コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

タケシバオー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Zai零細系統保護協会 (会話 | 投稿記録) による 2014年5月1日 (木) 03:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

タケシバオー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1965年4月23日
死没 1992年1月12日
  (27歳没・旧28歳)
チャイナロック
タカツナミ
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産者 榊憲治
馬主 小畑正雄
調教師 三井末太郎東京
競走成績
生涯成績 29戦16勝(うち日本国外2戦0勝)
獲得賞金 1億1365万4200円
テンプレートを表示

タケシバオーTakeshiba O1965年 - 1992年)とは日本競走馬である。1969年啓衆社賞年度代表馬であり、天皇賞(春)朝日盃3歳ステークスなどに優勝した。中央競馬史上初の1億円獲得馬でもある。2004年顕彰馬に選出された。

中央競馬 (JRA) 記録のレコードタイム5回とその勝ちっぷりから怪物とよばれた。その反面、2着が多い(計10回)側面も持っていた。

戦績

馬齢は旧表記を用いる。

1967年の朝日盃3歳ステークスを7馬身差で優勝。関東の3歳王者として、1968年の4歳クラシック競走ではアサカオーマーチスとともに「元祖・三強」の構図を形成したが、タケシバオーは皐月賞をマーチス、東京優駿(日本ダービー)はタニノハローモアの2着に終わり、菊花賞ワシントンD.C.インターナショナル(8着)に出走したため出走せず(優勝馬はアサカオー)、結局クラシックとは無縁に終わった。

古馬になってからはタケシバオーの独擅場で、1969年3月1日のオープン戦では60キログラム斤量を背負ったにもかかわらず大差勝ちのうえに、東京競馬場ダート1700メートルのレコードタイムを叩き出した。このコースはのちの改修によりコース設定自体がなくなったが、このときのタイム1分41秒9は、2006年8月27日小倉競馬場で行われた阿蘇ステークスでサンライズキングが1分41秒8を記録するまで、実に37年5か月もの間日本レコードであった。

その後、春の天皇賞(3200メートル)や、第3回スプリンターズステークスに該当する「英国フェア開催記念」(芝1200メートル。当年のみ名称変更で開催)をともに勝ち、その間にもオープンのジュライステークス(芝1800メートル)を65キログラムの斤量で勝利するなど8連勝、しかも8連勝のうちレコード勝ちが4回という驚異的なオールラウンダーぶりで長距離、短距離、芝、ダート、斤量、馬場状態を問わずどの条件でも強さを発揮した。最後にはどんなレースにタケシバオーが登録するという情報が出ても、マスコミや競馬関係者も誰も文句や批判を言わなくなったほどである。また、あくまで冗談を含んだ比喩とはいえ「ハンデ100キログラムが妥当」とか「横綱大鵬が乗っても勝てる」という声まで実際に上がったほどの勝ちっぷりであったという。

当時の古馬でトップクラスの実力を持ったスピードシンボリカブトシローらとの対決はほとんどなかったが、それを抜きにしても、レース条件も斤量も問わないタフさは多くの競馬ファンに強烈な印象を残した。ちなみに主戦を務めた古山良司騎手調教師は後年、もしタケシバオーが現在の競走体系で活躍していたらとの問いに、「ダート交流戦中心で戦って、目標はジャパンカップダートにしているだろう」と語っている。

この馬がここまでの万能な強さ、タフさを示した理由については、血統論を中心とする競馬評論や生産者の観点から多くが語られ諸説がある。父親のチャイナロックも「性豪」と異名を取るほどのタフさで知られた種牡馬で、そのタフさを色濃く受け継いでいるという見方も多い。他方、多くの記述では共通してこの馬が血統的にアウトブリードであったことを根拠のひとつに指摘している。アウトブリード交配の健全性と効果を示す際には、時間を経た現在でもタケシバオーはその大きな成功例として挙げられることがある。

おもな勝ち鞍はほかに東京4歳ステークス東京新聞杯京都記念毎日王冠。海外遠征(ワシントンD.C.インターナショナル)も2度行ったがともにアクシデントに見舞われ最下位に敗れている。結局、2度目の海外遠征で感冒による発熱中に出走を強行し、それが原因で帰国後下肢に麻痺が生じて、そのまま現役を引退した。

種牡馬になってからタケシバオーが出した代表産駒は以下のとおり。

また、皐月賞優勝馬ドクタースパートの母の父がタケシバオーである。ほかにも重賞勝ち馬はそこそこ出しており、当時は内国産種牡馬冬の時代であったことを考えれば十分に成功といえる活躍であった。産駒は全体的に頑健で連戦にも強い馬が多く、とくに地方競馬の馬主からは大損をさせないと好評であった。

