日産・マーチ K10
日産・マーチ(初代) K10型 | |
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1982年発売型(欧州仕様) | |
5ドアハッチバック FC 1985年2月発売型(日本仕様) | |
概要 | |
販売期間 | 1982年10月 ‐ 1992年1月 |
設計統括 | 伊藤修令 |
デザイン | イタルデザイン・ジウジアーロ |
ボディ | |
ボディタイプ | 3ドア/5ドアハッチバック |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | |
変速機 |
5速MT / 4速MT 3速AT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,785mm |
全幅 | 1,560mm |
全高 | 1,395mm |
車両重量 | 635kg |
その他 | |
データモデル | 1983年型「3ドア G」 |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 63万6899台[1] |
マーチ K10は、日産自動車が1981年(昭和53年)から1992年(平成3年)まで製造していたコンパクトカークラスのハッチバック型乗用車である。
概要
[編集]1981年10月に開催された第24回東京モーターショーに「NX-018」の名で参考出品。長期に渡るプレキャンペーンが展開され、一般公募により「マーチ」と命名された後、1982年10月に発売された。
イメージタレントには近藤真彦が起用され、キャッチコピーは「マッチのマーチ」「スーパーアイドル」(いずれも前期型)だった。
開発
[編集]開発は東京都杉並区桃井にあった旧プリンス自動車工業の荻窪事業所で行われ、同所で開発された最後の車種となった[注釈 1]。開発主管は旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が務めた。基本デザインは世界的に著名なデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロが行い、生産に向けて社内でデザイン調整が行われた[2]。
日産の新型車生産の歴史において特筆すべきこととして、新工場の建設を行い、その村山第3工場=月産能力2万台(当時)の車体・塗装・組立の各生産工程に当時の世界水準を越える216台の産業用ロボットを導入したこと、また自社系列外への発注を行ったこと、新規取引先を拡大したことが挙げられる。これらの努力によりコストの低減と高品質の確保に成功、従来車と比較してより低い価格を実現した。
後年、伊藤は設計・実験・購買など全ての部署を協力させた石原俊の力は凄かったと述懐している[3]。
ラインアップ
[編集]当初搭載されたエンジンはMA10S 987cc電子キャブレターECC仕様(E-K10)。グレードもE(基本性能に徹し、ビジネスユースに特化したモデル)・L(基本的車種でファミリー若者向実用車)・S(トリップメーターを標準装備し、機能、内装の充実を図ったモデル)・G(スポーティーなインテリアを採用し、4MT/3AT仕様のほか、更に5MT仕様が設定された最上級モデル)の3ドアハッチバック車4種類だけだったが、後にグレードの拡充が図られ、キャンバストップ車や5ドアハッチバック車、MA10ET 987 cc水冷ターボECCSエンジンを搭載した「ターボ」、MA09ERT930cc空冷式インタークーラー、ダブル過給機付きECCSエンジンを搭載し、ビスカスLSD標準装備のモータースポーツに対応したR、そのグランドツーリング版のスーパーターボなどの車種も登場した[注釈 2]。
主な派生車種は、パイクカーの「Be-1」(BK10型、MA10Sエンジン搭載)・「パオ」(PK10型、MA10Sエンジン搭載)・「フィガロ」(FK10型、MA10ETエンジン搭載)や、レーシングフォーミュラーカーの「ザウルスジュニア」(NSJ-91型、MA10Eエンジン搭載)などが挙げられる。パイクカーの人気は高く、特にBe-1は中古車市場にリセールしたほうが本体購入価格より倍近い値段がつくということで「財テクカー」と呼ばれた。
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1985年型
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マイクラ(カナダ仕様。対米輸出は無い)
