利用者:ちわー/sandbox
SKYE スカイ | |
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小原礼、林立夫、鈴木茂ら当時、林と小原は青山学院大学高等部、鈴木は都立玉川高等学校の現役高校生によって結成されたバンドグループ。1969年、小原がガロのバックバンドに加わり、鈴木は細野晴臣にはっぴいえんどに誘われ解散。
概要
[編集]評価
[編集]『月刊平凡』1980年6月号に「日本で作詞・作曲家になる方法」という特集があり、この記事で松本隆の紹介に「今をときめくテクノポップ『Y・M・O』の細野晴臣さんや鈴木茂さんと一緒に、"はっぴー・えんど"でドラムをたたいていたのは知っていたかナ?」と書かれている[1]。はっぴいえんどは、1970年代には一般的な知名度がないことは勿論、『月刊平凡』のような影響力の大きな音楽誌の編集部にもバンド名を間違えられるほど知名度が低かったものと思われ、『月刊セブンティーン」1979年8月号のニューミュージック特集の1970年代「ニューミュージック年表」にもはっぴいえんどの名前はない[2]。1970年代は、テレビやラジオを通じて、歌謡曲や演歌、フォークの大ヒット曲が続出した時代であり[3]、ロックより先にフォークがオーバーグラウンドに浮上し、これを契機としてロック色の強いニューミュージックも市民権を得た[3]。実際はっぴいえんどは全く売れなかったバンドで[3][4]、余程のロックファンしか知らないようなバンドが今日より遥かに情報量の少ない時代に於いて、後続ミュージシャンや後の音楽界にどの程度の影響を与えることができたのか不明な部分もある。はっぴいえんどは、「日本語ロック論争」を誌面に残せたことで[3][5]、1980年代以降に元メンバー達の活躍があり、「彼らが昔、日本語でロックをやっていた」と発掘され、『ミュージック・マガジン』を中心とした「はっぴいえんど史観」などの影響で[3][6][7]、先駆者的評価が高まり、音楽評論家にもてはやされるようになったもので、1980年代前半における元メンバー達の活躍が無ければ、はっぴいえんどの今日的評価は全く違っていたものになっていたと見られる。
つのだ☆ひろ[8]や宇崎竜童[9]、恩蔵茂[10]は、「はっぴいえんどはフォーク」と述べている[8][9][10]。当時フォークは普通に日本語で歌っていて、フォークシンガーやフォークグループの中にはロック寄り、フォークロックのような音作りをする者もいた[11]。つのだは「ここ何十年で、日本のロックのルーツがはっぴいえんどだと喧伝しているヤツがいて、評論家でもそれに加担している一派が多いものだから、いつの間にか、日比谷野音(10円コンサート)やニューロックの時代が歴史から消されましたよね。無かったことにされてるんです。僕の中では、はっぴいえんどはフォークでしたよ。彼らは「唄の市」コンサートとかのフォーク・イベントに出ていたバンドで、僕たちロックをやっている仲間にいなかった。これは、ハッキリと言っておきたいですね」[8]と述べている。長戸大幸は「日本のロックの元祖は何かという議論になると、たいていはグループサウンズよりも後に出たはっぴいえんどになっています。しかし、テレビを見ていた少年たちがエレキギターやエレキベースの音を生まれて初めて耳にしたのはグループサウンズです。エレキの音を聴いた少年たちがその後、イギリスやアメリカのロックを聴くようになっていき、そのうちの何人かが自分たちのバンドを組んで、日本の音楽シーンに入ってきたのです。それが事実です」[12]などと述べている。
メンバー
[編集]- 東京都港区青山出身。
年表
[編集]1969年
[編集]- 3月、“エイプリル・フール”結成。
- 9月27日、エイプリル・フール、アルバム『Apryl Fool』発売。
- 9月、はっぴいえんどの前身“ヴァレンタイン・ブルー”結成。
- 10月、エイプリル・フール解散。
- 10月28日、ヴァレンタイン・ブルー、デビュー・ライブとなる“ロックはバリケードをめざす”(全電通ホール)に出演。
1970年
[編集]- 3月6日、遠藤賢司『niyago』レコーディングに参加。
- 3月、ヴァレンタイン・ブルー、バンド名を“はっぴいえんど”に改名。
- 3月23日、岡林信康『見るまえに跳べ』レコーディングに参加。
- 4月、アルバム『はっぴいえんど』レコーディング。
