芭呂沢駅
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芭呂沢駅 | |
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ばろさわ Barosawa | |
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所在地 | 北海道勇払郡むかわ町字旭岡 |
所属事業者 | 北海道鉄道(2代) |
所属路線 | 金山線 |
キロ程 | 13.1 km(鵡川起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1923年(大正12年)6月12日[2] |
廃止年月日 | 1943年(昭和18年)8月1日[2] |
備考 | 国有化とともに廃駅 |
芭呂沢駅(ばろさわえき)は、北海道(胆振支庁)勇払郡鵡川村空内[3](現・むかわ町旭岡二区)にあった北海道鉄道(2代)金山線(後の日本国有鉄道(国鉄)富内線)の駅(廃駅)である。1943年(昭和18年)8月1日の北海道鉄道国有化とともに廃駅となった。
歴史
[編集]大正年間から昭和初期にかけてはバロ沢上流の原木搬出・製炭などが盛んで、一時は引込み線も有していた。最盛期には百戸以上の入植者があって駅前に小さな街が形成されていたが、1932年(昭和7年)頃には取り尽くしたため各地へ離散し、僅かな農家だけとなった[4]。
- 1923年(大正12年)6月12日 - 北海道鉱業鉄道金山線の芭呂沢駅(ばろさわえき)として開業[5]。一般駅[2]。無人駅。
- 1924年(大正13年)3月3日 - 鉄道会社名を北海道鉄道(2代目)に改称、それに伴い同鉄道の駅となる。
- 1936年(昭和11年)5月19日届出 - 停留場に格下げ[2]。芭呂沢停留場となる。同時に貨物・荷物の取扱いを廃止か?
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 戦時買収による国有化とともに廃駅となる[2]。
駅構造
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駅名の由来
[編集]アイヌ語の「パロ」(河口)に由来する。鵡川町史では現・イクベツ沢川の河口にかつてユクペツコタンがあり、酋長クエックの息子であるバロウカトク(後に本田バロカトク)が著名であったためバロ沢と呼ばれるようになったとされる。
駅周辺
[編集](* 北海道道74号穂別鵡川線)
利用状況
[編集]1923年(大正12年)6月-10月? の乗降者数:2,755人(1日当たり約18人)[7]
駅跡
[編集]雑木林の中に路盤の一部(バラスト)が確認でき、付近には金属製の13kmのキロポストが残存している。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 昭和3年測量、昭和6年発行 大日本帝国陸地測量部 5万分の1地形図「佐瑠太」
- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、865頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)212ページより。
- ^ 鵡川町史 昭和43年発行 P979。 本書には「当駅は昭和10年を限りに廃止となった」と記述されている。
- ^ 「地方鉄道停車場設置並運輸開始」『官報』1923年6月18日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)11ページより。
- ^ a b c d 「北海道案内」高橋理一郎編 地方振興事績調査会出版 1924年(大正13年)発行(国立国会図書館デジタルコレクション)