東舜英
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東 舜英(あずま しゅんえい、1896年(明治29年)12月15日[1] - 1986年(昭和61年)1月11日[2])は、日本の新聞記者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]石川県出身[2][3]。東栄松の三男として生まれる[3]。1923年、早稲田大学政治経済学部を卒業した[2][3]。
萬朝報記者、読売新聞記者、國民新聞記者、拓務省嘱託、日満醸造社長、逓信大臣秘書官、東京市会議員などを務めた。
1947年4月、第23回衆議院議員総選挙おいて石川県第一区で民主党から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。この間、民主自由党総務に就任[2]。
炭鉱国管疑獄により逮捕され、1950年4月21日、東京地方裁判所で、懲役四ヶ月の判決を受けた[4]。その後、控訴して争い、1951年5月22日、東京高等裁判所で無罪となり判決が確定した[5]。
著作
[編集]- 『おみつさ』東舜英、1969年。
- 『わが晩年の記録』東舜英、1980年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録 1』第一法規出版、1980年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1943年。