秋田重季
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秋田重季 あきた しげすえ | |
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生年月日 | 1886年10月12日 |
没年月日 | 1958年2月13日(71歳没) |
出身校 | 東京帝国大学工科大学卒業 |
前職 | 鉄道院技師 |
所属政党 | 研究会 |
称号 | 従三位 |
配偶者 | 秋田芳子 |
子女 | 秋田一季 |
親族 |
父・大原重朝(貴族院議員) 養父・秋田映季(貴族院議員) 兄・大原重明(貴族院議員) |
在任期間 | 1919年5月17日 - 1947年5月2日 |
秋田 重季(あきた しげすえ、1886年(明治19年)10月12日[1] - 1958年(昭和33年)2月13日[1][2])は、明治から昭和時代の技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員、秋田家第14代当主。旧名・重光[1]。
生涯
[編集]旧公家出身の伯爵大原重朝の二男[1]であったが、元三春藩主で子爵の秋田映季に嫡男が居なかったため、その娘の芳子と結婚して秋田家を継いだ[1]。養父の死去に伴い1907年(明治40年)3月6日、子爵を襲爵[1][3]。
1910年(明治43年)に東京帝国大学工科大学を卒業[1][2]。同年、逓信省臨時発電水力調査局雇となり、鉄道院技手、同技師などを務める[2]。また、歌会始講頌となる[2]。
1919年(大正8年)5月17日、貴族院子爵議員に選出され[4]、研究会に属し貴族院が廃止された1947年(昭和22年)5月2日まで在任[2]。1946年(昭和21年)には永年在職議員として表彰を受けた[2]。
1958年(昭和33年)に71歳で死去し、妻・芳子との間に生まれた一季が後を継いだ[1]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
先代 秋田映季 |
秋田氏 第14代当主 1907年 - 1958年 |
次代 秋田一季 |
日本の爵位 | ||
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先代 秋田映季 |
子爵 (三春)秋田家第2代 1907年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |