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「円周率の歴史」の版間の差分

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{{Otheruses|[[円周率]]自体の歴史|ペートル・ベックマンの著書|πの歴史}}
{{Pathnav|数学定数|円周率|frame=1}}
{{円周率}}
本記事は、'''円周率の歴史'''(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。
本記事では、[[数学定数]]のひとつである'''円周率の歴史'''(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。
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[[円周率]] ''π'' は[[無理数]]なので[[小数]]で表現すると無限に長い数値になる。その長い表現は何千年にも渡り、世界中で計算されてきた。


[[円周率]] [[ギリシャ文字|{{π}}]] は[[無理数]]であるため、[[小数]]部分は循環せず無限に続く。さらに、円周率 {{π}} は[[超越数]]でもあるため、その[[連分数]]表示は循環しない。その近似値は何千年にも亘り世界中で計算されてきた。
ほとんどの目的には 3.14 の近似値を使い、これで十分である。技術系では 3.1416 や 3.14159 などを使用することが多い。[[天気予報]]や[[人工衛星]]などの計算では 30 桁程度の値を使用している。{{分数|355|113}} = '''3.141592'''92... などは覚えやすく近似精度が高い分数である。


==凡例==
== 凡例 ==
* '''[]''' : 数学的事実に関する発見・論争等
*'''[]'''数学的事実に関する発見・論争等
* '''[法]''' : 計算法の考案・改良等
*'''[法]'''計算法の考案・改良等
* '''[値]''' : 計算・値の使用
*'''[値]'''計算・値の使用
* '''[値]'''(桁数) : 計算・値の使用 (桁数記録更新)
*'''[値]'''桁数):計算・値の使用(小数点以下の桁数記録
* '''[文]''' : 文化・社会
*'''[文]'''文化・社会


== 年表 ==
[[国旗]][[アイコン]]で国を表した。現在と国や国境が異なる歴史時代についても現在の(およその)国を示した。
=== 級数の発見前 — 13世紀まで — ===

;[[紀元前2000年]]頃
==年表==
:'''[値]''' (2) [[1936年]]に[[スーサ]]で発見された[[粘土板]]などから、[[バビロニア数学|古代バビロニア]]では、[[六角形|正六角形]]の周と円周を比べ、円周率の近似値として {{math|3}} や {{math2|3+{{sfrac|1|7}} {{=}} {{sfrac|22|7}}}}, {{math2|3+{{sfrac|1|8}}}} などが使われたと考えられている<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.35-37, p.338.</ref>。
=== 正多角形による評価の時代 ===
;紀元前2000ごろ
;[[紀元前17世紀|紀元前1650]]頃
:'''[学][値]''' 既に、[[エジプト数学|古代エジプト]]では、円周と直径の比の値と、[[円の面積]]と半径の[[冪乗|平方]]の比の値が等しいことは知られていた。神官[[アハメス]]が書き残した[[リンド・パピルス]]には、[[円積問題]]の古典的な解法の一つが記されており、円の直径からその {{math|{{sfrac|1|9}}}} を引いた長さを一辺とする[[正方形]]の面積と、元の円の面積が等しいとしている<ref name="数学史5000">中村滋・室井和男『数学史 数学5000年の歩み』 共立出版、2014年、ISBN 978-4-320-11095-3, pp.33-34</ref>。これは、円周率を近似的に{{math2|{{sfrac|256|81}}}}とみなすことに相当し<ref name="数学史5000"/>、それなりに精度の高い近似値であったが普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年頃にまで遡ると考えられている<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.38-43. 年代表 (p.338) では前2000年頃としている。</ref>。
:{{Flagicon|IRN}}'''[値]'''(2) [[1936年]]に[[スーサ]]で発見された[[粘土板]]などから、[[古代バビロニア]]では、[[六角形|正六角形]]の周と円周を比べ、円周率の近似値として 3, 3+{{分数|1|7}} ≒ 3.142857 , 3+{{分数|1|8}} = 3.125 などが使われたと考えられている。
;[[紀元前17世紀|紀元前1650年]]ごろ
;[[紀元前5世紀]]
:'''[学]''' [[アナクサゴラス]]が、[[アポロン]]への不敬罪で投獄されている間に、円積問題に取り組んだ<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.61-62. 年代表 (p.338) では前434年頃としている。</ref>。
:{{Flagicon|EGY}}'''[学][値]''' [[古代エジプト]]では円周と直径の比から得られる値と、円の面積と半径の[[冪乗|平方]]の比から得られる値が同じであることは知られていた。神官[[アハメス]]が書き残した[[リンド・パピルス]]には[[円積問題]]の古典的な解法の一つが記されており円の直径からその{{分数|1|9}}を引いた長さを一辺とする[[正方形]]の面積と、元の円の面積が等しいとしている。この計算から円周率を計算すると、{{分数|256|81}} ≒ 3.1605 が円周率の近似値として得られる。かなり精度が高かったものの普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年ごろにまで遡ると考えられている。
:'''[法]''' [[ヘラクレア・ポンティカ|ヘラクレア]]の[[アンティポン|アンティフォン]]は、円に内接する[[正多角形]]の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.62-63. 年代表 (p.338) では前430年頃としている。</ref>。
;[[紀元前5世紀]]ごろ
:'''[値]''' すぐに、同じ{{仮リンク|ヘラクレアのブリソン|en|Bryson of Heraclea}}が、外接する正多角形の面積を求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
:{{Flagicon|GRC}}'''[学]''' [[アナクサゴラス]]が、[[アポロン]]への不敬罪で投獄されている間に、[[円積問題]]に取り組んだ。
:{{Flagicon|GRC}}'''[法]''' [[ヘラクレア・ポンティカ|ヘラクレア]]の[[アンティポン|アンティフォン]] (Antiphon) は円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した。
:{{Flagicon|GRC}}'''[値]''' すぐに同じヘラクレアのブリソン (Bryson) が、外接する正多角形の面積をも求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
;[[紀元前3世紀]]
;[[紀元前3世紀]]
:'''[法][値]''' [[アルキメデス]]は、[[円の面積]]が円周率と半径の平方の積に等しいことを証明した<ref>『[[円周の測定|円の計算]]』命題一:任意の円は、つぎのような直角三角形――すなわち、その半径が直角を挟(はさ)む一辺に等しく、円の周が底辺に等しいような直角三角形(の面積)に等しい。[[#アルキメデス1972|アルキメデス 1972]], pp.482-483.</ref>。さらに、[[3の平方根]]の最良近似分数 {{math|{{sfrac|265|153}}}} および {{math|{{sfrac|1351|780}}}} ({{math2|{{sfrac|265|153}} < {{sqrt|3}} < {{sfrac|1351|780}}}}) を利用して、円に外接および内接する正六角形、正十二角形、正二十四角形、正四十八角形、正九十六角形の辺の長さの[[順序集合#上界|上界]]および[[順序集合#下界|下界]]をそれぞれ計算することにより {{math2|3 + {{sfrac|10|71}} < ''π'' < 3 + {{sfrac|1|7}}}} を求めた<ref>『[[円周の測定|円の計算]]』命題三:任意の円の周はその直径の3倍よりも大きく、その超過分は直径の {{math|{{sfrac|1|7}}}} よりは小さく、{{math|{{sfrac|10|71}}}} よりは大きい({{math2|3+{{sfrac|10|71}} < ''π'' < 3+{{sfrac|1|7}}}})。[[#アルキメデス1972|アルキメデス 1972]], pp.484-487.</ref>。小数だと {{math2|3.14084 < ''π'' < 3.14286}} である<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.109-114, p.338.</ref>。
:{{Flagicon|ITA}}'''[法][値]''' [[アルキメデス]]は円周と直径の比と、円の面積と半径の平方の比が同じであることを証明した。さらに円に外接、内接するそれぞれの正 3&times;2<sup>''n''</sup> 角形の辺の長さを ''p''<sub>''n''</sub>, ''q''<sub>''n''</sub> としたとき、漸化式
: <math>{2 \over p_{n+1}} = {1 \over p_n} + {1 \over q_n}</math>
:<math>q_{n+1}^2 = p_{n+1} q_n </math>
:が成り立つことを示し、''n'' = 1 から ''n'' = 5 まで計算することにより{{分数|223|71}} < ''&pi;'' < {{分数|22|7}}を求めた。小数だと 3.14084 < ''&pi;'' < 3.14286 になる。
;[[1世紀]]
;[[1世紀]]
:{{Flagicon|ITA}}'''[値]''' [[ローマ帝国]]の著名な建築家[[ウィトルウィウス]]は、{{分数|25|8}}を使った。8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 になる。
:'''[値]''' [[ローマ帝国]]の著名な建築家[[ウィトルウィウス]]は、{{math|{{sfrac|25|8}}}} を使った。素数の{{math|7}}よりも、{{math|2}}の{{math|3}}乗である {{math|8}} で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと {{math|3.125}} であ<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.100.</ref>
;[[2世紀]]
;[[2世紀]]
:{{Flagicon|EGY}}'''[値]''' 天文学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]は{{分数|377|120}}を使った。小数だと約 3.1417 である。
:'''[値]''' 天文学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]は {{math|{{sfrac|377|120}}}} を使った。小数だと約{{math|3.1417}} である<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.126, p.338.</ref>
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]''' [[後漢]]の[[太史令]]だった[[張衡 (科学者)|張衡]]は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を√10とした。約 3.162 になる。
:'''[値]''' [[後漢]]の[[太史令]]だった[[張衡 (科学者)|張衡]]は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を {{math|{{sqrt|10}}}} とした。約{{math|3.162}} になる<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.47, p.338.</ref><ref name="MacTutor-Zhang_Heng">{{MacTutor|id=Zhang_Heng|title=Zhang Heng}}</ref>
;[[3世紀]]
;[[3世紀]]
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]''' [[呉 (三国)|呉]]の[[王蕃]]は{{分数|142|45}}を用いた。約3.155である。
:'''[値]''' [[呉 (三国)|呉]]の[[王蕃]]は {{math|{{sfrac|142|45}}}} を用いた。約{{math|3.1555}} である<ref name="#1">[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.338.</ref>
;[[263年]]
;[[263年]]
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]'''(3) [[魏 (三国)|魏]]の[[劉徽]]は『[[九章算術]]』の注釈のなかで、ブリソンと同様の方法を用い 3.14+{{分数|64|62500}} < ''&pi;'' < 3.14+{{分数|169|62500}}であることを示している。小数では 3.141024 < ''&pi;'' < 3.142704 となる。さらに正3072角形を用いて、3.1416という近似値も得た。
:'''[値]''' (3) [[魏 (三国)|魏]]の[[劉徽]]は『[[九章算術]]』の注釈ので、ブリソンと同様の方法を用い {{math2|3.14 + {{sfrac|64|62500}} < ''π'' < 3.14 + {{sfrac|169|62500}}}} であることを示している(これは後に'''徽率'''として知られるようになった)。小数では {{math2|3.14102 4 < ''π'' < 3.14270 4}} である。さらに正{{math|3072}}角形を用いて、{{math|3.14159}} という近似値も得た<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.48では264年としている。</ref><ref name="#1"/><ref name="MacTutor-Liu_Hui">{{MacTutor|id=Liu_Hui|title=Liu Hui}}</ref>。なお小数は紀元前の中国で発明され、欧州に伝播したのは16世紀である。よって中国以外では分数によるのみであり、小数での記載はずっと後のことである
;[[5世紀]]
;[[5世紀]]
:{{Flagicon|CHN}}'''[値]'''(6) [[7世紀]]に編纂された[[隋書]]律暦志[http://www.hoolulu.com/zh/25shi/15suishu/t-016.htm 外部リンク])によると、天文学者の[[祖沖之]](そちゅうし)は、当時としては非常に正確な評価 3.1415926 &lt; ''&pi;'' &lt; 3.1415927 を示した。ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには[[16世紀]]まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 {{分数|22|7}}(3.143)と {{分数|355|113}}(約3.1415929)を与えている。正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の<span lang=zh>祖暅</span>(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる。
:'''[値]''' (6) [[7世紀]]に編纂された[[隋書]]律暦志<ref>[[:s:zh:隋書/卷16|隋書律暦志 ]](ウィキソース中国語版。</ref>によると、天文学者の[[祖沖之]]は、当時としては非常に正確な評価 {{math|3.14159 26 < π < 3.14159 27}} を示した。以後1000年、これ以上正確な計算はなされず、ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには[[16世紀]]まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 {{math|{{sfrac|22|7}}}}({{math|3.<u>142857</u>…}})と {{math|{{sfrac|355|113}}}}(約{{math|3.14159 29}})を与えている<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.48, p.338.</ref><ref name="MacTutor-Zu_Chongzhi">{{MacTutor|id=Zu_Chongzhi|title=Zu Chongzhi}}</ref>。正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正{{math|24576}}角形の辺の長さを計算しなければならない(ただし、{{math|{{sfrac|355|113}}}}については[[置閏法]]において用いた[[近似法]]から算出したと考えられている<ref>{{cite journal|和書|author=曲安京[著], 城地茂(訳) |date=2002-04 |url=https://hdl.handle.net/2433/41934 |title=祖冲之は,如何に円周率π=355/113を得たか? (数学史の研究) |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=1257 |pages=163-172 |hdl=2433/41934}}</ref>)。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の{{Lang|zh|祖暅}}(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる<ref name="MacTutor-Zu_Geng">{{MacTutor|id=Zu_Geng|title=Zu Geng}}</ref>
;[[6世紀|530]]
;[[500年]]
:{{Flagicon|IND}}'''[値]''' インドの[[アリヤバータ]]は、円に内接する正 ''n'' 角形と正 2''n'' 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから√9.8684(≒3.1414)と求めた。この平方根の近似値として{{分数|3927|1250}}=3.1416)を与えた。
:'''[値]''' インドの[[アリヤバータ]]は、円に内接する正 {{mvar|n}} 角形と正 {{math|2''n''}} 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正{{math|384}}角形の周の長さから {{math|{{sqrt|9.8684}}}} ({{math2|≒ 3.14156}}) と求めた。この平方根の近似値として {{math|{{sfrac|3927|1250}}}} ({{math2|{{=}} 3.1416}}) を与えた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.44-45, p.338.</ref>
;[[7世紀|650年]]
;[[650年]]
:{{Flagicon|IND}}'''[値]''' インドの[[ブラーマグプタ]]は、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、''n'' が大きくなるにつれ正2<sup>''n''</sup>×3角形の周の長さは√10に近づくとし、これを円周率とした。
:'''[値]''' インドの[[ブラーマグプタ]]は、正{{math|12}}角形、正{{math|24}}角形、正{{math|48}}角形、正{{math|96}}角形の周の長さから、{{mvar|n}} が大きくなるにつれ正 {{math|3 × 2{{sup|''n''}}}} 角形の周の長さは {{math|{{sqrt|10}}}} に近づくとし、これを円周率とした<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.45-46, p.338.</ref>
[[画像:Fibonacci2.jpg|225px|thumb|レオナルド・フィボナッチ([[ピサのレオナルド]])]]
;[[1220年]]
;[[1220年]]
:{{Flagicon|ITA}}'''[値]''' イタリアの[[レオナルド・フィボナッチ|フィボッチ]]が円周率を{{分数|864|275}}と計算した。これは、約 3.1418 である。
:'''[値]''' イタリアの[[レオナルド・フィボナッチ]]([[ピサのレオルド]]が円周率を {{math|{{sfrac|864|275}}}} と計算した。これは、約{{math|3.1418}} である<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.143-145, p.338.</ref>

