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春琴抄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
春琴抄
訳題 The Story of Shunkin
作者 谷崎潤一郎
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 中編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出中央公論1933年6月号
出版元 中央公論社
刊本情報
出版元 創元社
出版年月日 1933年12月
装幀 谷崎潤一郎
id NCID BA31733768
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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春琴抄』(しゅんきんしょう)は、谷崎潤一郎による中編小説盲目三味線奏者・春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴。谷崎の代表作の一つで、映像化が多くなされている作品でもある。英訳タイトルは"A Portrait of Shunkin"。

1933年(昭和8年)6月、『中央公論』に発表された[1]。単行本は、「蘆刈」と「顏世」の2作品と共に収録し、同年12月に創元社より刊行された[2]。単行本初版の表紙には黒漆塗りと朱漆塗りの二種類が存在しており、後者は発行部数が極めて少ない珍本である[3]

あらすじ

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物語は「鵙屋春琴伝」という一冊の書物を手にした「私」が、春琴の墓と、その横に小さくある佐助の墓を参り、2人の奇縁を語るモノローグで始まる。

大阪道修町薬種商鵙屋の次女、春琴(本名は琴)は9歳の頃に眼病により失明して音曲を学ぶようになった。春琴の身の回りの世話をしていた丁稚の佐助もまた三味線を学ぶようになり、春琴の弟子となる。わがままに育った春琴の相手をさせようという両親の思惑とは裏腹に、春琴は佐助が泣き出すような激しい稽古をつけるのだった。やがて、春琴が妊娠していることが発覚するが、春琴も佐助も関係を否定し、結婚も断る。結局、春琴は佐助そっくりの子供を出産した末に里子に出した。

やがて春琴は20歳になり、師匠の死を機に三味線奏者として独立した。佐助もまた弟子兼世話係として同行し、我が儘がつのる春琴の衣食住の世話をした。春琴の腕前は一流として広く知られるようになったが、種々の贅沢のために財政は苦しかった。

そんな中、春琴の美貌が目当てで弟子になっていた利太郎という名家の息子が春琴を梅見に誘って口説こうとするが、春琴は利太郎を袖にしたあげく、稽古の仕置きで額にケガをさせてしまう。その1ヵ月半後、何者かが春琴の屋敷に侵入して春琴の顔に熱湯を浴びせ、大きな火傷を負わせる。

春琴はただれた自分の顔を見せることを嫌がり、佐助を近づけようとしない。春琴を思う佐助は自ら両眼をで突き、失明した上でその後も春琴に仕えた。佐助は自らも琴の師匠となり、温井(ぬくい)琴台を名乗ることを許されたが、相変わらず結婚はせずに春琴の身の回りの世話を続けた。

春琴は1886年(明治19年)に脚気で亡くなり、佐助もまた、その21年後の1907年(明治40年)に亡くなった。

文体

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春琴抄は、改行句読点鈎括弧などの記号文字を極力使わない特徴的かつ実験的な文体で書かれており、新潮文庫版で10行近く句点がないことも珍しくなく、文章の区切りとして数ページ毎に空行がある他は、作中で一度も改行を使っていない。一般的には句点を必要とする場所でも句点を使わずに書いてあることも多く、例えば「…した。すると…」とか「…であろう。最初は…」といった場所が「…したすると…」とか「…であろう最初は…」となっている。

評価

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同時代評価

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正宗白鳥は『中央公論』において「聖人出づると雖も、一語を挿むこと能わざるべしと云った感に打たれた」と称賛した一方で「明日の日は、私もこういう文学を唾棄するかも知れない」と書いている[4]小林秀雄は「特に心を動かされたでもなし、深く考えさせられたのでもない」と、本作について消極的な見解を示した[4]川端康成は本作について「ただ嘆息するばかりの名作で、言葉がない」と評した[4]

