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三ツ沢公園球技場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三ツ沢球技場から転送)
三ツ沢公園 > 三ツ沢公園球技場
三ツ沢公園球技場
ニッパツ三ツ沢球技場
三ツ沢公園球技場の位置(横浜市内)
三ツ沢公園球技場
三ツ沢公園球技場の位置(神奈川県内)
三ツ沢公園球技場
施設情報
所在地 神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢西町3-1
位置 北緯35度28分8.96秒 東経139度36分13.48秒 / 北緯35.4691556度 東経139.6037444度 / 35.4691556; 139.6037444座標: 北緯35度28分8.96秒 東経139度36分13.48秒 / 北緯35.4691556度 東経139.6037444度 / 35.4691556; 139.6037444
開場 1955年
拡張 1964年
所有者 横浜市
運用者 横浜市緑の協会・スポーツ協会グループ(指定管理者)
グラウンド #天然芝
照明 4基 (鉄塔式)
大型映像装置 あり (富士通フロンテック製。日本宝くじ協会寄贈)
使用チーム、大会
横浜FC(Jリーグ)
横浜スポーツ&カルチャークラブ(Jリーグ)
横浜F・マリノス(Jリーグ)
横浜キヤノンイーグルスジャパンラグビーリーグワン
横浜フリューゲルス(1993-1998年)
収容人員
15,454人
アクセス
当項目を参照。

三ツ沢公園球技場(みつざわこうえんきゅうぎじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢公園内にある球技場。命名権により「ニッパツ三ツ沢球技場」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう)ともいう。施設は横浜市が所有し、横浜市緑の協会・スポーツ協会グループが指定管理者として運営管理を行っている。

概要

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1955年の第10回国民体育大会(神奈川国体)に備えて整備された球技場で、「日本におけるサッカー専用スタジアムのはしり」という言及がなされている[1]

横浜市に本社を置く自動車部品メーカーの日本発条命名権(ネーミングライツ)を取得しており、2008年3月から「ニッパツ三ツ沢球技場」の呼称を用いている(後述)。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)、ジャパンラグビートップリーグ全国高等学校サッカー選手権大会やその神奈川県大会決勝、全国高等学校ラグビーフットボール大会の神奈川県大会決勝などでも使用されており、特にJリーグでは横浜FC横浜スポーツ&カルチャークラブ (Y.S.C.C.) がホームスタジアムとして登録しているほか、横浜F・マリノス(合併前の横浜マリノス・横浜フリューゲルスを含む)がホームゲームを多く開催している。

歴史

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開場から1998年まで

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1955年開場。1964年東京オリンピックサッカー競技の会場としても使用された[2]。その後は日本サッカーリーグ(JSL)で古河電気工業サッカー部日産自動車サッカー部全日空横浜サッカークラブなどが試合を開催した[3]。これ以外でもアマチュアサッカーやラグビーの試合で頻繁に使用され、同球技場は神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。

1991年にJリーグの発足と横浜マリノス(前身は日産自動車)・横浜フリューゲルス(同全日空横浜)の参加が決まると、横浜市内を本拠地[注 1] とする両チームのホームスタジアムとして三ツ沢球技場が選定され、当時のJリーグ(現在のJリーグ ディビジョン1(J1))規格を満たす約15,000人を収容できるスタジアムとして、リーグ発足の1993年に増築された。

三ツ沢球技場は1998年3月には同年10月の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)の主会場として[注 2]、かつ2002年6月の2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の開催予定地として[注 3]横浜国際総合競技場(2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。1998年は国体開催に向けた芝生保護や各種準備の関係で横浜国際での試合開催が制限され、三ツ沢球技場での開催が半数近くに及んだが[注 4]、10月になって同年限りで両チームが合併することが発表され、サポーターからの強い反発を呼んだ。11月7日、三ツ沢で開催されたフリューゲルスのJリーグ最終主催試合ではゲルト・エンゲルス監督や選手達が合併反対の意思を表明し、エンゲルス監督は観客席のサポーターに対して日本語でチームの救援と存続を訴えたが、これは叶わなかった[注 5]