=== 幾何から解析へ — 14世紀から20世紀前半 — ===
「円に内接・外接する多角形に基づく近似」なる幾何学的な考察から「[[級数]]を利用した近似」なる解析的な考察への移行は、インドでは1400年頃から1500年代に、ヨーロッパでは1600年代に、日本では1700年代に起きた。

;14世紀
;[[1400年]]頃
;[[1400年]]頃
:インド南西部(現在の[[ケーララ州]])では天文学・数学が花開き、当時の世界最先端の研究が行われた。[[ケーララ学派]]と総称される学者たちは、[[三角関数]]・[[逆三角関数]](正弦、余弦、逆正接)の[[マクローリン展開]]を天文計算に利用した<ref name="Untapped">{{Cite journal
:{{Flagicon|IND}}'''[法]''' [[インド]]の[[マーダヴァ]]が無限級数
|first1 = C. T.
: <math>{\pi \over 4} = \sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1} = 1 - \frac{1}{3} + \frac{1}{5} - \frac{1}{7} + \frac{1}{9} - \cdots </math>
|last1 = Rajagopal
:を得る。これはのちに[[ライプニッツの公式]]と呼ばれるようになった。
|first2 = M. S.
;[[16世紀|1579年]]
|last2 = Rangachari
:{{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(9) [[フランソワ・ビエタ]]が円に内接・外接する正393216角形の周の長さから 3.1415926535 < ''&pi;'' < 3.1415926537 という評価をした。ビエタはさらに、[[総乗|無限乗積]]
|year = 1978
: <math>x_1 = \sqrt{1 \over 2},\ x_{n+1} = \sqrt{{1+x_n} \over 2} </math>
|title = {{lang|en|On an Untapped Source of Medieval Keralese Mathematics}}
: <math>{2 \over \pi} = \prod_{n=1}^\infty x_n</math>
|lang = 英語
:を示し ''&pi;'' の計算を試みた。
|journal = {{lang|en|Archive for History of Exact Sciences}}
;[[16世紀|1585年]]
|volume = 18
:{{Flagicon|NLD}}'''[値]''' オランダのアドリアン・アンソニスが {{分数|333|106}} < ''&pi;'' < {{分数|377|120}} と評価し、両端の平均に近い値として {{分数|355|113}} を得た。これは、約 3.14159292 である。
|issue = 2
;[[1596年|1596]]–[[1610年]]
|pages = 89–102
:{{Flagicon|DEU}}'''[値]'''(35) ドイツの数学者[[ルドルフ・ファン・コイレン]]は、正4611686018427387904 (=2<sup>62</sup>) 角形の辺の長さを計算し、35桁目まで ''&pi;'' の正しい値を計算した<ref>{{cite web|title={{lang|en|Ludolph Van Ceulen}}|publisher=School of Mathematics and Statistics; University of St Andrews, Scotland |url=http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/history/Biographies/Van_Ceulen.html|year=2009|accessdate=2010-09-12}}</ref><ref>{{cite web|title={{lang|en|Numerical Approximations of π}}"|first=Williams|last=David B.|format=PDF|url=http://cims.clayton.edu/dwilliams/research/talks/pi-day-talk-2009.pdf|year=2009|accessdate=2010-09-12}}</ref>。この計算はコイレンの生涯をかけた計算であり、コイレン自身これを大変誇りとし、墓標にこの値を刻ませた。墓標はその後失われ、碑銘のみが伝わっている。ドイツでは彼の名にちなんで円周率をルドルフ数 ({{lang|de|[[:de:Ludolph_van_Ceulen#Ludolphsche_Zahl|Ludolphsche Zahl]]}}) と呼ぶことがある。
|url = http://www.springerlink.com/content/mnr38341u762u544
:コイレンの時代までで、正多角形の辺を増やすだけの力ずくの計算の時代は終わり、評価式の本質的な改良が行われるようになっていく。17世紀は多くの評価式が生まれ、コイレンの生涯をかけた 35桁までの計算も非常に簡単に求められるようになる。
|separator = ,
;[[1663年]]
}}</ref>。これらの[[級数]]は{{仮リンク|ニーラカンタ|en|Nilakantha Somayaji}}の時代には既に知られており、ニーラカンタの発見とされることがある<ref name="Roy1990">{{Cite journal
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[村松茂清]]が『算俎』を著し、円に内接する正2<sup>''n''</sup>角形 (2&le;''n''&le;15) の辺の長さから ''&pi;'' ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48とし、小数点以下7桁まで正しい。コイレンなどの計算には遠く及ばないものの、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきた和算と違い、はじめて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。
|first = Ranjan
|last = Roy
|year = 1990
|title = {{lang|en|The Discovery of the Series Formula for π by Leibniz, Gregory and Nilakantha}}| lang=英語
|journal = {{lang|en|Mathematics Magazine}}
|volume = 63
|issue = 5
|pages = 291–306
|url = http://mathdl.maa.org/images/upload_library/22/Allendoerfer/1991/0025570x.di021167.02p0073q.pdf
|format = PDF
|separator = ,
}}</ref><ref>{{Cite journal
|first = Shailesh A.
|last = Shirali
|year = 1997
|title = {{lang|en|Nīlakaṇṭha, Euler and π}}
|lang = 英語
|journal = {{lang|en|Resonance}}
|volume = 2
|number = 5
|doi = 10.1007/BF02838013
|pages = 29–43
|url = http://www.ias.ac.in/resonance/May1997/pdf/May1997p29-43.pdf
|format = PDF
|separator = ,
}} [著者は補足として、この級数はマーダバの功績だという説に触れている ([http://www.ias.ac.in/resonance/Nov1997/pdf/Nov1997IA.pdf PDF])。]
</ref>。しかし、ニーラカンタの天文学書『アールヤバティーヤ・バーシャ』<ref name="Bhasya">『アールヤバティーヤ』({{lang|sa-Latn|Āryabhaṭīya}}) は、天文学者[[アールヤバタ]] (476–550) の著作(カタカナで書くとアーリャバタ、アーリャバティーヤだが、日本語ではアールヤバタ、アールヤバティーヤと呼ばれているのでそれに従う)。『アールヤバティーヤ・バーシャ』({{lang|sa-Latn|Āryabhaṭīya-bhāṣya}}) は、約1000年後のニーラカンタが『アールヤバティーヤ』を解説したもの。</ref>によると、正弦のマクローリン級数の展開式は彼より前の時代の学者の業績であるという。その学者とは、サンガマグラーマ(現:イリンジャラクダ)の[[マーダヴァ]]である。以下の式も、マーダヴァの発見とされることが多い<ref name="Untapped"/><ref name="MacTutor-Madhava">{{MacTutor|id=Madhava|title=Madhava of Sangamagramma}}</ref>:
::<math>x =\tan x -\frac{\tan^3 x}{3} +\frac{\tan^5 x}{5} -\frac{\tan^7 x}{7} +\cdots</math>
:この級数展開は、以下と同等である。
::<math>\arctan x=x-\frac{x^3}{3} +\frac{x^5}{5} -\frac{x^7}{7} +\cdots</math>
:この級数は、しばらくしてヨーロッパでも[[ジェームズ・グレゴリー]]と[[ゴットフリート・ライプニッツ]]により再発見され、一般的にはグレゴリー級数、もしくは[[ライプニッツの公式|ライプニッツ級数]]などと呼ばれる。
:'''[値]''' (10?) 一説によると、マーダヴァは上式から直ちに得られる等式、
::<math>\pi =\sqrt{12} \, \biggl( 1-\frac{1}{3\cdot 3^1} +\frac{1}{5\cdot 3^2} -\frac{1}{7\cdot 3^3} +\cdots \biggr)</math>
:の21項を計算し、{{math2|''π'' ≈ 3.14159 26535 9}} を得たという<ref name="MacTutor-Madhava"/>。これは小数点以下10桁目まで正しい(12桁目を四捨五入した11桁の近似値としては全11桁が正しいが、11桁目「8」は未確定)。別の資料によると、彼の近似値は {{math|''π'' ≈ {{sfrac|2,827,433,388,233|900,000,000,000}}}} で<ref>{{Cite journal |last=Bag |first=Amulya Kumar |year=1980 |url=http://repository.ias.ac.in/74661/ |title=Indian literature on Mathematics during 1400-1800 AD |journal=Indian journal of History of Science |volume=15 |issue=1 |pages=79-93 |publisher=Indian National Science Academy}}</ref>、これは {{math|''π'' ≈ 3.14159 26535 92222…}} に当たる。マーダヴァが円周率10桁を得たとすると、祖沖之の7桁以来、約1000年ぶりの世界記録更新である。
:上記の級数を30項目まで使えば円周率の15桁が決定でき、42項目まで使えば20桁が決定できる。この他にもケーララ学派は円周率の評価に利用できるいくつもの結果を得ていて、その気になれば比較的簡単に円周率の桁数を伸ばせる立場にあった。実際、R. Gupta は、マーダヴァが約17桁まで計算したと予想している<ref>{{Citation
|first = Ian
|last = Pearce
|year = 2002
|title = {{lang|en|Madhava of Sangamagramma}}
|work = {{lang|en|Indian Mathematics: Redressing the balance}}
|url = http://www-gap.dcs.st-and.ac.uk/~history/Projects/Pearce/Chapters/Ch9_3.html
|accessdate = 2012-09-21
|separator = ,
}}</ref>。しかし、記録は見つかっておらず、現時点では想像の域を出ない。
:'''[法]''' ケーララ学派による円周率の近似は級数に基づくもので、[[剰余項]]も考察している。他地域ではこの200年後(ニーラカンタから数えても100年後)にまだ正多角形の外周に基づく計算をしていることを考えると、極めて先進的だった。円周率の計算法として新しいというだけでなく、無限や極限を扱う新しい数学への大きな一歩だった。


; 15世紀
=== 計算式の改良の時代 ===
;[[17世紀|1621年]]
;[[1424年]]
:'''[値]''' (16) ペルシャの天文学者・数学者ジャムシード・カーシャーニー(アラビア語名: [[アル=カーシー]])は、当時使われていた円周率の近似値の不正確さに不満を抱き、天文計算に必要十分な精度で円周と半径の比を決定したいと考えた。1424年の『円周論』<ref>
:{{Flagicon|NLD}} '''[法][値]''' オランダの[[ウィレブロード・スネル・スネリウス]]が、円周の長さの評価式を与える。
{{lang|ar|الرسالة المحيطية}} {{lang|ar-Latn|ar-risālah al-muḥīṭiyyah}} — {{lang|ar-Latn|ar-}} は {{lang|ar-Latn|al-}} とも書かれ、{{lang|ar-Latn|iyy}} は {{lang|ar-Latn|īy}} または {{lang|ar-Latn|īyy}} とも書かれる。語末の {{lang|ar-Latn|h}} は表記しないことがある。
: <math>{3 \sin\theta \over 2 +\cos\theta} < \theta < {2\sin\theta +\tan\theta \over 3}</math>
</ref>において、彼はアルキメデスの方法を拡張して正{{math|805,306,368}} ({{math|{{=}} 3 × 2{{sup|28}}}}) 角形を用いる計算を行い<ref>{{Cite journal
:この式と円に内接・外接する正 6 角形から 3.14022 < ''&pi;'' < 3.14160 と評価した。この式の証明は[[クリスティアーン・ホイヘンス|ホイヘンス]]によって与えられ、さらにホイヘンスによって改良された結果、[[正六角形]]を用いただけで 3.1415926533 < ''&pi;'' < 3.1415926538 と評価できるまでになった。
|first1 = {{lang|en|Mohammad K.}}
|last1 = {{lang|en|Azarian}}
|title = {{lang|en|al-Risāla al-muhītīyya: A Summary}}
|journal = {{lang|en|Missouri Journal of Mathematical Sciences}}
|volume = 22
|issue = 2
|year = 2010
|pages = 64-85
|language = 英語
|url = http://www.xs4all.nl/~nirmala/Azarian2.pdf
|format = PDF
|separator = ,
}}</ref>、[[60進数]]による次の評価を得た<ref>{{Cite book
|author = {{lang|de|Paul Luckey}}
|title = {{lang|de|Der Lehrbrief über den Kreisumfang (ar-Risāla al-Muḥīṭīya) von Ǧamšīd b. Masʿūd al-Kāšī}}
|language = ドイツ語・アラビア語
|series = {{lang|de|Abhandlungen der Deutschen Akademie der Wissenschaften zu Berlin}}
|year = 1953
|url = http://www.jphogendijk.nl/kashi.html
|separator = ,
}}</ref>。
::<math>6;\, 16,\,59,\,28,\,1,\,34,\,51,\,46,\,14,\,49,\,46 < 2\pi < 6;\, 16,\,59,\,28,\,1,\,34,\,51,\,46,\,14,\,50,\,15</math>
:ここで、{{math|6; 16, 59, …}} は {{math|6 + {{sfrac|16|60}} + {{sfrac|59|60{{sup|2}}}} + …}} を表す(彼は後に計算を再検討して、下界の末尾の桁を 46 から 45 に改めたという<ref name="Hogendijk2009">{{Cite journal
|first1 = {{lang|nl|Jan P.}}
|last1 = {{lang|nl|Hogendijk}}
|title = {{lang|en|Al-Kāshī’s Determination of π to 16 Decimals in an Old Manuscript}}
|journal = {{lang|de|Zeitschrift für Geschichte der arabisch-islamischen Wissenschaften}}
|volume = 18
|year = 2009
|pages = 73-153
|url = http://www.jphogendijk.nl/publ/KashiZGAIW.pdf
|format = PDF
|language = 英語
|separator = ,
}}</ref>)。現代的な表記に直せば:
::<math>3.14159\, 26535\, 89793\, 23084\ldots < \pi < 3.14159\, 26535\, 89793\, 25482\ldots </math>
:彼は近似値 {{math2|2''π'' {{=}} 6; 16, 59, 28, 1, 34, 51, 46, 14, 50}} を採用し、10進表示 {{math2|''π'' {{=}} 3.14159 26535 89793 25}} も与えた<ref>正確には、{{math2|5 × 2''π''}} の近似値 {{math|31.41592…}} を小数第16位まで示した。</ref>。これは小数点以下16桁目まで正しく、末尾の17桁目も真の値に近い。記録に残る当時最良の円周率の近似値であり、この世界記録は1596年に[[ルドルフ・ファン・コーレン]]が小数点以下20桁を示すまで172年間、破られなかった。この業績は、西洋では[[1920年代]]まで知られていなかった<ref name="Hogendijk2009"/>。
;[[1500年]]頃
:'''[学]''' ケーララの天文学者ニーラカンタが、円周率の[[無理数|無理]]性を指摘した。彼の著書『アールヤバティーヤ・バーシャ』<ref name="Bhasya"/>には、こうある<ref name="Roy1990"/>:「直径が何らかの長さの単位で計測されて、その単位の比として表されるなら、その同じ単位によって円周を同様に計測することはできない。よってまた同様に、円周が何らかの単位で計測可能であるのなら、直径はその同じ単位によっては計測できない。」
:[[ケーララ学派]]は円周率の級数表示を知っていたため、この認識は自然に生じたのだろう。
:'''[値]''' (9) ニーラカンタの『タントラ・サングラハ』には、エレガントな分数表示 {{math2|''π'' ≈ {{sfrac|104348|33215}}}} が含まれる<ref name="Roy1990"/>。これは {{math2|{{sfrac|22|7}}, {{sfrac|355|113}}}} と同様の最良近似分数(より小さい分子・分母でこれより誤差の少ない近似値は作れない)で、小数点以下9桁目まで正しい。

; 16世紀
;[[1503年]]
:アルキメデスの『円の計測について』と『放物線の面積について』のラテン語訳が、[[ベネチア]]で出版された<ref>{{Cite book
|title = {{lang|la|Tetragonismus idest circuli quadratura}}
|year = 1503
|language = ラテン語
|url = http://mathematica.sns.it/opere/144/
}}『四角形主義: 円の求積法』</ref>。
;[[1543年]]
:[[ニコロ・フォンタナ・タルタリア]] ({{lang|it|Tartaglia}}) が、アルキメデスの一部の著作のラテン語訳をベネチアで再出版した<ref>{{Cite book
|first = {{lang|it|Niccolò}}
|last = {{lang|it|Tartaglia}}
|title = {{lang|la|Opera Archimedis Syracusani philosophi et mathematici ingeniosissimi}}
|year = 1543
|language = ラテン語
|url = https://echo.mpiwg-berlin.mpg.de/ECHOdocuView?mode=imagepath&url=/mpiwg/online/permanent/library/V3WUN5FQ/pageimg&viewMode=images
}} 『シラクサの天才哲人数学者アルキメデスの作品集』</ref>。
;[[1544年]]
:アルキメデスの著作の原文が、初めてまとめて出版された。出版地は[[バーゼル]]で、ラテン語訳付きだった<ref>{{Cite book
|title = {{lang|el|Ἀρχιμήδους του Συρακουσίου, τα μέχρι νῦν σωζόμενα, ἃπαντα.}} {{lang|la|Archimedis Syracusani philosophi ac geometrae excellentissimi opera}}
|year = 1544
|language = ギリシャ語・ラテン語
|url = https://archive.org/details/archimedestamech00arch
}} 『[[シラクサ|シュラークーサイ]]の人アルキメーデースの現存する全著作: 卓越した哲人幾何学者の作品集』
</ref>。これによりヨーロッパでは彼の業績が広く知られるようになり、円周率の研究もこれを出発点として本格的に再開された。この時点での西洋の円周率研究は紀元前のアルキメデスの時代からあまり進歩していなかったが、これ以降は急速に発展する。
;[[1579年]]
:'''[値]''' (9) [[フランソワ・ビエタ]]が、円に内接・外接する正{{math|393,216}}角形の周の長さから {{math2|3.14159 26535 < ''π'' < 3.14159 26537}} という評価をした。ビエタはさらに、[[総乗|無限乗積]]
::<math>x_1 =\sqrt{\frac{1}{2}},\quad x_{n+1} =\sqrt{\frac{1+x_n}{2}}</math>
::<math>\frac{2}{\pi} =\prod_{n=1}^\infty x_n</math>
:を示し {{π}} の計算を試みた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.157-163.</ref>。
;[[1585年]]
:'''[値]''' オランダの{{仮リンク|アドリアン・アンソニス|en|Adriaan Anthonisz}}が {{math2|{{sfrac|333|106}} < ''π'' < {{sfrac|377|120}}}} と評価し、両端の平均に近い値として {{math|{{sfrac|355|113}}}} を得た。これは、約{{math|3.14159 292}} である<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.173.</ref>。
;[[1593年]]
:'''[値]''' (15) [[フランドル]]の{{仮リンク|アドリアーン・ファン・ローメン|en|Adriaan van Roomen}}(ラテン語名:ローマヌス)が、『数学的観念序説:多角形法』の中で {{math2|3.14159 26535 89793 05 < ''π'' < 3.14159 26535 89793 15}} に当たる評価を与え、{{math2|''π'' ≈ 3.14159 26535 89793 1}} とした<ref>{{Cite book
|first = {{lang|la|Adrianus}}
|last = {{lang|la|Romanus}}
|title = {{lang|la|Ideae mathematicae pars prima, sive methodus polygonorum}}
|year = 1593
|language = ラテン語
|url = https://hdl.handle.net/2027/ucm.5320258006
}}</ref>。これは小数点以下15桁目まで正しい。アル=カーシーの世界記録16桁 (1424) にはわずかに及ばなかったが、この時点でヨーロッパ最良の近似値であり、ビエトの結果 (1579) の改良となっている。ただし、円周率の真の値は上記の区間に含まれておらず、厳密な評価ではない。計算は正 {{math|15 × 2{{sup|24}}}}(=約2.5億)角形を用いるものだった<ref>
「円に内接・外接する2億5165万8240角形を考える」とあり[https://hdl.handle.net/2027/ucm.5320258006?urlappend=%3Bseq=16]、15角形を第1段階として辺の数を次々と2倍にして第25段階で結果を得ている[https://hdl.handle.net/2027/ucm.5320258006?urlappend=%3Bseq=87]。
</ref>。彼は21歳年上のファン・コーレンと親交があり、円周率に興味を持ち始めたのは彼の影響らしい<ref name="MacTutor-Roomen">{{MacTutor|id=Roomen|title=Adriaan van Roomen}}</ref>。
;[[1596年]]
:'''[値]''' (20) [[ルドルフ・ファン・コーレン]]<ref>標準オランダ語では {{lang|nl|''v''}} は有声音なので、{{lang|nl|''van''}} の部分はバン(ヴァン)と表記するべきかもしれない。彼の住んだ地域の方言では(少なくとも現代では){{lang|nl|''v''}} が無声音として発音されるということから、暫定的にファン・コーレンと表記しておく。</ref>(ドイツ語読み:ファン・コイレン)が、『円について』で円周率の小数点以下20桁を決定した<ref>{{Cite book
|year = 1596
|author = {{lang|nl|Van Ceulen, Ludolf}}
|title = {{lang|nl|Vanden Circkel &#91;Van den Circkel&#93;}}
|language = オランダ語
|url = https://gdz.sub.uni-goettingen.de/id/PPN539965979}} &#91;[http://www.ludolphvanceulen.nl/documents/circkel.pdf 簡易校訂版(PDF)]&#93;
</ref>。ファン・コーレンはまず、正 {{math|5 × 2{{{sup|25}}}}(= 約2億)角形、正 {{math|4 × 2{{sup|28}}}}(= 約10億)角形、正 {{math|3 × 2{{sup|31}}}}(= 約60億)角形を用いて、円周率をそれぞれ12桁、16桁、18桁まで求めた。さらに、正 {{math|15 × 2{{sup|31}}}} ({{math|{{=}} 32,212,254,720}}) 角形に基づき次の評価を与えた:
::<math>3.14159\, 26535\, 89793\, 23845 < \pi < 3.14159\, 26535\, 89793\, 23847</math>
:上界・下界の平均を取って {{math2|''π'' ≈ 3.14159 26535 89793 23846}} とすれば、結果的に全20桁が正しい。しかし、ファン・コーレンの態度は厳格で、上記の結果は19桁のみ有効であると正しく指摘した<ref>{{Citation
|authors = Deimen, Inga; Hendriks, Maxim; Pronk, Matthijs
|year = 2006
|title={{lang|nl|Van den cirkel, wortels en π}}
|page = 5.
|url = http://www.ludolphvanceulen.nl/documents/C-Pi.pdf
|format = PDF
|language = オランダ語
|accessdate = 2012-09-30
|separator = ,
}} [著者らは20桁目を5または6としているが、実際には7になる可能性もあった。]
</ref>。最後に彼は {{π}} の20桁を示した:
::<math>3.14159\, 26535\, 89793\, 23846 < \pi < 3.14159\, 26535\, 89793\, 23847</math>
:この計算は、辺の数をさらに2倍にした正 {{math|15 × 2{{sup|32}}}} ({{math2|{{=}} 64,424,509,440}}) 角形に基づく<ref name="Hogendijk2009"/><ref>{{Cite journal
|first = {{lang|nl|Steven}}
|last = {{lang|nl|Wepster}}
|title = {{lang|nl|Van Ceulens veelhoeken en veeltermen}}
|journal = {{lang|nl|Nieuwe Wiskrant}}
|year = 2008
|volume = 28
|issue = 1
|page = 46
|url = http://www.fisme.science.uu.nl/wiskrant/artikelen/281/281september_wepster.pdf
|format = PDF
|language = オランダ語
}}</ref><ref>{{Citation
|title = {{lang|nl|Van den Ronden Cirkel- Hoofdstuk 11}}
|url = http://www.math.uu.nl/wiskonst/vandencirkel/hoofdstuk11.html
|publisher = [[ユトレヒト大学]]数学学部
|language = オランダ語
}}</ref>。ファン・ローメンの15桁の計算 (1593) の改良であり、アル=カーシーの16桁の記録 (1424) を上回る新しい世界記録の達成だった。
:ファン・コーレンは[[ヒルデスハイム]]で生まれ、[[ネーデルラント17州|ホラント]](現:[[南ホラント州|オランダ西部]])に移住した。フェンシングと数学の教師だった。高等教育は受けていなかったが、円積問題や円周率を巡る数学上の論争に巻き込まれ、1590年(50歳)頃から円周率に興味を持ち始めたらしい<ref name="MacTutor-Ludolph">{{MacTutor|id=Van_Ceulen|title=Ludolph Van Ceulen}}</ref>。

; 17世紀
[[画像:Monument voor PI.jpg|alt=ルドルフの墓の写真|225px|thumb|オランダの[[ライデン]]にあるファン・コーレンの墓(復元後)。彼が得た35桁の上界・下界(末尾桁1違い)が刻まれている。]]
;[[1610年]]頃
:'''[値]''' (35) ファン・コーレンは、1610年に亡くなるまでのいずれかの時点で、正 {{math|2{{sup|62}}}}(=約461京1686兆)角形を使って {{π}} の35桁目までを正しく評価した。この結果は、1621年、弟子の[[ヴィレブロルト・スネル|スネリウス]]の著書『キュクロメトリクス:円の計測について』<ref>{{Cite book
|author = {{lang|la|Snellius, Willebrordus}} ({{lang|nl|Snel, Willebrord}})
|title = {{lang|la|Cyclometricus, De circuli dimensione}}
|year = 1621
|language = ラテン語
}}</ref>で公表されたほか、本人の墓(生前の1602年に購入した記録がある)に刻まれた。墓石は後代に滅失したが、碑文とスケッチは残っており、2000年に復元された<ref name="MacTutor-Ludolph"/>。かつてドイツでは、彼の名に因んで円周率をルドルフ数 ({{lang|de|[[:de:Ludolph_van_Ceulen#Ludolphsche_Zahl|Ludolphsche Zahl]]}}) と呼んだ<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.174, p.339.</ref>。
;[[1621年]]
:'''[法][値]''' オランダの[[ヴィレブロルト・スネル]](ラテン語名: スネリウス)が、円周の長さの評価式を与える。
:<math>\frac{3\sin \theta}{2+\cos \theta} <\theta <\frac{2\sin \theta +\tan \theta}{3}</math>
:この式と円に内接・外接する正 {{math|6}} 角形から {{math2|3.14022 < ''π'' < 3.14160}} と評価した。この式の証明は[[クリスティアーン・ホイヘンス]]によって与えられ、さらにホイヘンスによって改良された結果、[[正六角形]]を用いただけで {{math2|3.14159 26533 < ''π'' < 3.14159 26538}} と評価できるまでになった<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.146-148,188-190, p.339.</ref>。
:スネリウスはファン・コーレンの弟子だった。彼の方法なら、ファン・コーレンが正 {{math|2{{sup|62}}}} 角形を使って得た35桁は、{{math|2{{sup|30}}}} 角形を考えるだけで得られるという。その気になれば、計算記録を更新できる立場だった。しかし、彼は別の分野で活躍しており、すでに35桁あった円周率の有効数字をさらに伸ばすために時間を割くことはしなかった。
;[[1630年]]
:'''[値]''' (38) オーストリア出身の天文学者・数学者{{仮リンク|クリストフ・グリーンベルガー|en|Christoph Grienberger}}は、スネリウスの手法を用いて円周率の小数点以下39桁目までを計算し、1630年に出版された自著『三角法の基礎』の中で公表した<ref>{{Cite book
|author = [[アーネスト・ウィリアム・ホブソン]]
|title = {{lang|en|“Squaring the Circle”: A History of the Problem}}
|language = 英語
|year = 1913
|page = 27
|publisher = [[ケンブリッジ大学出版局]]
|url = https://archive.org/details/squaringcirclehi00hobsuoft/page/27/mode/1up?view=theater
}} [本書では、グリーンベルガーの著作名 {{lang|la|''Elementa Trigonometrica''}} が {{lang|la|''Elementa Trigonometriae''}} と記されている。]</ref>。39桁目は 7 だが、彼はそれを 6 と 9 の間だと正しく評価した<ref>{{cite book
|author = {{lang|la|Grienbergerus, Christophorus}} ({{lang|de|Grienberger, Christoph}})
|title = {{lang|la|Elementa Trigonometrica}}
|year = 1630
|language = ラテン語
}}</ref>。桁数という意味では38桁目まで確定させたことになる。
;[[1655年]]
;[[1655年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法]''' イギリスの[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]は無限乗積
:'''[法]''' イギリスの[[ジョン・ウォリス]]は無限乗積
: <math>{\pi \over 2} = \prod_{n=1}^\infty {(2n)^2 \over (2n-1)(2n+1)}</math>
::<math>\frac{\pi}{2} =\prod_{n=1}^\infty \frac{(2n)^2}{(2n-1)(2n+1)}</math>
:を示した。ビエタの公式のように根号が無いため計算はしやすいが、収束はとても遅い。
:を示した。ビエタの公式のように根号が無いため計算はしやすいが、収束はとても遅い<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.213-214, p.339.</ref>
:同じくイギリスの[[ウィリアム・ブラウンカー|ブラウンカー]]が、[[連分数]]を用いた公式
:同じくイギリスの[[ウィリアム・ブラウンカー|ブラウンカー]]が、[[連分数]]を用いた公式
: <math>{4 \over \pi} =1+ \cfrac{1^2}{2+ \cfrac{3^2}{2 + \cfrac{\cdots}{\cdots + \cfrac{\left(2n-1\right)^2}{2+\cdots}}}}</math>
::<math>\frac{4}{\pi} =1+\cfrac{1^2}{2+\cfrac{3^2}{2+\cfrac{\cdots}{\cdots +\cfrac{\left(2n-1\right)^2}{2+\cdots}}}}</math>
:を示した<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.216-220, p.339.</ref>。この公式により {{π}} が[[無理数]]であることが分かる。
:を示した。
;[[1663年]]
:'''[値]''' [[村松茂清]]が『算俎』を著し、円に内接する正 {{math|2{{sup|''n''}}}} 角形 {{math2|(2 ≤ ''n'' ≤ 15)}} の辺の長さから {{math|''π'' ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48}} とし、小数点以下7桁まで正しい値を求めた。ファン・コーレンなどの計算には遠く及ばないものの、近似値として単に {{math|3.16}} という値を示すのみであった『[[塵劫記]]』や、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきたそれ以前の和算から一歩を踏み出し、日本で初めて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。和算において、円周率をはじめとする円に関する研究は「[[円理]]」と呼ばれ、一定の発展を見せたが、例えば外接多角形との「はさみうち」によって何桁目まで正しいかを論証する、といったような基本的な数学的発展さえわずかであったのが「和算の限界」であった([[円周率#和算における円周率の取り扱い]])。
;[[1665年]]
;[[1665年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[学]''' イギリスの[[政治哲学|政治哲学者]]の[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]が[[円積問題]]の解を公表し、[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]との間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた。
:'''[学]''' イギリスの[[政治哲学]]の[[トマス・ホッブズ]]が[[円積問題]]の解を公表し、[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]との間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.216.</ref>
[[画像:James Gregory.jpeg|225px|thumb|ジェームス・グレゴリー]]
;[[1671年]]
;[[1671年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法]''' スコットランドの[[ジェームス・グレゴリー|グレゴリー]]により、グレゴリー級数
:'''[法]''' スコットランドの[[ジェームス・グレゴリー]]により、[[ジェームス・グレゴリー#グレゴリー級数|グレゴリー級数]]
: <math>\arctan x= \sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1} x^{2n+1} =x- \frac{1}{3}x^3 + \frac{1}{5}x^5 - \frac{1}{7}x^7 + \frac{1}{9}x^9 - \cdots</math>
::<math>\arctan x=\sum_{n=0}^{\infin} \frac{(-1)^n}{2n+1}\, x^{2n+1} =x-\frac{1}{3}\, x^3 +\frac{1}{5}\, x^5 -\frac{1}{7}\, x^7 +\cdots</math>
:が発見される。これとは独立に[[1674年]]に[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]も同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれる。ライプニッツは ''x'' = 1 を代入し マーダヴァと同じ無限級数を得た。
:が発見される。これとは独立に[[1674年]]に[[ゴットフリート・ライプニッツ]]も同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれる。ライプニッツは {{math|''x'' {{=}} 1}} を代入しマーダヴァと同じ級数を得た<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.220-222, p.339.</ref>
;[[1681年]]
;[[1681年]]
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[暦]]の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、[[関孝和]]が正 131072 角形を使って小数第 16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.1415926535微弱」というものだったが、[[エイトケンのΔ2乗加速法|エイトケン補外]]を用いた途中計算では小数第 16 位まで正確に求めている<ref name="soluble">中村佳正編、可積分系の応用数理、第6章、裳華房、2000年、ISBN 4-7853-1520-2.</ref>。西洋でエイトケン補外が再発見されたのは[[1876年]]、H.von.N&auml;gelsbachによってである<ref name="soluble"></ref><ref>H.von.N&auml;gelsbach, Arch.Math.Phys. 59(1876)147-192.</ref>。
:'''[値]''' [[暦]]の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、[[関孝和]]が正 {{math|131,072}} 角形を使って小数第 16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.14159 26535 9微弱」というものだった<ref>「得三尺一寸四分一厘五毛九糸二忽六微五繊三紗五塵九埃微弱,為定周」[[#平山2007|平山 2007]], pp.57-58.</ref>が、[[エイトケンのΔ2乗加速法|エイトケン補外]]を用いた途中計算では小数第 16 位まで正確に求めている<ref name="soluble">中村佳正編、可積分系の応用数理、第6章、裳華房、2000年、ISBN 4-7853-1520-2.</ref>。西洋でエイトケン補外が再発見されたのは[[1876年]]、[[ハンス・フォン・ネーゲルスバッハ]]({{lang|de|Hans von Nägelsbach}})によってである<ref name="soluble"/><ref>H.von.N&auml;gelsbach, Arch.Math.Phys. 59(1876)147-192.</ref>。
;[[1699年]]
;[[1699年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[値]'''(72) イギリス人の[[エイブラハム・シャープ|シャープ]]がグレゴリー・ライプニッツ級数に ''x'' = {{分数|1|√3}} を入れ、&pi; を小数第 72 位まで求めた。
:'''[値]''' (72) イギリス人の[[エイブラハム・シャープ]]がグレゴリー・ライプニッツ級数に <math>x=\frac{1}{\sqrt{3}}</math> を入れ、{{π}} を小数第 72 位まで求めた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.236, p.339.</ref>

[[file:Machin Formula.svg|225px|thumb|right|マチンの公式。]]

; 18世紀
;[[1706年]]
;[[1706年]]
:{{Flagicon|GBR}}'''[法][値]'''(100) イギリスの[[ジョン・マチン]]が[[マチンの公式]]
:'''[法][値]''' (100) イギリスの[[ジョン・マチン]]が[[マチンの公式]]
: <math>4 \arctan \frac{1}{5} - \arctan \frac{1}{239} = \frac{\pi}{4}</math>
::<math>\frac{\pi}{4} =4\arctan \frac{1}{5} -\arctan \frac{1}{239}</math>
:を発見する。さらに、この関係式にグレゴリ・ライプニッツ級数を用いて小数第 100 位までの円周率を求めた。
:を発見する。さらに、この関係式にグレゴリ・ライプニッツ級数を用いて小数第 100 位までの円周率を求めた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.236-237, p.339.</ref>
:{{Flagicon|GBR}}'''[文]''' [[ウィリアム・ジョーンズ (数学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]が初めて ''&pi;'' を円周率の意味で用いた。[[1748年]]に[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]も同じ記法を用いたことで円周率を ''&pi;'' と表記することが広まった。
:'''[文]''' [[ウィリアム・ジョーンズ (数学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]が初めて {{π}} を円周率の意味で用いた。[[1748年]]に[[レオンハルト・オイラー]]も同じ記法を用いたことで円周率を {{π}} と表記することが広まった<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.237, p.240, p.339.</ref>
;[[1719年]]
;[[1719年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(127) フランスの[[トーマス・ラグニー]]が、シャープの方法で小数第 127 位まで計算を行う。
:'''[値]''' (127) フランスの[[トーマス・ラグニー]]が、シャープの方法で小数第 127 位まで計算を行う<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.237, p.339.</ref>
;[[1761年]]
:{{Flagicon|DEU}}'''[学]''' ドイツの[[ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト|ランベルト]]によって ''&pi;'' が[[有理数]]でないことが証明される。
;[[1722年]]
;[[1722年]]
:{{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[建部賢弘]]が『綴術算経』を著し、正 1024 角形を用いて小数第 42 位まで求めた。「累遍増約術」(Richardson補外)を適用し、関孝和の計算に比べて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。なお、[[ルイス・フライ・リチャードソン]]による同手法の提案は1910年頃である。
:'''[値]''' [[建部賢弘]]が『[[綴術算経]](てつじゅつさんけい)を著し、正 {{math|1024}} 角形を用いて小数第 42 位まで求めた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.175, p.326.では小数点以下41桁としている。</ref>。「累遍増約術」([[リチャードソンの補外|リチャードソン補外]])を適用し、関孝和の計算に比べて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。なお、[[ルイス・フライ・リチャードソン]]による同手法の提案は1910年頃である。
;[[1761年]]
[[画像:JHLambert.jpg|200px|thumb|ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト]]
:'''[学]''' ドイツの[[ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト]]によって {{π}} が[[有理数]]でないことが証明される<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.280-281では1767年としている。p.339では1766年としている。</ref>。
;[[18世紀]]中頃
;[[18世紀]]中頃
:{{Flagicon|DEU}}'''[法]''' [[レオンハルト・オイラー|オイラー]]によって、多くの ''&pi;'' に関する式が発見される。オイラーは
:'''[法]''' [[レオンハルト・オイラー]]によって、多くの {{π}} に関する式が発見される。オイラーは
: <math>5 \arctan \frac{1}{7} +2 \arctan \frac{3}{79} = \frac{\pi}{4}</math>
::<math>\frac{\pi}{4} =5\arctan \frac{1}{7} +2\arctan \frac{3}{79}</math>
:を用いて、 たった1時間で円周率を小数第 20 位まで計算した。
:を用いて、 たった1時間で円周率を小数第 20 位まで計算した<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.256.</ref>
;[[1775年]]
;[[1775年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[学]''' フランスの[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]が、ギリシアの[[定規とコンパスによる作図#ギリシアの三大作図問題|三大作図問題]]と[[永久機関]]についての論文審査を拒否する決議をした。
:'''[学]''' フランスの[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]が、ギリシアの[[定規とコンパスによる作図#不可能な作図|三大作図問題]]と[[永久機関]]についての論文審査を拒否する決議をした<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.287.</ref>
;[[1789年]]
;[[1789年]]
:{{Flagicon|SVN}}'''[値]'''(137) [[スロベニア]]の数学者[[ユリー・]]は、マチンの公式を用いて小数第 140 位まで値を求め、小数第 137 位までが正しかった。この記録はその後50年破られることがなかった。
:'''[値]''' (137) [[スロベニア]]の数学者{{仮ンク|ユリイヴェ|en|Jurij Vega}}は、マチンの公式を用いて小数第 140 位まで値を求め、小数第 137 位までが正しかった。この記録はその後50年破られることがなかった<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.175, p.339.</ref>
;[[1794年]]
;[[1794年]]
:{{Flagicon|FRA}}'''[学]''' [[アドリアン=マリ・ルジャンドル|ルジャンドル]]によって ''&pi;'' は[[有理数]]の[[平方根]]にならないことが証明される。
:'''[学]''' [[アドリアン=マリ・ルジャンドル]]によって {{π}} は[[有理数]]の[[平方根]]にならないことが証明される<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.282, p.339.</ref>

;1850年頃–[[1873年]]
; 19世紀
:{{Flagicon|GBR}}'''[値]'''(527) イギリスの[[ウィリアム・ラザフォード]]とその弟子の[[ウィリアム・シャンクス]]がマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、arctan({{分数|1|5}}) が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった。
; 19世紀初期
: '''[法]''' [[カール・フリードリヒ・ガウス]]と[[アドリアン=マリ・ルジャンドル]]が独立に、[[算術平均]](相加平均)と[[幾何平均]](相乗平均)を利用した反復計算[[アルゴリズム]]を研究。1970年代に再発見され、現在では[[ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム]]と呼ばれる。[[円周率]]を計算するものの中では非常に[[収束]]が速い。
;1850年頃 - [[1873年]]
:'''[値]''' (527) イギリスの[[ウィリアム・ラザフォード]]とその弟子の[[ウィリアム・シャンクス]]がマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、{{math|arctan {{sfrac|1|5}}}} が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.176-177, p.339.</ref>。
;[[1882年]]
;[[1882年]]
:{{Flagicon|DEU}}'''[学]''' [[フェルディナント・フォン・リンデマン|リンデマン]]によって ''&pi;'' が[[代数的数]]でないことが証明される。これにより ''&pi;'' の[[超越数|超越性]]が証明され、[[円積問題]]も否定的に解決た。
:'''[学]''' [[フェルディナント・フォン・リンデマン]]によって {{π}} が[[代数的数]]でないことが証明される。これにより {{π}} の[[超越数|超越性]]が証明され、[[円積問題]]も否定的に解決され<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.280, p.340.</ref>
;[[1896年]]
:'''[法]''' {{仮リンク|カール・ストーマー|en|Carl Størmer}}は公式
::<math>\frac{\pi}{4} =6\arctan \frac{1}{8} +2\arctan \frac{1}{57} +\arctan \frac{1}{239}</math>
:を発見する<ref name="#2">[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], p.216.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.304.</ref>。
;[[1897年]]
;[[1897年]]
:{{main|インディアナ州円周率法案}}
:{{main|インディアナ州円周率法案}}
:{{Flagicon|USA}}'''[文][値]''' [[アメリカ合衆国]]の[[インディアナ州]]の下院で[[医者]]の[[エドウィン・グッドウィン]]による円積問題解決方法を盛り込んだ議案264号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は ''&pi;'' = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については公式に認められた最も不正確な円周率の値として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判にい2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された。
:'''[文][値]''' [[アメリカ合衆国]]の[[インディアナ州]]の下院で[[医者]]の[[エドウィン・グッドウィン]]による円積問題解決方法を盛り込んだ議案246号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は {{math|π {{=}} 3.1604, 3.2, 3.232, 4}} であり、このうち 4 については公式に認められた最も不正確な円周率の値として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判に2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.288-293.</ref>

; 20世紀
[[画像:Srinivasa Ramanujan - OPC - 1.jpg|225px|thumb|「インドの魔術師」こと[[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]]は、円周率の計算の為の多くの革新的な級数を生み出した。]]
;[[1910年]]
;[[1910年]]
:{{Flagicon|IND}}'''[法]''' [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン|ラマヌジャン]]によって、無限級数表示
:'''[法]''' [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン|ラマヌジャン]]によって、級数表示
: <math>\frac{1}{\pi} = \frac{2\sqrt{2}}{9801} \sum^\infty_{k=0} \frac{(4k!)(1103+26390k)}{(k!)^4 396^{4k}}</math>
::<math>\frac{1}{\pi} =\frac{2\sqrt{2}}{99^2} \sum^\infty_{n=0} \frac{(4n)!}{(n!)^4}\frac{26390n+1103}{396^{4n}}</math>
:が発見される<ref>{{Cite journal
:が発見される。この公式は、[[ジョナサン・ボールウェイン|ジョナサン]]&[[ピーター・ボールウェイン]]兄弟によって[[1987年]]に厳密に証明されるが、[[1985年]]に[[ウィリアム・ゴスパー]]がこの公式を用いて円周率を計算し、その正確さを示している。
|author = [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]]
|title = Modular Equations and Approximations to pi|journal=Journal of the Indian Mathematical Society
|issue = XLV
|year = 1914
|publisher = Indian Mathematical Society
|pages = 350-372
|ref = Ramanujan1914
}}</ref><ref>{{Cite book
|editor = [[ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ|G.H. Hardy]], P. V. Seshu Aiyar, and B. M. Wilson
|year = 1962
|title = Srinivasa Ramanujan: Collected Papers
|publisher = Chelsea Publishing Company
|pages = 23-29
|ref = Ramanujan1962
}}</ref>。この公式は、[[ジョナサン・ボールウェイン|ジョナサン]] & [[ピーター・ボールウェイン]]兄弟によって[[1987年]]に厳密に証明されるが、[[1985年]]に[[ウィリアム・ゴスパー]]がこの公式を用いて円周率を計算し、その正確さを示している。
;[[1945年]]
;[[1945年]]
:{{Flagicon|USA}}'''[値]'''(540) [[ファーガソン]](D.F.Ferguson)が小数第 540 位までを計算し、ウィリアム・シャンクスの誤りを指摘する。シャンクスの計算は約70年間も信用されていた。
:'''[値]''' (540) [[ファーガソン]] (D.F.Ferguson) が小数第 540 位までを計算し、ウィリアム・シャンクスの誤りを指摘する。シャンクスの計算は約70年間も信用されていた<ref name="#3">[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.177, p.340.</ref>
:このファーガソンの計算までが手計算によるものだった。手計算の時代は誤りが起こることも多かったが、この時代の数学の成果は、現代の計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割を果たしている。

=== 計算機による計算の時代 ===


このファーガソンの計算までが手計算によるものだった。手計算の時代は誤りが起こることも多かったが、この時代の数学の成果は、現代の計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割を果たすことになる。
{{seealso|任意精度演算}}