後世の評価

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英文学者でもある文芸評論家の西村孝次は、昭和八年は他の文豪が多くの作品を残した年であるとした上で、それらの中でも『春琴抄』が「時局のせいでも題材の珍しさのためでもなく、作者の精神と技工の次元と成熟のゆえ」ひときわ高く抜きんでていると評している[5]。小説家の円地文子は、谷崎文学中で屈指の名作とした上で、谷崎の作品群にみられる女性憧憬という一貫した主題の中で、『春琴抄』は女を相手にして悪戦苦闘の末についに法悦の境にまで達する顛末を完全に描いたとしている[6]。小説家の山崎ナオコーラは、『春琴抄』が視力を失う物語の中で逆説的に多様な視力を描いているとしており、「頭の中で好きな人を見る幸せを、こんなにも素晴らしく描き出した作品は他にない」と評している[7]

エピソード

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  • 本作において、春琴の顔に熱湯をかけた人物は明記されていない。谷崎のミステリ嗜好からも犯人について多くの推論がなされており、「お湯かけ論争」と呼ばれる。
  • 本作の発表後、谷崎のもとには作中冒頭に登場する二つの墓(春琴の墓と佐助の墓)が実際にどこにあるのかという問い合わせが相次いだという。
  • 著者から長女鮎子宛の手紙(1940年3月5日付)に、自身が朗読したレコードがヸクターから出るとある。
  • 春琴のモデルには、谷崎が地唄の出稽古を受けていた、三代目菊原琴治(盲人)の娘・菊原初子も擬せられている。また、初期の戯曲作品の久保田万太郎『鵙屋春琴』において、佐藤春夫が「春鶯囀(しゅんのうでん)」の歌詞(「をかに來て ほがらかに なくやうぐひす ありし日の たにまの雪に まじへたる こほる泪は 知るひとぞ知る)を創作し、それに菊原琴治が曲を付けている。

映画

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テレビドラマ

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日本テレビ 日産劇場1960年2月6日 - 2月27日
前番組 番組名 次番組
春琴抄
フジテレビ シオノギテレビ劇場1965年10月7日 - 10月14日
春琴抄
フジテレビ 木曜22:00 - 22:45枠
春琴抄
(これより「シオノギテレビ劇場」)
戸田家の兄妹
NET 女・その愛のシリーズ水曜21時枠
春琴抄

舞台

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これ以前のものに関しては、『谷崎潤一郎「春琴抄」の劇化について』(赤井紀美)[10]に詳しい

オペラ

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テレビアニメ

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漫画

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  • 『春琴抄』原作:谷崎潤一郎 漫画:及川徹
講談社の『マガジンSPECIAL』2011年No.7に「マガスペ恋愛文学館」第1回として読み切り掲載、2016年5月27日に『マガジンポケット』で再録[11]
  • 『春琴抄』原作:谷崎潤一郎 漫画:高橋真巳
集英社マーガレットコミックスDIGITALにて2015年12月1日より配信。全1巻。
KADOKAWAの『電撃G'sコミック』にて2018年1月号より連載。全3巻。

脚注

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  1. ^ 「谷崎潤一郎作品案内」(夢ムック 2015, pp. 245–261)
  2. ^ 「主要著作目録」(アルバム谷崎 1985, p. 111)
  3. ^ 『『春琴抄』解説』日本近代文学館、1984年10月20日。 
  4. ^ a b c 五味渕典嗣「漸近と交錯 : 「春琴抄後語」をめぐる言説配置」『大妻国文』第43巻、大妻女子大学国文学会、2012年3月、167頁、CRID 1050001338400503296ISSN 02870819 
  5. ^ 谷崎潤一郎『春琴抄』新潮文庫、2019年。 
  6. ^ 『名著初版本複刻珠玉選『春琴抄』解説』日本近代文学館、1984年10月20日。 
  7. ^ 谷崎潤一郎『春琴抄』角川文庫、2016年。 
  8. ^ 春琴抄(1960年)”. テレビドラマデータベース. 2019年4月18日閲覧。
  9. ^ 春琴抄(1973年)”. テレビドラマデータベース. 2021年2月5日閲覧。
  10. ^ [https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/60/11/60_13/_pdf/-char/en/
  11. ^ 【特別読み切り】春琴抄(マガジンポケット)

参考文献

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外部リンク

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