富士田明彦
富士田 明彦(ふじた あきひこ、1991年11月8日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。七段。高林拓二七段門下。北海道帯広市出身。
略歴
[編集]囲碁愛好家の父の影響を受け、小学3年の頃囲碁を覚え、その後碁会所で実力をつける[1]。同じ北海道出身で1学年上の鈴木伸二、同学年の伊藤優詩とは数々の試合で対戦している。特に伊藤とは親交があり、師匠高林を伊藤に紹介した。
2002年、帯広市立啓北小学校5年時に第23回少年少女囲碁大会全国大会に出場するも、3回戦で敗れる[2]。
2003年、同6年時第24回少年少女囲碁大会全国大会に出場。後にプロとなる金沢真・伊田篤史を下すも優勝者に敗れ8位[3]。また、第7回全日本こども囲碁大会では決勝戦で安達利昌に敗れ準優勝。
2004年、中学1年で高林の弟子となるため、9月に千葉県鎌ケ谷市に転居。同時に日本棋院院生となる。
2005年の冬季棋士採用試験では8勝9敗の9位で入段ならず(入段者は関達也・堀本満成)[4]。
2006年、対象期間3ヶ月の院生序列1位となり、夏季棋士採用で入段を果たす[5]。
2010年、第66期本因坊戦の最終予選に進出[6]も山城宏に敗れ、初のリーグ入りは逃す。
2012年、第37期新人王戦3番勝負に進む。金沢真に1局目に勝ち、初タイトルまであと1勝に迫るも2連敗で届かず。
2013年、昨年あと一歩で逃した新人王戦で、余正麒に決勝戦で2連勝し、初タイトルを得る。第8回若鯉戦でも優勝決定戦に進出するが、一力遼に敗れ、準優勝。5月27日から10月3日にかけては18連勝を記録し、年間では32勝8敗(勝率.8000、日本棋院棋士第3位)の成績を残した[7]。これらの活躍により、第47回棋道賞連勝賞・新人賞受賞[7]。
2018年、第13回若鯉戦では決勝戦で小池芳弘三段を下し優勝、自身2つ目のタイトルを獲得した[8]。2018年は41勝8敗(勝率.8367)の成績を残し、第52回棋道賞勝率第1位賞を受賞[9]。
2020年第45期棋聖戦ではBリーグに在籍。
2022年の第78期本因坊戦最終予選で伊田篤史九段を破り初のリーグ入り。棋聖戦Bリーグ1組1位通過。プレーオフでは同じ北海道出身の鈴木伸二七段に敗れる。第48期名人戦でも最終予選で河野臨を破り初のリーグ入り。
昇段
[編集]- 2006年9月1日 初段
- 2009年1月1日 二段(賞金ランキング)[10]
- 2011年7月1日 三段(勝星規定)[11]
- 2013年11月8日 四段(勝星規定)
- 2016年 五段
- 2017年1月1日 六段(賞金ランキング)[12]
- 2019年1月1日 七段(賞金ランキング)[13]
棋歴
[編集]獲得タイトル
[編集]良績等
[編集]受賞歴
[編集]- 棋道賞連勝賞(2013年)
- 棋道賞新人賞(2013年)
- 棋道賞勝率第1位賞(2018年)
外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ 十勝毎日新聞 2006年6月26日[リンク切れ]
- ^ “第23回少年少女囲碁大会 全国大会”. 日本棋院. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “第24回少年少女囲碁大会 全国大会”. 日本棋院. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “平成18年度冬季棋士採用試験本戦”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “平成19年度新入段者”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年11月23日閲覧。
- ^ 日本棋院 棋戦情報 2010年4月6日
- ^ a b 『月刊碁ワールド2014年4月号』日本棋院、48-51頁。
- ^ “第13回 広島アルミ杯・若鯉戦”. 日本棋院. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “第52回棋道賞が決定”. 日本棋院 (2019年2月6日). 2019年11月24日閲覧。
- ^ 日本棋院 棋士新着情報 2010年2月2日
- ^ 日本棋院 棋士新着情報 2011年7月1日
- ^ “2016年賞金ランキングによる昇段者”. 日本棋院. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “2018年賞金ランキング昇段が決定”. 日本棋院. 2019年11月23日閲覧。