コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

広尾町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひろおちょう ウィキデータを編集
広尾町

広尾町旗

広尾町章
1950年昭和25年)制定 1950年昭和25年)制定
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道十勝総合振興局
広尾郡
市町村コード 01642-0
法人番号 2000020016420 ウィキデータを編集
面積 596.48km2
総人口 5,902[編集]
住民基本台帳人口、2024年10月31日)
人口密度 9.89人/km2
隣接自治体 広尾郡大樹町浦河郡浦河町様似郡様似町幌泉郡えりも町
町の木 オンコ
町の花 つつじ
他のシンボル 町の鳥 : カモメ
マスコット : さーたちゃんとツリーくん
開町記念日 : 9月20日
広尾町役場
町長 田中靖章
所在地 089-2692
北海道広尾郡広尾町西4条7丁目1
北緯42度17分09秒 東経143度18分42秒 / 北緯42.28589度 東経143.31164度 / 42.28589; 143.31164座標: 北緯42度17分09秒 東経143度18分42秒 / 北緯42.28589度 東経143.31164度 / 42.28589; 143.31164
外部リンク 公式ウェブサイト

広尾町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
広尾町市街地
広尾町中心部周辺の空中写真。1977年撮影の8枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
楽古岳より俯瞰する札楽古川のV字谷と十勝港

広尾町(ひろおちょう)は、北海道十勝総合振興局南部にある

町名の由来

[編集]

「広尾」の地名は当初十勝会所が設けられた現市街地付近の崖下の岬付近の名称で、当初は「びろお」と呼ばれたが後年「尾篭(びろう)」と聞こえるのを嫌って「ひろお」となったとされている[1]

アイヌ語に由来するが以下の諸説がある[1][2]

アイヌ語 意味 由来
カタカナ表記アコㇿイタㇰ ラテン翻字
ピロㇿ pir-or 蔭・のところ 山蔭にあるため。江戸後期のアイヌ語通詞、上原熊次郎による説で、それ以前に秦檍麻呂が同説を書き、松浦武四郎も一説として紹介している。
ピオㇿ pi-or 石・のところ 小石が多いため。松浦武四郎『東蝦夷日誌』に書かれた説。
ピルイペッ pirui-pet 砥石・川 永田方正による説。広尾川河口に近い北岸にある青みを帯びた石崖のことではないかとされている。
ピラオㇿ pira-or 崖・のところ 『北海道 駅名の起源』では1950年(昭和25年)版以降、同説を支持。1973年(昭和48年)では「ここを境に北方は砂浜であり、南方はどこまでもがけつづきである[2]」と紹介。

地理

[編集]

十勝総合振興局の最南端に位置する。 西部は日高山脈に由来する山岳地帯日高山脈襟裳十勝国立公園に属しており、東部は太平洋に接する。 地震の多いところである。

  • 山: 野塚岳(1353 m)、楽古岳(1472 m)、十勝岳(1457m)、広尾岳(1231 m)
  • 河川: 豊似川、野塚川、楽古川、広尾川
  • 湖沼:

隣接している自治体

[編集]

人口

[編集]
茂寄村の戸数、人口
広尾町と全国の年齢別人口分布(2005年) 広尾町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 広尾町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
広尾町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,436人
1975年(昭和50年) 11,399人
1980年(昭和55年) 11,512人
1985年(昭和60年) 11,285人
1990年(平成2年) 10,346人
1995年(平成7年) 9,593人
2000年(平成12年) 8,975人
2005年(平成17年) 8,325人
2010年(平成22年) 7,884人
2015年(平成27年) 7,030人
2020年(令和2年) 6,387人
総務省統計局 国勢調査より


消滅集落

[編集]

2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[4]

  • 広尾町 - 字ポロブレペツ、旧上豊似地区、字ラッコベツ、字ラッコ、字上豊似、十勝港(重要港湾)、字ルベシベツ、字広尾、字ヲソウシ、字茂寄幹線

気候

[編集]
広尾特別地域気象観測所(標高32m、広尾町並木通東)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 10.1
(50.2)
15.7
(60.3)
17.9
(64.2)
26.8
(80.2)
35.8
(96.4)
33.3
(91.9)
34.8
(94.6)
35.1
(95.2)
33.7
(92.7)
28.1
(82.6)
22.4
(72.3)
16.3
(61.3)
35.8
(96.4)
平均最高気温 °C°F −0.3
(31.5)
0.0
(32)
4.0
(39.2)
9.9
(49.8)
14.6
(58.3)
16.5
(61.7)
20.1
(68.2)
22.1
(71.8)
20.3
(68.5)
15.5
(59.9)
9.4
(48.9)
2.6
(36.7)
11.2
(52.2)
日平均気温 °C°F −4.2
(24.4)
−3.9
(25)
0.1
(32.2)
5.2
(41.4)
9.8
(49.6)
12.7
(54.9)
16.6
(61.9)
18.6
(65.5)
16.6
(61.9)
11.3
(52.3)
5.2
(41.4)
−1.3
(29.7)
7.2
(45)
平均最低気温 °C°F −9.2
(15.4)
−9.1
(15.6)
−4.4
(24.1)
0.9
(33.6)
5.8
(42.4)
9.8
(49.6)
14.1
(57.4)
15.9
(60.6)
13.1
(55.6)
6.8
(44.2)
0.6
(33.1)
−5.8
(21.6)
3.2
(37.8)
最低気温記録 °C°F −21.2
(−6.2)
−22.1
(−7.8)
−20.2
(−4.4)
−11.6
(11.1)
−2.6
(27.3)
1.0
(33.8)
4.0
(39.2)
8.4
(47.1)
1.6
(34.9)
−4.1
(24.6)
−11.6
(11.1)
−17.2
(1)
−22.1
(−7.8)
降水量 mm (inch) 71.6
(2.819)
59.9
(2.358)
95.1
(3.744)
111.3
(4.382)
162.4
(6.394)
149.2
(5.874)
166.2
(6.543)
217.7
(8.571)
262.6
(10.339)
194.2
(7.646)
127.7
(5.028)
91.4
(3.598)
1,709.2
(67.291)
降雪量 cm (inch) 83
(32.7)
70
(27.6)
63
(24.8)
16
(6.3)
1
(0.4)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
5
(2)
60
(23.6)
297
(116.9)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 9.6 9.8 11.6 11.1 11.9 10.5 12.9 13.3 12.8 11.9 12.2 10.5 138.2
平均降雪日数 17.4 18.1 18.9 8.9 0.9 0.0 0.0 0.0 0.0 0.6 6.8 16.6 88.6
湿度 64 65 66 70 77 87 89 88 82 74 65 63 74
平均月間日照時間 166.1 162.3 186.1 181.8 173.1 126.7 108.3 113.9 134.5 164.5 149.2 149.4 1,815.8
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1958年-現在)[5][6]

歴史

[編集]

茂寄村

[編集]

広尾は昔時「東、奥蝦夷」と称した地で、東南広尾川に沿える旧土人が住んだ一集落である[3]。当初松前藩士・蠣崎蔵人の給地であった[3]。幕吏・小林卯十郎が海に沿って東行釧路に達する新道を開くに及び、始めて陸路交通の便を得る[3]寛政の頃から十勝国全部をトカチ場所と称し、会所を広尾に置いて支配人に納税や宿泊等の取扱いをなさしめた[7]

安政6年、仙台藩の領となり、目付、代官、勘定方等が人夫を伴い来て丸山の麓に陣屋を構え、農家、大工木挽等を移住させ、穀菜等の試作をなさしめる[7]。同年9月鹿児島藩領となり、同年転じて田安、一橋両侯家に分属され、田安家ビホロ川以北モンベツ川の間を領し、役宅を茂寄に、一橋家はビホロ川以南よりビタタヌンケまでを領し、役宅を音調津に設けた[3]。1871年、田安、一橋両家の支配を罷めた[3]

