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[[レロン・リー]]は日本で対戦した印象的な投手の1人として久保の名前を挙げている<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=CRuMDpX3pqY 【千葉ロッテレジェンドシリーズ】レロン・リー トークショー]</ref>。
[[レロン・リー]]は日本で対戦した印象的な投手の1人として久保の名前を挙げている<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=CRuMDpX3pqY 【千葉ロッテレジェンドシリーズ】レロン・リー トークショー]</ref>。


=== 投手指導 ===
久保は投手コーチとして自身が初めて育てた[[大塚晶文]]がタイトルホルダーになるまで成長した為、久保はこの経験がコーチとして自信を付けたと語ってる<ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/134791 |title=【久保康生コラム】自信になった大塚晶文へのコーチング成功例 |newspaper=東スポWEB |publisher=東京スポーツ新聞社 |date=2021-12-21 |language=ja |accessdate=2020-05-03 |archivedate=2021年12月21日 |archiveurl=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/134791}}</ref>。
久保は投手コーチとして自身が初めて育てた[[大塚晶文]]がタイトルホルダーになるまで成長した為、久保はこの経験がコーチとして自信を付けたと語ってる。大塚の独特な投球フォームは、もともとは、オーソドックスな投法に近かった。そこのところを修正していき、一気にボールを右肩で担ぐようにトップに持っていってドーンと投げるあの投げ方に変えさせていった。もうとにかく早く担げと。担ぎ上げてドンと投げるというように指導していったという<ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/134791 |title=【久保康生コラム】自信になった大塚晶文へのコーチング成功例 |newspaper=東スポWEB |publisher=東京スポーツ新聞社 |date=2021-12-21 |language=ja |accessdate=2020-05-03 |archivedate=2021年12月21日 |archiveurl=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/134791}}</ref>。


育成入団の[[大竹耕太郎]]は早大在籍時に故障の影響などからフォームを崩し、プロ入り後も「崩れまくっていた」。体を開かずに投球することが野球界の常識であるが、マンツーマンで指導してくれた久保に「体を開いて投げてみろ、(上体を)突っ込んで投げてみろ」と言われ、常識とは逆の意識を念頭に実践すると体が開かなくなり、フォームが修正された。「今がダメだから180度変えてみる。どハマりした」大竹は今でも久保への感謝が尽きないことを明かしている<ref name="daily20231202">{{Cite web |和書 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2023/12/02/0017087807.shtml |title=阪神・大竹 久保氏から教わった真逆の意識「180度変えてみる」「どハマりした」 |publisher=デイリースポーツ |date=2023-12-02 |accessdate=2023-12-05}}</ref>。
育成入団の[[大竹耕太郎]]は早大在籍時に故障の影響などからフォームを崩し、プロ入り後も「崩れまくっていた」。体を開かずに投球することが野球界の常識であるが、マンツーマンで指導してくれた久保に「体を開いて投げてみろ、(上体を)突っ込んで投げてみろ」と言われ、常識とは逆の意識を念頭に実践すると体が開かなくなり、フォームが修正された。「今がダメだから180度変えてみる。どハマりした」大竹は今でも久保への感謝が尽きないことを明かしている<ref name="daily20231202">{{Cite web |和書 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2023/12/02/0017087807.shtml |title=阪神・大竹 久保氏から教わった真逆の意識「180度変えてみる」「どハマりした」 |publisher=デイリースポーツ |date=2023-12-02 |accessdate=2023-12-05}}</ref>。


久保がソフトバンクコーチ時代に指導した[[泉圭輔]]は、2023年オフにソフトバンクから久保がいる巨人へトレードで移籍した際、泉は「おかげで練習とかにすんなり入れた。僕らの特徴を生かしながらというのをずっとやってくれる」と感謝しきりだった<ref>[[週刊ベースボール]]2024年12月2日号、61頁</ref>。
久保がソフトバンクコーチ時代に指導した[[泉圭輔]]は、2023年オフにソフトバンクから久保がいる巨人へトレードで移籍した際、泉は「おかげで練習とかにすんなり入れた。僕らの特徴を生かしながらというのをずっとやってくれる」と感謝しきりだった<ref>[[週刊ベースボール]]2024年12月2日号、61頁</ref>。

