コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者‐会話:Hatukanezumi/archive03

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

過去ログ -

新しいメッセージを書く

お知らせ
2008年12月21日-2730日の間、ネットワークアクセスが間遠になります。当会話ページでご質問等いただいても、数日かそれ以上読めない場合があります。ウィキメールについても同様です。 --Hatukanezumi 2008年12月12日 (金) 22:57 (UTC)[返信]

エホバの証人のノートにおける議論について

[編集]

>「アタナシア信経」は聖公会で用いられますが、「一般的でない」と切り捨ててよいのですか。まして、ローマカトリックやギリシャ正教会を「一般的でない」と言うのは、いくらなんでもひどすぎるんじゃないでしょうか。

これについては、「もしかしてカトリックギリシャ正教会では使っているのかも知れませんが、」というのは、そうかどうかわからない、もしかしたらそうかもしれないが、やっぱり違うかもしれないと正直に感想を意見をのべているだけで、「そんな一般的でない表現を使うことに対して」と直接つながるものではありません。誤解を生んだのかもしれませんがここまで歪曲されるといい気持ちはしません。あなたの考えは事実ではありませんので、撤回していただきたい。

>また、ユニテリアンで話がぼやけるとおっしゃいますが、キリスト教関連思想や人道思想の日本への紹介という面では、決して無視できない存在です。
>また、あなたはご自分の知らない話題や興味のない話題を向けられると「話がぼやける」「一般的でない」とおっしゃっているようにも見えます。それでは、かえって自分のPOVに固執しているように見えてしまいます。

下線部は、印象操作と論点そらしで、事実ではありません。わたしは、冒頭分の内容について話し合っているのであり、わたしは、一貫してエホバの証人の教理のみを問題にしているのです。ユニテリアンの社会的意義とか(実は当然わたしも知っています、というか少なくとも過去その種の話を載せた本を読んだことがあります。)もちだしたら話が脱線してどうにもならなくなることをご理解ください。わたしはそういうことを話しているのではないし、記事の内容にも直接関係ありません。

この2点については、あなたのわたしに対する印象操作であって、事実ではありません。あなたのほうから言い出したのだからこれをまず撤回していただきたい。できることなら謝罪する勇気と誠意を期待します。


それから、「アリウス派」と「アリウス主義」のことを言っておられましたが、これは、「アリウスの考えを支持する派、集団」、「アリウス的な考え方」を言い換えた一般的な表現にすぎません。だから典拠を示せとかいわれても答えようがありません。一方で、「アタナシウス信経」は表記ゆれであると推測しているくせに、「アリウス派」の場合はなぜ表記ゆれとか一般的な表現と考えないで、全く関係のない金日成の話に飛躍するのか理解できません。


それからあなたが異端の語に過剰反応していて、この問題に関する知識がないために誤解していると思ったので、下記の説明をしたのです。しかしあなたの態度は全くの無視です。これでは、議論がなりたちません。知らないことを素直に認められない姿勢は感心しません。認めたくないから、反論できないと悔しいからと、相手の意見や前レスを読まないか無視して印象操作をはじめてしまったら話し合いは進みません。

ノート:エホバの証人の議論を一部修正のうえ再掲)

>同時にその団体を断罪するために使われるべきでもありません。Siyajkakさん自身が同集団を断罪したい気持ちをあらわにしているために、反発を生んでいることにも、気をとめていただきたいとおもいます。まして、「異端である」と断言するような変更にはとても賛成できません。
についてですが、これは、あなたが異端という言葉に過剰反応して、断罪していると思い込んでいるだけです。そんなことなら、ニカイア信条に書いてある「神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、 変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、 公同なる使徒的教会は、呪うべし(アナセマ)」と書かれていることは、POVだからと、あなた個人の感情で否定しなければならないことになります。「アナセマ」の語がなくてもあなたの主張からすればニカイア・コンスタンティノポリス信条もPOVになってしまいます。どうしてもご自分の意見を通したいなら、ギリシャ語なりラテン語をならって、タイムマシンに乗って4世紀の世界のニケーア公会議第1コンスタンティノポリス公会議にでて、異端というのは断罪だ、POVだと叫んできてください。それから、信条の本文に異端とは書いていないというかもしれませんが、アリウス派は異端と世界史の教科書にだって書いてあります。それとおなじようにキリストを被造物とする考え方は異端であることには変わりありません。表現を穏やかにするなら、キリスト教ではない、キリスト教とは違うことを明記するということなら理解できます。
実は、三位一体は、キリスト教の教理の根本そのものなので、キリストが神でなく被造物だとしたら、十字架で個人の原罪を償うこと、個人の罪を背負って十字架上で身代わりに死ぬことができないことになり、十字架の贖罪を信じれば救われるという救済の教理が根本から崩れてしまいます。カトリックの場合は煉獄とか善行が救いに影響するという教理が部分的に見られますが、新約聖書のパウロ書簡アウグスティヌスルターの著書を読めばわかるように救済の教理については本質的には変わりません(ただwikipediaの記事については、自由主義神学新正統主義などの影響が強い特定の立場で書かれた記事が多いのでこのあたりがぼやけている傾向がある、つまり実はPOVなので、福音派いのちのことば社とか聖霊派の立場の本も合わせて読む必要がある)。教理の問題は人が救われるか救われない(ゲヘナに落ちるか)の問題なので、ことの是非はともかく火刑のようなことまでおこなわれた命がけの話だったのです。それを一時的な感情論で、POVだ、断罪していると軽々しく主張していだだきたくありません。ご自分が知らないことは知らないとして口を出すのは厳に慎まれたい。ちなみにわたしは、自分の苦手な分野や自信のない分野は手をださないようにしています。(再掲おわり)


>しかし、同様に部外者の目からみると、「三位一体を否定する」というのが「アリウス派に近い」というのは、あまりに粗雑な主張だと考えます。
これもおそらくニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条を読まず、以前のノートの議論を無視していることが明らかだったので、下記のように答えたのですがこれも無視です。こういった基本的なことを押さえないで、記事が編集できるわけがありません。どうして他人に対して、正しいと主張しているとか固執していると決め付けるのでしょうか。他人に対して、太い文字を使うなと言う以前に、こういった基本的な典拠をおさえないことは、議論する基本的な姿勢や記事を作成しようとする基本的な姿勢が欠けているということです。それをもうすこし素直に自覚してください。
ノート:エホバの証人の議論を再掲)
粗雑かどうかは、下記のニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条の引用文を読めば普通は理解できるはずです。あなたはこれをちゃんと読んでいるのでしょうか。※下線部は、エホバの証人が否定する部分
---ニカイア信条・引用はじめ---
主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、(神からの神)、光からの光、 まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして
・・・(中略)・・・
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、 変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、 公同なる使徒的教会は、呪うべし。
---引用おわり---

---ニカイア・コンスタンティノポリス信条・引用はじめ---
主は神のひとり子、 すべてに先立って父より生まれ、 神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、 造られることなく生まれ、父と一体。(カトリック教会の訳文)


一の主イイスス・ハリストス、神の獨生の子、万世《よろづよ》の前に父より生まれ、光よりの光、真《まこと》の神よりの真の神、生まれし者にして造られしに非ず、父と一体にして(ギリシャ正教会の訳文)
---引用おわり---(再掲終わり)

悲しいことですが、あなたとの話し合いで実感したのは、自分が苦手な分野は揚げ足取りと印象操作で切り抜ける、相手の意見を認めると不利になるから一切無視するのが議論に勝つ方法だ、ということです。ノートの最後の提案さえ冷静さを装った印象操作にしか思えません。おそらく、コメント依頼をしたら、議論を丁寧に読む人やわたしに好意的な方が現われない限り、あなたは、わたしに勝つだろうとおもいます。そしてうまくいったらわたしをブロックに追い込めるかもしれません。でもそんなことを繰り返していたらもっとうわてな人が現れた場合にあなたがひどい目にあうだけだということをもっと自覚して誠意ある態度をとられるよう心を入れ換えていただきたい。---Siyajkak 2008年1月10日 (木) 09:36 (UTC)[返信]

あ、ども。
別にあなたをやりこめようとしているわけではないですよ。あなたがこの分野について知識をもっておられることはわかります。そもそもわたしの最初のコメントも、あなたの案にけちをつけようとしたわけではないです。
また、自分の意見に反対があったら反駁するのは当然ですが、その反対が悪意によるものだといわんばかりの言いかたはどうでしょうか。「印象操作」とか「揚げ足取り」という決めつけに根拠があるでしょうか。わたしは、そんな姑息なまねをしたつもりはないです (意図せずしてそうなっていた、とおっしゃるのなら謝ります)。---了解しました。Siyajkak 2008年1月10日 (木) 19:22 (UTC)[返信]
「一般的でない」という言葉のかかる範囲を誤解したことは申し訳なかったです。ただ、あそこでいいたかったことは、用語法は時代によってかわるし、専門家の間でもわかれる場合があるとおもう、ということです (やや古い文献や、そういったものを参照しがちな翻訳小説などでは、「信経」もよく使われるようにもおもいます。これはインターネット上の検索ではつかめない傾向です)。
そのため、用語法の違いを根拠として「知識をもっていない」と詰るのは、Siyajkakさんにとって不利だろうと考えました。そこで「穏便に訂正」を、と言いました。つまり、いろいろな用例があることを示して、一番一般的な用例を示唆するだけでよいことですし、まして相手に知識がないと印象づけるためにもちだすものではないとおもいました (わたしの使った「断罪する」「裁く」という表現は、おもにこの態度を指しています)。
  • 可能性としては、もしも彼らのあいだであの用語法が一般に使われているのなら、それを使ったうえで「現在ひろく用いられる用語法はこうである」と注記する方法もありえるでしょう。しかし、それだと将来の編集の際に問題が蒸し返される可能性はありますね。
キリスト教界の主流の見解が三位一体を支持しているというのはわかりますが、それへの反対の思潮を「アリウス派」で代表させてしまうのは、学問的、科学的な態度ではないとおもいます。そのことはノートで述べたとおりですが簡単に再論します。
  1. これは「アタナシウス信条」の表記の揺れとはまったくことなります。同信条がアタナシウスの手になるものでないことはあきらかになっていますし、同信条を採用しなくても三位一体の教義を支持する教派はあります。またこれは祈祷書教義文献または典礼文献の名称にすぎないです。
  2. いっぽうで「アリウス」「アリウス主義」という表現は、特定の論者の論に賛同する集団や思想を意味しています。しかし、三位一体の否定がすべてアリウスの思想やそれへの支持者の思想に起源をもつわけではありません。したがって、この呼び名で三位一体否定の主張を十把一絡げにするのは、歴史を無視した表現です。また、「アリウス派に近い」というのなら、どのように近いのか (遠いものもあるということですから) が確認できる必要があり、そのことを述べた出典が必要です。出典がなければ、それは決めつけです。

※これについての反論は、読みにくくなるのでここに書きました。

  • 追記。グノーシス主義なんかは、そのへんを苦労してかなり丁寧に書いてますね。グノーシス的な思想傾向というのは、古代のキリスト教グノーシスに限らず、現代の漫画作品のモチーフにまでくりかえし現れるものですから、十把一絡げにはできないでしょう。
また、そういう決めつけは弱点でもあります。実際、脚注のかたちで逆のPOVを混入させることを許してしまっています (「決めつけされたのだから、対抗しよう」というわけです)。ですので、あの記述に関しては、入れるのなら十分な出典をつけて妙なPOVを混入させないようにすべきだと考えています。
  • しかし、出典を探してみれば、あの記述はもっと中立的、客観的な表現に変えざるをえないし、最終的に存続しえないだろうともおもいます。
そういうわけで、三位一体の肯定否定とは別の話をしたつもりでした。その意図が充分つたわらなかったようで、その点は申し訳なかったです。
なお、ニカイア・コンスタンチノポリス信条も「主流派のPOV」ですよ。たまたま主流派の意見だから、「ちゃんと出典を示さないとPOV独自の研究だ」という指摘をする傾向が弱まっているだけです。 --Hatukanezumi 2008年1月10日 (木) 17:00 (UTC) 誤用修正。 --Hatukanezumi 2008年1月11日 (金) 15:58 (UTC)[返信]

主流派という表現こそがPOVなのですが...わたしは、エホバの証人を非主流とは考えていません。ほかにも再反論を準備しなければなりませんが、とりあえず数点だけ。

>そのため、用語法の違いを根拠として「知識をもっていない」と詰るのは、Siyajkakさんにとって不利だろうと考えました。そこで「穏便に訂正」を、と言いました。つまり、いろいろな用例があることを示して、一番一般的な用例を示唆するだけでよいことですし、

これは、やはり「アタナシウス信経」なのか「アタナシウス信条」なのかわかりませんがこの用語を使えということですよね。わたしが不利だという配慮をなさっていたようですが(なぜ配慮されなければならないかわかりませんが)、あなたが、わたしの言葉尻をとらえないで、カトリック教会とかギリシャ正教会で使われている祈祷書(なのですか?)なら、単純にその事実を話してくださればよかったのですよ。そうすれば、この用語を使うべきなのかという話に発展できますので。
それをその用語を使う立場を主張するあなた自身が、その用語を使うことを否定したいわたしに対して使う方向で調べろというから(すくなくともそのように受け取れたので)、なんで自分があなたのために調べなければいけないのかと頭にきたのです(気持ちはそうでも、中傷する意図ではないので、よくないたとえで恐縮ですが、まさしく小中学生に宿題をやれと命令されるような不愉快さを感じたということですを配慮のために見え消し。)。