- 4月12日、“ロック叛乱祭”に出演(文京公会堂)。
- 8月5日、アルバム『はっぴいえんど』発売。
- 8月8日、“第2回全日本フォークジャンボリー”出演。
- 10月、岡林信康とのコンサート・ツアー開始。
- 12月1日、“岡林信康コンサート”をライヴ録音。
1971年
[編集]- 1月16日、高田渡『ごあいさつ』レコーディングに参加。
- 4月1日、シングル「12月の雨の日 / はいからはくち」発売。
- 4月10日、加川良『教訓』レコーディングに参加。
- 4月14日、“加橋かつみコンサート”出演。
- 5月7日、アルバム『風街ろまん』レコーディング開始。
- 8月7日、“第3回全日本フォークジャンボリー”出演。
- 8月21日、“ロックアウト・ロック・コンサート”出演。
- 11月20日、アルバム『風街ろまん』発売。
- 12月10日、シングル「花いちもんめ / 夏なんです」、大瀧ソロ・シングル「恋の汽車ポッポ / それはぼくじゃないよ」同時発売。
1972年
[編集]- 5月6日、“第2回春一番コンサート”出演。
- 6月25日、大瀧、ソロ・シングル「空飛ぶくじら / 五月雨」発売。
- 7月1日、“ラスト・はっぴいえんどツアー”開始。
- 10月、渡米してロサンゼルスでアルバム『HAPPY END』をレコーディング。
- 11月25日、大瀧、ソロ・アルバム『大瀧詠一』発売。
- 12月31日、はっぴいえんど、正式解散。
1973年
[編集]- 2月25日、アルバム『HAPPY END』、シングル「さよならアメリカ さよならニッポン / 無風状態」同時発売。
- 5月25日、細野ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』発売。
- 9月1日、ベスト・アルバム『CITY ⁄ HAPPY END BEST ALBUM』発売。
- 9月21日、はっぴいえんどラスト・ライブ“CITY-Last Time Around”に出演。
- 9月25日、細野ソロ・シングル「恋は桃色 / 福は内鬼は外」発売。
1974年
[編集]- 1月15日、“CITY-Last Time Around”での模様を収録したライブ・アルバム『ライブ!! はっぴいえんど』発売。
- 6月25日、ベスト・アルバム『SINGLES』発売。
1985年
[編集]- 6月15日、“国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW”に出演。
- 9月5日、“ALL TOGETHER NOW”での模様を収録したライブ・アルバム『THE HAPPY END』発売。
2015年
[編集]- 6月24日、松本隆の作詞家活動45周年記念トリビュート・アルバム『風街であひませう』発売。スペシャル・トラックとして松本と細野晴臣、鈴木茂の演奏で再レコーディングされた未発表曲「驟雨の街」を収録[13]。
- 8月21日・22日、東京国際フォーラムで開催された松本隆作詞活動45周年記念コンサート『風街レジェンド2015』に松本の他、細野と鈴木が揃って出演[14]。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- 12月の雨の日 / はいからはくち(1971年4月1日)- 7":BS-1366 ※両曲ともアルバムとは別ヴァージョン
- 12月の雨の日
- はいからはくち
- 花いちもんめ / 夏なんです(1971年12月10日) 7":BS-1467
- 花いちもんめ
- 夏なんです
- Bellwood ⁄ KING
- さよならアメリカ さよならニッポン / 無風状態(1973年2月25日 - 7":OF-10
- さよならアメリカ さよならニッポン
- 無風状態
- あしたてんきになあれ(1999年11月26日)- CD:TOCT-22045
オリジナル・アルバム
[編集]- URC
- Bellwood ⁄ KING
ベスト・アルバム
[編集]- Bellwood ⁄ KING
- CITY ⁄ HAPPY END BEST ALBUM(1973年9月1日)- LP:OFL-15
- コーラスに小坂忠参加の「はいからはくち」の別ヴァージョン、第3回全日本フォークジャンボリーのライブ音源の「かくれんぼ」を収録。
- SINGLES(1974年6月25日)- LP:OFL-26
- A面に大瀧詠一と細野晴臣それぞれのシングル、B面にはっぴいえんどのシングル曲を集めたベストアルバム。
ライブ・アルバム
[編集]- ライブ!! はっぴいえんど(1974年1月15日)- Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
- THE HAPPY END(LP:1985年9月5日 CT:1985年11月3日)- CBS/SONY LP:18AH-1933, CT:18KH-11755
- 1985年6月15日国立競技場で行われたイベント“ALL TOGETHER NOW”での再結成ライブを収録。LPは45回転盤。初回特典として「THE HAPPY END パンフレット」という24ページの7/12はっぴいえんど宣言や6/15再結成ライブの座談会などが収録されているブックレットがついている。
- はっぴいえんど GREEEATEST LIVE! ON STAGE(1986年7月15日)
- はっぴいえんど LIVE ON STAGE(1989年8月25日)
- CDでのみ発売。「第2回全日本フォークジャンボリー」(1970年8月9日)、「ロック・アウト・ロック・コンサート」(1971年8月21日)、「加橋かつみコンサート」(1971年4月14日)、「第3回全日本フォーク・ジャンボリー」(1971年8月7日)での演奏を収録。
ボックス・セット
[編集]- はっぴいえんど〜HAPPY END(1993年5月25日)
- レコード各社共同企画の“シンガー・ソングライター・ルネッサンス”の一環として発売された4枚組ボックス・セット。ライブも含めたオリジナル・アルバム4作とブックレット付き。その内『風街ろまん』『HAPPY END』の2枚は、吉野金次によるオリジナル・マルチトラック・マザー・テープを使用したリミックス盤で、発売当時、物議を醸した。またこのリミックス盤については、その内の数曲が細野のボックス・セット『HOSONO BOX 1969-2000』に収録されたのみで以後、再発売されていない。
- はっぴいえんどBOX(2004年3月31日)
- オリジナル・アルバム『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』、ライブアルバム『ライブ!! はっぴいえんど』『THE HAPPY END』と、はっぴいえんどがバックで演奏を務めた楽曲を集めた『バッキング音源集』、未発表ライブ音源を多数収録した『ライブ・ヒストリーVOL.1』『同VOL.2』がセットになったボックス・セット。
- はっぴいえんどマスターピース(2014年12月26日)
- 岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX(2018年7月25日 )
- はっぴいえんどが岡林信康と共にURC時代にリリースしたシングル盤を収納した限定7インチBOXセット。ボーナス・レコードとして、岡林との最後のスタジオ録音となった「私たちの望むものは」を加えた6枚組。
関連作品
[編集]- はっぴいえんど(1983年6月)
- センチメンタル・シティ・ロマンスによるカバー・アルバム[注 2]。
- はっぴいえんどに捧ぐ(1993年9月9日、再発:2004年11月3日、再々発:2010年12月15日)
- HAPPY END PARADE〜tribute to はっぴいえんど〜(2002年5月22日)
- はっぴいえんどかばあぼっくす(2002年5月31日)
- 5枚組CDボックスセット。はっぴいえんどが現役当時に発表した3枚のスタジオアルバムと1枚のライブアルバム全曲を、本ボックス発売元のOZ disc所属アーティストを中心に、様々なアーティストがカバー。さらにボックス・セット収録の未発表曲までカバーされている。ライブ・アルバム「ライブ・はっぴいえんど」のカヴァーについては、1973年9月21日に行われたライブ「CITY - LAST TIME AROUND」を、2002年1月10日に同じ文京シビックホールにて完全再現またはカバーを行っている。ライブ・アルバム未収録の「CITY - LAST TIME AROUND」参加アーティストの曲もカバー。それらは『-はっぴいえんどかばあぼっくす外伝-素晴らしき船出かな』に収録され、ボックスには未収録。また、「レア・トラックス」と題されたボーナスCDには、はっぴいえんどが当時ライブで演奏していた曲のカバーが収録されている。Oz discで予約注文および注文を行うと、はっぴいえんどのシングル3枚をカバーしたアナログシングル盤3枚と、ベスト盤『CITY』のカヴァーを収録したCD-Rが特典として配布された。