=== 菅野智之の再生 ===
久保は2022年オフに[[原辰徳]]監督に請われ、巡回コーチとして2023年シーズンから巨人に入閣した。肩書の裏には「再生コーチ」としての特命があったという。そして久保は不調に苦しむ[[菅野智之]]に目をつけた。「彼(菅野)がフラッグシップなんだと。旗を持って走っているみたいなものだ。若手には一番の教材、生きた教材になっていく存在。だからこそ菅野をもう一度、立ち直らせる。もう一度、1本立ちさせることによって、このチームは全てが完結する」、菅野再生=巨人軍の再生と考え、原監督に思いを伝えると「久保ちゃん、好きにやって。全て任せる」と返ってきた。当時の菅野は必死にもがいており、右肘の張りで出遅れた2023年春、直球は140キロ台まで落ち「このままでは終わる」というどん底にいた。そんな中、久保が菅野に声を掛けたが、まだこの時、話は上の空だった。久保は「最初の方は少し根気をなくしたけどね。彼は誰にも文句を言われない成績を残してきた。まだ稼ぎたい?って聞いたら、まだこれから稼ぎたいと返ってきた。なら、やろうよって。いまは出口に向かっている。変わらなきゃいけないよって」とケンカ上等、反発覚悟で菅野に対してストレートに伝えたという。久保の指導方針は18歳の新人でも、数々の実績のあるベテランの菅野でも変わらず、「人には入られたくない牙城があって、それは老いも若きも一緒なんです。でも、僕もいろんな選手とやり合ってきて、必ず良くなるという自負もあった。変な人のため…変な正義感です」と、菅野に対しても根気強く丁寧に話し合った。そして「じゃあ、どうすればいいんですか」と少しだけ耳を傾けた菅野に伝えたのは、180度の方向転換だった。「常識を疑え、全部疑えって言ったんです。野球用語には、溜めすぎるな、残すな、突っ込むな…といった言葉がある。それって本当か、どういう意味なのか。まずは常識と思っていたことを、疑ってみようやってね」と伝えた。ある日は球場の照明を目がけて投げるよう提案した。「年齢を重ねた右投手には顕著に出る」という、腕の位置が下がって体の軸が横回転になっていた。斜め45度に向かって投げることで縦軸で投げるフォームに修正。「マウンドの傾斜を使うという言葉がある。その意味は正しいのか」と問うたり、「下り坂のイメージだけど、本当は相反していかなきゃいけない。それが最大限に力が入る角度。上から投げ下ろすことで角度が生まれる」と力学的な視点を交えた助言をし、だんだんと菅野が久保に対して素直に耳を傾けるようになった。常識を疑い、変化を受け入れたことで、2023年シーズン終盤には150キロ台中盤を計測し、復活の兆しが見えてきた。後に菅野も「あのころは、野球人生が終わっちゃうと思っていた。大変なことも苦しいこともありましたけど、久保さんとの日々で乗り越えることができた」と振り返っている。久保と菅野はグラウンドでケンカ上等で意見をぶつけ、サウナでは野球談議に花を咲かせたという。そんな日々の結果が2024年シーズンに15勝という形となった。菅野を完全復活させた久保は「結局はね、彼(菅野)の実力が高いんですよ。ただ、彼が活躍することによって、僕もそうやし、原監督も…みんなが救われた。もう、それが一番ですね。この経験が必ず、これからチームに生きてくる。彼だからこそ、後輩に伝えられるものができたと思うね」と語っている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2024/09/29/0018173368.shtml|title=巨人・菅野を復活させた久保康生巡回投手コーチ 二人三脚で密着指導「いまは出口に向かっている。変わらなきゃいけないよ」|publisher=デイリースポーツ online|date=2024-09-29|accessdate=2024-09-29}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==

2024年12月27日 (金) 04:35時点における版

久保 康生
読売ジャイアンツ 巡回投手コーチ #84
阪神タイガースコーチ時代
(2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県嘉穂郡穂波町(現:飯塚市)[1]
生年月日 (1958-04-08) 1958年4月8日(66歳)
身長
体重
178 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1976年 ドラフト1位
初出場 1978年7月18日
最終出場 1997年6月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

