穂別駅
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穂別駅 | |
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ほべつ Hobetsu | |
◄豊田 (6.3 km) (8.2 km) 富内► | |
所在地 | 北海道勇払郡穂別町(現:むかわ町)穂別 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 富内線 |
キロ程 | 37.3 km(鵡川起点) |
電報略号 | ホツ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1923年(大正12年)11月11日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 富内線廃線に伴い廃駅[1] |
穂別駅(ほべつえき)は、かつて北海道(胆振支庁)勇払郡穂別町(現・むかわ町)字穂別に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)富内線の駅(廃駅)である[1]。電報略号はホツ。事務管理コードは▲132306[3]。
歴史
[編集]- 1923年(大正12年)11月11日 - 北海道鉱業鉄道金山線生鼈駅(後の旭岡駅) - 辺富内駅(後の富内駅)間の延伸開通に伴い、開業[4][5]。一般駅[1]。
- 1924年(大正13年)3月3日 - 北海道鉱業鉄道が社名を北海道鉄道(2代目)に改称し、それに伴い同鉄道の駅となる[5]。
- 1929年(昭和4年)- 鵡川の木材流送が穂別の土場までとなる[6]。
- 1931年(昭和6年)7月 - 王子製紙が陸揚網場を字中島付近に設け、穂別 - 富内間から分岐する引き込み線を敷設して原木輸送を行う協定を結ぶ[7](敷設時期不明。作業距離は全国専用線一覧昭和25年版および同32年版で 2.3km。)。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 北海道鉄道が戦時買収により国有化され、路線名を富内線に改称、それに伴い同線の駅となる[5]。
- 1948年(昭和23年) - 穂別炭鉱からの貨物(石炭)取り扱い開始。1956年に約5,000t/月の規模となるものの、1965年閉山。
- 1982年(昭和57年)10月1日 - 貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 富内線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2][5]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(日高町方面に向かって左手側)に存在した[8]。そのほかホームを有さない副本線を1線、本線日高町方の構内端部分から分岐し副本線中間部分に合流する側線、副本線鵡川方から分岐し日高町方に延びる行き止まりの側線、本線日高町方のホーム手前から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を各1線有していた[8]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置し、ホーム中央部分に接していた[8]。
駅名の由来
[編集]当駅が所在した地名より。地名は、アイヌ語の「ポン・ペッ」(pon-pet 小さな川)に由来するという説がある。門別や登別といった地名と同じく、アイヌ語の「ペッ」(pet 川)が含まれている。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は369人[8]。
- 1926年(大正15年)の主要貨物取扱量は、木材が約156,000石、木炭が約229,000俵[9]。(木材は一石0.2783m3、ミズナラの比重0.67で換算して約29,000t、木炭は1俵15kg換算で約3,400t)
駅周辺
[編集]- 北海道道74号穂別鵡川線
- 北海道道131号平取穂別線
- むかわ町役場穂別総合支所(旧・穂別町役場)
- とまこまい広域農業協同組合(JAとまこまい広域)穂別支所
- 穂別郵便局
- 苫小牧信用金庫穂別代理店
- 鵡川[10]
- 穂別川[10]
- 道南バス穂別営業所
駅跡
[編集]1999年(平成11年)時点では広い公園となっており、鉄道官舎が建っていた場所には芝生が植えられていた[11]。2011年(平成23年)時点でも同様で、線路跡は散策路に転用されており、公園名は「ふれあい公園」であった[12]。
また、1999年(平成11年)時点では駅跡の富内方に「37 1/2」のキロポストが残存していた[11]。2011年(平成23年)時点では駅跡の豊田方の線路跡に積まれた枕木が残存しており、近くの線路跡には枕木を再利用した柵も残存していた[12]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』 1923年11月20日 鉄道省彙報「地方鉄道運輸開始」(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 1 北海道、新潮社、2008年、30頁。ISBN 978-4-10-790019-7。
- ^ 北海道山林史 北海道編纂発行 1953年発行、P950
- ^ 王子製紙社史 第4巻 昭和34年発行 P204。網場および引込み線の状況は 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス USA-M1147-39 で確認することができる。北海道山林史 昭和28年発行によると、元々似湾(栄)付近の留網場まで散流で流し、そこから筏を組んで鵡川で揚げていたが、流域が農地開拓されて流送による堤防決壊による住民とのトラブルも増え、また灌漑用水取水用の堰堤が作られるなど流路障害も増えたため、当所の陸揚網場から鉄道を利用する事になった。
- ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)107ページより。
- ^ 『穂別町史』325頁 1968年刊 穂別町役場
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)11ページより。
- ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)65ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)85-87ページより。