- 風街クロニクル 〜another side of happy end〜(2004年11月3日、MHCL-427)
- 解散後に細野・大瀧・鈴木のいずれかが作曲、松本が作詞を手掛けた各メンバーのソロ、他者提供曲、カバーなどを収録した2枚組コンピレーション・アルバム。
- ひっぴいえんど(2009年2月18日、CD+DVD:COZP-354【初回限定盤】, CD:COCP-35382【通常盤】)
- CITY COVER BOOK(2010年12月15日)
- はっぴいえんどのベストアルバム『CITY』を丸ごとカヴァーしたアルバム。
関連項目
[編集]- 小坂忠
- 鈴木慶一
- ティン・パン・アレー (バンド)
- イエロー・マジック・オーケストラ
- ハックルバック
- 日本語ロック論争
- ニュー・ロック (音楽)
- 奥村靫正
- 野上眞宏
- 吉野金次
- 裕木奈江 - アルバム『-Best Selection- ever green』に『はっぴいえんどメドレー』として「夏なんです〜」(作曲:細野晴臣)、「氷雨月のスケッチ〜」(作曲:鈴木茂)、「かくれんぼ」(作曲:大滝詠一)(いずれも作詞:松本隆、編曲:見岳章)が収録されている。
- 1970年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「日本で作詞・作曲家になる方法」『月刊平凡』1980年6月号、平凡出版、114頁。
- ^ 「保存版 音を2倍楽しむためのニューミュージック百科」『月刊セブンティーン』1979年8月号、集英社、32-33頁。
- ^ a b c d e Jロック&ポップスCD名盤ガイド編集委員会『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』立風書房、2001年、199頁。ISBN 4651820484。
- ^ 『MUSIC×WORDS』MUSEUM TALK 松本 隆(作詞家) × 佐野 史郎(俳優/ミュージシャン)」(Internet Archive)
- ^ 中川右介『松田聖子と中森明菜』幻冬舎〈幻冬舎新書064〉、2007年、151頁。ISBN 978-4-344-98063-1。
- ^ 『BAND LIFE―バンドマン20人の音楽人生劇場独白インタビュー集』メディアックス、2008年、270頁。ISBN 9784862016140。
- ^ バンド少年たちから<神>と呼ばれた超テク・バンド! 伝説の最強ロック・トリオ「フライド・エッグ」。 (Internet Archive)
- ^ a b c 「ニューロック基礎講座 証言#2 つのだ☆ひろ」『ROCKS OFF Vol.04』2008年3月16日発行、シンコーミュージック・エンタテイメント、21頁、ISBN 9784401631827。
- ^ a b 「特集 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 宇崎竜童インタビュー」『ROCKS OFF Vol.04』2008年3月16日発行、シンコーミュージック・エンタテイメント、165頁、ISBN 9784401631827。
- ^ a b 恩蔵茂『ニッポンPOPの黄金時代』KKベストセラーズ、2001年、234頁。ISBN 4584120250。
- ^ 小貫信昭『歌のなかの言葉の魔法』ヤマハミュージックメディア、2003年、112頁。ISBN 4636206541。
- ^ 野地秩嘉『芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代』新潮社、2006年、96-99頁。ISBN 9784104141029。
- ^ “松本隆トリビュートに細野晴臣、YUKI、マサムネ、小山田壮平ら参加”. ナタリー. 株式会社ナターシャ (2015年5月4日). 2020年5月5日閲覧。
- ^ “松本隆の作詞曲を豪華ゲスト&風街ばんどが実演!フォーラムで2日公演”. ナタリー. 株式会社ナターシャ (2015年5月14日). 2020年5月5日閲覧。