久保 康生(くぼ やすお、1958年4月8日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手投手)、コーチ。 現在は読売ジャイアンツの巡回投手コーチを務める[2]。 投手コーチとして多数の名投手の育成や復活を支えてきた指導歴から「魔改造」の異名をとる[3][4]

経歴

柳川商業高校では2年次の1975年春の選抜にエース加倉一馬の控え投手として出場。1回戦で堀越高に敗退し、自身の登板はなかった[5]。同年夏は加倉が右翼手に回り、投手として県大会決勝に進出するが、小倉南に敗れる。3年次の1976年には夏の甲子園にエースとして出場し、三重高を降し3回戦に進出するが、PL学園の中村誠治投手(早大 - 日産)と投げ合い0-1で惜敗[6]。高校同期に一塁手立花義家がいる。

プロ入り

近鉄時代

同年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団[1]し、エース級の背番号「16」が与えられた。

1980年に速球派として頭角を現すと、前期にリリーフとしてプロ初勝利を挙げ、後期には先発ローテーションの一角を確保。初完投となった8月17日の日本ハム戦ダブルヘッダー第2試合(札幌円山)では打線の援護も乏しく敗戦投手となったが、9月3日の日本ハム戦(日生)で初の完投勝利でリベンジ。9月中旬からは先発で完投勝利、リリーフでセーブを記録するなど投げまくって後期優勝に貢献。シーズン通算では8勝3セーブで、チームはロッテとのプレーオフを制して2連覇。本格的に味わった優勝の美酒であったが、これは長い現役生活で最後の歓喜でもあった[7]

1981年も先発、リリーフでフル回転して、5月9日の阪急戦(西宮)でプロ初完封。打線が急失速、鈴木啓示井本隆の左右両輪が精彩を欠いて最下位に沈んだチームにあって、42試合の登板で9勝8セーブを記録[7]

1982年には開幕第2戦となった4月5日の阪急戦(西宮)で完投勝利を挙げると、以降7連続完投で6勝1敗を挙げてそのまま先発の軸となり、9月5日の南海戦(大阪)では無四球完封も記録。最終的にはシーズン通算では15完投、12勝1セーブで、これが最初で最後の2桁勝利となった。同年は戦後最年少で三冠王となったロッテの落合博満を打率.176、3安打、1本塁打に抑え込んでいるが、阪神時代の1995年には中日を経て巨人でプレーしていた落合に通算2000安打の達成を許している[7]

1983年は5勝10敗と大きく負け越し、徐々にリリーフが増え、にも負担がかかっていく。

1986年オフには遂に右肘を手術したことで運命が暗転し、思うように球速が伸びなくなった[7]

阪神時代

1988年は2試合に登板しただけで、シーズン途中の5月に中谷忠己との交換トレードで阪神タイガースに移籍。長く伸び悩んでいた直球が復活していく。同31日のヤクルト戦(甲子園)でのリリーフが移籍後の初登板で、8連敗で迎えた6月13日の巨人戦(甲子園)で先発に大抜擢されると、たびたびピンチを迎えながらも6回1失点に抑え、中西清起のリリーフもあって1年10ヶ月ぶりの勝利投手となる。その後も7月17日の中日戦(甲子園)で完投勝利、同31日の大洋戦(甲子園)では完封。肘に多少の痛みは残っていたが、村山実監督の期待に応えようと投げ続けた。先発では緩急をつけるためにカーブやチェンジアップ、フォークも投げたが、リリーフではアクセル全開、直球とスライダーで勝負した[7]パ・リーグ時代は打席に立ってないが、セ・リーグ1年目の1988年には18打数7安打・打率.389。

1989年には16打数6安打・打率.375・1本塁打を記録している。1988年6月1日のヤクルト戦(神宮)では尾花高夫からソロ本塁打を放つが、プロ入り13年目での初本塁打は当時最も遅い記録であった。

1990年以降は中継ぎに専念し、同年はリーグ最多の55試合登板。投球回は84イニングながら先発時代をしのぐ自己最多の89奪三振を記録している[7]