年表

[編集]
  • 縄文時代より栄える。装飾、石器などが発見されている。
  • 1630年寛永6年) - 十勝神社の戸賀知明神社の創建。
  • 1630年(寛永10年) - 近藤重蔵が広尾郡の西隅にあたるビタタヌンケとルベシベツの間にルベシベツ山道を開削する。
  • 1636年(寛永12年) - アイボシマ付近の採金がはじまる。
  • 1822年文政4年) - 再び松前藩領へ。
  • 1859年安政6年) - トカチ陣屋が作られる。
  • 1871年明治4年) - 浦河郡役所広尾出張所を置く[3]
  • 1875年(明治8年)1月 - 茂寄郵便局を設ける[3]。2月戸長役場を置き、広尾、当縁二郡を管轄する[3]
  • 1887年(明治20年) - 釧路郡役所の管轄となる[3]
  • 1897年(明治30年) - 河西支庁の管轄となり、戸長役場の管轄区域を改め、当縁郡を割き、管轄を広尾全郡とし、茂寄村役場となる[3]
  • 1899年(明治32年)4月 - 釧路裁判所茂寄出張所を置く[3]
  • 1906年(明治39年) - 広尾郡茂寄村(もより)、当縁郡(とうぶい)大樹村歴舟村(べるふね)、当縁村の一部が合併、二級町村制、広尾郡茂寄村
  • 1926年大正15年) - 広尾村に改称。
  • 1928年昭和3年) - 広尾郡大樹村(現大樹町)が分村。
  • 1946年(昭和21年) - 町制施行、広尾町
  • 1984年(昭和59年) - ノルウェーオスロ市からサンタランドの認定を受ける。

行政

[編集]

歴代首長

[編集]

[8]

氏名 就任 退任 備考
茂寄村長・広尾村長・広尾町長(官選)
田中好平 1906年(明治39年)4月1日 1908年(明治41年)11月4日
2 浅山敬三郎 1908年(明治41年)11月5日 1911年(明治44年)3月31日
3 天野剛 1911年(明治44年)4月1日 1916年(大正5年)8月23日
4 高山広司 1916年(大正5年)8月24日 1920年(大正9年)2月23日
5 山田力之助 1920年(大正9年)2月24日 1922年(大正11年)9月27日
6 熊倉兼次 1922年(大正11年)9月28日 1924年(大正13年)10月31日
7 坪谷寛吾 1924年(大正13年)12月18日 1927年(昭和2年)12月15日
8 鶴岡七郎 1927年(昭和2年)12月19日 1930年(昭和5年)4月19日
9 橋本粂之助 1930年(昭和5年)4月20日 1932年(昭和7年)4月24日
10 小崎栄吉 1932年(昭和7年)4月25日 1936年(昭和11年)9月19日
11 小池清治 1936年(昭和11年)9月26日 1941年(昭和16年)5月14日
12 高橋武松 1941年(昭和16年)5月15日 1944年(昭和19年)5月15日
13 佐藤伸昭 1944年(昭和19年)5月16日 1946年(昭和21年)1月7日
14 高橋武松 1946年(昭和21年)4月12日 1946年(昭和21年)11月8日
広尾町長(公選)
15 元野元吉 1947年(昭和22年)4月6日 1953年(昭和28年)12月30日 2期
16 真岩栄松 1954年(昭和29年)2月1日 1966年(昭和41年)3月15日 4期
17 本間次郎 1966年(昭和41年)4月23日 1970年(昭和45年)4月22日 1期
18 村上琢夫 1970年(昭和45年)4月23日 1976年(昭和51年)6月9日 2期
19 泉耕治 1976年(昭和51年)6月10日 2000年(平成12年)6月9日 6期
20 大野進 2000年(平成12年)6月10日 2008年(平成20年)4月29日 2期
21 村瀨優 2008年(平成20年)4月30日 現職 3期

経済

[編集]

基幹産業は漁業、農業(畑作)、酪農。十勝港(国の重要港湾)がある。

農業

[編集]

『大日本篤農家名鑑』によれば、茂寄村の篤農家は、「田中好平、中村就三、松本四郎、鈴木久太郎、鹽田辰之助、高木藤作、鹽崎政一郎、堀重松、岩浅伊三郎、榮元蔵、丹羽鍬治郎、長澤七次郎」などである[9]

立地企業

[編集]

組合

[編集]
  • 広尾町農業協同組合(JAひろお)
  • 広尾漁業協同組合
  • 広尾町森林組合
  • 北海道農業共済組合(NOSAI北海道)十勝南部支所広尾分室
  • 南十勝生コンクリート協同組合
  • 広尾水産物仲買人協同組合