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1985年型マイクラ 後面
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1990年型欧州仕様マイクラバン
車種構成
[編集]1982年新発売(3ドアHBのみ設定)
- E (4MT):Easy drive、車の基本性能に徹した車
- L (4/5MT/3AT):Luxury、マーチの基本的な車種でファミリー・若者向け実用車
- S (4MT/3AT):Sufficient、機能、内装の充実を図り実用性に富んだラグジュアリーカー
- G (4/5MT/3AT):Grand、スポーティームードの最上級車でマーチのイメージリーダーカー
1983年4月
- COLLET (4MT/3AT)追加:ファッショナブルスタイルと豪華装備、ラグジュアリーな3ドアHB
1983年9月
- 5ドアHB追加:FC (4MT/3AT)、FT (4/5MT/3AT)
- 3ドアG-1 (5MT)追加:Gをベースにタコメーターを追加装備したスポーティーな3ドアHB
1984年2月
- 5ドアFV(5MT/3AT)追加:タコメーターや手動(機械)式集中リモコンドアロックなどを標準装備した豪華仕様の5ドアHB
1985年2月マイナーチェンジ(中期型)
- 3ドアHB:E、L、G、COLLET、G-1、ターボ
- Eは旧専用グリルのまま
- G-1はターボと同形状のリアスポイラー付
- 3ドアHBの「ターボ」を追加
- 5ドアHB:FC、FT、FV
1986年9月
- 「パンプス」追加
1987年8月マイナーチェンジ
- 3ドアHB:E、L、G、パンプス、コレット、キャンバストップ、ターボ
- 3ドアキャンバストップを新規追加
- 3ドアG-1仕様は廃止
- 5ドアHB:FC、FT、FV
1988年1月
- 3ドアi.z発売
1989年1月マイナーチェンジ(後期型)
- 3ドアHB:E/i.Z (4MT/3AT)、パンプス/COLLET/ターボ/スーパーターボ (5MT/3AT)、R(5MT、モータースポーツ専用車両)
- 5ドアHB:i.Z (4MT/3AT)、FT/FV(5MT/3AT)
- 3ドア「スーパーターボ」と5ドアi.Z追加。
1991年1月
- 3/5ドア「i.z-f」追加
限定車
[編集]- アニバーサリーバージョン(マーチ50スペシャル)
- 1983年6月発売。すべて3ドアで車種記号は9K10GL9(4MT)、K10FL9(5MT)、K10AL9(トルコン付)。
- ターボ・ホワイトセレクト仕様
- 1986年4月発売。車種記号は04ZK10FTEH1、04ZK10FTEH1R、04ZK10FTEH1W、 04ZK10ATEH1、04ZK10ATEH1R、04ZK10ATEH1Wの6型式。
- ハッチバック3ドアL
- 1987年10月発売。関東地区向け限定車。MA10。車種記号 03ZK10BiP(4MT)/03ZK10ABiP(AT)
- ハッチバック5ドアディノスバージョン
- 1988年4月発売。車種記号 K10LP2 MA10 AT 5HB・FC・AT
- ハッチバック5ドア1 秋田県限定モデル(トルコン付)
- 1988年8月発売。車種記号 04ZK10LAi P MA10 AT 5HB・FC・AT
マーチR
[編集]日産・マーチR | |
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概要 | |
販売期間 | 1988年8月 - 1991年12月 |
ボディ | |
乗車定員 | 2/5名 |
パワートレイン | |
エンジン | MA09ERT 930cc 直列4気筒 SOHC |
変速機 | 5MT |
サスペンション | |
前 | ストラット式独立懸架 |
後 | 4リンクコイル式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
車両重量 | 740kg |
Rは、初代マーチの競技車両ベース向けのグレードである。3ドアハッチバックのみの設定であった。
主に全日本ラリー選手権で活躍した。スーパーチャージャーとターボチャージャーのツインチャージャー複合過給機システム、ダブルチャージエンジンシステムを日本初搭載し、車両装備によってタイプ1から3までバリエーションが存在した。専用で超クロースレシオの5速MTを装備していた。ビスカスカップリングLSDを標準装備。リアのみ、サスペンションに専用外径(22 mm)スタビライザーを装備。
事後交換を前提としている為に、シート(5ドア車と同型)・タイヤ・ホイールは基本車両となったK10型マーチのベースグレードの安価なパーツが装備されている。内装もセミトリムと簡素である。また、補機類装着スペースの関係から、パワーステアリングが省略されている。
ノーマル車を除いてタイプ1から3までは、乗車定員が2人であった。型式はE-EK10FR。
ラリーパーツ
- ニスモ製ロールバー(ノーマル車を除く)
- ニスモ製大型フォグランプ(ノーマル車を除く)
- ニスモ製マッドガード(フロント・センター・リヤ)(タイプ1・タイプ2に標準装備)
- ニスモ製専用ステアリングホイール(タイプ1・タイプ2に標準装備)
- ニスモ製革巻きシフトノブ(タイプ1、タイプ2に標準装備)
- ニスモ製フルハーネスシートベルト(タイプ1に標準装備)
- 専用トリコロール大型カラーリング(タイプ1に標準装備。注、それ以外は車体色が♯531白、バンパーは黒)
- オイルクーラー(ノーマル車はオプション装備、タイプ1, 2まで標準装備)
- オーテックジャパンオプション(注、オイルクーラー装着の場合、エアコン装着不可)
※「ニスモ製品」はオーテックジャパンにて装備した。
なお、競技専用車両のため、メーカー保証の内容が異なっており、車両登録は無改造のノーマル車を除いて、当時の改造申請に基づき車両の持ち込みで手続きを行う必要があった。
マーチターボ
[編集]日産・マーチターボ | |
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概要 | |
販売期間 | 1985年2月 - 1991年12月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 3ドアハッチバック |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | MA10ET 987cc 直列4気筒 SOHC |
最高出力 |
76PS/6,000rpm (ネット値) |
最大トルク |
10.8kgm/4,400rpm (ネット値) |
変速機 |
5MT(フロア) 3AT(ニッサンマチック・フロア) |
サスペンション | |
前 |
独立懸架ストラット式 (ネガティブスクラブサス) |
後 | スタビライザー付4リンクコイル式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300 mm |
全長 |
1型:3,730 mm 2型:3,735 mm |
全幅 |
1型:1,570 mm 2型:1,560 mm |
全高 |
1型:1,385 mm 2型:1,390 mm |
車両重量 |
1型: 710 kg(5MT) 730 kg(3AT) 2型: 720 kg(5MT) 740 kg(3AT) |
その他 | |
バッテリー容量 | 12-30 V-Ah |
使用燃料・ タンク容量 | 無鉛レギュラー・40 L |
概要
[編集]1985年2月、K10型マーチのマイナーチェンジで「ターボ」を追加。3ドアハッチバックのみの設定で、MA10ET型987 ccターボエンジンを搭載した。K10型は1991年12月に販売終了したが、1992年1月登場の2代目マーチ(K11型)以降の後継車にはターボは設定されていない。駆動系はワンランク上のパルサー用を流用したと伊藤は発言している。[3]
略歴
- 1985年2月 マイナーチェンジで3ドアハッチバック「ターボ」追加。
- 1987年8月 マイナーチェンジ。新車種キャンバストップ仕様車の登場にともない「ターボ」の内装や機構など一部変更とパワーステアリング装着車の拡大(メーカーオプション)。
- 1989年1月 マイナーチェンジでK10マーチシリーズ後期型へ。
- 1991年2月 同型エンジン搭載のパイクカー第3弾、フィガロ発売。
- 1991年中期頃 販売終了。
初期型
[編集]1985年2月登場。車種記号はK10GFTI (5速MT)、K10GATI (3速AT)。
登場時ふたつの日本初、1000 cc4気筒ターボ、日本初、1000 ccターボ オートマチックと謳われ、キャッチコピーは、"遊iNgターボ"、"I am"、"街の太陽"などがあり、当時のイメージタレント近藤真彦が生き生きと前面に押し出され、ムードを盛り上げていた。
他グレードの燃料供給装置が電子制御キャブレター (ECC)に対して、今まで上級車のみの採用であったマイコン制御による、エンジン集中制御システム(ECCS エックス)の採用、新開発の小型ターボチャージャーにより、最高出力85 ps、最大トルク12.0 kg・mを出した(ノンターボ型は57 ps, 8.0 kg・m)。新設計のUターン型ロングインテークホールドや、4連サイアミーズシリンダーブロックの採用により、低速トルク向上を図り、ダッシュ力を高めている。この出力に合わせて、足回りもファインチューニング、タイヤホイールもサイズアップ、マフラーのデュアルエキゾースト化。外装も専用エアロパーツや、フロントバンパー下に専用丸形ハロゲンフォグランプが採用されていた。
内装も専用メーターフードの採用により、合体ロボ感覚のコクピットを演出していた。向かって左に燃料計、右に水温計を配し、独立シェルに覆われ、メインメーターも、タコメーターがアナログ式、スピードメーターがオレンジのデジタル式としたハイブリッドメーターを採用。専用デザインのステアリング中央には、エンジンの性能曲線グラフを配している。シートも、ハイバックのバケットタイプを採用、ブラックを基調とし、明るめなオレンジのアクセントと新デザインのTURBOの文字を織り込んでいる。
主要装備
[編集]- 大型ハロゲンヘッドランプ
- 丸形ハロゲンフォグランプ
- 電動リモコン式ドアミラー
- ハイブリッドメーターパネル(液晶デジタル式スピードメーター/アナログ式タコメーター)
- ブースト計
- 小径三本スポークステアリング
- フットレスト
- ガングリップシフトノブ (5MT)
- バケットシート
- ターボ専用デザインフロントグリル
- エアロスポーツバンパー
- サイドマッドガード(サイドステップ)
- リアスポイラー
- デュアルエキゾーストパイプ
- フルホイールカバー
- 前輪ベンチレーテッドディスクブレーキ
- リアスタビライザー
- 165/70HR12スチールラジアルタイア
オプション
[編集]- ガラスサンルーフ
- 175/60R13 76Hスチールラジアルタイア&13インチアルミロードホイール(タービンイメージと8ビートの音符をデザインしたZ1タイプのシルバー切削仕上げ、とフィンタイプ、シャンペンゴールドとホワイトカラー2種はメーカーオプション)。
- AMラジオ
- AM/FMマルチラジオ付カセットステレオ
ボディカラー/内装色
[編集]- ♯002ホワイト/ブラック
- ♯013レッド/ブラック
- ♯826ブラックメタリック/ブラック
- ♯137ダークブルー&ホワイト/ブラック(特別塗装色、上面ダークブルー、下面ホワイトのツートーン)
- ターボ専用アクセントストライプ(※外板色がモノトーンの場合とツートーンの場合で、色、形状が異なる)
- シートはシンカーパイル・平織。
主要諸元
[編集]寸法
- 室内寸法 長×幅×高 [mm]: 1715 ×1305×1145
- トレッド前/後 [mm]: 1350/1330
- 最低地上高 [mm]: 150
性能
- 登坂能力 (tan)θ: 0.62
- 最小回転半径 (mm): 4.7
- 燃料消費率 : 10モード(運輸省審査値)km/L(5MT/3AT)、18.8/15.8、60 km/h 定置走行 km/l(5MT/3AT)、30.2/25.6
諸装置
- クラッチ形式: (MT)乾燥単版ダイアフラム、(AT)トルクコンバーター
- ステアリングギア方式: ラック&ピニオン
- 主ブレーキ(前/後): ベンチレーテッドディスク式(セミメタルブレーキパッド)/リーディングトレーリング式
- 駐車ブレーキ: 機械式後2輪制動
- タイヤ(前/後): 165/70HR12
ターボ1型「マイナー」
[編集]1987年8月、マイナーチェンジ。
ターボの変更点
[編集]- 新形状デザインのステアリングホイールの採用、シートパターン及び表皮材の変更。
- パワーステアリング装着車の設定(ラインオプション)。
- MA10ETエンジン搭載車はパワステ追加に伴い、アイドル回転数補正補助の変更と空燃比の最適制御により、EGR装置を廃止。
- ターボのボディはドア下端にターボストライブを採用、またバックドア上端にターボストライプと同デザインのターボロゴステッカーを装着。
- ターボ車フルカラー仕様をオプション設定。ドアミラー、サイドマッドガード、ホイールカバー、リヤスポイラー、リアライセンスランプ、及びフルバンパーのフルカラー化を行い、グレードアップ感アップ、イメージアップを図った。
- 内装は平織り/トリコットから新規に平織りに変更。
