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御神楽岳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本名御神楽から転送)
御神楽岳
本名御神楽から秋の御神楽岳を望む
標高 1,386.5 m
所在地 新潟県東蒲原郡阿賀町
位置 北緯37度31分18.8秒 東経139度25分33.1秒 / 北緯37.521889度 東経139.425861度 / 37.521889; 139.425861
山系 越後山脈
御神楽岳の位置(日本内)
御神楽岳
御神楽岳の位置
プロジェクト 山
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御神楽岳(みかぐらだけ)は、新潟県東蒲原郡阿賀町の南東部にある。標高は1,386.5m。

概要

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越後山脈に位置し、浅草岳とともに、新潟県側と福島県側の分水嶺になる主要な。急峻な尾根や岩壁から「下越谷川岳」、「会越の谷川岳」とも称される。山頂付近および東側の尾根は緑色凝灰岩が露出する岩壁からなる。なお、山頂には二等三角点「御神楽岳」が設置されている。周辺にはブナ原生林が残り、野生の動物相も豊かで、県境本名御神楽(ほんなみかぐら:標高1,266m)の稜線付近は、林野庁の「奥会津森林生態系保護地域」の保存地区に設定されている。

山頂からは、南に本名御神楽・貉ヶ森山・会津朝日岳。南西に浅草岳守門岳。西に矢筈岳・東に笠倉山と県境の山々が見渡せる。

歴史

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古くから信仰の対象とされてきたで、福島県会津美里町伊佐須美神社縁起では、紀元前88年崇神天皇10年)、四道将軍大毘古命建沼河別命の親子が蝦夷を平定するため北陸道と東海道に派遣された折、出会った土地を「会津」と名付け、天津岳山頂に国土開拓の祖神として二神を祀ったのが起源といい、のちにこの山を御神楽岳と号したという。その後、山頂に鎮座していた神社は博士山明神ヶ岳を経て、現在の会津美里町に遷座された。

江戸時代文化年間に編纂された『新編会津風土記』では、「昔高田村伊佐須美明神此山ニ鎮座アリシ時、西山日光寺ノ僧覚道神楽ヲ奏セリ、山ノ名コレニ因ルト云」とある。新潟県側に「覚道の頭」という岩場があり、山頂付近および東側の尾根には「雨乞峰」「山伏尾根」など山岳信仰修験とのかかわりのある地名がある。

登山

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新潟県
福島県
  • 金山町にある本名ダム堤体左岸の国道252号との分岐から新潟県側に通じる林道本名室谷線を上り、途中の山中の分岐を三条林道へ別れ、御神楽岳登山口まで林道を約8.4km。比較的広い駐車場は約7.7km地点にある。
    • 御神楽岳登山口から八乙女ノ滝・八丁洗板・杉山ヶ崎・熊打場・御神楽岳管理舎(避難小屋)・本名御神楽を経て山頂まで約5.9km、約4時間20分。

主な遭難・事故

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  • 1970年(昭和45年)11月14日 - 地元の男性が登山中に遭難、17日後に自力で帰還する出来事があった[1]

参考画像

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脚注

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  1. ^ 新設の山で17日 不詳の青年、自力下山『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月15日朝刊 12版 22面

関連項目

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参考文献

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  • 『新編会津風土記』第5巻「新編会津風土記巻之九十九」、(2003)、歴史春秋出版
  • 打田鍈一「御神楽岳 こころ躍らす不遇な岩山」『週刊続日本百名山 No.16 朳差岳 御神楽岳 守門岳 二王子岳朝日新聞社〈朝日ビジュアルシリーズ2〉、2002年、11-13頁。 
  • 村瀬忠男「会越国境に聳えるスラブ岩壁の峰」『週刊続日本百名山 No.16 朳差岳 御神楽岳 守門岳 二王子岳』朝日新聞社〈朝日ビジュアルシリーズ2〉、2002年、14-15頁。 

外部リンク

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