急進主義]]的な文章を著した{{sfn|世界文化大百科事典|1971|p=217}}。アランというペンネームを持ち始めたのはルーアンで教師を務めていた[[1903年]]頃で、アラン名義でルーアンの『デペーシュ・ド・ルーアン (''Dépêche de Rouen'')』紙に週に一回、[[文学]]や[[美学]]、[[教育]]、[[政治]]に関する短い[[エッセイ]]形式の[[コラム]]「プロポ (''propos'')」を寄稿し始め、このコラムによって文名を博した{{sfn|大日本百科事典|1967|p=497}}。

[[第一次世界大戦]]が始まると46歳で自ら願い出て[[志願兵]]となり、戦争の愚劣さを体験するために好んで危険な[[戦線|前線]]に従軍した{{sfn|世界文化大百科事典|1971|p=217}}。戦争が終わり、除隊後の[[1921年]]に戦時中体験した出来事を綴った『マルス、または裁かれた戦争(''Mars ou la guerre jugée'')』を著したが、愛国者の怒りを買った{{sfn|万有百科大事典 1 文学|1973|p=25}}{{sfn|万有百科大事典 4 哲学・宗教|1974|p=15}}。再びアンリ4世高等学校に戻り、[[1933年]]頃まで教師を務めた。また、[[1937年]]に[[出版]]された『大戦の思い出(''Souvenirs de guerre'')』も『マルス、または裁かれた戦争』と同じく戦時中体験した出来事を綴った本である。なお[[1920年]]に出版された『芸術論』は戦時中に草稿が書かれた{{sfn|新潮 世界文学小辞典|1971|p=33}}。

教師を退職した後は亡くなるまで執筆活動を続けた。1951年6月2日にフランスの[[ル・ヴェジネ]]にて83歳で没した。

== 業績 ==
[[1920年]]刊行の『芸術論集』で、芸術霊感説を否定し、芸術とは[[理性]]と[[意志]]とが素材を克服し、想像力に統制を加える事だと考えた{{sfn|世界大百科事典|1972|p=466}}。また、著書『イデー』に於いてデカルトについて「心身問題については今もなおデカルト以上に優れた教師は見当たらぬ」と評している{{sfn|野田|1983|p=162}}。冒頭で書いた通り、アランは新しい哲学体系などの体系化を嫌い、過去の哲学者や思想家の優れた意見の特色を示し、人間理性の[[良識]]としての高貴さを評価した。アランの人生哲学は[[プラグマティズム]]の思想とは異なり、「良く判断することは善く行為することである」として、人間は自身が強く意志することによってのみ救われるといった[[オプティミズム]]で貫かれていると考えた{{sfn|世界大百科事典|1972|p=466}}。

== 著作(主著) ==
* {{lang|fr|''Quatre-vingt-un chapitres sur l’Esprit et les Passions''}}(1917年)。邦題『精神と情熱とに関する八十一章』
**[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]訳、新版・[[東京創元社|創元ライブラリー文庫]]。新潮社「小林秀雄全作品8」
* ''le Système des beaux-arts''(1920年)。『諸芸術の体系』 [[長谷川宏]]訳、[[光文社古典新訳文庫]]
* ''Mars ou la guerre jugée''(1921年)。『裁かれた戦争』 [[白井成雄]]訳、[[小沢書店]]
* ''Esquisses de l'homme''(1927年)。『人間論』 [[原亨吉]]訳、白水社
* ''Les idées et les âges''(1927年)。『思想と年齢』 原亨吉訳、角川文庫
* ''Propos sur le bonheur''(1928年)。『幸福論』 [[神谷幹夫]]訳、[[岩波文庫]]/[[白井健三郎]]訳、[[集英社文庫]]
* ''Histoire de mes pensées''(1936年)。『わが思索のあと』 神谷幹夫訳、岩波書店、2022年
* ''Définitions''(遺稿)。『定義集』 神谷幹夫訳、岩波文庫/[[森有正]]訳、[[みすず書房]]

