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最上進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最上進
もがみ すすむ
生年月日 1941年7月23日
没年月日 (2015-04-15) 2015年4月15日(73歳没)
死没地 群馬県高崎市
出身校 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
慶應義塾大学大学院法学研究科
前職 国会議員秘書
所属政党自由民主党→)
無所属→)
自由連合
称号 従四位
旭日重光章
親族 養父・最上政三(衆議院議員)
養母・最上英子(参議院議員)
弟・佐藤國雄(群馬県議会議員)

選挙区 群馬県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1974年7月8日 - 1980年7月7日
1983年7月10日 - 1989年7月9日

当選回数 2回
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最上 進(もがみ すすむ、1941年7月23日 - 2015年4月15日)は、日本政治家参議院議員(2期)。

経歴

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生い立ち

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1941年7月23日、父・佐藤勇(運輸省官僚、月島倉庫株式会社副社長)と母・俊子の長男として誕生。

東京都立小山台高等学校卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科へ進学。卒業後、同大学院へ進み、在学中より伯母・参議院議員最上英子(実母・俊子の姉)の第一秘書を務める。

1963年最上政三立憲民政党所属代議士)、英子夫妻の養子となる。

政治活動

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1967年群馬県議会議員選挙に立候補。25歳の全国最年少及び県下最多得票にて当選。学生県議として話題になり注目される。1971年群馬県議会議員2期目当選。

1974年第10回参議院議員通常選挙群馬地方区自由民主党公認で立候補。現職の佐田一郎を下し当選。

1978年第1次大平内閣時、法務省政務次官。1980年第12回参議院議員通常選挙衆参同日選挙)に自由民主党公認で2度目の立候補。福田赳夫の実弟・福田宏一と競うが、社会党に僅差で議席を明け渡す。

1983年第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で3度目の立候補、当選。自民は2議席独占。1983年参議院外務委員長に就任。1989年第15回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で4度目の立候補。消費税初導入による自民党への反発の煽りを受け落選。

1993年第40回衆議院議員総選挙に、群馬3区から無所属で立候補するが落選。1995年群馬県知事選挙に無所属で立候補するが落選。1996年第41回衆議院議員総選挙に、群馬2区から自由連合公認で立候補するが落選。

2011年秋の叙勲で旭日重光章受章[1]

2015年4月15日、病気のため群馬県高崎市の自宅で死去、73歳[2][3]。死没日をもって従四位に叙される[4]

参議院議員としては法務政務次官外務委員長を歴任。元群馬県議会議員佐藤國雄は実弟。

脚注

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  1. ^ 『官報』号外第238号1頁 平成23年11月4日号
  2. ^ “最上進氏死去(元自民党参院議員)”. 時事通信. (2015年5月1日). オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151023041946/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201505/2015050100393 2023年2月19日閲覧。 
  3. ^ “元自民党参院議員の最上進さん死去”. 朝日新聞. (2015年5月3日). オリジナルの2015年5月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150503030709/http://www.asahi.com/articles/ASH517HY0H51UTFK013.html 2023年2月19日閲覧。 
  4. ^ 『官報』第6535号8-9頁 平成27年5月20日号
議会
先代
平井卓志
日本の旗 参議院外務委員長
1985年 - 1986年
次代
宮澤弘