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大原重朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大原 重朝
大原重朝
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 嘉永元年5月21日1848年6月21日
死没 大正7年(1918年12月14日[1]
改名 常丸(幼名)[1]→大原重朝
主君 孝明天皇明治天皇大正天皇
氏族 大原家
父母 父:大原重徳、養父:大原重実
兄弟 重実重朝、重克
先室:土岐寿賀子(土岐頼之の三女)
後室:裏松今子(裏松勲光の長女)
重明秋田重季柳原博光
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大原 重朝(おおはら しげとも)は、幕末公家明治期の官僚政治家貴族院伯爵議員。幼名は常丸。

経歴

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山城国京都で、大原重徳の三男として生まれ、兄・大原重実の養子となる[1][2]万延元年(1860年孝明天皇の児に就任し、文久2年3月1862年)元服して重朝と改名し備後権介に任じられた[3]慶応2年2月1866年)左馬頭に就任[1]。同年8月、朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控を命ぜられた[1]。慶応3年2月1867年)赦免となる[1]

慶応4年4月19日1868年6月9日)参与・弁事に就任[4]。以後、権弁官事、弁官事、神楽御人数などを歴任[4]1874年3月、宮内省九等出仕となる[1][3]1877年9月、養父が死去し、同年10月30日、家督を継承[2]1879年2月、外務省御用掛に就任した[1]

1884年7月8日、子爵を叙爵[5]1888年1月17日、父・重徳の勲功により伯爵に陞爵[6]1890年7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、死去するまで在任した[7]

栄典

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系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『明治維新人名辞典』278頁。
  2. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、321-322頁。
  3. ^ a b 『明治時代史大辞典 第一巻』368頁。
  4. ^ a b 『百官履歴 上巻』192頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『官報』第1363号、明治21年1月18日。
  7. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』24頁。
  8. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  9. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。

参考文献

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  • 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』下巻、新人物往来社、2010年。
  • 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第一巻』吉川弘文館、2011年。
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