===訳書一覧===
*『散文論』[[桑原武夫]]訳 作品社 1933年
*『精神と情熱とに関する八十一章』小林秀雄訳 創元社 1936年、のち角川文庫、創元選書ほか
*『教育論』[[水野成夫]]・[[浅野晃]]共訳 創元社 1938年
**『教育論』水野成夫・矢島剛一共訳 酣灯社 1949年
*『スタンダアル』[[大岡昇平]]訳 創元社 1939年
*『大戦の思い出』岡倉正雄訳 鱒書房 1939年
*『文学語録』[[片山敏彦]]訳 創元社 1939年
**『文学論』片山敏彦訳 創元社 1950年 のち新潮文庫
*『幸福論』[[石川湧]]訳 万里閣 1940年 のち[[角川文庫]]、新版・[[角川ソフィア文庫]]
**『幸福論』[[松平斉光]]訳 三笠文庫 1953年
**『幸福論』[[宗左近]]訳 社会思想社・現代教養文庫 1965年。中公クラシックス 2016年
**『幸福論』[[大木健]]訳 評論社 1972年
**『幸福論』[[白井健三郎]]訳 集英社文庫 1991年。旧版は旺文社文庫。「世界教養全集 5」平凡社 1961年
**『幸福論』神谷幹夫訳 [[岩波文庫]] 1998年
**『幸福論』村井章子訳 日経BP 2014年
**『アランの幸福論』齋藤慎子訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007年
**『絵本アランの幸福論』[[合田正人]]訳 PHPエディターズ・グループ 2012年
**『よくわかるアランの幸福論』[[上之二郎]]訳 笠倉出版社 2012年
*『バルザック』[[小西茂也]]訳 創元社 1940年
**『バルザック論』[[岩瀬孝]]・[[加藤尚宏]]訳 冬樹社 1968年
*『芸術論集』桑原武夫訳 岩波書店 1941年
**『諸芸術の体系』岩波書店(改訳)1978年
*『人間論』[[鈴木清 (教育学者)|鈴木清]]訳 白水社 1941年
**『人間論』[[井沢義雄]]訳 角川文庫 1963年
*『信仰についての談話』[[松浪信三郎]]訳 青山出版社 1942年。のち「信仰について」角川文庫 1962年
**『宗教論』松浪信三郎訳 角川書店 1950年
*『情念について』小西茂也訳 白水社 1942年
*『知慧について』岡倉正雄訳 日本出版社 1943年
*『デカルト』桑原武夫・[[野田又夫]]訳 筑摩書房 1944年
**『デカルト』 みすず書房(改訳)1971年、新版1998年
*『わが思索のあと』[[森有正]]訳 筑摩書房 1944年、思索社 1949年。[[中公文庫]] 2018年
*『アラン 家族の感情』串田孫一ほか訳 風間書房 1946年
*『プラトンに関する十一章』[[武者小路実光]]訳 日本社 1948年
*『思想 哲学入門 第1 プラトン・デカルト』[[吉田秀和]]訳 アルス 1949年
*『哲学入門 思想 下 ヘエゲル・コント』同 アルス 1951年
*『暴力の敗退』武者小路実光訳 創元社 1949年
*『マルス 裁かれた戦争』加藤昇一郎・串田孫一訳 思索社 1950年
*『芸術二十講』[[市原豊太]]・[[吉川逸治]]訳 河出書房 1951年、のち河出版「教養全集」
*『海辺の対話 悟性の探求』[[原亨吉]]訳 角川文庫 1953年
*『音楽家訪問』古賀照一訳 ダヴィッド社 1954年
**『音楽家訪問 ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ』[[杉本秀太郎]]訳 岩波文庫 1980年
*『思想と年齢』原亨吉訳 角川文庫 1955年
*『神々』井沢義雄訳 彌生書房 1956年、のち新版
*『'''アラン著作集'''』白水社 全8巻 1960年、新版・全10巻 1980年-1981年、復刊1997年
**1 思索と行動のために [[中村雄二郎]]訳。改訂新版「哲学講義」 2012年
**2 幸福論 串田孫一・中村雄二郎訳。新版はイデー選書・白水Uブックスほか多数 
**3 情念について 古賀照一訳/新版「感情・情念・表徴」
**4 人間論 原亨吉訳。新版・単行判 2007年ほか多数
**5 芸術について [[矢内原伊作]]・[[安藤元雄]]訳/新版「芸術についての二十講」 安藤元雄訳
**6 イデー 哲学入門 渡辺秀訳
**7 教育論 [[八木冕]]訳
**8 文学折りにふれて 杉本秀太郎訳
**9 宗教論 渡辺秀訳
**10 わが思索のあと [[田島節夫]]訳(旧版では第8巻)
*『人生語録』井沢義雄・杉本秀太郎訳 彌生書房 1960年、のち新版
*『芸術に関する101章』[[斎藤正二]]訳「世界教養全集 12」平凡社 1962年
*『アラン文学論集』杉本秀太郎訳 白水社 1964年。改訳版「著作集8 文学折りにふれて」
**『芸術論集 文学のプロポ』 桑原武夫訳+杉本秀太郎訳 [[中公クラシックス]] 2002年。抜粋編訳
*『アラン人生論集』串田孫一編 白水社 1968年、新装復刊1996年。著作集からの抜粋編訳
*『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳 [[彌生書房]] 1970年、改版1988年
*『考えるために』[[仲沢紀雄]]訳 小沢書店 1978年
*『アラン 経済随筆』橋田和道訳 筑摩書房 1980年
*『ラニョーの思い出』中村弘訳 [[筑摩書房]] 1980年
*『児童教育論』松島鈞訳 明治図書出版〈世界教育学選集〉1981年
*『アランの「エチュード」』高村昌憲訳 創新社 1984年
*『裁かれた戦争』白井成雄訳 [[小沢書店]] 1986年
*『プラトンに関する十一章』[[森進一 (哲学者)|森進一]]訳 筑摩書房〈筑摩叢書〉1988年。ちくま学芸文庫 2010年
*『定義集』森有正訳、[[所雄章]]編 みすず書房 1988年、新装版2019年
**『定義集』神谷幹夫訳 岩波文庫 2003年
**『アラン『定義集』講義』[[幻戯書房]] 2018年。米山優:完訳と詳細な注解
*『スピノザに倣いて』神谷幹夫訳 平凡社 1994年
*『アラン 教育随筆』橋田和道訳 [[論創社]] 1999年
*『プロポ 1』 [[山崎庸一郎]]訳 みすず書房 2000年。全138篇(1906年-1924年)
*『プロポ 2』 同 みすず書房 2003年。全130篇(1925年-1936年)
*『四季をめぐる51のプロポ』神谷幹夫編訳 岩波文庫 2002年
*『アラン、カントについて書く』神谷幹夫編訳 [[知泉書館]] 2003年
*『アラン 芸術について』山崎庸一郎編訳 みすず書房〈[[大人の本棚]]〉 2004年
*『アラン初期プロポ集 propos 1906-1914』高村昌憲訳 [[土曜美術社出版販売]] 2005年
*『芸術の体系』[[長谷川宏]]訳 [[光文社古典新訳文庫]] 2008年
*『小さな哲学史』橋本由美子訳 みすず書房 2008年
*『芸術論20講』長谷川宏訳 光文社古典新訳文庫 2015年
*『生きること信じること』神谷幹夫編訳 岩波書店 2015年

== 脚注 ==
{{reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=谷長茂|authorlink=谷長茂|others=[[高津春繁]]、[[手塚富雄]]、[[西脇順三郎]]、[[久松潜一]]監修、相賀徹夫 発行|title=万有百科大事典 1 文学|origdate=1973-8-10|url=|format=|accessdate=|edition=初版|date=|publisher=[[小学館]]|series=[[日本大百科全書]]|language=}}
* {{Cite book|和書|author=伊藤勝彦|authorlink=伊藤勝彦|others=[[岩崎武雄]]、[[中村元 (哲学者)|中村元]]、[[古川哲史]]、[[堀一郎]]監修、相賀徹夫 発行|title=万有百科大事典 4 哲学・宗教|origdate=1974-1-20|url=|format=|accessdate=|edition=初版|date=|publisher=[[小学館]]|series=日本大百科全書|language=}}
* {{Cite book|和書|author=根津憲三|authorlink=根津憲三|editor=澤田嘉一|editor-link=澤田嘉一|title=大日本百科事典 1 あーいけ|origdate=1967-11-20|others=|format=|edition=|date=|publisher=[[小学館]]|location=|series=[[日本大百科全書]]|language=}}
* {{Cite book|和書|author=桑原武夫|authorlink=桑原武夫|coauthors=|editor=林達夫|editor-link=林達夫|others=|title=世界大百科事典 1 アーアン|origdate=1972-4|url=|format=|accessdate=|edition=1972年版|date=|publisher=[[平凡社]]|location=|series=[[世界大百科事典]]|language=}}
* {{Cite book|和書|author=鬼丸吉弘|authorlink=鬼丸吉弘|coauthors=|editor=鈴木泰二|editor-link=鈴木泰二|others=|title=グランド現代百科事典 2 アメリカシーイチノタ|origdate=1983-6-1|url=|format=|accessdate=|edition=|date=|publisher=[[学習研究社]]|location=|series=|language=}}
* {{Cite book|和書|author=|authorlink=著作者不明|coauthors=|editor=鈴木勤|editor-link=鈴木勤|others=|title=世界文化大百科事典 1 アーウチワ|origdate=1971|url=|format=|accessdate=|edition=|date=|publisher=[[世界文化社]]|location=|series=|language=}}
* {{Cite book|和書|author=中村雄二郎|authorlink=中村雄二郎|others=[[伊藤整]]、[[河盛好蔵]]、[[高津春繁]]、[[佐藤朔]]、[[高橋義孝]]、[[手塚富雄]]、[[中野好夫]]、[[中村光夫]]、[[西川正身]]、[[吉川幸次郎]]編集委員、[[佐藤亮一 (実業家)|佐藤亮一]] 発行|title=新潮 世界文学小辞典|origdate=1971-3-10|url=|format=|accessdate=|edition=初版第2刷|date=|publisher=[[新潮社]]|location=|series=|language=}}
* {{Cite book|和書|author1=林達夫|authorlink1=林達夫|author2=野田又夫|authorlink2=野田又夫|author3=久野収|authorlink3=久野収|author4=山崎正一|authorlink4=山崎正一|author5=串田孫一 監修|authorlink5=串田孫一|authorlink=|others=[[下中邦彦]] 発行|title=哲学事典|origdate=1973-8-20|url=|format=|accessdate=|edition=初版第4刷|date=|publisher=[[平凡社]]|location=|series=|language=}}
* {{Cite book|和書|editor1=粟田賢三|editor1-link=粟田賢三|editor2=古在由重|editor2-link=古在由重|authorlink=|coauthors=|others=[[岩波雄二郎]] 発行|title=岩波小辞典 哲学|origdate=1965-8-10|url=|format=|accessdate=|edition=初版第10刷|date=|publisher=[[岩波書店]]|location=|series=|language=}}
* {{Cite book|和書|author1=野田又夫|authorlink1=野田又夫|coauthors=|others=緑川亨 発行|editor-link=|title=デカルト|origdate=1966|url=|format=|accessdate=|edition=初版第23刷|date=1983-1-20|publisher=[[岩波新書]]|series=|language=}}

