中嶋勝一
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中嶋勝一 なかしま かついち | |
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生年月日 | 1892年9月23日 |
出生地 |
日本 山口県玖珂郡川越村 (現山口県岩国市周東町) |
没年月日 | 1965年9月27日 |
出身校 | 小学校卒業 |
所属政党 |
(立憲政友会→) (日本進歩党→) (日本民主党→) (無所属/同志クラブ→) (無所属/民主クラブ→) (民主自由党→) 自由党 |
選挙区 | 旧山口2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年4月 - 1948年12月23日 |
下関市会副議長 | |
中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月23日[1] - 1965年(昭和40年)9月27日[2][3])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。中島と表記する事例がある[4]。
経歴
[編集]山口県[2][3]玖珂郡川越村[5][6](周東町を経て現岩国市周東町)で、中嶋佐吉の長男として生まれる[6]。小学校を卒業した[6]。
下関唐戸乾物商業組合理事、日満大豆製粉工業取締役社長、中嶋重石鉱業取締役社長、日満食品工業取締役社長、仁田鉱山取締役などを務めた[2][5][6]。
政界では、下関市会議員に選出され、同副議長も務めた[2][5][3]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で山口県第2区から民主党公認で出馬して当選し[5][6][7]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。この間、民主党山口県支部長などを務めた[2]。
国政選挙歴
[編集]- 第20回衆議院議員総選挙(山口県第1区、1937年4月、立憲政友会公認)落選[8]
- 第22回衆議院議員総選挙(山口県全県区、1946年4月、日本進歩党公認)落選[9]
- 第23回衆議院議員総選挙(山口県第2区、1947年4月、民主党公認)当選[7]
- 第24回衆議院議員総選挙(山口県第2区、1949年1月、民主自由党公認)次点落選[4]
- 第25回衆議院議員総選挙(山口県第2区、1952年10月、自由党公認)落選[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『第三回国会 衆議院議員名簿』衆議院公報附録、1948年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 衆議院事務局編『衆議院要覧 昭和22年12月現在 乙』、衆議院事務局、1948年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『山口県人物・人材情報リスト 2009』日外アソシエーツ、2008年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。