「軌間」の版間の差分
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[[File:Gauge EN.svg|thumb|right|300px|軌間]] |
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'''軌間'''(きかん)は、[[鉄道]]の[[線路 (鉄道)|線路]]を構成する左右の[[軌条 |
'''軌間'''(きかん)は、[[鉄道]]の[[線路 (鉄道)|線路]]を構成する左右の[[軌条]](レール)の間隔である。'''ゲージ'''({{Lang-en|Gauge}})ともいう。軌条には幅があるため、軌条頭部の内側の最短距離と規定される(詳しくは後述)。 |
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軌間は鉄道の機能・能力に関わる重要な要素であり、また軌間の異なる鉄道の間では通常は直通運転は不可能である<ref name="Aoki2008_43-44"/>。世界で最も普及している軌間は1435 mm(4[[フィート]]<ref group="注釈">1フィートの長さは地域により異なった。以下では特に断らない限り[[イングランド]]や[[アメリカ合衆国]]のフィート(1フィート=12インチ=0.3048 m)を意味する。</ref>8 1/2[[インチ]])で、[[標準軌]]と呼ばれる。標準軌より広い軌間を[[広軌]]、狭いものを[[狭軌]]と呼ぶ。日本で多い狭軌は、在来線でよく使われる1067 mmである。軌間を変更することは[[改軌]]と呼ばれる。しかし、改軌は周辺のものに大きく影響があり費用も莫大なため、余程の理由がない限り行われない。 |
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== 概要 == |
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鉄道の草創期には、[[軌条|双頭レール]]などレールの断面形状が現代のそれと異なる事もあり、レールの中心間寸法を軌間とした例も多数存在する。これらは、現代の測定法に変更する際に、車両設備に一切手を加えることなく、公称する軌間を変更することにより対応している。また[[ヤード・ポンド法|フィートインチ法]]から、[[メートル法]]へ単位系の切り替えの際の四捨五入の考え方の違いで、派生した軌間も存在する。 |
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曲線部では、車輪のすべてが、曲線の中心を向くことができないのと、車輪の[[フランジ]]が軌条に接触することなく走行できるようにするため、内側の軌条を曲心側に若干広げて、軌条の間隔を所定の軌間より広げて車輪を円滑に走行できるようにしており、この拡幅を[[線形 (路線)#その他|スラック]](拡度)と呼んでいる。曲線半径が600 m以下の場合において設けられるが、その設定幅は曲線半径、台車の固定軸距、軌間などの数値や実験値等から計算され、曲線半径のランクにより5 mm刻みに設定されており、大きな値をとってしまうと脱線の危険が生まれてしまうため、最大値で30 mmとしている。また、曲線半径が600 m以上においても2 mm以下のスラックが設けられる場合がある<ref name="AMM_26"/>。 |
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軌間の変更、すなわちレールの間隔を変更することは'''[[改軌]]'''(かいき)と呼ばれる。 |
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== 定義 == |
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{{Wide image|Gauge EN.svg|300px|軌間}} |
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軌間の正確な定義には、レールの頭部上面から一定の長さだけ下がった位置での左右のレール内側面の距離とするものと、上面から一定の範囲内でのレール内面の最短距離とするものがあり、国や地域などによって若干の差異がある<ref name="MW_5"/>。 |
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* [[日本]] - レール上面から鉛直方向に16 mm以内の最短内面距離<ref name="Aoki2008_43-44"/>。 |
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* [[アメリカ合衆国]](アメリカ鉄道技術協会) - レール上面から15.875 mm(5/8インチ)下がった位置での内面距離<ref name="MW_5"/>。 |
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* [[スペイン]] - レール上面から14.5 mm(±5 mm)下の位置での内面距離<ref name="Alvarez_16"/>。 |
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[[19世紀]]後半の[[フランス]]と[[イタリア]]では、レール中心の間隔を基準として定めていた。この場合軌間はレールの幅によって変わってしまうことになる<ref name="Puffert_172-173"/><ref name="Puffert_175"/>。 |
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== 歴史 == |
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=== 標準軌の起源とゲージ戦争 === |
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[[File:Killingworth-locomotive.jpg|thumb|キリングワースの機関車]] |
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現代において[[標準軌]]とされる4フィート8.5インチ軌間の起源は、イングランド北東部の{{仮リンク|キリングワース|en|Killingworth}}炭鉱の馬車鉄道で用いられていた4フィート8インチ軌間である<ref name="Aoki2008_43-44"/>。なおキリングワースの車輪間隔の起源をさらに[[古代ローマ]]の馬車にまで遡ることができるとする説<ref>{{Citation|和書|title=鉄道の地理学|author=[[青木栄一 (地理学者)|青木栄一]]|publisher=[[WAVE出版]]|year=2008 |
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|page=44|isbn=978-4-87290-376-8|ref=}}</ref>もあったが後に否定されている<ref>{{cite journal|title=Standard gauge originated with a roman chariot |url=https://d18je8rbmgt7gi.cloudfront.net/bbs/data/tprr6/img/37_0a6df23371.png |publisher= |journal=[[トレインズ]] |page=25 |date=2009年7月号 }}</ref>。[[1814年]]、[[ジョージ・スティーヴンソン]]がこの炭鉱鉄道のために[[蒸気機関車]]を製造した<ref name="Oka_5-8"/>。スティーブンソンはその後他の炭鉱向けにも機関車を製造し、[[1823年]]には[[ロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニー]]を設立したが、ここで製造された機関車も同じ軌間で設計されていた。スティーブンソンは、各地の鉄道で同じ軌間を使ったほうが機関車や諸設備の量産に都合がよく、また将来これらの鉄道が相互に接続された時にも便利であると考えていた<ref name="Oka_3-5"/>。[[1825年]]に[[ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道]]で公共用の鉄道として初めて蒸気機関車が使われ、[[1830年]]には世界初の蒸気機関車による旅客用鉄道である[[リバプール・アンド・マンチェスター鉄道]]が開業した。これらの鉄道でもスティーブンソンの機関車が用いられた<ref name="Oka_5-8"/>。ただし、軌間はこの途中のいずれかの段階で半インチ拡大されて4フィート8.5インチとなっている<ref name="Oka_5-8"/>。 |
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その後もスティーヴンソンらの関わった鉄道では4フィート8 1/2インチ軌間が採用されたが、蒸気機関車を用いた鉄道で馬車由来の軌間を用いる必然性はなく、より広い軌間のほうがよいと考える技術者も多かった。代表的な例が[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]であり、[[グレート・ウェスタン鉄道]]において7フィート1/4インチ(2140 mm)という広軌を採用した<ref name="Aoki2008_45-47"/>。ブルネルは、グレート・ウェスタン鉄道がスティーヴンソンの4フィート8 1/2インチ軌間の鉄道と接続する必要はないとして、異なる軌間でも特に問題はないと考えていた<ref name="Puffert_63"/>。ブルネルほど極端ではないにしろ、1830年代から40年代には5フィートから6フィート程度の様々な広軌鉄道が現れており、イングランドでもグレート・ウェスタン鉄道に追従して1836年にイースタンカウンティー鉄道が7フィート1/4インチ軌間にしようと試みたが技師長のブレイスウェスト<ref group="注釈">[[レインヒル・トライアル]]に出場したノベリティ号製作者ジョン・ブレイスウェイト。</ref>によって5フィート軌間を勧められどちらとも違う軌間を始めた(後に標準軌に改軌)<ref name="Puffert_53"/><ref name="広軌をどう見たか">[[#齋藤2007|(齋藤2007)p.72-73「第5章 シングルドライバー」]]</ref>。 |
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[[File:Break of gauge GWR Gloucester.jpg|thumb|グロスターでの乗り換えを風刺した絵]] |
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ただし、こうした異なる軌間が路線を拡大した結果[[1844年]]に[[グロスター]]において4フィート8 1/2インチ軌間と7フィート1/4インチ軌間の鉄道ははじめて接し、これにより軌間が異なると直通運転ができないという弊害が顕在化した<ref name="Oka_8-9"/>。軌間をどちらに統一すべきかは「ゲージ戦争(Battle of the gauges)」と呼ばれる激しい論争となった。1845年、王立委員会は広軌の技術的な優位は認めつつ、その差はわずかであり<ref name="Aoki2008_45-47"/>、路線長の長い4フィート8 1/2インチ軌間に統一するのが好ましいと勧告した。翌[[1846年]]に制定された軌間法により、[[グレートブリテン島]]の新規路線は原則として4フィート8 1/2インチの軌間で建設されることになった<ref name="Aoki2008_45-47"/>。 |
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この規定はスコットランド(5フィート6インチ軌間の「アブローズ~フォーファー」の路線が先行して施設されていた)にも適用され、安全上などの理由で広軌を求める声もあったが陸続きである以上4フィート8.5インチ軌間を受け入れることになった。ただし、[[アイルランド]]の鉄道は、グレートブリテン島とは海で隔てられているため共通の軌間を用いる必要はないとして、5フィート3インチ(1600 mm)が標準とされた<ref name="Oka_48-49"/>。(時系列的に少々戻るがアイルランドは1834年に軌間4フィート8 1/2インチで最初の鉄道が施設、その後ダブリンとベルファスト間で本格的に施設する際もっと広軌にするべきだと6フィート2インチか5フィート'''2インチ'''かで揉めて最終的に5フィート3インチで妥協され、1846年の軌間法で追認された<ref name="広軌をどう見たか"/>。) |
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=== 標準軌と広軌の普及 === |
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[[大陸ヨーロッパ]]ではイギリスと比べ鉄道の建設や運営に政府の関与が強く、軌間の選択に関しても最初に政府が決定した例が多い<ref name="Puffert_171"/>。このとき最も多く選ばれたのはスティーヴンソンの1435 mm軌間であるが、[[オランダ]]、[[バーデン大公国]]、[[ロシア帝国]]、[[スペイン]]、[[ポルトガル]]の各国ではそれぞれ広軌(5~6フィート前後)が採用された。これは広軌のほうが技術的には優れているという見解に基づくものであった。オランダとバーデンでは後に周辺国に合わせて1435 mmに改軌したが、ロシアと[[イベリア半島]]の軌間はそのまま現代に至っている<ref name="Puffert_176-182"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。 |
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[[アメリカ合衆国]]では、[[1830年代]]から40年代にかけて、民間の鉄道会社により多くの鉄道が開業した。これらの鉄道は、港と内陸を結ぶことが主目的で相互の接続が軽視されたこともあり、4フィート8 1/2インチの他にも様々な広軌が採用された。これが1860年代頃までには、北東部では4フィート8.5インチ、南部では5フィート、[[ニュージャージー州]]と[[オハイオ州]]では4フィート10インチのように地域的に統合され、さらに1863年に[[大陸横断鉄道]]の軌間が4フィート8 1/2インチとされたことがきっかけとなって、全国的に4フィート8 1/2インチに統一された<ref name="Puffert_93-96"/>。 |
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[[カナダ]]では、[[1851年]]に5フィート6インチを標準とする法律が制定された<ref name="Puffert_122"/>が、1870年に廃止され、アメリカ合衆国との直通の必要から4フィート8 1/2インチに改軌された<ref name="Hayashi_449"/><ref name="Puffert_140-142"/>。 |
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[[英領インド]]では、最初のカルカッタ周辺は4フィート8 1/2インチ軌間で始まったが、1851年以降[[ジェイムズ・ラムゼイ (初代ダルハウジー侯爵)|ダルハウジー侯爵ジェイムズ・ラムゼイ]][[インドの総督|総督]]により5フィート6インチ軌間が標準とされた。ダルハウジーはイギリスの経験から最初に軌間などの規格を統一しておくことが重要であると考えていたが、インドはイギリス本土と直通するわけではないので独自に最良を選ぶべきだとして4フィート8 1/2インチがイギリスで統一されたのは「あくまで一地方の状況から偶然できたもので鉄道のベストとは限らない」としたが、ブルネルの7フィート1/4インチも大きすぎると考えたのか「この間に最良のものがある」と自身は6フィートを主張した(連続急勾配対策やハリケーン対策などの意味があったとも言われる)が4フィート8 1/2インチ組と話し合った結果5フィート6インチでまとまった<ref name="Tada_519-520"/><ref name="Puffert_193-194"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。 |
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[[オーストラリア]]では後の各州に相当する各植民地が独自に鉄道建設を行なった結果、最初(1850年)のサウスオーストラリア州は4フィート8 1/2インチ、次(1852年)にニューサウスウェールズ州はアイルランド式の5フィート3インチでビクトリア州と前述のサウスオーストラリア州もこれに合わせ改軌。しかしニューサウスウェールズの技師長がアイルランド人からスコットランド人に変わると今度は4フィート8 1/2インチになる(ビクトリア・サウスオーストラリアは変更せず)など混乱が続き、1870年代の狭軌ブームの時代もあって1067 mmの州も加わるなど、州ごとにゲージが分断されたまま発展が続いて現在に至っている<ref name="Puffert_203-205"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。 |
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[[ラテンアメリカ]]各地の鉄道の軌間は建設の始まった時期により異なり、1837年から1851年までの6例ではすべて1435 mm軌間、1854年から1863年までの6例はすべて広軌である。1865年に[[ウルグアイ]]が1435 mm軌間を採用したのを挟んで、以後はもっぱら狭軌となる<ref name="Puffert_215-216"/>。 |
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=== 狭軌鉄道の流行 === |
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[[File:Ffestiniog-Railway-07419u.jpg|thumb|フェステニオグ鉄道(1900年頃)]] |
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馬車由来の軌間より意図的に狭い軌間を使った初期の例としては、[[1836年]]開業の[[ウェールズ]]の[[フェステニオグ鉄道]]の1フィート11 1/2インチ(597 mm)がある<ref name="Aoki2002_36"/>。ただし当時はこうした狭軌鉄道では[[蒸気機関車]]を用いることはできなかった。 |
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[[1860年]]ごろからは、狭軌でも実用的な蒸気機関車が製造可能になった<ref name="Puffert_60-61"/>。[[ノルウェー]]の[[カール・アブラハム・ピル]]は、同国西部での鉄道の建設にあたり、3フィート6インチ(1067 mm)軌間がコストと能力のバランスのとれた理想的な軌間であるとした<ref name="Saito_33-34"/>。ピルはイギリスで技術教育を受けており、その見解は{{仮リンク|チャールズ・フォックス (技術者)|label=チャールズ・フォックス|en|Charles Fox (civil and railway engineer)}}をはじめとするイギリスの技術者たちにも支持された<ref name="Aoki2002_36"/>。さらに[[1865年]]ごろからは、フェステニオグ鉄道の技術者{{仮リンク|チャールズ・イーストン・スプーナー|en|Charles Easton Spooner}}やイギリス商務省のヘンリー・タイラーらによって、3フィート(914 mm)や2フィート6インチ(762 mm)の[[軽便鉄道]]のアイデアが提唱された。スプーナーらは、従来の標準軌や広軌の鉄道は無駄が多く、狭軌の軽便鉄道こそが将来の鉄道にふさわしいと主張した<ref name="Puffert_85-87"/>。 |
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1860年代後半から1880年代にかけては、フォックスやその影響を受けたイギリス人を中心とする技術者の指導により、[[アジア]]、[[アフリカ]]、[[ラテンアメリカ]]などの鉄道未開業地域において1067 mmや1000 mm、914 mmなどの軌間での鉄道建設が相次いだ<ref name="Puffert_16-17"/>。1872年に開業した[[日本]]の鉄道が1067 mm軌間を採用したのもその一例である<ref name="Aoki2002_37"/>。また[[ケープ植民地]]([[南アフリカ]])や[[ニュージーランド]]では、一旦標準軌での鉄道建設が始まっていたものが、狭軌に切り替えられている<ref name="Puffert_212"/><ref name="Puffert_224-225"/>。[[タイ王国|タイ]]や[[インドネシア]]では、先行していた標準軌鉄道とは別に狭軌の鉄道が建設され、その後長い時間をかけて狭軌に統一された<ref name="Kakizaki_557-559"/><ref name="Puffert_233-235"/>。 |