1999-2007年

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1999年、前項で述べた合併により横浜F・マリノス(横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合はJリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。2000年以降は2002年W杯や2001年開催のコンフェデレーションズ杯の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活したが[注 6]、年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際[注 7] で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。

但し現在も三ツ沢球(ニッパツ)を、マリノスは平日開催が多いJリーグカップの予選リーグ、およびリーグ戦においても日産Sの芝生の保護・管理のため春・秋の年3-4試合程度は開催されている他、神奈川県サッカー協会が主管となる天皇杯では現在に至るまでF・マリノスの初戦が概ね行われている。

一方、フリューゲルスの存続を求めたサポーターの活動から1999年に発足し、奥寺康彦をゼネラルマネージャーに迎えた[注 8]横浜FCは、元フリューゲルス関係者と共に「聖地」三ツ沢への思い入れが強く[注 9]、かつF・マリノスと比較して小規模な経営が必要だった事情もあり、三ツ沢球技場を中心とした試合開催を進める事になった。年明けの日本フットボールリーグ(JFL)参加が決まり、競技場確保が難航した1999年は12試合中3試合のみだったが[注 10]2000年以降は三ツ沢球技場での主催試合開催が安定して行えるようになり[注 11]2001年J2参入後も変化はなかったが、2002年はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。2006年には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、城彰二の引退セレモニーも合わせて開催された。

2007年、J1に昇格した横浜FCは経営上の判断もあり、三ツ沢球技場での主催をJ1リーグ17試合中9試合に抑え、ホーム開幕戦となった横浜FM戦(横浜ダービー)では三ツ沢開催にこだわったものの、一方でシーズン最終戦を含む6試合を準本拠地の位置づけで日産スタジアムで開催した(残り2試合は国立)。横浜FCはホーム開幕戦とシーズン最終戦では勝利したが、年間成績では18チーム中最下位に終わり、翌年からのJ2降格が決まった。

2003年、日本の社会人ラグビーの全国リーグとしてジャパンラグビートップリーグが開始されると、三ツ沢球技場はその試合会場の一つとして使用されるようになった。以後、ほぼ全てのシーズンで年1-2試合が開催されている[注 12]

2008年以降

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2008年、横浜市は日本発条との間で5年間の命名権売却契約を結び、Jリーグ開幕前の3月1日から「ニッパツ三ツ沢球技場」(略称:ニッパ球)と呼ばれる事となった。契約金額は初年度の年間7000万円から徐々に下落し、2013年からの再契約では年間4000万円となり、契約期間も3年間に短縮されたが、2016年2月28日まではこの名称が引き続き使用される事になった[注 13]

横浜FCは2007年シーズンこそ日産スタジアムと併用する状態であったが、以降は日産スタジアムの使用は2008-2010年までの各1試合のみとなり[注 14]、本拠地登録も当球技場に一本化された。一方、横浜F・マリノスはJ1リーグ戦の3試合[注 15] とナビスコ杯の2-3試合[注 16] をニッパツ三ツ沢球技場で行うが、主な試合会場は日産スタジアムであり、試合数からも「横浜F・マリノス=日産、横浜FC=ニッパツ三ツ沢」の住み分けが事実上成立している。

2009年、横浜市は当球技場の改修に着手し、2010年のJリーグ開幕前に竣工させた。総工費3億2800万円[4] の同工事により、収容人員で1万5400人となり、Jリーグが定めたJ1規格を満たした。これにより、横浜FCが将来J1に復帰しても三ツ沢をそのままメインスタジアムとして使用できる体制が整った。

