東京大学地震研究所
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東京大学地震研究所 | |
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正式名称 | 東京大学地震研究所 |
英語名称 | Earthquake Research Institute, University of Tokyo |
略称 | 東大地震研、ERI |
組織形態 |
大学附置研究所 (共同利用・共同研究拠点) |
所在地 |
日本 〒113-0032 東京都文京区弥生1-1-1 (東京大学弥生キャンパス内) 北緯35度43分7.3秒 東経139度45分34.8秒 / 北緯35.718694度 東経139.759667度 |
予算 | 50.23億円(2015年度)[1] |
人数 |
教職員 119人[1] 教員 78人 職員 41人 研究員 98人 大学院生 87人 研究生 7人 |
所長 | 古村孝志 |
設立年月日 | 1925年(大正14年)11月13日[2] |
上位組織 | 東京大学 |
公式サイト | 東京大学地震研究所 |
東京大学地震研究所(とうきょうだいがくじしんけんきゅうじょ、英称:Earthquake Research Institute, University of Tokyo、略称:ERI)は、東京大学で地震学や火山学を対象とする附置研究所。地震・火山現象を科学的に解明し、それらによる災害を軽減することを目的とする。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災直後の1925年(大正14年)に、文部省震災予防調査会の研究業務を引き継ぎ、設立された。
共同利用・共同研究拠点に指定されている。
概要
[編集]関東大震災以降、地震研究統一の世論が高まり、文部省(現:文部科学省)により設立された[3]。地震・火山現象のみならず、その根源としての地球内部ダイナミクスまでも包括的に研究している。
所在地
[編集]- 東京大学弥生キャンパス(農学部構内)
沿革
[編集]- 1925年(大正14年)11月13日:「地震ノ學理及震災豫防ニ関スル事項ノ研究」を目的に勅令第三百十一號に基づき設立[2][5]。所長は東京帝国大学教授より補任、所員は東京帝国大学教授および助教授その他関係各庁高等官の中より補任、助手5人、書記1人。所在地は本郷キャンパス内で、仮事務所を東京帝国大学工学部船舶工学教室附属バラックに設置。同年12月9日より事務を開始。
- 1926年(大正15年)5月12日:大正15年勅令117号により助手10人 (+5)、書記2人 (+1) に増員。庶務課、会計課設置。
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)
- 1931年(昭和6年)7月21日:昭和6年勅令191号により技師2人、技手2人を新設。書記3人 (+1) に増員。
- 1932年(昭和7年)
- 1934年(昭和9年)5月31日:浅間山南麓の長野県軽井沢町に浅間支所を設置。
- 1939年(昭和14年)10月24日:昭和14年勅令729号により助手11人 (−1) に減員。
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)11月20日:昭和17年勅令807号により書記2人(-1)に減員。
- 1943年(昭和18年)
- 1月20日:昭和18年勅令34号により、爆震爆風に関する事項の研究を掌ることが設置目的に加えられた。教授8人 (+1)、助教授5人 (+1)、助手11人 (+1)、技手3人 (+1) に増員。技師1人 (−1) に減員。
- 7月27日 昭和18年勅令614号により助手12人 (+1)、技手4人 (+1) に増員。
- 1944年(昭和19年)8月22日:昭和19年勅令515号により、地震探鉱法に関する事項の研究を掌ることが設置目的に加えられた。教授10人 (+2)、助教授7人 (+2)、助手16人 (+4) に増員。
- 1945年(昭和20年)5月:駒場支所が戦災で焼失。
- 1947年(昭和22年):神奈川県三崎町に油壺地殻変動観測所を設置。
- 1949年(昭和24年)9月1日:愛媛県松山市に松山地殻変動観測所設置。
- 1952年(昭和27年)10月1日:新潟県に間瀬地殻変動観測所を設置。所在地は西蒲原郡岩室村間瀬(現在は新潟市の一部)。
- 1955年(昭和30年)3月31日:長野県小諸市に小諸火山化学研究施設設置。
- 1959年(昭和34年)4月:伊豆大島に伊豆大島地磁気観測所を設置。
- 1960年(昭和35年)4月:伊豆大島津波観測所を設置。
- 1961年(昭和36年)4月:鋸山 (千葉県)に鋸山地殻変動観測所設置。
- 1963年(昭和38年)
- 3月:弥生キャンパスに移転。
- 4月:霧島火山観測所設置。
- 1964年(昭和39年)4月:筑波支所を筑波地震観測所、浅間支所を浅間火山観測所に名称変更。和歌山微小地震観測所を設置。
- 1965年(昭和40年)4月:白木微小地震観測所(広島県高田郡白木町牛岩(現・広島市安佐北区白木町有留)および強震計観測センター設置。
- 1966年(昭和41年)4月:弥彦地殻変動観測所および堂平微小地震観測所を設置。
- 1967年(昭和42年)
- 3月31日:三鷹支所を理学部に用途変更。
- 4月:地震予知観測センターおよび北信微小地震・地殻変動観測所を設置。
- 1968年(昭和43年)4月:柏崎微小地震観測所設置。
- 1969年(昭和44年)4月:富士川地殻変動観測所設置(山梨県南巨摩郡富沢町(現・南部町)福士14758)。
- 1970年(昭和45年)
- 4月:八ヶ岳地磁気観測所を設置。
- 8月28日:地震研究所で紛争(-1974年6月19日)。