== 外部リンク ==
*[http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20120330/230401/ 毎日読むアラン『幸福論』] - [[日経ビジネスオンライン]]
{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:しやるていえ えみいる おおきゆすと}}
[[Category:フランスの哲学者]]
[[Category:フランスの哲学者]]
[[Category:フランスの評論家]]
[[Category:高等師範学校 (パリ)出身の人物]]
[[Category:オルヌ県出身の人物]]
[[Category:オルヌ県出身の人物]]
[[Category:1868年生]]
[[Category:1868年生]]

2024年12月1日 (日) 08:22時点における最新版

エミール=オーギュスト・シャルティエ
アラン(1931年)
ペンネーム アラン(Alain)
誕生 Emile-Auguste Chartier
(1868-03-03) 1868年3月3日
フランスの旗 フランス帝国 ノルマンディーモルターニュ=オー=ペルシュ
死没 (1951-06-02) 1951年6月2日(83歳没)
フランスの旗 フランス ル・ヴェジネ
墓地 ペール・ラシェーズ墓地
職業 教師哲学者評論家モラリスト
最終学歴 パリ高等師範学校
ジャンル 美学哲学政治学教育学
代表作幸福論 (アラン)フランス語版』(1925年
ウィキポータル 文学
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アランが影響を受けたジュール・ラニョー
アランの影響を受けたアンドレ・モーロワ

アランフランス語: Alain)ことエミール=オーギュスト・シャルティエフランス語: Émile-Auguste Chartier, 1868年3月3日 - 1951年6月2日)は、フランス帝国フランス第二帝政ノルマンディーモルターニュ=オー=ペルシュ出身の哲学者評論家モラリスト[2][3][4]

