京極高修
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京極 高修(きょうごく たかおさ、1891年(明治24年)4月21日[1] - 1967年(昭和42年)10月2日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・秀雄[1]。
経歴
[編集]子爵・京極高徳の五男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1928年(昭和3年)6月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
1922年(大正11年)3月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業した[2][3][5]。
1935年(昭和10年)6月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 京極高徳 |
子爵 (丸亀)京極家第2代 1928年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |