コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Ryo1993/sandbox

川島 永嗣
2012年の川島永嗣
名前
愛称 エイジ、カワ
カタカナ カワシマ エイジ
ラテン文字 KAWASHIMA Eiji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-03-20) 1983年3月20日(41歳)
出身地 埼玉県与野市(現さいたま市中央区
身長 185cm
体重 82kg
選手情報
在籍チーム フランスの旗 FCメス
ポジション GK
背番号 16
利き足 右足
ユース
1995-1997 与野西中学校
1998-2000 浦和東高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 大宮アルディージャ 41 (0)
2004-2006 名古屋グランパス 17 (0)
2007-2010 川崎フロンターレ 113 (0)
2010-2012 ベルギーの旗 リールセ 53 (0)
2012-2015 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 68 (0)
2015-2016 スコットランドの旗 ダンディー・ユナイテッド 16 (0)
2016- フランスの旗 FCメス 34 (0)
代表歴2
2002-2003  日本 U-20 13 (0)
2007-[1] 日本の旗 日本 86 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年6月1日現在。
2. 2018年6月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

川島 永嗣(かわしま えいじ、1983年3月20日 - )は、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身のサッカー選手リーグ・アンFCメス所属。日本代表。ポジションはゴールキーパーである。

来歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

少年時代は地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。当時からゴールキーパー志望で、セルヒオ・ゴイコチェアに憧れを抱いていた[2]。与野西中学校時代に本格的にキーパーのポジションを始めた。埼玉県選抜に選ばれ、ドイツオランダへ遠征を行った経験がある。その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権国体高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場した。

学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていたが、プロでやっていくことを決断。しかし、地元浦和レッドダイヤモンズのセレクションは不合格となる。その後もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定。川島の獲得を決めたのは、当時大宮で強化部長の職にあった佐々木則夫(後にサッカー日本女子代表監督)である。

大宮アルディージャ

[編集]

大宮加入後、イタリア・セリエAのクラブへ留学し、若手選手たちが出場する「ヴィニョーラ・トーナメント」に参加。チームは優勝を果たし、川島自身はベストゴールキーパーに選出された。

2002年AFCユース選手権に出場するU-19日本代表に選出され、不動のレギュラーとして活躍。特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなどの活躍を見せた。2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々のスーパーセーブを見せ、チームのベスト8進出に貢献した。

名古屋グランパス

[編集]

2004年、複数舞い込んだ移籍話の中から、あえて当時日本代表で活躍していた楢崎正剛が在籍する名古屋グランパスエイトへ移籍。しかし当時が円熟期にあった楢崎の牙城は堅く、公式戦では控えに甘んじる日々が続き、結果的にアテネオリンピックの代表メンバーからは外れた。

移籍後はカップ戦など出場機会が限られていたが、2006年セフ・フェルホーセン新監督のもと新たなスタートを切った名古屋において、2005年シーズン終盤に負傷した楢崎に代わって先発出場。楢崎が復帰した後も熾烈なレギュラー争いを続けた。このシーズンは結果的にリーグ戦10試合、Jリーグカップ4試合に出場。楢崎から正GKの座は奪えなかったものの、その能力の高さを改めてアピールした。

川崎フロンターレ

[編集]

2006年のシーズン終了後、2007年シーズンにクラブ初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場を控えている川崎フロンターレから獲得のラブコールを受け、当時の川崎のクラブ史上最高額となる1億5000万円の移籍金で完全移籍。開幕から正GKとして全試合フル出場を達成し、それまで川崎の弱点と見られていたポジションを補って余りある活躍を見せた。また移籍直後の2月14日には川口、山岸範宏林彰洋らと共にフル代表候補合宿に初招集され、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りし、AFCアジアカップ2007でもメンバーに選ばれた。

2008年2月17日東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でフル代表デビューを果たした[1]。しかし、川崎のチームメイト(当時)である鄭大世にゴールを決められる複雑なデビューとなった。

2010年5月30日FIFAワールドカップ・南アフリカ大会前のテストマッチ・対イングランド戦でフランク・ランパードのPKを阻止するなど強豪相手に好セーブを連発する活躍を見せ、楢崎に代わり本大会での正GKの座を獲得した。本大会では、グループリーグ全3試合に出場、2失点(内、1点はデンマークヨン・ダール・トマソンのPKを防いで相手正面に弾いた際のこぼれ球による)という活躍でグループリーグ突破に貢献した。決勝トーナメント第1回戦のパラグアイ戦でも無失点に抑えたが、0−0のままPK戦となり、PK戦では5本全て決められ敗れた。

