田中尭平
表示
田中 尭平(堯平、たなか ぎょうへい、1904年(明治37年)12月15日[1] – 1963年(昭和38年)11月2日[1][2])は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]山口県[2]豊浦郡、のちの豊田町(現下関市豊浦町)で生まれる[1]。豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)、山口高等学校を卒業[1]。山高在学中から社会主義の研究を始め、東京帝国大学に進学してから実際の活動に加わった[1]。1932年(昭和7年)東京帝大法学部政治学科を卒業[1][2]。山口市で弁護士を開業した[1][2]。
1945年(昭和20年)日本共産党に入党し、労働組合の法律顧問を務めた[1]。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に山口県第2区から共産党公認で出馬して落選[3]。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙に出馬して当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、共産党山口県委員を務め、レッドパージ反対闘争などを担当した[1]。その後、第25回、第28回、第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]。
脚註
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。