ペンネームアランは、フランス中世の詩人作家であるアラン・シャルティエ英語版に由来する[5][6]

1925年に著された『幸福論フランス語版』で名高いが、哲学者や評論家としても活動し、アンリ・ベルクソンポール・ヴァレリーと並んで[7]合理的ヒューマニズムの思想は20世紀前半フランスの思想に大きな影響を与えた[8]

体系化を嫌い、具体的な物を目の前にして語ろうとしたのがアランの手法で[9]理性主義の立場から芸術、道徳、教育などの様々な問題を論じた[2]。フランス文学者の桑原武夫は「アランの一生は優れた「教師」の一生であったと言えよう」と評している[10]。また、アランの弟子で同国出身の小説家、評論家であるアンドレ・モーロワ1949年にアランの伝記や教えをまとめた『アラン(Alain)』の中で、アランを「現代のソクラテス」と評している[11]

生涯

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1868年3月3日、フランス帝国ノルマンディー地方(現:オルヌ県モルターニュ=オー=ペルシュ)に生まれる。リセ・ミシュレフランス語版エコール・ノルマル・シュペリウール入学し、哲学専攻した[10]。学生時代、哲学の面ではカントヘーゲルスピノザアリストテレスプラトンなどの影響を受け[12]、文学の面ではバルザックスタンダールを好んで読み[5]批評の面ではサント=ブーヴルナンフェルナン・ブリュンティエール英語版の影響を受けた。特にリセ・ミシュレで教師を務めていた合理主義哲学の立場を取ったジュール・ラニョーの講義を受け、後々まで大きな影響を受けた[12]

卒業後ポンティヴィロリアンルーアンに位置するコルネイユ高等学校などのリセで教師を務めた。1909年からアンリ4世高等学校英語版に哲学を教える教師として務めた[10]。なおコルネイユ高等学校の教え子に同国出身の評論家アンドレ・モーロワが居た。モーロワは、後にアランの伝記・教えをまとめ『アラン(Alain)』を1949年に出版[13]。モーロワ『アラン』によると、アランは「偉大な書物の中には必ず哲学がある」との信念に基づき、ホメロスやバルザックの本を読ませたという記述がある[5]。過去の偉大な哲学者達の思想とアラン独自の思想を絡み合わせた哲学講義は学生に絶大な支持を受け、レイモン・アロンジョルジュ・カンギレムシモーヌ・ヴェイユジュリアン・グラックなどの作家・学者・思想家を輩出した。

ドレフュス事件に関する文を著したのがアラン最初のジャーナリストの経験で急進主義的な文章を著した[11]。アランというペンネームを持ち始めたのはルーアンで教師を務めていた1903年頃で、アラン名義でルーアンの『デペーシュ・ド・ルーアン (Dépêche de Rouen)』紙に週に一回、文学美学教育政治に関する短いエッセイ形式のコラム「プロポ (propos)」を寄稿し始め、このコラムによって文名を博した[6]

第一次世界大戦が始まると46歳で自ら願い出て志願兵となり、戦争の愚劣さを体験するために好んで危険な前線に従軍した[11]。戦争が終わり、除隊後の1921年に戦時中体験した出来事を綴った『マルス、または裁かれた戦争(Mars ou la guerre jugée)』を著したが、愛国者の怒りを買った[5][9]。再びアンリ4世高等学校に戻り、1933年頃まで教師を務めた。また、1937年出版された『大戦の思い出(Souvenirs de guerre)』も『マルス、または裁かれた戦争』と同じく戦時中体験した出来事を綴った本である。なお1920年に出版された『芸術論』は戦時中に草稿が書かれた[12]

教師を退職した後は亡くなるまで執筆活動を続けた。1951年6月2日にフランスのル・ヴェジネにて83歳で没した。

業績

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1920年刊行の『芸術論集』で、芸術霊感説を否定し、芸術とは理性意志とが素材を克服し、想像力に統制を加える事だと考えた[10]。また、著書『イデー』に於いてデカルトについて「心身問題については今もなおデカルト以上に優れた教師は見当たらぬ」と評している[14]。冒頭で書いた通り、アランは新しい哲学体系などの体系化を嫌い、過去の哲学者や思想家の優れた意見の特色を示し、人間理性の良識としての高貴さを評価した。アランの人生哲学はプラグマティズムの思想とは異なり、「良く判断することは善く行為することである」として、人間は自身が強く意志することによってのみ救われるといったオプティミズムで貫かれていると考えた[10]