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インドとオーストラリアでは、すでに広軌や標準軌の鉄道網がある程度発達していたにもかかわらず、狭軌の鉄道も並行して建設されるようになった<ref name="Puffert_195"/><ref name="Puffert_205-207"/>。このため複数の軌間が混在する状況が生じ、21世紀に至っても完全には解消されていない<ref name="Tada_525-526"/><ref name="Saito_686-687"/>。 |
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すでに標準軌の普及していたヨーロッパや北アメリカでも、標準軌路線を作るほどの需要のない地域での[[軽便鉄道]]の規格として狭軌は広く用いられた<ref name="Puffert_16-17"/>。 |
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[[File:D&RG Narrow Gauge Trestle.jpg|thumb|デンバー・アンド・リオグランデ鉄道の狭軌車両]] |
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アメリカ合衆国では、1871年に3フィート軌間の[[デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道|デンバー・アンド・リオグランデ鉄道]]の最初の区間が開通した<ref name="Puffert_154"/>。1872年には第1回全米狭軌鉄道会議(National Narrow-Gauge Railway Convention)が開催され、3フィート軌間がアメリカにおける狭軌の統一規格として合意されるとともに、標準軌鉄道に代わって狭軌の幹線鉄道網を築くという野心的な計画も示された<ref name="Puffert_156-157"/>。 |
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しかし、狭軌鉄道がある程度普及してくると、狭軌は従来主張されていたほど経済的ではないことが明らかとなった。オーストラリア・[[クイーンズランド州|クイーンズランド植民地]]の鉄道の建設費は当初予算を40 %も超過した<ref name="Puffert_205-207"/>。またアメリカ合衆国の狭軌鉄道会社でも、[[1880年代]]には標準軌鉄道との積み換えを避けるための改軌が相次いだ<ref name="Puffert_164-165"/>。アメリカ合衆国の{{仮リンク|アーサー・ウェリントン (技術者)|en|Arthur M. Wellington|label=アーサー・M・ウェリントン}}は[[1887年]]の著書で、狭軌鉄道の利点とされていた建設費の安さや曲線通過性能は、実際には軌間にほとんど依存せず、ランニングコストはかえって高くなってしまうと述べた。狭軌を使う意味のあるのは、車体サイズなどを小さくした低規格の軽便鉄道の場合に限られる。しかしウェリントンやその支持者たちの主張では、建設段階では需要の少ない路線であっても、狭軌ではなく標準軌で建設したほうが、将来の改良で本線鉄道網の一部とすることが容易であるため好ましいとしている<ref name="Puffert_25-27"/>。 |
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アメリカ合衆国やイギリスではこの主張が比較的早く受け入れられたが、大陸ヨーロッパにおいては20世紀前半においても狭軌の軽便鉄道の建設が続いた<ref name="Puffert_25-27"/>。しかし[[自動車]]が普及してくると、速度や輸送力の劣る軽便鉄道は競争力を失い、多くが廃止に追い込まれた<ref name="Aoki1996_37"/>。 |
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=== 20世紀以降の傾向 === |
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[[20世紀]]に入ってからは、新たに鉄道の軌間を選択する機会そのものが稀になったこともあり、軌間の優劣に関する議論は低調になった<ref name="Puffert_30"/>。20世紀初めごろには[[日本]]([[日本の改軌論争]])や[[南アフリカ]]、[[オーストラリア]]、[[アメリカ合衆国]]などで、狭軌鉄道を標準軌に<ref group="注釈">日本や南アフリカ、オーストラリアなど</ref>、あるいは標準軌を広軌に<ref group="注釈">アメリカ合衆国やカナダなど</ref>[[改軌]]すべきであるという議論が起こったが、オーストラリアのいくつかの狭軌鉄道が標準軌に改軌された例を除いて、いずれも実現には至っていない<ref name="Puffert_31"/>。[[ナチス・ドイツ]]では軌間3000 mmの超広軌鉄道「[[ブライトシュプールバーン]]」が計画されていた<ref name="Puffert_182"/>。 |
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20世紀後半以降に新たに建設された鉄道では、標準軌が採用される例が多い。日本の[[新幹線]]や多数の製鉄所構内鉄道が、狭軌の[[在来線]]網とは独立した形で標準軌を選んだのがその最たるものである。またアフリカ各国やブラジル、オーストラリアでは、従来の狭軌鉄道とは別に、鉱山用や通勤用に標準軌で鉄道を新設した例がある。逆にスペインなどは在来線は広軌だが、高速列車の[[AVE]]はフランスなどとの接続を考えて、また通勤用の鉄道は車両限界をなるべく小さくして建設費用や車両新製費用を抑えるために、いずれも狭い標準軌で施設されている。こうした選択は、既に存在する技術を活用でき、車両や資材の調達もしやすいことによるものである<ref name="Puffert_32"/>。 |
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== 軌間の広狭による性質 == |
== 軌間の広狭による性質 == |
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車体の大きさ(特に重心高)を同じもので比較すれば、軌間が広いものでは、一般的に、[[鉄道車両|車両]]の安定性が増して横風などの外乱に対する抗力も向上し、高速化が相対的に容易になる。ただし、軌間が広がると曲線部での内外の車輪の回転差が大きくなるため、最小曲線半径を大きくとる必要が生じる。軌間が狭い場合はそれぞれが逆になる<ref>[[新幹線]]、[[ダブルスタックトレイン]]等</ref>。このため、最小曲線半径について特段の要求が無いのであれば、軌間を広げるほうが高速化により輸送力を増大させやすい。加えて、軌間が広いものでは車体サイズも拡張しやすいため、輸送力の面ではさらに有利である。 |
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一般的に、軌間が広いほど輸送力や最高速度など鉄道の能力は高まり、逆に狭いほど建設費は安くなるとされる。ただしこれらには様々な要因があり、単純に軌間のみで決まるわけではない<ref name="Aoki2008_43-44"/>。また時代によりその評価は変わっており、論拠の一部は特定の時代の技術に依存したものである<ref name="Puffert_19"/>。 |
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なお、蒸気機関車の時代には、広い軌間にさらなる利点があった。つまり、蒸気機関車では、火室面積やボイラー・動輪の大型化が性能(出力、速度)に直結した。このため同じ技術水準であれば、軌間を増せば機関車性能を高めやすくなるという関係があった。ただし現代では、車両の動力装置の性能が十二分に高くなり速度も高まっていることから、高速化や輸送力増大により大きく影響するのは軌間の広狭から、軌道・路盤の整備状況、[[線形 (路線)|線形]]の良し悪し、および車両・台車の走行性能に移っている。 |
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=== 安定性 === |
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建設コストについては、土地の収用・建材費を考慮した場合、軌間の広狭にそれぞれメリット、デメリットが存在する。比較のため車体の大きさが変わらないとする。このとき、土地の収用に関しては、同じ距離かつ直線であれば軌間の広狭に関わらずほとんど同じ収用コストとなる。土地の面積が変わらないためである。しかし曲線まで考慮すれば、軌間が広い場合、路線が直線的になるため、最小曲線半径までの範囲でカーブを作る必要性からより直線的な土地を確保する必要が増して用地取得が難しくなり、特に都市部において土地代が高くなる。ただし、路線が直線的になると総延長が短くなって収容面積が小さくなる点は土地代を低減させる効果がある。建材費から見れば、軌間が広い場合、レールの高さ、枕木の長さ等から費用が高くなり、敷設のコストが増す。一般には建設コストの面では軌間が広いとデメリットが多くなり、[[鉱山]]や工場敷地内などの場合は車体の大きさに対する特別な要求は無いため、狭軌の敷設のしやすさが大きなメリットとなる。 |
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[[File:DalyCitysta.jpg|thumb|BART]] |
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[[鉄道車両]]には鉛直方向の[[重力]]のほか、横風や走行時の車両の動揺、曲線通過時の[[遠心力]]などにより横方向の力がかかっている。車両の[[重心]]からこれらの力の[[合力]]方向にひいた直線が線路面と交わる位置が、片方のレールの外側になると、車両は[[転覆]]してしまう。また、軌道の中心から軌間の6分の1以上ずれると、[[脱線]]の確率が高まることが知られている<ref name="Puffert_21-22"/>。 |
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このため、重心の高さが同じであれば広軌のほうが横方向の力に対してより安全であるといえる。特に列車の速度が速くなるほどこうした力の影響は大きくなるため、高速運転には軌間の広いほうが適している。狭軌の場合は、横方向の力の発生を防ぐためより精度の高い[[保線]]作業が必要となる。また同程度の安定性を求めるのであれば、軌間の広いほうが重心を高くすることができ、大型の車両を用いることができる<ref name="Puffert_22-23"/>。 |
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鉄道が軍隊の兵站の大部分を担っていた時代には、自国の鉄道が敵国に鹵獲されても容易には使用されないように、防衛上の観点からあえて違う軌間を採用する事例が見られた。この場合、広軌から狭軌へ改軌するほうが相対的に楽であるため、相手国(敵国)よりも幅の狭い規格であることが、防衛の目的では有利に働いた。 |
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[[1850年代]]に[[インド]]の鉄道で広軌(1676 mm)が採用された理由のひとつとして、軌間が広いほうが[[サイクロン]]などの強風に対して安全であるということが挙げられている<ref name="Wolmar_88"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。また[[1973年]]に[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]の[[サンフランシスコ・ベイエリア]]で開業した[[バート (鉄道)|BART]]でも、湾岸地域での横風に対する安定性を考慮して1676 mm軌間とコンクリート道床の組み合わせを採用した<ref name="Oka_53-54"/>。 |
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=== 機関車の性能 === |
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[[File:GWR broad gauge locomotives.jpg|thumb|グレート・ウェスタン鉄道の広軌機関車]] |
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[[蒸気機関車]]の用いられていた時代には、軌間の広いほうが機関車の性能が高いとされていた。これは[[1830年代]]から20世紀前半に至るまで、広軌の優位性を主張する最大の根拠であった<ref name="Puffert_20-21"/>。 |
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1830年代から40年代初頭まで、蒸気機関車の[[シリンダー]]は車輪の内側に取り付けられていた。これは、シリンダーを外側にすると蒸気が空気で冷やされて効率が落ちると考えられたこと、また機関車の車体に左右交互に力が加わるため、当時の技術ではこれに耐えられるような[[台枠]]が作れなかったことによるものである。このため、シリンダーの大きさは軌間に大きな影響を受けた。加えて、この時代の[[弁装置]]は大きく、頻繁な保守作業を必要とした。これも車輪の内側におかれたため、狭い軌間はメンテナンスが困難であるとして嫌われることになった<ref name="Puffert_20-21"/>。これ以外にもシリンダーから動輪の軸に力を伝えるクランク部分が広軌の方が広くとれるので摩耗や強度的に有利orクランクが同じ幅ならより外側にずらすことでボイラー下部と干渉しにくくなり、ボイラー高さを抑えられたり太いボイラーが使えるというメリットもあった<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.65]]</ref>。 |
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ただし、1840年代半ば以降になると、車体の製造技術の向上などにより外側シリンダーの蒸気機関車が製造可能になり、シリンダーの大きさが軌間に制約されることはなくなった<ref name="Puffert_20-21"/>。むしろ外側シリンダーでは車両限界や特にボイラーの太さが同一ならば広軌の方がシリンダーをより外側につけるため、シリンダーの大きさを妨げる原因になり<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.307]]</ref>、[[イギリス]]の軌間問題に関する王立調査委員会は、[[1845年]]の報告で7フィート軌間のほうが4フィート8 1/2インチ軌間より機関車の性能が優れていることは認めつつ、その差は僅かであると指摘している<ref name="Aoki2008_45-47"/>。 |
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一方で、軌間の広いほうが高い重心が許容されるため、{{仮リンク|火室 (蒸気機関)|en|Firebox (steam engine)|label=火室}}や[[ボイラー]]を大型化し、出力を向上させることができる<ref name="Puffert_20-21"/>。19世紀半ばまでは低い[[蒸気圧]]しか使えなかったため、この点は大きな差にはならなかった。しかし使用蒸気圧の増した19世紀末から20世紀であれば、軌間と蒸気機関車の性能にはより強い関係があった<ref name="Aoki2008_45-47"/>。[[20世紀]]初頭の段階では、狭軌の蒸気機関車は標準軌の半分程度の性能しか出せないとされていた<ref name="Puffert_20-21"/>。 |
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[[1912年]]に[[日本]]で行われた実験では、国鉄の2120形と呼ばれたタンク機関車のグループのうち[[国鉄2100形蒸気機関車#広軌化試験改造車|2323号機]]を広軌化(1067 mm→1435 mm)して、左右車輪の間に空間ができたのを利用して火室の幅を広げた所、牽引能力が上昇して1067 mm時には10 ‰勾配上で250 tの列車を引けたものが1435 mm時には350 tまで牽引可能になった<ref name="Fukuda_104"/><ref>[[#朝倉1979/11|(朝倉1979/11)p.103]]</ref>。1920年代の[[アメリカ合衆国]]では、標準軌でも不十分であり、6フィート(1829 mm)などの広軌に改軌したほうがより高性能の機関車を設計できるという主張があった<ref name="Puffert_20-21"/><ref group="注釈">6フィート(1829 mm)案以外にも、5フィート6インチ(1676 mm)や7フィート0.25インチ(2140 mm)など各種の意見があった。</ref>。 |
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ただし、蒸気機関車でも[[従輪]]で火室を受ければ軌間を超える幅の広い火室を重心を上げずに採用できるし、ボイラーも[[ガーラット式機関車]]のようにボイラーの前後に走り装置をつけて支える形式にすれば、動輪に邪魔されずナローでも太いボイラーを使う<ref group="注釈">例として東アフリカ鉄道[[:en:EAR 59 class|59形]]は軌間1000 mmに対しボイラーの最大直径が2284 mmもある、動輪径も1372 mmで貨物用機関車としては決して小さくはない。</ref>ことは可能である。 |
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一方、[[電動機]](モーター)を動力源とする電車や電気機関車(電気式動力伝達の内燃機関動力車も含む)の場合は、通常動輪のすぐ横でモーターを軸と平行に置くので車輪直径で上下方向、軌間で左右方向の大きさに制約が生じる<ref group="注釈">この比率は軌間に正比例せず、1435 mmと1067 mmでは軌間は約4:3ぐらいだがモーターの幅スペースは3:2ぐらいになる。</ref>。この影響は電車より電気機関車、電気機関車より電気式動力伝達の内燃機関動力車の方が大きい。<br>このためモーターの大型化・車輪直径を抑える・狭軌の3つはすべて満たすことが難しくなり、日本の例では明治の末に国鉄が山手線で初めて電車を運行したころはモーターが50馬力だったので車輪径が客車や貨車と同じ大きさでもさほど問題はなかったが、大正3年に京浜間に100馬力の大型モーターの電車を走らせることになった際、このサイズの車輪ではモーターの下端とレール上面の隙間が構造規定を下回ってしまうため車輪径を大きくして910 mmの車輪を採用し、以後これが電車の標準になったことがある<ref>[[#朝倉1979/6|(朝倉1979/6)p.81]]</ref>。私鉄でも小田急箱根は急勾配を理由に標準軌を採用している<ref group="注釈">詳しくは[[小田急箱根鉄道線#小田急が箱根湯本へ乗り入れ|小田急箱根鉄道線]]参照。</ref>。 |
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<br>逆に路面電車など床高さを抑えるため車輪が小さくならざるを得ない車両では、狭軌になるとモーターを収める空間に余裕がなくなるため、モーターの位置を変え[[直角カルダン駆動方式]]や[[車体装架カルダン駆動方式]]などを採用したり、逆に路面電車に多い急カーブや狭小建築限界に不利とわかっていても軌道施設時に標準軌を選択する場合がある。 |
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なお、[[内燃機関]]を機械式もしくは液体式で動力伝達をする車両の場合は、元々エンジンが車輪の間と無関係の位置にあるので軌間と出力の間に直接的な関係はほとんどない。但し内燃機関は電動機に比べて小型化が難しく、重心が高くなりがちであり、この点が蒸気機関車に似ている。 |
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=== 車両の搭載能力 === |
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[[貨車]]に貨物を搭載する場合の効率については、広軌のほうが有利であるという主張と狭軌のほうが有利であるという主張の双方が存在する<ref name="Puffert_24-25"/>。 |
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広軌を有利とするのは、広軌のほうが重心を高くすることができるため、車体を横方向のみならず垂直方向にも大型化することができるためである。このとき(車体長を不変とした場合)床や壁の面積は軌間の1乗のオーダーで増加するが、容積は2乗のオーダーで増えるため、より効率よく貨物を積むことができる<ref name="Puffert_24-25"/>。 |
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一方狭軌を有利とする根拠は、軌間が広いほど[[鉄道車両の台車|台車]]などが大きくなってしまい、運ぶべき貨物の重量に対して貨車そのものの重量が大きく効率が悪いことによる<ref name="Puffert_24-25"/>。 |
