レナト・ガウショ
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(レナート・ガウショから転送)
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名前 | ||||||
本名 |
レナト・ポルタルッピ Renato Portaluppi | |||||
愛称 | RG7 | |||||
ラテン文字 | Renato Gaúcho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1962年9月9日(62歳) | |||||
出身地 | グアポレ | |||||
身長 | 184cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (RWG) | |||||
代表歴 | ||||||
1983-1993 | ブラジル | 41 | (5) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
レナト・ガウショことレナト・ポルタルッピ(Renato Portaluppi、1962年9月9日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。
右ウイングで、強引なドリブルを仕掛けるプレースタイルで、ガリンシャ2世とも言われた[1]。また、端正なルックスもあって人気選手であった[2]。ソックスを浅く履いて、すね当てを付けないスタイルを好むことで知られた[1]。
経歴
[編集]1983年にグレミオ の一員として1983年の コパ・リベルタドーレス優勝、同年のトヨタカップ、ハンブルガーSV戦では2ゴールを決めて優勝に大きく寄与し[3]、大会MVPを受賞した。
1983年のコパ・アメリカからブラジル代表としてプレー、エクアドル戦でデビューを果たし、ゴールも決めた[1]。メキシコW杯のブラジル代表候補に選出されるが、直前の合宿中に門限を破った事がテレ・サンタナ監督の逆鱗に触れメンバーから外される[4]。イタリアW杯では1試合に出場した。
2017年には監督としてグレミオをコパ・リベルタドーレス優勝に導いた[5]。
代表
[編集]- 1983-1993 ブラジル代表 41試合5得点[6]
- ワールドカップ出場 : 1回 (1990イタリア大会)
指導者歴
[編集]- 2000-2001 マドゥレイラEC
- 2002-2003 フルミネンセFC
- 2005-2007 CRヴァスコ・ダ・ガマ
- 2007-2008 フルミネンセFC
- 2008 CRヴァスコ・ダ・ガマ
- 2009 フルミネンセFC
- 2010 ECバイーア
- 2010-2011 グレミオFBPA
- 2011 アトレチコ・パラナエンセ
- 2013 グレミオFBPA
- 2014 フルミネンセFC
- 2016- グレミオFBPA
脚注
[編集]- ^ a b c トヨタカップ 1983年 大会公式パンフレット p.44-47
- ^ あれから34年…“貴公子”レナトはふたたび、グレミオをクラブ世界一に導けるかサッカーダイジェストweb 2017年12月15日
- ^ “FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “Escapadas das Copas: Renato Gaúcho é cortado após balada em 1986”. gq.globo.com. 21 April 2020閲覧。
- ^ “Brazil's Gremio wins Copa Libertadores for 3rd time” (英語). www.si.com 2020年6月5日閲覧。
- ^ “Renato_Gaucho National Football Teams” (英語). www.national-football 2020年6月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- レナト・ガウショ - National-Football-Teams.com
- レナト・ガウショ - Soccerbase.comによる監督データ
- レナト・ガウショ - FootballDatabase.eu
- レナト・ガウショ - WorldFootball.net
- レナト・ガウショ - Transfermarkt.comによる選手データ
- レナト・ガウショ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- レナト・ガウショ - FIFA主催大会成績
- レナト・ガウショ - レキップ
- レナト・ガウショ - TheFinalBall.com
- レナト・ガウショ - BDFutbol.com