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日高岩内駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日高岩内駅
ひだかいわない
Hidaka-Iwanai
岩知志 (4.8 km)
(4.7 km) 日高三岡
所在地 北海道沙流郡日高町字三岩
北緯42度48分29秒 東経142度24分2秒 / 北緯42.80806度 東経142.40056度 / 42.80806; 142.40056
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 富内線
キロ程 73.4 km(鵡川起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1964年昭和39年)11月5日[1]
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日[2]
備考 富内線廃線に伴い廃駅[1]
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1978年の日高岩内駅と周囲約500m範囲。右上側が日高町方面。駅の両端を小川に挟まれた仮乗降場スタイルの鉄骨コンクリート製の簡易型で、ホーム上鵡川側に開放型の待合所を有していた。右下に沙流川が流れる。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

日高岩内駅(ひだかいわないえき)は、北海道日高支庁沙流郡日高町字三岩に存在した、日本国有鉄道(国鉄)富内線廃駅)である[1]事務管理コードは▲132313[3]

歴史

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駅名の由来

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所在地近辺の地名(岩内)より。岩内線岩内駅との区別の為に旧国名の「日高」を冠した[6][7]

「岩内」の名称はアイヌ語の「イワナイ(iwa-nay)」(山の・川)に由来すると考えられる[8]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の南側(日高町方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[6]

開業時からの無人駅で駅舎は無かったが、ホーム西側出入口附近にホームに屋根が掛けられた形の待合所を有していた[6]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は4人[6]

駅周辺

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駅跡

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2011年(平成23年)時点では更地になっており雑草に覆われているが、附近の線路跡は切り通し状で残存していた[10]

また、駅跡の日高町方にある沢にカルバートが残存し、その先にはトンネルの坑口や擁壁、落石防止用フェンスが残存していた[10]

隣の駅

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日本国有鉄道
富内線
岩知志駅 - 日高岩内駅 - 日高三岡駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 「日本国有鉄道公示第527号」『官報』1964年10月31日。
  5. ^ 「通報 ●富内線振内・日高町間の開業について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1964年10月31日、6面。
  6. ^ a b c d e 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、108頁。 
  7. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、99頁。ASIN B000J9RBUY 
  8. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、367頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  9. ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、11頁。 
  10. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、92-93頁。 

関連項目

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