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木部 正雄(きべ まさお、1913年4月26日[1] - 2003年12月7日[1])は、日本の地方政治家で、田無市長を務めた。
1913年に現在の東京都新宿区で生まれ、浅草で育った。東京府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)中退[1]。
1943年に田無町に移り住んだ後、1955年に田無町議会議員になる。
1963年に助役となり、1969年に市長の指田吾一が現職で死去すると、後任の市長選挙に立候補して当選、就任した。
在職中は田無長期総合計画を策定し、学童保育の実施、児童館や老人福祉就労事業を充実させた[2]。さらに粗大ゴミ定期収集開始や死亡事故ゼロ300日突破交通安全市民大会を開催した[2]。また、全国の自治体として初めて男子職員にも育児時間を適用する条例案を市議会に提出した[1]。この間、東京都市長会会長、全国市長会評議員[2]、同関東支部長を歴任した[1]。
市長を4期務めた後、1985年に退任した[1]。2003年に死去。
- ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典』178頁。
- ^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、1001頁。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
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2001年1月21日合併 |
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合併後 |
- 保谷高範2001.2.18-2005.2.17
- 坂口光治2005.2.18-2013.2.17
- 丸山浩一2013.2.18-2021.2.17
- 池澤隆史2021.2.18-
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カテゴリ |
東京都市長会会長 |
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- 小林吉之助1955.6.10-1957.2.6
- 中嶋舜司1957.4.24-1959.4.30
- 荒井源吉1959.5.14-1963.4.30
- 植竹圓次1963.5.23-1965.5.13
- 桜井三男1965.5.14-1967.5.27
- 鈴木平三郎1967.5.28-1969.5.20
- 青山藤吉郎1969.5.21-1970.3.8
- 矢部隆治1970.3.9-1972.3.8
- 本多嘉一郎1972.3.9-1974.6.30
- 新藤元義1974.7.1-1976.6.30
- 大島宇一1976.7.1-1978.6.30
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- 森直兄1985.5.1-1987.4.16
- 尾崎清太郎1987.5.1-1989.4.30
- 吉野和男1989.5.1-1996.4.30
- 土屋正忠1996.5.1-1998.4.30
- 臼井千秋1998.5.1-1999.4.30
- 波多野重雄1999.5.1-2000.1.28
- 青木久2000.2.25-2002.4.30
- 寺田和雄2002.5.1-2004.4.30
- 石川良一2004.5.1-2006.4.30
- 細渕一男2006.5.1-2007.4.30
- 尾又正則2007.5.1-2008.4.30
- 黒須隆一2008.5.1-2010.4.30
- 北川穣一2010.5.1-2012.4.30
- 馬場弘融2012.5.1-2013.4.26
- 竹内俊夫2013.5.1-2015.4.30
- 並木心2015.5.1-2017.4.30
- 長友貴樹2017.5.1-2019.4.30
- 清水庄平2019.5.1-2021.4.30
- 石阪丈一2021.5.1-2023.4.30
- 渡部尚2023.5.1-
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