1992年1月12日、心不全により繋養先の北海道・競優牧場で死亡したが、やはりそのタフさに恥じぬ28歳の長命であった。

2004年、顕彰馬に認定された。

競走成績

年月日 競馬場 競走名

人気 着順 距離 タイム 騎手 斤量 着差 勝ち馬/(2着馬)
1967 6. 18 新潟 オープン 8 7 3人 2着 芝1000m(良) 1.00.2 畠山重則 50 -0.8秒 イスズヒメ
7. 8 新潟 チューリップS 6 5 5人 2着 芝1000m(良) 59.7 畠山重則 50 -0.4秒 スズノツバサ
7. 23 函館 オープン 6 5 1人 1着 芝1000m(良) 59.7 中野渡清一 51 6馬身 (ヨシヒロ)
9. 9 札幌 3歳特別 7 7 2人 3着 ダ1200m(良) 1.13.4 中野渡清一 51 -0.6秒 タジマオー
10. 22 福島 オープン 9 3 2人 1着 芝1000m(良) 59.6 中野渡清一 51 5馬身 (スズノツバサ)
11. 12 福島 3歳S 9 3 1人 1着 芝1100m(重) 1.07.9 中野渡清一 52 2馬身 (ステートターフ)
12. 3 中山 オープン 10 5 2人 1着 芝1200m(重) 1.12.9 中野渡清一 53 3 1/2馬身 (スズノツバサ)
12. 17 中山 朝日杯3歳S 11 4 3人 1着 芝1600m(稍) 1.38.4 中野渡清一 51 7馬身 (ステートターフ)
1968 1. 28 中山 オープン 4 3 1人 1着 芝1600m(良) 1.36.9 中野渡清一 54 5馬身 (オンワードビート)
2. 18 東京 東京4歳S 9 2 1人 1着 ダ1700m(不) R1.44.3 中野渡清一 55 8馬身 (ヤシマオーカン)
3. 17 中山 弥生賞 5 4 1人 2着 芝1600m(良) 1.37.6 中野渡清一 56 -0.2秒 アサカオー
4. 13 中山 オープン 6 6 1人 1着 芝1800m(重) 1.53.9 森安弘明 57 3馬身 (タジマオーザ)
4. 28 中山 スプリングS 7 1 1人 2着 芝1800m(重) 1.53.3 森安弘明 56 -0.2秒 マーチス
5. 19 中山 皐月賞 16 8 1人 2着 芝2000m(重) 2.06.4 森安弘明 57 -0.1秒 マーチス
6. 16 東京 NHK杯 10 2 2人 2着 芝2000m(重) 2.02.8 森安弘明 55 -0.2秒 マーチス
7. 7 東京 東京優駿 19 15 2人 2着 芝2400m(稍) 2.31.9 森安弘明 57 -0.8秒 タニノハローモア
9. 21 東京 オープン 5 4 2人 2着 芝1600m(良) 1.36.4 保田隆芳 58 -0.1秒 ヤマトダケ
11. 11 ローレル ワシントンDC国際 8 1 7人 8着 芝12F(重) - 保田隆芳 54.5 -24馬身 Sir Ivor
12. 28 中山 オープン 12 2 2人 2着 芝1800m(良) 1.54.5 古山良司 58 -0.3秒 ニットウヤヨイ
1969 1. 11 中山 七草S 11 6 3人 2着 芝1800m(良) 1.50.8 古山良司 57 -0.3秒 シェスキイ
2. 2 東京 東京新聞杯 10 5 1人 1着 ダ2100m(稍) R2.09.5 保田隆芳 58 6馬身 (クリロイス)
3. 1 東京 オープン 6 1 1人 1着 ダ1700m(重) R1.41.9 古山良司 60 大差 (スイートフラッグ)
3. 16 京都 京都記念(春) 11 2 1人 1着 芝2400m(重) 2.34.6 古山良司 62 1 3/4馬身 シバフジ
4. 13 阪神 オープン 13 2 1人 1着 芝1600m(良) R1.35.2 古山良司 60 9馬身 (イチトシ)
4. 29 京都 天皇賞(春) 7 2 1人 1着 芝3200m(良) 3.29.1 古山良司 58 2馬身 (アサカオー)
7. 6 中山 ジュライS 9 6 1人 1着 芝1800m(不) 1.54.6 古山良司 65 アタマ (スイートフラッグ)
9. 14 東京 毎日王冠 7 2 1人 1着 ダ2100m(良) 2.10.9 古山良司 62 3 1/2馬身 (ツナエーコウ)
9. 28 中山 英国フェア開催記念 6 2 1人 1着 芝1200m(良) R1.10.4 吉永正人 62 1 3/4馬身 リュウズキ
11. 11 ローレル ワシントンDC国際 7 1 4人 7着 芝12F(良) - 古山良司 54.5 -34馬身 Karabas
  1. タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
  2. 太字の競走は八大競走
  3. 斤量の単位はキログラム (kg) 。

おもな産駒

母の父としての代表産駒

エピソード

  • 馬主である小畑正雄はのちに、NHK競馬中継の解説者に抜擢されることになる。
  • その小畑が、「タケシバオーはもはや自分の馬ではない。ファンの馬だ。」という言葉を発したことでも話題となった。
  • 絶頂期の5才の夏、新潟競馬場に入厩した。結局出走はしなかったが、新潟競馬を盛り上げる為の、小畑氏の演出だったという。

海外遠征

サーアイヴァーが勝った1968年ワシントンDC国際に出走したタケシバオーは、スタートと同時にゲートを飛び出し、半マイルほど先頭で逃げた[1]。しかし途中でアメリカのツァーアレグザンダー(Czar Alexander)に捕まり、最終的には最下位でゴールした。ツァーアレグザンダーは2着だった[1]

血統表

タケシバオー血統ハイペリオン系アウトブリード (血統表の出典)

*チャイナロック
China Rock
1953 栃栗毛
父の父
Rockefella
1941 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Rockfel Felstead
Rockliffe
父の母
May Wong
1934 栗毛
Rustom Pasha Son-in-Law
Cos
Wezzan Friar Marcus
Woodsprite

タカツナミ
1958 黒鹿毛
ヤシママンナ
1950 黒鹿毛
*プリメロ
Primero
Blandford
Athasi
第参マンナ *シアンモアShian Mor
マンナ
母の母
*クニビキ
1951 黒鹿毛
Nice Day Mid-Day Sun
Belle Adventure
Starlet Actor
Marevere F-No.5

脚注

  1. ^ a b セントピーターズバーグタイムズ 1968年11月12日付“Ireland's Sir Ivor by a length”2014年5月1日閲覧。

外部リンク