リールセSK

[編集]

2010年7月7日ベルギージュピラーリーグ(1部)に昇格したばかりのリールセSKへ2年契約で完全移籍した[3]。12月には彩の国功労賞を受賞。

2011年に開催されたアジアカップでも正GKとして起用されるものの、グループリーグ第2戦シリア戦では不可解な判定で退場し、準々決勝のカタール代表戦でも2失点するなど出来が危ぶまれた。しかし、準決勝の韓国戦のPK戦では相手のシュートを2本止め、決勝のオーストラリア戦では多くの好セーブを見せて無失点に抑え、マンオブザマッチに選出される活躍で日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献した。

リールセでは開幕戦から正GKとして起用されたものの、チームはなかなか勝利に恵まれず、毎試合大量失点を喫するなど常に降格争いの渦中にいたが、最終節のクラブ・ブルッヘ戦で、無失点に抑える活躍を見せ、逆転で昇格1年目となったリールセの1部残留に貢献したことで、リールセのサポーターの選ぶチームMVPに選出された[4][5]

2011年8月19日、リーグ第4節ゲルミナル・ベールショット戦で、一部のゲルミナルサポーターが川島に対し「カワシマ、フクシマ!」と同年3月11日に発生した福島第一原発事故に絡めた野次を飛ばしたため、これに激昂した川島が相手サポーターと審判に猛抗議し、試合が一時中断する騒動が起こった[6][7]。これに対し、リールセはベルギーサッカー協会に抗議し[8]、騒動を起こしたゲルミナルは公式HPに日本語で謝罪文を掲載し[9]、9月にはゲルミナルのファノペン会長が直接川島に謝罪した[10]

10月14日よりリールセの主将に任命された。2011-12シーズンは、リーグ・カップ戦全36試合にフル出場し、前シーズンリーグワーストであった失点数も劇的に減るなど守備の要として2年連続での残留に貢献し[11]、2季連続でチームMVPに選出された[12]

スタンダール・リエージュ

[編集]

2012年7月17日、ジュピラーリーグ4位(リールセは12位)のスタンダール・リエージュと3年契約を結び、同クラブへの完全移籍が発表された[13]。2012-13シーズンは移籍1年目ながらリーグ戦全試合にフル出場した。

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは、日本代表史上初めて背番号「1」をつけて試合に出場した[14]。2大会連続で全試合フル出場したが、チームはグループリーグで敗退した。

2014-15シーズンはシーズン中盤からレギュラーを外れた。2015年5月23日、スタンダール・リエージュを退団する事が発表された[15]

ダンディー・ユナイテッド

[編集]

2015年6月にスタンダール・リエージュを退団後は、移籍先が決まらずベルギーのチーム[16] やイタリア2部のノヴァーラ・カルチョ[17]岡崎慎司の所属するイングランドのレスター・シティFC[18] などのチームの練習に参加したが契約には繋がらず、無所属の状態が続いた。また、無所属という事で長年選出されてきた日本代表からも外された[19]。10月には古巣のスタンダール・リエージュへ復帰する可能性があると報道された[20] が、11月3日にスコットランドのダンディー・ユナイテッドFCと加入合意したことが発表され[21]、12月29日に正式に加入[22]。所属チームが決まった事もあり、2016年には代表復帰を果たした。降格危機にあるチームの救世主として期待され[23]、第22節ダンディーFC (ダンディー・ダービーからミハウ・シュロムニク (Michał Szromnikに代わって出場を続けたが、失点を減らすことはできず[24]、2016年5月3日に降格が決定した[25]。6月3日に行われたブルガリア戦で約1年ぶりに日本代表として試合に出場し、2失点はしたものの試合終了間際のPKを止める活躍を見せた[26]

FCメス

[編集]

