佐々木貞氏
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 正平10年/文和4年11月19日(1355年12月23日)[1] |
改名 | 貞氏→善観(号)[2][3] |
別名 | 鏡貞氏、京極貞氏、近江入道、通称:三郎左衛門尉[4] |
官位 | 左衛門尉[5][6]、従五位下、近江守[5][4][6] |
氏族 | 近江源氏佐々木氏(京極氏) |
父母 | 父:佐々木宗氏、母:佐々木宗綱娘[6] |
兄弟 |
池田定信[5][6]、貞氏[5][4]、 高氏(道誉)[5][4]、高屋貞満[6]、 岩山秀信[6]、鞍智時満[6]、経氏[6] |
子 |
鏡高治[3]、鏡貞佑[3]、伊吹秀氏、 長岡貞高[3]、松下秀頓[3] |
佐々木 貞氏(ささき さだうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。鏡貞氏とも。
略歴
[編集]京極氏4代当主・佐々木宗氏の子として誕生。鏡氏を名乗る。建武2年(1335年)、出家した[3]。
興国2年/暦応4年(1341年)1月20日、足利直義の命を受け大和国の神官・西阿[7]を攻撃している[8]。正平2年/貞和3年(1347年)、足利尊氏から近江国多賀社の地頭職を賜った[9]。
正平10年/文和4年(1355年)、死去。子の高治、貞佑が鏡氏、秀氏は伊吹氏、貞高は長岡氏・一圓氏を名乗った。
脚注
[編集]出典
[編集]- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション
- 『朽木文書』(10 楓軒文書纂十三 所収)
- 『正閏史料』(二之二)
- 『寛政重修諸家譜』(四百十九)
- 『賢俊僧正日記』