京極高徳
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京極 高徳(きょうごく たかのり、安政5年11月5日(1858年12月9日) - 昭和3年(1928年)5月21日)は明治時代から昭和時代初期の華族。従五位。子爵。
人物
[編集]京極高岑の子で、叔父の讃岐国丸亀藩主京極朗徹の養嗣子となる。幼名は久之助、久次郎。
妻は熊子(山内豊樹の娘)。子に久子、八重子(池田政時妻)、俊次郎、春子(稲田英昌妻)、多幾子(本多忠鋒妻)、高修 、茂子(川口義久妻)、政子(岡崎正雄妻)、高文、富子、定、三崎敦(三崎亀之助養子)、松平譲(松平敏子養子)、豊子(入江為常妻) 。
来歴
[編集]華族学校に学び、青山御所、次いで東宮祗候を務め、明治15年(1882年)に養父が没し家督を継ぐ。明治17年(1884年)7月8日子爵に叙爵。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に就任し[1]、死去するまで在任した[2]。
明治30年(1897年)倶知安村ワッカタサップ番外地(現在の北海道虻田郡京極町)に農場を拓き、のちに町名の由来となった。昭和3年(1928年)71歳で死去。家督は高修が継いだ。
系譜
[編集]- 父:京極高岑
- 兄:京極金三郎
- 妻:熊子(万延元年9月(1860年11月) - 昭和11年(1936年)) -山内豊樹の三女
- 長女:久子(明治11年7月(1878年)- 昭和8年(1933年))
- 次女:寅子(明治17年9月(1884年)- 不明)
- 長男:武治郎(明治19年3月(1886年)- 不明)
- 三女:房子(明治20年5月(1887年)- 不明)
- 四女:春子(明治22年1月(1889年)- 不明)- 稲田英昌の妻。
- 五女:道子(明治23年3月(1890年)- 不明)
- 次男:秀雄(明治24年4月(1891年)- 不明)
- 五男:京極高修(明治24年4月(1891年)- 昭和42年10月(1967年)
- 六男:文彦(明治25年11月(1892年)- 昭和17年(1942年)- 京極高備の養子となり高文に改名。
- 六女:富子(明治27年8月(1894年)- 不明)- 京都の中江龍二の妻。
- 七男:定(明治29年8月(1896年)- 不明)- 東京の篠田美喜代の入夫。
- 男:元吉(明治29年9月(1896年)- 不明)
- 七女:包子(明治31年4月(1898年)- 不明)
- 八男:敦(明治32年8月(1899年)- 不明)- 三崎亀之助の養子。
- 八女:豊子(明治35年11月(1902年) - 昭和64年(1989年 )- 入江為常の妻。
- 庶子の母:中村よし - 東京
- 庶子の母:佐藤ヨシ - 東京
- 庶子:譲(明治32年10月(1899年- 不明)- 松平敏子の養子。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『日本史大辞典』(講談社)
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (丸亀)京極家初代 1884年 - 1928年 |
次代 京極高修 |