1994年オフにはフリーエージェントを行使し、1995年も残留。

近鉄時代

1996年新監督体制になって出番が激減してることに腹を立て二軍監督にトレードを直訴しシーズン途中に金銭トレード[8]で近鉄に復帰し、投手としては異例の背番号「6」を着けて、リリーフエースの赤堀元之につなぐセットアッパーとして大ベテランらしい安定感を発揮。その後は不調が続いて段々と登板機会も減少[7]

引退後

1997年限りで現役を引退[1]。この年のキャンプから新人の大塚晶文に定期的にアドバイスを送り、育てた[9]1998年から2001年まで近鉄二軍投手コーチを担当し、2002年から2004年まで一軍投手コーチを務めた。近鉄コーチ時代は大塚に加え、岩隈久志ジェレミー・パウエルを育て支えた[10][11][12]

2005年に阪神に移って一軍投手コーチ、2006年は一軍バッテリー総合コーチ、2007年2008年は一軍投手チーフコーチを担当した。2009年に高校の先輩である真弓明信が阪神監督に就任すると、その下で久保は一軍投手コーチとして投手起用の采配を揮った。伸び悩んでいた藤川球児能見篤史を育て[13][14]ランディ・メッセンジャーが中継ぎとして結果を残せずに退団の可能性もあった中で先発として起用するなど手腕を発揮し、飛躍させた[15]。また、上記の3人の他にも安藤優也福原忍も育てた[16]2011年限りで辞任した[17]

2012年6月から9月まで、韓国プロ野球斗山ベアーズの二軍で投手インストラクターを務めた。

2013年に指導力と育成の手腕を再び買われて阪神タイガースに復帰し、二軍チーフ投手コーチ就任[18]岩崎優桑原謙太朗を育て飛躍させた[19][20]

2018年から福岡ソフトバンクホークスの二軍投手コーチを務め[21]、伸び悩んでいた育成入団の大竹耕太郎を育てた[22]。2020年11月11日、同年限りで退団することが発表された[23]

2021年からは大和高田クラブのアドバイザーを勤めた[24]

2022年10月13日、2023年シーズンから読売ジャイアンツの巡回投手コーチを務めることが発表された[25]。背番号は84。その後、シーズン開幕前の3月29日に、巡回の肩書きが外れ投手コーチに異動となった[26]2023年10月16日に再び巡回投手コーチに異動となった[27]

2024年、2021年から2023年の3年間、不調に苦しみ、前年シーズン4勝8敗、防御率も3点台まで落ちていた菅野智之を復活させた。体のねじりの修正などの投球フォームの見直しをし、二人三脚で改良を重ねた結果、菅野の2024年シーズンの成績は15勝3敗、防御率1.67まで改善され、最多勝利最高勝率の獲得、ベストナインゴールデングラブ賞、そして最優秀選手を受賞するなど35歳で大復活を遂げた。菅野は久保に対して「おそらく去年の今ごろは菅野がMVPを獲るとは誰も思ってなかったと思いますが、やれるんだとオフから見つめ直してきた」「いろんな要因があると思いますけど1つは久保コーチとの出会いが大きかった。去年の5、6月から新しいフォームをつくって。久保コーチと会っていなかったらここにいない」と久保に感謝のコメントを残している[28]

人物

妻との間に長男、長女、双子の二女・三女の計4人の子がある。双子の姉の啓子[29](2008年プロ入り)・妹の宣子[30](2010年プロ入り)・長男の圭[31](2012年プロ入り)プロゴルファーである[32]

山本和範とは近鉄で同期入団同士であり、1982年に山本が近鉄を戦力外で解雇された際、仕事先として知り合いのバッティングセンターを山本に紹介した[33]

レロン・リーは日本で対戦した印象的な投手の1人として久保の名前を挙げている[34]

投手指導

久保は投手コーチとして自身が初めて育てた大塚晶文がタイトルホルダーになるまで成長した為、久保はこの経験がコーチとして自信を付けたと語ってる。大塚の独特な投球フォームは、もともとは、オーソドックスな投法に近かった。そこのところを修正していき、一気にボールを右肩で担ぐようにトップに持っていってドーンと投げるあの投げ方に変えさせていった。もうとにかく早く担げと。担ぎ上げてドンと投げるというように指導していったという[35]

