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大邦一公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおくに いっこう
大邦 一公
本名 重浦 晃(しげうら あきら)
別名義 大国 一郎(おおくに いちろう)
大国 一朗
大国 一公 (おおくに いっこう)
大国 保(おおくに たもつ)
生年月日 (1900-01-01) 1900年1月1日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 高知県
職業 俳優
ジャンル 新派劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1920年前後 - 1967年
配偶者
著名な家族 黒田記代 (義妹)
主な作品
ちょっと出ました三角野郎
受賞
「映画の日」永年勤続功労章(1963年)
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大邦 一公(おおくに いっこう、1900年1月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]。本名重浦 晃(しげうら あきら)、旧芸名大国 一郎(おおくに いちろう、大国 一朗とも)、大国 一公(おおくに いっこう)、大国 保(おおくに たもつ)[1][2][3][6][11]東宝の映画データベースは「大邦 一公」の読みを「おおくに かずきみ」としている[9]

人物・来歴

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1900年明治33年)1月1日高知県に生まれる[1][2][6]

1920年代の初期から「大国 一郎」の芸名を名乗り、神奈川県横浜市山下町31番地(現在の同市中区元町1丁目77番地)で1920年(大正9年)4月に設立設立された大正活映(1922年製作中止)で映画に出演したり、地方巡業を行う劇団で実演をしていた[1][2]。『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)および『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)によれば、1926年(大正15年)、京都府京都市右京区御室マキノ・プロダクションに入社、『鳴門秘帖』(監督沼田紅緑)に出演とされているが[1][2]日本映画データベースによれば、同年から翌1927年(昭和2年)にかけての時期は、当時、同プロダクションと密接な提携関係にあり、「マキノ東京派」と呼ばれた高松豊次郎が主宰するタカマツ・アズマプロダクションの製作するサイレント映画にもっぱら出演している[3]。マキノ・プロダクション御室作品への出演が本格的に始まるのは、同年3月31日に公開されたマキノ正博監督の『謎の一夜』以降である[3]。1928年(昭和3年)3月14日に公開された牧野省三監督による大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』には、「吉良の家来・和久牛太郎」役と「狂人・荒物屋千五郎」役の二役で出演している[3]。同作は、マキノ正博が所長を務めたマキノ・プロダクション名古屋撮影所松の廊下等のセットが組まれており、同じく同撮影所が製作、同年4月3日に公開された富沢進郎監督の『旋風児』にも出演した[3]。同年秋には、東京府荏原郡蒲田町(現在の東京都大田区蒲田5丁目)にあった松竹蒲田撮影所に移籍した[1][2][3]。同社では、現代劇喜劇映画に多く助演した[3]

1934年(昭和9年)、日活が同年に北多摩郡調布町大字布田小島分(現在の東京都調布市多摩川6-1-1、角川大映撮影所)の日本映画撮影所を買収して開いた日活多摩川撮影所に移籍している[1][3]。同社で初めてトーキー作品に出演した[3]。その後、関西新派女形梅野井秀男の一座に招かれ、梅野井のお吉に大国がタウンゼント・ハリスを演じた『唐人お吉』の演目で、満州国(現在の中華人民共和国東北部)や日本統治時代の朝鮮を巡業する旅に出た時期があった[1]。1938年(昭和13年)には、京都の日活京都撮影所に移籍、「大国 一公」と改名した[1][3]。1942年(昭和17年)1月27日の戦時統合による大映の設立以降も継続入社、日活京都撮影所改め大映京都第一撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に所属して、脇役出演を続けた[1][3]

第二次世界大戦終結後は、当初、東京の東宝(現在の東宝スタジオ)に出演したが、やがて東宝争議により新東宝での出演が増え、1952年(昭和27年)には「大邦 一公」と改名した[1][3]。1953年(昭和28年)秋からは拠点を京都に移し、大映京都撮影所、松竹京都撮影所東映京都撮影所を渡り歩き、おもに時代劇の悪役を演じた[1][3]。この時期、テレビ映画にも出演している[10]。1964年(昭和39年)以降は、拠点を東京に移し、フリーランス的に仕事をした[3]。満67歳となった1967年(昭和42年)7月11日に公開された成人映画快楽の罠』に出演しているが、これは戦後の京都時代につきあいのあった深田金之助が製作・監督した作品であり、本作以降の出演記録は見当たらない[3][4][6]没年不詳。時期は不明であるが、女優の黒田記代(本名富田千代、1915年北海道札幌市生まれ)[12]の実姉と結婚した[1]

フィルモグラフィ

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すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[11][13]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

マキノ・プロダクション御室撮影所

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特筆以外すべて製作は「マキノ・プロダクション御室撮影所」、すべて配給は「マキノ・プロダクション」、特筆以外すべてサイレント映画、すべて「大国一郎」名義である[3][4]

松竹蒲田撮影所

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学生ロマンス 若き日』(1929年)で「ムジナ」と呼ばれるヒゲの教授(中央)を演じた。満29歳。

特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画、特筆以外すべて「大国一郎」名義である[3][4]

日活多摩川撮影所

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特筆以外すべて製作は「日活多摩川撮影所」、すべて配給は「日活」、特筆以外すべてトーキー、すべて「大国一郎」名義である[3][4][8]

日活京都撮影所

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特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」、すべて配給は「京都」、すべてトーキー、「大国一公」名義である[3][4][8]