- 1973年(昭和48年):間瀬地殻変動観測所を廃止。
- 1979年(昭和54年):地震予知観測センターを転換・拡充し、地震予知観測情報センター設置。
- 1983年(昭和58年)3月:白木微小地震観測所を広島市安佐北区落合へ移転。
- 1984年(昭和59年):伊豆大島地磁気観測所及び伊豆大島津波観測所を廃止・統合し、伊豆大島火山観測所設置。
- 1985年(昭和60年)4月1日:北信微小地震・地殻変動観測所及び柏崎微小地震観測所を廃止・統合し、信越地震観測所設置。
- 1994年(平成6年)6月:改組により、全国共同利用研究所となる。
- 1995年(平成7年):室戸岬に室戸地殻変動観測設置。白木微小地震観測所を広島地震観測所に名称変更。
- 1997年(平成9年):海半球観測研究センター設置。
- 2006年(平成18年):江の島津波観測所を廃止。
- 2009年(平成21年):地震予知研究推進センターを地震火山噴火予知研究推進センター、火山噴火予知研究推進センターを火山噴火予知研究センターに改組。
- 2010年(平成22年)4月1日:地震・火山科学の共同利用・共同研究拠点となり、4部門・7センターに改組。
- 2012年(平成24年):巨大地震津波災害予測研究センター設置。
- 2024年(令和6年)6月5日:富士山噴火に備えた協定を山梨県庁と締結[6]。
組織
[編集]研究部門
[編集]- 数理系研究部門
- 地球計測系研究部門
- 物質科学系研究部門
- 災害科学系研究部門
附属センター
[編集]- 地震予知研究センター
- 火山噴火予知研究センター (VRC)
- 浅間火山観測所
- 小諸火山化学研究施設
- 伊豆大島火山観測所
- 霧島火山観測所
- 海半球観測研究センター (OHRC)
- 高エネルギー素粒子地球物理学研究センター (CHEER)
- 巨大地震津波災害予測研究センター
- 観測開発基盤センター
- 筑波地震観測所
- 油壺地殻変動観測所
- 鋸山地殻変動観測所
- 和歌山地震観測所
- 広島地震観測所
- 弥彦地殻変動観測所
- 堂平地震観測所
- 信越地震観測所
- 富士川地殻変動観測所
- 室戸地殻変動観測所
- 浅間火山観測所
- 小諸地震火山観測所
- 伊豆大島火山観測所
- 霧島火山観測所
- 八ヶ岳地球電磁気観測所
- 強震観測室
- 化学分析室
- 機器開発室
- テレメータ室
- 地震火山情報センター (EIC)
室
[編集]- アウトリーチ推進室
- 国際地震・火山研究推進室
観測所
[編集]- 八ヶ岳地球電磁気観測所
- 江の島津波観測所
大学院教育
[編集]地震研究所は東京大学大学院の教育も担当している。以下の研究科・専攻から大学院生を受け入れている。
地方の主な附属研究施設
[編集]- 筑波地震観測所
- 筑波山東南側の海抜約250mの場所にある[7]。筑波山は良質な岩盤上にあり、1908年(明治41年)6月に地震研究所設立調査のため、田中舘愛橘、長岡半太郎、古市公威、真野文二、大森房吉、辰野金吾、中村精男、中村達太郎、小藤文次郎、戸崎孝ら、物理学、工学、地震学、建築学、気象学など10名の博士が調査登山を行った[7]。その後1922年1月に筑波山微動観測所として開設[7]。1927年(昭和2年)に東京大学地震研究所に移管されて筑波支所となる[7]。国際地球観測年の1957年(昭和32年)に観測計器を整備し筑波地震観測所となった[7]。
- 弥彦地殻変動観測所
- 新潟県新潟市西蒲区間瀬の弥彦山麓にある[8]。1952年(昭和27年)、採石坑跡を利用して間瀬地殻変動観測所が開設されていた[8]。1967年(昭和42年)5月に第1次地震予知(研究)計画の一環で現在の地に開設された(間瀬地殻変動観測所は1971年に廃止)[8]。1999年(平成11年)以降は常勤者はいなくなり無人観測所となった[8]。2階建ての庁舎があったが2017年(平成29年)に取り壊され、以後は観測坑とその前部にある建屋だけとなっている[8]。2021年度(平成23年度)で閉鎖され観測坑と建屋も閉鎖して地主に土地は返される[9]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『東京大学地震研究所 要覧 2017 (PDF) 』2019年4月28日閲覧
- ^ a b 所長挨拶/沿革 東京大学地震研究所ウェブサイト(2024年7月7日閲覧)
- ^ 地震研究所設置『朝日年鑑 大正15年』
- ^ 末広恭二『末廣恭二論文集』末広恭二博士記念事業会 編、1934年。
- ^ 『官報』第三千九百六十八號(大正十四年十一月十四日)
- ^ 火山防災対策の充実ため~東京大学地震研究所との協定締結式~山梨県ホームページ(2024年6月5日)2024年7月8日閲覧
- ^ a b c d e 渡邊唯夫、千葉平八郎、加藤育子「筑波地震観測所の歴史と地震観測について」(PDF)『東京大学地震研究所技術研究報告』第1巻、東京大学地震研究所、1996年、83-86頁。
- ^ a b c d e 芹澤正人、増田正孝、新谷昌人「弥彦地殻変動観測所の歴史と変遷」(PDF)『東京大学地震研究所技術研究報告』第26巻、東京大学地震研究所、2020年、37-41頁。
- ^ “東大地震研の弥彦観測所 21年度で幕”. 新潟日報. 2021年10月14日閲覧。
参考文献
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
関連項目
[編集]- 研究所
- 今村明恒:元所員
- 寺田寅彦:元所員
- 金森博雄:元教授
- 河角廣:元教授・元所長
- 溝上恵:元教授
- 都司嘉宣:元准教授
- 佐藤比呂志:教授。2013年、立川断層帯の現地調査で断層を確認したが、根拠とした「凝灰岩」はコンクリートの誤認であった。
- ハリー・グリッケン:かつて博士研究員として赴任した時期がある。
- 映画『日本沈没』:製作協力