一方、全日空横浜クラブの元選手により1986年に発足した横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C. / YS横浜)は関東サッカーリーグ以降当球技場でホームゲームを開催しており(JFLでは神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場と併用)、J3リーグ発足時以降は当球技場をホームスタジアムとして登録。Jリーグ3クラブのホームスタジアムとなった。なお、横浜F・マリノスは2016年以降、本拠地登録を日産スタジアムに一本化しているが、リーグカップ戦を中心に主催試合を開催することがある。

2021年にジャパンラグビートップリーグがジャパンラグビーリーグワンに改称。(D1は1シーズンにつき16試合開催)以後、横浜キヤノンイーグルス主催試合が5試合程組まれている。(残りは秩父宮大分

年表

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夜間開催時のニッパツ三ツ沢球技場。バックスタンドのホームゴール裏コーナー付近から(2009年J2第16節:横浜FC-FC岐阜
ジャパンラグビートップリーグ開催時のニッパツ三ツ沢球技場。メインスタンドから。 2012年キヤノンイーグルスリコーブラックラムズ

施設概要

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  • 照明設備:4基 (鉄塔式)
    • 各照明装置には、落雷抑制システムズ社の落雷抑制装置が設置されており、ピッチ上に落雷する確率を低減させている。
  • スコアボード:大型映像装置 (2008年より使用)
  • 収容人員:15,454人(メインスタンド5,580人(車いす席20)、バック・サイドスタンド9,874人(車いす席10))

電光掲示板

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  • 1993年のJリーグ開幕時に、これまでの白色電球のものを4色磁気反転型の電光板(左記2つはいずれもフリーボード形式)に変更。
  • 2008年に、それまで使用されていた電光板が老朽化・保守部品の製造終了に伴い撤去された。新しいスコアボードは2006年の初期段階の計画では電気系統の大工事を行わなくて済むようにそれまでと変わらない位置(ホーム側ゴール裏席上段)に設置予定であったが、当時の横浜FC運営担当が横浜サッカー協会に掛け合い、ホーム側ゴール裏席から見やすいように以前とは反対のアウェイ側ゴール裏席上に設置されている。
  • 旧電光板のあった箇所は、球技場命名権を取得した日本発条(NHKニッパツ)の広告横断幕が取り付けられている。

スタンド

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  • 2009年から2010年にかけて行われた同球技場の改修ではスタンドの外装や内装の改修が行われた。この際、横浜FCからスタンドのベンチ席を全部個別席にするなどの提言が出され[5]、収容人員は15400人となって、収容人数1万5千人以上や全席個別化などのJ1規格を満たした。
  • また、横浜フリューゲルスの再建を目的として1999年に設立されていた「フリューゲルス再建基金」から、横浜FC(横浜フリエスポーツクラブ)への融資として使用された分を除く3700万円が横浜市に寄付されてニッパツ三ツ沢球技場の観客席の増設(約2200席分)に使われ、一般客メインゲート脇の柱に銘板が設置された[6]
  • 但し、JリーグライセンスではB等級であるスタンドの屋根(全体の3分の1以上を覆うことを推奨)が設置されていない。(後述
  • 同球技場ではラグビーも開催するため、サッカー専用スタジアムと比較すると横幅が長く取られている。そのため、サッカーの試合ではゴール裏とスタンドの距離がやや離れる。
  • YS横浜の主管試合を開催する場合は原則としてメインスタンドとサイドスタンドのみの解放である。

天然芝

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  • 1993年のリーグ戦では常緑の天然芝を保つことができたものの雨天時などでは水浸しになるなど選手のプレー面での危険性が危惧されたことなどから、1994年にグラウンドの水はけの改良を含めた全面的な芝の張替え作業を行った。
  • 同年9月、問題となった芝生を剥がして福岡ドームでサッカー・ラグビーの試合を開催することを念頭に設計されたパレット式天然芝(詳細説明はビッグエッグターフの項を参照されたい)を購入しそれを敷き詰める応急処置を施し公式戦を開催した。その後、Jリーグは1994年アジア競技大会(広島アジア大会)の開催時期でもあったため1ヶ月の中断期間があり、その間に芝生の張替えを検討したが、結局新規の張替えではなくパレット天然芝を直接地面に根付かせる形で養生しJリーグの再開に間に合わせた。