金融機関

[編集]

郵便局

[編集]
  • 広尾郵便局(集配局)
  • 豊似郵便局
  • 十勝野塚郵便局
  • 音調津郵便局
  • 広尾本通簡易郵便局

その他の企業・店

[編集]
  • 岡嶋水産
  • 工藤水産
  • 山本水産
  • 鏑木水産
  • 中村商店

公的機関

[編集]

行政機関

[編集]

警察

[編集]

消防

[編集]

報道機関

[編集]

姉妹都市・提携都市

[編集]

教育

[編集]

閉校された学校

  • 音調津小学校 2007/03
  • 音調津中学校 2007/03
  • 野塚中学校 2007/03
  • 広尾第二小学校 2011/03(広尾と広尾第二を統合。旧広尾第二小の校舎を広尾小として継続使用。)
  • 野塚小学校 2015/03
  • 豊似中学校 2017/03

交通

[編集]

空港

[編集]

港湾

[編集]
1996年から定期航路として近海郵船のフェリーが上り便のみ寄航していたが、1999年(平成11年)11月に廃止されている。

鉄道

[編集]

かつては広尾線が通っていたが、1987年(昭和62年)2月2日に廃止されている。町内には豊似駅野塚駅新生駅広尾駅が設置されていた。

道路

[編集]
天馬の橋

バス

[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]

文化財

[編集]

道指定有形文化財

[編集]
  • 東蝦新道記 - 十勝神社蔵、非公開
  • 円空作観音像 - 禅林寺蔵、非公開

町の文化財

[編集]
  • 円空仏「厨子」、広尾学校扁額、トカチ陣屋の井戸枠、十勝神社の石灯籠など有形文化財13件
  • 仙台藩トカチ陣屋跡
  • 杉の樹林地 - 十勝神社

観光

[編集]

祭り

[編集]
  • つつじ祭り(6月第1日曜日)
  • 十勝港海上花火大会(8月第1土曜日)
  • ふるさと夏まつり(8月14日
  • サンタランドイルミネーション点灯式(10月最終土曜日)
  • サンタの街イルミネーションコンテスト(11月第2土曜日~12月25日)
  • 海鮮山鮮まんぷくまつり(12月第2日曜日)

出身有名人

[編集]

政治・経済

[編集]
  • 中川一郎(政治家) - 衆議院議員。農林水産大臣等を歴任。中川文蔵の息子。
  • 中川義雄(政治家) - 元参議院議員、中川一郎の弟。
  • 喜多龍一(政治家) - 北海道議会元議長。
  • 中川新太郎(中川時計店代表)[12]
  • 鈴木千代秀(時計、貴金属、蓄音機小売・秀榮堂代表)[12]

学術

[編集]

スポーツ

[編集]

その他

[編集]

ゆかりのある人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、331頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  2. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、143頁。ASIN B000J9RBUY 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『十勝宝盟鑑』77-81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月5日閲覧。
  4. ^ 総務省統計局統計調査部国勢統計課平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級),男女別人口,総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》』(CSV)(レポート)総務省、2017年1月27日https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files/data?fileid=000007841019&rcount=12017年5月20日閲覧 ※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。
  5. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
  6. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
  7. ^ a b 『北海道の口碑伝説』150 - 151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月4日閲覧。
  8. ^ 2019 町勢要覧資料編” (PDF). 広尾町 (2019年). 2019年7月3日閲覧。
  9. ^ 『大日本篤農家名鑑』531頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月5日閲覧。
  10. ^ 会社案内”. 十勝バス. 2018年6月11日閲覧。
  11. ^ 各営業所、案内所”. 十勝バス. 2018年6月11日閲覧。
  12. ^ a b 『全国業界名鑑興信録 後篇』606頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月9日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 日本貴金属時計新聞社編輯局編『全国業界名鑑興信録 後篇』日本貴金属時計新聞社、1925年。
  • 千枝与右衛門編『十勝宝盟鑑』十勝三興社、1925年。
  • 北海道庁編『北海道の口碑伝説』日本教育出版社、1940年。

外部リンク

[編集]