友田一郎
表示
友田一郎 ともだ いちろう | |
---|---|
生年月日 | 1888年11月24日 |
没年月日 | 1966年7月13日(77歳没) |
前職 |
但馬銀行監査役 甲子銀行監査役 |
配偶者 | 友田のぶ |
第46代 兵庫県会議長 | |
在任期間 | 1943年12月 - 1944年12月 |
選挙区 | 城崎郡選挙区 |
友田 一郎(ともだ いちろう、1888年〈明治21年〉11月[1]24日[2] - 1966年〈昭和41年〉7月13日[3])は、日本の政治家、実業家、友田酒造工場主[4]。第46代兵庫県会議長[5]。外交官の弟・友田二郎の孫に憲仁親王妃久子がいる。
人物
[編集]兵庫県人・友田俊蔵の長男[1][6]。1920年、家督を相続した[6]。但馬銀行[1]、甲子銀行各監査役などをつとめた[7]。兵庫県参事会員であった[7]。
兵庫県会議員に推され[1]、1943年12月から1944年12月まで兵庫県会議長を務める[5]。住所は兵庫県城崎郡日高町江原[1](現・豊岡市)。
家族・親族
[編集]- 友田家
- 父・俊蔵[1]
- 母・きぬ(1866年 - ?、祖父・勘右衛門の長女)[1]
- 弟・二郎(1891年 - 1969年)[1]
- 妻・のぶ(1894年 - ?、佐々木荘太郎の三女)[1]
- 男・壮一(1914年 - ?)[1]
- 三男(1919年 - ?)[1]
- 四男(1921年 - )[1]
- 長女(1924年 - )[1]
- 親戚
- 曾我祐邦(子爵)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第12版 下』ト64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月3日閲覧。
- ^ 『日高町史 下巻』508頁。
- ^ 『日高町史 下巻』509頁。
- ^ 『兵庫県工場一覧 昭和4年12月末日現在』209頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月3日閲覧。
- ^ a b 歴代の議長・副議長兵庫県議会サイト。2022年7月13日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』ト51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月3日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第10版 下』ト56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 兵庫県内務部統計課編『兵庫県工場一覧 昭和4年12月末日現在』兵庫県、1931-1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 日高町史編集専門委員会議 編『日高町史 下巻』日高町教育委員会、1983年。