著作(主著)

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訳書一覧

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  • 『散文論』桑原武夫訳 作品社 1933年
  • 『精神と情熱とに関する八十一章』小林秀雄訳 創元社 1936年、のち角川文庫、創元選書ほか
  • 『教育論』水野成夫浅野晃共訳 創元社 1938年
    • 『教育論』水野成夫・矢島剛一共訳 酣灯社 1949年
  • 『スタンダアル』大岡昇平訳 創元社 1939年
  • 『大戦の思い出』岡倉正雄訳 鱒書房 1939年
  • 『文学語録』片山敏彦訳 創元社 1939年
    • 『文学論』片山敏彦訳 創元社 1950年 のち新潮文庫
  • 『幸福論』石川湧訳 万里閣 1940年 のち角川文庫、新版・角川ソフィア文庫
    • 『幸福論』松平斉光訳 三笠文庫 1953年
    • 『幸福論』宗左近訳 社会思想社・現代教養文庫 1965年。中公クラシックス 2016年
    • 『幸福論』大木健訳 評論社 1972年
    • 『幸福論』白井健三郎訳 集英社文庫 1991年。旧版は旺文社文庫。「世界教養全集 5」平凡社 1961年
    • 『幸福論』神谷幹夫訳 岩波文庫 1998年
    • 『幸福論』村井章子訳 日経BP 2014年
    • 『アランの幸福論』齋藤慎子訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007年
    • 『絵本アランの幸福論』合田正人訳 PHPエディターズ・グループ 2012年
    • 『よくわかるアランの幸福論』上之二郎訳 笠倉出版社 2012年
  • 『バルザック』小西茂也訳 創元社 1940年
  • 『芸術論集』桑原武夫訳 岩波書店 1941年
    • 『諸芸術の体系』岩波書店(改訳)1978年
  • 『人間論』鈴木清訳 白水社 1941年
  • 『信仰についての談話』松浪信三郎訳 青山出版社 1942年。のち「信仰について」角川文庫 1962年
    • 『宗教論』松浪信三郎訳 角川書店 1950年
  • 『情念について』小西茂也訳 白水社 1942年
  • 『知慧について』岡倉正雄訳 日本出版社 1943年
  • 『デカルト』桑原武夫・野田又夫訳 筑摩書房 1944年
    • 『デカルト』 みすず書房(改訳)1971年、新版1998年
  • 『わが思索のあと』森有正訳 筑摩書房 1944年、思索社 1949年。中公文庫 2018年
  • 『アラン 家族の感情』串田孫一ほか訳 風間書房 1946年
  • 『プラトンに関する十一章』武者小路実光訳 日本社 1948年
  • 『思想 哲学入門 第1 プラトン・デカルト』吉田秀和訳 アルス 1949年
  • 『哲学入門 思想 下 ヘエゲル・コント』同 アルス 1951年
  • 『暴力の敗退』武者小路実光訳 創元社 1949年
  • 『マルス 裁かれた戦争』加藤昇一郎・串田孫一訳 思索社 1950年
  • 『芸術二十講』市原豊太吉川逸治訳 河出書房 1951年、のち河出版「教養全集」
  • 『海辺の対話 悟性の探求』原亨吉訳 角川文庫 1953年
  • 『音楽家訪問』古賀照一訳 ダヴィッド社 1954年
    • 『音楽家訪問 ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ』杉本秀太郎訳 岩波文庫 1980年
  • 『思想と年齢』原亨吉訳 角川文庫 1955年
  • 『神々』井沢義雄訳 彌生書房 1956年、のち新版
  • アラン著作集』白水社 全8巻 1960年、新版・全10巻 1980年-1981年、復刊1997年
    • 1 思索と行動のために 中村雄二郎訳。改訂新版「哲学講義」 2012年
    • 2 幸福論 串田孫一・中村雄二郎訳。新版はイデー選書・白水Uブックスほか多数 
    • 3 情念について 古賀照一訳/新版「感情・情念・表徴」
    • 4 人間論 原亨吉訳。新版・単行判 2007年ほか多数
    • 5 芸術について 矢内原伊作安藤元雄訳/新版「芸術についての二十講」 安藤元雄訳
    • 6 イデー 哲学入門 渡辺秀訳
    • 7 教育論 八木冕
    • 8 文学折りにふれて 杉本秀太郎訳
    • 9 宗教論 渡辺秀訳
    • 10 わが思索のあと 田島節夫訳(旧版では第8巻)
  • 『人生語録』井沢義雄・杉本秀太郎訳 彌生書房 1960年、のち新版
  • 『芸術に関する101章』斎藤正二訳「世界教養全集 12」平凡社 1962年
  • 『アラン文学論集』杉本秀太郎訳 白水社 1964年。改訳版「著作集8 文学折りにふれて」
    • 『芸術論集 文学のプロポ』 桑原武夫訳+杉本秀太郎訳 中公クラシックス 2002年。抜粋編訳
  • 『アラン人生論集』串田孫一編 白水社 1968年、新装復刊1996年。著作集からの抜粋編訳
  • 『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳 彌生書房 1970年、改版1988年
  • 『考えるために』仲沢紀雄訳 小沢書店 1978年
  • 『アラン 経済随筆』橋田和道訳 筑摩書房 1980年
  • 『ラニョーの思い出』中村弘訳 筑摩書房 1980年
  • 『児童教育論』松島鈞訳 明治図書出版〈世界教育学選集〉1981年
  • 『アランの「エチュード」』高村昌憲訳 創新社 1984年
  • 『裁かれた戦争』白井成雄訳 小沢書店 1986年
  • 『プラトンに関する十一章』森進一訳 筑摩書房〈筑摩叢書〉1988年。ちくま学芸文庫 2010年
  • 『定義集』森有正訳、所雄章編 みすず書房 1988年、新装版2019年
    • 『定義集』神谷幹夫訳 岩波文庫 2003年
    • 『アラン『定義集』講義』幻戯書房 2018年。米山優:完訳と詳細な注解
  • 『スピノザに倣いて』神谷幹夫訳 平凡社 1994年
  • 『アラン 教育随筆』橋田和道訳 論創社 1999年
  • 『プロポ 1』 山崎庸一郎訳 みすず書房 2000年。全138篇(1906年-1924年)
  • 『プロポ 2』 同 みすず書房 2003年。全130篇(1925年-1936年)
  • 『四季をめぐる51のプロポ』神谷幹夫編訳 岩波文庫 2002年
  • 『アラン、カントについて書く』神谷幹夫編訳 知泉書館 2003年
  • 『アラン 芸術について』山崎庸一郎編訳 みすず書房〈大人の本棚〉 2004年
  • 『アラン初期プロポ集 propos 1906-1914』高村昌憲訳 土曜美術社出版販売 2005年
  • 『芸術の体系』長谷川宏光文社古典新訳文庫 2008年
  • 『小さな哲学史』橋本由美子訳 みすず書房 2008年
  • 『芸術論20講』長谷川宏訳 光文社古典新訳文庫 2015年
  • 『生きること信じること』神谷幹夫編訳 岩波書店 2015年