命名権

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2007年にネーミングライツ導入が決定され、ばね製造の日本発条が命名権を年間8000万円、5年契約で取得したことにより、2008年3月より愛称が「ニッパツ三ツ沢球技場」、略称が「ニッパツ」「ニッパツ球技場」となった[7]。Jリーグにおける英語表記は "NHK Spring Mitsuzawa Football Stadium"となっている[8]。2013年から3年契約、2016年から5年契約と更新されており、現在の契約は2026年2月28日まで。

なお、Jリーグ公式ウェブサイトのスタジアムガイド では略称表記を「ニッパ球」としていたが、2015年より「ニッパツ」に改めている。この理由について同球技場を本拠とする横浜FCは、横浜市内に ニッパ という会社があり、ネーミングライツにおいて支障をきたしており、混乱を招く一因となっていたためとしている[9]

アクセス

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鉄道・バス

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自動車等

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改修構想

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スタジアムのキャパシティーは前述したとおりJ1基準の15000人を満たしているが、Jリーグクラブライセンス制度「B等級」[注 17] の条件である「観客席の3分の1相当に屋根を敷設すること」と、「トイレ(洋便器)を一定数確保すること」の条件を満たしていない。本球技場の場合、屋根は全く設置されておらず、トイレは最低限(収容人員1000人当たり、洋便器5台・男性の小便器8台)の3割ほどしか満たせていないという[13]。同様の事例は全国に存在するが、2014年の時点でも横浜市からは改善案が示されておらず、当時のJリーグ専務理事の大河正明は「改修できないのなら、新スタジアムの構想を含めて考えてもらわないといけない」との指摘があった[13]。これに対し、球技場を管理する横浜市環境創造局は、屋根の敷設には建設費が高額になるうえ、公園利用への影響も大きいとして「Jリーグ側の要望も高まっていることは理解できるが、一つの部署で決められるものではない」としており、整備の見通しは示していなかった[13]

2019年12月、横浜FCが2020年J1に昇格するにあたって、当時の横浜市長・林文子を表敬訪問した際、三浦知良が「雨の日はサポーターがびしょ濡れになるので、そこを協力してもらえれば」と、客席の屋根敷設を要望した[14]。その後、林は2020年度横浜市予算案に改修調査費を盛り込むことを明言している[15]。改修検討は2020年度から2021年度にかけて継続して行われているが、横浜市会の予算第2特別委員会の質疑で、市当局者が「既存のメインスタンドに屋根だけを掛ける方法は困難」なため、「メインスタンドの建て替えや球技場全体の建て替えなど幅広く検討していく必要がある」と答弁した上で、小林一美副市長が「(三ツ沢)公園全体のリニューアルも含め、さまざまな選択肢を幅広に検討していきたい」と述べている[16]

2022年6月1日、横浜市は横浜市会の常任委員会に「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」を提示し、三ツ沢公園内に新たな球技場を建設する方針を示した[17][18]。現在の球技場の敷地で建て替えた場合、屋根を設けると日照の時間が少なくなり芝生の生育の観点から球技場の稼働も減ることから、三ツ沢公園の施設全体の見直しを踏まえるもので、三ツ沢公園内にある補助陸上競技場、青少年野外活動センター、第2テニスコートなどの敷地に新たな球技場を建設した上で現在の球技場も活用し(補助陸上競技場は現位置付近に再整備しテニスコートは第3テニスコートで増設の予定)、他の老朽化した施設のリニューアルを含めた公園の再整備を行うこととしている。建設費については、横浜市会の常任委員会における環境創造局の答弁で「構想段階であり、(費用の)具体化には至っていない。他都市の事例を見ても球技場建設は大きな事業のため、いろいろな意見を伺いながら進めていきたい」としている[18]