=== 計算機による計算の時代 — 20世紀後半以後 — ===
{{See also|任意精度演算}}
;[[1947年|1947]]–[[1948年]]
;[[1947年|1947]]–[[1948年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(808) ファーガソンは卓上計算機を使用して808桁まで求めた。この計算は、[[レビ・スミス]]と[[ジョン・レンチ]]によっても検算され、シャンクスの計算が間違いであることが繰り返し確認された。
:'''[値]''' (808) ファーガソンは卓上計算機を使用して808桁まで求めた。この計算は、[[レビ・スミス]]と[[ジョン・レンチ]]によっても検算され、シャンクスの計算が間違いであることが繰り返し確認された<ref name="#4">[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], p.215.</ref><ref name="#3"/>
;[[1949年]]
;[[1949年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(2037) [[ライトウィーズナー]]が[[ENIAC]]を用いて[[マチンの公式]]により 2037桁を 70時間かけて計算した。ENIACは[[第二次世界大戦]]において大砲の弾道計算を行うために作られたが、完成時にはすでに戦争は終わっていた。戦争以外にも計算機が有用であることを示すために円周率計算などに用いられた
:'''[値]''' (2037) [[ライトウィーズナー]]が [[ENIAC]] を用いて[[マチンの公式]]により 2037桁を 70時間かけて計算した<ref name="#4"/><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.302, p.340.</ref>
;[[1954年]]
;[[1954年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(3092) [[ニコルソン]][[ジーネル]]が[[NORC]]を用いて3092桁を13分で計算した。
:'''[値]''' (3092) S・C・ニコルソンとJ・ジーネルが[[IBM NORC]] を用いて3089桁を13分で計算した<ref>[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], pp.215-216.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.302-303, p.340.</ref>
;[[1958年]]
;[[1958年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(1) [[フランソワ・ジェニューイ]]が、[[IBM 704]]を用いて 1万桁まで計算した。
:'''[値]'''(1[[フランソワ・ジェニューイ]]が、[[IBM 704]] を用いて 1万桁まで計算した<ref name="#2"/><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.303, p.340.</ref>
;[[1961年]]
;[[1961年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(10) ジョン・レンチと[[ダニエル・シャンクス]]が [[IBM 7090]]を用いて 10万桁まで計算した。
:'''[値]'''(10ジョン・レンチと[[ダニエル・シャンクス]]が [[IBM 7090]] を用いて 10万桁まで計算した。計算には[[ストーマーの公式]]
::<math>\frac{\pi}{4} =6\arctan \frac{1}{8} +2\arctan \frac{1}{57} +\arctan \frac{1}{239}</math>
:を使用した。検算には[[ガウスの公式]]
::<math>\frac{\pi}{4} =12\arctan \frac{1}{18} +8\arctan \frac{1}{57} -5\arctan \frac{1}{239}</math>
:を使用した<ref name="#5">[[#ニーバージェルトほか1976|ニーバージェルトほか 1976]], pp.216-217.</ref><ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.303-305, p.340.</ref>。
[[ファイル:IBM7030 p1040280.jpg|thumb|IBM 7030 保守コンソール。''Musée des arts et métiers''(パリ)所蔵]]
;[[1966年]]
:'''[値]'''(25万)パリの原子力エネルギー委員会にある [[IBM 7030]] を用いて25万桁まで計算した<ref name="#5"/><ref name="#6">[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.305, p.340.</ref>。
;[[1967年]]
:'''[値]'''(50万)パリの原子力エネルギー委員会にある [[CDC 6600]] を用いて50万桁まで計算した<ref name="#5"/><ref name="#6"/>。
;[[1973年]]
;[[1973年]]
: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(100) [[ジャン・ギュー]]と[[マルティーヌ・ブイエ]]が[[CDC 7600]]を用いて 100万1250桁まで計算した。
:'''[値]'''(100[[ジャン・ギュー]]と[[マルティーヌ・ブイエ]]が [[CDC 7600]] を用いて 100万1250桁まで計算した。
: {{Flagicon|USA}}{{Flagicon|AUS}}'''[法]''' [[ユージン・サラミン]]と[[リチャード・ブレント]]が独立に、[[算術幾何平均]]を用いた[[アルゴリズム]]を発見する。
:'''[法]''' [[ユージン・サラミン]]と[[リチャード・ブレント]]が独立に、[[算術幾何平均]]を用いた[[アルゴリズム]]を発見する。現在では[[ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム]]と呼ばれる。
;[[1982年]]
:'''[値]'''(209万)[[田村良明]]が [[MELCOM]] COSMO 900 Ⅱ を用いてサラミンとブレントのアルゴリズムにより209万7144桁まで計算<ref name="#7">[[#田村1987|田村 1987]]</ref>。
:'''[値]'''(419万)田村良明と[[金田康正]]が HITAC M-280H を用いて419万4288桁、ついで838万8576桁まで計算<ref name="#7"/>。
;[[1983年]]
;[[1983年]]
:'''[値]'''(1677万)金田康正と吉野さやかが HITAC M-280H を用いて1677万7206桁まで計算<ref name="#7"/>。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[若松登志樹]]が[[シャープ]]のパソコン[[MZ (コンピュータ)#MZ-80Bグループ|MZ-80B]]を用いて[[ガウスの公式]]
:'''[値]'''(1001万)後保範と金田康正が HITAC S-810/20 を用いて1001万3395桁まで計算。アルゴリズムはガウスの公式による<ref name="#7"/>。
: <math> \frac{\pi}{4} = 12 \arctan\frac{1}{18} + 8 \arctan\frac{1}{57} - 5 \arctan\frac{1}{239}</math>
:'''[値]'''(7万)[[若松登志樹]]が[[シャープ]]のパソコン [[MZ-80#MZ-80B|MZ-80B]] を用いて[[ガウスの公式]]
: により7万1508桁まで計算。
::<math>\frac{\pi}{4} =12\arctan \frac{1}{18} +8\arctan \frac{1}{57} -5\arctan \frac{1}{239}</math>
<!--注)実際は12万1121桁まで計算したが、7万1509桁以降の数字に誤りがあった事が後に判明し、現在では上記の記録が公式記録となっている。
:により7万1508桁まで計算<ref>[[#若松1983|若松 1983]]</ref>。<!--
MZ-80Bによる計算記録は、若松氏自身によって執筆され、雑誌「RAM」廣済堂に掲載された記事をもとにしたものです。その記事によれば、同機の搭載メモリ容量では7万余桁の計算が上限だとあります。12万1121桁という数字は同機のスペックからしてもありえず、何らかの過誤かと思われます。よってコメントアウト。-->
注)実際は12万1121桁まで計算したが、7万1509桁以降の数字に誤りがあったことが後に判明し、現在では上記の記録が公式記録となっている。
MZ-80B による計算記録は、若松氏自身によって執筆され、雑誌「RAM」廣済堂に掲載された記事をもとにしたものです。その記事によれば、同機の搭載メモリ容量では7万余桁の計算が上限だとあります。12万1121桁という数字は同機のスペックからしてもありえず、何らかの過誤かと思われます。よってコメントアウト。-->
;[[1985年]]
;[[1985年]]
: {{Flagicon|USA}}'''[値]'''(1752) [[ウィリアム・ゴスパー]]が[[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]]の式を用いて、1752万6200桁まで計算した。
:'''[値]'''(1752[[ウィリアム・ゴスパー]]が[[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]]の式を用いて、1752万6200桁まで計算した。
;[[1989年]]
;[[1989年]]
: この年は、[[チュドノフスキー兄弟]][[金田康正]][[田村良明]]によって激しい計算競争が行われた。
:この年は、{{仮リンク|チュドノフスキー兄弟|en|Chudnovsky brothers}}と金田康正・田村良明によって激しい計算競争が行われた。
: {{Flagicon|RUS}}'''[値]'''(4.80億) 5月に[[デビッド・チュドノフスキー]]と[[グレゴリー・チュドノフスキー]]によって4億8000万桁まで計算された。
:'''[値]'''(4.80億)5月に[[デビッド・チュドノフスキー]]と[[グレゴリー・チュドノフスキー]]によって4億8000万桁まで計算された。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(5.36億) 7月に金田康正と田村良明によって5億3687万898桁まで計算された。
:'''[値]'''(5.36億)7月に金田康正と田村良明によって5億3687万898桁まで計算された。
: {{Flagicon|RUS}}'''[値]'''(10.1億) 8月にデビッド・チュドノフスキーとグレゴリー・チュドノフスキーによって10億1119万6691桁まで計算された。
:'''[値]'''(10.1億)8月にデビッド・チュドノフスキーとグレゴリー・チュドノフスキーによって10億1119万6691桁まで計算された。
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(10.7億) 11月に金田康正と田村良明によって10億7374万1799桁まで計算された。
:'''[値]'''(10.7億)11月に金田康正と田村良明によって10億7374万1799桁まで計算された<ref>[[#金田1991|金田 1991]]</ref>
;[[1990年]]
;[[1990年]]
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]''' [[若松登志樹]]が[[富士通]]のパソコン[[FM-TOWNS]]を用いて[[シュテルマーの公式]]
:'''[値]'''(100万)[[若松登志樹]]が[[富士通]]のパソコン [[FM-TOWNS]] を用いて[[シュテルマーの公式]]
: <math> \frac{\pi}{4} = 6 \arctan\frac{1}{8} + 2 \arctan\frac{1}{57} + \arctan\frac{1}{239}</math>
::<math>\frac{\pi}{4} =6\arctan \frac{1}{8} +2\arctan \frac{1}{57} +\arctan \frac{1}{239}</math>
: により100万118桁まで計算。
:により100万118桁まで計算<ref>[[#若松1990|若松 1990]]</ref>
;[[1994年]]
;[[1994年]]
: {{Flagicon|RUS}}'''[法]''' チュドノフスキー兄弟によって無限級数
:'''[法]''' チュドノフスキー兄弟によって級数
: <math> \frac{1}{\pi} = 12 \sum^\infty_{k=0} \frac{(-1)^k (6k)! (13591409 + 545140134k)}{(3k)!(k!)^3 640320^{3k + 3/2}} </math>
::<math>\frac{1}{\pi} =12\sum^\infty_{n=0} \frac{(-1)^n\, (6n)!}{(n!)^3\,(3n)!}\frac{545140134n+13591409}{640320^{3n+\tfrac{3}{2}}}</math>
:が発見された。
:が発見された。
;[[1995年]][[9月19日]][[午前]]0時29分
;[[1995年]][[9月19日]][[午前]]0時29分
: {{Flagicon|CAN}}'''[法]''' [[カナダ]]の[[サイモン・フレーザー大学]]で、[[デビット・H・ベイリー]]、[[ピーター・ボールウェイン]]、[[サイモン・プラウフ]]の研究チームが無限級数
:'''[法]''' [[カナダ]]の[[サイモン・フレーザー大学]]で、[[デビット・H・ベイリー]]、[[ピーター・ボールウェイン]]、[[サイモン・プラウフ]]の研究チームが[[ベイリー=ボールウェイン=プラウフの公式|BBP公式]]
: <math> \pi = \sum_{k = 0}^{\infty} \frac{1}{16^k} \left( \frac{4}{8k + 1} - \frac{2}{8k + 4} - \frac{1}{8k + 5} - \frac{1}{8k + 6}\right)</math>
::<math>\pi =\sum_{n=0}^{\infty} \frac{1}{16^n} \left( \frac{4}{8n+1} -\frac{2}{8n+4} -\frac{1}{8n+5} -\frac{1}{8n+6} \right)</math>
: を発見する。この式は[[二進法]]または[[十六進法]] ''n'' - 1 桁までを求めずに ''n'' 桁目以降の ''&pi;'' の値を計算できる。[http://www.nersc.gov/~dhbailey/ ベイリーのウェブサイト]で様々な[[プログラミング言語]]用の実装例を見ることができる。
:を発見する。この式は{{π}}の値の[[二進法]](及び[[十六進法]]など、二進法と直接変換可能な記法)による表現について、任意の {{math|''n'' &minus; 1}}までの計算必要とせずに、直接 {{mvar|n}} 桁目およびそれ以降を計算できる。[https://www.davidhbailey.com/ ベイリーのウェブサイト]で様々な[[プログラミング言語]]用の実装例を見ることができる。
: 他の[[位取り記数法]](たとえば[[十進法]])で同様の無限級数が存在するかは判明していない。
:他の[[位取り記数法]](たとえば[[十進法]])で同様の級数が存在するかは判明していない。
;[[1996年]]3月18日
:'''[文]''' 同人団体[[暗黒通信団]]により『[[円周率1000000桁表]]』初版が発行される。
;[[1997年]]
;[[1997年]]
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(515) 金田康正と[[高橋大介]]が [[HITACHI SR2201]] を用いて 4次の[[ボールウェインのアルゴリズム]]により 515億 3960万桁まで計算した。
:'''[値]'''(515金田康正と[[高橋大介]]が [[HITACHI SR2201]] を用いて 4次の[[ボールウェインのアルゴリズム]]により 515億3960万桁まで計算した。
;[[1999年]]
;[[1999年]]
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(2061) 金田康正と高橋大介が [[HITACHI SR8000]] を用いて[[ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム]]により 2061億5843万桁まで計算した。
:'''[値]'''(2061金田康正と高橋大介([[埼玉大学]])が [[HITACHI SR8000]] (1 TFLOPS) を用いて[[ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム]]と[[分割有理数化法]] (DRM)<ref>{{cite journal|和書|author=後保範, 金田康正, 高橋大介 |date=2000-06 |url=https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/37235 |title=級数に基づく多数桁計算の演算量削減を実現する分割有理数化法 |journal=情報処理学会論文誌 |ISSN=1882-7764 |publisher=情報処理学会 |volume=41 |issue=6 |pages=1811-1819 |hdl=2241/00136310 |CRID=1050282677596154752}}</ref>により 2061億5843万桁まで計算し、4次の[[ボールウェインのアルゴリズム]]で検証した。
;[[2002年]]
;[[2002年]]
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(1.24兆) 金田康正が HITACHI SR8000 を用いて[[高野喜久雄]]の公式
:'''[値]'''(1.24兆) 金田康正が HITACHI SR8000(0.9TFOPS、約850GB使用、検証含め約84時間)を用いて[[高野喜久雄]]の公式
: <math> \frac{\pi}{4} = 12 \arctan\frac{1}{49} + 32 \arctan\frac{1}{57} - 5 \arctan\frac{1}{239} + 12 \arctan\frac{1}{110443}</math>
::<math>\frac{\pi}{4} =12\arctan \frac{1}{49} +32\arctan \frac{1}{57} -5\arctan \frac{1}{239} +12\arctan \frac{1}{110443}</math>
: と[[分割有理数化法]]により 1兆2411億桁まで計算した。検証計算などを含めて約600時間かけた。
: と[[分割有理数化法]]により1兆2411億桁まで計算した。検証計算などを含めて約600時間かけた。
;[[2009年]]8月
;[[2009年]]8月
: {{Flagicon|JPN}}'''[値]'''(2.57兆) [[筑波大学計算科学研究センター]]が、円周率を2兆5769億8037万桁まで計算する世界記録を樹立したと発表した。「[[T2Kオープンスパコン|T2K筑波システム]]」(毎秒95兆回)を使った。検証計算を含めて73時間36分かけ<ref>「[http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090817AT1G1702T17082009.html 筑波大、円周率を2兆5769億8037万ケタまで計算 世界記録樹立]」 [[NIKKEI NET]]、2009年8月17日。</ref>
:'''[値]'''(2.57兆[[筑波大学計算科学研究センター]]の高橋大介が、円周率を2兆5769億8037万桁まで計算する世界記録を樹立したと発表した。「[[T2Kオープンスパコン|T2K筑波システム]]」(毎秒95兆回)を使い、検証計算を含めて73時間36分を要した<ref>{{Cite web|和書
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|date = 2009-08-17
|title = 円周率2兆5769億8037万桁計算の結果について
|url = http://www.hpcs.cs.tsukuba.ac.jp/~daisuke/pi-j.html
|accessdate = 2012-09-27
}}</ref><ref>{{Cite web|和書
|date = 2009-08-17
|title = 円周率の計算けた数で世界記録を樹立
|url = http://www.tsukuba.ac.jp/topics/20090819133359.html
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|accessdate = 2012-09-27
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;2009年12月
;2009年12月
: {{Flagicon|FRA}}'''[値]'''(2.69兆) [[フランス]]の[[ファブリス・ベラール]]が、[[Intel Core i7]]を搭載したデスクトップPCでチュドノフスキーの級数を用いて2兆6999億9999万桁まで計算し、世界記録を樹立した。バイナリーでの計算に103日、検算に13日。データ量1137GB<ref>[2010年1月12日読売夕刊12面]</ref>。2.93GHzのクアッドコアプロセッサ、6GBのメモリ、7.5TBのストレージを搭載したデスクトップPCを使用し、検証計算を含めて131日を要した<ref>http://bellard.org/pi/pi2700e9/announce.html</ref>。
:'''[値]'''(2.69兆[[フランス]]の[[ファブリス・ベラール]]([[:en:Fabrice Bellard]]、[[QEMU]] や [[FFmpeg]] などが知られる)が、[[Intel Core i7]] を搭載したデスクトップPCでチュドノフスキーの級数を用いて2兆6999億9999万桁まで計算し、世界記録を樹立した。バイナリーでの計算に103日、検算に13日。データ量 1137GB<ref>[2010年1月12日読売夕刊12面]</ref>。2.93GHz のクアッドコアプロセッサ、6GB のメモリ、7.5TB のストレージを搭載したデスクトップPCを使用し、検証計算を含めて131日を要した<ref>{{citation
|first = {{lang|fr|Fabrice}}
|last = {{lang|fr|Bellard}}
|date = 2009-12-31
|title = {{lang|en|Pi Computation Record}}
|url = http://bellard.org/pi/pi2700e9/announce.html
|language = 英語
|accessdate = 2012-09-27
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;[[2010年]]
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|author = 松井潤
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|archivedate = 2010-08-06
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|title = 長野男性、円周率で10兆桁達成 自作パソコンで
|work = 47NEWS
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:'''[値]'''(100兆)Googleの技術者、岩尾エマはるかがGoogle Cloudで、チュドノフスキー級数を用いて157日23時間31分7.651秒かけて100兆桁まで計算し、[[ベイリー=ボールウェイン=プラウフの公式|BBP公式]]で検証したと発表<ref>{{Cite news |url=https://cloud.google.com/blog/products/compute/calculating-100-trillion-digits-of-pi-on-google-cloud |title=Even more pi in the sky: Calculating 100 trillion digits of pi on Google Cloud |accessdate=2022-06-09}}</ref><ref>{{cite news|title=Google、100兆桁の円周率計算で世界記録更新 GCP活用で 100兆桁目の数字は?|newspaper=ITmedia News|publisher=ITmedia, Inc.|date=2022-06-09|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2206/09/news205.html|accessdate=2022-06-19}}</ref>。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{reflist}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}

== 参考文献 ==
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|editor=田村松平責任編集|editor-link=田村松平
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|series = 世界の名著 9
|publisher = 中央公論社
|chapter = 円の計算
|id = ISBN 978-4-12-400089-4 / ISBN 978-4-12-400619-3
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}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
189行目: 621行目:


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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|accessdate = 2015-12-03
}}
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2024年12月9日 (月) 02:30時点における最新版

本記事では、数学定数のひとつである円周率の歴史(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。

円周率 π無理数であるため、小数部分は循環せず無限に続く。さらに、円周率 π超越数でもあるため、その連分数表示は循環しない。その近似値は何千年にも亘り世界中で計算されてきた。

凡例

[編集]
  • [学]:数学的事実に関する発見・論争等
  • [法]:計算法の考案・改良等
  • [値]:計算・値の使用
  • [値](桁数):計算・値の使用(小数点以下の桁数の記録)
  • [文]:文化・社会

年表

[編集]

級数の発見前 — 13世紀まで —

[編集]
紀元前2000年
[値] (2) 1936年スーサで発見された粘土板などから、古代バビロニアでは、正六角形の周と円周を比べ、円周率の近似値として 33+1/7 = 22/7, 3+1/8 などが使われたと考えられている[1]
紀元前1650年
[学][値] 既に、古代エジプトでは、円周と直径の比の値と、円の面積と半径の平方の比の値が等しいことは知られていた。神官アハメスが書き残したリンド・パピルスには、円積問題の古典的な解法の一つが記されており、円の直径からその 1/9 を引いた長さを一辺とする正方形の面積と、元の円の面積が等しいとしている[2]。これは、円周率を近似的に256/81とみなすことに相当し[2]、それなりに精度の高い近似値であったが普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年頃にまで遡ると考えられている[3]
紀元前5世紀
[学] アナクサゴラスが、アポロンへの不敬罪で投獄されている間に、円積問題に取り組んだ[4]
[法] ヘラクレアアンティフォンは、円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した[5]
[値] すぐに、同じヘラクレアのブリソン英語版が、外接する正多角形の面積を求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
紀元前3世紀
[法][値] アルキメデスは、円の面積が円周率と半径の平方の積に等しいことを証明した[6]。さらに、3の平方根の最良近似分数 265/153 および 1351/780 (265/153 < 3 < 1351/780) を利用して、円に外接および内接する正六角形、正十二角形、正二十四角形、正四十八角形、正九十六角形の辺の長さの上界および下界をそれぞれ計算することにより 3 + 10/71 < π < 3 + 1/7 を求めた[7]。小数だと 3.14084 < π < 3.14286 である[8]
1世紀
[値] ローマ帝国の著名な建築家ウィトルウィウスは、25/8 を使った。素数の7よりも、23乗である 8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 である[9]
2世紀
[値] 天文学者プトレマイオス377/120 を使った。小数だと約3.1417 である[10]
[値] 後漢太史令だった張衡は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を 10 とした。約3.162 になる[11][12]
3世紀
[値] 王蕃142/45 を用いた。約3.1555 である[13]
263年
[値] (3) 劉徽は『九章算術』の注釈の中で、ブリソンと同様の方法を用い 3.14 + 64/62500 < π < 3.14 + 169/62500 であることを示している(これは後に徽率として知られるようになった)。小数では 3.14102 4 < π < 3.14270 4 である。さらに正3072角形を用いて、3.14159 という近似値も得た[14][13][15]。なお小数は紀元前の中国で発明され、欧州に伝播したのは16世紀である。よって中国以外では分数によるのみであり、小数での記載はずっと後のことである。
5世紀
[値] (6) 7世紀に編纂された隋書律暦志[16]によると、天文学者の祖沖之は、当時としては非常に正確な評価 3.14159 26 < π < 3.14159 27 を示した。以後1000年、これ以上正確な計算はなされず、ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには16世紀まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 22/73.142857)と 355/113(約3.14159 29)を与えている[17][18]。正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない(ただし、355/113については置閏法において用いた近似法から算出したと考えられている[19])。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の祖暅(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる[20]
500年
[値] インドのアリヤバータは、円に内接する正 n 角形と正 2n 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから 9.8684 (≒ 3.14156) と求めた。この平方根の近似値として 3927/1250 (= 3.1416) を与えた[21]
650年
[値] インドのブラーマグプタは、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、n が大きくなるにつれ正 3 × 2n 角形の周の長さは 10 に近づくとし、これを円周率とした[22]
レオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド
1220年
[値] イタリアのレオナルド・フィボナッチピサのレオナルド)が円周率を 864/275 と計算した。これは、約3.1418 である[23]