脚注

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  1. ^ 順不同。なおフランスの哲学者、文学史家のイポリット・テーヌは後にアランより軽蔑された。
  2. ^ a b 広辞苑(第六版)では、アランの項目は人生哲学者・モラリストと記述されている(p.97)。
  3. ^ 岩波小辞典 哲学 1965, p. 3.
  4. ^ 哲学研究者の所雄章は『岩波 哲学・思想事典』(廣松渉子安宣邦三島憲一宮本久雄佐々木力野家啓一末木文美士編、岩波書店、1998年刊)にて「哲学者というよりは「モラリスト」」と説明がされている。
  5. ^ a b c d 万有百科大事典 1 文学 1973, p. 25.
  6. ^ a b 大日本百科事典 1967, p. 497.
  7. ^ アランとは - コトバンク、2014年4月16日閲覧。
  8. ^ グランド現代百科事典 1983, p. 55.
  9. ^ a b 万有百科大事典 4 哲学・宗教 1974, p. 15.
  10. ^ a b c d e 世界大百科事典 1972, p. 466.
  11. ^ a b c 世界文化大百科事典 1971, p. 217.
  12. ^ a b c 新潮 世界文学小辞典 1971, p. 33.
  13. ^ 訳書は佐貫健訳でみすず書房(初版1964年、新版1979年ほか)
  14. ^ 野田 1983, p. 162.

参考文献

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外部リンク

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