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結論を言えば、これは貨物の[[比重]]と輸送量に影響される。農産物など比重の小さい貨物を大量に運ぶときには前者の影響が大きく、広軌のほうが有利である。一方[[鉱石]]など比重の大きな貨物を少量運ぶときは後者の影響が大きい。[[鉱山]]などの専用鉄道で狭軌が採用される例があるのはこのためである<ref name="Puffert_24-25"/>。 |
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ただし、車体を大きくするには[[車両限界]]や[[建築限界]](特に[[橋梁]]や[[トンネル]]の設計)、レールや路盤の強度なども関係してくるため、単純に軌間が広ければよいというわけではない<ref name="Aoki2008_44-45"/>。1676 mmの広軌を採用しているインドの鉄道でも、欧米の標準軌鉄道と比べて車両限界は僅かに大きい程度である<ref name="Aoki2008_50"/>。 |
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これについては日本の鉄道院初代総裁である[[後藤新平]]も広軌化検討時に「ドイツ鉄道で現在(注:1909年)使用されている有蓋貨車は狭軌でこれは採用できる、したがって貨車においては広狭関係ない。アメリカの貨車は最も大きいが、南ア(注:南アフリカ共和国の事)のボギー貨車はこれに劣らないので貨車についてはボギーとすれば広狭同等と考える。」、「元九州鉄道の貴賓車([[九州鉄道ブリル客車]]のこと)はイギリスよりも大きく、プロシャ(ドイツ)とほぼ同じである、したがって狭軌でも建築限界を広げれば「[[国際寝台車会社|萬国寝台会社]]」サイズの客車を運転できる。」としている<ref>齋藤晃「幻の広軌化計画に登場する蒸気機関車」『幻の国鉄車両』岡田秀樹 企画、JTBパブリッシング、2007年、ISBN 978-4-533-06906-2、P25-27。</ref>。 |
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=== 曲線の通過 === |
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曲線部では、外側のレールのほうが内側のレールより長くなるが、同一の曲線半径であれば軌間が狭いほどその差は小さい。このため、狭軌のほうが小さな半径の曲線を作りやすいとされている<ref name="Handa_83-88"/>。特に[[山岳路線]]では、地形に沿うように線路を敷くことができるため、[[トンネル]]や[[橋梁]]などの高価な施設を最小限に抑えることができる。広軌論者の[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]も、広軌の欠点としてこの点を認めており、[[1860年代]]以降の狭軌鉄道の流行においてもその最大のメリットとされていた<ref name="Puffert_27-29"/>。広軌を用いている[[スペイン]]では、曲線通過のため左右の車輪が独立して回転する[[タルゴ]]車両が開発された<ref name="Haraguchi_148-149"/>。 |
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鉄道では車輪に[[踏面勾配]]を持たせることで、曲線部では外側の車輪とレールの接触部の半径が内側よりも大きくなり、外側の車輪の走行距離が内側よりも長くなって自然に曲がることができる。しかし内外の走行距離の差が踏面勾配によって吸収できないほど大きい場合には、[[フランジ]]がレール側面と接触し、内外いずれかの車輪がレール上を滑ることになり、大きな[[摩擦]]を生じることになる<ref name="Handa_83-88"/>。 |
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一方で、鉄道車両の曲線通過能力において、軌間の違いは本質的ではないとする見解もある<ref name="Puffert_27-29"/>。 |
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複数の車軸をもつ鉄道車両では、曲線部では車輪の向きとレールの向きが異なってしまう。この角度をアタック角といい、これが大きいほど走行抵抗が大きく、[[脱線]]の危険も高まる。アタック角は車軸の間隔に依存し、軌間とは関係ない。転向可能な[[ボギー台車]]を用いることでアタック角を小さくすることができる<ref group="注釈">通常は一つの台車に複数の車軸があり、車軸の向きは台車に対して固定されているため、アタック角が0になるわけではない。これを減らすために[[鉄道車両の台車#輪軸操舵機構(操舵台車)|輪軸操舵機構]]が開発されている。</ref>。実際、19世紀後半のアメリカの標準軌鉄道では、[[ボギー台車]]を用いることで、同時代の[[二軸車]]主体のヨーロッパの狭軌(軽便)鉄道より小さな曲線半径を実現していた<ref name="Puffert_27-29"/>。 |
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ボギー台車を用いたとしても、今度は車両の進行方向と台車の向きが異なるため、台車を転向させるための横圧が加わる。これは台車の中心間隔に依存する。アーサー・M・ウェリントンは[[1887年]]の著書において、車体各部の寸法がそのままで軌間のみを狭くしても、こうした曲線通過時の抵抗にはほとんど影響がなく、台車中心間隔を同時に小さくすることではじめて抵抗を減らす効果があると論じた。彼はさらに、軌間の広いほうが高重心が許容されるため、機関車や貨車の性能は同程度のまま車軸や台車の間隔を縮めることができ、曲線通過に適しているとすら述べている。ウェリントンの見解はなかなか受け入れられなかったが、例えば[[ペルー]]においてはこの説に基づき山岳路線を標準軌で建設している<ref name="Puffert_27-29"/>。 |
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=== 下部構造 === |
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レールを支える[[枕木]]の長さや、その下の[[バラスト軌道|バラスト]]の量は、軌間の大きさに直接影響される。狭軌の鉄道ほど軌道に専有される幅は狭くなる。19世紀末から20世紀前半のヨーロッパの[[軽便鉄道]]は、多くが既存の道路の端を使って敷設されたため、この点が狭軌を使用する大きな利点となった。一方、軌道を支える路盤の強度や[[橋梁]]の設計は、走らせる列車の重量([[軸重]])や速度によって決定され、軌間にはほとんど影響されない<ref name="Puffert_25-27"/>。 |
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[[2001年]]に[[南アフリカ]]で[[ハウトレイン]]建設の際に行なわれた試算では、1 kmあたりの建設費は標準軌(1435 mm)の場合180万[[ランド (通貨)|ランド]]であるのに対し、ケープ軌間(1065 mm)であれば160万ランドと見積もられた。この差は枕木とバラストによるものであり、事業全体のコストに比べればそれほど重要ではないと評価された<ref name="Gau_1"/>。 |
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なお、実際に2140 mmもの広軌を使っていたイギリスのグレート・ウェスタン鉄道では上記の問題から枕木を倹約するため、通常のレールのように枕木を並行に無数に並べ、その上に直角にレール2本を置くのではなく「レールに沿うように切れ目なく枕木を敷いて(つまり鉄のレールの下に木のレールがあるような外見)重量を分散させ、その枕木を約10フィートおきに横木で結び、ずれないように固定する。」という独特の敷き方を行っていた<ref>高畠潔『続 イギリスの鉄道の話』株式会社成山堂書店、2005年、ISBN 4425961013、P98-100</ref>。 |
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== 軌間と直通運転 == |
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=== 直通の可否 === |
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一般に鉄道車両は特定の軌間に合わせて製造されている。車輪の内側には[[フランジ]]があるため、両側の車輪のフランジの間隔より狭い軌間の線路に乗り入れることは不可能である。また軌間が大きすぎる場合にも[[脱線]]してしまう<ref name="Oka_2_3"/>。 |
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しかし、車輪にもレールにもある程度の幅があるため、軌間の1 %程度の差異であれば直通運転にはほとんど支障がない。フィート・インチから[[メートル法]]へ単位系の切り替えの際の考え方の違いなどで、1067 mmと1065 mm、1524 mmと1520 mmのような数[[ミリメートル]]異なる軌間が存在するが、これらは実用上は同一軌間とみなしうる<ref name="Oka_11"/>。[[19世紀]]の[[アメリカ合衆国]]では、4フィート8.5インチ(1435 mm)軌間用の車両がそのまま4フィート10インチ(1475 mm)軌間の鉄道に乗り入れていた例もある。この場合、脱線の危険が増すものの、当時の安全水準からはそれほど問題とはされなかった<ref name="Oka_11"/>。 |
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=== 故意の異軌間採用 === |
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==== 軍事的理由 ==== |
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[[ロシア帝国]]と[[スペイン]]の鉄道がヨーロッパの他地域と異なり[[広軌]]を選択した理由として、[[ナポレオン戦争]]の記憶から他国に侵略された場合に鉄道を利用されることを恐れたためと説明されることがある。しかし、両国が軍事的理由で軌間を選んだとする記録は存在しない。両国とも、鉄道が開業したのは1830年代から40年代の広軌優位論が盛んであった時代であり、軌間を検討した技術者は4フィート8 1/2インチよりも広い軌間のほうが優れていると主張した。また、将来他国の4フィート8 1/2インチ軌間の鉄道と接続される可能性については軽視している<ref name="Puffert_179-181"/><ref name="Puffert_181-182"/><ref name="Alvarez_23"/>。 |
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ロシアが侵略に備えて異軌間を選んだとする説の初出は、[[1866年]]にイギリスの[[タイムズ]]紙に掲載された特派員報告<ref group="注釈">しかもこの報告では、ロシアの軌間は他国より狭いとしている。</ref>で、伝聞の形で伝えている。また、ロシア交通省は1841年の報告書で、鉄道が敵に利用される可能性について、軍が退却する時に線路を破壊すればよいと記しているが、軌間の違いには言及していない<ref name="Puffert_179-181"/>。 |
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また、他国の侵入防止目的説の最大の問題点としてこれらの国が広軌を採用している点があり、軌間は狭める方が楽<ref group="注釈">犬釘を外してレールを中央に寄せればよい、逆に広軌化は枕木や道床が足りなくなるケースがある。</ref>であり、実際に日本が日露戦争中に[[満洲]]にあった5フィート軌間のロシアの鉄道(後の[[南満洲鉄道|満鉄]]など)を改軌して3フィート6インチにしてしばらく使用していたケースがあるので、仮想敵国より軌間を狭くしないとこの目的には使用できない<ref name="広軌をどう見たか"/>。 |
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スペインにおいては、[[1856年]]に[[フランス]]国境近くの鉄道にフランス人が出資しようとしているのが国防上問題視された際に、経営者が軌間が違うため侵略に使われることはないと回答したのがおそらく初である<ref name="Puffert_181-182"/>。 |
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また、隣国と異なる軌間を用いることは、敵に攻められた場合には有利でも、逆に攻め込む場合には不利になる。実際ロシアは[[露土戦争 (1877年-1878年)|露土戦争]]の際[[ルーマニア公国]]を経由して[[オスマン帝国]]に攻め込んだが、ルーマニアの鉄道は標準軌だったため、国境で貨物を積み替える必要が生じ兵站上の大きな問題となった<ref name="Wol_5"/>。[[第一次世界大戦]]の序盤においても、ドイツ領[[東プロイセン]]に侵攻してからは鉄道を使うことができなかった。これが[[タンネンベルクの戦い (1914年)|タンネンベルクの戦い]]の敗因の一つとなった<ref name="Wol_8"/>。 |
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なお、[[プロイセン王国]]においては、フランスや[[ベルギー]]と同じ軌間を使うことについて、一部の高官が侵略に用いられる可能性があると反対したが、退けられている<ref name="Puffert_173-174"/>。 |
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==== その他 ==== |
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鉄道会社の経営上の理由から、あえて他鉄道と異なる軌間を採用したと考えられる例は存在する。 |
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[[1841年]]に開業した[[アメリカ合衆国]]のニューヨーク・アンド・エリー鉄道(後の[[エリー鉄道]])は、アメリカ合衆国北東部で一般的であった4フィート8.5インチ軌間ではなく、6フィート軌間を採用した。これはエリエイザー・ロード社長の意向によるところが大きい。ロードはニューヨーク・アンド・エリー鉄道の設立にあたって、顧客が他の鉄道に逸走することのないように、同鉄道を他の鉄道と接続させないとする免許を得ていた。しかし免許条件は将来変更される可能性があるが、軌間は容易には変更できないとして、他鉄道と異なる軌間を採用した。もっとも、1845年のロード社長の退任後は、軌間の違いはむしろ経営上不利であるとして、しばしば株主から批判を受けている<ref name="Puffert_113-114"/>。 |
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また、[[1853年]]に開業したアメリカ合衆国[[メイン州]]の[[ポートランド (メイン州)|ポートランド]]と[[カナダ]]の[[モントリオール]]を結ぶ鉄道<ref group="注釈">アメリカ側がアトランティック・アンド・セントローレンス鉄道(Atlantic and St. Lawrence Railroad)、カナダ側がセントローレンス・アンド・アトランティック鉄道([[:en:St. Lawrence and Atlantic Railroad|St. Lawrence and Atlantic Railroad]])。後の{{仮リンク|グランド・トランク鉄道|en|Grand Trunk Railway}}の一部。</ref>は、5フィート6インチ軌間を選択した。その理由の一つが、ポートランド側の出資者の意向によるものである。ポートランド港は[[ボストン]]港と競合関係にあるため、この鉄道を利用したカナダからの貨物がボストンに奪われないように、ボストン周辺の鉄道とは異なる軌間にしたのである。ただし、こうした事情はモントリオール側の出資者には無縁のことであり、広軌が技術的に優れているという当時の風潮のほうがより影響したと思われる<ref name="Puffert_120-121"/>。 |
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== 軌間不連続点への対応 == |
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異なる軌間の鉄道が接続する地点を{{仮リンク|軌間不連続点|en|Break-of-gauge}}という。通常は列車は軌間不連続点を越えて走行することはできない。これに対して様々な対処法がある。 |
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=== 乗り換え・積み換え === |
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[[File:C01357-military rail transport Frizeville 1917.jpg|thumb|[[第一次世界大戦]]、[[西部戦線 (第一次世界大戦)|西部戦線]]における標準軌列車から軽便鉄道への貨物の積み換え]] |
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最も簡単な対策は、軌間不連続点において旅客の乗り換え、貨物の積み換えを行なうことである。 |
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これには特別な設備は何も必要としない。ただし、旅客の乗り換えの負担を減らすために[[対面乗り換え]]が行われることがある。貨物の場合も、異軌間の線路を並べてその間で積み換えが行えるようにすることがある。また、規格化された[[輸送コンテナ|コンテナ]](一般的に[[ISO 668]]で定められたサイズのISOコンテナ)を用いることで効率的に積み換えを行なうことができる<ref name="Puffert_34"/>。 |
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=== ロールワーゲン、ロールボック === |
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[[ファイル:001015 gauge buster.jpg|thumb|狭軌用ロールワーゲンに搭載された標準軌貨車]] |
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{{main|ロールワーゲン|ロールボック}} |
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軌間の異なる鉄道車両を搭載するための貨車を[[ロールワーゲン]]という。また輪軸部分のみを載せるようにした小さな車両を[[ロールボック]]という。これらは[[20世紀]]初め頃までに[[ヨーロッパ]]で標準軌の貨車を狭軌の路線に直通されるために用いられるようになった<ref name="Puffert_35"/>。 |
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しかし、ロールワーゲンやロールボックを使うと車両の重心が高くなってしまうため、特に標準軌の車両を狭軌線に乗り入れさせる場合には極めて不安定になってしまい、低速でしか運転できないという欠点がある<ref name="Puffert_35"/>。 |
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=== 輪軸・台車交換 === |
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[[File:Bogies-exchange.jpg|thumb|ロシア・中国国境における台車交換作業]] |
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軌間不連続点を越えて貨車や客車を直通させるため、接続駅で[[鉄道車両の台車|台車]]をそれぞれの軌間に対応したものに交換する。台車交換の方法には、[[クレーン]]や[[ジャッキ]]を使って車体を持ち上げるものと、車体の高さを固定した上でレールの側が沈み込んで台車を取り外すものがある。 |
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[[1870年代]]の北アメリカで実用化された<ref name="Puffert_137-138"/>。現代でも旧[[ソビエト連邦]]の広軌鉄道と[[東ヨーロッパ]]や[[中国]]などの標準軌鉄道の間の直通などに用いられている。日本においても、1067 mm軌間でない車両をJR在来線を介して輸送する場合などには、台車交換が行われることがある([[車両輸送]]を参照)。[[近畿日本鉄道]]では車両検修場([[五位堂検修車庫]])が標準軌線内にあるため、1,067 mm軌間車両が入場する際は[[橿原神宮駅]]で仮台車に交換している<ref name="KH_93"/>。 |
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また、台車そのものではなく[[輪軸]]のみを軌間に合わせて交換できるようにした車両も存在する<ref name="Alvarez_9"/>。 |