育成入団の大竹耕太郎は早大在籍時に故障の影響などからフォームを崩し、プロ入り後も「崩れまくっていた」。体を開かずに投球することが野球界の常識であるが、マンツーマンで指導してくれた久保に「体を開いて投げてみろ、(上体を)突っ込んで投げてみろ」と言われ、常識とは逆の意識を念頭に実践すると体が開かなくなり、フォームが修正された。「今がダメだから180度変えてみる。どハマりした」大竹は今でも久保への感謝が尽きないことを明かしている[22]

久保がソフトバンクコーチ時代に指導した泉圭輔は、2023年オフにソフトバンクから久保がいる巨人へトレードで移籍した際、泉は「おかげで練習とかにすんなり入れた。僕らの特徴を生かしながらというのをずっとやってくれる」と感謝しきりだった[36]

菅野智之の再生

久保は2022年オフに原辰徳監督に請われ、巡回コーチとして2023年シーズンから巨人に入閣した。肩書の裏には「再生コーチ」としての特命があったという。そして久保は不調に苦しむ菅野智之に目をつけた。「彼(菅野)がフラッグシップなんだと。旗を持って走っているみたいなものだ。若手には一番の教材、生きた教材になっていく存在。だからこそ菅野をもう一度、立ち直らせる。もう一度、1本立ちさせることによって、このチームは全てが完結する」、菅野再生=巨人軍の再生と考え、原監督に思いを伝えると「久保ちゃん、好きにやって。全て任せる」と返ってきた。当時の菅野は必死にもがいており、右肘の張りで出遅れた2023年春、直球は140キロ台まで落ち「このままでは終わる」というどん底にいた。そんな中、久保が菅野に声を掛けたが、まだこの時、話は上の空だった。久保は「最初の方は少し根気をなくしたけどね。彼は誰にも文句を言われない成績を残してきた。まだ稼ぎたい?って聞いたら、まだこれから稼ぎたいと返ってきた。なら、やろうよって。いまは出口に向かっている。変わらなきゃいけないよって」とケンカ上等、反発覚悟で菅野に対してストレートに伝えたという。久保の指導方針は18歳の新人でも、数々の実績のあるベテランの菅野でも変わらず、「人には入られたくない牙城があって、それは老いも若きも一緒なんです。でも、僕もいろんな選手とやり合ってきて、必ず良くなるという自負もあった。変な人のため…変な正義感です」と、菅野に対しても根気強く丁寧に話し合った。そして「じゃあ、どうすればいいんですか」と少しだけ耳を傾けた菅野に伝えたのは、180度の方向転換だった。「常識を疑え、全部疑えって言ったんです。野球用語には、溜めすぎるな、残すな、突っ込むな…といった言葉がある。それって本当か、どういう意味なのか。まずは常識と思っていたことを、疑ってみようやってね」と伝えた。ある日は球場の照明を目がけて投げるよう提案した。「年齢を重ねた右投手には顕著に出る」という、腕の位置が下がって体の軸が横回転になっていた。斜め45度に向かって投げることで縦軸で投げるフォームに修正。「マウンドの傾斜を使うという言葉がある。その意味は正しいのか」と問うたり、「下り坂のイメージだけど、本当は相反していかなきゃいけない。それが最大限に力が入る角度。上から投げ下ろすことで角度が生まれる」と力学的な視点を交えた助言をし、だんだんと菅野が久保に対して素直に耳を傾けるようになった。常識を疑い、変化を受け入れたことで、2023年シーズン終盤には150キロ台中盤を計測し、復活の兆しが見えてきた。後に菅野も「あのころは、野球人生が終わっちゃうと思っていた。大変なことも苦しいこともありましたけど、久保さんとの日々で乗り越えることができた」と振り返っている。久保と菅野はグラウンドでケンカ上等で意見をぶつけ、サウナでは野球談議に花を咲かせたという。そんな日々の結果が2024年シーズンに15勝という形となった。菅野を完全復活させた久保は「結局はね、彼(菅野)の実力が高いんですよ。ただ、彼が活躍することによって、僕もそうやし、原監督も…みんなが救われた。もう、それが一番ですね。この経験が必ず、これからチームに生きてくる。彼だからこそ、後輩に伝えられるものができたと思うね」と語っている[37]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1978 近鉄 6 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 67 15.2 16 3 5 0 0 8 0 0 10 10 5.63 1.34
1979 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 46 10.0 17 5 1 0 1 6 0 0 8 8 7.20 1.80
1980 34 10 4 0 0 8 5 3 -- .615 555 130.1 130 24 45 1 3 69 4 0 61 58 4.02 1.34
1981 42 17 5 1 0 9 11 8 -- .450 713 165.1 166 23 71 1 4 78 1 0 78 75 4.09 1.43
