三輪光雄
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三輪 光雄(みわ みつお、1905年(明治38年)11月3日 - 1978年(昭和53年)7月28日)は、日本の原子核物理学者。教育者。
経歴
[編集]1928年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、同大学で助手となり、1931年、東北大学物理学教室の助手となる。その後、東京帝国大学に戻り講師を務めた後、1942年に東京文理科大学の教授となった。1968年、東京教育大学を定年退官。名誉教授になった後、同年に学長に就任したが病気を理由に翌1969年に退任した。その後は東京理工専門学校(現在の読売理工医療福祉専門学校)の初代校長に就任して理工系技術者の育成に当たった[1]。
専門分野は物理学の中でも原子核に関する分野で、1957年には原子核研究のための当時日本最大の加速器、ベータトロンの建設に携わった。1978年(昭和53年)7月28日に心筋梗塞のため東京都世田谷区の関東中央病院にて死去。73歳[2]。
著作
[編集]- 『高校A級物理1,2計算問題集』(共著)昇龍堂出版 1975年
- 『詳解物理1 : 計算問題の解き方』 昇龍堂出版 1974年
- 『研修物理』 昇龍堂出版 1964年
- 『理論応用 物理学演習 第4』 森北出版 1964年
- 『物理学 : 大学教養』 森北出版 1956年
- 『物理実験学 : 原子核物理学 第10巻』(共著)河出書房 1940年
脚注
[編集]- ^ 大橋秀雄「三輪光雄先生のご逝去を悼む」『科学教育研究』第2巻第2号、日本科学教育学会、1978年、74頁、doi:10.14935/jssej.2.74、ISSN 0386-4553。
- ^ 訃報欄 三輪光雄(みわ・みつお = 元東京教育大学学長)