コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

京極高修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京極高修

京極 高修(きょうごく たかおさ、1891年明治24年)4月21日[1] - 1967年昭和42年)10月2日[1][2])は、大正から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。旧名・秀雄[1]

経歴

[編集]

子爵京極高徳の五男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1928年(昭和3年)6月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]

1922年(大正11年)3月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業した[2][3][5]

1935年(昭和10年)6月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]

系譜

[編集]
  • 父:京極高徳(1858 - 1928)
  • 妻:温子(はるこ、徳川昭武四女、1901 - 不明)[1]
    • 長女:秀子(1922-)- 田中穣二の妻
    • 長男:高晴(1923-2002)[1]
      • 長男妻:桃子(1927-2024)- 高木正得の三女
        • 孫:高澄(1949-)
        • 孫:高洋(1952-2012)
    • 次女:寿実子(1926-)- 川越敬の妻
    • 三女:千代子(1929-)- 須見裕の妻
    • 四女:貴子(1935-)- 相羽忠敏の妻

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』514-516頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』41頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』キ89頁。
  4. ^ 『官報』第440号、昭和3年6月16日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正11年 至大正12年』京都帝国大学、1923年、410頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
  7. ^ 『官報』第2542号、昭和10年6月25日。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
京極高徳
子爵
丸亀京極家第2代
1928年 - 1947年
次代
華族制度廃止