山代町 (石川県)
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(山代村から転送)
やましろまち 山代町 | |
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廃止日 | 1958年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 山代町、大聖寺町、橋立町、片山津町、動橋町、南郷村、三谷村、三木村、塩屋村 → 加賀市 |
現在の自治体 | 加賀市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 江沼郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
10,182人 (1955年) |
隣接自治体 | 石川県:小松市、江沼郡動橋町、片山津町、南郷村、山中町 |
山代町役場 | |
所在地 | 石川県江沼郡山代町大字山代 |
座標 | 北緯36度17分30秒 東経136度21分33秒 / 北緯36.29158度 東経136.35922度座標: 北緯36度17分30秒 東経136度21分33秒 / 北緯36.29158度 東経136.35922度 |
ウィキプロジェクト |
山代町(やましろまち)は、かつて石川県江沼郡に存在した町。現在の加賀市中央部に相当する。山代温泉で知られた。
地理
[編集]北側の江沼平野と南側の江沼丘陵の境界付近に位置する。かつては北陸鉄道加南線の路線が本町内に展開し、粟津温泉、動橋駅、山中温泉などと連絡していた。現在では、合併前の本町域をもって「山代地域」と称されている(旧・南郷村(南郷地区)の黒瀬町、保賀町、中代町を含む)。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、江沼郡山代村、桂谷村及び尾俣村の区域をもって、江沼郡山代村が発足する。
- 1911年(明治44年)3月5日 - 山代軌道(のち温泉電軌→北陸鉄道動橋線)の山代駅 - 動橋駅間が開業。
- 1913年(大正2年)3月10日 - 山代村が町制施行して、山代町となる。
- 1914年 - 温泉電軌(後の北陸鉄道連絡線)の河南駅 - 山代東口駅 - 粟津温泉間駅が開業。
- 1937年(昭和12年)5月12日 - 町役場付近の寺が放火され中心部へ延焼。町役場や民家122戸などが焼失[1]。
- 1942年(昭和17年)5月5日 - 庄村を編入する。
- 1948年(昭和23年)7月7日 - 山代町議会が住民投票でリコールされるが、町側は提訴し解散は凍結され任期満了に至る。全国で初めて地方議会のリコール成立。
- 1955年(昭和30年)1月20日 - 山代町、勅使村及び東谷口村が合併して、改めて山代町が発足する。
- 1958年(昭和33年)1月1日 - 大聖寺町、山代町、橋立町、片山津町、動橋町、南郷村、三谷村、三木村及び塩屋村が合併して、加賀市が発足する。大字山代は山代温泉に名称を変更する、他の25大字は加賀市の町名に継承。
経済
[編集]教育
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交通
[編集]鉄道
[編集]娯楽
[編集]- 山代映画劇場 - 映画館[4]。
脚注
[編集]- ^ 嫉妬の放火、山代町で百二十戸焼く『東京日日新聞』(昭和13年3月4日夕刊)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p6 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 魯山人寓居跡 いろは草庵 山代温泉
- ^ a b c [1]
- ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年