>まして相手に知識がないと印象づけるためにもちだすものではないとおもいました (わたしの使った「断罪する」「裁く」という表現は、おもにこの態度を指しています)。

これは異端の話で言っていたんではなかったんですか。話をすりかえないでください。知識がないことを印象づけるためではありません。

>これは「アタナシウス信条」の表記の揺れとはまったくことなります。同信条がアタナシウスの手になるものでないことはあきらかになっていますし、

「アタナシウス信経」なのか「アタナシウス信条」なのかはわかりませんが、「アタナシウスの手になるものでないことはあきらか」というのはそのとおりでしょう。このようなことは伝承の類でそうなっているんだろうということは容易に想像できますから。

>同信条を採用しなくても三位一体の教義を支持する教派はあります。
>三位一体の否定がすべてアリウスの思想やそれへの支持者の思想に起源をもつわけではありません。したがって、この呼び名で三位一体否定の主張を十把一絡げにするのは、歴史を無視した表現です。

これはいうまでもないことです。わたしは、三位一体の否定=アリウス派と結び付けているわけではないことは、エホバの証人は、ニカイア信条ないし、ニカイア・コンスタンティノポリス信条に照らして異端である、と一貫して述べていることからわかるはずだと思っていたのですが...あなたに対して、わかりやすいようにアリウス派を挙げたほうがいいという配慮が逆手に出ていたことがようやく理解できました。ただ、世界史の教科書で学んだ人には「アリウス派に近い」といえばすうっと理解できるという効果があるのは否めないでしょう。

>なお、ニカイア・コンスタンチノポリス信条も「主流派のPOV」ですよ。たまたま主流派の意見だから、「ちゃんと出典を示さないとPOVだ」という指摘をする傾向が弱まっているだけです。

このような基本教理や人の救いに関する大切な問題について簡単に強弁しないでいただきたい。わたしが述べてきた三位一体と贖罪や救済に関する教理との関係の説明を再度読み返すことをおすすめします。ただ脱線部分でHatukanezumiさんの背景は理解できました。それだけいろいろご存知ならこのことに対して出典とか言わないでわたしを消耗させないことを期待させていただきます(もちろん記事本文では基本的な文献の出典は必要だと思います)。また、話し合う態度を示していただけたことに敬意を表します。それから、わたしは、クエーカーの人々はキリスト教徒だと考えています。---Siyajkak 2008年1月10日 (木) 19:22 (UTC)---加筆修正Siyajkak 2008年1月10日 (木) 19:27 (UTC)--再修正Siyajkak 2008年1月11日 (金) 08:33 (UTC)[返信]

>また、そういう決めつけは弱点でもあります。実際、脚注のかたちで逆のPOVを混入させることを許してしまっています (「決めつけされたのだから、対抗しよう」というわけです)。

このようなあなたの主観的な思い入れと印象操作は成り立ちえません。わたしは、事実であってPOVとは思っていませんので。出典もはっきりしているのにどこがPOVなのでしょうか。かえってエホバの証人の方の意見がはいってよかったと満足しているのです。

それから例のIP氏がさかんに入れたがっているのは、アリウス派の問題ではなく、あなたも反対している「聖書正典のみを研究し」の部分であり、したがって、

  • しかし、出典を探してみれば、あの記述はもっと中立的、客観的な表現に変えざるをえないし、最終的に存続しえないだろうともおもいます。

ということはありえません。冒頭の記述は、エホバの証人の関係者と目されるRigelさんと話し合って決めた記述であって、もし変わるとするなら例のIP氏のような人々が人海戦術で書き換えるか、合意もなく書き換えるか、逆に普通のキリスト教徒や一般の人が来て、異端ということを強調するか、エホバの証人に都合の悪い記述にするかどちらかで、過去のノートを読んでも似たような議論が異口同音に繰り返されていることからも明白だとおもいますが…。あなたもそれだから熱心に読まないのかもしれませんが…存続しえなくするような考え方こそがPOVで、すなわち誤りなのです。違うというならあなたがもっと勉強してPOVでない(ただし、今のあなたにとって必ずしも好ましいものになるとは限りませんが)建設的と思われる具体案をだすべきです。---Siyajkak 2008年1月14日 (月) 16:09 (UTC)[返信]

脱線。会話ページなのですこし脱線すると、わたしのキリスト教との接点は自由主義神学的な雰囲気の場が多かったとおもいます。典礼などもふくめたちゃんとした組織的基盤をもった伝統的なキリスト教教団の実態は、あまりよく知らないです。
いっぽうで、そのほかの部分というと、フレンズのようにかならずしもキリスト教とみなされないようなひとたち (でも日本にもミッションスクールを設立してたりするんですね) とか、無教会のかたがたとか、会堂をもたずに毎週メンバが持ち回りで集会を持っては歌って踊るようなかたたちとか、そういうあまり主流でなさそうなかたたちとの出会いが多いです。まとめていうと、キリスト教の日本で土俗化した部分というか。そういう目からみると、キリスト教界の「主流の見解」というものは、輸入されたキリスト教の特定教派、教団のPOVだという感じを強くします。いずれにしてもわたしは、そういうさまざまな様相をもつキリスト教というものを、外部からながめている立場なのだとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年1月10日 (木) 17:51 (UTC)[返信]

ノートのレス拝読いたしました。IP氏については、同感ですね。でもアカウントを取得した思われるため監視が必要と思われます。いま読み返してみて、きつい言い方がおおかったかなと感じましたので、それについてはお詫びいたします。---Siyajkak 2008年1月18日 (金) 03:43 (UTC)--一部訂正Siyajkak 2008年1月18日 (金) 16:59 (UTC)[返信]

ものすごく基本的な質問

[編集]

こんにちは。Yassieです。

議論するほどのことでもないので手短に済ませることにします。以下2つの質問にお答えください。

  1. あなたは、何をするためにWikipediaにいますか?
    A
  2. あなたは、上記1.で述べた参加目的を、具体的にどのような形で達成していますか?
    A

念の為に言っておきますが、私は上記2つの質問の両方に即答できます。では。Yassie 2008年1月26日 (土) 06:09 (UTC)[返信]

こんにちは。
答えはわかっていらっしゃるようですから、答えません。 --Hatukanezumi 2008年1月26日 (土) 06:12 (UTC)[返信]
私が同じ質問をされたときに即答できる、と言っているのですが。私はあなたの答えを聞くために上記の質問をしています。どうしても答えないということであれば、対話拒否とみなさざるを得なくなります。Yassie 2008年1月26日 (土) 06:16 (UTC)[返信]
ここであなたの質問に答える必要はないものと考えています。 --Hatukanezumi 2008年1月26日 (土) 06:20 (UTC)[返信]
あくまでも対話を拒否すると仰るわけですね。それならばそれで、対話拒否を理由とした投稿ブロック依頼を検討させていただくまでです。もう一度だけチャンスを差し上げることにしますので、お答えください。Yassie 2008年1月26日 (土) 06:23 (UTC)--微修正 Yassie 2008年1月26日 (土) 06:28 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさん。Yassieさんの質問に対する回答。お疲れ様でした。Hatukanezumiさんの編集に対するスタンスがよく分かり、適切な回答をされたものであると感服いたしました。これからの健闘も心より応援しております。もっとも、その余地があれば、の話ですが。GcG / avatar of femtowaros 2008年1月26日 (土) 07:00 (UTC)[返信]

スタブ未満作成停止のお願い

[編集]

せっかく作成して頂いた記事も、内容が十分でないと後になって削除依頼されるようなことになるかも知れません。そうなってはお互い残念です。ですので、できるだけ、量的、内容的にまとまりのあるものを書いていただけるよう、お願いできますでしょうか?--あむり 2008年1月26日 (土) 08:23 (UTC)[返信]

あどうも。
削除依頼が終了したようですので、予定していた残りの編集を含め再投稿しました。まあ上の節の話題に対する反応だとおもわれたんでしょうね。そんなせこい人間だとおもわれてたというのは、残念です。 --Hatukanezumi 2008年1月26日 (土) 10:05 (UTC)[返信]
書けるのなら、なぜこの版を最初から投稿しなかったのでしょうか? 記事と呼び得る分量を書けるにもかかわらず、定義にも満たない字引記事を投稿したのですから、あなたはあのような悪質な悪戯を意図的に行ったのではないか、という疑いが強まりましたね。そういうことをするのであれば、せこい人間だと思われても仕方ないでしょうね。Yassie 2008年1月26日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
Commonsの履歴も見てもらえばわかるとおもうんですが、途中で画像をつくってたんですよ。とりあえず定義文だけ書いたのは、「自分がこの記事を書く」という宣言みたいなもんです。「歴史」と「論争」の節を節スタブにしてあるのは、ちょっと調べなければならないことがあるんで、その間にほかのひとが加筆してくれてもかまわない、というつもりですね。これを「悪質な悪戯」と言うのは、ちょっと無理があるんじゃないかな。
まあ疑うのは自由ですが、それをいちいち口にだす必要もないんじゃないですか。 --Hatukanezumi 2008年1月26日 (土) 10:26 (UTC)[返信]
画像を作成していたというなら、文章はワードパッドやMicrosoft Wordなどの外部エディタにでも保存しておいて、画像の分も含めたものを初版として投稿すればいいだけの話ではないでしょうか。
>とりあえず定義文だけ書いたのは、「自分がこの記事を書く」という宣言みたいなもんです。
そんな宣言のために中途半端なサブサブサブサブスタブを投稿する必要は無いですね。意図的にやったんだったら「悪質な悪戯」以外の何ものでもないわけで、「悪質な悪戯と取られかねないようなサブサブサブサブスタブ」よりも相当悪質度が高いわけなんですが。ものすごく基本的な質問にすら答えず、意図的に悪質な悪戯をしておきながら自己反省も無く、筋の通らない言い訳をぐだぐだぐだぐだ並べるとは、いったいどういった了見なんでしょうかね。Yassie 2008年1月26日 (土) 10:39 (UTC)[返信]
そんなに気になるのなら、コメント依頼でも出してみてはいかがですか。 --Hatukanezumi 2008年1月26日 (土) 10:44 (UTC)[返信]

警告

[編集]

荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となりますので、ご注意ください。

言うまでもないことですが、上記警告はWikipedia:お知らせにおける他者の発言の改竄行為、およびふら下げ組み関連の悪質な悪戯+議論妨害に対してです。ものすごく基本的な質問にすらお答えいただけないという対話拒否も加えて、この数時間の間にこれだけの問題行為を見てしまっては、私としてもとても看過するわけにはいきませんので、十分にご注意ください。では。Yassie 2008年1月26日 (土) 09:01 (UTC)[返信]

質問

[編集]

「自発的辞任の見込みがないときはだれでも権限除去を依頼してよいというのもまた、方針に示されている」とのことですが、具体的な箇所を教えてください。--Dojo 2008年1月27日 (日) 14:38 (UTC)[返信]