2016年8月、リーグ・アンFCメスへの移籍が発表された[27]。しかし、クラブの公式ホームページで「川島は第3GKを務める」と発表され、スタメン出場が確約されない厳しい状態であると報道された[28]。実戦から遠ざかっていることもあり、日本代表のスタメンを西川周作に奪われることとなったが、ハリルホジッチからは「彼がプレーするかどうかはまた別問題だが、経験のある選手の1人であるため、期待している」と評価されている[29]。 年が明けた2017年1月8日、クープ・ドゥ・フランスRCランス戦で移籍後初出場したがチームは0-2で敗れた。4月18日、第31節のパリ・サンジェルマン戦でリーグ戦デビューを果たした。5月14日、第37節のトゥールーズFC戦ではPKをストップして、フランスの有力紙でベストイレブンに選出された。最終的には、第3GKとして加入した2016-17シーズンだったが、チームの第1GKとなり、代表でも正GKとしてポジションを奪い返した[30]

2018年1月27日に行われたOGCニース戦ではPKを止めて、デビューから3連続でPKを止めた。これはリーグ・アンの過去10年間で初めての記録だった[31]

人物

[編集]

川島は185cmの長身だが、兄姉も長身であり、兄は183cm、姉は173cmあるとのこと[32]

川崎に在籍していた2010年6月までは、Jリーグ選手協会副会長(2010年7月時点で最年少就任記録)を務めていた。

2011年には殺虫剤メーカー・フマキラー花粉対策商品「アレルシャット 花粉 鼻でブロック」CMキャラクターを務めた。

2013年にはJALカードのCMキャラクターを務めている。

2014年9月10日、ブログにて一般女性と結婚したことを発表した[33]

2015年12月3日、第一子男児誕生。

PK阻止を得意としている。日本代表の正GKを掴むアピールとなった2010年に行われた親善試合のイングランド戦でのフランク・ランパードのPKや2010年ワールドカップデンマーク戦(ストップ後のこぼれ球を決められる)のPKストップ、アジアカップ準決勝の韓国戦のPK戦では2人連続ストップし、そのPK戦で一本も決めさせなかったなどがある。2016年に英放送局『Sky Sports』が制作した欧州五大リーグでプレイするGKを対象にPK阻止率のランキングで、川島は34位にランクインしている[34]。2017年11月10日に行われた親善試合ブラジル戦でも試合中2度あったネイマールのPKを1度止めており、2016年6月から2017年11月までの過去1年半のPK阻止率は「83.3%」であった[35]。また、2018年1月27日に行われたリーグ・アン第23節のOGCニース戦では、マリオ・バロテッリのPKを止めた。こぼれ球を決められたものの、PKストップ扱いとなり、スポーツに関する様々なデータを配信している『Opta』によると「10年間以上のリーグアン(フランスリーグ)において最初のPK3本を阻止した初のGKになった」と伝えている[36]

趣味

[編集]

海外のクラブに移籍する前から、下準備として日々英語イタリア語ポルトガル語などを勉強していた。2010年7月のリールセSKクラブハウスでの会見ではオランダ語と英語で挨拶をした上、英語の質問に英語で答えており、本人も英語でコミュニケーションが取れるので問題ないと語っている。

ポルトガル語は川崎通訳の中山和也によれば、通訳を通さなくても会話できるレベルである[37]永井謙佑スタンダール・リエージュに加入する際の会見では通訳を務めた。報道ステーションのインタビューでは、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語は日常会話レベルで話せ、オランダ語、フランス語を勉強中と語った[38]

語学の重要性について「キーパーは喋れないと難しい。DFに指示を出さないといけない。自分も主張できるようにならないと」と述べている[39]

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 大宮 22 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 21 8 0 - 4 0 12 0
2003 33 0 - 0 0 33 0
2004 名古屋 22 J1 4 0 8 0 0 0 12 0
2005 3 0 6 0 1 0 10 0
2006 10 0 4 0 0 0 14 0
2007 川崎 1 34 0 3 0 4 0 41 0
2008 34 0 1 0 1 0 36 0
2009 34 0 3 0 1 0 38 0
2010 11 0 - - 11 0
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
2010-11 リールセ 1 ジュピラー 23 0 - 2 0 25 0
2011-12 30 0 - 6 0 36 0
2012-13 リエージュ 30 0 - 0 0 30 0
2013-14 27 0 - 1 0 28 0
2014-15 11 0 - 1 0 12 0
スコットランド リーグ戦 S・リーグ杯スコティッシュ杯 期間通算
2015-16 ダンディー 1 プレミア 16 0 - 1 0 17 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2016-17 メス 16 リーグ・アン 5 0 0 0 1 0 6 0
2017-18 29 0 0 0 1 0 30 0
通算 日本 J1 130 0 25 0 7 0 162 0
日本 J2 41 0 - 4 0 45 0
ベルギー ジュピラー 121 0 - 10 0 131 0
スコットランド プレミア 16 0 0 0 1 0 17 0
フランス リーグ・アン 34 0 0 0 2 0 36 0
総通算 342 0 25 0 24 0 391 0
クラブ シーズン リーグ リーグ 通算
出場 得点 出場 得点
FCメスⅡ CFA2 2016–17 12 0 12 0
2017-18 1 0 1 0
通算 13 0 13 0
その他の試合
  • 2011年
    • ベルギーリーグ・ヨーロッパリーグ プレーオフ(5試合)
  • 2012
    • ベルギーリーグ・ヨーロッパリーグ プレーオフ(6試合)
  • 2013年
    • ベルギーリーグ・チャンピオンシップ プレーオフ(10試合)
  • 2014年
    • ベルギーリーグ・チャンピオンシップ プレーオフ(10試合)
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 川崎 1 7 0
2009 9 0
2010 6 0
UEFAUEFA EL
2013-14 リエージュ 1 3 0
2014-15 3 0
通算 AFC 22 0
通算 UEFA 6 0

その他の国際公式戦


代表歴

[編集]

出場大会

[編集]

試合数

[編集]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 1 0
2009 7 0
2010 8 0
2011 12 0
2012 11 0
2013 14 0
2014 11 0
2015 7 0
2016 1 0
2017 9 0
2018 5 0
通算 86 0

出演

[編集]

CM

[編集]

イメージキャラクター

[編集]

アンバサダー

[編集]

受賞歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e “川島 永嗣”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/eiji_kawashima.html 
  2. ^ 川島永嗣が感じた日本と欧州の違い…GKへの思いとヨーロッパでプレーする意義 - Goal.com 2018年2月14日
  3. ^ GK川島、今季からベルギーでプレー UEFA.com、2010年7月8日
  4. ^ 川島がサポーターの選ぶ「リールス年間最優秀選手」に 苦しいシーズンの最後につかんだEL出場の挑戦権 Archived 2010年6月3日, at the Wayback Machine. スポーツナビ、2011年5月1日
  5. ^ <欧州を震撼させたニッポン人> 川島永嗣 「大量失点でMVPの理由」 Number Web、2011年5月31日
  6. ^ 川島が侮辱的行為に涙…相手ファンが「カワシマ、フクシマ!」と挑発 SOCCER KING 2011年8月20日
  7. ^ スポーツ報知 2011年8月21日付8頁「川島、相手サポーターの『フクシマ』コールに激怒」]
  8. ^ 川島のリールス、“フクシマ”コールに抗議「尊厳の範疇を超えた出来事」 SOCCER KING 2011年8月24日
  9. ^ 川島に「フクシマ!」コールのゲルミナルがHPに日本語の謝罪文を掲載[リンク切れ] SOCCER KING 2011年8月26日
  10. ^ 「カワシマ、フクシマ!」の野次を浴びせたクラブが川島に直接謝罪 Archived 2011年9月24日, at the Wayback Machine. SOCCER KING 2011年9月22日
  11. ^ 全試合フル出場の川島「最低限のラインはクリア」 リールス、守備の安定で余裕の1部残留 Archived 2010年6月3日, at the Wayback Machine. スポーツナビ、2012年3月22日
  12. ^ リールス川島が2季連続でサポーター投票によるMVPに選出 Archived 2012年7月19日, at the Wayback Machine. SOCCER KING 2012年5月6日
  13. ^ 川島がベルギー4位スタンダールに移籍 日刊スポーツ、2012年7月18日付
  14. ^ 背番号1は、1998年小島伸幸が、2002年川口能活が、2006年2010年楢崎正剛がそれぞれつけていたが、いずれも出場機会はなかった。
  15. ^ 川島スタンダール今季限りで退団、欧州で移籍先探し 日刊スポーツ、2015年5月25日付
  16. ^ 無所属続くGK川島、シント・トロイデンに練習参加か? 加入なら再び小野と同僚に フットボールチャンネル、2015年10月16日
  17. ^ 日本代表GK川島永嗣、セリエBノバラの練習参加へ 日刊スポーツ、2015年7月21日
  18. ^ 川島永嗣「心から感謝」岡崎所属レスターの練習参加 日刊スポーツ、2015年10月26日
  19. ^ ハリル監督「元気づける」未所属GK川島永嗣に言及 日刊スポーツ、2015年10月2日
  20. ^ 川島永嗣スタンダールへ復帰か 地元メディアが報道 日刊スポーツ、2015年10月19日
  21. ^ 川島永嗣ダンディーU入団合意 監督「プラスに」 日刊スポーツ、2015年11月3日
  22. ^ 川島永嗣ダンディーUと契約「ようやくすっきり」 日刊スポーツ、2015年12月30日
  23. ^ ダンディー・U加入秒読みの川島永嗣…“どん底”クラブの救世主となるか!? サッカーキング、2015年11月5日
  24. ^ Michal Szromnik Eiji Kawashima transfermarkt(英語)
  25. ^ 川島所属のダンディーU、ダービーに敗れ21年ぶりの2部降格が決定。9ヶ月最下位抜け出せず フットボールチャンネル、2016年5月3日
  26. ^ 日本、圧巻のゴールラッシュで7得点大勝…香川&吉田の2発などでブルガリア下す サッカーキング、2016年6月3日
  27. ^ 川島 フランス1部メスへの移籍決定「新たなチャレンジが出来る」 スポーツニッポン、2016年8月2日
  28. ^ 川島永嗣、新天地メスでは控え確定!? 公式リリースが異例の発表「第3GKを務める」 フットボールチャンネル 2016年08月02日(Tue)11時38分配信
  29. ^ 元川悦子 (2016年10月4日). “なぜ川島永嗣が必要なのか?ハリルJ再生を託された“第3GK”の使命”. フットボールチャンネル. 2017年2月20日閲覧。
  30. ^ なぜ川島永嗣は3番手から正GKになれたのか?監督の心をつかめたワケ【海外日本人総括】 GOAL.com、2017年5月24日
  31. ^ 日本が誇る“PKストッパー”川島永嗣、仏デビューから3連続セーブは過去10年間で初ゲキサカ(2018年1月29日)
  32. ^ 『蒼きSAMURSIワールドカップをめざせ!川島永嗣』61頁。
  33. ^ 川島永嗣 (2014年9月10日). “「皆様にご報告」|川島永嗣オフィシャルブログ「Life is beautiful」”. http://ameblo.jp/eiji-kawashima/entry-11922918356.html 2014年9月11日閲覧。 
  34. ^ 日本の”吠えまくる男”も入ってた! 英メディアが紹介する欧州PK阻止率ランキングトップ50の1位は THE WORLD 2016年6月5日
  35. ^ 川島永嗣は世界最高クラスのPKストッパー!? 過去1年半の阻止率は驚異の「83.3%」football-zone 2017年11月12日
  36. ^ 日本代表GK川島、フランスでこの10年で1人しかいないPK記録つくる!Qoly 2018年1月28日
  37. ^ F-スポット - ピックアッププレイヤー : 2010 vol.04 通訳/中山和也(川崎フロンターレ公式サイト、2010年)
  38. ^ 川島永嗣(サッカー) 好セーブで試合作る - 武内絵美コラム「戦士のほっとタイム」 asahi.com2011年6月14日付。[リンク切れ]
  39. ^ 5カ国語操る日本代表GK川島永嗣が説く語学の重要性「主張できるように」”. サッカーキング (2015年7月11日). 2015年7月29日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

{{デフォルトソート:かわしま えいし}} [[Category:日本のサッカー選手]] [[Category:大宮アルディージャの選手]] [[Category:名古屋グランパスエイトの選手]] [[Category:川崎フロンターレの選手]] [[Category:リールセSKの選手]] [[Category:スタンダール・リエージュの選手]] [[Category:ダンディー・ユナイテッドFCの選手]] [[Category:FCメスの選手]] [[Category:サッカー日本代表選手]] [[Category:FIFAワールドカップ日本代表選手]] [[Category:2010 FIFAワールドカップ出場選手]] [[Category:2014 FIFAワールドカップ出場選手]] [[Category:2018 FIFAワールドカップ出場選手]] [[Category:FIFAコンフェデレーションズカップ日本代表選手]] [[Category:FIFAコンフェデレーションズカップ2013出場選手]] [[Category:AFCアジアカップ日本代表選手]] [[Category:AFCアジアカップ2007出場選手]] [[Category:AFCアジアカップ2011出場選手]] [[Category:AFCアジアカップ2015出場選手]] [[Category:さいたま市出身の人物]] [[Category:1983年生]] [[Category:存命人物]]