幾何から解析へ — 14世紀から20世紀前半 —

[編集]

「円に内接・外接する多角形に基づく近似」なる幾何学的な考察から「級数を利用した近似」なる解析的な考察への移行は、インドでは1400年頃から1500年代に、ヨーロッパでは1600年代に、日本では1700年代に起きた。

14世紀
1400年
インド南西部(現在のケーララ州)では天文学・数学が花開き、当時の世界最先端の研究が行われた。ケーララ学派と総称される学者たちは、三角関数逆三角関数(正弦、余弦、逆正接)のマクローリン展開を天文計算に利用した[24]。これらの級数ニーラカンタ英語版の時代には既に知られており、ニーラカンタの発見とされることがある[25][26]。しかし、ニーラカンタの天文学書『アールヤバティーヤ・バーシャ』[27]によると、正弦のマクローリン級数の展開式は彼より前の時代の学者の業績であるという。その学者とは、サンガマグラーマ(現:イリンジャラクダ)のマーダヴァである。以下の式も、マーダヴァの発見とされることが多い[24][28]
この級数展開は、以下と同等である。
この級数は、しばらくしてヨーロッパでもジェームズ・グレゴリーゴットフリート・ライプニッツにより再発見され、一般的にはグレゴリー級数、もしくはライプニッツ級数などと呼ばれる。
[値] (10?) 一説によると、マーダヴァは上式から直ちに得られる等式、
の21項を計算し、π ≈ 3.14159 26535 9 を得たという[28]。これは小数点以下10桁目まで正しい(12桁目を四捨五入した11桁の近似値としては全11桁が正しいが、11桁目「8」は未確定)。別の資料によると、彼の近似値は π2,827,433,388,233/900,000,000,000[29]、これは π ≈ 3.14159 26535 92222… に当たる。マーダヴァが円周率10桁を得たとすると、祖沖之の7桁以来、約1000年ぶりの世界記録更新である。
上記の級数を30項目まで使えば円周率の15桁が決定でき、42項目まで使えば20桁が決定できる。この他にもケーララ学派は円周率の評価に利用できるいくつもの結果を得ていて、その気になれば比較的簡単に円周率の桁数を伸ばせる立場にあった。実際、R. Gupta は、マーダヴァが約17桁まで計算したと予想している[30]。しかし、記録は見つかっておらず、現時点では想像の域を出ない。
[法] ケーララ学派による円周率の近似は級数に基づくもので、剰余項も考察している。他地域ではこの200年後(ニーラカンタから数えても100年後)にまだ正多角形の外周に基づく計算をしていることを考えると、極めて先進的だった。円周率の計算法として新しいというだけでなく、無限や極限を扱う新しい数学への大きな一歩だった。
15世紀
1424年
[値] (16) ペルシャの天文学者・数学者ジャムシード・カーシャーニー(アラビア語名: アル=カーシー)は、当時使われていた円周率の近似値の不正確さに不満を抱き、天文計算に必要十分な精度で円周と半径の比を決定したいと考えた。1424年の『円周論』[31]において、彼はアルキメデスの方法を拡張して正805,306,368 (= 3 × 228) 角形を用いる計算を行い[32]60進数による次の評価を得た[33]
ここで、6; 16, 59, …6 + 16/60 + 59/602 + … を表す(彼は後に計算を再検討して、下界の末尾の桁を 46 から 45 に改めたという[34])。現代的な表記に直せば:
彼は近似値 2π = 6; 16, 59, 28, 1, 34, 51, 46, 14, 50 を採用し、10進表示 π = 3.14159 26535 89793 25 も与えた[35]。これは小数点以下16桁目まで正しく、末尾の17桁目も真の値に近い。記録に残る当時最良の円周率の近似値であり、この世界記録は1596年にルドルフ・ファン・コーレンが小数点以下20桁を示すまで172年間、破られなかった。この業績は、西洋では1920年代まで知られていなかった[34]
1500年
[学] ケーララの天文学者ニーラカンタが、円周率の無理性を指摘した。彼の著書『アールヤバティーヤ・バーシャ』[27]には、こうある[25]:「直径が何らかの長さの単位で計測されて、その単位の比として表されるなら、その同じ単位によって円周を同様に計測することはできない。よってまた同様に、円周が何らかの単位で計測可能であるのなら、直径はその同じ単位によっては計測できない。」
ケーララ学派は円周率の級数表示を知っていたため、この認識は自然に生じたのだろう。
[値] (9) ニーラカンタの『タントラ・サングラハ』には、エレガントな分数表示 π104348/33215 が含まれる[25]。これは 22/7, 355/113 と同様の最良近似分数(より小さい分子・分母でこれより誤差の少ない近似値は作れない)で、小数点以下9桁目まで正しい。
16世紀
1503年
アルキメデスの『円の計測について』と『放物線の面積について』のラテン語訳が、ベネチアで出版された[36]
1543年
ニコロ・フォンタナ・タルタリア (Tartaglia) が、アルキメデスの一部の著作のラテン語訳をベネチアで再出版した[37]
1544年
アルキメデスの著作の原文が、初めてまとめて出版された。出版地はバーゼルで、ラテン語訳付きだった[38]。これによりヨーロッパでは彼の業績が広く知られるようになり、円周率の研究もこれを出発点として本格的に再開された。この時点での西洋の円周率研究は紀元前のアルキメデスの時代からあまり進歩していなかったが、これ以降は急速に発展する。
1579年
[値] (9) フランソワ・ビエタが、円に内接・外接する正393,216角形の周の長さから 3.14159 26535 < π < 3.14159 26537 という評価をした。ビエタはさらに、無限乗積
を示し π の計算を試みた[39]
1585年
[値] オランダのアドリアン・アンソニス英語版333/106 < π < 377/120 と評価し、両端の平均に近い値として 355/113 を得た。これは、約3.14159 292 である[40]
1593年
[値] (15) フランドルアドリアーン・ファン・ローメン英語版(ラテン語名:ローマヌス)が、『数学的観念序説:多角形法』の中で 3.14159 26535 89793 05 < π < 3.14159 26535 89793 15 に当たる評価を与え、π ≈ 3.14159 26535 89793 1 とした[41]。これは小数点以下15桁目まで正しい。アル=カーシーの世界記録16桁 (1424) にはわずかに及ばなかったが、この時点でヨーロッパ最良の近似値であり、ビエトの結果 (1579) の改良となっている。ただし、円周率の真の値は上記の区間に含まれておらず、厳密な評価ではない。計算は正 15 × 224(=約2.5億)角形を用いるものだった[42]。彼は21歳年上のファン・コーレンと親交があり、円周率に興味を持ち始めたのは彼の影響らしい[43]
1596年
[値] (20) ルドルフ・ファン・コーレン[44](ドイツ語読み:ファン・コイレン)が、『円について』で円周率の小数点以下20桁を決定した[45]。ファン・コーレンはまず、正 5 × 2{25(= 約2億)角形、正 4 × 228(= 約10億)角形、正 3 × 231(= 約60億)角形を用いて、円周率をそれぞれ12桁、16桁、18桁まで求めた。さらに、正 15 × 231 (= 32,212,254,720) 角形に基づき次の評価を与えた:
上界・下界の平均を取って π ≈ 3.14159 26535 89793 23846 とすれば、結果的に全20桁が正しい。しかし、ファン・コーレンの態度は厳格で、上記の結果は19桁のみ有効であると正しく指摘した[46]。最後に彼は π の20桁を示した:
この計算は、辺の数をさらに2倍にした正 15 × 232 (= 64,424,509,440) 角形に基づく[34][47][48]。ファン・ローメンの15桁の計算 (1593) の改良であり、アル=カーシーの16桁の記録 (1424) を上回る新しい世界記録の達成だった。
ファン・コーレンはヒルデスハイムで生まれ、ホラント(現:オランダ西部)に移住した。フェンシングと数学の教師だった。高等教育は受けていなかったが、円積問題や円周率を巡る数学上の論争に巻き込まれ、1590年(50歳)頃から円周率に興味を持ち始めたらしい[49]
17世紀
ルドルフの墓の写真
オランダのライデンにあるファン・コーレンの墓(復元後)。彼が得た35桁の上界・下界(末尾桁1違い)が刻まれている。
1610年
[値] (35) ファン・コーレンは、1610年に亡くなるまでのいずれかの時点で、正 262(=約461京1686兆)角形を使って π の35桁目までを正しく評価した。この結果は、1621年、弟子のスネリウスの著書『キュクロメトリクス:円の計測について』[50]で公表されたほか、本人の墓(生前の1602年に購入した記録がある)に刻まれた。墓石は後代に滅失したが、碑文とスケッチは残っており、2000年に復元された[49]。かつてドイツでは、彼の名に因んで円周率をルドルフ数 (Ludolphsche Zahl) と呼んだ[51]
1621年
[法][値] オランダのヴィレブロルト・スネル(ラテン語名: スネリウス)が、円周の長さの評価式を与える。
この式と円に内接・外接する正 6 角形から 3.14022 < π < 3.14160 と評価した。この式の証明はクリスティアーン・ホイヘンスによって与えられ、さらにホイヘンスによって改良された結果、正六角形を用いただけで 3.14159 26533 < π < 3.14159 26538 と評価できるまでになった[52]
スネリウスはファン・コーレンの弟子だった。彼の方法なら、ファン・コーレンが正 262 角形を使って得た35桁は、230 角形を考えるだけで得られるという。その気になれば、計算記録を更新できる立場だった。しかし、彼は別の分野で活躍しており、すでに35桁あった円周率の有効数字をさらに伸ばすために時間を割くことはしなかった。
1630年
[値] (38) オーストリア出身の天文学者・数学者クリストフ・グリーンベルガー英語版は、スネリウスの手法を用いて円周率の小数点以下39桁目までを計算し、1630年に出版された自著『三角法の基礎』の中で公表した[53]。39桁目は 7 だが、彼はそれを 6 と 9 の間だと正しく評価した[54]。桁数という意味では38桁目まで確定させたことになる。
1655年
[法] イギリスのジョン・ウォリスは無限乗積
を示した。ビエタの公式のように根号が無いため計算はしやすいが、収束はとても遅い[55]
同じくイギリスのブラウンカーが、連分数を用いた公式
を示した[56]。この公式により π無理数であることが分かる。
1663年
[値] 村松茂清が『算俎』を著し、円に内接する正 2n 角形 (2 ≤ n ≤ 15) の辺の長さから π ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48 とし、小数点以下7桁まで正しい値を求めた。ファン・コーレンなどの計算には遠く及ばないものの、近似値として単に 3.16 という値を示すのみであった『塵劫記』や、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきたそれ以前の和算から一歩を踏み出し、日本で初めて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。和算において、円周率をはじめとする円に関する研究は「円理」と呼ばれ、一定の発展を見せたが、例えば外接多角形との「はさみうち」によって何桁目まで正しいかを論証する、といったような基本的な数学的発展さえわずかであったのが「和算の限界」であった(円周率#和算における円周率の取り扱い)。
1665年
[学] イギリスの政治哲学者のトマス・ホッブズ円積問題の解を公表し、ウォリスとの間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた[57]
ジェームス・グレゴリー
1671年
[法] スコットランドのジェームス・グレゴリーにより、グレゴリー級数
が発見される。これとは独立に1674年ゴットフリート・ライプニッツも同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれる。ライプニッツは x = 1 を代入し、マーダヴァと同じ級数を得た[58]
1681年
[値] の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、関孝和が正 131,072 角形を使って小数第 16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.14159 26535 9微弱」というものだった[59]が、エイトケン補外を用いた途中計算では小数第 16 位まで正確に求めている[60]。西洋でエイトケン補外が再発見されたのは1876年ハンス・フォン・ネーゲルスバッハHans von Nägelsbach)によってである[60][61]
1699年
[値] (72) イギリス人のエイブラハム・シャープがグレゴリー・ライプニッツ級数に を入れ、π を小数第 72 位まで求めた[62]
マチンの公式。
18世紀
1706年
[法][値] (100) イギリスのジョン・マチンマチンの公式
を発見する。さらに、この関係式にグレゴリー・ライプニッツ級数を用いて小数第 100 位までの円周率を求めた[63]
[文] ウィリアム・ジョーンズが初めて π を円周率の意味で用いた。1748年レオンハルト・オイラーも同じ記法を用いたことで円周率を π と表記することが広まった[64]
1719年
[値] (127) フランスのトーマス・ラグニーが、シャープの方法で小数第 127 位まで計算を行う[65]
1722年
[値] 建部賢弘が『綴術算経』(てつじゅつさんけい)を著し、正 1024 角形を用いて小数第 42 位まで求めた[66]。「累遍増約術」(リチャードソン補外)を適用し、関孝和の計算に比べて遥かに少ない計算で精度を大いに改善している。なお、ルイス・フライ・リチャードソンによる同手法の提案は1910年頃である。
1761年
ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト
[学] ドイツのヨハン・ハインリッヒ・ランベルトによって π有理数でないことが証明される[67]
18世紀中頃
[法] レオンハルト・オイラーによって、多くの π に関する式が発見される。オイラーは
を用いて、 たった1時間で円周率を小数第 20 位まで計算した[68]
1775年
[学] フランスの科学アカデミーが、ギリシアの三大作図問題永久機関についての論文審査を拒否する決議をした[69]
1789年
[値] (137) スロベニアの数学者ユーリイ・ヴェガ英語版は、マチンの公式を用いて小数第 140 位まで値を求め、小数第 137 位までが正しかった。この記録はその後50年破られることがなかった[70]
1794年
[学] アドリアン=マリ・ルジャンドルによって π有理数平方根にならないことが証明される[71]
19世紀
19世紀初期
[法] カール・フリードリヒ・ガウスアドリアン=マリ・ルジャンドルが独立に、算術平均(相加平均)と幾何平均(相乗平均)を利用した反復計算アルゴリズムを研究。1970年代に再発見され、現在ではガウス=ルジャンドルのアルゴリズムと呼ばれる。円周率を計算するものの中では非常に収束が速い。
1850年頃 - 1873年
[値] (527) イギリスのウィリアム・ラザフォードとその弟子のウィリアム・シャンクスがマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、arctan 1/5 が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった[72]
1882年
[学] フェルディナント・フォン・リンデマンによって π代数的数でないことが証明される。これにより π超越性が証明され、円積問題も否定的に解決された[73]
1896年
[法] カール・ストーマー英語版は公式
を発見する[74][75]
1897年
[文][値] アメリカ合衆国インディアナ州の下院で、医者エドウィン・グッドウィンによる円積問題解決方法を盛り込んだ議案246号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は π = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については、公式に認められた最も不正確な円周率の値としてギネスブックに記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判に遭い、2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された[76]
20世紀
「インドの魔術師」ことシュリニヴァーサ・ラマヌジャンは、円周率の計算の為の多くの革新的な級数を生み出した。
1910年
[法] ラマヌジャンによって、級数表示
が発見される[77][78]。この公式は、ジョナサン & ピーター・ボールウェイン兄弟によって1987年に厳密に証明されるが、1985年ウィリアム・ゴスパーがこの公式を用いて円周率を計算し、その正確さを示している。
1945年
[値] (540) ファーガソン (D.F.Ferguson) が小数第 540 位までを計算し、ウィリアム・シャンクスの誤りを指摘する。シャンクスの計算は約70年間も信用されていた[79]

