コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

今枝敬雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今枝 敬雄
いまえだ のりお
生年月日 1924年8月18日
出生地 愛知県
没年月日 (2012-03-21) 2012年3月21日(87歳没)
所属政党 自由民主党
称号 従四位
勲二等瑞宝章

選挙区 旧愛知1区
当選回数 3回
在任期間 1980年6月23日 - 1983年11月28日
1986年7月6日 - 1993年6月18日

選挙区 名古屋市中区選挙区
当選回数 4回
在任期間 1967年4月30日 - 1979年
テンプレートを表示

今枝 敬雄(いまえだ のりお、1924年8月18日 - 2012年3月21日)は、日本の政治家衆議院議員(3期、自由民主党)。愛知県議会議員(4期)。

来歴

[編集]

陸軍航空学校操縦科卒[1]

1959年の愛知県議会議員選挙(名古屋市中区選挙区)に無所属で立候補するも落選[2]。1963年の県議選に自民党公認で立候補するも再び落選[3]

1967年の県議選で初当選。

1979年4月、4期目の当選を果たす[4]。同年9月7日、衆議院が解散。地盤を元秘書で後に愛知県議会議長を務めることになる加藤南に譲り、旧愛知1区より自民党公認で第35回総選挙に出馬したが落選した。

1980年の第36回総選挙で初当選した。1983年の総選挙で落選。1986年の総選挙で返り咲く。自民党県連会長の江﨑真澄の片腕として活躍。

1987年7月4日、経世会が結成。会長には竹下登が就任し[5]、田中派は「竹下派」「木曜クラブ(二階堂グループ)」「中立系」に3分裂した。江﨑は二階堂グループに残った。今枝は「中立系」の道を選ぶも[6]、2か月も経たないうちに竹下派に参加した[7]

2012年3月21日肺炎のため死去[8]。87歳没。死没日をもって従四位に叙される[9]

衆議院議員総選挙

[編集]

役職

[編集]
  • 中部製紙原料商工組合顧問

その他

[編集]

新憲法制定議員同盟に所属していた。

派閥としては旧田中派→旧竹下派→旧橋本派に所属していた。

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』65頁。
  2. ^ 『愛知県議会史 第十巻』愛知県議会、1983年3月15日、427頁。 
  3. ^ 『愛知県議会史 第十一巻』愛知県議会、1986年3月15日、340頁。 
  4. ^ 『愛知県議会史 第十三巻』愛知県議会、2008年3月15日、248頁。 
  5. ^ 安藤俊裕 (2011年8月28日). “田中角栄に反旗、竹下派旗揚げ 「政界のドン」金丸信(5)”. 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1902K_V20C11A8000000/ 2020年8月2日閲覧。 
  6. ^ 朝日新聞政治部 編『田中支配とその崩壊』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1987年9月20日、24-25頁。ISBN 978-4022604729 
  7. ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。 
  8. ^ “訃報:元衆院議員の今枝敬雄氏が死去。”. 日本経済新聞. (2012年3月25日). http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E0E7E2E2998DE0E7E2E1E0E2E3E09191E3E2E2E2 2012年3月25日閲覧。 
  9. ^ 『官報』第5784号9-10頁 平成24年4月19日号

参考文献

[編集]