下田追加条約
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日本国米利堅合衆国和親条約附録 | |
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通称・略称 | 下田追加条約、下田条約 |
署名 | 1854年6月17日(嘉永7年5月22日)[1] |
発効 | 1854年6月17日[2] |
現況 | 失効 |
失効 | 1859年7月4日(日米修好通商条約発効)[2] |
締約国 |
日本 アメリカ合衆国 |
主な内容 | 遊歩区域、外人休息所の設定、その他開港場の使用細則を定める |
関連条約 | 日米和親条約 |
ウィキソース原文 |
下田追加条約(しもだついかじょうやく、英:additional regulations)は、1854年(嘉永7年5月)に日本とアメリカ合衆国が締結した条約。下田条約(しもだじょうやく)とも。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。13か条からなり、日米和親条約に基づく下田・箱館の開港に伴い、遊歩区域、外人休息所の設定、その他開港場の使用細則などを定めた[3]。和親条約締結に関わった林・井戸覚弘・伊沢政義・鵜殿長鋭・松崎純倹に加え、都筑峯重・竹内保徳も交渉に加わった[4]。
江戸幕府の批准書は1855年2月21日にアメリカ側へ到着した[2]。