あども。
Wikipedia:管理者の解任より引用します:
  1. 解任手続き
    1. 解任を決定する投票結果が確定した時点で、当該管理者はその権限を失います。管理者として振舞ってはいけませんし、その機能を使用してはいけません。
    2. 自ら辞任手続きをすることが望ましいですが、そうでない場合は、Wikipedia:管理者の辞任#他の参加者が管理者の辞任を望む場合の規定に沿って、m:Requests for permissionsでのm:スチュワードへ依頼してください。
まあ「そうでない場合」をどう判断するかはひとそれぞれだとおもいますんで、わたしの判断に対する異論は当然あるだろうとおもいます。
ただ、Sumaruさんの指摘の「反対したのに解任を急ぐのはおかしい」(大意) というのは、変じゃないかな。わたしは、反対の意思表明は投票期間中にやったし、投票後の異議申し立てもしなかったんだから、あとは手続きが円滑にすすめばいいです。余計な波乱は必要ないですし、当該利用者はそれをまき起こしそうなひとでもある。
つまり、わたしは彼の行状自体には、かなり強く批判的なんですよ。何回か、彼がノートで言い争いを起こしそうになったときに、とめたこともあるし。ただ、管理者解任でそれを問うのはピントが合ってないとおもうから、反対に投票しただけで。 --Hatukanezumi 2008年1月27日 (日) 14:52 (UTC)[返信]
何か誤読されているようなので申し上げておきますが、「反対したのに解任を急ぐのはおかしい」などと申したつもりはありません。私が気にしたのは投票内容ではなくコメント内容のほうです。つまり、Nikeさんの行動に「権限乱用に当たるものが見当たらない」といっていた方が急いで出すのは疑問だ、と申し上げたのです。すぐに除去しなかったときに実害を伴う形で起こりうる混乱は、解任確定後の権限乱用くらいしかないはずです。乱用の危険性がないと判断できるのなら、数日様子を見ることに何の問題もなかったはずでしょう。当該利用者が巻き起こしそうな「余計な波乱」とは一体どのような事態を想定しておられるのでしょうか。--Sumaru 2008年1月28日 (月) 03:19 (UTC)[返信]
幾つかの編集をなさっているようですが、上記の疑問にもお答えいただけないでしょうか。あなたはむこうでは「当該利用者のアクティビティの低下度合いや、これまでの行状から見て、きちんと手続きを踏んで辞任してくれるともおもえませんでしたけどね」と述べており、余り活動なさらなくなっているNiKeさんがわざわざ舞い戻って後始末をすることに否定的な見解を示していました。しかし、「余計な波乱」発言はむしろNiKeさんが舞い戻って悪さをする懸念を抱いた、と読めます。これは矛盾していますし、矛盾のないように理解するならば、あなたは彼のことを「後始末のためにわざわざ戻ってくることはしないが、余計な波乱を起こすためだけになら戻ってくる人物」と述べたことになります。
合理的に納得しうる根拠が挙げられない限り、これはWikipedia:個人攻撃はしないに抵触するのではないかと思います。判断の根拠となった彼の言動を具体的に挙げた上で「余計な波乱」とはどのような事態を想定したものだったのか、明確にお答えいただけないでしょうか(動議提出者に対して過去の議論をまとめたページを作ることを提案なさっていたくらいですから、ご自身の発言に対しても同じようなことができるものと信じます)。--Sumaru 2008年1月29日 (火) 03:17 (UTC)[返信]
えーと。こっちで答えておきます。
誤読があったのは申し訳なかったです。また、当人が自分で落とし前をつけることを待つべきだという意見が、いまになって見られたことは、投票期間中のコメントの応酬を読んでいて受けた印象からは、おもいがけないことです (そんな意見をもつひとはもういないのだろう、とおもっていた、ということ)。
解任投票なのですから管理者に対する批判を述べるのは当然として、弁明する意見に対してまで入れ替わり立ちかわり激しい言葉があびせられる様子には、正直、うんざりしていました (弁明する側の意見が納得のいくものであったかどうかとは、また別の話ですが)。さっさと終わらせてほしいという思いから、規定の許す範囲内の (と自分では解釈した) 方法で早期決着をはかりました。
つまり、わたしはSumaruさんのおっしゃるような、「管理者権限の早期除去は、管理者権限使用が強行されたときにかぎる」「進退の決定は原則として本人の意志による」(大意) といった考えかたを、無視して行動しました。
「余計な波乱」とは、投票のノートでも述べたとおり、当該利用者のノートで言い争いが継続されることです (強い言辞で相手の動揺をさそい、それを複数で援護するような手法がまかり通る以上、そのようなことが起こる懸念が去りませんでした。まあそれに乗せられてしまうとしたら、乗せられるほうも悪いのでしょうけれども)。そのような事態に立ち至った場合には、解任に賛成した側にも反対した側にも、また傍観していた多くのひとにとっても、禍根を残すことになるようにおもわれました。
「手続きを間違った」との指摘もありましたが、形式上ではなく規定の精神にそっていないという意味なら、まったくそのとおりです。わたしは、自分が規定を意識的に誤用したと考えています。 --Hatukanezumi 2008年1月29日 (火) 14:36 (UTC)[返信]
ご丁寧なコメントありがとうございました。ただ、根本的なところで納得の行かない部分がありますのでまもなくコメント依頼を出させていただく予定です。ただ、ここでは一点だけ、非常に不快に思った点について異議を申し立てさせていただきます。
>当人が自分で落とし前をつけることを待つべきだという意見が、いまになって見られた
とのことですが、私はあのノートで2度意思表示をしています。それぞれの結論部で述べたのは次のとおりです。
>この動議が通るか通らないかに関わりなく、対話姿勢については是非御再考いただきたいと思います。
>むしろ過去のまともなご貢献を台無しになさらないように一度ご再考いただきたいと思い、賛成票を投じた次第です。
見ての通り、私は一貫して本人の姿勢を自発的に改善していただくことに強い希望をにじませていました。そして姿勢の改善は口先でなく行動で判断すべきというのはオトナにとって常識ですし、これには当然ご同意なさると思います(むこうでのNekosuki600さんのコメントと被りますが「自分で後始末をする」というのも姿勢の改善を示しうる例の一つだと思います)。「いまになって見られた」などという、あたかも後追いのこじつけによって御自分が批判されているかのように騙られるのは非常に残念ですし、不誠実な行為だと思います。--Sumaru 2008年1月30日 (水) 03:14 (UTC)[返信]
えっ? 最後の一文だけが理解できません。わたしは上の発言によって、自分が(不当に)批判されていると印象づけようというつもりはまったくなかったからです。
とはいえ、コメント依頼を提出していただいたので、それは読んでいるようにします (なお、最近「被依頼者からのコメント」といった節を設けるのがはやっているみたいですが、わたしはあの依頼ページでコメントする意志はありませんので、配慮は無用です)。 --Hatukanezumi 2008年1月30日 (水) 05:58 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/Hatukanezumiを提出させていただきました。--Sumaru 2008年1月30日 (水) 04:20 (UTC)[返信]

robots.txtの件

[編集]

Hatukanezumiさん、こんにちは。Wikipedia:井戸端/subj/同名アカウントを削除の後、再取得可能かでHatukanezumiさんはBugzillaに依頼を出すという発言をしていらっしゃいますが、すでに提出済みでしたらそのbug#を教えていただけないでしょうか。実は、ロボット除けされているはずの削除依頼のログがGoogleで検索できてしまうので、その穴をふさぐためにrobots.txtにエントリの追加を依頼しようと考えています。現状どうなっているかを確認したうえで、追加依頼とするか新規に依頼するか判断したいと思っております。

もしも、依頼がまだでしたら、私の方でまとめてやってしまってもかまいません。--Michey 2008年1月28日 (月) 05:37 (UTC)[返信]

あども。「異論がなければ」と言ったものの、あれだけ意見が少ないと、やっていいものやら悪いものやら判断がつかないんで、こまったなあと。Micheyさんは賛成ということでいいでしょうか。個人的には、robots.txtの変更くらい気楽に依頼しちゃってもいい気はするんですが、いちおうプロジェクト横断的に影響があることなので。 --Hatukanezumi 2008年1月28日 (月) 06:33 (UTC)[返信]
私はその件について、「コミュニティの判断に従う」以上の積極的な意見はもっていません。簡単に言ってしまえば、賛成でも反対でもありません。今回まとめて作業を提案した理由は単純で、類似の作業をまとめた方がなにかと楽だからです。
もしも、Hatukanezumiさんがもう少し積極的な賛成が欲しいということなら、議論を続けた方がよいかもしれません。その場合には私は別個に作業することになるでしょう(私の方は範囲が限定されており、他プロジェクトからの反対もないだろうと思われるので)。--Michey 2008年1月28日 (月) 15:32 (UTC)[返信]
なんだか煮えきらなくてすみません。せっかくのお申し出ですから、まとめて依頼をお願いしちゃっていいですか。
実際にどうなるかを見て意見をもつようになるひともいるかもしれないんで、その結果異論がでたら、そのときはまた別の依頼をすればいいとおもい直しました。井戸端のほうには、英語(もどき)のサマリを書いておきます。 --Hatukanezumi 2008年1月28日 (月) 15:40 (UTC)[返信]

了解しました。まとめて依頼することにします。その前に、現在調査していることに加えて利用者ページの検索除けについてもどのような影響があるか確認しますので、bugzillaへの依頼はもう少し先になるでしょう。

さて、Wikipedia:井戸端/subj/同名アカウントを削除の後、再取得可能かにて、なぜ意見があまり出てこなかったかについてHatukanezumiさんは原因をあまりわかっていらっしゃらないようなので、私なりの考えを述べたいと思います。

議論を円滑にすすめるコツは先の先まで考えることです。言い換えると、自分が発言した結果どのような反応があるか、またその反応に対してどのように発言を返すか、までを充分考慮することです。そうすれば自分の発言が原因で議論が横道にそれることはありませんし、相手方が横道にそれた場合軌道修正しやすくなります。しかし、Hatukanezumiさんは相手の反応すら考慮していない発言が目立ちます。私が最近見た中でもっともひどいのが2008年1月24日 (木) 16:19 (UTC)に井戸端でされた発言です。Hatukanezumiさんはどのような反応を期待していたのでしょうか? この発言でこの議論が解決へ向かうのでしょうか? 私には単なる議事妨害にしか見えませんでした。

今回の議論でも、2008年1月5日 (土) 14:38 (UTC)での発言で、要約欄に「まったく古参は」と書いています。一応、私も活動期間だけは長いユーザーです(たいしたことをしていませんので、古参なんて呼んで欲しくないのですが)。その議論で私のようなユーザーは、Hatukanezumiさんにとって害になるのでしょう。邪魔してしまうだけなのでしょう。そう思って私はその議論に参加せずに見守ることにしました。まあ、私がどうとったかはそれほど重要ではないですよね。それは、おいときましょう。

提案とともに愚痴をいれるのは議論を混乱させる原因となります。提案したいのか、それとも愚痴をいいたいのか判別がつきませんし、言い争いにつながります。ですので議論に参加する人を減らすことになるでしょう。他人の愚痴につきあうほどお人好しな人はそう多くありませんし、トラブルになりそうなことに進んで身を投じるなんて時間と労力の無駄です。この件も結局、Wikipedia:井戸端/subj/同名アカウントを削除の後、再取得可能か#その他の議論で言い争いになり、ぐだぐだになってしまいました。Hatukanezumiさんが提案とともに持ち込んだ火種が燃え広がって、不毛な跡地になってしまいました。この議論に参加された他の方々の提案や労力が無駄になってしまいました。これは、その方々にとって失礼なことです。

Hatukanezumiさんが議論に火種を持ち込んだ例はこれだけではありません。Hatukanezumiさんの履歴から焼け跡をいくつか見つけることができます。こうした例が蓄積されるとHatukanezumiさんが関わっている議論に首を突っ込むことを避けようとする方が増えるでしょう。身を引く人が増えるでしょう。結果、意見があまり出てこなくなるでしょう。

もうこれはHatukanezumiさんの性格によるものなのでしょう。性格は直そうとしていても簡単に直せるものではありません。直そうとしないで直ることなんでまずありません。なのに問題点を充分認識していないように見えます。私は落胆するしかありません。このままでは「害にしかならんので、行動様式をあらためてほしいものです」(2008年1月5日 (土) 14:38 (UTC)でのHatukanezumiさんの発言より)。Hatukanezumiさんには、それは「無理」なのでしょうか?

もし、無理なのでしたら当面の間、ウィキペディア全体に関わる議論、運営に関わる議論などなどへのご参加を遠慮願いませんでしょうか。少なくともWikipedia:コメント依頼/Hatukanezumiが提起された原因については後始末をしっかりつけてください。お願いします。--Michey 2008年1月30日 (水) 09:34 (UTC)[返信]

わかりました。コメント依頼を読みながら考えてみることにします。
で、お手数ですが、「焼け跡」の具体例をいくつか摘示いただくことは可能でしょうか。もしも可能なら、コメント依頼のほうにでも示しておいていただければとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年1月30日 (水) 15:32 (UTC)[返信]
そうですか……。今がギリギリのタイミングなのですが、このままこの状況に身を任せてしまうわけですね。残念です。私は諦めることとします。申し訳ありませんが、具体例もコメント依頼で他の方々が提示するものにお任せすることにします。お騒がせしてごめんなさい。--Michey 2008年1月30日 (水) 17:24 (UTC)[返信]
わたしは現時点で自分が納得していないと感じるからです。議論をしたいわけではなく、具体的、客観的に、自分がなにをしているのか知りたいためです (ですから、コメント依頼で発言せず、読むだけにすると、あらかじめ言ってあります)。それでは間に合わないというのなら、しかたがないです。 --Hatukanezumi 2008年1月30日 (水) 18:04 (UTC)[返信]

(インデント戻します)それならば、他の方より前にご自身でコメント依頼をたてられればよかったのにと思います(今更いっても遅いのですが)。おそらく、Hatukanezumiさんは、今のコメント依頼の結果が出ても納得できないでしょう。今のコメント依頼はHatukanezumiさんを納得させるためにやっているのではありません。コミュニティとしての意思確認のためにやっています。もしも、その目的のためにHatukanezumiさんがやってきたことを具体的、客観的に検証する必要があるのならそうするでしょう。しかし、コメント依頼の参加者がそれの必要性を感じなければ省略され、次の段階に進むでしょう。もうこうなっては、Hatukanezumiさんがコミュニティとして出す結論を粛々と受け入れてくださることを願います。--Michey 2008年1月31日 (木) 09:34 (UTC)[返信]

「古参」発言については謝ります。指摘されて読み返してみると、大変失礼な発言であったとおもいます。申し訳なかったです。
現在、コメント依頼が進行しているので、この場を自分の意見発表の場にしないために、この節での応答はこれまでとします。 --Hatukanezumi 2008年1月31日 (木) 15:09 (UTC)[返信]
了解しました。古参発言についての謝罪を得たことを唯一の収穫として、この対話を終了させていただきます。お付き合い頂きましてありがとうございました。--Michey 2008年1月31日 (木) 22:05 (UTC)[返信]

あなたの「謝罪文」が空文であるとの批判について

[編集]

Wikipedia‐ノート:管理者の解任/NiKe 20080110における「運営関係の議論については発言に加わらないようにしようとおもいます。具体的にどのような方法で加わらないようにするかについては、今後自分で決めます。」という発言に対して、今すぐ提示できなければ空文に過ぎないとの批判がありますが、未だ具体的な方法を決めていないのでしょうか。--Dojo 2008年2月3日 (日) 04:39 (UTC)[返信]

コメント依頼が立っていますので、その件についてはそちらでDojoさんの意見をお聞かせください。でたコメントも参考にして決めたいとおもっています。個人的には、特定の名前空間の編集をしないこととは少しちがうように、現時点ではおもっています。 --Hatukanezumi 2008年2月3日 (日) 04:53 (UTC)[返信]
あなたの回答をもってコメント依頼にて意見表明するつもりだったのですが、しようがないですね。--Dojo 2008年2月3日 (日) 04:58 (UTC)[返信]

つぎつぎにおなじようなひとがでてきても困るので、再度説明しておきます。

コメント依頼が提出されたということは、当事者を交えた対話だけでは問題が解決できないと判断されたということだと考えています。したがって、利用者についてのコメント依頼では、被依頼者がコメント依頼で反論したり、コメント依頼の存立そのものに疑義を差し挟むことは、控えるべきです。みっちさんの指摘する事例にもあるように、わたしは従前からそのようにかんがえています。

コメント依頼のなかで、被依頼者のコメントも聴いてみようじゃないかという提案が出るなら別ですが、そうでなければ、被依頼者であるわたしは、コメント依頼の最中は、コメント依頼の場であれ別の場であれ、そこで論議されているテーマについて意見を述べるべきではないとかんがえています。 --Hatukanezumi 2008年2月3日 (日) 09:13 (UTC)[返信]

画像:Siddham au.svg‎ などについて

[編集]