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=== 軌間可変車両 === |
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{{main|軌間可変車両}} |
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原始的な軌間可変車両は1860年代のカナダで現れており、車軸上の異なる位置に車輪を固定することで、5フィート6インチ軌間と4フィート8.5インチ軌間などの異なる軌間に対応していた。しかしこの方式は信頼性に乏しかったため早期に姿を消し、台車交換に取って代わられた<ref name="Puffert_136-137"/>。 |
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近代的な軌間可変車両は[[1968年]]に製造された[[スペイン]]・[[タルゴ]]社のTalgoIII-RD客車が初であり、[[TEE]]カタラン・タルゴとして広軌のスペインと標準軌の[[フランス]]の間を直通した<ref name="Alvarez_34"/>。その後スペインの他[[ポーランド]]、[[日本]]、[[ドイツ]]で種々の方式が開発され、一部は実用化されている<ref name="Alvarez_11-12"/>。 |
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=== 混合軌間 === |
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[[File:Gladstone Railyard March 1986 002.jpg|thumb|オーストラリア・グラッドストーン[[操車場]]内の四線軌条(1600 mm,1435 mm,1067 mm)]] |
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{{main|三線軌条}} |
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3本以上のレールを使った[[三線軌条]](三線式)や四線軌条(四線式)により、同一の線路で2種類の軌間に対応することができる。混合軌間(mixed gauge)やデュアルゲージ(dual gauge)、軌間混合とも呼ばれる<ref name="JARTS_441"/>。三線軌条では片側のレールは共通であり、もう片方のレールをそれぞれの軌間に合わせて敷設する。四線軌条ではそれぞれの軌間に対して2本ずつのレールを用いる。稀ではあるが、四線軌条で3種類の軌間に対応した例もある。軌間の差が200 mm程度以下の場合には、レールが干渉してしまうため三線軌条を使うことができない<ref name="Puffert_35-36"/>。 |
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19世紀半ばから、イギリスや北アメリカにおいて標準軌鉄道と各種の広軌の鉄道の間での直通のために用いられるようになった。現代においても世界各地で広く用いられている<ref name="Puffert_35-36"/>。 |
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車両側には特に何も対応する必要はないが、建設や保守には余分なコストがかかる。車両側での対応による異軌間乗り入れのコストが乗り入れる車両数に依存するのに対し、混合軌間による乗り入れの場合は乗り入れる距離に依存する。このため、輸送量が多く乗り入れ距離が比較的短い場合には、混合軌間による対応が適していることになる<ref name="Puffert_35-36"/>。 |
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== 軌間狂い == |
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軌道は列車が走行するたびに少しずつ変形してしまう。これを[[軌道狂い]]といい、このうち軌間の所定の値(ただし曲線部では所定の軌間とスラックの和)からのずれを軌間狂いという。狂いが大きくなると乗り心地が悪くなり、さらに大きくなると脱線の危険も高まる。このため定期的に検測と[[保線|保守]]作業を行ない、狂いが一定の範囲内に収まるようにしている<ref name="AMM_46-48"/>。 |
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手動による軌間狂いの検測には、軌間ゲージという器具が用いられる<ref name="RTRI_137"/>。また軌道検測車により走行しながら検測を行なうこともできる<ref name="AMM_46-48"/>。 |
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JR在来線の場合、軌間狂いの整備目標値{{refnest|group=注釈|旧乙修繕整備基準。乗り心地の確保を主な目的とする<ref name="MW_494"/>。}}は+6 mmから-4 mm(高速軌道検測車による動的値の場合は+10 mmから-5 mm)である<ref name="AMM_47"/>。ただし[[分岐器]]のクロッシング部では、狂いが大きいと異線進入のおそれがある<ref name="MW_10"/>ため、+5 mmから-3 mmとされている<ref name="AMM_47"/>。整備基準値{{refnest|group=注釈|旧緊急整備値。発見から15日以内に補修すべきもの<ref name="MW_496"/>。}}は直線部で+14 mm(高速軌道検測車による動的値の場合は+20 mm)である<ref name="AMM_47"/>。新幹線の場合は、軌道管理目標値{{refnest|group=注釈|新幹線の軌道管理目標値には保守計画目標値、乗り心地管理目標値、安全管理目標値といった段階があるが、軌間に関しては同一の値である<ref name="AMM_46-48"/>。}}は高速軌道検測車による測定で+6 mmから-4 mmとなる<ref name="AMM_47"/>。 |
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日本の私鉄路線において、[[運輸安全委員会]]が調査した事故のうち、2017年5月22日に発生した[[日本の鉄道事故_(2000年以降)#わたらせ渓谷鐵道脱線事故|わたらせ渓谷鐵道脱線事故]]における検測車両([[JR東日本キヤE193系気動車|キヤE193系]])の[[脱線事故]]を始めとして、[[日本の鉄道事故_(2000年以降)#西濃鉄道市橋線脱線事故|西濃鉄道市橋線脱線事故]](2016年10月6日発生・[[貨物列車]])・[[日本の鉄道事故 (2000年以降)#紀州鉄道脱線事故|紀州鉄道脱線事故]](2017年1月22日発生・[[旅客列車]])・[[日本の鉄道事故 (2000年以降)#熊本電鉄藤崎線脱線事故|熊本電鉄藤崎線脱線事故]](2017年2月22日発生・旅客列車)の4件で同様の事故が発生したことを受けて、2018年6月28日に運輸安全委員会がこれらの事故は[[枕木]]や[[レール締結装置]]の不良([[犬釘]]が浮いた状態になるなど)で「軌間拡大」が発生したことによると考えられると指摘している<ref name="railway-iken4_20180628">{{Cite web|和書|date=2018-06-28 |url=http://www.mlit.go.jp/jtsb/railkankoku/railway-iken4_20180628.pdf |title=軌間拡大による列車脱線事故の防止に係る意見について |format=PDF |publisher=運輸安全委員会 |accessdate=2018-09-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180901100228/http://www.mlit.go.jp/jtsb/railkankoku/railway-iken4_20180628.pdf |archivedate=2018-09-01 }}</ref>。その対応策として、コンクリート製などへの枕木の材質変更、脱線ガードや脱線防止レールの敷設が望ましく、軌道の定期検査や線路巡視による枕木やレール締結装置の適切な管理、軌道変位の状況に応じた適切な軌道整備の実施が必要としている<ref name="railway-iken4_20180628" />。 |
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鉄道車両に高速カメラを搭載させて、運行時に線路(路面)撮影する。撮影された映像をもとにして、軌間狂いを人工知能などで検出を行い、沿線の保守工事を行うことがなされている。 |
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== 軌間の種類 == |
== 軌間の種類 == |
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[[File:Rail gauge world. |
[[File:Rail gauge world.svg|thumb|300px|世界各国の代表的な軌間]] |
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[[File: |
[[File:Comparison of track gauges in Japan.png|thumb|300px|日本で利用されている主な軌間]] |
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[[File:Hinaga_stn_daisya.jpg|thumb|300px|762 mmの台車と1067 mmの車軸、さらに1435 mmを加えた3軌間のレール展示([[四日市あすなろう鉄道]][[日永駅]])]] |
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{{main|軌間の一覧}} |
{{main|軌間の一覧}} |
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代表的な軌間の例を挙げる。 |
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=== 標準軌 === |
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*[[標準軌]]は、1,435 mm(4 [[フィート|ft]] 8.5 [[インチ|in]])で、欧米および[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]では標準規格が採用されている。日本では[[新幹線]]、主に[[近畿地方|関西]]の[[私鉄]]、[[路面電車]]、多くの[[地下鉄]]路線で採用。 |
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{{main|標準軌}} |
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*[[広軌]] 標準軌より広い軌間。非標準軌あるいは「ブロードゲージ(Broad Gauge)」とも呼ばれる。現在、日本の営業用路線には存在しない。特殊用途の鉄道では、巨大な積載物を移動する必要性などから広軌が採用される場合もある。なお日本では標準軌のことを狭軌の対として広軌と呼ぶこともある。 |
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標準軌(国際標準軌、スティーヴンソン軌間)は、1,435 mm(4 [[フィート|ft]] 8.5 [[インチ|in]])で、[[ヨーロッパ]](一部を除く)、[[北アメリカ]]、[[東アジア]]の大陸部などで広く用いられている。[[ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道]]や[[リバプール・アンド・マンチェスター鉄道]]といった初期の鉄道で用いられたことがきっかけとなり、世界的に普及した。 |
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** 1,524(1,520) mm (5 ft 0 in = 60 in) - [[ソビエト連邦|旧ソ連]]各国、[[フィンランド]]、[[モンゴル国|モンゴル]] |
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** 1,600 mm (5 ft 3 in = 63 in) - [[アイルランド]]、[[オーストラリア]]一部 |
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** 1,668(1,665) mm - [[スペイン]]、[[ポルトガル]] |
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** 1,676 mm (5 ft 6 in = 66 in) - [[インド]]、[[パキスタン]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[バート (鉄道)|バート]] |
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** 2,130 mm (6 ft 11.9 in) - 鉄道草創期の[[イギリス]]などにあった。 |
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** 2,743 mm (9 ft 0 in = 108 in) - [[琵琶湖疏水]]の[[インクライン]](廃止) |
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** 3,000 mm (9 ft 10.125 in = 118.110236220472 in) - [[ナチス・ドイツ]]では、[[ブライトスプールバーン]]と呼ばれる巨大列車計画があった。 |
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** 9,000 mm - クラスノヤルスク([[ロシア]])の[[インクライン]] |
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* [[狭軌]] 標準軌より狭い軌間。「ナローゲージ (Narrow Gauge)」とも呼ばれるが、日本においては1067mm・1,372mmの軌間を「ナローゲージ」と呼ぶことは少ない(後述)。 |
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** 1,372 mm(4 ft 6 in) - [[京王線]]、[[都営地下鉄新宿線]]、[[東京都電車|都電]]、[[東急世田谷線]]、[[函館市企業局交通部|函館市電]]、1959年までの[[京成電鉄|京成線]]および[[新京成電鉄|新京成線]] - 偏軌。東京の馬車鉄道に由来することから馬車軌間と呼ばれる。 |
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** 1,067(1,065) mm(3 ft 6 in) - [[JR]][[在来線]]、多くの私鉄およびこれらの路線に乗り入れる地下鉄、[[台湾]]、[[フィリピン]]、[[インドネシア]]、[[南部アフリカ]](ケープ軌間)、中南米の一部、[[オーストラリア]][[クイーンズランド州]]、[[ニュージーランド]]。3フィート6インチから、日本では三六軌間、サブロクとも呼ばれる。 |
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** 1,000 mm(メーターゲージ) - [[東南アジア]](大陸部分)、ヨーロッパ([[ドイツ]]、[[スイス]]など)・[[アフリカ]]、[[南アメリカ]]の一部。日本では[[ケーブルカー]]ではあるが、1995年まで[[箱根登山鉄道鋼索線]]で使用されていた。 |
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**{{0}}950mm - イタリアの狭軌鉄道。(例:[[サルデーニャ鉄道]]) |
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** {{0}}914(912) mm(3 ft) - アメリカ合衆国の狭軌鉄道、[[ラテンアメリカ|中南米]]の一部の簡易鉄道。日本ではかつて福岡県を中心とした九州北部と岡山県の[[西大寺鉄道]]での採用例があったが改軌または路線廃止により現在では営業用[[普通鉄道]]での採用例はない。ケーブルカーでは[[青函トンネル竜飛斜坑線]]に日本で唯一使用されている。 |
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** {{0}}800 mm - スイスを中心としたヨーロッパのナローゲージの登山鉄道(例:[[ブリエンツ・ロートホルン鉄道]]、[[ピラトゥス鉄道]])に見られるゲージである。 |
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** {{0}}762 mm(2 ft 6 in) - 世界の多くの軽便鉄道・森林鉄道。日本では[[三岐鉄道北勢線]]、[[近鉄内部・八王子線]]、[[黒部峡谷鉄道]]。 日本で「ナローゲージ」と呼ばれる鉄道の多くがこの軌間である。2フィート6インチから、ニロク、ニブロクと呼ばれる。 |
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** {{0}} 609(610) mm -アジアなどの軽便鉄道(例・インドの[[ダージリン・ヒマラヤ鉄道]])、アメリカ合衆国、ヨーロッパの一部保存鉄道等、世界各地のそれほど輸送力を必要としない路線。また鉱山などの産業用鉄道(例・[[国土交通省立山砂防工事専用軌道|立山砂防工事専用軌道]])など。日本においては産業用鉄道の他、人車軌道などに採用例がある。 |
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** {{0}}600 mm - 日本ではかつて[[千葉県営鉄道]]の一部路線に採用例があった。 |
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** {{0}}597 mm - 英国ヴェール・オヴ・レイドール鉄道などの一部の鉄道 |
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** {{0}}381 mm(15 in) - 英国[[ロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道]]など一部の鉄道(ロムニー鉄道と同規格のものが伊豆修善寺の「[[虹の郷]]」園内にあり)、鉱山などのトロッコ、遊園地の豆汽車やお猿電車などの遊戯物、個人や小団体が保有する[[庭園鉄道]](例:[[桜谷軽便鉄道]])など |
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ただし1435 mm以外の軌間が主流となっている地域では、その軌間のことを「標準軌」と呼ぶことがある。たとえば日本においては1067 mmが圧倒的多数を占める。そのため、古い資料では「1435 mm=広軌、1067 mm=標準軌」と記されているケースもあり、注意が必要である<ref name="Oka_8-9"/>。この場合、[[京王京王線|京王線]]、[[函館市電]]などが採用する1372 mmは広軌の扱いを受けることが多い。 |
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ここまでが、実際の交通機関(輸送手段)として使われている(または過去に使われた)軌間である。これより狭いものは[[ライブスチーム]](イベントなどのミニSLなど)による庭園鉄道や、鉄道模型などで使われる。 |
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=== 広軌 === |
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{{main|広軌}} |
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標準軌より広い軌間。「ブロードゲージ(Broad Gauge)」とも呼ばれる。19世紀半ばには広軌のほうが標準軌より優れているとの考えから、様々な広軌が実用化された。その後標準軌に[[改軌]]されたことで現存しないものも多いが、国や地域によってはそのまま地域における標準的な軌間となった。 |
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現代の本線鉄道で用いられている軌間で最大のものは1,676 mm (5 ft 6 in)である<ref name="Aoki2008_50"/>。特殊用途の鉄道では、巨大な積載物を移動する必要性などから広軌が採用される場合もある。[[インクライン]]やレール上を移動するクレーンなどでは、極端に広い軌間が用いられることもある。 |
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現代の普通鉄道において用いられている主な広軌は以下である<ref name="Kokon_188-193"/><ref name="Puffert_318-319"/>。 |
