京極高長
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京極高長像(常立寺蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄8年5月1日(1695年6月12日) |
死没 | 明和6年4月3日(1769年5月8日) |
戒名 | 源寥院廓誉常光道仙 |
墓所 | 京都府京丹後市峰山町吉原 安泰山常立寺 |
官位 | 従五位下備後守、主膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治 |
藩 | 丹後峰山藩主 |
氏族 | 内藤家 (信成系)、京極氏 |
父母 | 内藤弌信、京極高之 |
兄弟 |
内藤信盛、中坊秀孝、高長、 内藤信輝養女、内藤信庸ら |
妻 | 京極高之娘 |
子 | 高久 |
京極 高長(きょうごく たかなが)は、江戸時代中期の大名。丹後国峰山藩5代藩主。官位は従五位下備後守、主膳正。
略歴
[編集]元禄8年(1695年)5月1日、陸奥国棚倉藩主(のち越後国村上藩主)内藤弌信の三男(四男との説もある)として棚倉にて誕生。
正徳4年(1714年)、先代藩主・京極高之の婿養子となった。享保8年(1723年)、高之の死去で跡を継ぐ。明和2年(1765年)8月8日、養嗣子の高久に家督を譲って隠居し、明和6年(1769年)4月3日に江戸で死去した。享年75。
法号は源寥院廓誉常光道仙。墓所は東京都江東区白河の道本山霊巌寺。後に京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山常立寺に改葬。