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ジョルジェット・ジウジアーロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョルジェット・ジウジアーロ
2016年に行われたデザインヨーロッパ表彰式でのジウジアーロ
生誕 Giorgetto Giugiaro
(1938-08-07) 1938年8月7日(86歳)
イタリアの旗 イタリア クーネオ
国籍 イタリアの旗 イタリア
著名な実績 工業デザイン
受賞 カー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー1999年
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アルファロメオ・ジュリアクーペ・スプリントGT
BMW・3200CS
ASA1000GT
イソ グリフォ
ビッザリーニ5300GTストラーダ
いすゞ 117クーペ
デ・トマソ・マングスタ
マセラティ ギブリ
イソ・リヴォルタ・フィディア
スズキ・キャリイ(4代目L40系)
フォルクスワーゲン ゴルフ
マセラティ・ボーラ
アルファロメオ アルフェッタGT
ロータス エスプリ
BMW・M1
ランチア・デルタ
フィアット パンダ
デロリアン DMC12
いすゞ・ピアッツァ
レクサスGS(初代)
スバル・アルシオーネSVX
マセラティ_3200_GT
アルファロメオ 159
アルファロメオ・ブレラ

ジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro, [ʤorˈʤetto ʤuˈʤaro], 1938年8月7日 - )は、イタリアを代表する工業デザイナーで、イタルデザインの創設者である。

俗に「折り紙細工」と言われる直線とエッジの利いたデザインで特に1970年代に一世を風靡した。1999年にはカー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー賞を受賞し、2002年にはアメリカ・ミシガン州ディアボーンの自動車殿堂 (Automotive Hall of Fame) に列せられた。

日本では「ジウジアーロ」の表記が最も一般的だが、「ジュジャーロ」のほうがイタリア語の発音に近い。

子にファブリツィオ・ジウジアーロラウラ・ジウジアーロがいる。

略歴

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ピエモンテ州クーネオガレッシオ村生まれ。画家を志して美術高校に在学していたが、たまたま描いたフィアット・500のイラストがその設計者ダンテ・ジアコーサに高く評価され、高校を中退して1955年・17歳でフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に入社した。1959年、イタリアのカロッツェリアベルトーネの総帥ヌッチオ・ベルトーネにスカウトされ、ベルトーネのチーフスタイリストに転進した。当時のベルトーネは先代のチーフ、フランコ・スカリオーネが去った直後で、後継者を緊急に必要としていた。

彼のデザインした最初の生産車は英国のGTカー・ゴードンGTで、1960年のジュネーヴ・モーターショーでデビュー、好評で迎えられた(生産開始は1963年)。その後も数々の優れたデザインの市販車、プロトタイプを次々に発表し、ベルトーネに黄金時代をもたらした。

1965年にはベルトーネを辞し(後任はマルチェロ・ガンディーニ)、カロッツェリア・ギアのチーフ・デザイナーとなった。同社在籍中にいすゞ・117クーペのデザインを手がけた。1968年、30歳の時に日本人の企業家である宮川秀之、名人級の板金技術者であるアルド・マントヴァーニと共同で自らの会社、イタルデザインを設立した。

1981年には自動車分野以外の製品をデザインするジウジアーロ・デザインを設立、日本光学工業(現ニコン)製一眼レフカメラのデザイン(近年[いつ?]ではコンセプトデザインが主)を、1980年発売のニコンF3から手がけているほか、岡村製作所のデスクチェア「コンテッサ」「バロン」「レオパード」、さらにパスタやキーボード、日本酒猪口徳利のデザインをしたこともある。また、ダイワ精工(現グローブライド)のスキーブーツや釣り用リール、太陽誘電コンパクトカセット「That's」、フジテレビの番組『FNN NEWSCOM』の番組セットなどもデザインした。

代表作

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自動車・オートバイ

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ベルトーネ時代 (1960年–1965年)

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ギア時代(1966年–1968年)

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イタルデザイン設立後 (1969年–)

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アウディAztec(イタルデザイン)

鉄道車両

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その他

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脚注

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外部リンク

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