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* [[5フィート軌間|1,520 mm または 1,524 mm (5 ft 0 in)]] - 旧[[ソビエト連邦]]各国、[[フィンランド]]、[[モンゴル国|モンゴル]] |
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* [[5フィート3インチ軌間|1,600 mm (5 ft 3 in)]] - [[アイルランド]]、[[オーストラリア]]の一部など |
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* [[イベリア軌間|1,668 mm]] - [[スペイン]](元は1672 mm)、[[ポルトガル]](元は1665 mm) |
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* [[5フィート6インチ軌間|1,676 mm (5 ft 6 in)]] - [[南アジア]]、[[南アメリカ]]の一部など |
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=== 狭軌 === |
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[[File:Blaenau Ffestiniog railway station MMB 02.jpg|thumb|標準軌の線路(右)とフェステニオグ鉄道の狭軌(597 mm)線路(左)]] |
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{{main|狭軌}} |
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標準軌より狭い軌間。「ナローゲージ (Narrow Gauge)」とも呼ばれる。[[国際鉄道連合]]の分類では、1000 mmから1067 mmまでの軌間を広義のメーターゲージとも呼ぶ<ref name="UIC_4"/>。1,000 mm未満の軌間は各地に分散しており、広範囲の鉄道網は形成していない<ref name="Aoki2008_50"/>。 |
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現代において用いられている主な狭軌は以下である<ref name="Kokon_188-193"/><ref name="Puffert_318-319"/>。 |
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* [[4フィート6インチ軌間|1,372 mm(4 ft 6 in)]] - [[スコットランド]]の初期の鉄道の一部と、20世紀以降の[[日本]]の一部。 |
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* [[3フィート6インチ軌間|1,067 mm(3 ft 6 in)]]または1,065 mm - [[JR]][[在来線]]、一部の[[私鉄]]・[[地下鉄]]など、[[台湾]]、[[フィリピン]]、[[インドネシア]]、[[南部アフリカ]](ケープ軌間)、[[ラテンアメリカ|中南米]]の一部、[[オーストラリア]]の一部、[[ニュージーランド]]。 |
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* 1,000 mm([[メーターゲージ]]) - [[東南アジア]](大陸部分)、[[アフリカ]]、[[南アメリカ]]の一部。ヨーロッパ([[ドイツ]]、[[スイス]]など)の地方鉄道など。 |
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* [[3フィート軌間|{{0}}914 mm(3 ft)]] - かつてのアメリカ合衆国の狭軌鉄道、[[ラテンアメリカ|中南米]]の一部の鉄道。 |
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* [[2フィート6インチ軌間|{{0}}762 mm(2 ft 6 in)]]または760 mm - 世界の多くの[[軽便鉄道]]。日本で「軽便」「ナローゲージ」「[[狭軌#日本の特殊狭軌線|特殊狭軌]]」と呼ばれる鉄道の多くがこの軌間である。 |
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* [[2フィート・600ミリ軌間|{{0}}610 mm(2 ft)、600 mmなど]] - 軽便鉄道 |
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営業用の鉄道として認知されているもののうちで、最小の軌間はイギリスの [[:en:Isle of Mull Railway|Mull and West Highland Railway]] ([[1983年]] - [[2010年]]、[[2011年]] 5月 - 9月 )と [[:en:Wells and Walsingham Light Railway|Wells and Walsingham Light Railway]] の260 mm である。このほか 311 mm, [[15インチ軌間|381 mm (15 in)]], 500 mm などの軌間も存在する。日本では法制上は鉄道とはされていないが、伊豆修善寺の「[[虹の郷]]」園内の虹の郷ロムニー鉄道が381 mm軌間である<ref name="Kokon_44"/>。 |
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三重県の[[桑名駅]]付近に、762 mmの[[三岐鉄道北勢線]]、1067 mmの[[関西本線]]、1435 mmの[[近鉄名古屋線]]と、異なる3種の軌間を渡る[[踏切]]がある<ref>{{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄 |date=2010-08-22 |publisher=[[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume=2号 近畿日本鉄道 1 |isbn=978-4-02-340132-7 |page=5}}</ref>。 |
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ここまでが、実際の[[公共交通機関|交通機関]]([[輸送]]手段)として使われている(または過去に使われた)軌間である。これより狭いものは[[ライブスチーム]](イベントなどのミニSLなど)による[[庭園鉄道]]や、[[鉄道模型]]などで使われる<ref name="Kokon_20"/>。 |
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{{Seealso|鉄道模型#軌間(ゲージ)}} |
{{Seealso|鉄道模型#軌間(ゲージ)}} |
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* 190.5 mm - [[7.5インチゲージ|7 1/2インチゲージ]] |
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* 127{{0|.0}} mm - [[5インチゲージ]] |
* 127{{0|.0}} mm - [[5インチゲージ]] |
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* {{0}}89{{0|.0}} mm - [[3.5インチゲージ]] |
* {{0}}89{{0|.0}} mm - [[3.5インチゲージ|3 1/2インチゲージ]] |
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* {{0}}45{{0|.0}} mm - [[1番ゲージ]]、[[Gゲージ]] |
* {{0}}45{{0|.0}} mm - [[1番ゲージ]]、[[Gゲージ]] |
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* {{0}}32{{0|.0}} mm - [[Oゲージ]] |
* {{0}}32{{0|.0}} mm - [[Oゲージ]] |
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* {{0|00}}3{{0|.0}} mm - [[Tゲージ]] |
* {{0|00}}3{{0|.0}} mm - [[Tゲージ]] |
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== 脚注 == |
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1435mmはあくまでも欧米における標準であり、日本においては1067mmが圧倒的多数を占める。そのため、古い資料では「1435mm=広軌、1067mm=標準軌」と記されているケースもあり、注意が必要である。この場合、京王線、函館市電などが採用する1372mmは広軌の扱いを受けることが多い。 |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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== 軌間の異なる路線への乗り入れ == |
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{{Notelist}} |
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=== 三線軌・四線軌などレールの追加による対応 === |
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[[FIle:Hakone-Itabashi-Dualgauge.jpg|thumb|right|200px|[[三線軌条]]の分岐器の例。通常の分岐器は2箇所が可動だが、これは5箇所が可動である。]] |
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車両側に何も手を加える必要がないため、各地でこのような対応がとられることが多い。保守、特に分岐器などで手間とコストがかかること、三線軌では列車の中心位置がずれるため建築限界への制約、レールの扁磨耗という欠点がある。 |
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*[[奥羽本線]]/[[秋田新幹線]] 神宮寺 - 峰吉川間など |
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*[[箱根登山鉄道]] 入生田 - 箱根湯本間(過去:小田原 - 箱根湯本間) |
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*[[京急逗子線]]上り線(過去:[[京急大師線|大師線]]) |
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*[[北海道新幹線]]開通後の[[青函トンネル]]内とその前後では、新幹線用の標準軌とJR在来線用(主に貨物列車)の狭軌の3線軌になる予定である。 |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|20em|refs= |
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[[File:Bogies-exchange.jpg|thumb|中国・ロシア国境での台車交換]] |
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<ref name="AMM_26">{{Harvnb|天野|前田|三輪|1992|p=26|Ref=AMM1992}}</ref> |
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旧ソ連やスペインなど広軌鉄道となっている区間に、標準軌の客車・貨車を乗り入れさせるために、接続駅で[[鉄道車両の台車|台車]]の交換が行われる。日本では機関車牽引の旅客列車が少なく、貨物列車のほぼ全てが狭軌区間を走行するためなじみが薄いが、ミニ新幹線車両や1067mm軌間でない民鉄の鉄道車両をJR在来線を介して輸送する場合などには、台車交換が行われることがある([[車両輸送]]を参照)。[[近畿日本鉄道]]では車両工場が標準軌線内にあるため、1,067mm軌間車両が入場する際は境界駅で仮台車に交換している。日本国内での営業用旅客列車の例としては、1988年に標準軌の[[オリエント急行]] (NIOE) 客車を、狭軌のJR在来線で走行させるために台車交換を行ったことがある。しかし、台車交換に時間がかかること、動力分散型車両への適応が難しいことなどの欠点がある。 |
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<ref name="AMM_46-48">{{Harvnb|天野|前田|三輪|1992|pp=46-48|Ref=AMM1992}}</ref> |
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<ref name="AMM_47">{{Harvnb|天野|前田|三輪|1992|p=47|Ref=AMM1992}}</ref><!-- 表3.2 --> |
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<ref name="Alvarez_9">{{Harvnb|Álvarez|2010|p=9}}</ref> |
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<ref name="Alvarez_11-12">{{Harvnb|Álvarez|2010|pp=11-12}}</ref> |
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<ref name="Alvarez_16">{{Harvnb|Álvarez|2010|pp=11-12}}</ref> |
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<ref name="Alvarez_23">{{Harvnb|Álvarez|2010|p=23}}</ref> |
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<ref name="Alvarez_34">{{Harvnb|Álvarez|2010|p=34}}</ref> |
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<ref name="Aoki1996_37">{{Harvnb|青木|1996|p=37|Ref=Aoki1996}}</ref> |
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<ref name="Aoki2002_36">{{Harvnb|青木|2002|p=36|Ref=Aoki2002}}</ref> |
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<ref name="Aoki2002_37">{{Harvnb|青木|2002|p=37|Ref=Aoki2002}}</ref> |
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<ref name="Aoki2008_43-44">{{Harvnb|青木|2008|pp=43-44|Ref=Aoki2008}}</ref> |
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<ref name="Aoki2008_44-45">{{Harvnb|青木|2008|pp=44-45|Ref=Aoki2008}}</ref> |
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<ref name="Aoki2008_45-47">{{Harvnb|青木|2008|pp=45-47|Ref=Aoki2008}}</ref> |
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<ref name="Aoki2008_50">{{Harvnb|青木|2008|p=50|Ref=Aoki2008}}</ref> |
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<ref name="Fukuda_104">{{Harvnb|福田|2002|p=104|Ref=Fukuda2002}}</ref> |
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<ref name="Gau_1">[[#Gautrain2001|"Gautrain Rapid Rail Link: Planning and Implementation Study, Document 2.4: Gauge"]] p.1</ref> |
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<ref name="Handa_83-88">{{Harvnb|半田|2010|pp=83-88|Ref=Handa2010}}</ref> |
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<ref name="Haraguchi_148-149">{{Harvnb|原口|2010|pp=148-149|Ref=Haraguchi2010}}</ref> |
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<ref name="Hayashi_449">{{Harvnb|林|2010|p=449|Ref=Hayashi2010}}</ref> |
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<ref name="JARTS_441">[[#JARTS2005|『最新 世界の鉄道』]] p.441</ref> |
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<ref name="Kakizaki_557-559">{{Harvnb|柿崎|2010|pp=557-559|Ref=Kakizaki2010}}</ref> |
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<ref name="KH_93">鹿島雅美、原田進 『日本の私鉄2 近鉄』保育社 p.93</ref> |
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<ref name="Kokon_188-193">[[#Oka-Yamada|『ゲージの鉄道学』]] pp. 188-193</ref> |
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<ref name="Kokon_20">{{Harvnb|岡|2002|p=20|Ref=Oka_col1}}</ref> |
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<ref name="Kokon_44">{{Harvnb|岡|2002|p=44|Ref=Oka_col2}}</ref> |
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<ref name="MW_5">{{Harvnb|宮本|渡辺|1980|p=5|Ref=MW1980}}</ref> |
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<ref name="MW_10">{{Harvnb|宮本|渡辺|1980|p=10|Ref=MW1980}}</ref> |
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<ref name="MW_494">{{Harvnb|宮本|渡辺|1980|p=494|Ref=MW1980}}</ref> |
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<ref name="MW_496">{{Harvnb|宮本|渡辺|1980|p=496|Ref=MW1980}}</ref> |
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<ref name="Oka_2_3">{{Harvnb|岡|2002|pp=2-3|Ref=Oka_ch1}}</ref> |
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<ref name="Oka_3-5">{{Harvnb|岡|2002|pp=3-5|Ref=Oka_ch1}}</ref> |