ボディカラー/内装色
[編集]- ♯531クリスタルホワイト
- ♯532ブラックメタリック
- ♯BG1グレーイッシュグレーメタリック
- ♯5G4ブラックメタリック/シルバーメタリックツートーン
- 内装色はブラックを基調とした。
後期型
[編集]1989年1月マイナーチェンジ。車種記号はK10GFTP(5速MT)、K10GATP(3速AT)。
エンジンはMA10ET、排気量987cc、出力76ps(NET/ネット値)。
概要
[編集]1989年1月、K10型マーチのマイナーチェンジ。大まかにはフロントグリルの意匠形状変更、前/後バンパーの形状変更を行った。ターボは、前期型のような派手さは影を潜め、外見上、スーパーターボと同じ、リアスポイラー、デュアルマフラーが付くに留まり、専用チッピングガードの採用、ボディサイドのウレタンモールを廃したのみ、ともすれば、ノーマルグレードとあまり変わらない外見になった。
内装は、K10型マーチのトップガンであるスーパーターボと同じシート、ステアリング、メーターパネル、ドア内張りとなり、スーパーターボ/Rに設定の時計、電圧計、ブースト計の中央別置き三連メーターが取り去られる形になっている。エンジンは、コンパクトで高性能なMA10ET、従来のMA10Sをベースに水冷式ターボチャージャーを装着。燃料装置や点火時期、空燃費などをマイコンでコントロールするECCS(エンジン電子集中制御システム)を採用。燃料噴射システムも各シリンダーが吸入行程に入るのに合わせて順次噴射するシーケンシャルインジェクションを採用し、パワーと経済性を両立させている。
主な標準装備
[編集]- 電動リモコンドアミラー
- AM/FM電子チューナーラジオ一体式カセットデッキ(ドルビー付き)
- 本革巻き3本スポークステアリング
- パワーステアリング
- フロントローバックバケットシート
- マッドガード(フロント・リア)
- リアスタビライザー
- 165/70R12 77Hラジアルタイヤ
ボディカラー
[編集]- #531クリスタルホワイト
- #549シルバーメタリック
- #532ブラックメタリック
- #TH9トワイライトブルー
内装
[編集]- トリコット(シート表皮メイン部)
オプション
[編集]- ガラスサンルーフ(メーカーオプション)
- サイドシルプロテクター(メーカーオプション)
- 電動リモコンキャンバストップ(ワンタッチ機構付き)(メーカーオプション)
- 175/60R13 76Hラジアルタイヤ(アルミとセット)
- 13インチアルミロードホイール(シルバー切削仕上げ/ホワイト)
主要諸元
[編集]寸法
- 室内寸法、長×幅×高 [mm]: 1715×1305×1145
- トレッド前/後 [mm]: 1350/1335
- 最低地上高 [mm]: 150
性能
- 最小回転半径[m]: 4.7
- 燃料消費率 : (10モード運輸省審査値) [km/L]: (5MT)18.0(3AT)14.2、
- 60km/h定地走行(運輸省届出値) [km/L]: (5MT)28.4(3AT)24.1)
諸装置
- ステアリングギヤ形式、ラック&ピニオン式
- 主ブレーキ(前/後)、ベンチレーテッドディスク式/リーディングトレーリング式
- タイヤ(前/後)、165/70R12
マーチスーパーターボ
[編集]日産・マーチスーパーターボ | |
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概要 | |
販売期間 | 1989年1月 - 1991年12月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 3ドアハッチバック |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | MA09ERT 930cc 直列4気筒 SOHC |
変速機 | 3AT (GAR) /5MT (GFR) |
サスペンション | |
前 | 独立懸架ストラット |
後 | 4リンクコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,735mm |
全幅 | 1,590mm |
全高 | 1,395mm |
車両重量 | 770kg |
1989年1月発売。K10型マーチに設定されていたホットハッチグレードのひとつである。型式はE-EK10型で車種記号は5MTがEK10GFR、3ATがEK10GARである。
