唐端清太郎
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唐端 清太郎(からはた せいたろう、1862年4月6日(文久2年3月8日)[1] - 1920年(大正9年)6月10日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]兵庫県出身[2]。1893年、東京専修学校(現・専修大学)で学ぶ。相生村(現・相生市)長、同町長、赤穂郡会議員、兵庫県会議員、同議長、同郡部会議長を歴任し[2]、兵庫県水産組合連合会評議員、赤穂郡水産組合長、同漁業組合連合会理事長となる[2]。また、神港肥料(株)社長、播磨船渠、神戸海陸運輸各(株)取締役を務めた[2]。
1917年の第13回衆議院議員総選挙において兵庫県郡部から憲政会公認で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、1920年の第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。総選挙から間もない同年6月に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。