利用者:円周率3パーセント/sandbox/名古屋市北区/さ行
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さいこうばしとおり 彩紅橋通
[編集]さしがねちょう 指金町
[編集]さなげちょう 猿投町
[編集]さんげんちょう 三軒町
[編集]しがちょう 志賀町
[編集]しがほんとおり 志賀本通
[編集]しがみなみとおり 志賀南通
[編集]しきしまちょう 敷島町
[編集]しみず 清水
[編集]清水(しみず)は、愛知県名古屋市北区にある地名。一丁目から五丁目まである。郵便番号は462-0844[1]。当地域の人口は4,370人(2013年10月1日現在、住民基本台帳調査による。名古屋市調べ)[2]。
区の南西部。東は西は柳原、南は東区、北は黒川に残る●●を挟み黒川本通・田幡に接する。
しもいいだちょう 下飯田町
[編集]じょうがんじ 成願寺
[編集]じょうとうちょう 城東町
[編集]じょうほくしんまち 城北新町
[編集]しろみとおり 城見通
[編集]しんぬまちょう 新沼町
[編集]しんぼりちょう 新堀町
[編集]しんめいちょう 神明町
[編集]清水町
[編集]すぎさかえちょう 杉栄町
[編集]すぎむらちょう 杉村
[編集]区の南部。東は大曽根、西は大杉、南は芳野、北は大杉町・杉栄町に接する。
交通
[編集]大杉通
- 東杉町1丁目
- 杉栄町
- 杉村町停留所
施設
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 西春日井郡上名古屋村字柳原・土居下・深田を編入し、杉村町となる[3]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市東区杉村町・柳原町となる。
- 1929年(昭和4年)9月5日 - 次の通り、周辺との境界変更を行う[3]。
- 字東分・南屋敷・北屋敷・西長田・寺田・茶地・寺裏・苗田・九文目・東山寺・東長田の各一部を大杉町1~7丁目に編入。
- 字下ノ町・五反田・生駒・下生駒・中生駒・九文目・溝又木・東生駒の各一部を生駒町1~7丁目に編入。
- 字五反田・下ノ町・生駒・下生駒・中生駒・東生駒・寺西の各一部を城東町1~7丁目に編入。
- 字田中・東山寺・道・溝又木・東井駒・南出・寺西の各一部を杉栄町1~5丁目に編入。
- 字寺田・西長田・九文目・東長田・東山寺の各一部を長田町1~4丁目に編入。
- 字田中・北荒田・道・尻広・中田・薬師裏の各一部を東大杉町1~4丁目に編入。
- 字田中・中田・尻広・花ノ木・薬師裏の各一部を東長田町1~4丁目に編入。
- 字田中・花ノ木・溝又木・中田・南原・薬師裏の各一部を東水切町1~4丁目に編入。
- 字下ノ町・北屋敷・五反田・寺田・生駒・西長田・中生駒・九文目・下生駒・東長田・東山寺・溝又木の各一部を水切町1~7丁目に編入。
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 字船附を船附町1~2丁目に編入[3]。
- 1932年(昭和7年)9月1日 - 字南出・南原・仲田の各一部を石園町1~3丁目に編入[3]。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 字豆田・南屋敷の各一部を豆園町1~2丁目に編入[3]。
- 1933年(昭和8年)11月1日 - 以下の通り、周辺との境界変更を行う[3]。
- 字寺田の一部を大杉町4丁目に編入。
- 字寺田の一部を長田町1丁目に編入。
- 字北屋敷・南屋敷・寺田の各一部を中杉町1~3丁目に編入。
- 1934年(昭和9年)6月1日 - 以下の通り、周辺との境界変更を行う[3]。
- 字大和屋敷・八坪・金作の各一部を西杉町1~2丁目に編入。
- 字柳原を元柳原町1~3丁目に編入。
- 字金作・八坪の各一部を八坪町1~3丁目に編入。
- 1934年(昭和9年)7月15日 - 以下の通り、周辺との境界変更を行う[3]。
- 字金作の一部を金作町1~4丁目に編入。
- 字下ノ町の全部・字金作・深田の各一部を清水町1~8丁目に編入。
- 1934年(昭和9年)11月1日 - 以下の通り、周辺との境界変更を行う[3]。
- 字北屋敷の一部を大杉町5丁目に編入。
- 字茶地・種池東・寺裏・北屋敷の各一部を東杉町1~4丁目に編入。
- 字柳原の全部を柳原町に編入。
- 1935年(昭和10年)7月1日 - 字深田の一部を深田町1~3丁目に編入[3]。
- 1937年(昭和12年)8月25日 - 字坂下・古櫻・森下・猩々・社宮司・南荒田・石畑・八軒家裏の各一部により杉村町1~7丁目を編成する[3]。
- 1937年(昭和12年)11月1日 - 字古櫻・森下・坂下・新坂東・猩々・八軒家裏・南荒田・北荒田の各一部を1~3丁目・6~9丁目とした[3]。
- 1941年(昭和16年)1月15日 - 字五反田を生駒町2丁目へ、字尻広を東大杉町2丁目に編入[4]。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 字金作・道下の各一部を金作町5丁目に編入[4]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 北区成立に伴い同区に編入。
- 1946年(昭和21年)4月15日 - 杉村町1丁目の一部を東区へ編入[4]。
- 1952年(昭和27年)12月20日 - 字道下の一部を田幡町に編入[4]。
- 1958年(昭和33年)2月1日 - 字東分1629番地を中杉町1丁目に、字東分の一部を豆園町1丁目に編入[4]。
- 1961年(昭和36年)10月20日 - 字道下の一部を黒川本通1丁目に編入[4]。
すぎむら 杉村
[編集]
すぎむら 杉村 | |
---|---|
廃止日 | 1921年8月22日 |
廃止理由 |
編入 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 西春日井郡 |
杉村役場 | |
所在地 | 愛知県西春日井郡杉村 |
ウィキプロジェクト |
概要
[編集]村名の由来は、蔵王権現(現在の片山神社)の末社である稲荷大明神の杉の大木が枯れたため、その枝を近郷に渡したことによるとも、杉の木で船を作り領主に献上したことによるともいう[5]。戦国時代、矢田川堤防の修築を命じられた郷村の1つとして見られる「杉上郷」が当村にあたると考えられる(天正11年11月7日付織田信雄朱印状、埴原家文書、稲沢市史資料編7所収)[6]。江戸時代には、村内は西杉村・中杉村・東杉村に分かれ、「尾張國地名考」によると、木綿が名物である。また、支村として出町があり、愛知郡清水口の出崎に続くとある。[7]明治時代になると、西春日井郡に所属し、明治22年に上名古屋村の一部を編入して、市町村制下の村として成立する。大正10年名古屋市に編入され、同市東区杉村町となった。
寺院
[編集]神社
[編集]- 神明社
- 八幡社
- 八王子社
- 蔵王権現(片山神社)
歴史
[編集]- 江戸時代 尾張国春日井郡の尾張藩領の村として成立。
- 1878年(明治11年) - 杉出町・志水池町が志水町として分離独立。
- 1880年(明治13年) - 西春日井郡に所属。
- 1889年(明治22年) - 市町村制下の村となる。
- 1921年(大正10年) - 名古屋市に編入され、同市東区杉村町となる。
字一覧
[編集]明治時代の字
[編集]字名、配列および読みは『なごやの町名』によった。[11]括弧内は読み仮名。大字は編成されていない。[12]
- 花ノ木(はなのき)
- 尻広(しりひろ)
- 八軒屋裏(はちけんやうら)
- 石畑(いしはた)
- 南荒田(みなみあれた)
- 北荒田(きたあれた)
- 田中(たなか)
- 東山寺(とうさんじ)
- 九文目(くもんめ)
- 溝又木(みそまたき)
- 東井駒(ひがしいこま)
- 中井駒(なかいこま)
- 下井駒(したいこま)
- 東長田(ひがしちょうた)
- 西長田(にしちょうた)
- 北屋敷(きたやしき)
- 寺裏(てらうら)
- 苗田(なえた)
- 道ウ(どう)
- 猩々(しょうしょう)
- 新坂東(しんさかひがし)
- 種池東(たねいけひかし)
- 茶地(ちゃち)
- 坂下(さかした)
- 古桜(こさくら)
- 森下(もりした)
- 中田(なかた)
- 社宮司(しゃくうし)
- 豆田(まめた)
- 南屋敷(みなみやしき)
- 北屋敷(きたやしき)
- 天神下(てんじんした)
- 千部(せんぶ)
- 柳原(やなぎはら)
- 八坪(やつほ)
- 西東光寺(にしとうこうし)
- 大和屋敷(やまとやしき)
- 蔵王下(ざおうした)
- 東分(ひがしわけ)
- 蓮池新田(はすいけしんでん)
- 蓮池(はすいけ)
- 向掛(むかおかけ)
「北区誌」より作成。原本は「徳川林政史研究所所蔵の村絵図」。
東杉村[13]
- 八軒家
- 八軒浦
- 藪下
- 箟ヶ崎
- 石畑
- 南アメリカ
- 北アメリカ
- 社宮司
- 赤目
- 鷹すく
- 上ノ堂
- 下ノ堂
- 東浦
- 西浦
- 森下
- 田中
- 東山寺
- 大宮
- 溝またき
- 東丁田
- 西丁田
- 東生駒
- 中生駒
- 下生駒
西杉村[15]
- 東田
- 豆田
- 巳新田
- 前田
- 東光寺
- 鷹匠町
- 柳原表之町
- 柳原裏之町
- ^ 郵便番号検索2013年7月13日閲覧。
- ^ “平成25年10月1日現在の学区別、町丁目(字)別、世帯数、公簿人口(全市分)”. 2013年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 引用エラー: 無効な
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タグです。「私たち61
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ 角川733
- ^ 角川726
- ^ 『尾張國地名考』(ブックショップ「マイタウン」1987年5月復刻)158頁。
- ^ a b 140頁。
- ^ 138頁。
- ^ 136頁。
- ^ 名古屋市計画局『なごやの町名』1992年。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年、726頁。
- ^ 弘化4年3月現在
- ^ 弘化3年11月
- ^ 弘化4年11月