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<ref name="Oka_5-8">{{Harvnb|岡|2002|pp=5-8|Ref=Oka_ch1}}</ref> |
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<ref name="Oka_8-9">{{Harvnb|岡|2002|pp=8-9|Ref=Oka_ch1}}</ref> |
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<ref name="Oka_11">{{Harvnb|岡|2002|p=11|Ref=Oka_ch1}}</ref> |
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<ref name="Oka_48-49">{{Harvnb|岡|2002|pp=48-49|Ref=Oka_ch4}}</ref> |
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<ref name="Oka_53-54">{{Harvnb|岡|2002|pp=53-54|Ref=Oka_ch4}}</ref> |
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<ref name="Puffert_16-17">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=16-17}}</ref> |
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<ref name="Puffert_19">{{Harvnb|Puffert|2009|p=19}}</ref> |
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<ref name="Puffert_20-21">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=20-21}}</ref> |
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<ref name="Puffert_21-22">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=21-22}}</ref> |
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<ref name="Puffert_22-23">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=22-23}}</ref> |
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<ref name="Puffert_24-25">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=24-25}}</ref> |
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<ref name="Puffert_25-27">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=25-27}}</ref> |
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<ref name="Puffert_27-29">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=27-29}}</ref> |
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<ref name="Puffert_30">{{Harvnb|Puffert|2009|p=30}}</ref> |
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<ref name="Puffert_31">{{Harvnb|Puffert|2009|p=31}}</ref> |
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<ref name="Puffert_32">{{Harvnb|Puffert|2009|p=32}}</ref> |
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<ref name="Puffert_34">{{Harvnb|Puffert|2009|p=34}}</ref> |
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<ref name="Puffert_35">{{Harvnb|Puffert|2009|p=35}}</ref> |
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<ref name="Puffert_35-36">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=35-36}}</ref> |
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<ref name="Puffert_53">{{Harvnb|Puffert|2009|p=53}}</ref> |
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<ref name="Puffert_60-61">{{Harvnb|Puffert|2009|p=60-61}}</ref> |
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<ref name="Puffert_85-87">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=85-87}}</ref> |
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<ref name="Puffert_113-114">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=113-114}}</ref> |
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<ref name="Puffert_120-121">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=120-121}}</ref> |
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<ref name="Puffert_122">{{Harvnb|Puffert|2009|p=122}}</ref> |
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<ref name="Puffert_171">{{Harvnb|Puffert|2009|p=171}}</ref> |
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<ref name="Puffert_172-173">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=172-173}}</ref> |
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<ref name="Puffert_173-174">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=173-174}}</ref> |
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<ref name="Puffert_176-182">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=176-182}}</ref> |
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<ref name="Puffert_179-181">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=179-181}}</ref> |
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<ref name="Puffert_181-182">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=181-182}}</ref> |
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<ref name="Puffert_182">{{Harvnb|Puffert|2009|p=182}}</ref> |
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<ref name="Puffert_193-194">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=193-194}}</ref> |
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<ref name="Puffert_195">{{Harvnb|Puffert|2009|p=195}}</ref> |
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<ref name="Puffert_203-205">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=203-205}}</ref> |
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<ref name="Puffert_205-207">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=205-207}}</ref> |
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<ref name="Puffert_212">{{Harvnb|Puffert|2009|p=212}}</ref> |
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<ref name="Puffert_215-216">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=215-216}}</ref> |
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<ref name="Puffert_224-225">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=224-225}}</ref> |
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<ref name="Puffert_233-235">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=233-235}}</ref> |
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<ref name="Puffert_318-319">{{Harvnb|Puffert|2009|pp=318-319}}</ref> |
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<ref name="RTRI_137">[[#RTRI2006|『第2版 鉄道技術用語辞典』]] p.137</ref> |
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<ref name="Saito_33-34">{{Harvnb|Saito|2002|pp=33-34}}</ref> |
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<ref name="Saito_686-687">{{Harvnb|西藤|2010|pp=686-687|Ref=Saito2010}}</ref> |
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<ref name="Tada_519-520">{{Harvnb|多田|2010|pp=519-520|Ref=Tada2010}}</ref> |
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<ref name="Tada_525-526">{{Harvnb|多田|2010|pp=525-526|Ref=Tada2010}}</ref> |
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<ref name="UIC_4">[[#UIC2004|3rd Meter Gauge Group CEO’s Conference]] p.4</ref> |
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<ref name="Wol_5">{{Harvnb|Wolmar|2012|loc=Chapter 5}}</ref><!-- kindle版を参照 --> |
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<ref name="Wol_8">{{Harvnb|Wolmar|2012|loc=Chapter 8}}</ref><!-- kindle版を参照 --> |
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<ref name="Wolmar_88">{{Harvnb|ウォルマー|2012|p=88|Ref=Wolmar2012}}</ref> |
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}} |
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== 参考文献 == |
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類例としては、ナローゲージ用の貨車を標準軌用の専用貨車に積載して、そのまま直通させる例がある。 |
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=== 書籍 === |
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<!-- 和書 --> |
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* {{Citation|和書 |
|||
|author=宮本俊光 |
|||
|author2=渡辺偕年 |
|||
|title=線路:軌道の設計・管理 |
|||
|year=1980 |
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* {{Citation|和書 |
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|title=鉄道ゲージが変えた現代史~列車は国家権力を乗せて走る |
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|title=図説 鉄道工学 |
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<!-- 団体名義 --> |
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=== 車両側による対応 === |
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[[軌間可変車軸]]を備えた車両によるもので、スペインの[[タルゴ]]客車や[[Alvia]]電車、日本の[[軌間可変電車|フリーゲージトレイン]](試験中)などが挙げられる。いずれも台車の脱着をすることなく、専用の軌間変更装置の上を走行することで迅速に標準軌と非標準軌の転換が可能。 |
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== |
=== 雑誌記事・Web上の資料 === |
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<!-- 雑誌 --> |
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[[三重県]][[桑名市]]の[[桑名駅]]近くの[[踏切]]では、[[近鉄名古屋線]] (1435mm)・JR東海[[関西本線]] (1067mm)・[[三岐鉄道北勢線]] (762mm)と、3種の軌間が並ぶ姿が見られる。{{ウィキ座標|35|3|51.8|N|136|40|59.7|E|region:JP|(地理座標)}} |
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* {{Citation|和書 |
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[[File:Kuwana-sansen-fumikiri.jpg|thumb|right|250px|桑名駅南の3種の軌間が揃う踏切]] |
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== 関連項目 == |
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*[[改軌]] |
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*[[日本の改軌論争]] |
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*[[軌道中心間隔]] |
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*[[軌間可変電車]](フリーゲージトレイン) |
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*[[三線軌条]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.gautrain.co.za/about/services/look-feel/gautrain-gauge/ GAUTRAIN GAUGE] - [[ハウトレイン]]の軌間の検討について |
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*[http://archive.is/20120713100348/http://parovoz.com/spravka/gauges-en.php Railroad Gauge Width](英語) |
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2024年7月18日 (木) 17:22時点における最新版
鉄道輸送 |
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鉄道施設 |
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軌間不連続点 · 三線軌条 · 改軌 · 台車交換 · 軌間可変 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地域別 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間(きかん)は、鉄道の線路を構成する左右の軌条(レール)の間隔である。ゲージ(英語: Gauge)ともいう。軌条には幅があるため、軌条頭部の内側の最短距離と規定される(詳しくは後述)。
軌間は鉄道の機能・能力に関わる重要な要素であり、また軌間の異なる鉄道の間では通常は直通運転は不可能である[1]。世界で最も普及している軌間は1435 mm(4フィート[注釈 1]8 1/2インチ)で、標準軌と呼ばれる。標準軌より広い軌間を広軌、狭いものを狭軌と呼ぶ。日本で多い狭軌は、在来線でよく使われる1067 mmである。軌間を変更することは改軌と呼ばれる。しかし、改軌は周辺のものに大きく影響があり費用も莫大なため、余程の理由がない限り行われない。