2022年10月14日、横浜FCの親会社であるONODERA GROUPが、前述の「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」に呼応して、同社が事業主体となって三ツ沢公園内に新球技場を整備し、完成後に横浜市に寄付するという事業提案を行ったことを公表した[19]。寄贈条件として「新スタジアムの施設名称を『ONODERAスタジアム』とすること」「(指定管理者として) 60年間の管理運営をONODERA GROUPまたは子会社が行うこと」「管理運営期間中の使用料・賃貸料を無償とすること」等を合わせて提案したという。しかしその後の検討の結果、法規制や事業採算性などの面で事業提案の内容を実現させることが困難だとして、2023年6月23日付でONODERA GROUPがこの提案を取り下げたことを表明した[20]

横浜市民病院の移設

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横浜市は、三ツ沢公園に隣接した横浜市立市民病院の施設が老朽化し、原位置での改築が困難なことから移転計画策定を行い、その有力候補地として、球技場に隣接した軟式野球場および古河電気工業所有地(当時は同社の社宅が存在)が挙げられたことが明らかになった[21]。病院側としては、「現在地から約500mの移動で済む」「横浜駅からより近くなり、交通の利便性が高まる」「病院と公園が一体となった災害対策機能の向上が図れる」ことを移転候補地とした理由として掲げている。同球技場を本拠地とするYSCC横浜の理事長・吉野次郎は「ニッパツ球技場は横浜市内のサッカーの聖地であるのに、わざわざそこに病院を移設する狙いがなぜあるのか」とする疑念を抱いており、「(病院が球技場の近くに移転することが)決まった以上は、球技場と病院が共存していく形をとるしかない。球技場に屋根を付けたり、患者さんが試合を観戦できる部屋を整備するなどの改修が必要ではないか」と述べている。一方の市民病院を運営する横浜市病院経営局もこの反対意見を受け止めてはいるが、「サッカーは週末開催がほとんどであるため、平日の外来とは重ならない。病院の施設についても、建物構造や設備で防音対策を取る」としている。

2014年9月に策定された「横浜市立市民病院再整備基本計画[22]」では、軟式野球場及び古河社宅跡地への新築移転を前提に、スポーツ観戦などによる歓声等の対策として、外壁はコンクリート厚15cm以上を確保し、窓は開口面積の調整や遮音性能の高いサッシ等による減音を施すとしている。一方、具体策については触れられていないものの、「適切な療養環境を維持しつつ試合観戦にも影響が出ないように配慮していきます」と説明している。

2020年5月1日にスタジアムのバックスタンド裏に横浜市立市民病院が移転開院した[23]

その他

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  • 同じ三ツ沢公園内にある陸上競技場(約1万人程度収容。2002 FIFAワールドカップの練習会場として使用された関係で、ナイター設備を設置)でもサッカーの試合が開催されており、Jリーグでは2002年に横浜FC(J2)、2014年にはYS横浜(J3)のそれぞれ一部主催試合が催された。
  • 加山雄三主演のレッツゴー!若大将1967年・東宝/岩内克己監督)において、サッカーの試合のロケが行われた。
  • 三ツ沢公園全体は横浜市神奈川区にあるが、同球技場のバックスタンドの裏にあった古河電工の社宅(現在は横浜市立市民病院敷地)は西区、南側(アウェー側ゴール裏)サイドスタンドの裏手の住宅地は保土ケ谷区となる、3区の境界地帯にある。なお、この古河電工社宅に、川淵三郎などのサッカー部所属社員選手も住んでいた。また、小倉純二は三ツ沢の社宅に住んだ事がきっかけとなってサッカーとの関係を持ち、川淵と同じく日本サッカー協会の会長まで務めた。