1988年8月に発売された競技専用車の「R」をベースに、1989年1月に発売開始された一般向けモデル。3ドアハッチバックのみ設定。型式はE-EK10。国際モータースポーツ規約の過給係数(1.7倍)、または国内競技の過給係数(1.4倍)を掛けた際に1,600ccクラス内へ収まるよう、ベースとなった自然吸気モデルのMA10S型エンジン (987cc) に比べて排気量をダウンさせ、930ccとなっている。
「R」と同じMA09ERT型エンジンを搭載し、最高出力110ps/6400rpm、最大トルク13.3 kgf·m/s (4800rpm)を発生するエンジンは、量産車には珍しくターボチャージャーとスーパーチャージャーの2種類の過給機を搭載し、日産は「ダブルチャージ」と呼称していた。これにより低回転域ではスーパーチャージャーによる瞬発力を、高回転域では余裕のある最高出力を得ることに成功しているが、一方で両機器を積んだことでフロントヘビーの原因ともなっている。機構が複雑であるため、故障の際に修理費が高くつくなどの理由により、販売面では成功したとは言えなかった。そのため次期モデルには設定されず1代限りで廃止となった。
5MT車にはビスカスカップリングLSDを標準で搭載するほか、MA10SではECC (EGR) 、電子制御キャブレターによる気化器が採用されていたが、スーパーターボでは全電子化されたEGI(ECCS)制御のインジェクター仕様であった。また、補機類装着スペースの関係から、パワーステアリングが省略されている。
デザインと装備
[編集]外観は従来のスポーティイメージのエアロ感覚ではなく、ラリー車の持つコンパクトで力強い新しいスポーティさを表現している。専用フードバルジ、専用フロントグリル、専用大型樹脂バンパー、サイドマッドガード(サイドシルプロテクター)、ルーフスポイラー、フルホイールカバーが特徴的である。
本皮巻き3本スポークステアリング、別置三連メーター(SC作動検知LED付き、ブースト計、電圧計、時計)、回転計付きメーターパネル、フロントローバックバケットシート、F/RスタビライザーΦ26/Φ18、デュアルエキゾーストパイプ、フットレストがスーパーターボ装備アイテムである。
メインオプション
[編集]- ガラスサンルーフ (メーカーオプション)、
- 13インチアルミロードホイール (シルバー切削・ホワイト)
ボディカラー
[編集]- #532ブラックメタリック
- #531クリスタルホワイト
- #TH9トワイライトブルー
- #FH1アクティブグリーン
- 内装はブラックを基調として内側をシルバーグレー調とした。
特記
[編集]- ヘッドランプは60/55wのイエローバルブ標準装備
- リフレクター可動式フォグランプ(55w)は無色バルブ装備
- 1989年のマーチスーパーターボCM曲はケニー・ロギンスの「デンジャー・ゾーン」(CMでは別アーティストのカバー版を使用)。
年表
[編集]- 1978年初頭
- 日産自動車、リッターカーの開発に着手。
- 1979年
- リッターカー開発プロジェクト「KX計画」を日産自動車の石原俊社長(当時)直轄化の元でスタート。
- 1981年10月30日 - 11月10日
- 第24回東京モーターショー(東京都中央区晴海)でFF1000CC乗用車、「NX.018」参考出品。
- 1981年10月29日 - 1982年1月15日
- 車名の募集キャンペーンを実施、全国からの応募数は、565万通に及んだ。
- 1982年3月13日
- 午後4時に東京都中央区銀座にある日産自動車本社にて、K10型マーチの新車発表記者会見が行われた。この模様は日本テレビ系列(NNN)にて放送された特別番組「輝け!新車争奪スーパークイズ」(司会:関口宏、ロイ・ジェームス)においてテレビで生中継(生放送)され、「小さなボディーに大きな可能性を秘めた車」「国際販売戦略車種」との発言があった。
- 1982年10月
- K10型マーチ発売。
- 1983年4月
- 3ドアハッチバック「G-COLLET」仕様車追加(4MT/3AT車)。
- 1983年7月
- 日産50周年記念限定車、50スペシャルII を限定2000台で販売。特別装備として、フロントグリルに50周年記念エンブレム、50周年記念専用デザインキー、ドアミラー(電動リモコン式)、ブロンズガラスシールド、専用ボディカラー、アクセント・ピンストライプ、155SR12サイズのラジアルタイヤなどを採用。
- 1983年9月
- 5ドアハッチバック新設定、「FT」・「FC」仕様追加(4MT車にはFT・FC、5MT車にはFT、3AT車にはFT・FCが用意された)、3ドアハッチバック車「G-1」仕様新設定(元となった「G」をベースにタコメーターが追加装備されたほか後部がチルト、なおかつ脱着可能な2ウエイ式ガラスサンルーフを設定。※5MT車)。
- 1983年10月
- 第25回東京モーターショーにCMで使用したマーチスーパーシルエット(Gr.5)レース仕様を出品。車両はイメージタレントの近藤真彦の為に製作された。なおエンジンはチューンナップされたE15型(1500cc・最高出力160ps)に換装。競技には使用されず、プロモーション(PR)モデルであった[4]。
- 1984年
- 日産伝統の入門レースカテゴリー、K10型マーチでのワンメークレース「マーチカップ」開催。
- 1984年2月
- タコメーター、および手動(機械)式集中リモコンドアロックを標準装備した5ドアハッチバック車の最上級車種、「FV」仕様車追加(4MT車/5MT車/3AT車)。
- 1985年2月
- マイナーチェンジ。車体の一部変更。「ターボ」MA10ETエンジン搭載車を追加 (5MT/3AT)。コレットの4MT車にスロープストッパーを採用、MT車でも登坂路の坂道発進を容易にする補助装置として、従来のブレーキシステムにプレッシャーホールドバルブを追加設定。MA10Sでは三元触媒に統一。3ドアハッチバック車ではコレット仕様パワーステアリング車を新設定し、S仕様の4MT車・G仕様5MT車・S仕様3AT車が廃止され、5ドアハッチバック車では、FV仕様4MT車・FT仕様5MT車が廃止された。
- 1986年3月
- 特別限定車「ターボ・ホワイトセレクト」仕様車発売。
- 全国限定1500台。特別装備としてボディをホワイトで統一、ブロンズカラーガラスシールド、W・Sマーク入りボディステッカー、W・Sマーク入り3本スポークステアリング、フロントバケットシート、専用フルクロス布地(グレーカラー斜めストライプ)、などを装備。
- 1986年9月
- PUMPS!(パンプス)仕様車の追加。特徴として、メインシート表地の着替え選択が可能。メインシートカラーはシャーベットトーンの7色で、前/後席ワンセット分と着替え用の前席分が標準装備で、しかもセパレートタイプ、別売でシート表皮の購入が可能、色の組み合わせは無限大に近く、ファスナー固定の上、洗濯可能である。
- シートカラーバリエーションは、ハーバーブルー、クレープイエロー、ポーラブルー、シェルピンク、コスモグリーン、パンプキンイエロー、ピーコックブルーがあった。
- 1986年
- 全日本ラリー選手権Aクラスに参戦しドライバーズチャンピオンを獲得。
- 1987年
- WRC第4戦、第35回サファリラリーにてNRS(ニッサンラリーサービス)がマーチターボ三台体制で参戦。
- 1987年
- 草の根モータースポーツ振興のためのワンメイクレース「マーチ・リトルダイナマイトカップ」が始まった。車は参戦者へレンタルマシンで提供される。NISMO製作で、エンジンは全回転域での過給コントロールのため、低域をスーパーチャージャーに、高域をターボチャージャーに受け持たせた画期的な仕様で、排気量987ccにして110psを発生。これを開発ベースとし、後にMA09ERTエンジン(930cc)のマーチRやマーチスーパーターボが市販されるようになった[5]。
- 1987年1月
- パイクカー第一弾「Be-1」BK10型、MA10Sエンジン搭載車発売。ただし、キャンバストップは3月発売。
- 1987年6月26日
- 同月29日にかけて、WRC第7戦オリンパスラリー(アメリカ)にてマーチターボ中村善治/村瀬晴信組で参戦。16位完走。
- 1987年8月
- 「キャンバストップ」仕様車の追加。G-1仕様車の廃止。全車に、パワーステアリングをメーカーオプションで拡大設定(L仕様5MT車を除く)。車体色に新色を大量に採用、内装はトリム・シート生地の変更(ターボ仕様車を含む)。MA10ETエンジンは、空燃費比最適制御によりEGR装置を廃止。
- 1987年
- 全日本ラリー選手権Aクラスに参戦しドライバーズチャンピオンを獲得。
- 1988年1月
- 3ドアハッチバック車最廉価グレード「E」をベースにマニュアルエアコンとエンジン回転数感応油圧式パワーステアリングを特別装備した特別仕様車「i.Z」(アイ・ズィー)発売。
- パイクカー第2弾、3ドア2ボックス「パオ」PK10型、MA10Sエンジン4MT/3AT搭載車発売。
- 1988年4月
- 特別仕様車「ディノス バージョン」発売。
- 1988年7月
- 5ドアハッチバック車最廉価グレード「FC」をベースにマニュアルエアコンとエンジン回転数感応油圧式パワーステアリングを特別装備した特別仕様車「5ドアi.Z」を一部地域にて試験発売。
- 1988年8月
- モータースポーツ活動の対応車種、「R」MA09ERT(930cc)ダブルチャージエンジン搭載、5MT仕様車限定発売。主に国内ラリーで活躍。マーチRのデザインは後期型デザインではなく中期型デザインを生産終了まで継続。
- 1988年
- WRC第36回サファリラリーでマーチターボ、JH.ヘイズ/A.Levian組が総合10位A3クラス優勝。
- 1989年
- WRC第2戦、モンテカルロラリーでマーチターボ参戦、ドライバーはP.エクルンド
- WRC第4戦、サファリラリーでマーチターボ、L.モーガン/L.マローテ組が女性コンビながら、総合12位、クラス優勝。
- WRC第13戦、RACラリーでマーチターボ、P.エクルンド/D.ウィトッグ組で参戦、総合21位、クラス3位。
- WRC第6戦、アクロポリスラリー、マーチスーパーターボ、P.エクルンド/B.セデルベルグ組が総合10位、クラス優勝。
- MA09ERT搭載のEK10FR型マーチRが全日本ラリー選手権シリーズ優勝(Bクラス: 1001 cc 以上 1600 cc 未満クラス)。
- WRC第7戦、ラリー・オブ・ニュージーランドでマーチスーパーターボ、P.デビット/W.ジョーンズ組、グループ.N、総合3位、クラス2位獲得。
- 1989年1月
- 2度目のマイナーチェンジ。これに伴い、一部地域にて試験販売されていた5ドアハッチバック車「i.Z」仕様がカタロググレードに昇格。「スーパーターボ」(E-EK10型)5MT/3AT発売。L型5速専用エンジンの廃止。車体の一部変更。コレット・パンプス仕様車にスロープストッパーを標準採用。メーカーオプションとして脱着式ガラスサンルーフの設定をパンプス・コレット・ターボ・スーパーターボに、電動キャンバストップの設定をパンプス・コレット・ターボに、デュアルエキゾーストパイプをRに加え、ターボ・スーパーターボにそれぞれ採用。「L」・「G」・「キャンバストップ」・「FC」仕様車の廃止。
- 1990年1月
- i.Z仕様車・ターボ仕様車一部変更。
- 1991年
- MA10Eエンジン搭載、レーシングフォーミラー車「ザウルスジュニア」登場。ザウルスJrカップ発足。
- 1991年1月
- 3/5ドアハッチバック車「i.z-f」仕様車発売。
- 1991年2月
- パイクカー第3弾、2ドアオープントップ「フィガロ」FK10型、MA10ETエンジン(987cc)3AT搭載車発売。
- 1991年12月[6]
- 生産終了。以後は在庫対応分の販売のみとなる。
- 1992年1月
- フルモデルチェンジで3/5ドアK11型マーチへ移行によりK10型販売終了。
1993年8月 WRC第9戦、1000湖ラリー(フィンランド)、日本から唯一のプライベート参戦となった伊藤 博/加藤 禎司 組がマーチスーパーターボ(Aクラス、№100)にて最後尾ながら総合61位で完走を果たしている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 自動車の開発拠点としては、1981年11月に神奈川県厚木市に落成した大型研究開発施設「テクニカルセンター」に集約された。ただし、日産はプリンスが中島飛行機時代から荻窪で行っていたロケット開発を引き継いで宇宙航空事業に参入しており、1998年に宇宙航空事業部が群馬県へ移転するまで荻窪事業所は存在していた(その後、宇宙航空事業部は2000年に石川島播磨重工業へ部門ごと売却され、現在のIHIエアロスペースとなる)。
- ^ 日本国外ではMA12S 1235ccエンジンを搭載した車種や、Micra super(マイクラスーパー)などの独自車両も存在した。
出展
[編集]- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第65号13ページより。
- ^ 歴史の中のイノベーション - N-Link(日産自動車)
- ^ a b 『我が人生GTRと共に下巻』交通タイムス社。
- ^ “マーチ スーパーシルエット”. 日産自動車. 2024年3月26日閲覧。
- ^ “マーチ スーパーターボ リトルダイナマイトカップ仕様”. 日産自動車. 2024年3月26日閲覧。
- ^ “マーチ(日産)1982年10月~1991年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。