曲線部では、車輪のすべてが、曲線の中心を向くことができないのと、車輪のフランジが軌条に接触することなく走行できるようにするため、内側の軌条を曲心側に若干広げて、軌条の間隔を所定の軌間より広げて車輪を円滑に走行できるようにしており、この拡幅をスラック(拡度)と呼んでいる。曲線半径が600 m以下の場合において設けられるが、その設定幅は曲線半径、台車の固定軸距、軌間などの数値や実験値等から計算され、曲線半径のランクにより5 mm刻みに設定されており、大きな値をとってしまうと脱線の危険が生まれてしまうため、最大値で30 mmとしている。また、曲線半径が600 m以上においても2 mm以下のスラックが設けられる場合がある[2]。
定義
[編集]軌間の正確な定義には、レールの頭部上面から一定の長さだけ下がった位置での左右のレール内側面の距離とするものと、上面から一定の範囲内でのレール内面の最短距離とするものがあり、国や地域などによって若干の差異がある[3]。
- 日本 - レール上面から鉛直方向に16 mm以内の最短内面距離[1]。
- アメリカ合衆国(アメリカ鉄道技術協会) - レール上面から15.875 mm(5/8インチ)下がった位置での内面距離[3]。
- スペイン - レール上面から14.5 mm(±5 mm)下の位置での内面距離[4]。
19世紀後半のフランスとイタリアでは、レール中心の間隔を基準として定めていた。この場合軌間はレールの幅によって変わってしまうことになる[5][6]。
歴史
[編集]標準軌の起源とゲージ戦争
[編集]現代において標準軌とされる4フィート8.5インチ軌間の起源は、イングランド北東部のキリングワース炭鉱の馬車鉄道で用いられていた4フィート8インチ軌間である[1]。なおキリングワースの車輪間隔の起源をさらに古代ローマの馬車にまで遡ることができるとする説[7]もあったが後に否定されている[8]。1814年、ジョージ・スティーヴンソンがこの炭鉱鉄道のために蒸気機関車を製造した[9]。スティーブンソンはその後他の炭鉱向けにも機関車を製造し、1823年にはロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニーを設立したが、ここで製造された機関車も同じ軌間で設計されていた。スティーブンソンは、各地の鉄道で同じ軌間を使ったほうが機関車や諸設備の量産に都合がよく、また将来これらの鉄道が相互に接続された時にも便利であると考えていた[10]。1825年にストックトン・アンド・ダーリントン鉄道で公共用の鉄道として初めて蒸気機関車が使われ、1830年には世界初の蒸気機関車による旅客用鉄道であるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した。これらの鉄道でもスティーブンソンの機関車が用いられた[9]。ただし、軌間はこの途中のいずれかの段階で半インチ拡大されて4フィート8.5インチとなっている[9]。
その後もスティーヴンソンらの関わった鉄道では4フィート8 1/2インチ軌間が採用されたが、蒸気機関車を用いた鉄道で馬車由来の軌間を用いる必然性はなく、より広い軌間のほうがよいと考える技術者も多かった。代表的な例がイザムバード・キングダム・ブルネルであり、グレート・ウェスタン鉄道において7フィート1/4インチ(2140 mm)という広軌を採用した[11]。ブルネルは、グレート・ウェスタン鉄道がスティーヴンソンの4フィート8 1/2インチ軌間の鉄道と接続する必要はないとして、異なる軌間でも特に問題はないと考えていた[12]。ブルネルほど極端ではないにしろ、1830年代から40年代には5フィートから6フィート程度の様々な広軌鉄道が現れており、イングランドでもグレート・ウェスタン鉄道に追従して1836年にイースタンカウンティー鉄道が7フィート1/4インチ軌間にしようと試みたが技師長のブレイスウェスト[注釈 2]によって5フィート軌間を勧められどちらとも違う軌間を始めた(後に標準軌に改軌)[13][14]。
ただし、こうした異なる軌間が路線を拡大した結果1844年にグロスターにおいて4フィート8 1/2インチ軌間と7フィート1/4インチ軌間の鉄道ははじめて接し、これにより軌間が異なると直通運転ができないという弊害が顕在化した[15]。軌間をどちらに統一すべきかは「ゲージ戦争(Battle of the gauges)」と呼ばれる激しい論争となった。1845年、王立委員会は広軌の技術的な優位は認めつつ、その差はわずかであり[11]、路線長の長い4フィート8 1/2インチ軌間に統一するのが好ましいと勧告した。翌1846年に制定された軌間法により、グレートブリテン島の新規路線は原則として4フィート8 1/2インチの軌間で建設されることになった[11]。
この規定はスコットランド(5フィート6インチ軌間の「アブローズ~フォーファー」の路線が先行して施設されていた)にも適用され、安全上などの理由で広軌を求める声もあったが陸続きである以上4フィート8.5インチ軌間を受け入れることになった。ただし、アイルランドの鉄道は、グレートブリテン島とは海で隔てられているため共通の軌間を用いる必要はないとして、5フィート3インチ(1600 mm)が標準とされた[16]。(時系列的に少々戻るがアイルランドは1834年に軌間4フィート8 1/2インチで最初の鉄道が施設、その後ダブリンとベルファスト間で本格的に施設する際もっと広軌にするべきだと6フィート2インチか5フィート2インチかで揉めて最終的に5フィート3インチで妥協され、1846年の軌間法で追認された[14]。)
標準軌と広軌の普及
[編集]大陸ヨーロッパではイギリスと比べ鉄道の建設や運営に政府の関与が強く、軌間の選択に関しても最初に政府が決定した例が多い[17]。このとき最も多く選ばれたのはスティーヴンソンの1435 mm軌間であるが、オランダ、バーデン大公国、ロシア帝国、スペイン、ポルトガルの各国ではそれぞれ広軌(5~6フィート前後)が採用された。これは広軌のほうが技術的には優れているという見解に基づくものであった。オランダとバーデンでは後に周辺国に合わせて1435 mmに改軌したが、ロシアとイベリア半島の軌間はそのまま現代に至っている[18][14]。
アメリカ合衆国では、1830年代から40年代にかけて、民間の鉄道会社により多くの鉄道が開業した。これらの鉄道は、港と内陸を結ぶことが主目的で相互の接続が軽視されたこともあり、4フィート8 1/2インチの他にも様々な広軌が採用された。これが1860年代頃までには、北東部では4フィート8.5インチ、南部では5フィート、ニュージャージー州とオハイオ州では4フィート10インチのように地域的に統合され、さらに1863年に大陸横断鉄道の軌間が4フィート8 1/2インチとされたことがきっかけとなって、全国的に4フィート8 1/2インチに統一された[19]。
カナダでは、1851年に5フィート6インチを標準とする法律が制定された[20]が、1870年に廃止され、アメリカ合衆国との直通の必要から4フィート8 1/2インチに改軌された[21][22]。
英領インドでは、最初のカルカッタ周辺は4フィート8 1/2インチ軌間で始まったが、1851年以降ダルハウジー侯爵ジェイムズ・ラムゼイ総督により5フィート6インチ軌間が標準とされた。ダルハウジーはイギリスの経験から最初に軌間などの規格を統一しておくことが重要であると考えていたが、インドはイギリス本土と直通するわけではないので独自に最良を選ぶべきだとして4フィート8 1/2インチがイギリスで統一されたのは「あくまで一地方の状況から偶然できたもので鉄道のベストとは限らない」としたが、ブルネルの7フィート1/4インチも大きすぎると考えたのか「この間に最良のものがある」と自身は6フィートを主張した(連続急勾配対策やハリケーン対策などの意味があったとも言われる)が4フィート8 1/2インチ組と話し合った結果5フィート6インチでまとまった[23][24][14]。
オーストラリアでは後の各州に相当する各植民地が独自に鉄道建設を行なった結果、最初(1850年)のサウスオーストラリア州は4フィート8 1/2インチ、次(1852年)にニューサウスウェールズ州はアイルランド式の5フィート3インチでビクトリア州と前述のサウスオーストラリア州もこれに合わせ改軌。しかしニューサウスウェールズの技師長がアイルランド人からスコットランド人に変わると今度は4フィート8 1/2インチになる(ビクトリア・サウスオーストラリアは変更せず)など混乱が続き、1870年代の狭軌ブームの時代もあって1067 mmの州も加わるなど、州ごとにゲージが分断されたまま発展が続いて現在に至っている[25][14]。
ラテンアメリカ各地の鉄道の軌間は建設の始まった時期により異なり、1837年から1851年までの6例ではすべて1435 mm軌間、1854年から1863年までの6例はすべて広軌である。1865年にウルグアイが1435 mm軌間を採用したのを挟んで、以後はもっぱら狭軌となる[26]。
狭軌鉄道の流行
[編集]馬車由来の軌間より意図的に狭い軌間を使った初期の例としては、1836年開業のウェールズのフェステニオグ鉄道の1フィート11 1/2インチ(597 mm)がある[27]。ただし当時はこうした狭軌鉄道では蒸気機関車を用いることはできなかった。
1860年ごろからは、狭軌でも実用的な蒸気機関車が製造可能になった[28]。ノルウェーのカール・アブラハム・ピルは、同国西部での鉄道の建設にあたり、3フィート6インチ(1067 mm)軌間がコストと能力のバランスのとれた理想的な軌間であるとした[29]。ピルはイギリスで技術教育を受けており、その見解はチャールズ・フォックスをはじめとするイギリスの技術者たちにも支持された[27]。さらに1865年ごろからは、フェステニオグ鉄道の技術者チャールズ・イーストン・スプーナーやイギリス商務省のヘンリー・タイラーらによって、3フィート(914 mm)や2フィート6インチ(762 mm)の軽便鉄道のアイデアが提唱された。スプーナーらは、従来の標準軌や広軌の鉄道は無駄が多く、狭軌の軽便鉄道こそが将来の鉄道にふさわしいと主張した[30]。
1860年代後半から1880年代にかけては、フォックスやその影響を受けたイギリス人を中心とする技術者の指導により、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの鉄道未開業地域において1067 mmや1000 mm、914 mmなどの軌間での鉄道建設が相次いだ[31]。1872年に開業した日本の鉄道が1067 mm軌間を採用したのもその一例である[32]。またケープ植民地(南アフリカ)やニュージーランドでは、一旦標準軌での鉄道建設が始まっていたものが、狭軌に切り替えられている[33][34]。タイやインドネシアでは、先行していた標準軌鉄道とは別に狭軌の鉄道が建設され、その後長い時間をかけて狭軌に統一された[35][36]。
インドとオーストラリアでは、すでに広軌や標準軌の鉄道網がある程度発達していたにもかかわらず、狭軌の鉄道も並行して建設されるようになった[37][38]。このため複数の軌間が混在する状況が生じ、21世紀に至っても完全には解消されていない[39][40]。
すでに標準軌の普及していたヨーロッパや北アメリカでも、標準軌路線を作るほどの需要のない地域での軽便鉄道の規格として狭軌は広く用いられた[31]。
アメリカ合衆国では、1871年に3フィート軌間のデンバー・アンド・リオグランデ鉄道の最初の区間が開通した[41]。1872年には第1回全米狭軌鉄道会議(National Narrow-Gauge Railway Convention)が開催され、3フィート軌間がアメリカにおける狭軌の統一規格として合意されるとともに、標準軌鉄道に代わって狭軌の幹線鉄道網を築くという野心的な計画も示された[42]。
しかし、狭軌鉄道がある程度普及してくると、狭軌は従来主張されていたほど経済的ではないことが明らかとなった。オーストラリア・クイーンズランド植民地の鉄道の建設費は当初予算を40 %も超過した[38]。またアメリカ合衆国の狭軌鉄道会社でも、1880年代には標準軌鉄道との積み換えを避けるための改軌が相次いだ[43]。アメリカ合衆国のアーサー・M・ウェリントンは1887年の著書で、狭軌鉄道の利点とされていた建設費の安さや曲線通過性能は、実際には軌間にほとんど依存せず、ランニングコストはかえって高くなってしまうと述べた。狭軌を使う意味のあるのは、車体サイズなどを小さくした低規格の軽便鉄道の場合に限られる。しかしウェリントンやその支持者たちの主張では、建設段階では需要の少ない路線であっても、狭軌ではなく標準軌で建設したほうが、将来の改良で本線鉄道網の一部とすることが容易であるため好ましいとしている[44]。
アメリカ合衆国やイギリスではこの主張が比較的早く受け入れられたが、大陸ヨーロッパにおいては20世紀前半においても狭軌の軽便鉄道の建設が続いた[44]。しかし自動車が普及してくると、速度や輸送力の劣る軽便鉄道は競争力を失い、多くが廃止に追い込まれた[45]。
20世紀以降の傾向
[編集]20世紀に入ってからは、新たに鉄道の軌間を選択する機会そのものが稀になったこともあり、軌間の優劣に関する議論は低調になった[46]。20世紀初めごろには日本(日本の改軌論争)や南アフリカ、オーストラリア、アメリカ合衆国などで、狭軌鉄道を標準軌に[注釈 3]、あるいは標準軌を広軌に[注釈 4]改軌すべきであるという議論が起こったが、オーストラリアのいくつかの狭軌鉄道が標準軌に改軌された例を除いて、いずれも実現には至っていない[47]。ナチス・ドイツでは軌間3000 mmの超広軌鉄道「ブライトシュプールバーン」が計画されていた[48]。
20世紀後半以降に新たに建設された鉄道では、標準軌が採用される例が多い。日本の新幹線や多数の製鉄所構内鉄道が、狭軌の在来線網とは独立した形で標準軌を選んだのがその最たるものである。またアフリカ各国やブラジル、オーストラリアでは、従来の狭軌鉄道とは別に、鉱山用や通勤用に標準軌で鉄道を新設した例がある。逆にスペインなどは在来線は広軌だが、高速列車のAVEはフランスなどとの接続を考えて、また通勤用の鉄道は車両限界をなるべく小さくして建設費用や車両新製費用を抑えるために、いずれも狭い標準軌で施設されている。こうした選択は、既に存在する技術を活用でき、車両や資材の調達もしやすいことによるものである[49]。
軌間の広狭による性質
[編集]一般的に、軌間が広いほど輸送力や最高速度など鉄道の能力は高まり、逆に狭いほど建設費は安くなるとされる。ただしこれらには様々な要因があり、単純に軌間のみで決まるわけではない[1]。また時代によりその評価は変わっており、論拠の一部は特定の時代の技術に依存したものである[50]。
安定性
[編集]鉄道車両には鉛直方向の重力のほか、横風や走行時の車両の動揺、曲線通過時の遠心力などにより横方向の力がかかっている。車両の重心からこれらの力の合力方向にひいた直線が線路面と交わる位置が、片方のレールの外側になると、車両は転覆してしまう。また、軌道の中心から軌間の6分の1以上ずれると、脱線の確率が高まることが知られている[51]。
このため、重心の高さが同じであれば広軌のほうが横方向の力に対してより安全であるといえる。特に列車の速度が速くなるほどこうした力の影響は大きくなるため、高速運転には軌間の広いほうが適している。狭軌の場合は、横方向の力の発生を防ぐためより精度の高い保線作業が必要となる。また同程度の安定性を求めるのであれば、軌間の広いほうが重心を高くすることができ、大型の車両を用いることができる[52]。
1850年代にインドの鉄道で広軌(1676 mm)が採用された理由のひとつとして、軌間が広いほうがサイクロンなどの強風に対して安全であるということが挙げられている[53][14]。また1973年にアメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリアで開業したBARTでも、湾岸地域での横風に対する安定性を考慮して1676 mm軌間とコンクリート道床の組み合わせを採用した[54]。
機関車の性能
[編集]蒸気機関車の用いられていた時代には、軌間の広いほうが機関車の性能が高いとされていた。これは1830年代から20世紀前半に至るまで、広軌の優位性を主張する最大の根拠であった[55]。
1830年代から40年代初頭まで、蒸気機関車のシリンダーは車輪の内側に取り付けられていた。これは、シリンダーを外側にすると蒸気が空気で冷やされて効率が落ちると考えられたこと、また機関車の車体に左右交互に力が加わるため、当時の技術ではこれに耐えられるような台枠が作れなかったことによるものである。このため、シリンダーの大きさは軌間に大きな影響を受けた。加えて、この時代の弁装置は大きく、頻繁な保守作業を必要とした。これも車輪の内側におかれたため、狭い軌間はメンテナンスが困難であるとして嫌われることになった[55]。これ以外にもシリンダーから動輪の軸に力を伝えるクランク部分が広軌の方が広くとれるので摩耗や強度的に有利orクランクが同じ幅ならより外側にずらすことでボイラー下部と干渉しにくくなり、ボイラー高さを抑えられたり太いボイラーが使えるというメリットもあった[56]。
ただし、1840年代半ば以降になると、車体の製造技術の向上などにより外側シリンダーの蒸気機関車が製造可能になり、シリンダーの大きさが軌間に制約されることはなくなった[55]。むしろ外側シリンダーでは車両限界や特にボイラーの太さが同一ならば広軌の方がシリンダーをより外側につけるため、シリンダーの大きさを妨げる原因になり[57]、イギリスの軌間問題に関する王立調査委員会は、1845年の報告で7フィート軌間のほうが4フィート8 1/2インチ軌間より機関車の性能が優れていることは認めつつ、その差は僅かであると指摘している[11]。
一方で、軌間の広いほうが高い重心が許容されるため、火室やボイラーを大型化し、出力を向上させることができる[55]。19世紀半ばまでは低い蒸気圧しか使えなかったため、この点は大きな差にはならなかった。しかし使用蒸気圧の増した19世紀末から20世紀であれば、軌間と蒸気機関車の性能にはより強い関係があった[11]。20世紀初頭の段階では、狭軌の蒸気機関車は標準軌の半分程度の性能しか出せないとされていた[55]。 1912年に日本で行われた実験では、国鉄の2120形と呼ばれたタンク機関車のグループのうち2323号機を広軌化(1067 mm→1435 mm)して、左右車輪の間に空間ができたのを利用して火室の幅を広げた所、牽引能力が上昇して1067 mm時には10 ‰勾配上で250 tの列車を引けたものが1435 mm時には350 tまで牽引可能になった[58][59]。1920年代のアメリカ合衆国では、標準軌でも不十分であり、6フィート(1829 mm)などの広軌に改軌したほうがより高性能の機関車を設計できるという主張があった[55][注釈 5]。
ただし、蒸気機関車でも従輪で火室を受ければ軌間を超える幅の広い火室を重心を上げずに採用できるし、ボイラーもガーラット式機関車のようにボイラーの前後に走り装置をつけて支える形式にすれば、動輪に邪魔されずナローでも太いボイラーを使う[注釈 6]ことは可能である。
一方、電動機(モーター)を動力源とする電車や電気機関車(電気式動力伝達の内燃機関動力車も含む)の場合は、通常動輪のすぐ横でモーターを軸と平行に置くので車輪直径で上下方向、軌間で左右方向の大きさに制約が生じる[注釈 7]。この影響は電車より電気機関車、電気機関車より電気式動力伝達の内燃機関動力車の方が大きい。
このためモーターの大型化・車輪直径を抑える・狭軌の3つはすべて満たすことが難しくなり、日本の例では明治の末に国鉄が山手線で初めて電車を運行したころはモーターが50馬力だったので車輪径が客車や貨車と同じ大きさでもさほど問題はなかったが、大正3年に京浜間に100馬力の大型モーターの電車を走らせることになった際、このサイズの車輪ではモーターの下端とレール上面の隙間が構造規定を下回ってしまうため車輪径を大きくして910 mmの車輪を採用し、以後これが電車の標準になったことがある[60]。私鉄でも小田急箱根は急勾配を理由に標準軌を採用している[注釈 8]。
逆に路面電車など床高さを抑えるため車輪が小さくならざるを得ない車両では、狭軌になるとモーターを収める空間に余裕がなくなるため、モーターの位置を変え直角カルダン駆動方式や車体装架カルダン駆動方式などを採用したり、逆に路面電車に多い急カーブや狭小建築限界に不利とわかっていても軌道施設時に標準軌を選択する場合がある。
なお、内燃機関を機械式もしくは液体式で動力伝達をする車両の場合は、元々エンジンが車輪の間と無関係の位置にあるので軌間と出力の間に直接的な関係はほとんどない。但し内燃機関は電動機に比べて小型化が難しく、重心が高くなりがちであり、この点が蒸気機関車に似ている。
車両の搭載能力
[編集]貨車に貨物を搭載する場合の効率については、広軌のほうが有利であるという主張と狭軌のほうが有利であるという主張の双方が存在する[61]。
広軌を有利とするのは、広軌のほうが重心を高くすることができるため、車体を横方向のみならず垂直方向にも大型化することができるためである。このとき(車体長を不変とした場合)床や壁の面積は軌間の1乗のオーダーで増加するが、容積は2乗のオーダーで増えるため、より効率よく貨物を積むことができる[61]。
一方狭軌を有利とする根拠は、軌間が広いほど台車などが大きくなってしまい、運ぶべき貨物の重量に対して貨車そのものの重量が大きく効率が悪いことによる[61]。
結論を言えば、これは貨物の比重と輸送量に影響される。農産物など比重の小さい貨物を大量に運ぶときには前者の影響が大きく、広軌のほうが有利である。一方鉱石など比重の大きな貨物を少量運ぶときは後者の影響が大きい。鉱山などの専用鉄道で狭軌が採用される例があるのはこのためである[61]。
ただし、車体を大きくするには車両限界や建築限界(特に橋梁やトンネルの設計)、レールや路盤の強度なども関係してくるため、単純に軌間が広ければよいというわけではない[62]。1676 mmの広軌を採用しているインドの鉄道でも、欧米の標準軌鉄道と比べて車両限界は僅かに大きい程度である[63]。
これについては日本の鉄道院初代総裁である後藤新平も広軌化検討時に「ドイツ鉄道で現在(注:1909年)使用されている有蓋貨車は狭軌でこれは採用できる、したがって貨車においては広狭関係ない。アメリカの貨車は最も大きいが、南ア(注:南アフリカ共和国の事)のボギー貨車はこれに劣らないので貨車についてはボギーとすれば広狭同等と考える。」、「元九州鉄道の貴賓車(九州鉄道ブリル客車のこと)はイギリスよりも大きく、プロシャ(ドイツ)とほぼ同じである、したがって狭軌でも建築限界を広げれば「萬国寝台会社」サイズの客車を運転できる。」としている[64]。
