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岸野牧夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岸野牧夫
きしの まきお
生年月日 1882年1月1日
出生地 日本の旗 日本 徳島県三好郡芝生村
(現徳島県三好市)
没年月日 (1962-04-01) 1962年4月1日(80歳没)
所属政党 (無所属→)
緑風会

選挙区 徳島県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1947年5月3日 - 1947年7月2日

徳島県の旗 第32・33代 徳島県会議長
在任期間 1937年12月2日 - 1939年9月30日
1939年10月23日 - 1943年11月26日

徳島県の旗 第32代 徳島県会副議長
在任期間 1935年10月25日 - 1937年12月2日

徳島県の旗 徳島県会議員
在任期間 1923年 - 1947年

三好郡会議員
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岸野 牧夫(きしの まきお、1882年明治15年)1月1日[1]1962年昭和37年)4月21日[1][2])は、大正から昭和期の政治家参議院議員、徳島県会議長。

経歴

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徳島県[2]三好郡芝生村(三野村、三野町芝生[1]を経て現三好市)で、岸野藤三郎の長男として生まれる[1][3]。県立中学校を卒業した[2]一年志願兵として入隊し陸軍中尉に昇進し、のちに帝国在郷軍人会三好郡聯合分会長を務めた[1]

三好郡会議員を経て[1]、1923年(大正12年)徳島県会議員に選出され24年間在任し、この間、参事会員、副議長を務め[4]、1937年(昭和12年)[注 1]県会議長[4][2]に就任した[1]。この間、大政翼賛会徳島県支部顧問などを務めた[3]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙徳島県地方区から出馬して当選し(補欠、任期3年)[1][2][5]緑風会に所属したが[2]公職追放となり[6]任期途中の同年7月2日に辞職し[7]、参議院議員に1期在任した[2]

その他、徳島県物価協議会議長、徳島県森林組合会長などを務めた[2]

脚註

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注釈

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  1. ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』徳島2頁では昭和14年9月。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『阿波人物志』77頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』294頁。
  3. ^ a b 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』徳島2頁。
  4. ^ a b 構成、議員名簿、歴代議長・副議長名簿、会派名簿”. 徳島県. 2021年6月5日閲覧。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』508頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、254頁。公職追放の該当事項は「翼賛政治体制協議会構成員」。
  7. ^ 『官報』第6142号、昭和22年7月7日。

参考文献

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  • 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 藤井喬『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。