脚注

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注記

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  1. ^ ただし、フリューゲルスは長崎県熊本県鹿児島県の九州3県を準ホームタウンとし、主催試合を各県で行った。それ以外にも、マリノスやフリューゲルスは神奈川県外で主催試合を行う例があった。また、古河電工はジェフ市原となって千葉県市原市市原臨海競技場を本拠地に選んだ。
  2. ^ この「かながわ・ゆめ国体」では、ラグビー競技が三ツ沢球技場を中心に行われた。
  3. ^ W杯では決勝戦の開催地となった。
  4. ^ ただし、両チームが対戦する2度の横浜ダービーはいずれも横浜国際で開催され、特にマリノス主催の3月21日はJリーグでの同競技場初使用となった。
  5. ^ フリューゲルスは第78回天皇杯で優勝し、決勝戦の1999年1月1日(国立競技場)が最終戦
  6. ^ 2004年AFCチャンピオンズリーグでもF・マリノスは三ツ沢と横浜国際が併用したが、三ツ沢で行った城南一和天馬戦では同クラブ系列の統一協会の信徒がアウェー側席に多く来場し、城南を応援した事もあった。
  7. ^ 2005年にはF・マリノスの親会社でもある日産自動車が同競技場の命名権を取得し、「日産スタジアム」として広告面の相乗効果が図られた。
  8. ^ 現在は会長。なお、奥寺は古河電工出身で、三ツ沢の社宅にも住んでいた経験がある。
  9. ^ フリューゲルスの消滅と横浜FCでの現役引退を共にチーム主将として経験し、2012年に横浜FCの監督に就任した山口素弘は、監督就任後の初練習の際に「引退時に『管理人でも…』と望んだ」場所としたニッパツ三ツ沢球技場について『選手として始まったのも終わったのも三ツ沢。監督としての最初の試合が三ツ沢というのは高揚感がある』と語った記事が掲載された。出典:スポニチアネックス2012年3月23日付、「横浜FC 山口新監督で始動「3つのS」でチーム再建
  10. ^ 同年4月25日の公式戦初試合(JFL)は横浜国際で行った。三ツ沢球技場での初戦は5月3日の水戸ホーリーホック戦で、横浜FCの公式戦初勝利ともなった。この年は横浜市内では他に神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場でも1試合行っている
  11. ^ ただし、芝生の養生期間(後述)では国立霞ヶ丘競技場国立西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)などでの開催も行われる。
  12. ^ 改修工事が行われていた2009-2010シーズンのみは開催無し。2010-2011シーズン以降は年1試合で固定。なお、ラグビートップリーグはJリーグほどの厳密な本拠地制がないため、主催試合開催チームはシーズンにより異なる。2012-2013シーズンはキヤノンイーグルスが主催試合を開催。
  13. ^ 横浜市環境創造局記者発表 2012年12月14日付 「「ニッパツ三ツ沢球技場」NHKニッパツ日本発条株式会社とネーミングライツ契約を更新!!」 2013年5月19日閲覧。
  14. ^ 他に芝生養生期間での国立開催など。
  15. ^ 2009年は4試合
  16. ^ 東日本大震災の影響を受けた2011年の実開催数を含む。J1リーグ戦も同じ。
  17. ^ 条件を満たしていなくてもリーグ戦出場に必要なクラブライセンスは交付されるが、そのスタジアムを本拠地とするクラブに対して制裁を科す事実上の条件付き交付案件。