曲線の通過
[編集]曲線部では、外側のレールのほうが内側のレールより長くなるが、同一の曲線半径であれば軌間が狭いほどその差は小さい。このため、狭軌のほうが小さな半径の曲線を作りやすいとされている[65]。特に山岳路線では、地形に沿うように線路を敷くことができるため、トンネルや橋梁などの高価な施設を最小限に抑えることができる。広軌論者のイザムバード・キングダム・ブルネルも、広軌の欠点としてこの点を認めており、1860年代以降の狭軌鉄道の流行においてもその最大のメリットとされていた[66]。広軌を用いているスペインでは、曲線通過のため左右の車輪が独立して回転するタルゴ車両が開発された[67]。
鉄道では車輪に踏面勾配を持たせることで、曲線部では外側の車輪とレールの接触部の半径が内側よりも大きくなり、外側の車輪の走行距離が内側よりも長くなって自然に曲がることができる。しかし内外の走行距離の差が踏面勾配によって吸収できないほど大きい場合には、フランジがレール側面と接触し、内外いずれかの車輪がレール上を滑ることになり、大きな摩擦を生じることになる[65]。
一方で、鉄道車両の曲線通過能力において、軌間の違いは本質的ではないとする見解もある[66]。
複数の車軸をもつ鉄道車両では、曲線部では車輪の向きとレールの向きが異なってしまう。この角度をアタック角といい、これが大きいほど走行抵抗が大きく、脱線の危険も高まる。アタック角は車軸の間隔に依存し、軌間とは関係ない。転向可能なボギー台車を用いることでアタック角を小さくすることができる[注釈 9]。実際、19世紀後半のアメリカの標準軌鉄道では、ボギー台車を用いることで、同時代の二軸車主体のヨーロッパの狭軌(軽便)鉄道より小さな曲線半径を実現していた[66]。
ボギー台車を用いたとしても、今度は車両の進行方向と台車の向きが異なるため、台車を転向させるための横圧が加わる。これは台車の中心間隔に依存する。アーサー・M・ウェリントンは1887年の著書において、車体各部の寸法がそのままで軌間のみを狭くしても、こうした曲線通過時の抵抗にはほとんど影響がなく、台車中心間隔を同時に小さくすることではじめて抵抗を減らす効果があると論じた。彼はさらに、軌間の広いほうが高重心が許容されるため、機関車や貨車の性能は同程度のまま車軸や台車の間隔を縮めることができ、曲線通過に適しているとすら述べている。ウェリントンの見解はなかなか受け入れられなかったが、例えばペルーにおいてはこの説に基づき山岳路線を標準軌で建設している[66]。
下部構造
[編集]レールを支える枕木の長さや、その下のバラストの量は、軌間の大きさに直接影響される。狭軌の鉄道ほど軌道に専有される幅は狭くなる。19世紀末から20世紀前半のヨーロッパの軽便鉄道は、多くが既存の道路の端を使って敷設されたため、この点が狭軌を使用する大きな利点となった。一方、軌道を支える路盤の強度や橋梁の設計は、走らせる列車の重量(軸重)や速度によって決定され、軌間にはほとんど影響されない[44]。
2001年に南アフリカでハウトレイン建設の際に行なわれた試算では、1 kmあたりの建設費は標準軌(1435 mm)の場合180万ランドであるのに対し、ケープ軌間(1065 mm)であれば160万ランドと見積もられた。この差は枕木とバラストによるものであり、事業全体のコストに比べればそれほど重要ではないと評価された[68]。
なお、実際に2140 mmもの広軌を使っていたイギリスのグレート・ウェスタン鉄道では上記の問題から枕木を倹約するため、通常のレールのように枕木を並行に無数に並べ、その上に直角にレール2本を置くのではなく「レールに沿うように切れ目なく枕木を敷いて(つまり鉄のレールの下に木のレールがあるような外見)重量を分散させ、その枕木を約10フィートおきに横木で結び、ずれないように固定する。」という独特の敷き方を行っていた[69]。
軌間と直通運転
[編集]直通の可否
[編集]一般に鉄道車両は特定の軌間に合わせて製造されている。車輪の内側にはフランジがあるため、両側の車輪のフランジの間隔より狭い軌間の線路に乗り入れることは不可能である。また軌間が大きすぎる場合にも脱線してしまう[70]。
しかし、車輪にもレールにもある程度の幅があるため、軌間の1 %程度の差異であれば直通運転にはほとんど支障がない。フィート・インチからメートル法へ単位系の切り替えの際の考え方の違いなどで、1067 mmと1065 mm、1524 mmと1520 mmのような数ミリメートル異なる軌間が存在するが、これらは実用上は同一軌間とみなしうる[71]。19世紀のアメリカ合衆国では、4フィート8.5インチ(1435 mm)軌間用の車両がそのまま4フィート10インチ(1475 mm)軌間の鉄道に乗り入れていた例もある。この場合、脱線の危険が増すものの、当時の安全水準からはそれほど問題とはされなかった[71]。
故意の異軌間採用
[編集]軍事的理由
[編集]ロシア帝国とスペインの鉄道がヨーロッパの他地域と異なり広軌を選択した理由として、ナポレオン戦争の記憶から他国に侵略された場合に鉄道を利用されることを恐れたためと説明されることがある。しかし、両国が軍事的理由で軌間を選んだとする記録は存在しない。両国とも、鉄道が開業したのは1830年代から40年代の広軌優位論が盛んであった時代であり、軌間を検討した技術者は4フィート8 1/2インチよりも広い軌間のほうが優れていると主張した。また、将来他国の4フィート8 1/2インチ軌間の鉄道と接続される可能性については軽視している[72][73][74]。
ロシアが侵略に備えて異軌間を選んだとする説の初出は、1866年にイギリスのタイムズ紙に掲載された特派員報告[注釈 10]で、伝聞の形で伝えている。また、ロシア交通省は1841年の報告書で、鉄道が敵に利用される可能性について、軍が退却する時に線路を破壊すればよいと記しているが、軌間の違いには言及していない[72]。
また、他国の侵入防止目的説の最大の問題点としてこれらの国が広軌を採用している点があり、軌間は狭める方が楽[注釈 11]であり、実際に日本が日露戦争中に満洲にあった5フィート軌間のロシアの鉄道(後の満鉄など)を改軌して3フィート6インチにしてしばらく使用していたケースがあるので、仮想敵国より軌間を狭くしないとこの目的には使用できない[14]。
スペインにおいては、1856年にフランス国境近くの鉄道にフランス人が出資しようとしているのが国防上問題視された際に、経営者が軌間が違うため侵略に使われることはないと回答したのがおそらく初である[73]。
また、隣国と異なる軌間を用いることは、敵に攻められた場合には有利でも、逆に攻め込む場合には不利になる。実際ロシアは露土戦争の際ルーマニア公国を経由してオスマン帝国に攻め込んだが、ルーマニアの鉄道は標準軌だったため、国境で貨物を積み替える必要が生じ兵站上の大きな問題となった[75]。第一次世界大戦の序盤においても、ドイツ領東プロイセンに侵攻してからは鉄道を使うことができなかった。これがタンネンベルクの戦いの敗因の一つとなった[76]。
なお、プロイセン王国においては、フランスやベルギーと同じ軌間を使うことについて、一部の高官が侵略に用いられる可能性があると反対したが、退けられている[77]。
その他
[編集]鉄道会社の経営上の理由から、あえて他鉄道と異なる軌間を採用したと考えられる例は存在する。
1841年に開業したアメリカ合衆国のニューヨーク・アンド・エリー鉄道(後のエリー鉄道)は、アメリカ合衆国北東部で一般的であった4フィート8.5インチ軌間ではなく、6フィート軌間を採用した。これはエリエイザー・ロード社長の意向によるところが大きい。ロードはニューヨーク・アンド・エリー鉄道の設立にあたって、顧客が他の鉄道に逸走することのないように、同鉄道を他の鉄道と接続させないとする免許を得ていた。しかし免許条件は将来変更される可能性があるが、軌間は容易には変更できないとして、他鉄道と異なる軌間を採用した。もっとも、1845年のロード社長の退任後は、軌間の違いはむしろ経営上不利であるとして、しばしば株主から批判を受けている[78]。
また、1853年に開業したアメリカ合衆国メイン州のポートランドとカナダのモントリオールを結ぶ鉄道[注釈 12]は、5フィート6インチ軌間を選択した。その理由の一つが、ポートランド側の出資者の意向によるものである。ポートランド港はボストン港と競合関係にあるため、この鉄道を利用したカナダからの貨物がボストンに奪われないように、ボストン周辺の鉄道とは異なる軌間にしたのである。ただし、こうした事情はモントリオール側の出資者には無縁のことであり、広軌が技術的に優れているという当時の風潮のほうがより影響したと思われる[79]。
軌間不連続点への対応
[編集]異なる軌間の鉄道が接続する地点を軌間不連続点という。通常は列車は軌間不連続点を越えて走行することはできない。これに対して様々な対処法がある。
乗り換え・積み換え
[編集]最も簡単な対策は、軌間不連続点において旅客の乗り換え、貨物の積み換えを行なうことである。
これには特別な設備は何も必要としない。ただし、旅客の乗り換えの負担を減らすために対面乗り換えが行われることがある。貨物の場合も、異軌間の線路を並べてその間で積み換えが行えるようにすることがある。また、規格化されたコンテナ(一般的にISO 668で定められたサイズのISOコンテナ)を用いることで効率的に積み換えを行なうことができる[80]。
ロールワーゲン、ロールボック
[編集]軌間の異なる鉄道車両を搭載するための貨車をロールワーゲンという。また輪軸部分のみを載せるようにした小さな車両をロールボックという。これらは20世紀初め頃までにヨーロッパで標準軌の貨車を狭軌の路線に直通されるために用いられるようになった[81]。
しかし、ロールワーゲンやロールボックを使うと車両の重心が高くなってしまうため、特に標準軌の車両を狭軌線に乗り入れさせる場合には極めて不安定になってしまい、低速でしか運転できないという欠点がある[81]。
輪軸・台車交換
[編集]軌間不連続点を越えて貨車や客車を直通させるため、接続駅で台車をそれぞれの軌間に対応したものに交換する。台車交換の方法には、クレーンやジャッキを使って車体を持ち上げるものと、車体の高さを固定した上でレールの側が沈み込んで台車を取り外すものがある。
1870年代の北アメリカで実用化された[82]。現代でも旧ソビエト連邦の広軌鉄道と東ヨーロッパや中国などの標準軌鉄道の間の直通などに用いられている。日本においても、1067 mm軌間でない車両をJR在来線を介して輸送する場合などには、台車交換が行われることがある(車両輸送を参照)。近畿日本鉄道では車両検修場(五位堂検修車庫)が標準軌線内にあるため、1,067 mm軌間車両が入場する際は橿原神宮駅で仮台車に交換している[83]。
また、台車そのものではなく輪軸のみを軌間に合わせて交換できるようにした車両も存在する[84]。
軌間可変車両
[編集]原始的な軌間可変車両は1860年代のカナダで現れており、車軸上の異なる位置に車輪を固定することで、5フィート6インチ軌間と4フィート8.5インチ軌間などの異なる軌間に対応していた。しかしこの方式は信頼性に乏しかったため早期に姿を消し、台車交換に取って代わられた[85]。
近代的な軌間可変車両は1968年に製造されたスペイン・タルゴ社のTalgoIII-RD客車が初であり、TEEカタラン・タルゴとして広軌のスペインと標準軌のフランスの間を直通した[86]。その後スペインの他ポーランド、日本、ドイツで種々の方式が開発され、一部は実用化されている[87]。
混合軌間
[編集]3本以上のレールを使った三線軌条(三線式)や四線軌条(四線式)により、同一の線路で2種類の軌間に対応することができる。混合軌間(mixed gauge)やデュアルゲージ(dual gauge)、軌間混合とも呼ばれる[88]。三線軌条では片側のレールは共通であり、もう片方のレールをそれぞれの軌間に合わせて敷設する。四線軌条ではそれぞれの軌間に対して2本ずつのレールを用いる。稀ではあるが、四線軌条で3種類の軌間に対応した例もある。軌間の差が200 mm程度以下の場合には、レールが干渉してしまうため三線軌条を使うことができない[89]。
19世紀半ばから、イギリスや北アメリカにおいて標準軌鉄道と各種の広軌の鉄道の間での直通のために用いられるようになった。現代においても世界各地で広く用いられている[89]。
車両側には特に何も対応する必要はないが、建設や保守には余分なコストがかかる。車両側での対応による異軌間乗り入れのコストが乗り入れる車両数に依存するのに対し、混合軌間による乗り入れの場合は乗り入れる距離に依存する。このため、輸送量が多く乗り入れ距離が比較的短い場合には、混合軌間による対応が適していることになる[89]。
軌間狂い
[編集]軌道は列車が走行するたびに少しずつ変形してしまう。これを軌道狂いといい、このうち軌間の所定の値(ただし曲線部では所定の軌間とスラックの和)からのずれを軌間狂いという。狂いが大きくなると乗り心地が悪くなり、さらに大きくなると脱線の危険も高まる。このため定期的に検測と保守作業を行ない、狂いが一定の範囲内に収まるようにしている[90]。
手動による軌間狂いの検測には、軌間ゲージという器具が用いられる[91]。また軌道検測車により走行しながら検測を行なうこともできる[90]。
JR在来線の場合、軌間狂いの整備目標値[注釈 13]は+6 mmから-4 mm(高速軌道検測車による動的値の場合は+10 mmから-5 mm)である[93]。ただし分岐器のクロッシング部では、狂いが大きいと異線進入のおそれがある[94]ため、+5 mmから-3 mmとされている[93]。整備基準値[注釈 14]は直線部で+14 mm(高速軌道検測車による動的値の場合は+20 mm)である[93]。新幹線の場合は、軌道管理目標値[注釈 15]は高速軌道検測車による測定で+6 mmから-4 mmとなる[93]。
日本の私鉄路線において、運輸安全委員会が調査した事故のうち、2017年5月22日に発生したわたらせ渓谷鐵道脱線事故における検測車両(キヤE193系)の脱線事故を始めとして、西濃鉄道市橋線脱線事故(2016年10月6日発生・貨物列車)・紀州鉄道脱線事故(2017年1月22日発生・旅客列車)・熊本電鉄藤崎線脱線事故(2017年2月22日発生・旅客列車)の4件で同様の事故が発生したことを受けて、2018年6月28日に運輸安全委員会がこれらの事故は枕木やレール締結装置の不良(犬釘が浮いた状態になるなど)で「軌間拡大」が発生したことによると考えられると指摘している[96]。その対応策として、コンクリート製などへの枕木の材質変更、脱線ガードや脱線防止レールの敷設が望ましく、軌道の定期検査や線路巡視による枕木やレール締結装置の適切な管理、軌道変位の状況に応じた適切な軌道整備の実施が必要としている[96]。
鉄道車両に高速カメラを搭載させて、運行時に線路(路面)撮影する。撮影された映像をもとにして、軌間狂いを人工知能などで検出を行い、沿線の保守工事を行うことがなされている。
軌間の種類
[編集]標準軌
[編集]標準軌(国際標準軌、スティーヴンソン軌間)は、1,435 mm(4 ft 8.5 in)で、ヨーロッパ(一部を除く)、北アメリカ、東アジアの大陸部などで広く用いられている。ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道やリバプール・アンド・マンチェスター鉄道といった初期の鉄道で用いられたことがきっかけとなり、世界的に普及した。
ただし1435 mm以外の軌間が主流となっている地域では、その軌間のことを「標準軌」と呼ぶことがある。たとえば日本においては1067 mmが圧倒的多数を占める。そのため、古い資料では「1435 mm=広軌、1067 mm=標準軌」と記されているケースもあり、注意が必要である[15]。この場合、京王線、函館市電などが採用する1372 mmは広軌の扱いを受けることが多い。
広軌
[編集]標準軌より広い軌間。「ブロードゲージ(Broad Gauge)」とも呼ばれる。19世紀半ばには広軌のほうが標準軌より優れているとの考えから、様々な広軌が実用化された。その後標準軌に改軌されたことで現存しないものも多いが、国や地域によってはそのまま地域における標準的な軌間となった。
現代の本線鉄道で用いられている軌間で最大のものは1,676 mm (5 ft 6 in)である[63]。特殊用途の鉄道では、巨大な積載物を移動する必要性などから広軌が採用される場合もある。インクラインやレール上を移動するクレーンなどでは、極端に広い軌間が用いられることもある。
現代の普通鉄道において用いられている主な広軌は以下である[97][98]。
- 1,520 mm または 1,524 mm (5 ft 0 in) - 旧ソビエト連邦各国、フィンランド、モンゴル
- 1,600 mm (5 ft 3 in) - アイルランド、オーストラリアの一部など
- 1,668 mm - スペイン(元は1672 mm)、ポルトガル(元は1665 mm)
- 1,676 mm (5 ft 6 in) - 南アジア、南アメリカの一部など
狭軌
[編集]標準軌より狭い軌間。「ナローゲージ (Narrow Gauge)」とも呼ばれる。国際鉄道連合の分類では、1000 mmから1067 mmまでの軌間を広義のメーターゲージとも呼ぶ[99]。1,000 mm未満の軌間は各地に分散しており、広範囲の鉄道網は形成していない[63]。
現代において用いられている主な狭軌は以下である[97][98]。
- 1,372 mm(4 ft 6 in) - スコットランドの初期の鉄道の一部と、20世紀以降の日本の一部。
- 1,067 mm(3 ft 6 in)または1,065 mm - JR在来線、一部の私鉄・地下鉄など、台湾、フィリピン、インドネシア、南部アフリカ(ケープ軌間)、中南米の一部、オーストラリアの一部、ニュージーランド。
- 1,000 mm(メーターゲージ) - 東南アジア(大陸部分)、アフリカ、南アメリカの一部。ヨーロッパ(ドイツ、スイスなど)の地方鉄道など。
- - かつてのアメリカ合衆国の狭軌鉄道、 914 mm(3 ft)中南米の一部の鉄道。
- または760 mm - 世界の多くの 762 mm(2 ft 6 in)軽便鉄道。日本で「軽便」「ナローゲージ」「特殊狭軌」と呼ばれる鉄道の多くがこの軌間である。
- - 軽便鉄道 610 mm(2 ft)、600 mmなど
営業用の鉄道として認知されているもののうちで、最小の軌間はイギリスの Mull and West Highland Railway (1983年 - 2010年、2011年 5月 - 9月 )と Wells and Walsingham Light Railway の260 mm である。このほか 311 mm, 381 mm (15 in), 500 mm などの軌間も存在する。日本では法制上は鉄道とはされていないが、伊豆修善寺の「虹の郷」園内の虹の郷ロムニー鉄道が381 mm軌間である[100]。
三重県の桑名駅付近に、762 mmの三岐鉄道北勢線、1067 mmの関西本線、1435 mmの近鉄名古屋線と、異なる3種の軌間を渡る踏切がある[101]。
ここまでが、実際の交通機関(輸送手段)として使われている(または過去に使われた)軌間である。これより狭いものはライブスチーム(イベントなどのミニSLなど)による庭園鉄道や、鉄道模型などで使われる[102]。
- 190.5 mm - 7 1/2インチゲージ
- 1275インチゲージ mm -
- 3 1/2インチゲージ 89 mm -
- 1番ゲージ、Gゲージ 45 mm -
- Oゲージ 32 mm -
- HOゲージ、OOゲージ 16.5 mm -
- Nゲージ 9 mm -
- Zゲージ 6.5 mm -
- Tゲージ 3 mm -
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1フィートの長さは地域により異なった。以下では特に断らない限りイングランドやアメリカ合衆国のフィート(1フィート=12インチ=0.3048 m)を意味する。
- ^ レインヒル・トライアルに出場したノベリティ号製作者ジョン・ブレイスウェイト。
- ^ 日本や南アフリカ、オーストラリアなど
- ^ アメリカ合衆国やカナダなど
- ^ 6フィート(1829 mm)案以外にも、5フィート6インチ(1676 mm)や7フィート0.25インチ(2140 mm)など各種の意見があった。
- ^ 例として東アフリカ鉄道59形は軌間1000 mmに対しボイラーの最大直径が2284 mmもある、動輪径も1372 mmで貨物用機関車としては決して小さくはない。
- ^ この比率は軌間に正比例せず、1435 mmと1067 mmでは軌間は約4:3ぐらいだがモーターの幅スペースは3:2ぐらいになる。
- ^ 詳しくは小田急箱根鉄道線参照。
- ^ 通常は一つの台車に複数の車軸があり、車軸の向きは台車に対して固定されているため、アタック角が0になるわけではない。これを減らすために輪軸操舵機構が開発されている。
- ^ しかもこの報告では、ロシアの軌間は他国より狭いとしている。
- ^ 犬釘を外してレールを中央に寄せればよい、逆に広軌化は枕木や道床が足りなくなるケースがある。
- ^ アメリカ側がアトランティック・アンド・セントローレンス鉄道(Atlantic and St. Lawrence Railroad)、カナダ側がセントローレンス・アンド・アトランティック鉄道(St. Lawrence and Atlantic Railroad)。後のグランド・トランク鉄道の一部。
- ^ 旧乙修繕整備基準。乗り心地の確保を主な目的とする[92]。
- ^ 旧緊急整備値。発見から15日以内に補修すべきもの[95]。
- ^ 新幹線の軌道管理目標値には保守計画目標値、乗り心地管理目標値、安全管理目標値といった段階があるが、軌間に関しては同一の値である[90]。
出典
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参考文献
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外部リンク
[編集]- GAUTRAIN GAUGE - ハウトレインの軌間の検討について
- 『軌間』 - コトバンク