利用者:Teorema
利用者アカウントの由来
[編集]ピエル・パオロ・パゾリーニ監督が1968年に製作したイタリア映画『テオレマ』より拝借。
ルーツ
[編集]父方の先祖は大阪市の阿倍野筋に住み、商人をしていたが、父親の死に伴い21歳で家督を継いだ明治2年生まれの曽祖父は明治30年前後に母親と直ぐ下の弟と3人で北海道上川郡永山村へ入植、その後は屈足村へ移った、時は昭和の初めへと移り、大正元年生まれである私の祖父は家庭不和に依って、家督相続を放棄、単身で近郊の帯広市へ移住、私で四代目。
母方の先祖も同じく明治時代に四国より深川市へ入植、私で四代目。
自己紹介
[編集]1960年代最後の年であり、アポロ11号の月面着陸を目前に控え、世界中が沸き立っていた1969年7月2日に東京都足立区竹ノ塚6丁目に生れる。
1971年7月、満2歳で父親の転勤に伴い北海道札幌市麻生町(現北区麻生町)へ引越す。
(羽田空港より千歳空港へ向かう全日空ボーイング727への搭乗を待合ロビーで待っていた頃、逆に千歳空港より羽田空港へ向かっていた全日空ボーイング727機が岩手県雫石町上空で航空自衛隊所属の戦闘機F-86と衝突、墜落する大惨事が起きる『全日空機雫石衝突事故』)
1975年10月に札幌市白石区(現・厚別区)の新さっぽろ一帯に広がる新興住宅地の一つに落ち着く。
高校を卒業した翌月の1988年4月下旬に父親の仕事の都合により両親と共に上京、港区浜松町の郵便貯金会館に滞在。
同年5月より同区六本木5丁目の鳥居坂沿いで一人暮らしを始めた。
以後、省略。
信念
[編集]ごく普通当然の当たり前の事ではあるが仕事が出来る、出来ない、人間性云々に関わらず1つでも年上ならば人生の先輩であるため例え客の立場であっても礼節を重んじるが、逆に1つでも年下ならば人生の後輩になるため一切気は遣わない、これは私自身が10代の時分より客としては別だが一般的には年上から気遣われた対応が皆無(不動産会社を含め)であることから『年上を気遣い(口答えしない)、年下へは気遣い無用』幼稚園児、遅くとも小学生より自然に備わる道徳観念(常識)であるが2000年前後よりそれらの対応が出来ない者が氾濫している、まさに幼稚園児以下、ダダをこねる赤ん坊同然、今やそのような人種が蔓延る異常な世の中となってしまった(親の躾や学校教育が問題ではなく、人間形成には自己洗脳⇒己を戒める事が肝要である、外面、内面ともに己の姿を素直に認める事によって欠点を指摘されても事実であるから何ら憤慨することはない、これは私が中学1年生~2年生にかけて会得した)