画像:Siddham au.svg‎など、最近の本から古い文字をスキャンしてGFDL+CC3.0でアップロードなさっておられますが、こういうライセンス設定ができるものなのでしょうか? また「そのうち入れ替えます」とおっしゃるくらいなら、最初から高画質のものをコモンズにアップロードしていただけないでしょうか。なにか特にお急ぎの理由でもおありなのでしょうか。--miya 2008年2月3日 (日) 12:52 (UTC)[返信]

原典に関しては、著作権上の問題はないとおもいます。スキャンした書籍は最近のものですが、原典をそのまま複写しており、その間に活字の解説が入っている形式です。
で、梵字の記事を書こうとおもうと、最低限、基本字母はないと書けないんですが、Unicode未登録なんですよね。デーヴァナーガリーで代替している例もあるようですし、切り継ぎされた文字はそれでもしかたないかとおもいますが (1万もの文字画像をアップロードするわけにはいかない)、それでは解説になりません。
今日のところは摩多 (母音字) 16文字だけの予定です。体文 (子音字) 34文字前後は、後日作業になるとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年2月3日 (日) 13:00 (UTC)[返信]
しまった。画像:Siddham am.svgは、なんか変だとおもってアップロードしなおしたんですが、ページ全体スキャンしたものが入っています。即時削除依頼しておきます。 --Hatukanezumi 2008年2月3日 (日) 13:09 (UTC)[返信]
つまりですね、原典がPDならば、ウィキペディアでのライセンスもPDでなくてはならないのではないかと思ったのです。また、「スキャンの品質があまりよくない」としても、最初からコモンズにアップロードされた方が、後日上書きだけで済むと思います。実のところ、「Commonsへの移動は待ってください」と日本語で書いても他言語の人には通じませんし。--miya 2008年2月3日 (日) 13:13 (UTC)[返信]
PDの著作物をもとに独自の著作物を創作することに問題はないようにおもいますが……まあ今回の場合、単純な加工 (ベクトル化して平滑化) で創作性を主張できるのかと突っ込まれると、わたしも正直よくわかりません。
「スキャンの品質が悪い」と書いているのは、実際には筆で書く文字なので、筆跡まで再現できていないという意味です。だれか書いてくださるのならそれを採用したいですが、場合によっては独自研究になってしまうという問題もあります。『悉曇三密鈔』は、当時までの古今の異体字を集めているので、原典としてはある程度信頼できます。そのなかで代表的な異体とされているものをアップロードしています。 --Hatukanezumi 2008年2月3日 (日) 13:34 (UTC)[返信]

このへんにしておきます。Miyaさんが指摘している問題については、わたしに聞いてもおそらく解決しないので、しかるべき場所で提起ください。 --Hatukanezumi 2008年2月3日 (日) 13:50 (UTC)[返信]

了解しました。--miya 2008年2月4日 (月) 03:29 (UTC)[返信]
えーとね。アップロードしたものはCategory:悉曇文字にいれておきます (カテゴリページ未作成のため赤リンクになっていますが)。編集履歴から拾い出して全体を把握するのはたいへんでしょうから。
で、カテゴリにあるうち最初の51文字 (からまで) と97文字め () はPDにすべきだという主張もありなのかとおもいます。しかし、鮮明にするための修正を加えているため、PD素材そのものではなくなっているのでねえ (独自研究ぎりぎりかと)。これが浄厳 (正確にいうと写本作成者) の筆跡だと言っていいのかどうか……。また残りについては、PD素材から派生した別個の作品だと考えます。
とにかく、疑問があるのなら「しかるべき場所で」検討してはどうですか、と申し上げています。しないのですか? --Hatukanezumi 2008年2月10日 (日) 02:14 (UTC)[返信]
疑問が呈されて「正直よくわかりません」とお答えになった以上、それ以上のアップロードはお控えいただけるかと期待していました。コメント依頼やブロック依頼の最中だったので、それ以上議論するのを遠慮したのです(Hatukanezumiさんがブロックされることを望んではいませんので)。--miya 2008年2月11日 (月) 11:44 (UTC)[返信]
もうちょっと作りたい画像もあるんですが、さしあたり必須ではないので、アップロードは今後しばらくありません。
画像をつかう予定の記事では、に置き換えてあります。結論がでたら、その結論に応じて変更するということで。 --Hatukanezumi 2008年2月11日 (月) 12:09 (UTC)[返信]

スキャン、ベクトル化、鮮明にするための修正をしたからといって、そのような作業をした人の著作物にはなりません。PD-ineligibleの導入について検討していたときに、生半可な知識で議論を撹乱していたようですが、それからも勉強していないようですね。著作権法の概説書にある著作物の意義について勉強してから文句をつけたらどうですか。「まあ今回の場合、単純な加工 (ベクトル化して平滑化) で創作性を主張できるのかと突っ込まれると、わたしも正直よくわかりません。」などと言っている人が、著作権やライセンス関係に口を出してはいけません。--Deapy 2008年2月12日 (火) 15:43 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼

[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hatukanezumiを提出しました。コメント依頼のほうをご覧になっているとのことですので、改めてお知らせするまでもないかとも思いましたが、依頼を出した者の最低限の責任と思い、こちらでもお知らせしておきます。--Sumaru 2008年2月5日 (火) 13:11 (UTC)[返信]

わざわざすみません。確認しました。 --Hatukanezumi 2008年2月5日 (火) 13:13 (UTC)[返信]
あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。この件に関するお問い合わせや異議申し立てはメーリングリストで受け付けています。
上記、ブロック依頼において賛成票多数であるため、2ヶ月ブロックしました。反対票も少なからずありますが、その中でも短期ならばブロック賛成との意見表明もありました。当然のことではありますが、時限ブロックであり、復帰は可能でございますので、落ち着かれてからの再起を期待しております。--Los688 2008年2月12日 (火) 14:42 (UTC)[返信]

コメント依頼協力のお願い

[編集]

こん**わ。実は突然のお願いなんですが、当方ではこのたび、議論を2つ発生させる必要があり、以下が立ち上がりました。

元々は一つの出来事で、記事の内容とユーザそれぞれを問うという多少変則的なものです。人によっては両方でなく、どちらか片方しか協力出来ないという方もいらっしゃるかも知れませんが、片方だけでも結構ですのでよろしくお願いします。特に西武については「形式番号の付け方については、独自研究か?」と言う、Wikipedia全体において鉄道または形式記号を持つ分野全体にわたる、大事な内容となっております。

P.S.今回の件についてですが以前一部の方には、コメント依頼でなく別の方法でお伺いした事がありましたね。あの時は大変失礼しましたm(_ _)m今回はこの通り、周到に用意したコメント依頼で出しました。--こうやま 2008年4月23日 (水) 17:07 (UTC)[返信]

あこんにちは。
鉄道車両の型式については疎いので、方針上の観点からのみコメントしました。
コメント依頼のほうはなんだかよくわからんので、ぱす。まあマルチポストは目くじら立てることでもないような。ひとりひとりのユーザは一度しか読まないんだから。 --Hatukanezumi 2008年4月26日 (土) 02:23 (UTC)[返信]

ご本人様でしょうか?

[編集]

LERKと申します。さて、ウィクショナリーにHatukanezumiという新規ユーザが今日(5日)登録されたのですが、これはHatukanezumiさんご本人が登録されたものでしょうか?もしご本人であればいいのですが、最近のウィクショナリーは、jawpで著名な利用者を詐称する荒らし行為が頻発しているため、念のため確認に参りました。もしご本人でない場合は、適切な処置を施しますので、お手数ですがよろしくお願いします。LERK 2008年5月4日 (日) 19:28 (UTC)[返信]

あわざわざどうも。本人です。某所で他人にウィクショナリーの利用を勧めたのに、自分がアカウントを持ってないのもなんだとおもったので。もうすぐ作らなくてもよくなるみたいですけど。 --Hatukanezumi 2008年5月5日 (月) 03:09 (UTC)[返信]
こちらこそ、わざわざありがとうございました。心配が杞憂に終わってよかったです。では失礼しました。LERK 2008年5月5日 (月) 09:56 (UTC)[返信]

漢文リバートにつきまして

[編集]

「漢文」が独立した科目である、または漢文の本来の意味とはかけ離れた用法で用いられているということを証明した資料を提示しないままに誤った内容へのリバートを行うべきではありません。教科としての「漢文」に相当する項目に漢文教育を挙げておきます。--203.184.103.175 2008年5月8日 (木) 15:02 (UTC)[返信]

あなたが正しいか否か以前に、自分の編集が論争的な要素をもっているという自覚があるのでしたら、アカウントをとって編集なさるべきです。
ウィキペディアではアカウント (ユーザ名) で利用者が認証 (識別) されますので、そうでない利用者との議論は困難です --- あなたとわたしの立場を逆にして考えてみてください。どんな気分になるとおもいますか。 --Hatukanezumi 2008年5月8日 (木) 15:13 (UTC)[返信]

 国会質問報道について 

[編集]

申し訳ありませんが私は頭が悪くておっしゃってることが良くわからないので、 国会質問の存在の指摘が独自説になる理由の説明を細かくしていただけないでしょうか。 国会質問が存在した信頼性の高い情報源とは、参議院そのもの(開催回等)であれば異論はないでしょうか? ご回答よろしく。--以上の署名のないコメントは、122.210.10.248会話/Whois)さんが 2008年5月11日 (日) 01:21 (UTC) に投稿したものです(Hatukanezumi 2008年5月11日 (日) 01:30 (UTC)による付記)。[返信]

 国会質問報道について2 

[編集]

回答ありませんので再投稿しました。国会の議事録に記載があるものを、利用者の皆さんがすぐごらんいただけるように丁寧にリンクさせていただきました。 これを独自説と評価するのは、国会の議事録が独自だというように解釈しますが、いかがでしょうか。 国会が独自のはずないんだから消さないでね?わかった? ぼくちゃん。突っ込みのせりふはもうちょっとよく考えてから言いましょうね。 よろしくお願いしますよ。--以上の署名のないコメントは、122.210.10.248会話/Whois)さんが 2008年5月11日 (日) 02:06 (UTC) に投稿したものです(Hatukanezumi 2008年5月11日 (日) 02:29 (UTC)による付記)。[返信]

こんばんわ

[編集]

あたたかいメッセージありがとうございます。誘惑と善意にとってくださってありがとうございます。誘惑というよりも感覚が麻痺していたというかひとりよがりというかそういった情けない状態でIP氏に殴られて目がさめたという次第です。削除依頼に出された記事のリライトをはじめました。重大な事故を起こしたのに人を殺したわけではないし、裁判にかけられるわけでもないわけですから感謝しなければいけないかもしれません。書き直しはつらいですが、訳さなくていいということ、wikipediaは研究ノートではないということ、自分がいいたいことは何かを考えればいいということでがんばろうとおもっています。---Siyajkak 2008年5月15日 (木) 13:51 (UTC)[返信]

いえ。差し出がましい口をききました。書き直しがんばってください。
引用については、一般論としては、赤い飛行船さんとほぼ同じ意見をもっています。GFDL上の懸念があるという意見もあるようですが、引用と地の区別が十分に明確であれば、適切な引用はむしろ記事の質を高めるとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年5月16日 (金) 04:55 (UTC)[返信]

利用者‐会話:Loniceraでの発言について

[編集]

いちいち他人の会話ページにやってきて他の人のコメントにコメント返しするあなたのほうが余計なお世話だと思いますが。それ以前に被依頼者に認められている権利の行使を推奨するのは余計なお世話とは思えません。私のこの発言は余計なお世話だと思いますが。というかあなたはWikipedia‐ノート:管理者の解任/NiKe 20080110で「運営関係の議論については発言に加わらないようにしようとおもいます。具体的にどのような方法で加わらないようにするかについては、今後自分で決めます。」と発言していたのに、自分で決めた結果がそれなんですか。--五斗米道評定|戦歴|矢文 2008年5月23日 (金) 05:33 (UTC)[返信]


私も五斗米道さんと同意見です。miya様のLonicera様へのコメントにわざわざ第三者であるHatukanezumi氏があのような文言を書くことにどんな意味があるのでしょうか。miya様のコメントはLonicera様と同じ管理者権限をもつユーザーの一人として考えに考え抜いたコメントだったと思います。それに対するあなたのコメントは(括弧内の文言まで含め)心ないものであるなという印象を受けました。コメント主に言いたいことがあるのならコメント主の会話ページに新しい節を立ててコメントすべきではないのですか?どうしてもあの場にあのような文言を書かなければならなかった確固たる理由があれば教えて下さい。--akane700 2008年5月23日 (金) 07:53 (UTC)[返信]