1982 26 22 15 2 1 12 9 1 -- .571 748 176.2 165 27 68 4 2 75 3 0 81 76 3.86 1.32
1983 29 20 5 0 0 5 10 2 -- .333 598 142.1 134 26 52 1 4 46 0 0 83 72 4.55 1.31
1984 36 8 2 0 0 5 6 2 -- .455 546 124.2 125 20 52 4 7 51 2 0 73 66 4.76 1.42
1985 30 1 0 0 0 2 1 0 -- .667 256 54.1 63 9 30 2 7 26 2 0 49 46 7.62 1.71
1986 20 7 2 1 0 4 3 0 -- .571 288 69.2 62 13 27 1 2 41 3 0 31 27 3.49 1.28
1987 12 3 0 0 0 0 2 1 -- .000 94 21.2 27 4 6 1 0 11 0 0 16 13 5.40 1.52
1988 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 3.0 3 0 3 0 0 1 0 0 4 4 12.00 2.00
1988 阪神 23 9 2 1 0 4 2 0 -- .667 295 68.1 74 9 25 0 2 36 1 0 31 31 4.08 1.45
'88計 25 9 2 1 0 4 2 0 -- .667 309 72.2 77 9 28 0 2 37 1 0 35 35 4.33 1.44
1989 14 8 0 0 0 2 2 0 -- .500 223 49.1 54 9 25 6 1 55 1 0 30 28 5.11 1.60
1990 55 0 0 0 0 3 3 3 -- .500 334 84.0 71 13 29 4 0 89 3 0 38 38 4.07 1.19
1991 37 0 0 0 0 6 3 6 -- .667 252 59.2 51 8 25 6 1 39 1 0 22 21 3.17 1.27
1992 11 0 0 0 0 1 0 1 -- 1.000 63 14.0 12 3 10 1 0 16 1 0 8 8 5.14 1.57
1993 34 0 0 0 0 4 0 2 -- 1.000 227 53.0 43 5 23 1 1 53 1 0 23 20 3.40 1.25
1994 50 0 0 0 0 4 2 1 -- .667 298 69.2 63 7 26 2 5 56 0 0 26 24 3.10 1.28
1995 45 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 272 60.0 66 13 27 5 6 55 3 0 42 39 5.85 1.55
1996 近鉄 21 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 124 31.0 30 3 6 1 1 23 0 0 8 8 2.32 1.16
1997 18 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 86 19.1 19 3 8 0 3 13 2 0 13 11 5.12 1.40
通算:20年 550 106 35 5 1 71 62 30 -- .534 6099 1422.0 1391 227 564 41 50 847 28 0 735 683 4.32 1.37
  • 表中の太字はリーグ最高

背番号

  • 16(1977年 - 1988年途中)
  • 48(1988年途中 - 1996年途中)
  • 6(1996年途中 - 1997年)
  • 80(1998年 - 2004年)
  • 84(2005年 - 2011年、2016年 - 2020年、2023年 - )
  • 88(2013年 - 2015年)

記録

初記録

脚注

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、199ページ
  2. ^ 来季のコーチングスタッフ について”. 読売ジャイアンツ 公式サイト (2023年10月16日). 2023年10月16日閲覧。
  3. ^ 【1ページ目】ソフトB 前阪神二軍投手コーチ・久保氏招聘で“魔改造”炸裂へ”. 東スポWEB (2017年11月9日). 2017年11月9日閲覧。
  4. ^ 【NPBアワーズ】セMVPの菅野智之「久保コーチと会っていなかったらここにいない」」『東スポWEB』2024年11月26日。2024年11月26日閲覧
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関連項目

外部リンク