大久保鉄作
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大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日[1](1850年12月31日) – 大正10年(1921年)7月5日[2])は、日本の新聞記者、政治家。
秋田市長(第5代)[3]、衆議院議員(立憲政友会)、秋田県会議長、秋田県会議員などを務めた。
経歴
[編集]久保田藩士大久保盛実の長男として中谷地町に生まれる[4]。藩校明徳館[5]で漢学を学んだ後、東京に出て1875年(明治8年)より朝野新聞の記者となった[6]。帰郷後の1881年(明治14年)に秋田日報を創刊し、1883年(明治16年)に秋田改進党を結成した[6]。同年、秋田県会議員に選ばれ、後に議長に就任した[7]。後藤象二郎が大同団結運動を唱えると、これに呼応して東北九州連合の必要性を説いて、精力的に活動した[7]。
1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1903年(明治36年)の第8回衆議院議員総選挙でも再選された。
1906年(明治39年)、秋田市長に選出され、1916年(大正5年)まで在任した。墓所は秋田市白馬寺。
家族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 渡辺真英『国会準備 秋田県管内名士列伝』北辰堂、1890年。
- 篠田正作『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。