佐々木宗氏
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 文永6年(1269年)頃 |
死没 | 元徳元年7月16日[1](1329年8月11日) |
改名 | 宗信(初名)[2]→宗氏→賢観(号)[2] |
別名 | 京極宗氏、通称:三郎[1]、三郎左衛門尉[3]、佐渡判官[3] |
戒名 | 賢観道法光明院[2] |
墓所 | 滋賀県米原市の徳源院 |
官位 | 従五位下[3]、検非違使[3]、左衛門尉[1]、佐渡守[1] |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 久明親王→守邦親王 |
氏族 | 近江源氏佐々木氏(京極氏) |
父母 | 父:佐々木満信 |
兄弟 | 宗氏、黒田宗満[3] |
妻 | 佐々木宗綱娘 |
子 |
池田定信[1][2]、鏡貞氏[1][3]、 高氏(道誉)[1][3]、高屋貞満[2]、 岩山秀信[2]、鞍智時満[2]、経氏[2] |
佐々木 宗氏(ささき むねうじ)は、鎌倉時代後期の武士・御家人。佐々木氏支流京極氏4代当主。京極宗氏とも。
略歴
[編集]鎌倉幕府の有力御家人・佐々木満信の嫡男として誕生した[1][3]。嘉元2年(1304年)に3代当主であった従兄・貞宗が嗣子を残さずに死去したため、跡を継ぐ。元徳元年(1329年)、死去。享年61。
家督は子の高氏が継いだ。
和歌を好み、『続千載和歌集』『新千載和歌集』に入集している。
脚注
[編集]出典
[編集]- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション
- 『寛政重修諸家譜』(四百十九)
史料
[編集]- 『西讃府史』