んー。わたしはあれは嫌ですね。自分がああいうことをされたら、ひっじょーに嫌です。
上のほうの節にあるように、自分に対するブロック依頼の最中にも、miyaさんが「助言」に訪れているわけですが、感謝の気持ちはまったく湧いてきませんでしたね。それどころかむしろ、自分の存在を否定されたように感じて、大変不快でした (わからないかなあ。わからないかもね)。
ただまあ、そういう話をmiyaさんにしても、通じないのではないかという思いもします (またきちんと説明しようとすれば、本人の人生の大事な部分を否定してしまうことにもなりかねないという危惧も抱いていますので、説明は困難です)。
これ以上くわしく聞きたいのでしたら、メールなり、直接会ってなりでしたら、説明します。ただそういう場合は、miyaさん本人も立ち会ったほうがフェアだろうね。 --Hatukanezumi 2008年5月23日 (金) 12:33 (UTC)[返信]
おひさしぶりです。いや、向こうに書かれた「もうそのときではない」というのは割と同意してるんですけど、Lonicera氏もそれを嫌と感じるかどうかは限らないのであって^^;。Hatukanezumiさんのその返答はあんまりじゃないかと思うんですけどね…。あなたのいうmiya氏の助言を拝見しましたけど、これってたまたまブロック依頼と時期が重なっただけであって、依頼の内容と全く異なる話じゃないですか。画像のアップロードについてのお話は2月3日から始まっており、ブロック依頼が提出されたのはそれより後ですよね。miyaさんが依頼内容に関して単独で何かを言いに来たというわけでもないですし、Lonicera氏のとでは全くケースが違っていませんか?で、そこからどうすればメールやオフで会うとかそういう話にまで飛躍するのかがもっと分からないのであって。Lonicera氏の解任投票の「越境」もそうなんですけど、誤りがあったら変に理屈でこね回すんじゃなくて、素直に認めるのも大事じゃないかと思うんですよ。後、「や〜いや〜い」っていう表現は流石におちゃらけすぎだし、嫌悪感を持つユーザーが出てこないか心配なんですけどね。。。--CHELSEA ROSE 2008年5月23日 (金) 13:19 (UTC)[返信]
(追記)これ言うのを忘れてました。後ね、Aphaia氏の時に色々いらんことをしてブロックされるハメになったのを忘れたんですかと。miya氏の「助言」程度で腹を立てて横槍入れるもおかしな話でしょう。凄く余計なお世話なんだろうけど、これ以上同じような事を繰り返していたらあなたのこの先が心配でなりません。--CHELSEA ROSE 2008年5月23日 (金) 13:29 (UTC)[返信]
変に理屈こね回してるように見えます? そりゃまずいな。
アップロードの話は、ブロック依頼に先立つコメント依頼の最中からですね。で、最終的には、わたしをブロックをさせたくないのが理由だとおっしゃってます。このへんに反発を感じるんですねえ (もちろん、「好意を受けるのが気恥ずかしい」とかそういう話では全然なくてね)。いずれにしても、ここでわたしが説明できないのはたしかなんで、書いたのがまちがいでした。ただ、いつかオフで会ってみるのはいいかなとはおもってます。
「や〜いや〜い」って、まずかったかなあ。たしかに、公開の議論に便乗し、さらに有力なひとの意見に便乗してだれかを攻撃するようなやりかたは、以前ほど活発ではありませんね。2箇月のブランクで、状況の変化についていけてないのかもしれません。やっぱり、まだ運営系の議論に参加しないほうがいいかな。 --Hatukanezumi 2008年5月23日 (金) 13:39 (UTC)[返信]
「まだ」ではなく、二度と参加しないほうがいいと思いますよ。またブロックされたくなければね。Yassie 2008年5月23日 (金) 13:51 (UTC)[返信]
やあいらっしゃい。まあたしかに、すぐ上の発言のように、被ブロック経験者にスティグマを貼って追い回すようなやりかたは、以前ほど活発ではないですねということで。
上の自分の投稿を読み返してみて考えるに……。Wikipedia‐ノート 名前空間に書き込みたくなるようなページでの議論には、すくなくともあと半年ほどは参加しないようにしようとおもいます。どうでしょう。 --Hatukanezumi 2008年5月23日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
記事名前空間と自分の利用者ページ・会話ページ以外には、金輪際書き込まないほうがいいと思いますよ。Yassie 2008年5月23日 (金) 14:03 (UTC)[返信]
ふーん。Yassieさんのご意見は承りました。 --Hatukanezumi 2008年5月23日 (金) 14:22 (UTC)[返信]

ところで、ものすごく基本的な質問ですが、アナタは何をしに、Wikipediaに来ているのですか? Yassie 2008年5月23日 (金) 14:49 (UTC)[返信]

あなたの「謝罪文」が空文であるとの批判について(2回目)

[編集]

Wikipedia‐ノート:管理者の解任/NiKe 20080110における「運営関係の議論については発言に加わらないようにしようとおもいます。具体的にどのような方法で加わらないようにするかについては、今後自分で決めます。」という発言に対して、今すぐ提示できなければ空文に過ぎないとの批判がありますが、未だ具体的な方法を決めていないのでしょうか。それとも2ヶ月間の投稿ブロックを経たことで「禊は済んだ」と捉えているのでしょうか。--Dojo 2008年5月24日 (土) 09:34 (UTC)[返信]

あどうも。言葉は他人の借り物ではなく、工夫してはどうですか。
」という表現が適切かどうかはともかく、コミュニティの決定は「2箇月間のウィキペディアへの書き込み停止」であったと理解しています。その期間は終了しています。しかし、それとは別に自分で行動の基準を持つべきでしょうね。
上にも書いたけど、Wikipedia‐ノート 名前空間に書き込みたくなるようなページでの議論には、すくなくともあと半年ほどは参加しないようにしようとおもいます。どうでしょう。 --Hatukanezumi 2008年5月24日 (土) 09:40 (UTC)[返信]
あなた自身の発言を見つめ直してもらうのには、引用が最適だと思います。
半年と限定する必要はありません。今後一切「運営関係の議論については発言に加わらないよう」お願いします。--Dojo 2008年5月24日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
「あなたの『謝罪文』が空文であるとの批判」は引用ですか。誰の意見であるかを離れて、刺激的な文言として使いまわすのはやめるべきだ、ということです。
「運営関係の議論」というところをはっきりさせようとしたのですが……。まあ、そういう回答だろうという予想はつきましたが、そういう見解をもっていらっしゃるということは気に留めておきましょう。 --Hatukanezumi 2008年5月24日 (土) 10:19 (UTC)[返信]

意見

[編集]

上と節分けしました。

関連して、ここ[1]でヒソヒソ話されるぐらいでしたら、堂々と依頼ページにお越しになって発言されたらいかかですか?--220.100.55.57 2008年5月24日 (土) 14:45 (UTC)[返信]

はぁ? ……どこがどう関連してるんでしょうか。あなたの行為についてわたしが取り上げたことなんかない (と思う) んですが。……て言うか、あなた誰ですか?(苦笑) --Hatukanezumi 2008年5月24日 (土) 14:51 (UTC)[返信]

注意

[編集]

解任が確定してもあなたは絶対にmetaに権限除去依頼をしないでください。一応言っておきます。--118.236.18.245 2008年5月26日 (月) 15:32 (UTC)[返信]

署名もちゃんと行っているし、問題の無い投稿であると思うので戻します。要約欄ではなくノート内でコメントしてください。--118.236.61.100 2008年5月29日 (木) 12:49 (UTC)[返信]
◆おれも「Hatukanezumiよ、おまいが依頼をするな」とは思うぞ。「もう運営系には手を出さない」とかってこないだ言っていませんでしたか。--Nekosuki600 2008年5月29日 (木) 14:16 (UTC)[返信]
え? 依頼って? わたし、今回権限除去依頼してないですが。なんの話をしてるんですか。 --Hatukanezumi 2008年5月29日 (木) 16:05 (UTC)[返信]
あなたは「権限除去依頼を出すな」という事前の念押しをされてるんですが・・・。だいたいまだ解任が確定してもいませんが。だいじょうぶですか?--Nekosuki600 2008年5月29日 (木) 16:16 (UTC)[返信]
だいたいまだ解任が確定してもいませんが。「…って言ってませんでしたか」とか言われたんで、てっきりわたしが権限除去依頼を出したと思われている --- つまり、わたしの類似アカウントでも出現してmetaでなにかやってるのかと、調べにいっちゃいましたよ。
あと、今回は早期に権限除去依頼することで、なにかいいことがあるとはおもいません。投票終了で拍子抜けしたのか、ノートページが迷走ぎみの雰囲気になっていることですし、ゆっくり待ってから、だれかが鈴をつけにいけばいいとおもうよ。
ただ、確定したら当人の会話ページにお礼に行こうとはおもうね。名前リストに自分のユーザ名があったのは、率直に言ってうれしかった。
わたしが彼の具体的な管理行為について意見したことは、記憶のかぎりたった1度しかない。彼は、これまでの自分の作業全部に目を通し、そこでなされた彼の行動へのコメントを読んだのだとおもう。
そうしたひとびとの人格を尊重するからこそ、きちんと利用者ページへのリンクを張ったんでしょう。ウィキペディアで署名に投稿者自身の利用者ページがリンクされるのと、まったくおなじことだ。ここに悪意しか読み取れないようなひとたちは、○○○○○○○、とおもうね。 --Hatukanezumi 2008年5月29日 (木) 16:29 (UTC) typo --Hatukanezumi 2008年5月29日 (木) 16:36 (UTC)[返信]
あのさあ。しばらく休んだのがいいと思うわ。半年とか一年とか、そのくらいの単位で。Wikipediaを、ってことじゃなくて、なんていうかこう、「オンラインでの民衆(笑)のエンカレッジ」みたいな広い分野について、休んだのがいいと思う。辛らつで申し訳ないね。--Nekosuki600 2008年5月29日 (木) 16:47 (UTC)[返信]
うーん。何を言われているのかわからないということだけはわかった。ごめん。 --Hatukanezumi 2008年5月29日 (木) 16:52 (UTC)[返信]
私は、「解任が確定してもあなたは絶対にmetaに権限除去依頼をしないでください。」と言ったんです。解任が確定しても」だから、仮定形ですよ。これを「わたしが権限除去依頼を出したと思われている」だとか「わたしの類似アカウントでも出現してmetaでなにかやってるのか」だとかと類推する意味が分かりません。さらに、Nekosuki600さんとも会話になってないし、Yassieさんの質問にはいつになったら答えるんですか?最終的に、「何を言われているのかわからないということだけはわかった」とおっしゃっていますが、本当に大丈夫ですか?この「大丈夫ですか」というのはWikipedia内ではなく現実世界においてです。本当に何を言っているのか分からないんですか?それとも理解する気が無いんですか?私にはNekosuki600さんが言わんとしていることがよく分かりますし同意できます。--118.236.62.200 2008年5月29日 (木) 23:59 (UTC)[返信]

おんなじようなのがつぎつぎ現れてもこまるので、空気を相手に答えときましょうかね。

上の「118.236.62.200」と署名された文章では、「私」が2回使われてますけど、この「私」っていったいだれなんでしょう。この節にはIPアドレスで署名された投稿がいくつかありますが、これらは同一人物かもしれないし、別人かもしれない。つまり、一つの人格によって書かれているのかもしれないし、複数人で分担して書かれたのかもしれない。IPアドレスが変化しているからというだけでなく、ウィキペディアの利用者識別 (認証) 機能を通していない以上、固定した「私」であるとは認識しがたいです。

ログインして活動していれば、編集履歴も利用者名に関連づけられますから、「自分と似た分野の記事を書いているな」とか「こいつは記事も書かずになにをやってやがんだ」とか、その利用者を一貫した特徴をもった人格として認識できますが、そうでない未ログインユーザは、他者からは、投稿の一回一回がぶつ切れになった存在としか認識できないのね。そういうものとの意見交換は難しいです。

相手に対して一方的にそういうハンデを課しておきながら、「『私』の質問に答えろ」「『私』の存在を認めろ」「『私』を無視するな」と主張しても --- 主張するのは自由ですよ --- それに応えてあげる義務は、相手にはないとおもうのね。

ある不条理 (と自分が感じること) に対して義憤を覚えるのは、自由です。しかし、義憤というのはそれを事挙げする人物の姿が見えなければ、ただの床屋政談、酒場での愚痴と変わらないものに堕してしまう。「私」として焦点を結ぶことのない、他者から視えないなにかが、「世界」の常識を背負っているかのようにいきがってみせても、(失礼ながら) 滑稽にしか感じないのですよ。

このあたりのスタンスは、Nekosuki600さんとは違うんだろうな、とおもう (もちろん、彼はそのことだけを問題にしているのではないが。というか、そっちが主眼ではないとおもうが)。ともかくこの点については相容れないので、わたしはわからない、としか言いようがない。

そういうわけで、当節はIPアドレスでの署名のある投稿を抜かして読めば、別に矛盾したところはないのです。 --Hatukanezumi 2008年5月30日 (金) 05:26 (UTC)[返信]

読み返してみて、あまりに失礼な表現があったので自己除去しました。読んだかたには大変申し訳ない。

念のために断っときますが、わたしが今回、metaへ管理者解任依頼をだすことはないです。今後もまずないでしょう。 --Hatukanezumi 2008年5月30日 (金) 12:47 (UTC)[返信]

あなたの哲学なんて聞いてません。あなたは一体なにをしにWikipediaに来ているんですか?こんなに長いこと文を書いるのに不十分な返答しかできていないなんて一種の才能ですよ。いまの議論に床屋とか酒場とか全く関係ないでしょう。それともHatukanezumiさんはそのとき床屋でお酒を飲んでいたんですか?真面目に答えるorWikipediaに参加する気が無いのならそう言ってください。早くYassieさんの質問に答えてください。早くYassieさんの質問に答えてください。--118.236.58.222 2008年5月31日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
半月ほどお返事を待ち続けていたのですが、どうなさったのでしょうか?別の人とのコミュニケーションが成立している所をみると、Wikipediaに時間が割けない訳ではないと思いますが、いかがでしょうか。自分に不都合な事柄は無視で通すなんてWikipediaはそんな甘っちょろいもんではありませんよ。ネットではない現実社会でいやな仕事を無視し続けたとしましょう、あなたは確実にその仕事を解職されることでしょう。これ以上フザけた対応を続けるのでしたら、それなりの手回しをするつもりですので悪しからず。IPユーザーだから床屋政談だから適当にあしらっておけばいいなんて考えていると痛い目を見ますよ。

1952年の日本の女性史年表の件

[編集]

削除処置が決まりましたので、自分の執筆分だけ数日中に再投稿するつもりです。

引用の形で記述しては、というヒントを他の方からもいただきましたが、初版の準備の際に既に少し気にしていたことでもありますし、歌詞部分は削除するつもりです。もし必要なら、いつか誰かがしかるべき形で書き加えることもあろうかと。
いつもアドバイスをありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。--よしの祐子 2008年6月1日 (日) 02:11 (UTC)[返信]
了解しました。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。 --Hatukanezumi 2008年6月1日 (日) 04:55 (UTC)[返信]

