大原重明
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大原重明 おおはら しげあきら | |
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生年月日 | 1883年12月31日 |
出生地 | 日本 東京府(現東京都) |
没年月日 | 1961年2月20日(77歳没) |
出身校 | 東京帝国大学文科大学国文科(現東京大学文学部)卒業 |
前職 | 雅楽家 |
現職 | 雅楽家 |
所属政党 | 研究会 |
親族 | 弟・秋田重季(貴族院議員) |
在任期間 | 1922年5月11日 - 1925年7月9日 |
大原 重明(おおはら しげあきら、1883年(明治16年)12月31日[1][注 1] - 1961年(昭和36年)2月20日[1])は、日本の雅楽家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。
経歴
[編集]東京府で伯爵・大原重朝の三男として生まれる[1]。学習院を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学文科大学国文科を卒業した[2][3]。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月28日、伯爵を襲爵した[1][4]。
郢曲を綾小路有良に、箏・琵琶を豊原喜秋に、篳篥を安倍季節にそれぞれ師事した[2][5]。1909年(明治42年)宮内省歌御会講頌御人数に任じられ、御歌所参候、歌御会始講頌などを務め、1950年(昭和25年)の歌会始まで披講、講頌の役をほぼ毎年担った[2][5]。
1922年(大正11年)5月11日、貴族院伯爵議員補欠選挙に当選し[6][7]、研究会に属して活動し1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した[3]。その他、維新史料編纂会補助員、臨時帝室編修官補、大喪使祭官、皇太后大喪儀祭官副長などを務めた[2][3]。
著作
[編集]- 『歌会の作法』郢曲会、1927年。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本音楽大事典』610頁、『朝日日本歴史人物事典』326頁では、12月3日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 平野健次編『日本音楽大事典』平凡社、1989年。ISBN ISBN 978-4-582-10911-5
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 大原重朝 |
伯爵 大原家第2代 1918年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |