光風貞太郎
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光風 貞太郎(てるかぜ さだたろう、1894年10月1日 - 1941年11月24日)は、秋田県由利郡子吉村(現在の由利本荘市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は小番 貞藏。身長178cm、体重94kg。最高位は西小結(1926年1月場所)。得意技は突っ張り、押し、寄り。引退後は年寄待乳山として後進の指導につとめた。四股名の命名者は須藤善一郎[1]。
来歴
[編集]横綱大砲の待乳山部屋に入門[2]。1914年1月場所に初土俵をふんだ。その後、師匠の死のために出羽海部屋に移籍した。1919年1月に新十両、1922年1月場所に入幕した。突き押し得意であったが、幕内中堅力士として腰を据えていた。1925年が最盛期で、1月場所は8勝2敗、5月場所には大関太刀光を引き落としに破る殊勲の星も含めて7勝3敗1分と連続して勝ち越し、1926年1月場所に小結に昇進した[2]。しかしその場所、3勝7敗と負け越すと、その後は土俵に上がることなく休場を続け、1927年3月場所限りで引退、年寄待乳山を襲名した。
引退後の1930年5月に部屋を興したが関取を出すことなく、1934年5月に部屋を閉じた。その後1941年5月場所限りで年寄も廃業し、まもなく亡くなった。
主な成績
[編集]- 通算成績:88勝61敗5分2預48休 勝率.591
- 幕内成績:38勝39敗4分45休 勝率.494
- 現役在位:27場所
- 幕内在位:12場所
- 三役在位:1場所 (小結1場所)
- 各段優勝
- 序ノ口優勝:1回(1915年6月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1914年 (大正3年) |
(前相撲) | x | 東序ノ口33枚目 3–2 |
x | ||
1915年 (大正4年) |
x | x | 東序ノ口17枚目 優勝 5–0 |
x | ||
1916年 (大正5年) |
西序二段41枚目 3–1–1 |
x | 西序二段8枚目 4–1 |
x | ||
1917年 (大正6年) |
東三段目46枚目 4–1 |
x | 東三段目14枚目 2–2 (1預) |
x | ||
1918年 (大正7年) |
東三段目2枚目 4–1 |
x | 東幕下24枚目 4–0 (1引分) |
x | ||
1919年 (大正8年) |
東十両11枚目 2–2 (1預) |
x | 西十両14枚目 3–2 |
x | ||
1920年 (大正9年) |
西十両12枚目 4–1 |
x | 西十両4枚目 3–5 |
x | ||
1921年 (大正10年) |
東十両9枚目 4–1 |
x | 東十両2枚目 5–3 |
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1922年 (大正11年) |
東前頭11枚目 5–5 |
x | 西前頭3枚目 5–5 |
x | ||
1923年 (大正12年) |
東前頭4枚目 3–6–1 |
x | 西前頭9枚目 4–7 |
x | ||
1924年 (大正13年) |
西前頭12枚目 3–4 (3引分) |
x | 東前頭10枚目 0–0–11 |
x | ||
1925年 (大正14年) |
東前頭17枚目 8–2–1 |
x | 西前頭6枚目 7–3 (1引分) |
x | ||
1926年 (大正15年) |
西小結 3–7–1 |
x | 東前頭3枚目 0–0–11 |
x | ||
1927年 (昭和2年) |
西前頭12枚目 0–0–11 |
西前頭12枚目 引退 0–0–11 |
x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
脚注
[編集]- ^ 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年、331頁。
- ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p24