このファーガソンの計算までが手計算によるものだった。手計算の時代は誤りが起こることも多かったが、この時代の数学の成果は、現代の計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割を果たすことになる。

計算機による計算の時代 — 20世紀後半以後 —

[編集]
19471948年
[値] (808) ファーガソンは、卓上計算機を使用して808桁まで求めた。この計算は、レビ・スミスジョン・レンチによっても検算され、シャンクスの計算が間違いであることが繰り返し確認された[80][79]
1949年
[値] (2037) ライトウィーズナーENIAC を用いてマチンの公式により 2037桁を 70時間かけて計算した[80][81]
1954年
[値] (3092) S・C・ニコルソンとJ・ジーネルが、IBM NORC を用いて3089桁を13分で計算した[82][83]
1958年
[値](1万)フランソワ・ジェニューイが、IBM 704 を用いて 1万桁まで計算した[74][84]
1961年
[値](10万)ジョン・レンチとダニエル・シャンクスIBM 7090 を用いて 10万桁まで計算した。計算にはストーマーの公式
を使用した。検算にはガウスの公式
を使用した[85][86]
IBM 7030 保守コンソール。Musée des arts et métiers(パリ)所蔵
1966年
[値](25万)パリの原子力エネルギー委員会にある IBM 7030 を用いて25万桁まで計算した[85][87]
1967年
[値](50万)パリの原子力エネルギー委員会にある CDC 6600 を用いて50万桁まで計算した[85][87]
1973年
[値](100万)ジャン・ギューマルティーヌ・ブイエCDC 7600 を用いて 100万1250桁まで計算した。
[法] ユージン・サラミンリチャード・ブレントが独立に、算術幾何平均を用いたアルゴリズムを発見する。現在ではガウス=ルジャンドルのアルゴリズムと呼ばれる。
1982年
[値](209万)田村良明MELCOM COSMO 900 Ⅱ を用いてサラミンとブレントのアルゴリズムにより209万7144桁まで計算[88]
[値](419万)田村良明と金田康正が HITAC M-280H を用いて419万4288桁、ついで838万8576桁まで計算[88]
1983年
[値](1677万)金田康正と吉野さやかが HITAC M-280H を用いて1677万7206桁まで計算[88]
[値](1001万)後保範と金田康正が HITAC S-810/20 を用いて1001万3395桁まで計算。アルゴリズムはガウスの公式による[88]
[値](7万)若松登志樹シャープのパソコン MZ-80B を用いてガウスの公式
により7万1508桁まで計算[89]
1985年
[値](1752万)ウィリアム・ゴスパーシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの式を用いて、1752万6200桁まで計算した。
1989年
この年は、チュドノフスキー兄弟英語版と金田康正・田村良明によって激しい計算競争が行われた。
[値](4.80億)5月にデビッド・チュドノフスキーグレゴリー・チュドノフスキーによって4億8000万桁まで計算された。
[値](5.36億)7月に金田康正と田村良明によって5億3687万898桁まで計算された。
[値](10.1億)8月にデビッド・チュドノフスキーとグレゴリー・チュドノフスキーによって10億1119万6691桁まで計算された。
[値](10.7億)11月に金田康正と田村良明によって10億7374万1799桁まで計算された[90]
1990年
[値](100万)若松登志樹富士通のパソコン FM-TOWNS を用いてシュテルマーの公式
により100万118桁まで計算[91]
1994年
[法] チュドノフスキー兄弟によって級数
が発見された。
1995年9月19日午前0時29分
[法] カナダサイモン・フレーザー大学で、デビット・H・ベイリーピーター・ボールウェインサイモン・プラウフの研究チームがBBP公式
を発見する。この式はπの値の二進法(及び十六進法など、二進法と直接変換可能な記法)による表現について、任意の n − 1 桁目までの計算を必要とせずに、直接 n 桁目およびそれ以降を計算できる。ベイリーのウェブサイトで様々なプログラミング言語用の実装例を見ることができる。
他の位取り記数法(たとえば十進法)で同様の級数が存在するかは判明していない。
1996年3月18日
[文] 同人団体暗黒通信団により『円周率1000000桁表』初版が発行される。
1997年
[値](515億)金田康正と高橋大介HITACHI SR2201 を用いて 4次のボールウェインのアルゴリズムにより 515億3960万桁まで計算した。
1999年
[値](2061億)金田康正と高橋大介(埼玉大学)が HITACHI SR8000 (1 TFLOPS) を用いてガウス=ルジャンドルのアルゴリズム分割有理数化法 (DRM)[92]により 2061億5843万桁まで計算し、4次のボールウェインのアルゴリズムで検証した。
2002年
[値](1.24兆) 金田康正が HITACHI SR8000(0.9TFOPS、約850GB使用、検証含め約84時間)を用いて高野喜久雄の公式
分割有理数化法により1兆2411億桁まで計算した。検証計算などを含めて約600時間かけた。
2009年8月
[値](2.57兆)筑波大学計算科学研究センターの高橋大介が、円周率を2兆5769億8037万桁まで計算する世界記録を樹立したと発表した。「T2K筑波システム」(毎秒95兆回)を使い、検証計算を含めて約73時間36分を要した[93][94]
2009年12月
[値](2.69兆)フランスファブリス・ベラールen:Fabrice BellardQEMUFFmpeg などが知られる)が、Intel Core i7 を搭載したデスクトップPCでチュドノフスキーの級数を用いて2兆6999億9999万桁まで計算し、世界記録を樹立した。バイナリーでの計算に103日、検算に13日。データ量 1137GB[95]。2.93GHz のクアッドコアプロセッサ、6GB のメモリ、7.5TB のストレージを搭載したデスクトップPCを使用し、検証計算を含めて131日を要した[96]
2010年
[値](5兆)長野県飯田市の会社員近藤茂と米国のアレクサンダー・J・イーが、3カ月かけてパソコンで小数点以下5兆桁まで計算した[97][98][99]
2011年
[値](10兆)近藤茂とアレクサンダー・J・イーが、1年1カ月かけてパソコンで小数点以下10兆桁まで計算したと発表[100]
2013年
[値](12.1兆)近藤茂とアレクサンダー・J・イーが、94日かけてパソコンで小数点以下12.1兆桁まで計算したと発表[101]
2014年
[値](13.3兆)Sandon Nash Van Ness が208日をかけてワークステーションで小数点以下13.3兆桁まで計算したと発表[102][103][104]。この数カ月後にVan Nessは死去。
2016年
[値](22.4兆)ピーター・トリュープが、105日をかけてパソコンで小数点以下22兆4591億5771万8361桁まで計算したと発表[105][106]
2019年3月14日
[値](31.4兆)Googleの技術者、岩尾エマはるかが同社のクラウドコンピューティングサービス「Google Cloud」を用いて、111日かけて31兆4159億2653万5897桁まで計算したと発表[107]
2020年1月29日
[値](50兆)Timothy Mullican が、303日をかけてパソコンで50兆桁まで計算したと発表[108][109]
2021年8月16日
[値](62.8兆)スイスのグラウビュンデン応用科学大学は、108日と9時間かけてスーパーコンピュータで62兆8318億5307万1796桁まで計算したと発表[110][111]
2022年6月9日
[値](100兆)Googleの技術者、岩尾エマはるかがGoogle Cloudで、チュドノフスキー級数を用いて157日23時間31分7.651秒かけて100兆桁まで計算し、BBP公式で検証したと発表[112][113]
2024年3月13日
[値](105兆)StorageReviewの編集者らがチュドノフスキー級数を用いて105兆桁まで計算し、検証したと発表[114]。6月28日にも同様の方法で202兆1122億9000万桁まで計算したことを発表[115]


脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ ベックマン 2006, pp.35-37, p.338.
  2. ^ a b 中村滋・室井和男『数学史 数学5000年の歩み』 共立出版、2014年、ISBN 978-4-320-11095-3, pp.33-34
  3. ^ ベックマン 2006, pp.38-43. 年代表 (p.338) では前2000年頃としている。
  4. ^ ベックマン 2006, pp.61-62. 年代表 (p.338) では前434年頃としている。
  5. ^ ベックマン 2006, pp.62-63. 年代表 (p.338) では前430年頃としている。
  6. ^ 円の計算』命題一:任意の円は、つぎのような直角三角形――すなわち、その半径が直角を挟(はさ)む一辺に等しく、円の周が底辺に等しいような直角三角形(の面積)に等しい。アルキメデス 1972, pp.482-483.
  7. ^ 円の計算』命題三:任意の円の周はその直径の3倍よりも大きく、その超過分は直径の 1/7 よりは小さく、10/71 よりは大きい(3+10/71 < π < 3+1/7)。アルキメデス 1972, pp.484-487.
  8. ^ ベックマン 2006, pp.109-114, p.338.
  9. ^ ベックマン 2006, p.100.
  10. ^ ベックマン 2006, p.126, p.338.
  11. ^ ベックマン 2006, p.47, p.338.
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  13. ^ a b ベックマン 2006, p.338.
  14. ^ ベックマン 2006, p.48では264年としている。
  15. ^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Liu Hui”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Liu_Hui/ .
  16. ^ 隋書律暦志 上(ウィキソース中国語版)。
  17. ^ ベックマン 2006, p.48, p.338.
  18. ^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Zu Chongzhi”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Zu_Chongzhi/ .
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  20. ^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Zu Geng”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Zu_Geng/ .
  21. ^ ベックマン 2006, pp.44-45, p.338.
  22. ^ ベックマン 2006, pp.45-46, p.338.
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  27. ^ a b 『アールヤバティーヤ』(Āryabhaṭīya) は、天文学者アールヤバタ (476–550) の著作(カタカナで書くとアーリャバタ、アーリャバティーヤだが、日本語ではアールヤバタ、アールヤバティーヤと呼ばれているのでそれに従う)。『アールヤバティーヤ・バーシャ』(Āryabhaṭīya-bhāṣya) は、約1000年後のニーラカンタが『アールヤバティーヤ』を解説したもの。
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  31. ^ الرسالة المحيطية ar-risālah al-muḥīṭiyyahar-al- とも書かれ、iyyīy または īyy とも書かれる。語末の h は表記しないことがある。
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  35. ^ 正確には、5 × 2π の近似値 31.41592… を小数第16位まで示した。
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  44. ^ 標準オランダ語では v は有声音なので、van の部分はバン(ヴァン)と表記するべきかもしれない。彼の住んだ地域の方言では(少なくとも現代では)v が無声音として発音されるということから、暫定的にファン・コーレンと表記しておく。
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  114. ^ Jordan Ranous (2024年3月13日). “105 Trillion Pi Digits: The Journey to a New Pi Calculation Record”. www.storagereview.com. www.storagereview.com. 2024年3月18日閲覧。
  115. ^ Jordan Ranous (2024年6月28日). “StorageReview Lab Breaks Pi Calculation World Record with Over 202 Trillion Digits”. www.storagereview.com. www.storagereview.com. 2024年8月11日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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