出典

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  1. ^ スタジアムについて考えるシンポジウム 議事録” (PDF). 北九州市建築都市局建築部建築課 (2011年10月7日). 2016年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月6日閲覧。
  2. ^ 昭和を代表する一大イベント、1964(昭和39)年に開催された東京オリンピック。写真に収められた当時の横浜の姿を追って、根岸線沿線を旅した。”. はまれぽ (2016年4月29日). 2018年1月5日閲覧。
  3. ^ 小松成美. “保土ヶ谷区制90周年に寄せて”. 横浜市. 2018年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月6日閲覧。
  4. ^ ニッパツ三ツ沢球技場改修工事竣工!”. 小雀建設ブログ (2010年3月11日). 2013年5月19日閲覧。
  5. ^ ニッパツ三ツ沢球技場改修工事概要書 (横浜市環境創造局)[リンク切れ]
  6. ^ 出典:横浜市環境創造局 記者発表資料平成22年(2010年)3月12日付 「フリューゲルス再建基金管理委員会に市長から感謝状を贈呈します」、フリューゲルス再建基金管理委員会 「お知らせ(2010年2月22日)
  7. ^ 三ツ沢公園球技場の名称 平成20年3月から「ニッパツ三ツ沢球技場」へ”. 横浜市環境創造局施設管理部公園緑地管理課 (2007年4月26日). 2017年1月14日閲覧。
  8. ^ 2017明治安田生命Jリーグ ホーム開幕カード決定!』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2017年1月12日http://www.jleague.jp/release/post-47739/2017年1月14日閲覧 
  9. ^ “ニッパツ三ツ沢球技場の略称表記が今季から「ニッパツ」に変更”. ゲキサカ (講談社). (2015年1月22日). http://web.gekisaka.jp/news/detail/?156038-156038-fl 2017年1月14日閲覧。 
  10. ^ a b c d アクセスガイド”. ニッパツ三ツ沢球技場公式サイト. 2016年1月30日閲覧。
  11. ^ a b スタジアム案内”. 横浜FC. 2016年1月30日閲覧。
  12. ^ ニッパツ三ツ沢球技場へのアクセス”. エクシオジャパン. 2016年1月30日閲覧。
  13. ^ a b c “三ツ沢球技場、基準満たさずJリーグから制裁対象に どうする横浜市”. 神奈川新聞. (2014年10月7日). オリジナルの2015年3月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150303050645/http://www.kanaloco.jp/article/78675/cms_id/105283 2021年4月6日閲覧。 
  14. ^ “カズ「三ツ沢に屋根を」 横浜市長にJ1昇格報告”. 神奈川新聞. (2019年12月4日). https://www.kanaloco.jp/article/entry-212919.html 2019年12月6日閲覧。 
  15. ^ “横浜FCの本拠地に屋根 林市長が設置計画 カズの直談判、3カ月で実る”. 毎日新聞. (2020年2月12日). https://mainichi.jp/articles/20200212/k00/00m/050/162000c 2020年8月1日閲覧。 
  16. ^ “三ツ沢の屋根は主観客席建替や全面建替で”. 建通新聞. (2021年3月4日). https://www.kentsu.co.jp/webnews/view.asp?cd=210303400026&pub=1 2021年4月6日閲覧。 
  17. ^ 三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)【令和4年6月1日 横浜市会第2回定例会 常任委員会報告資料】”. 横浜市環境創造局公園緑地部公園緑地整備課. 2022年10月15日閲覧。
  18. ^ a b 池田直「横浜市、三ツ沢公園に新球技場構想 現行の球技場は活用の方針」『毎日新聞』2022年6月1日。2022年6月2日閲覧。
  19. ^ 三ツ沢公園再整備構想案における新スタジアム計画について、当社が建設・寄贈する意向を横浜市に提案』(プレスリリース)ONODERA GROUP、2022年10月14日https://www.onodera-group.jp/news/?p=33352022年10月15日閲覧 
  20. ^ 三ツ沢公園再整備構想案における新スタジアム計画の寄贈提案の取り下げについて』(プレスリリース)ONODERA GROUP、2023年6月23日https://www.onodera-group.jp/news/?p=38902023年6月23日閲覧 
  21. ^ 横浜市民病院の移転先、スタジアムの隣で大丈夫? 「騒音が…」J関係者困惑”. iza!. 産経新聞 (2014年3月26日). 2016年1月30日閲覧。
  22. ^ 横浜市立市民病院再整備基本計画 (PDF)
  23. ^ “新しい横浜市立市民病院が5月1日に開院 「パークホスピタル」がコンセプト”. ヨコハマ経済新聞. (2020年4月25日). https://www.hamakei.com/headline/10857/ 2021年4月6日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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