UsernameReplaceについて

[編集]

私のトークページへの書き込みありがとうございます。betawikiではお世話になっております。また、jastyleの件お疲れ様です。

さて表題の件ですが、MediaWiki:Common.jsへのアップロードも提案前に検討はしたのですが、現在のところUsernameReplace機能は投票関連や、自分の利用者名を入力する必要があるテンプレートの説明ページにおいてのみ使用されるものと考えております。これらのページを閲覧するログインユーザー数はウィキペディアを利用する人全体に対してかなり限定的な数になるため、機能が必要な利用者のみスクリプトを読み込むようにすることとしました。こうすることで、機能が全く不要な利用者がスクリプトを無駄に読み込む必要がなくなります。その点ガジェットはとても優れていると考えております。機能やJavaScriptを無効にしている利用者に関しては今までと表示は変わりませんのでその点はクリアしております。将来的にですが、この機能が広く利用されるような状況になりましたらCommon.jsへのアップロードも検討したいと考えております。--Broad-Sky [note] 2008年6月7日 (土) 14:48 (UTC)[返信]

あども。こっちで答えればいいのかな。
「必要なとき/ひとだけスクリプトを読み込む」という趣旨は理解しました。説明の趣旨としては、「あなたのオプションページでUsernameReplaceを選んでおくと、投票のとき幸せになれるかもしれませんよ」ということでしょうか。
で、使用感はガジェットをオンにしているひととそのほかのひとで、基本的にかわらないということでいいのですね? いまひとつイメージがつかめてないんです。
心配な点として、ガジェットなしのひととガジェットオンのひととの間で編集競合に近い状態になった場合、おかしくならないだろうか、とか。利用者名の挿入が利用者自身にまかされていないところに、やや不安を感じています (~~~~ などであれば、利用者自身がそう書いた場所にしか利用者名は挿入されないですね)。
模擬投票で感じをつかみたいです。
BetaWikiでは最近お世話してません。すみません(^^;)。--Hatukanezumi 2008年6月7日 (土) 23:49 (UTC)[返信]

例としてWikipedia:管理者への立候補の場合を想定し、具体的に申し上げさせて頂きます。RfAにおいては投票に署名テンプレートを導入していますが、「投票者名」の部分を自分の利用者名に手動で置き換えなければならない点が難点となっております。今回提案しておりますスクリプトを有効にし投票ページを開くと # {{subst:管理者への立候補/sign|投票者名|20080605092353|}} というコピペ用雛形が自動的に # {{subst:管理者への立候補/sign|Hatukanezumi|20080605092353|}} (Hatukanezumiさんの場合)というように変換されます。既に自分の利用者名に変換された文字列を直接コピペするため、編集競合時のエラー等のおそれはありません。機能やJavaScriptを無効にしている利用者については # {{subst:管理者への立候補/sign|◆投票者名|20080605092353|}} というように表示されます(◆は手入力する必要があるということを強調するための印で、システム改編と同時に設けます)ので、今までと同じように「◆投票者名」の部分を自分の利用者名に置き換えて投票頂ければ、正常に投票が完了できるという感じです。簡潔に申し上げますと

  • 今まで&利用者名抽出機能無効
    投票用雛形をコピペ → 賛成・反対どちらかにコピペ → 投票者名部分を自分の利用者名に置換 → 投稿
  • 利用者名抽出機能有効
    投票用雛形をコピペ → 賛成・反対どちらかにコピペ → 投稿

という感じとなり、~~~~投票と近い手間で投票ができるようになります。

まだガジェットを導入頂けていないので模擬投票を実施できないでいるのですが、導入され次第速やかに模擬投票を実施し、実際使用してもらっての感想やスクリプトバグなどの報告を頂き、最終調整→本格導入と進めていきたいと考えております。ちょっと分かり辛い説明で申し訳ありませんが、模擬投票をして頂きますとスクリプトON/OFFでの違いが一目瞭然かと思いますので、お時間ございましたらぜひご参加の程よろしくお願い致します。--Broad-Sky [note] 2008年6月8日 (日) 02:13 (UTC)[返信]

あ、わかった! {{利用者:Broad-Sky/Template:UserName}} は、投票のときに使うんではなくて、立候補ページにこれを埋め込んでおく、ということですね。そうすると、立候補ページのテンプレートの表示が、利用者ごとに変わる、と。「これでなぜ投票時に置き換わるのだろう……?」と、一生懸命考えていました。
そういうことなら、理解できます。 --Hatukanezumi 2008年6月8日 (日) 02:40 (UTC)[返信]

簡単にですが、実際試してみると明解かと思いますのでぜひ以下を試してみてください。

  1. 利用者:Hatukanezumi/monobook.jsの最下部に以下の一文を挿入
    importScript("利用者:Broad-Sky/username.js");
  2. キャッシュクリア

そして下を見てみてください。スクリプト追加前後で変化していると思われます。どうでしょうか?

# {{subst:管理者への立候補/sign|◆利用者名|20080605092353|}}

こんな感じだと機能有効・無効双方に対応でき、且つエラーのリスクも最小限かと考えています。--Broad-Sky [note] 2008年6月8日 (日) 03:23 (UTC)[返信]

うんうん。わかりました。これなら任意の選択でもかまわないですね。丁寧にご説明いただき、ありがとうございました。 --Hatukanezumi 2008年6月8日 (日) 03:26 (UTC)[返信]

編集合戦はおやめください

[編集]

こんにちは。さて、金子安次で他の利用者による編集を何度も差し戻されているようですが、こうした行為は編集合戦と呼ばれ、全く無益な行為です。編集合戦を行われると、場合によっては投稿ブロックの対象となってしまいます。いかなる理由であれ、こうした行為はおやめください。Reuser 2008年6月20日 (金) 15:56 (UTC)[返信]

あのねえ。会話ページで説明をし、異議があるのならノートで議論して解決するようにすすめているでしょう? ところがあなたはそうしないで、ある語句の再加筆に固執しているんじゃないですか。なぜ意見を述べて合意を得ようとしないのですか。なにかノートに書き込めない理由でもあるのですか。
これまでは、比較的まともな編集もなさるかただと見ていたので、対話の努力をしてきましたが、議論もせず上のようなことをなさるのであれば、もうおつきあいいたしかねます。 --Hatukanezumi 2008年6月20日 (金) 23:30 (UTC)[返信]
すいません。Reuserさんの側にも問題があるかと思いますが、しかしHatukanezumiさんもReuserさんの編集を何度も差し戻すのはご遠慮いただけませんか。相手が議論に参加しないようでしたら、記事を保護して(保護を依頼して)対話に誘導してください。--Bellcricket 2008年6月21日 (土) 02:54 (UTC)[返信]
あども。上のかたはノートに書き込まれましたが、このあとちゃんと議論せずに再加筆するようなことをなさるのなら、しばらく相手にせずにほっとくことにしようとおもいます。そういうかたなら、いずれよそで問題を起こしてブロックされるでしょう。
いまのところ、問題の再加筆についてはまともにお答えいただけていないので、とにかくその語を加筆することが目的なのではないか、と疑っています。ただ、可能性としては、自分の加筆を差し戻されてうろたえているため、丁寧に議論して合意を得ることに思い至らない可能性もあるとおもっています (わたし自身は現在のところ、可能性を前者7分、後者3分くらいに見てます)。
まあそれに、ここであまり騒ぐと、本格的な荒らしさんを呼び寄せてしまいますしねえ。 --Hatukanezumi 2008年6月21日 (土) 13:15 (UTC)[返信]
あ、保護したんですね。とにかく、いまはうえで述べたように、対話ができるかどうか見ている最中です。 --Hatukanezumi 2008年6月21日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
おかげで保護になってしまいました。

「敗戦を中国で迎え5年間シベリア捕虜として抑留されたが、その後、戦争犯罪者として中国の撫順戦犯管理所に収容された元日本兵。」

あなたはこの文の「戦争犯罪者として」の事実を書きたくないだけです。捕虜として抑留されていた対比として明示した意味もあります。もうひとつ、

秦郁彦は、金子のように自身の犯罪・加害行為を告白する元兵士を「一部の極悪人」と評し、日本軍の方針ではなく個人的なものだと見ている)

あなたがわすれている「かっこ」までつけて文意をわかりやすくしてあるのに何度も差し戻して下のような変な文章にしましたね。

秦郁彦は、日本軍兵士の犯罪・加害行為が軍の方針ではなく個人的なものだと見ており、金子のように自身の行為を告白する元兵士を「一部の極悪人」と評している。「確かに我々は極悪人だったよ。被害者にしてみれば鬼に見えただろうね。~」

これだと秦が戦争での日本軍兵士の犯罪・加害行為の全てが金子のような一部の極悪人によるものと言っているかのような変な文章です。秦は金子らのような犯罪証言について言っているのです。Reuser 2008年6月22日 (日) 15:46 (UTC)[返信]

まず、秦の見解についてです。
わたしの書き換えと、それに対するあなたの書き換えをくらべてみると、ご指摘のように、
  • わたしのは、〈秦は「行為」が軍の方針ではなく個人的なものだと述べた〉という文章になっている。
  • Reuserさんのは、〈秦は「告白」が軍の方針ではなく個人的なものだと述べた〉という文章になっている。
というのはわかりました。
しかし、秦が否定しているのは〈「告白」したことが軍の方針であること〉だ、という説明は、ちょっと理解しがたいです。「極悪人」という評は、告白したという事実について言っているのではなく、犯罪・加害行為を行ったという事実について言っているのではないですか。
つぎに、「戦争犯罪者」の記載についてです。
まず、ノート:金子安次#冒頭の要約?部分の修正案での議論をお読み下さい。このなかで、わたしは「戦争犯罪を認定された人物である」ということを記載すること自体には反対していません。そうではなく、「『戦争犯罪者』という呼称が何を表しているのかわかりません」(上記議論でのわたしの発言) ということを問題にしています。わかるように書けばいいのです。
記事の導入部 (冒頭の部分) では、「その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にすることを目的とします」(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)) とされています。ですから、ここには、記事のなかで解説することを手短かに書く必要があります。ところが、記事の本文中では、金子がどのように「戦争犯罪者」とされたのかについての説明が、なされていません。
  • 例を出します。宮崎勤の記事の導入部に「宮崎勤は、犯罪者である。」と書いてあっても、解説として意味がないでしょう。実際、この記事では「宮崎勤……は○○事件の犯人として逮捕、起訴され、……」のように、具体的で客観的な事実を書いています。
  • 金子についても同様の書きかたをするというのなら、理解できます。単に「犯罪者」と書いても、それは解説として意味がありません。具体的にどんな罪状を認定されたのか、またどんな法廷で認定されたのか、などの情報を追加するのなら、わたしは反対ではありません。
現在の解説は、「敗戦を中国で迎え5年間シベリアに捕虜として抑留され、その後、中国の撫順戦犯管理所に収容された元日本兵」のようになっています。ここの「その後」のあとに、上に述べたようなことを加筆なさるというのはいかがでしょうか。 --Hatukanezumi 2008年6月23日 (月) 04:46 (UTC)[返信]

「戦争犯罪者」の記載について

[編集]

Hatukanezumiさんが何度も差し戻ししたので「戦争犯罪者」の記載を拒否していると思っていましたがそういうことだったんですか。「捕虜として抑留されていた対比として明示した意味」はあなたが求める「金子がどのように「戦争犯罪者」とされたのかについての説明」と共通点があります。「当初は捕虜だったのになぜ中国では戦争犯罪者としてなのか」からつながってきます。

自分の考えとしては、導入部ということもあって、その説明は後の「年譜」や金子の「証言内容」などで加筆されて充実されるべきと考えました。手短にまとめるには自分では難しいように思います。Hatukanezumiさんによい文案があれば助かります。Reuser 2008年6月23日 (月) 15:38 (UTC)[返信]

ご理解いただき、ありがとうございます。事実関係をもう一度調べて文案を考えます (いま参考書類がてもとにないので、図書館で借りる)。少々お待ちください。 --Hatukanezumi 2008年6月24日 (火) 23:30 (UTC)[返信]
お手数を掛けます。Reuser 2008年6月26日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
とりあえず『金子さんの戦争』を見ようとおもったんですが、近所の図書館でだいぶん前からずっと貸し出し中になってます。しかたがないので注文しました。すみませんが、あと1、2週間ほどお待ちください。
ところで、編集内容については合意が形成されたとおもいますので、記事の保護の理由とされた編集合戦は今後起こらないものと考えます。Reuserさんが賛成してくださるのなら、保護解除依頼を出そうとおもいますが、いかがでしょうか。 --Hatukanezumi 2008年6月29日 (日) 18:10 (UTC)[返信]
了解しました。保護解除にも賛成します。Hatukanezumiさんの文案ができてからでもどちらでもいいと思ってます。Reuser 2008年7月1日 (火) 14:51 (UTC)[返信]

秦の見解について

[編集]

「秦が戦争での日本軍兵士の犯罪・加害行為の全てが金子のような一部の極悪人によるものと言っているかのような変な文章」はわかってもらえると思うんですが、確かにあの文は「極悪人」という評が告白したという事実について言っているかのように読めてしまいますので文章を改めてみました。

秦郁彦は、金子ら元兵士が告白した自身の犯罪・加害行為について、日本軍の方針ではなく個人的なものであるとし、彼らを「一部の極悪人」と評した)

この文を提案します。Reuser 2008年6月23日 (月) 15:38 (UTC)[返信]

賛成です。その文章ならわたしも意味がわかります。なお、(……)はあってもなくてもかまわないです。 --Hatukanezumi 2008年6月24日 (火) 23:30 (UTC)[返信]
提案に賛成いただきありがとうございます。Reuser 2008年6月26日 (木) 14:57 (UTC)[返信]