  • 赤垣源蔵』(戦後改題『忠臣蔵 赤垣源蔵 討入り前夜』) : 監督池田富保、1938年11月17日公開(戦後版1954年11月30日公開) - 戸田源兵衛
  • 荒獅子』 : 監督松田定次、1938年12月15日公開 - 千塚小太郎
  • 魔像』(『大岡政談 魔像』[8]) : 監督稲垣浩、1938年12月31日公開 - 光明寺大成

大映京都第一撮影所

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特筆以外すべて製作は「大映京都第一撮影所」、すべて配給は「映画配給社」、以下すべてトーキー、「大国一公」名義である[3][4]

東宝

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特筆以外すべて製作・配給は「東宝」、芸名が途中で「大国一公」から「大邦一公」名義に変更された[3][4][6][9]

大国一公 名義
大邦一公 名義

大映京都撮影所

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山椒大夫』(1954年)のポスター。
新・平家物語』(1955年)のポスター。

特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、すべて配給は「大映」、すべて「大邦一公」名義である[3][4]

東映京都撮影所

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特筆以外すべて製作は「東映京都撮影所」、すべて配給は「東映」、すべて「大邦一公」名義である[3][4]

  • りんどう鴉』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年1月15日公開 - 浜田十太夫
  • 旗本退屈男 謎の紅蓮塔』 : 監督松田定次、1957年1月15日公開 - 平川鉄心斎
  • 鼠小僧忍び込み控 子の刻参上』 : 監督田坂勝彦、製作大映京都撮影所、配給大映、1957年1月29日公開 - 佐久馬源之進(北町奉行筆頭与力)
  • 花まつり男道中』 : 監督小沢茂弘、1957年1月29日公開 - 磯松
  • 大名囃子 前後篇』 : 監督佐々木康、1957年3月13日公開 - 永井三郎兵衛
  • 鳳城の花嫁』 : 監督松田定次、1957年4月2日公開 - 熊野主膳、85分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 折鶴さんど笠』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年5月7日公開 - 強羅市之丞
  • 怪猫夜泣き沼』 : 監督田坂勝彦、製作大映京都撮影所、配給大映、1957年6月18日公開 - 磯早豊前
  • 仇討崇禅寺馬場』 : 監督マキノ雅弘、1957年6月25日公開 - 柳生侯、92分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 赤城の血煙 国定忠治』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年7月1日公開 - 中山誠一郎
  • 緋ぼたん肌』 : 監督萩原遼、1957年7月2日公開 - 阿部豊後守
  • 大菩薩峠』 : 監督内田吐夢、1957年7月13日公開 - 紀州藩士、119分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 雪姫七変化』 : 監督伊賀山正光(伊賀山正徳)、1957年7月23日公開 - 藤川三郎兵衛
  • 伝七捕物帖 銀蛇呪文』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年9月22日公開 - 近江屋惣右衛門
  • 次郎長外伝 石松と追分三五郎』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年10月23日公開 - 黒駒の勝蔵
  • 朝晴れ鷹』 : 監督松村昌治、1957年12月1日公開 - 赤尾伝蔵
  • 赤城の子守唄』 : 監督芦原正、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年12月10日公開 - 清水の岩鉄
  • 伝七捕物帖 髑髏狂女』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年1月9日公開 - 家老山根将監
  • 江戸群盗傳』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年4月1日公開 - 皆次
  • 二等兵物語 死んだら神様の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年4月20日公開 - 小倉大佐
  • 天保水滸伝』 : 監督渡辺邦男、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年5月13日公開 - 清水の次郎長
  • 大岡政談 謎の逢びき』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年7月13日公開 - 三国屋
  • 太閤記』 : 監督大曾根辰夫、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年8月10日公開 - 役名不明、100分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 浮世風呂』 : 監督木村恵吾、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年8月24日公開 - 田辺吉十郎
  • 大東京誕生 大江戸の鐘 風雲篇 開花篇』 : 監督大曾根辰夫、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年9月30日公開 - 竹中丹後守
  • 水戸黄門漫遊記』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年11月11日公開 - 赤松大五郎
  • 大盗小盗』 : 監督酒井欣也、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年11月30日公開 - 庄屋儀右衛門
  • 七人若衆大いに売り出す』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年12月21日公開 - 滝川の吉蔵
  • 忠臣蔵 暁の陣太鼓』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年12月21日公開 - 村上庄左衛門
  • 二等兵物語 あゝ戦友の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年12月28日公開 - 連隊本部連隊長仙波大佐

フリーランス

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m キネマ旬報社[1979], p.97-98.
  2. ^ a b c d e f 大邦一公jlogos.com, エア、2013年2月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 大国一公日本映画データベース、2013年2月7日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 大邦一公大国一郎大国一公、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月7日閲覧。
  5. ^ 大邦一公、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e 大邦一公KINENOTE, 2013年2月7日閲覧。
  7. ^ 大邦一公allcinema, 2013年2月7日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h 大国一公大国一郎日活データベース、2013年2月7日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j 大国一公、映画データベース、東宝、2013年2月7日閲覧。
  10. ^ a b 大邦一公テレビドラマデータベース、2013年2月7日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 大邦一公大国一公大國一公大国一郎東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月7日閲覧。
  12. ^ 黒田記代jlogos.com, エア、2013年2月7日閲覧。
  13. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年2月7日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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