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溝口和洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
溝口和洋 Portal:陸上競技
選手情報
国籍 日本の旗 日本
種目 やり投
生年月日 (1962-03-18) 1962年3月18日(62歳)
生誕地 和歌山県西牟婁郡白浜町
身長 180cm[1]
体重 88kg[1]
自己ベスト やり投:87m60(1989年)日本記録
獲得メダル
陸上競技
アジア大会
1986 ソウル 男子やり投
1990 北京 男子やり投
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溝口 和洋(みぞぐち かずひろ、1962年3月18日 - )は、日本陸上競技選手。専門はやり投和歌山県西牟婁郡白浜町保呂出身。

1989年5月27日以降、やり投の日本記録(87m60)を30年間以上保持し続けている。

経歴

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高校からやり投を始め、三年時のインターハイでは59m68で6位、国民体育大会では60m72で2位となっている。

1981年京都産業大学に進学。4年時のロサンゼルスオリンピックでは74m82で予選20位。

1985年ゴールドウインに入社。

1986年ソウルアジア大会では76m60で優勝、金メダルを獲得。

1987年8月30日の世界陸上ローマ大会では80m24で6位入賞。

1988年ソウルオリンピックでは77m46で予選19位。

1989年5月27日のサンノゼ国際グランプリでは日本新記録・世界歴代2位(当時)となる87m60をマーク。当初従来の世界記録を2cm上回る87m68の世界新記録と発表されたが、計測員が安価なビニール製のメジャーを強引に引っ張って再計測し[2][3]、87m60と発表された[2]。さらに二投目にマークしていた84m82の大会新記録を81m82に書き換えられるという事態も起こり[2][4]、これには溝口自身も抗議したが、記録係には相手にされなかったという[2][4]

7月14日のロンドン国際グランプリでは85m02で優勝、6投全ての試技で80mを超えた。IAAFグランプリファイナルでは83m06を投げて2位となった。

1990年北京アジア大会では75m84で3位になり、銅メダルを獲得。

1998年に36歳で現役引退。その後はパチプロとして生活しながら、中京大学ハンマー投室伏広治ややり投の三宅貴子をボランティアで指導した[5]。指導をきっかけに知り合った三宅と結婚し、2007年から故郷の白浜町で農業を営んでいる[6]

主な成績

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大会名 順位 記録 年月日 場所
ロサンゼルスオリンピック 20位 74m82 1984年 ロサンゼルス
1986年アジア競技大会 1位 76m60 1986年 ソウル
1987年世界陸上競技選手権大会 6位 80m24 1987年8月30日 ローマ
ソウルオリンピック 19位 77m46 1988年 ソウル
サンノゼ国際グランプリ 1位(自己ベスト) 87m60 1989年5月27日 サンノゼ
IAAFグランプリファイナル 2位 83m06 1989年 モナコ
1990年アジア競技大会 3位 75m84 1990年 北京市
1991年世界陸上競技選手権大会 29位 73m78 1991年8月25日 東京国立競技場
1995年世界陸上競技選手権大会 34位 68m66 1995年8月11日 ヨーテボリ

他種目での結果

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1989年の関西学生秋季大会では十種競技にオープン参加、7200点を記録している[注釈 1][7]

トレーニング

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「練習はウエイトがすべてで、あとはプラスα」「外国人選手との違いはパワーにある。だったらウエイトすればいい」という考え方[1] から現役当時は一日平均12時間ほどのウエイトトレーニングを行い[8]、「ウエイトの溝口」と呼ばれていた[1][8]。ピラミッド形式でベンチプレス総重量100t(100kgを1000回等)と懸垂500回を一日でこなしたことがあり、このときの練習は正午から始めて夜9時までかかったという[9]。12時間トレーニングした後に2、3時間休み、さらに12時間トレーニングしたことがある[10]

溝口はウエイトトレーニングについて、ただ筋力を付けるだけではなく、全身の神経回路を発達させてスポーツに応用できる筋力を付けることが重要だと考えている[11]。トレーニング種目の一つ一つがどの神経に繋がっているのか繰り返し試し、やり投に直結するように改良していたという[12]

トレーニング中に冷や汗が止まらなくなり、顔面蒼白になって倒れたことが一度だけあったが、コーラを飲んで少し休憩した後にまた練習再開したという[13]

体力的限界を超えたトレーニングをこなしていることについて溝口は「そこは精神、俗にいう『根性』でカバーする」[10]、「疲労?だいたい疲労ってなんやねん。そんなもん根性で克服できる」[14]と語っている。

高校時代は100メートル走が14秒台だったが、苛烈なウエイトトレーニングで鍛え続けた結果、走練習をほとんど行わないにもかかわらず[1]11秒台を記録するにまで至っている[7]

溝口の練習量について、中京大学時代に指導を受けていた室伏広治は「溝口さんは練習の鬼だった。自分も厳しい練習をこなしているほうだと思っていたが、溝口さんは、誇張でもなんでもなく、私の10倍以上の練習内容をこなしていた。」と語っている[15]

これだけ練習していたにもかかわらず、世界大会で優勝を逃すと「練習不足だ」と言い切っていた[16]

脚注

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注釈

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  1. ^ 内訳は100m走11秒8、110mハードル走16秒、400m走50秒、1500m走5分台、走幅跳び6.6m、走高跳び1.8m、棒高跳び4m30、円盤投げ46m、砲丸投げ15m90、やり投げ79m[7]

出典

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  1. ^ a b c d e 月刊陸上競技』2002年7月号、講談社、186頁
  2. ^ a b c d 上原善広 2010, p. 70.
  3. ^ 上原善広 2016, p. 137.
  4. ^ a b 上原善広 2016, p. 139.
  5. ^ 上原善広 2010, pp. 87–88.
  6. ^ 上原善広 2010, p. 90.
  7. ^ a b c 上原善広 2016, p. 195.
  8. ^ a b 上原善広 2010, p. 50.
  9. ^ 上原善広 2010, pp. 52–53.
  10. ^ a b 上原善広 2016, p. 40.
  11. ^ 上原善広 2010, p. 45.
  12. ^ 上原善広 2016, p. 46.
  13. ^ 上原善広 2010, p. 60.
  14. ^ 上原善広 2010, p. 51.
  15. ^ 室伏広治『超える力』文藝春秋、2012年、143頁、ISBN 978-4-16-375360-7
  16. ^ 室伏広治伝説を旧友・照英が語る「やったことがないやり投げに出て、いきなり国体2位ですからね…」(2/3ページ) - Sports Graphic NumberWeb(2020年11月11日)2021年7月23日閲覧。

参考文献

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  • 上原善広『異形の日本人』新潮社新潮新書〉、2010年9月17日。ISBN 978-4106103872 
  • 上原善広『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』KADOKAWA、2016年7月1日。 

関連項目

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外部リンク

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