伊達宗陳
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伊達宗陳 だて むねのぶ | |
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生年月日 | 1861年1月26日 |
没年月日 | 1923年2月7日(62歳没) |
出身校 | 学習院 |
称号 |
従二位 従三位 |
配偶者 |
伊達納子 伊達孝子 |
子女 | 養子・伊達宗彰 |
親族 |
義父・徳川茂承(貴族院議員) 義兄・久我通久(貴族院議員) 義兄・徳川頼倫(貴族院議員) 弟・丹羽長徳(貴族院議員) 弟・二荒芳徳(貴族院議員) 義弟・有馬頼之(貴族院議員) |
在任期間 | 1905年12月27日 - 1923年2月7日 |
伊達 宗陳(だて むねのぶ、1861年1月26日(万延元年12月16日[1])- 1923年(大正12年)2月7日[2])は、日本の宮内官、政治家、華族。貴族院侯爵議員、宮中顧問官。宇和島伊達家10代当主。
経歴
[編集]宇和島藩主・伊達宗徳の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1905年12月27日に侯爵を襲爵し[4]貴族院侯爵議員に就任し[1][2]、死去するまで在任した[2]。
明治学舎、学習院で学び、1886年、小松宮彰仁親王に随行してイギリスを訪問し同国に留学した[5]。帰国して1889年以降、式部官兼主猟官、宮中顧問官などを務めた[2]。
明治10年代には旧藩の困窮士族のために北海道開拓を検討し現在の江別市に150万坪の土地を貸し下げたが、結局宇和島からの入植は実現しなかった。野幌若葉町の地名「伊達屋敷」としてその名が残っている[6]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 妻 伊達納子(のりこ、有馬頼咸七女)・伊達孝子(たかこ、徳川茂承二女)[1]
- 養嗣子・甥 伊達宗彰(官僚・実業家、弟紀隆の三男)[1]
- 弟妹[1] 本多康虎、伊達紀隆、丹羽長徳(丹羽長国養子)、一柳直徳(一柳頼明の弟・紹念の養子)、伊達重正、二荒芳徳、能久親王妃富子(北白川宮能久親王妃)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年。
- 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
日本の爵位 | ||
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先代 伊達宗徳 |
侯爵 (宇和島)伊達家第2代 1905年 - 1923年 |
次代 伊達宗彰 |