利用者ページの削除依頼

[編集]

kyubeと申します。利用者ページに削除依頼タグが貼られていて驚かれたかもしれませんが、ある荒らしユーザーが外部ページの内容を貼り付けて回ったためです。ご了承のほどお願いいたします。 kyube 2008年7月7日 (月) 15:16 (UTC)[返信]

お疲れ様です。状況はのみこめました (表よりさきにこちらのページを見たので)。……利用者と貼り付けられた内容とに、関係があるようなないような(笑)。 --Hatukanezumi 2008年7月7日 (月) 16:15 (UTC)[返信]

robots.txt 変更に関する確認

[編集]

こんにちは。

ご承知のことかも知れませんが、現在、Template‐ノート:Indefblockeduserで、実名などをユーザー名として荒らしに使用されてしまい「投稿ブロック」という措置がまるで自分に対して行われているかのように公表されていることに不快感を抱かれている方へ配慮する措置について話し合われています。記憶をもとに同様の過去の議論を探したところ、Wikipedia:井戸端/subj/同名アカウントを削除の後、再取得可能かが見つかりました。

さて、Wikipedia:井戸端/subj/同名アカウントを削除の後、再取得可能かの中でHatukanezumiさんはrobots.txtの変更をBugzillaに依頼することについて話し合われ、「いまのところ特に反対もないようなんで、数日待って、Bugzillaに依頼を出します」とおっしゃられました。

その後の経緯はどのようになりましたでしょうか。利用者‐会話:Hatukanezumi#robots.txtの件を拝読すると、Michey.Mさんの依頼との競合を避けるため、Hatukanezumiさんはrobots.txtの変更をBugzillaに依頼されなかった、という理解でよろしいでしょうか?--Mizusumashi(みずすまし) 2008年7月29日 (火) 13:32 (UTC)[返信]

はい。そう理解してもらっていいです。わたしの主張自体に変化はないです。
あと、Michey.Mさんが「影響を検討します」と言ったのはどうなったのかわからないので、いまのところわたしから依頼することはありません (いまも検討結果が示されていないのなら、もう時効だとはおもいますが)。 --Hatukanezumi 2008年7月30日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
ご回答、ありがとうございました。--Mizusumashi(みずすまし) 2008年8月1日 (金) 09:48 (UTC)[返信]

CJKVの項目の問題

[編集]

利用者‐会話:Whym#CJKVの参考文献についてでの、対応付けのない参考文献についてのご指摘ありがとうございました。 加筆しつつ対処してみましたので、一度ご確認ください。

以前は、全体的に近いことが述べられていたと思ったので全体への参考文献として書いておいたのですが、 あらためて確認すると直接対応する箇所がなかなか見つかりませんでした。 そこで、具体論を追加してその部分への参考文献としました。--ɯhɥm 2008年9月14日 (日) 05:59 (UTC)[返信]

おお。すばやいご対処ありがとうございます。しかも加筆まで。
実は、同著でいま手元にあるのが、原著初版と、旧著 (「CJK」だったときの) の日本語版だけなもんで、ページの対応がすぐには確認できません。少々お時間をください。
ありがとうございます。これからもお世話になるかとおもいますが、よろしくお見知りおきください。 --Hatukanezumi 2008年9月14日 (日) 12:25 (UTC)[返信]
こちらこそよろしくお願いします。Hatukanezumiさんが尽力されている、文字に関係するたくさんの記事には勉強させてもらっています。CJKV含め、書き方、内容に不備があったときは、訂正やご指摘をいただけるとうれしいです。--ɯhɥm 2008年9月14日 (日) 13:04 (UTC)[返信]
いやー、恥ずかしい。あの分野の専門家でもなんでもないので、参考にした資料が偏ってないか、いつもどきどきものです。最近スランプぎみでしたが、ぼちぼちまたがんばろうとおもいます。
あとついでに、ダイグロシアを執筆予定とのこと、ありがたいです。Fergusonのエッセイを読んで勢いで加筆しかけたのですが、失速してしまいました。ゆっくりと楽しみに待ちます。
ではまた。 --Hatukanezumi 2008年9月16日 (火) 15:04 (UTC)[返信]

ロンゴロンゴの修正ありがとうございました。

[編集]

ロンゴロンゴの初版を作成したRikipediaです。 お手数お掛けして申し訳ございません。ありがとうございました。--Rikipedia 2008年9月23日 (火) 06:24 (UTC)[返信]

あこんにちは。加筆もされているようで、なかなかの大作ですね。
ちょっとだけ修正してみました。 --Hatukanezumi 2008年9月23日 (火) 07:04 (UTC)[返信]
しかし、Steven Fischerって、なかなかおもしろいことやってる学者ですね。いままでなんとなく毛嫌いしてたんですが (アメリカの学者だし)、「データの集積から結論を引き出す」という点ではある意味正統派なのかもしれない、と、認識を新たにしました。 --Hatukanezumi 2008年9月23日 (火) 08:23 (UTC)[返信]

井戸端のウィトゲンシュタイン

[編集]

井戸端でのウィトゲンシュタインからの引用は、『論理哲学論考』の 6.41 だと思いますが、Hatukanezumi さんの手になる訳でしょうか、それとも既存訳書からの引用でしょうか。前者なら問題ありませんが、後者の場合引用の形式を満たしておらず、著作権上の問題があるのではないかと心配しています。句読点と「いかなる」の有無という点で黒田亘訳とも野矢茂樹訳とも異なるので、判断がつきかねています。--Jms 2008年10月12日 (日) 13:03 (UTC)[返信]

うーむ。たしかに、ネット上で、日訳[2]を見てから独語原文[3]をさがしました。“...es gibt in ihr keinen Wert...” のあたりなんかは、日訳に影響されている気がしないでもない。
(追記) ググって黒田訳らしきものをみつけました[4]。…やっぱり似てますねえ。
どうしたものでしょう。 --Hatukanezumi 2008年10月12日 (日) 14:50 (UTC)[返信]
黒田訳と思っていたのは、黒田編の『ウィトゲンシュタイン・セレクション』で、その序文によればウィトゲンシュタイン全集の訳が下敷になっている様です。という細部はさておき。どうするかは難しいところですが、原文から Hatukanezumi さんが訳出なさったという事実があるのなら、似ていても、影響を受けていても、問題はないでしょう。警句的な文の羅列に近く、語の用法に強い制約のある『論理哲学論考』の場合、訳文がよく似てしまうのも当然だと思います。強いていえば Tractatus logico-philosophicus 6.41 からの訳であることが明示されている方がよい、という位でしょうか。--Jms 2008年10月12日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
ウィキペディアでの引用は、やはり問題をはらみがちですね。自制します。とりあえず、井戸端のは書誌を入れておくようにします。ご指摘ありがとうございます。 --Hatukanezumi 2008年10月13日 (月) 04:22 (UTC)[返信]

左派・右派について

[編集]

他の人からレッテル貼りと指摘されたので、右翼、左翼よりやわらかい言い方がよいと判断して右派、左派の編集にしたんですが、なぜか左派だけ差し戻されるのはなぜですか?どっちでもいいんですけど、右派左派もレッテル貼りになって両方やめて消してしまったほうがいいなら自分がやりますけど?Sayoute 2008年10月14日 (火) 09:28 (UTC)[返信]

あこんにちは。
わたしはたまたま自分がウォッチリストに入れている記事で「左派系」と加筆されたのをみて差し戻しただけです。もしもほかの記事、たとえば北朝鮮による拉致被害者家族連絡会をウォッチリストに入れていて、「右派」と加筆されたのを見つけたら、差し戻していたでしょう。
注意してほしいんですが、常に差し戻すということではありません。これらの表現には歴史的な背景やそれにともなった意味や、用法の文脈というものがあります。たとえば、フランスイタリアの政治を語るときに、各政治勢力を「右派」(あるいは「右翼」)、「左派」(「左翼」)、「中道」などと区分けするのは適切な場合があります。歴史的にそのような政治的立場の表明がなされてきましたし (イタリアだけでなく欧州には「左翼党」に相当する名称の政党がある国もあります)、一般市民も、みずからの政治的立場を左右の別で表明することが普通にあるのです。
日本では、一般にそういう政治意識が希薄です。だからといって、なんとなく「これは右寄りだ」「こっちは左寄りだ」といったような形容としてつかってよいことにはならないとおもうのね。「左翼」「右翼」でもおなじことです。
まあそういうわけですから、いろんな記事をみてまわって「左派」「右派」と書いてあったら手当たり次第除去していく……なんていうことは、くれぐれもやらないでください。よく記事を読んで、それが適切な文脈で使われていないと判断できる場合に、除去してください。
よろしく。 --Hatukanezumi 2008年10月14日 (火) 12:52 (UTC) typos --Hatukanezumi 2008年10月14日 (火) 13:12 (UTC)[返信]
なんだ。PEACE系か。ま、自分の考えをまとめられたからいいや。 --Hatukanezumi 2008年10月14日 (火) 13:26 (UTC)[返信]

こんばんわ。kokada_jnetと申します。当該項目に、私が追記した文藝作品について「短篇はやめときませんか。「この作品もこの定理をネタにしている」以上のことを書きようがないから。」と書かれて、削除されましたが・・。ですが、この短編は「この定理そのものを、どまんなかにテーマにしている」ワケで・・。他にこのような作品が、ゾロゾロと出てくるとは思えません(Hatukanezumiさんは、この定理をメインテーマにすえた短編を、他にご存知なのでしょうか?)。そういう意味では「少しだけネタとして少し出てくる」銀河ヒッチハイクガイドなどより、よほど紹介に値すると思いますが、いかがでしょうか? ちなみに、この作品をお読みになった上での「取り消し」ですか?--kokada_jnet 2008年10月21日 (金) 23:01 (UTC)[返信]

あこんにちは。
ラファティ『寿限無、寿限無』は、たしか早川文庫『ユーモアSF傑作選』かなんかで読んだのが最初だったとおもいます (そのころは『どろぼう熊の惑星』のまとまった日訳はまだでてなかったかもしれない)。で、その『傑作選』にはたしかもっとネタそのものずばりのがあって、四行詩の1連だけの作品 --- ヒヒが適当にバスーンを吹いてるうちにいいメロディを吹き当てるだろう、というの --- もあったと記憶します (いま文庫本はダンボールに詰まって天袋にはいってるんで正確にたしかめられないです。すいません)。この作品だと、たった4行ですから、もう完全に定理の単なる言い換えにすぎないんですよね。説明しようとすると作品まるごと引用するのとおなじ、というようなものです。
で、『寿限無、寿限無』のような短篇も、それに近いものがあります。百科事典的な解説のしかたとしては、「そして…」で気を持たせてあとは読者の想像にまかせる、ということはすべきではないのです。
しかし、ちゃんと解説するとなると、なにしろ短篇ですから「今日も宇宙にタイプライターのキーの音 (あと、天使の叱責の声も) が響く。」とかいうとこまで書かざるをえません。結果としてこれは、作品のあらすじほとんどを書いてるだけです。それ以上に記述にふくらみをもたせられるみこみがありません。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』については、ちょっと事情がちがうとおもいます。同書での定理のとりあげかたも一発ネタにはちがいないんですが、「無限不可能性ドライブ」との関連ででてきています。本文中コメントにも書きましたが、この「ドライブ」とやらはマクスウェルの魔の対偶を構成することによって不可能を可能とするようなものらしく、一応、無限の猿定理の記事が主題としている「ランダムさからなんらかの秩序がうまれる」というアイディアに相応したネタではあります。この点を加筆できる余地があります。また同書とそのシリーズの位置づけとして、この手の益体もない(笑)薀蓄を満載しているという点で評価は高いので、一応挙げておく価値はある (つまり特筆性がすこし高い) んじゃないかとおもいます。
まあ何度も言うように一発ネタですし、『ガリヴァ旅行記』や『シルヴィとブルーノ・完結篇』に比べたら、思想的な背景などがろくにないという意味で特筆性は格段に落ちますから、だれかが除去してもわたしは文句は言いませんけど。
……というふうに考えています。どんなもんでしょう。 --Hatukanezumi 2008年10月21日 (火) 14:51 (UTC)[返信]
迅速で、明確なご回答ありがとうございました。なるほど・・、四行詩の件は失念していました。ですが、この作品は、この定理に関連するかなり有名な作品ですので、題名だけでもあげておくのがよいのではと考え、長編作品とは記述レベルを変えて、再度追記して見ました。ご確認願えませんか。このレベルの記述でも「不要」とお考えでしたら、お手数ですが、再度「取り消し」してください。--kokada_jnet 2008年10月22日 (水) 10:38 (UTC)[返信]
了解です。同著について、著作の存在を紹介する価値はあるということで、同意します (なお、すこし修正してみました)。今後ともよろしく。 --Hatukanezumi 2008年10月22日 (水) 12:39 (UTC)[返信]
ご了承ありがとうございました。お手数をおかけしました。--kokada_jnet 2008年10月23日 (木) 12:21 (UTC)[返信]
訂正しときます。わたしが読んだのはつぎのものらしいです。
  • アーサー・エディントン (Arthur Eddington) 著「呼吸のつづく猩猩がいて (There Once Was A Breathy Baboon)」、浅倉久志 編『世界ユーモアSF傑作選』 1巻、講談社〈講談社文庫BX247〉、Mar. 1980。 
  • R・A・ラファティ (R. A. Lafferty) 著「寿限無、寿限無 (Been A Long, Long Time)」、浅倉久志 編『世界ユーモアSF傑作選』 2巻、講談社〈講談社文庫BX248〉、Apr. 1980。 
エディントンって、あのエディントンなんでしょうかね。本が発掘できたらまた読んでみます。 --Hatukanezumi 2008年10月26日 (日) 01:20 (UTC)[返信]

リバートについて

[編集]

