楚輪博
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名前 | ||||||
カタカナ | ソワ ヒロシ | |||||
ラテン文字 | SOWA Hiroshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1956年5月1日(68歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1972-1974 | 広島工業高校 | |||||
1975-1978 | 法政大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1990 | ヤンマー | 191 | (13) | |||
通算 | 191 | (13) | ||||
代表歴 | ||||||
1977 | 日本 | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1996 | セレッソ大阪 | |||||
1997-1999 | サガン鳥栖 | |||||
2004-2007 | YKK AP | |||||
2008-2010 | カターレ富山 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
楚輪 博(そわ ひろし、1956年5月1日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。広島県広島市生まれ[1]、広島県・大阪府育ち。
来歴
[編集]現役時代
[編集]県立広島工業時代は金田喜稔、木村和司、石崎信弘、猿沢茂らとスペクタクルなサッカーを展開し高校選手権などで活躍した。法政大学時代はユース代表の主将も務めた。
卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部に入部。得意のプレイスキックで中心選手として活躍。現役晩年の釜本邦茂のパートナーでもあった[2]。1981年アシスト王、ベストイレブン5回、日本サッカーリーグ(JSL)191試合出場は歴代17位。日本代表経験もある。1990年に現役を引退した。
指導者時代
[編集]1994年にセレッソ大阪のサテライト監督に就任。1995年にはトップチームのヘッドコーチ、1996年のシーズン途中からはパウロ・エミリオ監督の辞任伴い、シーズン終了まで監督を務めた。
1997年、鳥栖フューチャーズの経営破綻に伴い新たに結成されたサガン鳥栖の初代監督に就任。J2初年度の1999年まで務めたが、楚輪監督時代の鳥栖は比較的成績・経営状況とも良好であった。
鳥栖監督辞任後は桃山学院大学サッカー部のコーチ、監督を歴任。
2004年に日本フットボールリーグ(JFL)に所属するYKK APサッカー部の監督に就任。2005年はJ2昇格を目指す愛媛FCに次いで準優勝に輝いた。
2008年、YKK APとアローズ北陸が統合して誕生したカターレ富山の初代監督となり、1年目でJFL3位の成績を残しチームをJリーグへ導いた。2009年のJリーグ加盟初年度を組織的な守備を構築し挑み、J初参戦のチームながら健闘した。2010年、カターレ富山を率い3年目のシーズンは、27試合で6勝19敗2引分と成績不振に陥り、シーズン途中の9月29日に監督を解任された。
2011年、再び桃山学院大学サッカー部監督に就任し2015年まで在籍。2016年には明誠高等学校サッカー部監督に就任した。
2019年、6月から桃山学院高等学校サッカー部のコーチに就任する。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1979 | ヤンマー | 18 | JSL1部 | 14 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 19 | 2 |
1980 | 10 | 17 | 4 | 3 | 1 | 2 | 1 | 22 | 6 | ||
1981 | 14 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 17 | 1 | |||
1982 | 16 | 2 | 3 | 1 | 2 | 0 | 21 | 3 | |||
1983 | 18 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 26 | 0 | |||
1984 | 16 | 1 | 4 | 0 | 3 | 1 | 23 | 2 | |||
1985 | 21 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 25 | 0 | |||
1986-87 | 22 | 1 | 3 | 0 | 3 | 0 | 28 | 1 | |||
1987-88 | 16 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |||
1988-89 | 18 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 24 | 0 | |||
1989-90 | 19 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 24 | 2 | |||
通算 | 日本 | JSL1部 | 191 | 13 | 29 | 2 | 27 | 2 | 247 | 17 | |
総通算 | 191 | 13 | 29 | 2 | 27 | 2 | 247 | 17 |
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 6回出場(1979年、1981年、1982年、1983年、1984年、1987年)
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 1得点(1982年)
代表歴
[編集]- 1977年 日本代表(国際Cマッチ5試合出場)
指導経歴
[編集]- 1994年 セレッソ大阪:サテライト監督
- 1995年 セレッソ大阪:ヘッドコーチ
- 1996年 セレッソ大阪:監督
- 1997年 - 1999年 サガン鳥栖:監督
- 2000年 - 2001年 桃山学院大学:コーチ
- 2002年 - 2003年 桃山学院大学:監督
- 2004年 - 2007年 YKK AP:監督
- 2008年 - 2010年9月 カターレ富山:監督
- 2011年 - 2015年 桃山学院大学:監督
- 2016年 - 2018年 明誠高等学校:監督
- 2019年 - 桃山学院高等学校:コーチ
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
1996 | J | C大阪 | 13位 | 15 | 5 | - | 10 | - | 4回戦 | |
1997 | 旧JFL | 鳥栖 | 11位 | 30 | 32 | 13 | - | 17 | 予選リーグ | 3回戦 |
1998 | 旧JFL | 鳥栖 | 8位 | 30 | 39 | 14 | - | 16 | - | 3回戦 |
1999 | J2 | 鳥栖 | 8位 | 36 | 37 | 12 | 2 | 22 | 1回戦 | 3回戦 |
2004 | JFL | YKK AP | 4位 | 30 | 50 | 15 | 5 | 10 | - | 予選敗退 |
2005 | JFL | YKK AP | 準優勝 | 30 | 64 | 20 | 4 | 6 | - | 予選敗退 |
2006 | JFL | YKK AP | 4位 | 34 | 67 | 19 | 10 | 5 | - | 4回戦 |
2007 | JFL | YKK AP | 6位 | 34 | 55 | 16 | 7 | 11 | - | 予選敗退 |
2008 | JFL | 富山 | 3位 | 34 | 62 | 18 | 8 | 8 | - | 2回戦 |
2009 | J2 | 富山 | 13位 | 51 | 61 | 15 | 16 | 20 | - | 3回戦 |
2010 | J2 | 富山 | 18位 | 27 | 20 | 6 | 2 | 19 | - | 2回戦 |
- 1996年は5月より(順位は最終順位)
- 2010年は9月まで(順位は28節終了時)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 楚輪博 - WorldFootball.net
- 楚輪博 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 楚輪博 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 楚輪博 - J.League Data Siteによる監督データ