大原重朝
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大原重朝 | |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代 |
生誕 | 嘉永元年5月21日(1848年6月21日) |
死没 | 大正7年(1918年)12月14日[1] |
改名 | 常丸(幼名)[1]→大原重朝 |
主君 | 孝明天皇→明治天皇→大正天皇 |
氏族 | 大原家 |
父母 | 父:大原重徳、養父:大原重実 |
兄弟 | 重実、重朝、重克 |
妻 |
先室:土岐寿賀子(土岐頼之の三女) 後室:裏松今子(裏松勲光の長女) |
子 | 重明、秋田重季、柳原博光 |
大原 重朝(おおはら しげとも)は、幕末の公家、明治期の官僚・政治家。貴族院伯爵議員。幼名は常丸。
経歴
[編集]山城国京都で、大原重徳の三男として生まれ、兄・大原重実の養子となる[1][2]。万延元年(1860年)孝明天皇の児に就任し、文久2年3月(1862年)元服して重朝と改名し備後権介に任じられた[3]。慶応2年2月(1866年)左馬頭に就任[1]。同年8月、朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控を命ぜられた[1]。慶応3年2月(1867年)赦免となる[1]。
慶応4年閏4月19日(1868年6月9日)参与・弁事に就任[4]。以後、権弁官事、弁官事、神楽御人数などを歴任[4]。1874年3月、宮内省九等出仕となる[1][3]。1877年9月、養父が死去し、同年10月30日、家督を継承[2]。1879年2月、外務省御用掛に就任した[1]。
1884年7月8日、子爵を叙爵[5]。1888年1月17日、父・重徳の勲功により伯爵に陞爵[6]。1890年7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、死去するまで在任した[7]。
栄典
[編集]系譜
[編集]- 父:大原重徳
- 母:不詳
- 養父:大原重実
- 先妻:寿賀子(土岐頼之三女、のち離縁)[2]
- 後妻:今子(裏松勲光長女)[2]
- 三男:大原重明(貴族院議員)[2]
- 四男:秋田重季(秋田映季養子)[2]
- 五男:柳原博光(柳原義光養子)[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』下巻、新人物往来社、2010年。
- 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第一巻』吉川弘文館、2011年。
日本の爵位 | ||
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先代 陞爵 |
伯爵 大原家初代 1888年 - 1918年 |
次代 大原重明 |
先代 叙爵 |
子爵 大原家初代 1884年 - 1888年 |
次代 陞爵 |