リバートは編集行動についての疑義提示ですので、部分的に戻すのではなく完全に戻すようにして下さい。なお、差し戻された私の編集はスタイルの問題に過ぎず、内容の変更を伴うものでないのでこだわりません。全面破棄に同意します。--Kyoku 2008年11月7日 (金) 15:32 (UTC)[返信]

あこんにちは。
ウィキペディアでは、いったん編集してしまったら、その編集が部分的にさらに修正されることはあるわけなんで (あなたの編集だって、ほかのいろんなひとの編集を部分的にだけ変えている。たとえば、記事の大半はわたしが翻訳したんですからね)、一部分だけ戻されるのは意に染まないとかいったことは、言えないとおもいますよ。
わたしは、冒頭文の書きかたとして納得がいかないから戻した。「概要」節を分離してそれにともなう微調整をしたあなたの編集には納得している。それだけのことです。 --Hatukanezumi 2008年11月7日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
私の編集が部分的には納得頂けていたというのはありがたいことですが、リバートというのは丸ごと以前の状態に戻さないとGFDL的に微妙な問題が起こるのではありませんでしたっけ。単なる手続き的な問題で面倒ごとを起こしたくなかったので、自分で一度完全リバートしました。その後の冒頭部以外をさらに戻した修正は、完全リバートの後のHatukanezumiさんによる新規修正と言うことになると思いますので問題はないはずです。お手間をおかけしました。ただ、今後Hatukanezumiさんによる最初の部分リバートは特定版削除の必要があるかも入れません。それはリバート行為に問題があったからではなく、純粋にライセンス上の都合です。その件はご理解下さい。--Kyoku 2008年11月7日 (金) 15:53 (UTC)[返信]
いや。それはないでしょう。リバートという用語のつかいかたがKyokuさんとわたしで違うということはあったでしょうけれども、GFDLにはウィキペディアでの編集におけるリバートについての定義があるわけではないですから。要約欄のコメントの内容で手続き上の問題が生じることは (履歴継承の目的での記入を除いて) ないはずです。 --Hatukanezumi 2008年11月7日 (金) 16:01 (UTC)[返信]
お邪魔します。要約欄で完全リバートと宣言したのではありませんし、GFDL 的には問題ないと思います。また、お二人の編集内容もそれぞれ理があると思います。よって現状で問題ないでしょう。--白駒 2008年11月7日 (金) 16:52 (UTC)[返信]
ありがとうございます。GFDL的な問題がないということであれば、もう特に心配はありません。お二人ともお手数をおかけしました。--Kyoku 2008年11月9日 (日) 10:30 (UTC)[返信]
皮肉っぽい物言いが身についちゃってるもので、わたしの受け答えに不快に思われたなら申し訳ないです>>Kyokuさん。
ところで記事についてですが、ホフスタッターが乱数列で俳句を作る話を書いてるらしいんで、そのへんを加筆しようかとおもってます。文献を探しているところですが、またご協力ください>>お二方。 --Hatukanezumi 2008年11月9日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

Opponent に対するウィキメールについて

[編集]

お申し越し頂き、ありがとうございます。光栄だと思いました。ですが今のところ「メールアドレスをウィキメールで」公開することは考えておりません(ごめんなさい)。ウェブ上のブログその他で様々なハンドルを使って書き込みをしておりますが、当面それらをウェブ上で公開する意思は全くございません。わたくしに対するご意見やご質問がございましたら、わたくしについてのノートページに書き込み下さいますようお願いいたします。

どうしてもウィキメールを御所望なさるのであれば、その理由を公表して下さるなら考慮いたしますが、それができないのであれば当面は、ご要望に応じかねます。申し訳ございませんが、ご賢察下さいませ。

とはいいながら、ありがたいお申し越しに心より感謝しております。
- Opponent 2008年11月24日 (月) 15:24 (UTC)[返信]

ん? いや。わたしはウィキメールでの受け取りを有効にしてるんで、わたしにウィキメールを送ることは可能だとおもうんですが。 --Hatukanezumi 2008年11月24日 (月) 15:26 (UTC)[返信]
ごめんなさい。当面は考えておりません。乞御賢察。
- Opponent 2008年11月24日 (月) 15:49 (UTC)[返信]
あそ。りょかいです。 --Hatukanezumi 2008年11月24日 (月) 15:50 (UTC)[返信]

あなたの発言は聞き捨てならないので、久しぶりに会話させていただきます。1点については今すぐ取り消していただきたい。「ない」は失礼極まりない。--Goki 2008年11月26日 (水) 15:34 (UTC)[返信]

「ご自身の利用者ページへのここのところの加筆にしても、有意義な内容がなく」の「なく」の部分でしょうか。しかし、同利用者ページには、明らかにわたしに対して向けられた加筆がいくつかありますね (なかには、会話ページからわかるものも、そうでないものもあります)。それは有意義だったとお考えなんでしょうか。またそうならば、どのように有意義だったのかを、この場で明確にご説明いただけませんでしょうか。そのご説明が衆人 (わたし個人ではありません。まわりで見ているひとびと) に納得いくものならば、わたしの評価は撤回いたしましょう。
なお、こういう論争がながびいた場合の解決のしくみとして、当事者同士で解決が困難な場合には、コメント依頼というものもあります。一応付記しておきます。 --Hatukanezumi 2008年11月26日 (水) 15:55 (UTC)[返信]
「注意」の件も含めて貴殿についてのみ書いているわけではありません(もちろん「注意」の件については貴殿の書き込みがきっかけですが。)。人に注意する際の自戒の念もこめて書いているので、少なくとも「注意」の件に関しては意義があると思っております。コメント依頼につきましてはこちらから解決の手段として使う気はありません。また、貴殿のほうで提起されても、そこで何を書かれようが、されに対して一切のコメントはするつもりはありません。現状のコメント依頼って私的には「袋叩きの場」でしかないと思っているので。(コメント依頼についての欠陥は指摘しますが、解決策はないのでこちらから改善の提案もするつもりはありません。)貴殿との直接の対話にはいつでもお応じるつもりですよ。--Goki 2008年11月26日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
いや。こうやって対話することを厭わないひとだとはおもってません (ただ、記事のノートとかだと対話にならないので困ったなあ、と日頃なやんではいました)。コメント依頼について述べたのは、利用者ページで遠回しに指弾するのではなくて文句があれば公式の場で言ってくれよという意味です。批判は批判として受ける、というのがわたしの姿勢です。
年号処理についてですが、ガイドラインに準拠するというのがなんのためなのかよくわかりません。個人的には西暦だけ書くのが一番楽で正しさも確保できるという立場なんですが、和暦が併記されてもさほど気になりません。そういうわけで、併記の形式がどうなっていようと (併記されていなかろうと) あまり問題とおもいません。なぜGokiさんがそこまでこだわられるのかが、ぴんとこないのです。
できればご解説いただければとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年11月26日 (水) 16:19 (UTC) 訂正。失礼 --Hatukanezumi 2008年11月27日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
私の論点とずれてます。Template‐ノート:和暦にも説明していますが、リンクの形式([[西暦年|西暦年(和暦年)]]とすること)および、和暦年のフォントサイズの「強制」について「絶対に認めない」と書いています。Lincun氏はその両方を入れたものに無言で差し戻したうえに差し戻しの理由の説明で私の糾弾に終始したため、ありていに書けば怒りを覚えているのです。理由は改めて説明していますので当該記事をご覧ください。--Goki 2008年11月26日 (水) 16:40 (UTC)[返信]
補足すると、私は西暦・和暦の併記については併記しようがしまいがどちらでもいいというスタンスです。正式名称や年度表記で和暦が登場する(例:日本の法律や、大相撲における本場所の正式名称「平成二十年十一月場所」など)ので一律西暦のみの表記にすべしという意見には「ノー」ですが。私が問題視しているのはテンプレートの導入でスタイルやリンクの形式まで規定されるとそれが標準(あるいは半強制)になってしまうこととテンプレートを使っているところとそうでないところでスタイルやリンクの形式がずれてしまうのでそれは嫌だと主張しているのです。--Goki 2008年11月27日 (木) 04:08 (UTC)[返信]
Green tea
Green tea
緑茶でいいですか。
編集合戦というのはひとりでおこせるわけではないので、どちらも悪いと考えています。ですので、GokiさんとLincunさんのどちらに非があるかは、わたしには判断できません。
しかし、他人との対話の際に「絶対に認めない」とか「絶対に同意しない」などという必要があるのでしょうか。それは常識的に考えれば、他人の意見に耳を傾ける意志がないということの表明です。自分の主張が容れられないかぎり納得しないかたは、ウィキペディアのような共同作業にご参加いただかなくてけっこうです。
Gokiさんのひごろの活動は、意義のあるものだとおもいます。しかし、自分のやった作業が差し戻されたら、すぐに復元し返したりするのではなく、いったん編集の手を止めて、記事のノートや相手の会話ページで (今回のように) 対話してみたらどうでしょうか。あなたが正しいと思うのなら、堂々と相手を説得すればいいのです。時間がかかっても、記事は待っていてくれます。
また、先の「絶対認めない」などもそうですが、対話の際に「めちゃくちゃキモいんだけど」とか「くだらない」だとか、相手を不快にさせる言葉が必要でしょうか。こういう発言を見ると、言われた本人だけでなくまわりのひとびとも不愉快になります。他人に敬意を払って接しないひとの意見は、たとえ正しくてもあまり尊重されないでしょう。
対話の時間を惜しむことと、相手への敬意の足りない振る舞いが、あなたを「暴れ者」に見せているのではないでしょうか。すくなくともわたしにとっては、現在のあなたと冷静に議論するのは難しいです。
ところで、最初の話題に戻りますが、ご自分の利用者ページにあるわたしに対する乱暴な言葉を、取り消していただけませんか。わたしとしても、なにかの折にGokiさんの利用者ページを見るたびに、いやな気分になります。わたしだけを指しているのではないとすれば、多くのひとをいやな気分にさせていることになります。そんなことがGokiさんのウィキペディアでの活動にとって、よいわけがないとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年11月27日 (木) 13:01 (UTC)[返信]
Hatukanezumi氏の助言につきましては確かに受け止めました。取り消していただきたい場所については、具体的な場所を指定してくださると助かります。(とりあえず「注意」の箇所は編集いたします。)
Lincun氏の件についてはこれまでの経緯もあるため、申し訳ないですが無言で差し戻した件についての誠意ある説明とそれをせずに私の行為に対する糾弾に終始した理由の説明がない限り無理です。以上です。--Goki 2008年11月27日 (木) 18:18 (UTC)[返信]
ここにあったHatukanezumiによる投稿は、投稿者本人によって除去されました。
  1. MediaWiki云々の件は表現は変えますが趣旨を曲げるつもりはありません。間違いは間違いで覚えてしまうので。
  2. ウィキメールの節は「ウィキメールは見ません」という意思表示ですので除去はいたしません。(これは非公開の場で議論しないという意思表示でもあります。)ウィキメールの受け取りの停止はあえていたしません。
  3. 鸚鵡返しの件はさきほどの編集がすべて貴殿に関するものを除去したものではないため除去しません。--Goki 2008年11月29日 (土) 00:21 (UTC)[返信]
編集を確認しました。Gokiさんの意思は尊重したいとおもいますので、編集結果に対して意見は述べません。また、先のわたしによる指摘は除去しておきます。 --Hatukanezumi 2008年11月29日 (土) 00:33 (UTC)[返信]
了解しました。MediaWikiの件の指摘に関しては別件でかなりいらだっていたこととミスリードもあり会話ページで回答できませんでした。この点についてはお詫びいたします。--Goki 2008年11月29日 (土) 02:10 (UTC)[返信]
丁重なお答えをありがとうございます。お答えの内容については受けとりました。お茶しか出さなくてすみません。 --Hatukanezumi 2008年11月30日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

こんばんわ

[編集]

Wikipedia:コメント依頼/Nekosuki600 2008120を作成する際、Wikipedia:コメント依頼/Nekosuki600 20081129を無許可で参考にさせていただきました。連絡なき行動謝罪します。

ちなみに、この依頼はNekosuki600さんの会話ページで、話し合いに応じてもらえなかったため作成しました。Wikipedia:コメント依頼/Nekosuki600 20081129を邪魔するような内容になってはいないと思いますが、もしなっていたらごめんなさい。--こみか 2008年12月5日 (金) 15:27 (UTC)[返信]

あ、こん○○は。
コメント依頼は、各人が必要だとおもったらするものですから、依頼したことになんら問題はないとおもいます。それに、異なる視点での依頼ですから、統合の必要もないでしょう。わたしとしては、過去の依頼リストを完備できたのはありがたいです (「ほかにもあったはずだよなあ」とおもっていました)。 --Hatukanezumi 2008年12月5日 (金) 15:42 (UTC)[返信]
いえいえ。そういってもらえればありがたいです。
ちなみに参考までに左にある「検索」を使ってでてきたのがあれらの記事だったのです。記事の頭が同じ記事を探すとき(たとえば今回のような過去のものを検索するときなど)に有効な調べ方なので便利なのでぜひお試しください。--こみか 2008年12月5日 (金) 16:09 (UTC)[返信]

未翻訳リンク

[編集]

お世話になっております。Hatukanezumi さんの作成された Template:未翻訳リンクの名前に付きまして、Template‐ノート:未翻訳リンクで提案させて頂いていますので、お考えなど伺えましたら幸いです。--白駒 2008年12月9日 (火) 11:45 (UTC)[返信]

あども。あまりよく考えずに命名しちゃってて、自分でも気になってました。以後はノートで。 --Hatukanezumi 2008年12月9日 (火) 14:16 (UTC)[返信]

利用者‐会話:GcG

[編集]

お久しぶりです。申し訳ないのですが、利用者‐会話:GcGでのコメントは私の節ではなく別立てにしてもらえませんか。お願いします。--akane700 2008年12月14日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

あ、すみません。節わけしときました。 --Hatukanezumi 2008年12月14日 (日) 11:50 (UTC)[返信]